全103件 (103件中 1-50件目)
今日の読売新聞の社説「学徒出陣80年 有為な人材失う痛み忘れまい」。 題名から引っかかる。「有為な人材」でなければ失ってもいいのだろうか。高等教育を受けて国の発展に貢献したであろう人材を、無謀な戦争で失わせた指導部の責任は重い。という文章もある。 読売新聞は、国の発展に貢献したであろう人材でなければ死んでもよかったと考えているらしい。
2023.10.22
コメント(0)
今年もまた全国学力テストが実施されたそうだ。 すでに弊害の方が大きいと実証されていると思うのだが、どうしてこんなことを続けるのだろう。 なぜか産経新聞は「学力テスト10年 競争が向上につながった」といって持ち上げているが、学力テストで上位になった自治体や学校にはどんないいことがあったのかということには全く触れていない。 ただ競争させること自体が目的らしい。 これが100メートル走なら純粋に早さを競うこと自体が目的なのだから、数字を競うのは当たり前。しかし、学力というのは数字だけではかれるものなのだろうか。 『「学力テストでトップ級」秋田県は、なぜダメなのか』という文章では、学力テストには全く意味がなく、学力トップになったところで何もいいことはないということがはっきり書かれている。 点数を競うこと自体が目的になった結果、過去問題を解かせて対策を練ることが現実に行われている。 記事 馳浩のいうようにまさに本末転倒だが、こんなことがまかり通るようになったのは文部科学省の責任だろう。 こんなものにいくらかかるのかと思ったら、ここに金額が書いてあった。 1回あたり50億円かかり、それを10回実施しているのだが、500億円使っているわけだ。 点数だけを競うテストを続けるよりも、その予算で教員を増やす方が学力の底上げにつながるだろう。 こんなことに私の納めた税金が使われているのは納得できない。
2017.08.30
コメント(0)
昨日の続き。 「1杯のコーヒーの力」という記事。 もめ事が多かった避難所でコーヒーを淹れたことで問題が解決したかのような書き方をしている。 しかし、とても問題が解決したとは思えない。「避難者があふれ、軒下まで人が寝ていて、まるで運動会のテント状態。こんな避難所、見たことなくて」 コーヒーを淹れれば「避難者があふれ」ている状態が解決できるのだろうか。 コーヒーと避難者があふれているという問題の解決がどのようにつながっているのか全く触れていない。 これは甲を持ち上げるために乙を貶めるという書き方の見本だ。 新聞記者は気楽だよなあ。 自分が避難所で対応に追われる職員の立場になることは絶対にないという安心感の上にあぐらをかいて偉そうに批判していればいいのだから。 私は熊本県には全く縁がない。行ったこともない。 しかし、苦情処理に追われた職員の心情を思いやることはできる。 福岡賢正記者はそういうことができない人なのだろう。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2016.05.30
コメント(0)
我が家では今、毎日新聞を購読している。 朝食をとりながら読んでいるのだが、これはひどい、と思う記事があった。 WEBでも読める。 「すさむ心、鎮めた1杯」という記事だ。 「もめ事が頻発し、避難した人々の統制が全く取れとらんかった」と言うが、これは行政のせいなのだろうか。 悪条件が重なったとはいえ、町職員の対応のお粗末さに不信感を募らせた被災者が多い。 「お粗末」と言うが、では、この記事を書いた福岡賢正記者なら何も問題が起こらないようにできたというのだろうか。 そもそも問題は、 震度7を記録した前震翌日の4月15日から支援に入り、今もとどまって活動を続けるボランティアや、当初から避難している人々は言う。「前震の直後からセンターは人々であふれ、室内の土足部分やトイレの床、外の軒下部分も避難者で埋まり、駐車場の車の間で寝る人もいたんです」とあるように、施設に収容できる人数を遙かに超える避難者が押し寄せたことがごたごたの原因であって、それは職員の責任では亡いだろう。 こういう書き方が、現場で働いていた職員をいかに傷つけるか、この福岡賢正記者には思いが及ばないのだろう。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2016.05.29
コメント(0)
自衛隊訓練記事で産経が「おわび」- J-CAST(2012年7月25日15時24分)Infoseekニュース【続きはInfoseekニュースへ】 不思議な事件。 新聞社としては事実ではなかったことを認め、記事を削除し、謝罪しているが、その一方で、「産経抄」では記事を事実として、区役所を批判している。 紙面全体を統括する人がいるはずだから、一方では頭を下げ、一方では舌を出すという態度をとることにしたらしい。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2012.07.25
コメント(0)
産経「自衛隊訓練で立ち入り拒否」記事に9区が抗議・訂正要求文-?J-CAST(2012年7月24日17時49分)Infoseekニュース【続きはInfoseekニュースへ】 産経新聞のねつ造記事。 ここに名があげられている各区のサイトを見ると、抗議文を見ることができる。 取材すればわかることを取材せずに記事にすることがまかり通ると思っているらしい。 産経新聞の記事は、これとこれ。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2012.07.24
コメント(0)
「Dr 林のこころと脳の相談室」というサイトを興味深く読んでいる。 精神科医がメールで寄せられる相談に、冷静に答えている。 無理に期待を持たせるような回答はせず、なかなかハードボイルドだ。 そのトップページにこんなことが書いてある。長いが、いずれ消えてしまうのではないかと思うので引用しておく。つい先日、ある大手新聞のWEB版に、「人生の悩みをネットで解決」という記事がありました。それは、「人生いろいろ、悩みもいろいろだが、インターネットなら、どんな相談にも答えてくれる。」という一文から始まり、私のサイトが次のように紹介されていました。 ネット上の悩み相談で、根強い人気を誇るのが、精神科医、林公一(きみかず)さんの「こころと脳の相談室」だ。「ここ数ヶ月の間に彼女の様子がおかしくなってきた」と長文で訴える20歳代の男性に、「あなたは単にふられつつあるのではないでしょうか」と一言だけ回答。その快刀乱麻ぶりが絶賛された。この記事には私のサイトに対する重大な誤解があります。私のサイトの精神科Q&Aは、悩み相談でもなければ、医療相談でもありません。単に事実を回答するだけです。質問される方々、また、読者の方々にも、ぜひこの点について誤解のなきようお願い致します。私はこのサイトで質問者を助けようなどという気持ちはありません。たとえそれが質問者にとって絶望的な内容であっても、事実は事実として回答するのがこのサイトの方針です。 こんなことは運営者に取材すれば運営方針がわかるはずなのに、変なこともあるものだ、と思って検索したら、産経新聞だった。なるほど。 この記事を書いた人は、インターネット上の書き込みを紹介しただけで、取材などしていない。 「その快刀乱麻ぶりが絶賛された。」という表現からわかる。 誰かが「精神科Q&A」を引用して「絶賛」したのを目にしただけでこう書いたわけだ。誰に「絶賛」されたのかは書いていない。 運営者に否定されても「だってネットに書いてあったんだもん」と言えば済むと思っているのだろう。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2011.01.03
コメント(0)
今日の産経新聞の「主張」は帰省がテーマ。 まあ、お盆だし、テーマ自体は特に問題はないのだが、内容はあいかわらずへんてこりん。 唱歌「故郷(ふるさと)」の歌い出しに「兎(うさぎ)追いしかの山、小鮒(こぶな)釣りしかの川」とあるように、山や川、田や畑などの懐かしい風景は、私たちの心をふるさとへとせきたてる。 同じ唱歌の2番には「如何(いか)にいます父(ちち)母(はは)、恙(つつが)なしや友がき」と、父母や友人らの息災を気にかける詞が出てくる。もともと帰省の「省」には「親の機嫌を尋ねる」といった意味もあり、「帰省」とは本来、「故郷に帰って、父母の安否を問うこと」(広辞苑)だと分かる。ふるさとは、家族の絆(きずな)を確かめ合う地でもあるのだ。 同じ消化の3番は、志(こころざし)を はたしていつの日にか 帰らん山は青き 故郷水は清き 故郷で、これは帰省しない人の歌なのだ。遠く離れたまま「いつの日にか 帰らん」と思っているだけで、帰省とは縁がない歌だ。 これは産経新聞のせいではないが、この歌には子供の頃から違和感を感じていた。 ウサギを追いかけた経験のある人って、世の中にどれだけいるのだろう。地方出身者総マタギか。 鮒は釣ったが、川ではなく池で釣った。川釣りには鑑札が必要だ。 この「主張」では、このあとこう続く。 国民的映画と評された『男はつらいよ』シリーズの主人公、フーテンの寅さんは、行方定めぬ放浪生活を送りながらも、折にふれてふるさとの柴又を思い、「や、元気かい」と言いながらふらっと帰ってくる。互いの無事を喜び合って寅さんや家族、近所の人らに笑みがはじける。寅さん人気がいまだ衰えないのも、こんな地縁血縁の温かさを私たちに思い起こさせてくれるからに違いない。 おいおい。寅さんの故郷には、「山や川、田や畑などの懐かしい風景」はないぞ。江戸時代ならともかく。 わたしは「男はつらいよ」は全部見た。しかし、このシリーズの魅力は「現実にはあり得ない」ということだと思っている。 寅さん人気がいまだ衰えないかどうかはわたしにはわからない。 しかし、寅さん人気がいまだ衰えないのも、こんな地縁血縁の温かさを私たちに思い起こさせてくれるからに違いない。と断定するのなら、その根拠を示して欲しい。 相変わらず、根拠のない思い込みで書いているのだろうか。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.08.14
コメント(0)
今日の産経新聞の「主張」の「海の日 恵みに感謝し守る決意を」に、こんなことが書いてあった。 「海(うみ)」という日本語は「大水(おおみ)」がつづまったものとの語源説があり、神のいる「天(あま)」と同源であるともいわれている。広大無辺の海をいかに日本人が大切に思ってきたかがうかがい知れる。 なぜ「うみ」と「あま」が同源と「いわれている」のか、その根拠が示されていない。 「うみ」と「あま」が同源だったとしても、どうしてそのことによって「広大無辺の海をいかに日本人が大切に思ってきたかがうかがい知れる」のか、これまた説明がない。 あいかわらず、何の根拠もない思い込みで突っ走る癖が抜けていない。 さらに、 海に関する日が祝日とされている例は世界でも数少ないといわれる。と、新聞の大好きな「いわれる」が使われている。 「海に関する日が祝日とされている例は世界でも数少ない」かどうかなんて、調べればわかることなんじゃないの。 どうして確認しないの。 確認すると、自分の思い込みに反する事実が出てきそうで怖いから確認しないのかなあ。 不思議、不思議。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.07.20
コメント(0)
今日の産経新聞の「産経抄」は新しい議員会館について述べている。 その中でこんなことを書いている。1700億円もかけ、1議員当たり100平方メートルものオフィスをつくる必要はなかった。無駄を許したメディアの力足らずは大いに反省するが、自らの仕分けもできない国会議員に何ができようか。 議員会館の建て替えの立案から予算確保、竣工まで1年でできるわけはない。 珍しく、民主党ではなく、自民党を批判している。 さらに、7月11日の参院選投票日には、罪穢れの自覚がない候補者や政党の名前はくれぐれも書かないよう願いたい。と結ぶことまでやってのけている。 メディアというのは中立でなくてはならない、という建前があるはずで、表向きは中立のふりをするはずなのだが、ここまで露骨に自民党に投票するな、と主張することが許されると思っているのだろうか。 これでは「赤旗」と同じではないか。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.06.30
コメント(0)
常用漢字の話。 産経新聞の14日の主張の一つは、「「新漢字表」答申 「制限」の自縛解く好機だ」というもの。 これまた変なものだった。 「虎」が追加される一方で「鷹(たか)」「雀(すずめ)」などが落選した。使用範囲が限定的と判断されたようだが、このままでは「鷹揚(おうよう)」などの熟語や「門前雀羅(じゃくら)を張る」などの成句が、若い世代ばかりか国民の多くから忘れられていく。と書いているが、ちゃんと調査したのか? 「雀」を「すずめ」と読めない日本人は減ってきてているのか? 常用漢字にないから「雀」を使った語が消えていく、というのなら、「麻雀」という語は忘れられてしまったのか、。雀荘は消えてしまったのか。数は減ってきているが、それは競技人口が減っているからであって、常用漢字に入っていないからではないだろう。 それに、「鬱」という字は常用漢字に入っていなかったが、たいていの人が「憂鬱」と語を、書けなくとも知ってはいるだろう。 戦後間もない昭和21年に制定された当用漢字表は漢字の使用に厳しい制限を設けたため、公文書だけでなくマスコミも、漢語に仮名を交ぜる交ぜ書き表記や代用漢字の使用を余儀なくされた。というのも誤り。「厳しい制限」があったのなら、罰則規定があったはずだ。どんな罰則があったのか教えてもらいたい。 当用漢字表の後を受けた常用漢字表では「漢字使用の目安」というふうに制限色が緩和された。が、それにもかかわらず一部マスコミはいまだに「牽引」を「けん引」、「改竄」を「改ざん」と書くなど、「表外字不使用」の自縛を引きずっている。と書いているのは正しい。 自分たちで勝手に制限を設けているだけなのだ。 それなのに、 豊かな文章表現と美しい国語表記に、幅広い漢字の使用は絶対に欠かせない。「けん引」や「改ざん」の表記こそ、国民から正しい漢字知識を遠ざけようとする暴挙と心得るべきだろう。と結ぶ神経が理解できない。 「豊かな文章表現と美しい国語表記に、幅広い漢字の使用は絶対に欠かせない。」と思うなら、常用漢字にとらわれずに、それを実行すればいいだけのことだ。 自分の考えに自信が持てないのを政府のせいにしているようにしか思えない。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.06.15
コメント(0)
奥多摩シリーズはちょっと休んで、常用漢字問題へ。 産経新聞の13日の「産経抄」は、例によってへんてこりんなものだった。 少し長いが冒頭はこうなっている。 昭和52年に刊行された小林秀雄の大作『本居宣長』(新潮社)は全編、歴史的仮名遣いで書かれている。難解な漢字を正字体で用いルビはほとんど振らない。本居宣長の著作をはじめ「源氏物語」や「古事記」などの古典からも数多く引用している。▼戦後教育で育った者は専門家以外、漢和辞典や古語辞典を傍らに置かないと、まず読み通せない。実は後の文庫版では現代仮名、新字体に改め、ルビもふんだんに振ってある。それなら最初からそうすればいいではないか。大評論家への誹(そし)りの声も聞こえてきそうだ。 古語辞典など無くても歴史的仮名遣いは読める。 わたしはなにで覚えたかというと、おそらく小学生の時だったと思うのだが、「のらくろ」の復刻版が出たことがあった。母が懐かしがって最初の二冊ぐらいを買ってくれて、それを読んで歴史的仮名遣いが読めるようになった。漢字も正字体だったが慣れれば簡単に読めた。 小学生でも読めるものだ。この「産経抄」の筆者が、戦後教育で育った者は専門家以外、漢和辞典や古語辞典を傍らに置かないと、まず読み通せない。と書いているのが理解できない。 これでは、筆者が自分の頭の悪いのを宣伝しているようなものだ。 末尾は、 ▼そもそもなぜ国が漢字を規制する必要があるのかよく分からない。だがそれ以上に選定基準が「パソコンで変換が容易」「使われる頻度が少ない」と相変わらず実用本位なのが気になる。文化の将来を考えると、「憂鬱」さは消えそうにもない。という文章。 国は「規制」などしていない。公文書には制限が及ぶが、私的なものはとらわれる必要がない。 現に毎日新聞は独自の規範を決めて常用漢字表にない字も、漢字表記に用いている。 何を言っているのか全くわからない。 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.06.14
コメント(0)
産経新聞の「男女共同参画案 家族の絆を壊すつもりか」という主張を読むと、不思議なことがいろいろ書いてある。 政府の男女共同参画会議が、来年度から実施する次期基本計画の土台となる中間整理案(計画案)を公表した。家族より個人を重視した制度・慣行を促し、家族の絆(きずな)を壊しかねない選択的夫婦別姓にも「民法改正が必要」と明記するなど問題が多い。という書き出しなのだが、なぜ選択的夫婦別姓が「家族の絆(きずな)を壊しかねない」のかその根拠は書いてない。行き過ぎたジェンダーフリー(性差否定)教育に歯止めをかけ、伝統的家族観を盛り込んだ条例をつくる自治体が出るなど是正の動きもでてきた。というのは誤りで、「性差否定」は「ジェンダーレス」であって「ジェンダーフリー」ではない。 姓が同じかどうかと家族の絆は関係がない。 中国や朝鮮を見ればわかる。 結婚したくらいで姓を変えることはない。これは個人を尊重しているのではなく、一生、自分の一族から離れられない、ということなのだ。 夫婦別姓の社会の方が、家族の絆どころか一族の絆は固い。 産経新聞の考え方では、中国や朝鮮には家族の絆がないことになってしまうのだが、現実にはそんなことはない。 この主張の結びは、 たしかに共働き世帯や結婚しない単身者の増加などで社会保障制度の見直しなどが課題になっている。しかし、個人重視が男女共同参画社会にどうつながるのだろう。家族や家庭を軽視することになりかねない。 相談相手がおらず子育てに悩んで孤立化する若い母親が多い。経済状況から仕事に出ざるをえない母親も増えている。 家族や周囲の支えはますます重要になっている。むしろ家族の絆を重視する視点が必要だ。となっているが、夫婦別姓と個人重視は全く関係がない、ということを知らないらしい。 そもそも「姓」は個人のもので家族のものではない。 日本が朝鮮で行った政策も「創氏改名」であって、個人の「姓」を変えさせるのではなく、家単位の「氏」を作らせるものだった。 どうしても、家族の絆には同姓であることが必要だ、と主張したいのなら、是非答えてもらいたい質問がある。 日本には姓を持たない人たちがいる。 その人たちには「家族の絆」はない、というのかね? 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.04.16
コメント(0)
毎日、各紙のサイトを見に行っている。 今日は春分の日。そのことをことさら社説に取り上げているのは産経新聞だけ。 タイトルは、「春分の日 季節の変化に心向けたい」。 これが、例によって、情緒的なだけで間違っている。 春分の日を境に昼が夜より長くなり、生物は目に見えて生気に満ちてくることだろう。 昼夜の長さがほぼ等しい日は、春分の日よりも前にくる。春分の日はすでに昼の方が長い。 また、何を根拠に、春分の日から「生物は目に見えて生気に満ちてくることだろう」と勝手に推測しているのか理解できない。 日照時間と関係があるというのなら、冬至からのことになるはず。「一陽来復」という言葉もある。真東から昇り真西に沈むこの日の太陽というのも科学的ではない。 日本では、緯度が高くなればなるほど、太陽は真東よりも南から昇り、真西よりも南に沈む。 結びは、 きょうは墓参りをする人も多いことだろう。道すがら、草花や鳥の声、風のにおいなど身近の「季節」にちょっと注意を向けてみてはいかがでしょう。という、実際には「草花や鳥の声、風のにおい」なんて感じていないだろうと思わせる文章。 わたしのように、小さいながらも市民農園で畑を作っていれば、「春分の日」などという暦の上の季節よりも、生の気候の方に敏感になる。 いつソラマメをまくか、いつジャガイモを植え付けるか。霜よけはもう必要ないかどうか。 世の中には不思議な文章を書く人がいるものだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.03.21
コメント(0)
「自民、元女優ら2新人を擁立」「××ヌード経験アリ 自民参院選候補にあの女優を起用!?」という記事で懐かしい名を見た。 麻生真宮子。 麻生真宮子&キャプテンだった人だ。 キャプテンの女の子二人組は、もとは松本伊代のバックにいた人たちだ。 あまり光が当たらずに終わってしまったが、気になっていた。 懐かしい。 キャプテンの二人は、「ヤンヤン歌うスタジオ」の最終回スペシャルに顔を見せていたのを覚えている。 元気そうでなによりなのだが、「××ヌード経験アリ 自民参院選候補にあの女優を起用!?」の 出馬濃厚の「美人過ぎる市議」藤川優里八戸市議(29)とともに熟女軍団を結成し、小沢ガールズに反転攻勢を仕掛ける。は変だろう。 29歳で「熟女」扱いはないんじゃない? 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.02.06
コメント(0)
読売新聞の「全国ピアノ1位の高2訴え、橋下知事が予算増額」にこうある。 橋下知事は、生熊さんが府庁を訪れた際、昨年11月のコンクールで優勝した生熊さんの演奏をDVDで鑑賞し、「全国1位は半端じゃない」と激賞。生熊さんとの会談終了後、府教委幹部らを呼び「頑張っている学校は応援しないと」と話し、府教委の要求にもなかった3000万円の増額を指示した。 どうやら橋下知事は「半端じゃない」を褒め言葉だと思っているらしい。 「半端」という語の用例を思い浮かべればわかるはずなのだが、「中途半端」「半端物」というように、一定の条件を満たしていないものをさす語だ。 したがって「半端じゃない」は「条件を満たしている」というだけのことで、「全国1位」を「半端じゃない」というのは、「全国1位は人並み」と言っているのと同じことなのだ。 念のために朝日新聞と毎日新聞のサイトで検索してみたが、この発言は載っていなかった。 知事は「半端じゃない」と言ったのかもしれないが、記事にするときに配慮があってもいいのではないか。 なお、「全国1位」というのは、個人成績であって学校の成績ではないのに「頑張っている学校」というのは理解できない。 これについては何も書いていないのも不親切な記事だ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.02.05
コメント(0)
「犯罪被害者の死刑への賛否 それぞれの思いと「日本人の変質」」という記事の結びがこうなっている。 立派なドキュメントではあるが、再現シーンの死刑台映像はちょっとやり過ぎである。死刑が如何に非人間的かと言いたいのだろうが、何度も何度も絞首のための綱の輪を見せる必要はない。作り手が意図するのは死刑廃止の遠謀か、と誤解したくなったのだ。 「作り手が意図するのは死刑廃止の遠謀か」というのがまず不自然。 「意図」が「遠謀」というのは変ではないか。 「作り手が意図するのは死刑廃止を訴えることか」あるいは「死刑廃止を多数意見にするための遠謀か」と書いた方がいい。 「誤解したくなった」に至っては、首をひねるしかない。 意図的に誤解するということがあるのだろうか。 「誤解しそうになった」ならわかるが、筆者は「誤解したく」て誤解することがあるらしい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2010.02.02
コメント(0)
「支援学校ルポ 児童生徒増に施設整備など追いつけず」という記事はこんな書き出し。 知的障害児の増加に伴い、大阪府では府立支援学校の大規模化が急速に進んでいる。橋下徹知事は「教育日本一」をスローガンに掲げ、府立支援学校の整備を重点項目に挙げているが、施設整備は十分に追いついていない。支援学校の現場では、本来150人~200人が適正規模とされるが、中には大幅に上回る学校もある。 「知的障害児の増加」というのはどういうことなのだろうか。 障害を持った人というのは、いつの時代でも同じ割合で生まれてくるものだと思っていた。 しかし、「増加」というからには、統計を取ったところ、昔よりも多い割合で生まれてきているということになるのだが、そんなことあるのかなあ。 「支援学校の現場では、本来150人~200人が適正規模とされる」というのも、いったい誰によって「され」ているのかわからない。 根拠が一切示されていない不思議な記事だなあと思ったのだが、後の方に、 府立支援学校に通う知的障害児は、10年前の平成11年と比べて約1・4倍となる3345人(20年)に増えている。とあった。 大阪府だけ増えているのだろうか。それとも、支援学校に通わずにいたのが支援学校を選ぶようになったのだろうか。 そこのところはわからない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.12.20
コメント(0)
今日の産経新聞の【from Editor】というのに、不思議なことが書いてあった。 少し長いが引用する。太陽系がある天ノ川銀河には約1千億個の星が存在する。直径が10万光年の銀河の中心から太陽系までは2万8千光年。言ってみれば、地球は天ノ川銀河の“田舎”といったところだろうか。気が遠くなるような宇宙の広大さと時間の流れの中で、青い輝きを放つ地球では、あまたの文明や帝国が勃興(ぼっこう)しては滅び、あるいは生き延びるという、人類の歴史と営みが繰り返されてきた。いにしえには、アトランティス大陸とムー大陸が海中に没したという伝説すらある。 浮世に戻ろう。コンピューターの2000年(Y2K)問題を乗り越えて迎えた新たなミレニアム(千年紀)の最初の10年が、今年で終わる。 まず、「天ノ川」という表記が珍しい。「天の川」か「天の河」しか見たことがなかったので新鮮だ。 筆者は、副編集長の青木伸行という人。産経新聞ではこう表記することになっているのだろうか。 「あまたの文明や帝国」と、「文明」と「帝国」を並置するというのはいかがなものか。「文明」と「帝国」は別々に存在するものなのか。 「人類の歴史と営みが繰り返されてきた」というのも変だ。「人類の営みが続けられてきた」ならわかる。 突然、「アトランティス大陸とムー大陸が海中に没したという伝説」を持ち出したところに至っては全く理解できない。「歴史」と「伝説」は同一のものではないだろう。 最も疑問を感じるのは、「ミレニアム(千年紀)の最初の10年が、今年で終わる。」というところだ。 今年は2009年だ。「最初の10年が、今年で終わる」というと、「最初の10年」は2000年から始まったことになってしまう。 そんな馬鹿なことがあるはずがない。2001年から始まっているはずだ。 考えてみるがいい。 前の「ミレニアム(千年紀)」はいつから始まったのか。 まさか、西暦0年があったはずはないから西暦1年から始まっている。西暦1年から西暦1000年までが「ミレニアム(千年紀)なのだ。 従って、その次の千年紀は1001年から2000年までで、さらにその次は2001年から始まっているわけだ。今年はまだ9年目でしかない。 副編集長の原稿だって校正係は目を通すのではないかと思うのだが、以前から思っているように、産経新聞には校正係は存在しないのかもしれない。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.11.21
コメント(0)
今日の産経新聞の主張の一つは、「夏休み 子供と真剣に向き合おう」というもの。 一読して、内容のお粗末さに驚いた。 はじめの方にこうある。 戦後の一時期まで、大人が子供に「教訓を垂れる」光景が普通に見られた。近所にも、道徳心について厳しく説くおじさんやおばさんがいたものである。 これを詠んだだけで、書き手が少なくとも四十代以下だとわかる。 規範的な日本語を意識する人なら、「普通に」などとは書かない。 「光景が珍しくなかった」「よくある光景だった」という表現をする。 「講釈師、見てきたような嘘を言い」という言葉が浮かぶ。 さらに、筆者が歴史について無知であることが次に暴露されている。 福島県の会津藩校日新館(にっしんかん)には「弱い者をいぢめてはなりませぬ」などの戒めが大切に伝えられ、とくに最後の一節「ならぬことはならぬものです」はあまりにも有名だ。 かつて日本の子供は「正しいことは理屈抜きで正しい」と教えられ、規範意識を身につけてきた。幕末から明治期に来日した多くの外国人が、日本人のすぐれた徳性に目を見張ったことはよく知られるが、こうした豊かな道徳心こそが、日本社会の安定と発展をもたらしてきたのである。 「福島県の会津藩」などというものはない。もと「会津藩」だった地域がのちに「福島県」の一部になっただけだ。 さらに、「藩」という呼称は、江戸時代にはほとんど使われていなかった。そんなことも知らないのか。とくに最後の一節「ならぬことはならぬものです」はあまりにも有名だ。というが、そんなに有名だろうか。知らない人の方が多いだろう。 これは「什の教え」の一部なのだが、「什の教え」という名称さえ筆者は知らないらしい。 さらに言えば、その会津を踏みにじることで成立したのが明治政府だ。 会津の教えが正しいというのであれば、明治政府は間違っていたということになるのだが、その点からは目をそらしてしまっている。 自分に都合の悪いことはなかったことにしてしまう人が書いたものらしい。 こんなものを載せておいて恥ずかしくないのか。 フジテレビのサイト 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.07.19
コメント(0)
報道とはどういうことだろうと考えさせられる記事があった。 産経新聞の「竹刀が消えた相撲部屋 “愛のムチ”必要論も」というもの。 プロ格闘技の世界なのだから、竹刀でたたくぐらいは当然と思っていたのだが、そんなことは許されなくなっているのだそうだ。 それはそれで時代の流れ、ということで、相撲界の中のことだし、他人がとやかく言うことではない。 きになるのは記事の書き方だ。 「いまの子は頭がいいから、怒られない、たたかれないとわかると、いうことを聞かなくなる」と指摘する声もある。苦悩する一部の理事からは、力士指導のあり方について、師匠会などで話し合うことを望む声も上がっている。 「いまの子は頭がいい」では、「昔の子は頭が悪かった」ということになってしまう。 昔の力士に失礼ではないか。過酷な鍛錬の結果、「プロとアマの差が最も大きいのは相撲と将棋」「あらゆる格闘技選手の中で最強なのは力士」といわれるほどに、大相撲は高い競技レベルを獲得した。 いったいどこのだれによって「いわれ」ているのか明示して欲しい。こんな書き方ですむなら、どんな嘘でも「いわれる」を文末につけることで書けることになる。 「あらゆる格闘技選手の中で最強」というなら、PRIDEやK-1に出てみればいい。勝てないだろう。 土俵の上で相撲のルールであれば最強だろうとは思うが、「あらゆる格闘技選手の中で最強」とは思えない。 ボクシングのルールではボクサーが強く、レスリングのルールではレスリング選手が強い。 本当に何をしてもいい、という全くルールのない状態なら、他人への配慮が全くできない人間が強いだろう。 プロレスラーの場合、相手に致命的なダメージを与えずに倒す工夫をしているので、ついつい相手に配慮してしまうだろう。 記者には、報道には客観性と論理性が必要だ、ということをよく考えてもらいたい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.07.12
コメント(0)
今日の産経新聞の「【from Editor】幅広く、より多く、正確に」にこうあった。 小紙も言論機関の端くれであり、日々議論しながら「社論」というものをつくりあげている。論説委員はそれに従って、社説にあたる「主張」を執筆している。一部マスコミの「偏向(へんこう)」は今も健在だが、小紙の論調はそれらと一線を画し、少なからぬ読者の支持をいただいてきている。心から感謝したい。 ほう、「すくなからぬ読者の支持」を得ているらしい。 ということは、「偏向」している「一部マスコミ」よりも、販売部数は多いのだろう。 是非ともその数字を公表してもらいたい。 おそらく、「朝日新聞」か「毎日新聞」をさして「偏向」と言っているのだろうが、「朝日新聞」や「毎日新聞」よりも「産経新聞」の方が売れているという、検証可能な数字を出せば、「産経新聞」の方が支持されているということが、明らかになるはずだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.31
コメント(0)
「漢字表案への声 「鬱」外せという不見識」というコラムを読んだ時から引っかかるものがあって、やっとそれがなんだかわかった。 ここだ。 「百聞は一見に如(し)かず」ということわざがある。これになぞらえていえば、視覚的情報を持つ漢字は、仮名よりも百倍やさしいのである。 ちなみに、石井勲博士は、実践研究の中から、知能が低くて仮名を覚えられない子供が、漢字だとどんどん覚えてゆく事実についても報告している。 いったいどのようにして「やさしさ」を数値化して比較しているのか根拠が示されていないだけでなく、仮名を覚えられなくても漢字を覚えられるのだから漢字を教えればいいのだ、という論調が不思議なのだ。 漢字の読み書きができなくても、代わりに仮名をつかうことで生活をすることはできる。 誰だって、ルビを頼りに漢字を読んだり、書けない漢字は仮名で書いたりして済ませている。 しかし、漢字の読み書きはできるが仮名が使えなかったらその方が生活には不便だ。 漢字しか書けないのでは、漢字が苦手な相手には自分の書いた文章を理解してもらえないではないか。 常用漢字による制限にはわたしも納得していない。しかし、役所の文書が難解なものにならないようにするための歯止めは必要だと思う。 対照となるのは訳書だけのはずなのだが、なぜか、現行常用漢字表は、漢字制限の当用漢字表から一転して目安となったにもかかわらず、教科書や公用文、法令などのほか、新聞、放送にもその網をかぶせたため、依然制限色が残った。と書いているが、訳書の公文書ならいざ知らず、利潤追求のための新聞にまで網を掛けることはできないはずだ。背いたところは罰則はない。現実に、毎日新聞は、身近な動物名は漢字表記に改めている。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.05.27
コメント(0)
SMAPのメンバーが逮捕された現場が公園だということで、その公園にまつわる歴史を並べているのが今日の産経抄。 今回の逮捕の場所になった公園だけでなく、どんな公園だってそれなりに歴史があったり、近くに物語の舞台になった場所があったりするわけで、とりたててこの公園だけ特別扱いするのは妙な話だ。 さらに不思議なのは終わりのところ。 ▼檜町公園の東には、「忠臣蔵」で大石内蔵助が内匠頭(たくみのかみ)の夫人に「雪の別れ」を告げたとされる南部坂がある。さらに西へ行けば、明治天皇に殉じた乃木希典大将の屋敷跡や乃木神社もある。それだけに、このあたりを徘徊(はいかい)する歴史愛好家は多いらしい。 ▼草なぎさんがそんな歴史に関心があったかどうかは分からない。しかし34歳の芸能人にしては、思慮深く物静かな印象があった。だから老若を問わず「裸になったぐらいで逮捕することもないのに」とか「酔っぱらったうえでのことだ」といった同情論も強いようだ。 ▼だが普段の「好感度」が強かっただけに、何とも異様な行動と思えたのだ。釈放されたものの、当分はテレビなどメディアに追い回されることだろう。歴史ファンとしては、街をこれ以上騒ぎに巻き込まないでほしいという気がしてならない。 歴史に興味があったかどうかと、犯罪者として逮捕されたことには全く関係がないはずなのだが、なぜか結びつけてしまっている。 当人はメディアに追いかけ回されるだろうし、自業自得だ。 ところが、「歴史ファンとしては、街をこれ以上騒ぎに巻き込まないでほしいという気がしてならない。」という結びになっている。 ふーん。筆写が「歴史ファン」でなかったら、街が騒ぎに巻き込まれてもいいわけだ。 地域の人や街そのものには罪はないのに。 このコラムで最も気になったのは、「徘徊」だ。このあたりを徘徊(はいかい)する歴史愛好家は多いらしい。とはどういうことだろう。「徘徊」はあてもなくふらふらすることだ。 散策したり探訪したりするのとはわけが違う。 おまけに「多いらしい」とは、ジャーナリストらしからぬ表現だ。多いのかどうか裏付け酒剤をしてから書くのが基本なんじゃないの? 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.04.25
コメント(0)
今までに何度も書いてきたことだ。 「知りながら」とはどういうことなのだろう。 今回の記事「[売春]娘2人にさせる…容疑の35歳女を逮捕 佐賀県警」には、 3人の逮捕容疑は、女は2月22日、18歳未満であることを知りながら、中学生の娘を朝鵜容疑者に売春させた疑い。とある。 実の娘に売春をさせたという事件で、当然娘の年齢は知っているはずだし、「中学生」なのだから18歳未満に決まっている。 それなのにことさら「18歳未満であることを知りながら」と書くのが理解できない。 おそらく警察の発表をそのまま記事にしているのだろうと察しはつくがあまりにもお粗末。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.04.12
コメント(0)
昨日の読売新聞の夕刊で面白い表現を見つけた。 「USBメモリー経由のウイルス感染、大学で猛威振るう」という記事で、こう書いてある。 多くは「オートラン」と呼ばれるウイルスで、感染したUSBメモリーをパソコンに挿入すると、パソコン内で自己増殖。表面上はパソコンの動作が遅くなる程度の変化しか起きないが、実際にはパソコン内部の情報を第三者にメールで送ったり、別のウイルスを誘導したりすることもある。パソコンを解体しないと駆除できないケースもあった。 パソコンを「解体」しないと駆除できないウィルスとはいったいどんなものなのだろう。 「分解」ではなく「解体」というからにはハードウェアを使い物にならないくらい壊してしまうということなのだろうか。しかし、それでは「駆除」ではない。 ハードディスクを取り外しても、ウィルスのプログラムが残っていれば「駆除」ではないし、メモリーははずせばメモリーの内容は消えるが、外さなくても、電源を切れば消える。 仮にBIOS上で動くウィルスだとしたらやっかいだが、そんなものがあるとしたら、マザーボードの交換が必要になるだろうから「解体」が必要になるだろうが、そんなウィルスでもないらしい。 想像するに、それまでに作り上げてきた環境をすべて破棄して、OSのクリーンインストールからやり直すことを「解体」と表現しているのではなかろうか。 違うかな? 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2009.01.25
コメント(0)
今日は冬至。 「一年で一番昼間が短い」などと書く新聞のコラムがあるんだろうなと思っていたら、まさにその見本があった。 今日の産経新聞の「産経抄」。 太陽が、日本から見ると、見かけ上、もっとも南にある日ではあるのだが、「冬至は昼の時間が最も短い」わけではない。 空気による屈折などもあるので、太陽の位置(というか、地球が太陽に向けている面)と昼の時間が一致するわけではない。 詳しいことは、Wikipediaなどをご覧いただきたい。 したがって、「春分の日」「秋分の日」が「昼と夜の長さが同じ」になることはない。 昼の方が長い。 ただし、かなり古くから、「春分」「夏至」「秋分」「冬至」というのは分かっていた。 昼の長さを計ったわけではなく、太陽の位置を観測していたのである。 冬至といえば「ゆず湯」だ。 岡本綺堂の「ゆず湯」を思い出す。 「青空文庫」で読める。 書籍としては、「江戸の思い出」に収められている。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2008.12.21
コメント(0)
産経新聞10日の「【コラム・断】武道必修、伝統も教えよ」の筆者は、「スポーツジャーナリスト」の二宮清純。 プロレス雑誌で何度も見た名だ。 それはさておき、こんなことを書いている。 中学校の新学習指導要領により来年度から中1と中2では武道とダンスが必修になり、武道は柔道、剣道、相撲の中から1つが選択される。注目すべきは相撲だ。考えてみれば「国技」と呼ばれる競技が、これまで見向きもされなかったこと自体、不思議である。 「国技」と呼ばれる競技というが、相撲が「国技」であるかのように思われるようになったのは、両国に相撲の常設施設が作られた時に、勝手に「国技館」という名をつけたからであって、それまで「国技」と呼ばれていたからではない。 結びには、中学生には競技と同時に相撲史、伝統文化の価値についても学んでほしい。とある。 「相撲史も教えよ」というのであれば、時分で勝手に「国技」になりすましたといういう歴史も教えなくてはならない。 また、「大相撲の名横綱の評伝などについても触れたらどうか」とも書いているのだが、現在の横綱の制度が確立したのは戦後であって、それほど「伝統」といえるようなものではない。 もう少し調べてから書いてもらいたい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2008.12.11
コメント(0)
6日の『日本経済新聞」の最終面「文化」欄に「磯崎瓦店会長・磯崎幸典」という方の「京都にも空襲があった」という文が載っていた。 副題は、「自宅の庭に爆弾の破片“無空襲神話に心痛む”」。 驚いた。 わたしも、これを読むまで、京都は空襲には遭わなかったものと思い込んでいた。 ところが、「京都市内だけでも、一九四五年に三回、米軍の空襲があった」のだそうだ。 では、なぜ、「無空襲神話」がまかり通っているのか。 筆者はその理由を次のように分析している。少し長いが引用しよう。 まず正確な被害状況が伝わりにくかった。民心が動揺し戦意が低下するのを恐れた当局が、被害を過小に評価した。現場の撮影はもちろん、被害の模様を手紙に書くことも禁じられたという。 新聞でさえ、空襲の事実こそ伝えたが「被害は軽微」といった報道にとどめ、、戦意をあおり続けた。これでは空襲の記憶をもみ消しまではせずとも、風化するのをお後押ししてしまう。 どうだろう。最近よく耳にする話によく似てはいないだろうか。 北京オリンピックを目前に控え、何とかして中国(中華人民共和国)をおとしめようと躍起になっている人たちが、中国批判として言っていることがここにそのまま書いてある。 政府は正確な情報を伝えようとしない、メディアもそれに同調している。 今の中国を批判する人たちが、戦後の日本を否定している人たちと重なっているのは不思議な話だ。 戦争中の日本を高く評価しようとするのであれば、今の中国の批判はできないはずだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.08.07
コメント(0)
わたしは去年、胃にポリープができて、胃カメラを飲んだ。 良性のポリープということで、そのままにしてあるが、食生活は気をつけるように言われた。 食べない方がいいもののリストには「ウナギ」と「サンマ」が入っていた。油が多いからだ。白身魚はいいそうだ。 このところ、連日報道されているウナギ偽装事件。 今日の産経新聞の「産経抄」でも取り上げている。3年前の6月、東京大学海洋研究所の研究船が、太平洋のマリアナ諸島西方沖で、ニホンウナギの赤ちゃんを見つけ、ようやく産卵場所を突き止めた。のだそうで、江戸前も何もあったものではない。国産であろうが中国産であろうが、生まれは遙か彼方の海なので、「マリアナ諸島西方沖生まれ」と表示しなくてはならないのではないか。 結論は意味がわからない。今回の騒動が、安くて安全なかば焼きを求めるだけの消費のあり方を見直し、江戸前復活への契機になればいいのだが。 「安くて安全なかば焼き」を求めて何が悪いのだろうか。「高くて危険なかば焼き」を求める消費者はいないだろう。 問題なのは、「安全性は無視しているかもしれないが、ただ安いだけのかば焼き」を求める姿勢だろう。 ただし、「安くて安全」というのは、無理な要求だ。 自分で野菜を作っていてつくづくそう思う。 スーパーなどで安く売られている野菜を見ると、農家はこれで採算が取れているのか、と思う。大量生産のためには、ビニールハウス栽培も、農薬使用も必要だ。 食べ物が安すぎる。もっと高くてもいい。値段が上がれば、買う量が減り、食べずに生ゴミにしてしまうことは少なくなるだろう。 しかし、消費者にそれだけの意識があるとは思えない。 「安さ」だけを求め、農業を疲弊させ、その一方で大量に生ゴミを出して、それでいながら「もったいない」と言い、合い言葉のように「エコ」と唱えるのだろう。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.07.07
コメント(0)
今日の産経新聞の「産経抄」は医師不足を取り上げている。 昔は、医者と言えばお金持ちというイメージがあって、医師になりたい人がたくさんいたような気がするのだが今はそうではないらしい。もっとも、なりたいと思ったってよほどの経済力がなければなれない、という理由もあるのだろう。 わたしは、去年の年末に入院した。 その時のことをこのブログに書いた。退院する日の、「ついに退院」に書いたが、現場で医療に携わる人たちの労働環境は過酷である。 患者を治療しているうちに自分の健康を損なってしまうだろう。 みんなが、健康に気をつけて医療機関に負担をかけないように心がけることは必要だ。 そういうことはわたしも思うのだが、どうもこの「産経抄」は変だ。去定は、美食が過ぎて病気になった、いまでいうメタボの大名から高額の治療費をふんだくって穴埋めすることにした。というのだが、メタボは「美食が過ぎて病気になった」結果ではない。決して美食ではない、安いけれどただカロリーが高いだけのものを食べたり、運動不足だったりすることが原因だろう。美食だからと言ってカロリーが高いとは限るまい。 江戸時代には、医者になるための資格や免許がなかったというのはその通り。治療よりも、病人の話し相手になることを求められることも多く、話がうまいから医者になることを勧められる人もいた、と、故・杉浦日向子さんが話していた。 最後の、庶民はなるべく医者にかからなくていいように、養生本の教えを守り、暴飲暴食を慎んだ。現代人も見習っていいライフスタイルだ。はだめだ。 「暴飲暴食を慎んだ」わけではなく、「暴飲暴食」などしたくてもできなかった人の方がはるかに多かったはず。奉公人の食事は質素だったし、一般には動物の肉は食べなかったから、食事は低カロリーだった。 また、なぜここで「ライフスタイル」などと言うのかも不思議。「生活様式」と言えばすむものを、カタカナで書くと、筆者の頭が良さそうに見えるとでも思っているのだろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.20
コメント(2)
「カラスの群れが小学校遅う」という見出しに驚いた。 「遅う」と変換できるのだ。試しに「早う」もやってみたらできた。(わたしはATOK愛用者。マイクロソフトIMEでもできるのだろうか)。 それにしても「襲う」のではなく「遅う」とはどうするのだろう。 誤変換とはわかるが、誤変換でも意味が通じて笑ってしまうものがあるのに、これは意味不明で残念。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.19
コメント(0)
今日の産経新聞の「主張」の一つは、「秋葉原無差別殺傷 未然防止に知恵絞りたい」というもの。 「未然防止」じゃなくて「事前防止」だろうと言いたくなるのだが、そこは語感の違いということなのだろう。 そんなことよりも、 事件後、地元の千代田区と商店街が協議、15日から当面の間の中止を警視庁に要請、都公安委員会が中止を正式決定した。残念だが事件の影響や遺族の思いを考えれば、致し方ない。安全が確認されれば、休日の楽しみだったアキバのホコ天再開を望みたい。というところにおどろいた。 「安全が確認されれば」って、どうやって「安全を確認」するのだろう。 そんな方法があるのなら教えてもらいたいと、秋葉原で働く人たちだって思うだろう、。 しかも「望みたい」だ。「望む」のではない。「望む」ことを希望しているのであって、決して望んでいるわけではないらしい。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.15
コメント(0)
「たばこ「1箱1000円計画」は必ず失敗する」という記事を読んで驚いた。 愛煙家は1箱あたり約190円、年2.2兆円もの税貢献を果たしている。消費税1%分だ。それなのに感謝もされず、近頃は喫煙場所を制限されて肩身が狭い。と書いている。 これだけ読めば税収で貢献しているかのように見えるが、実際には、喫煙による損失の方が多いことは知っているはず。知っていてわざと書かないとしか思えない。 たとえば、「たばこ 税収 損失」で検索してみれば、「★タバコによる社会的損害★」「医療経済からみた禁煙推進の必要性」といったページがすぐに見つかる。 むしろ、どんなに社会に損失を与えても、吸いたいんだから吸わせろと主張する方が正直だ。 また、経済面を重視するなら、喫煙者だけの保険組合を作って、喫煙者の医療費は喫煙者が負担するようにすればいい。 現状では、喫煙者の喫煙により疾病の医療費を非喫煙者が負担している。これではいくら「肩身が狭い」状態におかれては文句は言えまい。 そうだ、どうせなら、「いかなる病気・怪我であれ、非喫煙者の医療費はすべて喫煙者が負担します」と宣言して、それを実行すればいい。 そうすれば、肩身の狭い思いなどせず、堂々と喫煙できることになるだろう。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.15
コメント(0)
今日の産経新聞の「産経抄」は、サマータイムの話。 わたしはサマータイムには断固反対である。 全国の信号機の時間設定を変えるだけで膨大な費用がかかるそうだ。 一時間早く働き始めたからと言って、一時間早く帰宅できるようになるわけではないということは、社会人なら容易に予測できることだ。 さて、産経抄だが、こんなことが書いてある。サザエさん一家は占領期に導入された「サンマータイム」(当時の表記)を経験済みだ。作者の長谷川町子さんにとっては、ネタの宝庫だったようで、隣のおばあさんが時計の針を1時間逆に遅らせてしまった、といったギャグを連発している。 「ギャグを連発」というが、「ギャグ」というのは本筋とは関係のないその場限りのものなので、それを中心にしていては「ギャグ」にはならないのだが、筆者はそのことを知らないらしい。 また、「連発」というが、日刊紙に毎日書いているものなら、「ギャグ」も一日一回しか使えないので、「連発」するとなると連日、本筋と関係のない内容を四コマ漫画に入れていたということになる。 そんなことができていたなら、それこそ長谷川町子は天才だ。 産経新聞社もサマータイムには反対しているらしい。まさにわが同士であるのだが、書いてあることがどうも納得できない。 引用した部分でも、わざわざ「占領期に導入された」と書いている。 単に、「戦後の一時期」でもよさそうなものなのだが、「占領期に導入された」ということが重要であるらしい。 もしかすると、産経新聞は、サマータイムに反対なのではなく、「占領期に導入された」制度の復活に反対しているのではないか、という気がしてくる。 もし、戦前の日本軍がサマータイムを導入していたら、なんとしてでも復活させろと主張するのではなかろうか。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.11
コメント(0)
今日の産経新聞の「産経抄」にこうあった。子供が大好物のぶどうが3分の1も占める「子供のいいなり弁当」や、グラタンとスパゲティがおかずの「好きなものだけ弁当」。好き嫌いをなくす。そんな親の意思がどこにも感じられない弁当が紹介されていた。しつけを軽んじてきた、戦後教育の行き着いた先の風景である。 筆者は、よほど裕福な家庭に育ったか、高度経済成長以後に生まれたかした人なのだろう。 「好き嫌いをなくす」などという考え方は、そんなに古いものではない。 ほかに食べるものがなければそれを食べるしかないのだから、何でも食べるように育つのは「しつけ」の成果ではなく、社会的な状況が生み出した結果でしかない、ということが、この「産経抄」の筆者には理解できていないらしい。 わたしは今でも覚えている。 夏になると、昼食は、朝炊いたご飯の残り(当然冷や飯)と、トマトに塩を振っただけのものであることが多かった。 ほかに食べるものがないんだもの。 好き嫌いも何もあったもんじゃない。 親としても、ほかに選択の余地がないからそういう食事を出していただけなのだ。 その頃は我が家のメニューには、「グラタン」も「スパゲティ」もないから、そうなっていただであって「しつけ」などという意識はなかった。 それを無理矢理「しつけ」に結びつけ、何とかして戦後教育は悪いものだったという印象を植え付けようとしている。 おそらく、筆者が単に無知なだけであって、悪意はないのだろうが、筆者の周囲に、もう少しものを知っている人はいないのだろうか。 産経新聞の関係者は、こんな「産経抄」を読んで恥ずかしくないのだろうか。 わたしにはそれが不思議でたまらない。 こういうものがまかり通ることが「戦後教育」の成果なのかもしれない。 ついでに言えば、戦前(戦中?)の教育を受けたと思われる人にも好き嫌いのある人は珍しくない。 食べ物の好き嫌いと戦後教育を無理に結びつけるのは、それこそ「牽強付会」なのだが、こういうことがまかり通るのが不思議でならない。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.05
コメント(0)
[失言]「9・11テロは米の自作自演」 藤沢中学教諭謝罪という記事の中にこうあった。 神奈川県藤沢市石川の市立善行(ぜんぎょう)中学校(塚原喜三校長、449人)の20代の男性教諭が5月下旬の授業中、米同時多発テロ(01年9月11日)について「9・11テロは米国の自作自演」と発言していたことが分かった。生徒から聞いた関係者が市教委などに抗議し、同中は今月1日、PTA役員らを集めて謝罪した。 この中学校の生徒には「関係者」の係累がいるらしい。 どんな「関係者」なんだろう。 「市教委など」に抗議する立場にあるのだから、単に生徒の保護者ということはあるまい。 貿易センタービルの関係者なのか、アメリカ政府の関係者なのか、テロでなくなった方の関係者なのが、そこを知りたいのだが、肝心のことについては全く触れていない不思議な記事である。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.06.05
コメント(0)
昨日の読売新聞夕刊(東京版・3版)に「エイ猛威 アサリ悲鳴」という記事があった。 南方の巨大なエイが有明海や瀬戸内海に出没して養殖アサリに大きな被害を与えているのだそうだ。 その記事の中に、こんな文章があった。大量の貝を食い散らかすため、養殖アサリの被害が深刻化している。 「食い散らす」はあっても「食い散らかす」はなかろう。 それに、この文だと、お行儀の悪いエイがアサリを食べて、食べこぼしてまわりが汚れてしまっているように感じられる。 食べ方を問題にしているのではないはず。 「食い荒らす」と言った方がいい。 なお、読売新聞のサイトの「有明海・瀬戸内海でエイ猛威」という記事には、この文章はない。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.05.25
コメント(0)
テレ朝記者、公然わいせつで現行犯逮捕テレビ朝日広報部のコメント 「報道に携わる者がこのような容疑で逮捕されたことは誠に遺憾です」テレビ朝日記者“下半身露出”逮捕「出したことは間違いない」同社広報部では「報道に携わる者がこのような容疑で逮捕されたことはまことに遺憾です」とコメントした。 [公然わいせつ]路上で下半身露出 容疑のテレ朝記者逮捕テレビ朝日広報部は「報道に携わるものがこのような容疑で逮捕されたことは誠に遺憾」とのコメントを出した。 おそらく、このコメントは文書で出されたものなのではないかと思う。 文面が同じだ。 わたしが不思議に思うのは、どの報道も、このコメントの内容に疑問を感じていないらしいことだ。 「報道に携わるものがこのような容疑で逮捕されたことは」とある。 テレビ朝日だけでなく、このコメントをそのまま報道したメディアは、「報道に携わるもの」でなければ「このような容疑で逮捕」されても問題ないと考えているらしい。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.05.16
コメント(0)
昨日の記事にも驚いたが今日はもっと驚いた。 「「私は四川大地震を予知していた」 ブラジルの予知能力者が激白」という記事。 米9・11テロやスマトラ沖地震についての予知を的中させたとされるブラジルの予知能力者、ジュセリーノ・ノーブレガ・ダ・ルース氏(48)が来日し、14日、東京都内でイザ!編集部のインタビューに応じた。同氏は12日発生の中国・四川大地震について「発生日や規模を正確に予知し、昨年、中国政府へ手紙で知らせていた」と明かし、「とても悲しい気持ちで仕方がない」と哀悼の意を表した。というのだ。 はっきり、「ブラジルの予知能力者」と書いてある。 なんと、産経新聞社は「予知能力者」が存在すると判断しているのである。 「予知能力者」を味方にできれば怖いものはない。 どんどん予知してもらって特ダネを次々にものにし、発行部数を増やせばいい。 「中国政府へ手紙で知らせていた」ことを無視した中国当局が悪いという書き方をしているが、民間人からの手紙にいちいち対応する国家があったとしたら、むしろ、そちらの方が常軌を逸していると思うのが普通なんじゃないのかなあ。 この「ブラジルの予知能力者」が石原都知事に手紙を出したとして、それを都知事が無視したら、産経新聞は都知事を批判するのだろうか。そんなことはしないよね。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.05.16
コメント(0)
疑問が浮かぶばかりで何が何だかわからない。 「中国「地震前にヒキガエルが大移動」無視、貧弱予知の実態」というもの。 なにしろ、冒頭から、 中国・四川大地震で、地震発生前に同省でヒキガエルの大移動が確認されていた。市民が当局へ通報したが、「通常の現象」として取り合ってもらえなかったとされる。予知に関して、日本が最新の緊急地震速報システムを稼働させている現在でも、中国は情報収集網の弱さを前時代的な動物の異常行動観察で補おうとしているという。今回は、その“根幹”さえも否定してしまった形だ。という。 いったいどこの誰によって「取り合ってもらえなかったとされ」ているのかさっぱりわからない。 しかも、この文章を読むと、産経新聞社は、ヒキガエルの大移動によって地震が予知できたはずだと考えているらしい。 次の段落は、 香港紙・リンゴ日報などは、大地震前の5日、四川省綿竹市で数十万匹のヒキガエルが一斉に移動したと報じた。地元住民は「何かの凶兆ではないか」と当局に訴えたが、「繁殖の正常な現象」として取り合ってもらえなかったという。となっていて、さらに驚く。「数十万匹」って、どこの誰がどうやって数えたんだろう。「香港・リンゴ日報」に書いてあるからそうなんだ、というのだろうか。「香港・リンゴ日報」に問い合わせてみなかったんだろうか。 さすがに似非科学を擁護する産経新聞だけのことはある、と思っていたら、最後にびっくり。 「武蔵野学院大特任教授の島村英紀氏」のこんなコメントで締めくくっている。「地震計を全国くまなく配置して各種データを収集する能力は、中国より日本の方がはるかに上。また、もろい一般家屋の耐震性を上げるには莫大な費用がかかる。地震計の全国配置や建造物改修に資金を回せず、人民の自然観測で補おうとしただけのこと。国家的な一種のまやかしにすぎない」 ヒキガエルの大移動が「自然観測で補おうとした」「国家的な一種のまやかしにすぎない」というのであれば、「まやかし」を無視した中国当局の判断が正しかったことになってしまうではないか。 「ヒキガエルの大移動」を無視したのが正しかったのか正しくなかったのか、全くわからない。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.05.15
コメント(0)
ばかばかしくて笑ってしまう記事。 「[イラク活動違憲]「関係ねえ」発言で防衛省に抗議文 原告」の中にこうある。 原告団は、元文部科学相の中山成彬衆院議員が18日、「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』(おなら)を出したようなものだ」などと語った件でも、中山議員に抗議文を送るという。【 「『最後っぺ』(おなら)」というのが面白いところだ。 これを見ると、「(おなら)」というのは、「最後っぺ」という語の説明のように見えるが、「ぺ」が「おなら」であるという説明のはず。 こんなことをしなくとも、「最後っ屁」と書けばいいはずだが、「屁」が常用漢字に入っていないから漢字表記はできないということなのだろう。 また、「おなら」という説明もいかがなものか。 共通語では「へ」だろう。 ということで、『最後っぺ(へ)』と書けばよかったんだろうけれど、それでは、かえって意味がわかりにくくなっちゃうね。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.04.20
コメント(0)
産経新聞の「正しい二日酔い対策 「とりあえずビール」など意外な方法も…」という記事は、酒飲みのわたしには大変興味深いものだった。 役に立ちそうなことが書いてあるのだが、変な箇所がある。なみに、普通の人がビール大瓶1本や日本酒1合に含まれるアルコールを代謝するには約1時間かかる。ビール1本と日本酒3合なら約12時間。 ビール大瓶1本や日本酒1合分のアルコールが約1時間で代謝するのであれば、「ビール1本と日本酒3合なら約4時間」になるはずだ。 ビールと日本酒を一緒に飲むと代謝が遅くなるのか、あるいはただ単に記者がかけ算のできない人だったのか。 おそらく後者だろうと思ったが、そうではないようだ。普通の人がビール大瓶1本や日本酒1合に含まれるアルコールを代謝するには約1時間かかる。の「1時間」が「3時間」の誤りであるようだ。 実はわたしも数字は苦手でしょっちゅう間違えている。 そういう脳の人が書いた記事なのだろう。こんなミスはよくあることで、責める気にはならない。 しかし、産経新聞にも「校閲部長」という人がいるようだが、その人はこれを読んでも何とも思わず、紙面に載せることにしたらしい。 不思議なことだ。楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.03.16
コメント(0)
建国記念の日。 新聞各紙のサイトを見ていたら、産経新聞の社説「主張」だけがそのことに触れていた。 その中でこんなことを書いている。 2月11日が「建国記念の日」に定められたのは、『日本書紀』で初代の神武天皇が即位したとされる日だからである。明治維新のさい政府がこの日を「紀元節」とし、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)によって廃止されたが、国民の要望もあって「建国記念の日」として復活した。 そのさい『日本書紀』の記述には科学的根拠がないとして「2月11日」に反対する声も強かった。 だが、明治維新で「紀元節」を定めたのは、そうした科学的根拠があるかどうかは問題でなかった。いつ西欧列強の植民地になるかもしれないという危機感の中で、国民の団結を呼びかけるため、最古の国づくりとして神武天皇即位の日を選んだのである。 ここに書かれていることは正確ではない。『日本書紀』に2月11日とは書いてない。 明治になってから、この日だったことにしようということで決められただけだ。 2月11日を「建国」に結びつけることに科学的な根拠は何もないし、日本独自の考え方によるのではなく、中国伝来の理論を元に決められた日であることは周知の事実。 しかし、だからといって、「科学的根拠があるかどうかは問題でなかった」といってしまっては身も蓋もない。これではただの開き直りだ。 「明治政府なりに知恵を絞った結果だ」ぐらいのことは書いてもいいだろう。 ついでに言えば、紀元節が定められたのは明治6年だから、「明治維新」で決められた訳ではなかろう。 この後には、衆参両院での与野党ねじれ現象を引き起こした昨年の参院選では、年金問題や政治家の不祥事のかげで、外交や安全保障はほとんど争点にならなかった。海上自衛隊のインド洋での給油活動継続問題をめぐっても「日本の歩むべき道」という観点から論じられることは少なかった。 このことと政府が「建国記念の日」に重きをおいていないことと無関係ではあるまい。と書いている。 建国記念の日に重きを置けば、衆参両院のねじれ現象も起こらず、年金問題も、政治家の不祥事もなくなり、外交や安全保障が争点になるとでもいうのだろうか。 あまりにも飛躍している。 これではただの牽強付会だ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ クチコミblogランキング TREview
2008.02.11
コメント(0)
今朝の「毎日新聞」のテレビ欄に驚いた。 俳優の西村雅彦が出演しているドキュメンタリー番組の紹介記事に写真があって、その説明に「西村雅彦(右)」と書いてある。 向かって左にいるのは人間ではないのだから、見ればわかりそうなものなのに。 左にいる動物が「西村雅彦」だと思う人もいるのだろうか。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2008.01.26
コメント(0)
今日の産経新聞の「主張」の一つは、「テレ朝報道番組 こうして信用が失われる」というもので、「報道ステーション」での過剰な演出を取り上げ、非難している。 しかし、その産経新聞はどうかというと、「<アルカイダ報道>産経新聞に330万円賠償命令 東京地裁」「◎産経新聞に330万円賠償命令=バングラ人「アルカイダ」報道-東京地裁」ということで、ろくに取材をせずに書き立てたことで全面敗訴している。 他人の失敗を喜んで騒ぎ立てるよりも、自らを厳しく律することの方が大切ではないかと思うのだが、そうは思わない人の方が多い。 もちろんわたしもそうなのだ。 しかし、報道を職業としているのであれば、プロとして、意識して行動しなくてはならない。 個人のブログではないのだから。 なお、産経新聞は、報道が信用を失うことを心配しているようだが、そんな心配は無用だ。 自分の頭でものを考えることのできる人なら、もはや報道を鵜呑みにするようなことはない。 「ニュースステーション」の過剰演出も、産経新聞のでたらめ記事も、「ああまたか」と思うだけだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.12.11
コメント(0)
という記事が目にとまった。 キュウリ一本といえども、育てた方にしてみれば、「我が子同然」ということなので、金額の問題ではないらしい。 何年も市民農園を借りて野菜を作っているが、わたしなら、キュウリの一本や二本無くなったところで気づかない。よほどきちんと管理しているのだろう。 作ってみた経験で言えば、キュウリもニガウリもナスもトマトも、できるときは大量にできるが、その盛りが過ぎると、たちまちとれなくなる。 キュウリなど、毎日そう何本も食べられるものではないので、職場に持って行って同僚に配ったりするが、食べないまま黄色くなってしまうことも多い。 盗んだ人も、「おいしそうだからちょうだい」と言えば、気持ちよくもらえたのではないかと思う。 野菜作りにかかわる記事なので読み直した。引っかかるところがある。ニガウリやナスビなども盗んでいたとのことだ。「ナス」ではなく「ナスビ」というのが毎日新聞で決められた用語なのだろうか。 また、押収したキュウリを調べたところ、女性宅で育てられたものと一致したという。というのだが、どうやって「一致」を確認したのだろう。 まさかDNA鑑定まではしないだろう。 読めば読むほど気になる記事なのであった。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.11.06
コメント(0)
今日の産経新聞の「主張」の一つは『名前と漢字 公共財を棄損する「感字」』というもので、おおむね、漢字を好き勝手に読むな、といっているらしいのだが、いつものことながら、漢字の話になると支離滅裂で、首尾一貫せず、何が言いたいのかよく分からない。 近ごろの子の命名には「陽翔」と書いてハルトとか、「大翔」でツバサとか、漢字ならぬ感字のような文字選びが行われる向きがある。読み方に規定のないことが混乱を招いている。と言いながら、 とはいえ、ある漢字の人名に用いられる読み方を網羅することなどできない相談である。と書く。 ではどうすればいいのか、という話になるのかと思うと、「読み方に規定がない」「読み方を網羅することができない」原因の話になり、なぜそのような欠陥規格が作られたのか。それは、子につける名に用いる漢字が常用漢字だけでは間に合わなかったからだ。と言い切っている。 ここから常用漢字の話になってしまって、 常用漢字が国民の文字生活に十分間に合うだけの字種を収録した文字集合であったなら、このような漢字文化の劣化は生じなかったであろう。漢字制限の思想を引きずる常用漢字という大本を正し、人名用漢字のような規格は早く清算すべきだ。 と述べる。 常用漢字の範囲を広げ、人名用漢字のような規格を「清算」すれば、「漢字ならぬ感字のような文字選び」がなくなるとでも思っているのだろうか。 「どの漢字を用いるか」ということと「漢字をどのように読むか」ということを混同しているらしい。 結びは、 同時に、子の命名に当たっては、漢字が公共財という意識を強く持ち、いにしえに典拠を求めるなど、「感字」を戒める節度が求められよう。となっている。 いにしえに典拠を求めれば、かえって読みにくい命名が増えるだろう。 皇族の名がその実例だ。 皇太子は「徳仁」や三笠宮の「寛仁」をすんなり読める人がこの世に何人いるのだろうか。 これなど、知らなければ読めない読みだ。(それぞれ「なるひと」「ともひと」と読む) また、漢字の読みというのは、音読みは中国語(と言っても、朝鮮半島経由だったり、方言だったりするので、漢字伝来当時の標準音とは限らないのだが)基づくもので、本来の読みを重視したものだが、訓読みとなると、それこそ日本人の恣意的な読みでしかない。 例えば、「柏」を「かしわ」と読み、「鮨」を「すし」と読むのは、漢字の意味ともずれている。 しかし、そういう読み方をやめようという人はいないだろう。 むしろ、漢字を恣意的に読むことが日本の伝統なのである。 そうやって漢字を利用してきたのだ。 わたしは、命名法についてはできるだけ制限を無くした方がいいと思う。 「稀星」と書いて「きらら」でもかまわない。 珍名だと子どもが苦労する、という人もいる。しかし、我が子の苦労を願う親はいない。 子どもが、自分の名を嫌だと思ったら、自分で変えられるようにすればいい。 名を改めるのは、むしろ日本では伝統的に行われてきたことだ。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.08.25
コメント(0)
「スタート1年 イザ!に芽生えた“民主主義”」という記事(?)によると、イザ!は外部ブログからのトラックバック(TB、リンク通知)を制限していないのでのだそうだが、楽天からのトラックバックは反映されなくなったように思える。 ためしに、この書き込みからトラックバックしてみるが、さて、反映されるだろうか。 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.06.12
コメント(0)
今日の産経新聞の「主張」の一つは、「教育再生会議 評価したい徳育の教科化」というもの。 その中に、今回の報告で「親の学びと子育てを応援する社会へ」とし、早寝早起きなど規則正しい生活やあいさつ、礼儀作法などを学校や家庭、地域が連携して身につけさせることも盛り込まれた。とあって、そのことも高く評価しているらしい。 「評価したい」ではなく「評価する」と言えば良さそうなものなのに、わざわざ「評価したい」と書くのが不思議なところだ。 それはどの新聞にも共通したことで、産経新聞だけを取り上げてどうこういうつもりはない。 また、「早寝早起き」を重視することに異論はない。 残念なのは、なぜ「早寝早起き」が実現しないのか、ということに触れていないことだ。 夜遅くまで起きていたくなるようなことが世の中にあるからなのだ。 本当に早寝早起きが大切だと思うのなら、まずは、フジテレビとニッポン放送が、深夜番組をなくしてみることから始めるべきだろう。関連記事「道徳」が教科になるの!? 教育再生会議、論議の真相は[親学]政府提言に賛否が拮抗 毎日新聞世論調査 楽天ブログランキング←クリックしてください 楽天会員以外の方のコメントは「輾転反側掲示板」へ
2007.06.02
コメント(0)
全103件 (103件中 1-50件目)