JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2026.03.28
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カテゴリ: 国内旅行
「めんたいパーク」を後にして、狩野川に架かる「松原橋」を渡る。  



そして次の目的地の「願成願院」前に到着。
前方奥に 「願成就院」の「山門」が見えた。



山門の少し手前にある石標 「國寶旗挙不動尊」碑
ここ静岡県伊豆の国市にある願成就院(がんじょうじゅいん)に安置されている、
国宝の「不動明王・矜羯羅(こんがら)童子・制吒迦(せいたか)童子三尊立像」が
「国宝旗挙(はたあげ)不動尊」として知られています。
この不動明王は、文治5年(1189年)に源頼朝の奥州藤原氏討伐の際、北条時政が戦勝を
祈願して運慶に造らせたものと言われています。源頼朝の挙兵に因み、旗挙不動尊と
称されています。 

願成就院の国宝不動明王(国宝旗挙不動尊)の特長
・作: 鎌倉時代の仏師・運慶(運慶の初期の傑作とされる)。
・上人特徴: 三尊形式(不動明王を中心に、矜羯羅童子、制吒迦童子の両脇侍を従える)。
       力強い表情やポーズが特徴で、国宝に指定されています。
・所在地: 静岡県伊豆の国市寺家。
・拝観: 通常公開されており、運慶の国宝仏像が5体安置されている宝物館で拝観できます。 
なお、この不動明王が祀られている本堂には、源頼朝の帰依を受けた仏師運慶が制作した
他の国宝仏像も安置されています。
奥州討伐の旗挙げということでしょう、ちなみに願成就院から国道を挟んで反対方面に
伊豆滝山不動尊があり、こちらも旗挙げ不動尊と呼ばれているようです
ただ、こっちは文覚上人が頼朝に源氏再興の挙兵を勧めたとされる場所で、1180年ころの
話ではないかと思われます。



ある空き地の前でバスを降り散策開始。
「国指定史跡 願成就院跡」碑。



「国指定史跡 願成就院跡
願成就院は鎌倉時代初期、北条時政によって創建された寺院てす。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」
文治5年(1189)6月6日条には、源頼朝の奥州平泉攻めの成功を祈願して建立された、と
書かれています。
また、大御堂に安置されている国宝の仏像群のうち、四体から胎内銘札がみつかっていますが、
そこには北条時政と仏師運慶の名前をみることができます。
伽藍が整えられていきました。
当時の願成就院の姿は、発掘調査によって明らかになっています。昭和36年から現在まで、
境内やその周辺20ヶ所以上で発掘調査が行われ、建物の礎石や雨落ち溝の一部がみつかって
います。とくにこの一帯は、発掘調査によって、基壇や大量の瓦がみつかっている場所で、
承元元年(1207)に時政が建立した「南塔」の遺構と推定されています。また、周辺の
地形測量によって広大な池の存在も想定されています。
鎌倉時代の願成就院は、西側の守山を背景にして、池の周囲に堂や塔が建ちならぶ「臨池伽藍」と
呼ばれる様式の寺院でした。臨池伽藍は、浄土の世界を御堂や庭園の姿であらわす、当時を
代表する寺院様式です。」



「国指定史跡 願成就院跡」がここ一帯であると。



山門前の左側には多くの石碑が並んでいた。



「願成就院」の山門。

願成就院】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet

「高野山 真言宗 天守君山 願成就院」と。



「北条時政公開基 奥州征討戦勝祈願 願成就院」
天守君山 願成就院(高野山真言宗)の創建について
鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』と近年発見された国立歴史民俗博物館本『転法輪抄』の
「伊豆堂供養表白」により、願成就院が北条時政によって造営され、文治五年(1189)六月六日に
立柱上棟の法要が営まれて、本尊阿弥陀三尊と不動・多聞(毘沙門天)の形像が安置され、源頼朝と
後白河法皇の長寿と天下泰平、そして北条氏の繁栄と奥州藤原氏征討の成功を祈っていることが
明白になった。今日大御堂にお祀りする国宝の運慶作5驅の仏像は正に創建時の形像である。
伽藍の営作は、ニ代義時、三代泰時までの40年間に及び北条氏の氏寺として栄えた。前面に池が
広がる浄土様式の庭園をもつ大規模な臨池伽藍寺院であり平泉の毛越寺を模したと言われている。
昭和48年に守山(後山)東斜面と 内及び東側隣接地が「史跡願成就院跡」として国指定史跡に
指定されている。」



山門を潜ると参道左側に多くの無縁仏が。

史跡|願成就院跡】 行き方、見学のしかた (静岡県 伊豆の国市) : 文化遺産見学案内所

近づいて。



六地蔵。



赤白のおみくじだるまが至るところに。



願成就院略縁起
当山は、山号を天守君山と称し、阿弥陀如来を本尊とする高野山真言宗の寺である。
創建は、鎌倉時代初頭の文治5年(1189)に遡る。この地で源氏再興の旗揚げをし、鎌倉幕府を
開いた源頼朝公の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して、幕府初代執権北条時政公が建立し
「願成就院」と称したことに始まる。幕府の事績を伝える「吾妻鏡」には、時政公が大御堂と
南塔を建立し、二代執権北条義時公が亡父時政公の供養として南新御堂を建立、三代執権
北条泰時公が北条御堂と北塔を建立したことが記されており、堂塔伽藍の営作は北条氏三代に
わたる。貞応元年(1222)には「定額寺」(官寺)とする宣旨が朝廷より下されており、この地に、
守山を借景として、中之島のある池を配した「浄土様式」の壮大な寺院が、北条氏の氏寺として
造営されていたのである。数回の発掘調査でその遺構が概ね明らかになり、昭和48年、境内を
中心に周辺一部地域を含めて「願成就院跡」として国指定史跡となる。鎌倉時代の伽藍は、
15世紀末、伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)の堀越御所(北条時政館跡)攻めの兵火で焼失するが、
創建時に祀られた大仏師運慶謹作の五仏を中心とする七体の仏像と、仏像胎内造像銘札四枚は、
奇跡的にも今日に伝えられており、この尊き御仏像を拝観すると、幕府最大の権力者北条氏と
この寺の盛時を偲ぶことができよう。
本尊阿弥陀如来・不動明王・矜羯羅童子・制吒加童子・毘沙門天の五体の仏像は、文治2年
(1186)の造像で、運慶30代半ばの謹作、日本彫刻史上、運慶様式の成立を考える上で大きな
意義を有する尊像とされ、造像銘札4枚と共に重要文化財の指定を受ける。
境内には、北条時政公と足利茶々丸公(堀越御所2代公方)の墓所があり、両公の菩提寺である。
運慶作五仏、胎内銘板四枚は平成二十五年に国宝に指定される。」



境内の「 五百羅漢(ごひゃくらかん) 」の表情が楽しいのであった。



右手に「弘法大師御像」。



「大御堂」への参道には巨大な石灯籠が。




近寄って(右側)。



近寄って(左側)。



「運慶謹作仏像五体 附五輪形木札四枚
国宝指定記念之碑
平成二十五年六月十九日指定」 



「大御堂」。



いただいた パンフレット
地蔵菩薩坐像(通称:北条政子地蔵) 」。



願成就院の歴史と仏像の意義
当山は天守君山願成就院と称し、高野山真言宗に属す。伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅又は
韮山駅より徒歩で十五分程の守山を背にしたところにある。
寺の創建は、寺伝によると奈良時代聖武天皇の天平元年(七二九)五月十五日に創立されたと
伝えられるが、明らかなことは、鎌倉幕府の事蹟を伝える「吾妻鏡」の記録から、文冶五年
(一一八九)源頼朝公夫人、尼将軍北条政子の父で鎌倉幕府初代執権北条時政公が、頼朝の
奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立したもので、その後は鎌倉幕府に並ぶ者なき勢力を
振った北条氏の寺として、ニ代執権北条義時公・三代執権北条泰時公の三代にわたり、約
半世紀の歳月を費やして次々に堂塔が建立され繁栄をきわめた。その伽藍構成は奥州平泉に
藤原三代の偉業として伝えられる。中尊寺・毛越寺・無量光院三寺院の中の毛越寺を模した
もので、山門入ると大きな池があり、その池の中島にかけられた橋をって参詣するという
もので藤原時代特有の寺院様式であった。
しかしこうした繁栄もやがて十五世紀末には兵火にみまわれ、しだいに衰運に向かった。
室町時代延徳三年(一四九一)ニ代堀越公方・足利茶々丸公が北条早雲に攻め滅ぼされた際、
多くの堂塔が灰塵に帰し、さらに時移り、戦国時代の末、天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の
小田原攻めの折、韮山城攻撃の際、再び火に見舞われ、ますます寺運は衰えた。江戸時代
宝暦三年(一七五三)寺の荒廃をなげいた北条美濃守氏貞が仏像等の修理を行い復興に努めた。
現在の本堂は寛政元年(一七八九)に仮本堂として建立されたものである。昭和三十年以降、
東京浅草人を中心として、当山の貴重な文化財の護持顕彰を目的に浅山講・大倉願成講・
天山講・京山講などの講社が相次いで組織され、その浄業として大御堂が再建され、再び
今日の興隆をみるにいたった。
寺の創建時より大御堂にお祀りされてきた本尊阿弥陀如来坐像、不動明王立像及矜羯羅・
制吒迦童子立像、毘沙門天像の五体の尊像は、胎内に納められていた四枚の五輪塔姿形
銘札によって、文治二年(一一八六)にこの寺の開基である北條時政公の発願によって運慶が
謹作した仏像であることが明らかになった。運慶三十五才頃とされ、鎌倉幕府の成立に
関わった東日本に現存する最古の運慶仏である。この仏像群の特徴である豊かな量感と写実を
踏まえた力強い作風は、前代の仏像には見られなかった新しい造形と、運慶の秀でた彫技を
伝えるものとされ、運慶自づからが初めて世に問うた極めて意欲的で革新的な挑戦作であると
されている。正に運慶様式、鎌倉彫刻様式の成立を示す日本文化史上、日本彫刻史上大きな
意義を有する若き運慶の傑作であり、代表作の一つであるとされ、国宝に指定される。
また、現在の願成就院境内を中心に、裏山を含めた一帯は、平泉の毛越寺や京都の浄瑠璃寺
など、全国で七カ所残る「浄止様式」と呼ばれる藤原時代特有の寺院様式の貴重な遺構とされ、
「願成就院跡」の名称で国の史跡に指定されている。


寺宝
国宝
●阿弥陀如来坐像
運慶作
 大御堂本尊・堂々として量感豊かな体躯男性的でたのもしく、しかも限りない慈悲に
 あふれた面相は神秘的な威厳を具え、一種名状しがたい霊感にうたれる尊像である。
国宝
●毘沙門天像  鎌倉初期・寄木造・像高一四七センチ  運慶作
 重い鎧を身につけ、右脚を一歩踏み出し、あばれまわる二匹の邪鬼をしつかりと
 踏みつけて立つ、活動的な姿がきわめて巧みに表現された王眼嵌入の像。
国宝
●不動明王像  鎌倉初期・寄木造・像高一三六・五センチ  運慶作
 上半身裸形、両肩がはって胸あつく、腰の太いたくましい力強い体躯、仏敵や邪悪に
 立ち向う激しい怒りあらわに出し、除災招福の力にあふれた王眼嵌入の像
国宝
●矜羯羅童子像(こんがらどうじ)  鎌倉初期・寄木造・像高七八センチ  運慶作
 不動明王像の向って右に立っ脇侍、純粋無垢な小女を思わせる可憐な姿で、丸々とした
 体つき、裳の表現など、きわめて巧みな玉眼嵌入の像。
国宝
●制旺迦童子像(せいたかどう )  鎌倉初期・寄木造・像高八二・六センチ  運慶作
 不動明王像の向って左に立っ脇侍、額に八の字のしわをよせ、ロをへの字に曲げ、左足を
 踏み出し、上半身をのりだした力強さがきわめて巧みに表現された玉眼嵌入の像。



重要美術品
●政子地蔵菩薩像  鎌倉初期・寄木造・像高五一・五センチ
 嘉禄元年七月十一日に没した尼将軍政子の七回忌追福菩提のために、三代執権北条泰時公が
 奉納したもので、そのひきしまった姿に、生前の政子を巧みに表現した洗練された像。
国宝
●塔婆形銘札四枚  鎌倉初期
 毘沙門天像・不動三尊像の胎内より発見された造像銘札で、文治二年(一一八六)五月三日
 北条時政公が発願した仏像を運慶が作りはじめたことが記され、運慶に関する重要資料。
その他、阿弥陀如来坐像・北条時政公肖像・古文書 等。
史蹟
○北条時政公御墓
○足利茶々丸公方御墓
○北条時政公建立 南の塔 跡



五輪塔形木札
四枚・国宝附 
木札 (大)二枚は、不動明王と毘沙門天像に、木札(小)二枚は、矜羯羅・制吒迦の二童子像に
納められていた。四枚共に梵字で宝篋印陀羅尼が記されていて、不動明王・毘沙門天像の
二枚には、壺形の舎利容器が納められていた小円孔を穿ち、舎利が納められていたことが
わかります。また、四枚共に造像記が記されていて、文治二年五月三日から造り始めたこと、
擅越は時政、巧師は勾当運慶と記し、銘文執筆者は南無観音であると記されています。」 

寺宝 | 天守君山 願成就院 公式ホームページ

衿羯羅・制タ迦二童子から取り出された銘札裏面( 運慶の墨書 がある)

20150411ganjoujuin25-1.jpg

そして再び大御堂の扁額「大御堂」。



法華経(観音経 ​)👈️リンク の偈文の冒頭部分 が書かれた垂れ幕が。
第25章「観世音菩薩普門品」に含まれる 「 観音経の偈(げ) 」と呼ばれる部分
最上部が写っていないが。

「世尊妙相具  我今重問彼  佛子何因縁  名為観世音  具足妙曹尊  偈答無盡意  汝聴観音行 
善応諸方所  弘誓深如海  歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願 我為汝略説 聞名及見身
心念不空過 能滅諸有苦 假使興害意 推落大火坑   念彼観音力 火坑変成池 或漂流巨海 
龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没 或在須弥峯 為人所推堕 念彼観音力 如日虚空住
或被悪人逐 堕落金剛山 念彼観音力 不能損一毛   或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 
咸即起慈心 或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊   或囚禁枷鎖 手足被柱械 
念彼観音力 釈然得解脱 呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人 或遇悪羅刹 
毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害 若悪獣圍繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無邊方
玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋聲自回去 雲雷鼓掣電 降雹濡大雨 念彼観音力 
応時得消散 衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦 具足神通力 廣修智方便 
十方諸国土 無刹不現身 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅 真観清浄観 
廣大智慧観 悲観及慈観 浄願常譫仰 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間
悲體戒雷震 慈意妙大雲 濡甘露法雨 滅除煩悩焔 諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 
衆怨悉退散 妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念 念念勿生疑 観世音浄聖 
於苦悩死厄 能為作依怙 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂禮  
爾時持地菩薩即従座起前白佛言世尊若有衆生聞是観世音菩薩自在之業普門示現神通力者
当知是人功徳不少佛説是普門品時衆中八萬四千衆生皆発無等等阿耨多羅三藐三菩提心」 



・とても尊いお姿をされていたお釈迦様へ
 私(無尽意菩薩)は尋ねました。
 「あの菩薩(仏弟子)を、どのような理由で観音様と呼ばれるのでしょうか」 
・とても尊いお姿をされていたお釈迦様は偈の形で無尽意菩薩へお答えになられました。
 「お前は観音菩薩が、様々な場所に赴いて人々の願いに応じている姿をよく聞きなさい。」 
・菩薩の弘い誓い(本願)は、海のように深く、とてつもなく長い間考え抜いても、まったく
 想像の及ぶところではない。
 数え切れないほど多くの仏の側で学び、清らかな真の心で本願を建てられたのだ。
・私(釈迦)はお前に、簡略して観音菩薩について話をしよう。
 観音菩薩の名前を聞き、姿を見て、心に常に想念しつづけるならば、様々な苦難災難は
 なくなるだそう。
・たとえ人に害意を持たれて、火の燃え盛る穴へ突き落とされても、観音菩薩のお力を念じれば、
 火の穴は池へと変わるだろう。
・大海原を漂っている中で、龍や魚、諸々も死霊に襲われても、観音菩薩のお力を念じ続ければ、
 荒波にのまれることはない。
・高い山の峰から人に突き落とされても、観音菩薩の力を念じ続ければ、太陽のように空へ
 浮いていられるだろう。
・また悪人に襲われて、金剛山より転がり落ちることになっても、観音菩薩のお力を念じれば、
 ほんのちょっとの傷も負うことはない。
・また盗賊や山賊などの犯罪者に囲まれて、刀で切りつけられても、観音菩薩のお力を
 念じれば、すぐに慈しみの心をおこし、憎しみの心がなくなるだろう。
・また権力者の不当な処罰を受け、極刑により命が終わろうとしても、観音菩薩のお力を
 念じれば、刀がことごとく折れてしまうであろう。
・また囚われて手枷足枷をつけられ、鎖で縛られても、観音菩薩のお力を念じれば、スッと
 束縛から解放されるのである。
・呪いの言葉や様々な毒薬によって命を脅かそうと思っているものにたいしても、観音菩薩の
 お力を念じれば、かえって本人が様々な苦しみあうだろう。
・悪い魔物や毒龍、様々な死霊に遭っても、観音菩薩のお力を念じれば、危害を加えられる
 ことはない。
・もし凶暴な動物たちに取り囲まれ、牙や爪が鋭く恐ろしいものであっても、観音菩薩の
 お力を念じれば、ものすごい速さで八方に逃げていくだろう。
・毒蛇や毒虫のように、毒気が火のように燃えていても観音菩薩のお力を念じれば、
 称名とともに自ら向きを変え去っていくだろう。
・雷鳴が鳴りひびき、稲妻が走り、雹が降り、大雨になっても、観音菩薩のお力を念じれば、
 すぐに消えてしまうだろう。
・人々は困難や災厄にあって、無限の苦しみにあっても、観音菩薩の妙なる知恵の力は、
 世の中の苦しみから救うことができるのだ。
・神通力を備え、限りない智慧と方便を駆使し、大宇宙にある諸々の国々に、姿を現します。
・様々な苦しみの世界、地獄界、餓鬼界、畜生界、生老病死の苦しみも、全て消滅させる
 ことができます。
・真理を観ており、清らかに観つめ、広大な智慧をもって観ることができ、慈悲にあふれて
 すべての人を観ている。
 観音菩薩を常に念じ、尊びなさい。
・無垢で清らかな光をもち、智慧の太陽は、もろもろも苦しみの闇を破り、災いの風火を
 消し去り、すべての世界を照らすだろう。
・慈悲の「悲」の元である「戒」は雷のように震え、「悲」の心は妙なる大雲のようであり、
 甘露の法雨をそそぎ、煩悩の炎を滅するだろう。
・言い争いは裁判所をへて、戦いの中で恐怖をいただいても、観音菩薩のお力を念じれば、
 人々の怨みはすべてなくなるのだ。
・観音菩薩の妙なる声は、木々の間を通り抜ける風のようであり、海の潮の満ち引きの
 ようであり、世界中のすべての音に勝っています。
 だから常に念じなさい。
・僅かな時間も疑いを生じてはいけません。
 観音菩薩の清らかなお力は、さまざまな苦悩や死の縁の際に、大きな拠り所となるのだ。
・すべての功徳をそなえ、慈悲の眼差しをすべての人々へ注ぎ、幸福の集まりは海のように
 無限である。
 このような理由だから、まさに礼拝しなさい。
・お釈迦様の話がおわると、地蔵菩薩(持地菩薩)が立ち上がって進み出て、お釈迦様へ
 申し上げた。
・お釈迦様、もし人々が観音経に説かれる自由自在の衆生済度の働き、人々の機根に合わせて
 現れる神通力を聞いたならば、知ることになるでしょう。聞いた人の功徳は計り知れない
 ことを。
・お釈迦様が観音経をとき終えた時、そこに集まった8万4千の人々は、皆この上ない悟りの
 心を起こしたのだった。

観世音菩薩普門品偈(世尊偈) 写経用紙セット 冊子式


                                  ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・



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Last updated  2026.03.28 06:36:37
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