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2006.01.28
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晶文社。1979.5.10
 江戸時代に外国に漂着し、歴史に名を残した人物といえばジョン万次郎しかしらなかった。
 漂流した人もそんなにはいなかったのだろうと思っていた。
 ところが。
 漂流者はたくさんいたし、帰国した人もまた少なくないのだ。
 のちに「にっぽん音吉」と呼ばれるようになる人物も、天保3年(1832)に尾張から出帆し、遭難。時に十四歳。
 十四ヶ月後に北アメリカに漂着したとき、十四人の乗組員のうち、生き残っていたのはわずかに三人。そのうちの一人。
 原住民にとらえられたが、白人に救出され、日本との交渉に利用されることになる。
 当時の日本が鎖国していたことよりも、アメリカやイギリスが彼らをどのように利用しようか、という思惑のために翻弄され、九州出身の四人の漂流者とともに、やっとの事で江戸まで来たが、砲撃され、追い返される。モリソン号事件である。

 日本に帰国させるだけなら長崎に連れて行けばよかったのだが、モリソン号はそうしなかった。そのために、帰国の道を閉ざされてしまったのだ。
 いわば、彼らは利用価値がなくなったために放り出され、自力で生きていくことになる。しかし、そのまま埋もれてしまったわけではない。
 変転の後、上海を拠点として、漂流者の帰国の手助けをするのである。
 一人二人ではない、その数は二桁に上る。
 何のことはない、中国船に乗せてもらって長崎に入港すれば帰国できたのだ。
 そうやって帰国した人たちが大勢いたのである。
 鎖国ではあったが、海外での生活を経験した人たちがかなりいたのだ。
 驚きだった。
 さらに、音吉は、一度は日本語のできる中国人のふりをして、もう一度は日本人音吉として、通訳のために日本を訪れているという。
 何という人生だろう。
 異郷にあっても日本への思いは消えず、ヨーロッパへ向かう使節団に会いに行って助言したりしている。しかし、日本にいたときの身分が低かったということで、彼自身を重く見る者は少なかったようだ。

 著者は、情熱を持ちながら、思いこみを排し、非常に多くの資料を検討して執筆している。注釈も詳細で厳密な態度である。
 調べて書く、というのはこういうことなのだ、というお手本となる。

 音吉は、聖書の日本語訳に協力していて、その訳文が「ゴザル体」になっている、これについては、
「筆者にとっては、ゴザルは平田篤胤の国学講述でなじみのある文体である。それは江戸後期に盛行し、明治初年になっても言文一致として流行を続けた啓蒙主義の文体といっていい。」(p87)と述べている。これは「ゴザル体」を絵解き文に結びつける思いこみへの反論なのだが、感情に流されず、きちんと時代背景をとらえる姿勢がうかがわれる。

 九州出身の漂流者が、オランダ船に託して、日本の家族に出した手紙が引用されている。(p149)


 音吉は、帰国することなく異郷で生涯を終えた。
 検索したら、昨年(2005年)に、その遺灰が故郷に改葬されたそうだ。
ここ でその様子を見ることができる。

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Last updated  2006.01.28 15:50:28 コメントを書く
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