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今日はまたしてもハードな1日となってしまい、それでもできるだけのことはやるという全員の総意でまとまりました。 それにしてもハードな1日だったとしみじみ。 前に読んだ本ーこれは骨盤のゆがみを直すという本だったのですがーその中にストレスで大顔(!)になるというくだりがあって。 ストレスでいつも奥歯をかみしめてばかりいると、エラの筋肉が発達して顔が大きくなるということで、その矯正法も書いてあります。(とりあえずホッ!) 1日の終わりにストレスを残さない。 1日の終わりに、その日あったことを冷静に検証して、建設的な対処法を考える。あとは実行のみ。 今日みたいな1日の終わりこそ、ストレスを残さずこれからを冷静に考えることが大切なのだなと、鏡の自分の顔を見て痛感します。
2006.10.31
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今の朝の楽しみはNHKのテレビ小説「芋たこなんきん」!藤山直美のなんとものんびりした間のよさとカモカのおっちゃんとのやりとりが面白くて欠かさず見ています。 それが終わると、ワイドショーがあまりたのしくない特集をやってるときは、はなまるマーケットを見るのですが、今日の10年前の顔を取り戻す3分の若返り造顔術には、思わず見入ってしまいました。 『造顔』という言葉は、長年メイクの仕事をしている田中さんという女性の方が作った言葉だそうですが、この田中さん、テレビで見たらすごく若くて、それも化粧をあまりしていないようなナチュラルな美しさのある人なのですが、年齢を聞いてビックリ!61歳なんです。 化粧で隠すという感じがまったくなく、ほんとうにきれいでカッコいいのです。 田中さんは「42歳のときに58歳に見られた」と、自身の体験を明かされていましたが、それからずっと研究してこの造顔術を確立されたそう。まさに田中さん自身が証明(CMみたいですね)なのだと思いました。 これまでは、顔のマッサージは力をいれないというのが常識だと思っていましたが、きちんと理論に沿って行えば、力を入れたマッサージをすることによって、顔の筋肉を再強化し、むくみやしわ、たるみを解消して、ひきしまった顔を取り戻せるのだなと。 実際にテレビで田中さんがマッサージしてあげた人は、短時間のマッサージの後では、マッサージ前より明らかに顔のライン全体が若返っていて、びっくりしました。 自分をかえりみると、たしかに顔の皮ばかりでなく(?)、肉が厚くなってきたこの頃、久しぶりに鏡にうつる自分の顔と対峙して、また活力と若さを取り戻すことに努力しなければ、と思うのです。田中宥久子の「肌整形」メイク
2006.10.30
今日の午後出かけたのですが、夕方近い時間だったのにずいぶんと暖かでした。 大学の中を通りバスの停留所に向かう途中、大学構内の木が紅葉を始めているのに気がつきました。わたしは、空に一番近いてっぺんのほうから紅葉するのかと思っていたのですが。 広い場所に面したほうの低い枝先の葉から先に、すこしずつ紅葉が始まっているのを見つけ、不思議に思いました。
2006.10.29
月に何度かはお墓参りと氏神さまへのお参りに行っています。家から歩いて10分くらいの近さに菩提寺があるので、遠くにお墓があってなかなかお参りできない人よりは恵まれているかもしれません。 氏神さまも近くにあるので、やはり1週間には1度、おまいりに行っています。 都内ですがかなり広く、大きな木がたくさんあり、境内を護るように豊かに葉の生い茂った枝を広げています。 鳥居をくぐって一歩境内に入ると、神社独特の荘厳な神気というのか霊気というのを、全身で感じ取ることがあります。 わたしはいわゆる霊感というのはさっぱりなのですが、境内を歩くと、ぴりぴりと肌に伝わってくるような清冽で鋭いなにかを感じることがあります。本殿をお参りするときもそうですが、境内の脇にある小山に祭られた稲荷神社にお参りするとき、いっそう強く伝わってくることがあります。 1週間のもろもろを祓い、清め再生する。祓詞は毎朝、家の神棚にあげていますが、1週間を1サイクルとして終えて、氏神様におまいりして、またあらたな気持ちで新しい1週間に臨む。 1週間に1度の氏神さまへのお参りは、わたしにとって、過去に起こった出来事を整理して、改めて自分のこころを再構築する通過儀式のようなものかもしれません。 大学の頃日本史を専攻していて、古代史に興味があり、ずっと出雲大社に行ってみたかったのですが、なかなか行く機会がありませんでした。今年の秋に九州か出雲かどちらかに行く計画をしていました。(予想外の仕事に入りまだ終わっていないので、まだ計画のままですが) 今年の夏ごろ、出雲大社に行こうかと思い、江原さんの神紀行中国編という本を読んだとき、一番惹かれたのがスサノオノミコトをお祭りした神社の話です。わたしの氏神さまもスサノオノミコトが御祭神で、不思議な縁を感じました。
2006.10.28

昨日はああ書いたもののやはり。と先行きをいろいろ考える今日。 というのは今は原則ヒマだから。あーでもないこーでもないと思ってしまうようです。 考えてみれば、前の仕事場では毎日パソコンで今日の運勢を何度もチェックしてたし、答の出ない仕事に対する不安感が、占いに解決の糸口を求めていたのだなと。 というわけで、この前おじゃました方のプログからたどり着いた前世チェックなるものを試してみました。結果、わたしって『古代の世界を統べる巫女』?? 人々のために雨乞いだのいろいろしてその心労がたたり早く死んでしまったそうです。 道楽の魂100%、妖魔の魂100%って、え~ッ、これっていったい??? 古代かー。確かになんとなくわたし的にはアッシリアとかエジプトとか砂漠の国に住んでいたような気がする。そこでたくさんの猫科の動物と暮らしていたような気もして。 今飼っている5匹の猫の一番年下の子ニャンコ(といっても3歳なんですが)は、ちょっと小型ピュ―マみたいな流線型の男の子で、なんだか前にも一緒にいたような気がしてならないし。 わたしは猫に限らず動物が大好きですが、家で飼っていた犬が死んでしまってからはよく庭に猫が来るようになり、庭で生まれ親に置き去りにされたノラ猫の子を育てたり、あとはもらい手のない猫を引き取ったり捨て猫を拾ってきたりで、ずっと猫と縁のある生活なのです。 今では部屋から出ると廊下で猫ニャたちが待っていて、ツユ払いのようにわたしの先を歩いて居間に導いてくれます。 友人に話したら「猫仙人みたい」と笑われ、それぢゃネコハメハを打っちゃいそうなので、別名『猫仙女』(一応さま付けで)と呼んでもらうことにして。 まあ妖魔度100%ってわけなら、うまくいかなければ暴れちゃえばいいか、ってことで、とりあえず納得の今日になりそう?!
2006.10.27
わたしにとって新庄剛志とは特別な選手でした。 99年夏の甲子園、バッターボックスの新庄のバットが巨人のルーキー上原浩司の投じた地面すれすれのクソボールを一閃、外野席に消えていった白球を見送ったあの時。 日本プロ野球が生んだ最もすぐれた、最も魅力的な外野手。 外野の芝を軽やかに走る長い足。ジャンプしながらいともたやすく捕球し、あのしなやかな腕でどんな体勢になっても、本塁に向けて送球できる不可解さと華麗さ。そしてあの強肩! グラウンドの観客すべてが息をのむ瞬間、だれもが予想できないようなプレーで、勝負を分ける一瞬を引き寄せ、劇的に書き換えてしまう。 その濃密で至福の時を共有できる喜びをファンに与えてくれる稀有な選手、それが新庄剛志でした。 10年に一人といわれた潜在能力。 しかし野村克也も山内一弘もダスティン・ベーカーも新庄の能力を開花させるまでは至らず、唯一、メジャー1年目に出逢ったバレンタインが新庄の最良の師となりえたのだけど、その出逢いはわずか1年で終わり、投打ともメジャーで最高の外野手になる新庄の姿を夢見ていたわたしも、その夢は叶わぬまま終わりました。 日本に帰り最後のチームとなるファイターズで、新庄剛志の最後の試合も近づいています。それが日本一となるか、その舞台が日本シリーズだというのも、またこの上なく新庄らしい。 さらば新庄! 記録の積み重ねもプロならば、ファンの心にいつまでも残る至福のときを見せてくれるのもプロ。 今でも鮮やかに新庄の数々のプレーが目に浮かびます。しかもそれはけっして色あせることはなく、わたしの心にいつまでも生きているのです。 新庄剛志は、最高のスターでした。
2006.10.24
わたしも何年も前から石について気になっていました。 石、というのはとりあえず宝石なのですが、自分の身を守ってくれる石というのが私自身にもいろいろあって、その時その時石を付けかえたりしています。 仕事をしているとき、自分にとってこれは勝負に出たい、勝ちたいと思うときにはたいていルビーを選んでいます。以前ホームページに書いたこともあるのですが、これが自分にとってのジンクスなのです。 たぶん、わたしだけのパワーストーンなのかもしれません。 ルビーという石は、今まで心惹かれたことのない石です。 深い赤、底の見えない神秘的な赤い石はそれほど好きではありません。 でもたいてい身に付けているのはルビーで、それは自分自身を護ってくれる、強くしてくれる、毅然としてくれる強い石のような気がするのです。 不思議とルビーを付けるとそのパワーを感じる。仕事という場では自分を護り自分の力を増幅させてくれる。これまでの体験で感じた何かがわたしにルビーを選ばせるのだと思います。 ルビーの効果は血液の循環を良くし、不死身の力を授けるともいいます。 たぶん、いつも付けるルビーの指輪が、わたしにとっては一番のパワーストーンかもしれません。
2006.10.23
日比谷に通う毎日。そう、ヅカ歴約5年にしてまだ迷走中です。 たぶんこんなに通わなければもっと貯金が増えていたのだろうけど…。でも私なんかよりもっとすべて青春もとい人生のほとんどの時間をささげているファンの人たちもたくさんいるのです。 知らない人から見たら、ちょっと引いてしまう光景。大好きなスターの入り待ち、出待ちをする人たち。大勢の人からそのスターを守るファンクラブの人たち。日比谷の宝塚劇場界隈は、年中そんな人たちでいっぱいです。 宝塚の魅力はお芝居とショーの2本立て(大作の場合は前・後編と分かれショーが略されることもありますが)で、どんなにお芝居が悲劇的結末になっても、ショーでは跡形もなく笑顔で復活!ってところがいいのです。 歌唱力に差は出ますが、やはり長い期間鍛えて舞台に上がっている宝塚の生徒は皆、踊りもレベルが高く、男役はあくまでかっこよく美しく決めてくれます。ショーを観る楽しさ、装置のすばらしさと舞台転換の早さ、生の演奏を聞く楽しみなど、エンターテイメントとしても立派に確立した絢爛たる舞台。 幕が降り劇場から帰るときに、前にいた中年の女の人が「ああこれで現実に戻るのよね~」とため息をひとつ。 まさに外に出れば現実が待つ世界。だからこそひと時の夢を求め、今日も日比谷に人があふれるのでしょう。
2006.10.22
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先日、最新作のビッグイシューを買いました。 いつも通る街角でこの雑誌を片手に販売している男性がいます。 その人はいつも同じ人でなく、何度か買って顔見知りになっても、ある日を境にまた別の人になったり、他の街角に変わって立っていたりして…。販売する人の入れ替わりも早いのだなと思いました。 今年は厳しい寒さでした。 わたしが『ビッグイシュー』を知ったのは今年の初詣の帰り。お正月の雑踏でにぎわう街の交差点の角で、男の人がプルーナのうさぎの絵の表紙の薄い雑誌を片手で丸めるようにして持って、「ビッグイシューの最新作だよー!」と声を張り上げて売っているのを見かけたのです。 その時はホームレスの人たちの自立支援の雑誌だとは気がつかず、その後新聞などで読んでああそうかと知ったのです。 厳しい寒さの中でも、夏のうだるような暑さの中でも、その人はビッグイシューを売っています。 いつも同じ人だとは限らず、一度言葉を交わしただけでその場から消えた人もいれば、顔なじみになった人がある日突然別な人と変わっていたこともあります。そんなとき、一度でもこの街角でこの雑誌を売っていた人たちはどこにいったのだろうかと思い、また別の人からビッグイシューを買ったりするのです。 200円のこの雑誌はもちろん、ホームレスの人たちの自立支援になるのだけど、読んでみるとその情報の厚さに驚きます。 グローバルな世界。現代の世界が抱えるさまざまな問題を複眼的に捉える。ビッグイシューの記事にはさまざまな切り口があり、確かに世界とはこのように複眼的に絡み合っているのだなあと実感することがあります。 ともすれば単一的な見方に終始する日本のマスコミの一過性の報道に慣れてしまっているわたしには、このビッグイシューは、さまざまな記事を読む楽しみと「世界」を知るあらたな発見をもたらしてくれる、面白い1冊なのです。
2006.10.22
京極夏彦の最新作『邪魅の雫』(話題作らしく2件目の本屋さんでゲットした)を一昨日読み終えました。 感想は本作で関口を悩ませる不特定多数もしくは絶対的少数の評論家的になってしまうけど…。私的にはいまいちでした。 いつもながらの大長編なんだけど、これは前作でも感じたのだけど長さの割には謎の底が浅く、先が見えてしまう。榎木津の登場が遅かったのもつまらない一因かもしれないけど、話の途中で結末が見えてしまうのにはカチン。これまで読書に費やした時間を返して~ってところです。 やはり『塗仏の宴』までがおもしろかった。 塗仏で出てきた真の敵とのガチンコ対決を望む私としては、またしても肩すかしというところでした。
2006.10.21
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