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名誉音楽監督となった尾高さんの指揮で、父上の尾高尚忠作曲交響曲第1番。早逝されたから第2番は多分ないんじゃないかと思うが、しかも第2楽章も近年発見されて、尾高さんの兄上の惇忠氏が補筆完成したそうだから、言わば未完成交響曲かもしれない。戦後のわかったようなわからないような現代音楽ではなく、ドイツロマン主義の延長上に少しだけ和風テイストを感じさせる音楽だった。決して聴きづらい音楽ではなくて、寧ろ聴きやすい。後半は、その父上が亡くなる2か月前に、ようやく振ることが出来たというブルックナーの9番。尾高さんの思い入れも一入で、終演後の拍手の中、わざわざマイクを手に、そういう特別な曲だというエピソードを語られた。なぜかジンと来るものがあった。札響も熱演していたが、例のグロテスクとも言えるスケルツォの低音の刻みに、もう少しキレが欲しかったなあ。ティンパニも、もっとチューニングを硬めにした方が良かったと思う。西洋クラシック音楽の三要素、リズム、メロディ、ハーモニー。1番のリズムに関して、厳しい見方をすれば、指揮も演奏も甘い。春にメンテナンス休館した分、10月は月初と月末2回公演という、珍しいスケジュールだったが、ほんのひと月足らずの間に季節は駆け足で通り過ぎ、もはや晩秋より初冬に近くなって、中島公園の紅葉も最後のときを迎えている。
October 31, 2015
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我が家からさほど遠くない(歩くにはちと遠いが)ところに、わりと短いサイクルで入れ替わるラーメン屋の建物がある。数年前には一時、あの麺屋虎鉄も出ていたんだが、その後は何軒か、長続きしない店が続いていた。夏頃だったか、通りがかりに、新たな店が入っているのを見た。ただ、表の看板や幟旗に、ラーメンとカレーの店とか書いてあって、まったく期待出来そうな雰囲気は感じなかった。ちょうどその頃、妻の入院手術とかがあって、その初めころの夕方、病院の帰りに、夕食の支度も面倒で、入ってみた。店が変わるたびに、ほぼ入っている店内の様子は、前の店とさほど違わなかったが、ただカウンター越の厨房と、スタッフ全員がなぜか女性だけだということに気が付いた。ンー、こりゃ食堂だったか、と思ったが、メニューを見ると、なかなか興味深いラーメンが並んでいて、更に、問題のカレーは、塩ラーメンのスープをベースに丸一日以上かけて作る、とある。知らないラーメン屋に入って最初に注文するのは、外れでも、よほどでなければ何とか食える味噌だが、夕食替わりだったので、そのカレーのミニも頼んでみた。さて、その味噌ラーメンだが、思いがけない深い味で、麺も適当で、しかも飲み干せるスープ。大当たり。そしてカレー。外で食うカレーで、こんな旨いカレーは久しぶり。近年札幌といえばスープカレーみたいな風潮があるが、カレーはルーが命です。いやあ、参った。今まで、女性の店主(調理人)のラーメン屋って、あったっけ?素晴らしい。訊けば、その少し前に引っ越してきたそうで、以前の店の場所は、あの「あづま」が復活したのかと思って入った同名の店の後だったらしい。あそこは駐車もしにくく、車通りだけが多い場所で、ラーメン屋には向かない場所だったと思うから、引っ越してきて正解だったのではないか。それから、何回か訪れ、塩ラーメンが絶品というのもわかった。ご承知の通り、塩の美味い店は極めて少ないのだ。さて、先月末だったか、妻がクラス会か何かで外出した折、これ幸いと仕事帰りに寄ったときのこと。店のシャッターが降りていて、アチャーまた潰れたかと思ったが、思い返してシャッターの張り紙を読むと、大通りで開催されているフードフェスタに出店するために臨時休業中ということだった。ガックリして、その夜は引き揚げたが、数日後に妻と訪れてみると、やはり知名度が上がったのか客が多く、品切れのメニューもあったほどだった。気に入った店が繁盛するのはいいものだが、また、もっといい場所へ移転しないか気がかりだ。優月という店のお話。
October 11, 2015
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この一週間ほど、思うに、あの雷ほぼ直撃騒動の日以降、ジュリの調子が良くない。動きが鈍く、食も進まず、散歩のときには道端の草を(多分気に入るのとそうじゃないのがあるみたいだが)食べたがる。昨夜とその二日前と、いつもの晩御飯を全く食べなかったので、さすがにどうしたものかと、予防注射以外で初めて病院へ連れて行った。症状を説明すると、雌なのでホルモンバランスがおかしくなっているのかもしれないと言う。今日出来ることは何かと問えば、まず血液検査だと。ただでさえ臆病なジュリは、建物に入った時から震えていたが、診療台に載せられただけでパニック。首の周りにエリマキトカゲ風のもの(名称を訊けばよかった)を付けられてから、右の後ろ足から注射で血を抜かれ、結果待ち15分。数値的には腎不全になりかけらしい。水分不足ということか。心臓に負担がかかっていないかエコー診断みたいな機械で映像を見る。最近胎児の動きとか見る機械と同じようなものではないか?たかが犬にそこまでするか?とは思ったが、物珍しさに見入る。結局、皮下点滴とかいうのをやってもらって、今日のジュリの悲惨な治療はおしまい。2,3日様子見に連れて来た方が良さそうとか言われたが、簡単に万札が飛んでゆく話で、病院にすればジュリは、いい金蔓?
October 7, 2015
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今回の指揮は個人的にお気に入りの広上淳一氏。演目はラフマニノフで、小山実稚恵女史のピアノで3番のコンチェルトと、意外と聴く機会のない交響的舞曲。小山女史はデビュー30周年だとかで、通常のプログラムと共に記念の小冊子が付いていた。しかも定期演奏会には珍しく、終演後にサイン会もあるとのことだった。これまでにない扱いで驚いたが、彼女の人気実力によるものなのか、プロモーターの力によるものなのか、はて?いつも思うことだが、女性演奏家のプロフィールには、なぜ絶対に年齢が表記されないのだろうか?男性の場合には多くの場合何年生まれとか書いてあるのに。本人が個人情報保護?で拒否している場合もあるんだろうが、聴く側としては、そのときの年齢と言うのも鑑賞の情報の重要なファクターであって、その年齢にして到達した、その人の芸術の幅や深みを判断し味わうにも、ぜひとも実年齢は知っておきたいものである。ラフマニノフの3番というのは、いつ聴いても「過剰」という印象が否めない。ホロヴィッツやアルゲリッチのように、ラフマニノフは3番しか弾かない、とか、たしかにピアノ曲の頂点のひとつなんだろうが、途中から聴き疲れというか、もうたくさん!という気分になる曲だ。両手の指が目まぐるしく動き回り続ける演奏を観ていても、観疲れる。偏見と言われるが、女性ピアニストには荷が重い曲だと思う。音に余裕がないので余計疲れるのだ。交響的舞曲では、踊る広上を堪能。唸りのコバケンに匹敵する、特徴の際立つ指揮が、特にワルツ調の第2楽章で優雅にも炸裂。指揮台の上でジャンプしたり、日本人としても小柄な身体を目一杯使う指揮姿からは、昔流行った「のだめ」に出てくる「片平」を思い出すほど。それに、失礼ながら6等身にしか見えないくらいに大きな頭は、さすが脳みそが一杯詰まってるんだろうなと、かつて見た武満徹まで思い出させてくれる。ああいうエモーショナルな指揮者が、やっぱり札響には欲しい。ところで、小山実稚恵によるアンコールがあったが、スクリアビンの左手のためのノクターンOP9-2という珍しいもので、本当に右手はずっとお休み、という演奏姿は意表をつくものだった。家に帰ってから、たしかアーリー・スクリアビンとかいうCDがあったはず、と探してみたら、その中にありましたね。しかももう一つ別に、ある意味有名な、あのマイケル・ポンティの、全集の中にもしっかり収録されていて、自分でもちょっとビックリしながら聴きなおしたのでありました。問題は、今日の演奏会の前半、小山実稚恵の出番の際、会場の右側の方から、頻繁に携帯のアラーム音(のような電子音)が聞こえ続けたこと。おそらく多くのリスナーは、自分と同じように聴くことに集中出来なかったと思う。携帯の音なら、いい加減、本人や周りが気づいて止まるだろうと思いきや、一向に鳴り止まず、遂にアンコールも済むまで解決しなかった。休憩に入ったときに、もしかしたら補聴器の音だったかもしれないと隣人が言う。調節がうまくいかないとハウリングみたいに鳴ることがあるらしい。補聴器を付けてでも音楽を聴きたいという人を無碍に責めるのもいかがなものかとも思うが、外すなり電源をオフるなりの配慮が出来なかったものか。さすがに休憩後の館内放送でも、注意喚起のアナウンスはあったけれど、補聴器とは予想外の盲点である。
October 3, 2015
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