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昨日、大阪から帰る途中に母方の叔母の所に寄った。叔母は痴呆が進み、施設に入ったとのことだった。叔母は母の事は覚えていた。父と私の事は母が紹介すると「あぁ」というカンジだった。でもやっぱり話をしていると、おかしな事を言う。韓国でテレビを見てたらキム・Cという歌手が「パソコンのゴミ箱を見たら、いろいろ溜まってたので ”空にする”を押すと消えるのを見て ”人間の頭の中の記憶もこうやってカンタンに消せたらいいのになぁ”と思った」と言っていて”ほぅ”と思ったが、その後記憶力の悪い私は”逆に”空にする”を押さなければ記憶が消えないなら、忘れたくないことを忘れずに済むなぁ”と思ったのだが、叔母を見てそのことを思い出した。
2006年05月31日
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やっと実家に帰ってきた。無事義兄も姪も退院して、なんとか仕事をやり終えた。しんどかったけど、自分自身にもいい勉強になったと思う。なかなかできない体験だった。でも、できれば2度としたくないけど。やっぱ人間健康が一番。なんか今ようやく帰国した気分。この間は1.5日しか実家にいなかったし、突然忙しく、しかも非日常な生活になったから、これから日常生活が始まる。とりあえず、やらなきゃいけないことはいっぱい。韓国語とも2週間離れてる。勉強はもっと前からしてない。9月の試験までにやれるだけやってみよう。とにかく、明日からまた新たな気持ちで頑張ろう。
2006年05月30日
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今日お昼頃ケータイが鳴ったので出てみるとソウルのSちゃんだった。私が日本に帰ったきり音信不通なのでどうしたのかと思ったらしい。。日本に帰ったその日にケータイを作り、翌日Sちゃんに連絡した時に番号を教えてからその次の日から大阪にいて、忙しい日々だったのでサイも更新できないし(もちろんここも更新してなかったけど)メールもらってた人にさえ返信できずにいた。なので「他の子たちもtaroがどうしてるか聞いてみろ」とSちゃんに言ってきたらしい。ごめんね、みんな。来週には落ち着くと思うので連絡できると思います。で、4月の終わりにソウルでKLPTという試験を受けて帰ってきたので、その成績表をSちゃん家に送ってもらい、それをSちゃんに日本に自宅に送ってもらうことになってたのだ。それが届いたとのこと。それより前にインターネットで確認はできたんだけど、いろいろ忙しかったし、外国人登録番号が必要だったのに、覚えてなかったので確認できなかったので、Sちゃんに成績表を見て点数を教えてもらったのだが。。。S「わ~、いい点だね」と言ってくれたのだが、その後の点数を聞いてtaro「。。。びみょ~。良くもなく、悪くもなく。。。」と言うとSちゃんも笑ってた。よく考えてみると受ける前に問題集をやった時”だいたいこの位のレベルかな~”と思った通りのレベルだったので、予想通りではあったんだけど、点数を聞くとやっぱり納得いかないというか(いや、私の実力からしたら仕方がないんだけど)時間がなくて8問ぐらいてきとーにチェックした所があったから、もっと早くできればもうちょっとマシな点が取れたのではないか、とか。。。後悔先に立たず。。。なんですが。今年は試験をたくさん受けるつもりだ。6月のハン検は無理だけど、9月のKPT、11月にはハン検を受ける予定。しかし両方とも内容変えたよね、最近。なんで私が受けるときになって内容変えるのさ?!嫌がらせとしか思えない。しかもKPTには作文とか。。。作文って~!!綴りを覚えなきゃいけないじゃない!あ~ぁ、帰国して2週間、なんの勉強もしてないし、かなりできなくなってるだろうなぁ~。今日電話でSちゃんと喋ったときもヘンな感じだったし。実家に帰ったら気分も新たにまたがんばらなきゃね~。
2006年05月27日
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4人(父、母、姉、私)で2人の入院患者(義兄、3歳の姪)と小1の姪の面倒を見ているのですが、今日母がいろいろと細かい用事のために実家に帰りました。ということで今日は病院には行かず。私は超健康で病院に行く事なんてあまりないし、小さいときは病院に行くとなると嬉しくて(あまり行けないので)ドキドキしてたけど。。。3歳の姪の付き添いはだいたい母である姉がやっているのだが、お風呂に入ったりもう一人の娘(小1の姪)に会ったりするために私が付きそう事もある。私は入院したことがない。なので入院したいな~、なんて思ってた(1週間ぐらいでいいから)。でもいざ病室にいると姪が寝ているとすることもなく、1日何度も救急車の音を聞いているとどんどん気が滅入ってくる。姪は人見知りをするし、今病気ということもあって、母親がいないと機嫌が悪い。私も叔母とはいえこの子とはあまり一緒に過ごしていないため、そんなに懐いてない。上の子は小さい時に何度も会っていたせいか、性格の違いのせいか懐いているんだけど。。。なのでたった4~5時間の事なのにすごく長く感じるし、しんどい。私はため息はつかない方だと思うけど、それでも病院に入るとき「はぁぁぁ」と深いため息をついてしまう自分に気付く。精神的疲れが溜まってるせいだろう。病院って気を吸い取る所なんだな。義兄が手術しないといけないと知った時はまだ学校を辞めてなかった。そんなに難しい手術ではないような話だったし、第一誰も帰ってこいと言わないので私は日本に帰るつもりはなかった。今回帰ってきたのは偶然だったんだけど、帰ることが決まってから帰るまでの間「まさかこのままあえなくなったら後悔するだろうからと帰ることになったんじゃないよね?」と不安だった。なんか義兄にもう会えなくなってしまう予感がうずめいて仕方なかった。「助かるようにお祈りをしよう」とお祈りをしていたら付けていたテレビからオク・チュヒョンの”アルンダウン・イビョル(美しい別れ)”が流れた時はビックリした。どんどん不安になっていった。でも、手術は無事成功した。しかし今度は姪のちぃちゃんが「おなかが痛い」と言い出した。最初はただの腹痛だと思っていたのに。。。でも幸い2人とも順調に回復していて、義兄は退院日も決まった。ちぃちゃんも来週にはなんとかなるかな?数日はつらかったけど、がんばった甲斐があった。今日は久しぶりに1度も病院に行かなかった。家にいて家事をしていたのだが、洗濯、掃除、料理。。。やる事っていっぱいあるね~。父が少しは手伝ってくれたにも関わらず新聞を読む暇も無かったよ。姪を寝かせて後片づけなんかやってたら終了したのは11時。お母さんって大変だなぁ。しかも働きながら子育てしてる人なんて尊敬するね。私は絶対できない。病院に行かないと気は楽だけど、こちらは体力的に大変だ。もうちょっと掃除をしたかったんだけど、全部はできなかった。明日はちょっとラクになるハズなんだけど。。。ちぃちゃんの退院日が早く決まればいいけど、決まらないうちはまだまだ大変。でも徐々に良くなってきている。ちょっとずつでも前進してる。がんばろう。
2006年05月24日
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ただいまです。私はあれから毎日友達と会い別れを惜しみ、最後に試験を受け、訪韓した両親と共に韓国内を旅行し、実家1.5日いただけで、すぐ大阪に来ました。義兄の手術のためだったんですが、手術は無事に終わり、経過も順調なんですが。。。姪も病気にかかってしまい入院してしまい。。。姉の家族4人の内2人入院、しかも姪はまだ3歳なので付き添いが要るので姉がず~っと付きっきり。私の母が6歳の姪を見ながら家事をして、父が運転、私が義兄と姪の病院を行ったり来たり。。。という生活です。なので、とても日記を書く余裕が無かったんですが(肉体的にも精神的にも)今朝、お医者さんから希望の持てる言葉が聞けたので、ホッとしたところです。でも、まだ2人共入院中。しんどい看病が続くことには変わりない。ここで気を抜かないようにがんばりたいと思います。落ち着いたら最後の韓国での日々、旅行、大阪での出来事などを書きたいと思います。
2006年05月22日
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