JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2026.03.14
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
右手が先程の 往路のときに訪ねた「藤沢御殿跡」 への路地の入口。



この写真の近くに「 蒔田本陣 」があったと。



旧東海道・藤沢宿
蒔田本陣跡
江戸幕府は、東海道を往来する幕府の役人や大名、公家などの専用宿舎として、各宿場に
本陣を指定しました。江戸時代に 外交使節として日本を訪れた朝鮮通信使も国賓待遇の

旧家や富裕層等、有力宿民が指定され、家屋の格式も特別なものでした。
江戸時代の地誌「相中留恩記略」に記された 蒔田本陣の図 からも、他とは画然とした
本陣の様子が判ります。」 

藤沢宿を歩く㉒蒔田本陣跡 | 相州山車祭り見物記

江戸時代の地誌「相中留恩記略」に記された 蒔田本陣の図。



「東海道絵巻」(藤澤御殿絵図)



脇本陣和田七郎右衛門・坂戸町問屋場の絵図 」。



旧東海道・藤沢宿
問屋場(といやば)跡
宿場において人馬の継ぎ立てを行う場所を問屋場と呼び、藤沢宿では、大久保町と
颯戸町に一ヶ所ずつありました。問屋場では問屋(責任者)や年寄(補佐役)の指示のもとに、
人馬と荷物の割り振りや賃践の記録、御用通行の武家等の出迎え、継飛脚(公用書状の逓送)
などが行われました。また、近隣の村へ助郷役や街道掃除役の割り当ても行いました。
この場所は坂戸町問屋の敷地跡で、のちに藤沢警察署となり、現在は消防署出張所に
なっています。」 



「問屋場の図 歌川広重「東海道五十三次之内 庄野」部分 (藤沢市蔵)



そして旧東海道を左折して「 常光寺
右手にあったのが 関次商店 パンの蔵 風土 」。



関次商店  パンの蔵 風土
関次商店の穀物蔵(明治19年築 国登録有形文化財)を改装し、天然酵母に拘った
パン屋としてオープン。



穀物蔵(明治19年築 国登録有形文化財)を改装してオープン。



その右奥では花苗等も販売していた。



そして更に進むと正面に 「浄土宗 常光寺」山門 が現れた。



山門横のお地蔵さんが出迎えてくれた。
境内にも数々の新作石像があった。
そして手前には石碑が2基。



近づいて。



記念碑 藤澤警察署創設百年 」と。
明治五年に警察署の前身である「邏卒屯所(らそつとんじょ)」が置かれた常光寺。

藤澤警察署發祥の地
明治五年八月常光寺の 邏卒屯所(らそつとんじょ)が設置され以後境内地の提供に
より警察出張所警察署に昇格。大正十四年洋風庁舎を建築し昭和三十九年四月本鵠沼の
新庁舎に移転するまで九十年間署が置かれていた發祥の地である。
藤澤警察署創設百年を記念して碑を建立す。」



「浄土宗 常光寺」。 
創立は元亀三年(1572)
山号は、八王山。
正式名は「 八王山 摂取院 常光寺 」、鎌倉光明寺の末寺であったとのこと。



左側に「六地蔵」。 



近づいて。
六道において衆生の苦しみを救うという六種の地蔵菩薩。
すなわち,地獄道を救う檀陀(だんだ)、餓鬼道を救う宝珠、畜生道を救う宝印,
修羅道を救う持地、人道を救う除蓋障、天道を救う日光の各地蔵の総称。 



境内の「 子育観音像 」。



本堂 」。 
元亀3年(1572年)に光明寺二十七世の明蓮社光誉(西隠)が創立。 
本尊は阿弥陀如来三尊立像 で、本尊中尊は像高99cm、全高204cm。



境内左側の墓地には、歴史を感じさせる墓石が並んでいた。



福禄寿 」像。



常光寺境内のカヤの巨木
カヤの巨木が聳えていた。枝を回りに伸ばしているが、幹は空洞化しつつあると。
かながわの名木100選にもなっているが、名木というよりは古木と言った方がぴったり。
この古木のカヤは樹齢320年と推定されているとのこと。
藤沢宿が整備されて85年後くらいに芽吹いたことになる。
「かながわの名木100選 常光寺のカヤ」のプレートには、「樹高 25メートル 
胸高周囲 5.0メートル 樹齢 約300年(推定)」、と記載されていた。



ズームして。



市指定天然記念物 昭和51年(1976) 4月15日指定
常光寺の樹林
藤沢の旧宿場町の南側に残る貴重な緑地です。駐車場などを除く境内の約7900m2
(約2400坪)が指定区域となっています。
大小さまざまな木々が生い茂り、すく近くを国道467号線(旧1号線)か通っているとは
思えないほどの静けさです。市街地の中でこれほど多くの巨木が集まっているのも、
市内では珍しいことです。
境内東の墓地にあるカヤは、昭和59年(1984)「かながわの名木100選」に選定されています。
また、庫裡の西、裏山のイチョウは、遊行寺の大イチョウに次く太さです。幹の折損部に
明治13年(1880)の大火で類焼したという跡があり、半分以上は枯れていますが、新たな枝が
生長してきています。
主な樹木の分布は図のとおりで、数値は平成21年1月に計測した幹回りの寸法です。
平成21年(2009) 3月
                            藤沢市教育委員会」 

下部には巨木に配置図が描かれていた。



常光寺の樹林 」についての説明を聴く。 



参道両側のクスノキを見上げて。



ズームして。



立派な墓地、立派な墓石。



「本堂」左奥にも墓地が続いていた。 



英米文学者で詩人の野口米次郎(1875-1947)の墓碑

常光寺 <藤沢市本町>: 阿吽探訪 狛犬と仁王像4

近づいて。
30cm立方ほどの四角な磨き石が間をあけて二つ。
その上を跨いで積み木細工のように、横60cm縦30cm厚さ30cm程の
矩形の石が、横長にのせられてあるユニークな形の墓。
子息の建築家イサム・ノグチ(1904-1988)が建立したものとのことで納得。

ふじさわ宿交流館

野ロ米次郎辞世碑
明治八年愛知県に生まれ二三年単身渡米、新聞記者となり、のち英国に渡る。
詩集を出版するなど両国の詩壇で活躍し、三七年日露戦争の報道のため帰国、兄が住職を
勤める常光寺や鎌倉円覚寺に住した。
慶応大学で教鞭をとり、世界各地で日本文芸について講演し、また広重・春信などの
浮世絵や正倉院宝物について英文出版、さらには日本で最初の英文案内書「KAMAKURA」を
出版したりして日本の文化・文芸を世界に紹介し、”ヨネ・ノグチ”の名で親しまれている。
昭和二二年疎開先の茨城県で没した。
       平成五年十月
                            藤沢市育教育委員会」 

常光寺 野口米次郎辞世碑(2020/03/18)

墓碑には野口米次郎の臨終の時の詩が刻まれていた。
鐘が鳴る かねがなる これは即ち 警鐘と言うのです
これが鳴ると皆ねます さぁ みんな眠りましょう 」と刻まれていた。
この誌の意味は?
「警鐘」と言いながら最後は「眠りましょう」と。
これは
人生の緊張からの解放
すべてを終えた後の安堵
騒がしい世からの離脱  とも読めるのであったが・・・・。

DSC08049_R.JPG

歌手・徳山 璉(とくやま たまき)の墓
ふくよかな体格と張りのあるバリトンで歌謡曲の黎明期に活躍した徳山璉。
クラシックから歌謡曲、そして軽演劇の世界に転身し、いずれも成功を収めた元祖
エンターティナーであった。戦時下には国民歌謡にも挑戦し、ザ・ドリフターズが替え歌に
して広く知られた『隣組』などをヒットさせた。過労が祟り、38歳で世を去ってしまった。
墓には「徳山家累代之墓」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「馨雲院孝譽樂邦瑞璉居士」。



参道に戻って。
これも新作石像か?



本堂左脇に 市指定文化財の「庚申供養塔」が2基



市指定有形民俗文化財 昭和五十二年(一九七七)四月十三日指定
万治二年
寛文九年 庚申供養塔
総高一六九センチメートル 火成岩製
総高一七八センチメートル 火成岩製
向かって右が万治二年(一六五九)、左が寛文九年(一六六九)に造立された庚申供養塔です。
ともに塔身に笠石をのせています。
万治二年塔は、塔身正面に「萬治二年」「亥己正月吉日」の造立年記があり、下部に十三名の
造立者名が陰刻されています。上部にある梵字は、キリークササクと読み、阿弥陀如仏
観音菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊を表現すもので、この石塔の本尊になっています。
その下の五つの梵字は、ア・ビ・ラ・ウン・ケンと読み、胎蔵界大日如来に祈る時の呪文で、
万物の生成要素である地・水・火・風・空を表すものです。下方に猿と鶏が陽刻され、
両側面と背面に「南無阿弥陀仏」の六文字が刻まれています。
寛文九年塔は、塔身両側面に「寛文九酉己年」「五月廿八日」の造立年記が陰刻されています。
この刻銘の日は、十干・十二支を組み合わせた暦法で六十日ごとに巡ってくる庚申の日でした。
かつて庚申の夜には、三尸(さんし)という虫が睡眠中に身体から抜け出して天帝にその人の
罪を告げるため寿命が縮められてしまうので、その夜は眠らずに過ごすという風習が
ありました。正面下部にある八名の造立者名は磨滅していて読みとれませんが、この人たちも
夜明かしをしたのでしょう。この石塔はその時の記念に建てられたものです。塔身の頂部
左右に日と月が、上部に阿弥陀三尊の梵字が刻まれています。下方には正面と両側面に
「見ザル・聞かザル・言わザル」が一体ずつ配されています。庚申塔に三猿像が彫られて
いるのは、三尸に告げられないように、あるいは庚申塔の申が猿と通じるからなどの
説があります。

平成二十一年(二〇〇九)三月

                             藤沢市教育委員会」 




そして境内側から山門を再び。




                                 ・・・​ もどる ​・・・



                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2026.03.14 06:01:13
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