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ここ数年訪ねていなかった駅で久しぶりに乗り降りすることが多くなりました。多くの駅ではどこかが変わっていて時の流れを思い知らされます。一番目立つのはエレベーターやエスカレーターが増えたことです。駅の安全設備を調べたときに、このごろはバリアフリー重視だという印象を受けましたが、はじめ珍しかった設備が確かに定着しつつあるようです。重いスーツケースを引きずりながら駅をうろついていた頃願っていたことが、そんな生活から遠くなった今実現しつつあるのに、ちょっぴり皮肉なものを感じますが。便利になるのは何よりですが、安全が保証されているのが大前提です。最近は「このエレベーターはどこの製品だろう」「ちゃんと保守してくれているだろうか」などを気にする人が増えたのではないでしょうか。限られたスペースをつぶして設置したものが心配のたねになるのでは、せっかくの配慮も台無し。事故以来揺らいでいるエレベーターへの信頼を早く取り戻してほしいと思います。
2006/06/29
日照の不足がいわれながらも徐々に気温が上がってきます。冷房が欲しくなる季節が近づいてきますが、昨年あたりから様子が変わってきました。温暖化対策から控えめにするよう呼びかけられています。 昨年は室温を高く設定することで二酸化炭素排出が46万トン減らせたとのことです。100万世帯の1か月分との説明がありましたが、日本から年間に排出される量13億トンあまり(全国地球温暖化防止活動推進センターによる2003年の数値)を100とすれば0.04。鳴り物入りでの呼びかけに見合う量なのかは正直なところ何とも言えません。 一方で、西麻布にオープンしたアイスバーなるものが話題になっています(例えばこの記事)。室温はマイナス5度。コートと手袋を貸してもらって氷の椅子に座り、氷のグラスに入った飲み物が氷のテーブルに置かれる。 このアイスバーはスウェーデンのアイスホテルの系列店とのことです。もともとのアイスホテルは、毎年デザインを変えて周りにあふれる氷を使って建物が作られます。寒いときは氷を避けたがるもの。でも、たまには氷に囲まれて時を過ごしてみよう、そんな遊び心が根底にうかがえます。 しかし、首都ストックホルムに姉妹店ができ、そこからヨーロッパの都市、そして東京での開業へと展開が進むにつれ、性格はかなり変わってきたように思えます。 インテリアに使われる氷の中は、スウェーデンから輸送されていると紹介されていました。この店がオープンした2月、日本海側では雪。生活を脅かす雪に悩む人たちを尻目に、東京にはわざわざ遠方から氷が運ばれてきたわけです。周りにいくらでもある氷を使ってみようというもともとの発想とはまったく別の考えがうかがえます。 元祖アイスホテルは冬限定ですが、アイスバーは夏も営業するようです。クールビズで昼を過ごした人が、その上から分厚いコートを羽織って氷の世界へと入っていく…。このお店のために排出される二酸化炭素は一般家庭何世帯分になるのでしょうか。[更新履歴]6/22 初稿6/23 ・ 日本の二酸化炭素排出量、スウェーデン・ユッカスヤルビにある本場のアイスホテル について新たに書き込みました。
2006/06/22
地域限定CM 住居を替えてまだ落ち着かない頃ふとみたテレビで、それまで知らなかったCMに遭遇しました。 家具の扉からいきなり歴史上の人物が出てくる東京ガス「ガスパッチョ」のCM。 のけぞってしまいました。 その後何パターンもあることを知りましたが、その時見たのは織田信長編でした。 強烈な印象にそのときは唖然としました。 出てくる時の奇声からセリフの1つ1つが、つぼにぴったりとはまったといいましょうか。 以来、思わぬときに思い出しては、笑いをこらえるという、はたから見て不気味な状況になりました。 「もしかしたら案外実物(?)もこんな軽いところがあったかも」などと思いついてからは、さらに症状がつのっています。 そこまで気に入っているのは自分だけかと思っていたら、なかなか人気のあるシリーズのようで、このシリーズを話題にした書き込みが多くあり、何かほっとしたような、がっかりしたような… というようなことを書こうとして、一旦は思いとどまりました。 このCMがスポンサーの関係上関東地方でしか放映されていません。いくらその面白さを書いても、見ることができない人にとってはフラストレーションがたまるだけだろうと考えたのです。 ところが、少し調べてみると、東京ガスのページでこれらのCMが公開されていることがわかりました。(→こちら) 少し意外でした。技術的には可能だと知ってはいましたが、ウェブでの公開は控えているだろうという先入観を持っていました。 公共的な性格を持つ会社だから、慎重だろうと思っていたのです。 前のところでは、電力会社も鉄道会社もCMを盛んに流していました。 しかしどちらのCMも途中でぱったりと放送されなくなりました。 民間企業であっても(なっても)、その振舞いを特にきびしく監視される立場の難しさを感じました。 そんな前例もあったので、今回もウェブでの発信まではしないだろうと勝手に思っていました。 ともあれ、このCMが誰でも楽しめるようにしてくれた東京ガスの計らいには感謝、そしてくれぐれもそれが裏目に出ることがありませんように。 それにしても、こんな風に、偉人が次々と飛び出してくる家。ちょっと住んでみたい気がします。誰とでも現代日本語で話が通じる翻訳機能もあるようですから。[更新履歴]6/19 初稿6/23 誰とでも日本語で話が通じる → 現代日本語
2006/06/19
6月13日73歳の生涯を閉じた指揮者、岩城宏之さん。 私がクラシック音楽の世界を知った頃、NHKのテレビやラジオの存在は今とは比べ物にならぬ大きさでした。今気軽にCDを買うようにレコードを買うことはできず、聴きたい曲が番組表に出てくることを待ち続けていました。楽しみの1つがNHK交響楽団の演奏会で、そこによく岩城さんが登場しましたした。同じくよく見かけるサヴァリッシュさんのような洗練さのかわりに、率直さや熱気が演奏に込められているように思っていました。 多くの曲をこの人の演奏で知りました。第2楽章しか知らずにいたドヴォルザークの新世界交響曲全曲もそうだったはず。そして、ブラームスの交響曲第1番、チャイコフスキーの第4番。そういえばスラブ舞曲第1番をアンコールで取り上げることが多く、実はこの曲を岩城さん以外の演奏で聴いた記憶がありません。 そして、ほとんどが放送を通じた曲との出会いであったなか、生演奏での岩城さんの指揮で聴けたのが表題にあげたデンマークの作曲家ニールセンの「交響曲第5番」でした。たまたま出かけた演奏会の最後がこの曲。ニールセンの交響曲といえば第4番「不滅」しか知らず、どんな曲なのだろうと思いつつ演奏を待ちました。 不思議な曲だという印象だけが残りました。静寂に浸ることを許してくれない吊りシンバルの刺激的な音、突如連打される小太鼓、執拗に繰り返される音型、延々と同じところに停滞するかと思えば唐突に変わる曲想。解説にはニールセンの最高傑作と書かれていましたが、その印象は伝わってきません。自分の理解力と曲の間に壁が存在しているのを感じるほかありませんでした。「不滅を聴きたかったなあ」が帰るときの正直な印象でした。 その後、この曲のことは妙に気にかかり、第5番だけでなくニールセンの交響曲を機会を捉えて聴くようになりました。やがて壁は消え、今、彼の交響曲はすべて私にとっては大切な曲です。その門を開いてくれたのが、やはり岩城さんなのでした。 心残りは、あの演奏を十分受け入れられなかったことです。ニールセンは、20世紀の作曲家らしい実験的な試みを込めながら(この曲も例外ではありません)、その音楽は世紀末の爛熟や、その後の曲に漂う無機質的な色彩からも少し距離を置いていました。どこかなつかしい明るさと前向きな気分がその作品にはただよっています。そんなニールセンの交響曲を、岩城さんが指揮した演奏は、実は大変な名演だったのではないだろうか。せっかくの機会にまだニールセンの交響曲を聴く準備ができていなかったことを後悔しています。 ベルグルンド指揮デンマーク王立管弦楽団の演奏でこの曲を聴いてみました。かつて、いつになったら終わるのだと思っていた第1楽章の後半が、心に染みいってきます。私のクラシック体験の導き手の一人だった岩城さんへの感謝を込めて、そして、病に苦しみながらも音楽、特にベートーヴェンの交響曲への対峙をやめなかった、その生涯に敬意を払いつつ、ご冥福を祈ります。[更新履歴]6/15 初稿6/23 ブラームスの交響曲第1番、チャイコフスキーの第4番の記述を追加
2006/06/15
(11)を書いて、この本について考えていることを書く時がきたと感じています。 長々と書いてきたこのテーマを、この本の紹介で閉じることにしました。 一度名前をあげたことがある(→過去の雑記長)こんのひとみさんがお話を、いもとようこさんが絵を書いたこの絵本は、何人もの人が取り上げています。 この本のモデルとなった実話はとても感動的です。 ただ、物語そのものの印象も強かったと思います。単に実話をなぞっただけの話ではありません。 動物たちが通う学校が舞台です。そこに通う羊君はみんなが簡単にできることができることができません。それには理由があるけれど、そのことは話したくない…。 校長先生も、そのことについてはできるようになれと励ましてくれるだけでした。 でもある日、校長先生が話してくれました。自分の病気がきっかけで、大切なことを知った。おかげで羊君のこともわかったと。 気分が軽くなったときに大変なことが起きました。 そこからの展開は、まさにこんのさんの世界だと思います。実話を越えているというか、実話の核を抜き出したというか…。 もし校長先生とのお話がなかったら、羊君は壁を越えられただろうか。最初に読んだとき以来、そのことを考えています。 そして、今回のテレビでの「日本人論」をに接したときにも、この本のことを思い浮かべました。その場限りの叱咤激励を大きく超える効き目のあるアドバイスを、このかわいい絵の本から、改めて感じとりました。 自分の弱さを弱さと自覚しなければ、いざというとき勇気は背中を押してくれない 自分の弱さにとらわれているだけでは、壁は越えられない。 --そんなことを考えさせてくれる深い話。 実話そのものだけでなく、そこから抜き出された物語も味わえる本だと思います。 既に起きてから3週間半が過ています。長々と続けてきたこのテーマですが、ここで区切りをつけます。 住居を変えてから、4ヶ月以上この日記から遠ざかっていましたが、再開のきっかけになりました。 また細々と続けて参ります。
2006/06/13
いろいろとえらそうに書いてきましたが、では自分はどうか。最後の2回はそのことに触れます。 他人の救うためには自らを手を貸すことができるか。場合にもよるでしょうが、必ずそうするとはいえないのは事実です。では、そのときに何が妨げになるか。 以前からそんなことを考えていて2つのことに思い当たりました。あまりにくだらないことで、書くことなど考えていませんでしたが、この流れでは、意味が皆無ではない気がしましたので、書いておきます。 本当にくだらないことです。 一つは手荷物。(くだらないでしょう) 外を歩くとき、たいてい手にはカバンを持っています。中には貴重品、なくすとかなり困るものが入っています。それらを投げ出して、駆けつけることができるか。 そのことに思い当たってから、持ち歩くものはできるだけ少なくして、カバンは肩にかけられるものにしました。 もう一つは、「迷惑をかけたくない」という心です。 非常停止ボタンのことを書くたびに、心に浮かんだのは、横断歩道の押しボタンでした。あれを押して、車の往来を止めてしまうことがいやで、つい押さずに隙をうかがって渡る、そうされる方をよく見かけますが、私もよくそんな心理に陥ります。 そんな、良かれと思う心理が、いざというとき障害になりそうに思います。 非常停止ボタンのように物理的に容易なことでも、列車を止めてしまう、多くの人に影響を与えることが心理的な圧迫になります。そんなことを気にして入られない事態だという判断が、いざというとき下せるようにしなければ。 いざという時を思い浮かべ、自分の体が動かせない原因を先取りしておく。 私が見つけたものは実につまらないことですが、それらのことに思い当たって、何も考えない自分よりは小さいながらも二歩だけ進むことができた気がしています。
2006/06/13

一連の日記の中では、JR東日本の取り組みを何回か紹介してきました。しかし疑問を感じたところもあり、そのことをどこかで書こうと思っていました。その矢先に、他ならぬ山手線駒込駅ホームで事故が起きたことを知りました。そのこともあり、今回は現在のJRに対して感じていることを書きます。 JRが、転落事故を目撃したときどうしてほしいと考えているかについては、これまで繰り返し書いてきました。非常停止ボタンを押し駅の職員に知らせることを勧めています。確かにそう勧めているのですが、その声が少し小さくなっていないかが気がかりです。 例えば昨年末のプラットフォームキャンペーンのポスターが、ある駅に残っていました。そこには確かに非常停止ボタンのことが書かれています。しかしポスター左上の片隅の小さな枠内であり、大部分は乗客に対し自ら転落に気をつけるよう自覚を促すことに費やされています。2004年末のポスターも見ることができましたが、同じでした。先に紹介したJRウェブページに紹介されている過去のポスターで、非常停止ボタンそのものが主題であったのに比べると、最近PRが消極的になっているように感じられます。 今回の救出劇の扱いも、その疑念を晴らしてくれません。「助けようとする善意に感謝するが最善の行動ではなかった。今回、二次災害につながらなかったのは幸いだったが、一般客が線路上に立ち入る危険は大きく、避けてもらいたい。転落事故を目撃したら非常停止ボタンを押し駅務員に通報するよう改めてお願いする」このような発表を行うのが自然なのに、歯切れが悪い対応に終始しています。これでは、せっかくこれまで積み重ねてきたことまで損なわれかねません。 そのような対応をとる理由に思い当たらないわけではありません。すべてを書くのは控えますが、10日駒込駅で起きたことの報道ぶり(→1 2)を引きつつ、一端を書きます。 記事によれば、自殺の可能性もあるようです。ですから、今取り上げている転落と同じに考えるべきではないかも知れません。それは別として、どちらの記事も乗客が被った迷惑に触れています。それは自然なことなのですが、JRが受けるクレームも想像がつきます。 さて、非常停止ボタンを押してもせば列車は止まります。環状の山手線では全列車に影響が及びます。安全を確認するまで運転は再開できません。乗客は迷惑を被るわけです。そのような状況に車中で陥ったこともありますが、ここでえらそうなことを書いている私でも、告白すれば苛立ちを感じないわけではありませんでした。ですから、ひたすら使用を訴えることもはばかられるかも知れません。 バランスをとって広報するのが現実的なのでしょう。しかし、今のバランスのとり方は最善のものなのか、それが気になるところです。 ついでに、新大久保駅を訪ねて気づいたことを、この機会に挙げておきます。 階段下に5年前の犠牲者の記念碑が設けられています。せめてこの下にはその後非常停止ボタンを充実したことを知らせ、その使用を奨める掲示をした方がよいのではないでしょうか。興ざめだという見方もあるでしょうが、現状における最善の対処を一人でも多くの人が心得ることが、お二人の無念にいささかなりとも応える途だと思います。 特に危険な鉄橋付近に椅子がまったくありません。転落した人は貧血か何かの状態だったと報道されています。ここでは真偽を問いませんが、そんな時に体を休める椅子が近くにあれば、そちらに向かうことで危険な線路側に近づく可能性を減らせます。 このように、小さな改善の余地はまだまだあるように思います。そもそも何があったのかをはっきりさせないことには、何を教訓にしてよいのかが定まりませんが。
2006/06/12
収集した情報の中には、5年前の記事もありました。2つ紹介します。 1つは転落した人を助けようとして犠牲になった2人の方の親御さん同士の会話。李秀賢氏ご両親が、自分の側が大きく取り上げられることを心苦しく思うと述べられると、関根史郎氏のご母堂は報道の大きさはそれは当然のことと応えられたとのこと。 今回の一人のみを強調し、ときにはまったくカメラマンの方を語らない報道態度には、この慎みに漬け込んだかのようなずうずうしさを感じます。 もう一つは、半月後の2月12日付けと思われる、ホーム転落者の救出事例を紹介する記事。この記事によると、新大久保駅での事故のあと少なくとも5件の救出劇があったとのことで、その1つがやや詳しく紹介されています。 経過は救出された方が語っています、救助した4~5人の男性は名前を告げずに去り、警察署が感謝状を贈るので名乗りでてもらいたいと呼びかけているとのこと。 そして駅の安全確保が重要だという意見を紹介して、記事は結ばれてます。 今回の騒ぎぶりを見たあとで読むと、その自然さにほっとします。新大久保駅での出来事がしっかりと受け止められているような手ごたえが伝わってくるようです。 しかしそれは5年前のこと。それに対し今回は、 ・ インタビューに応じる救出者と顔の見えない被救出者、 ・ やたら日本人との対比にこだわり、中には自分の体験から日本人一般を無関心と決め付ける出演者、 ・ 駅の安全、目撃したときの対処に対する完全な無関心、 随所に違和感を禁じえません。 5年を挟んだ、この報道振りの違い。 今回のできごとで時に使われた「日本人が忘れてしまった」というフレーズ、報道に携わる方々はかみ締める必要はないのでしょうか。
2006/06/11
今回の「美談」は多くの人の関心を呼び、多数の情報が提供されました。発生後1週間以上経って知った私が大体の顛末をつかめたのは、これらの情報のおかげです。一連の日記を書く過程で多くの情報からいろいろ教えられました。 情報を整理しているうちに私なりに気づいたこともありますので、今回はそのことを書きます。 この件が大きな反響、そして反発を呼んだ原因は、事件の信憑性だけではなく、テレビの報道振りにもありました。 5年前の事件について、同じく救出を試みて犠牲になった日本の方を無視し、加えて「救出は成功し自分は犠牲になってしまった」と事実からゆがめてしまったこと 「ホームにいた『日本人』は見ているだけだった」とその場に居合わせた他の人たちを全員日本人といわんばかりの断定を下したこと、特に問題視されたことはこの2つだと思います。例えば25日朝に放送されたフジテレビの「とくダネ!」では、当初そのすべての誤りをおかしていました。 いわく「実はこの、新大久保駅のこのホームでは、5年前韓国人留学生の李秀賢さんが線路に転落した男性を助け、命を落とした場所でした。」 いわく「そして5年前の事故と、もう一つの共通点、それはホームにいた日本人は見ているだけだった、ということです。」 後で訂正が入り、5年前の救出で日本の方が関与したことだけは認め訂正したものの、「だが今回は日本人は見ていただけでした」と「日本人」にこだわったようです。 そこまでの確信が何を根拠としたものなのか、この番組に先立つ活字メディアの報道振りから類推してみました。 今回の救出を報じた日時や内容がまとめられている情報があります。大変参考になりました(url) 。そのページに沿いつつ主要なメディアの報道時期をみると次のようになります。 救出劇が起きたのは 5月21日 05:30頃 数日間の沈黙のあと、にわかに動きが出てきます。 (1) 日・朝日新聞5月24日 夕刊 (2) 韓・東亜日報5月24日 17:37公開 (3) 日・毎日新聞5月24日 22:28公開 (4) 韓・中央日報5月25日 07:49公開 日本と韓国で新聞社の報道が相次ぎます。 翌25日朝からテレビでの報道が始まります。大いに問題にされたフジテレビの「とくダネ!」もこの日の午前9時に放送されました。あとは (5) 日・共同通信5月25日 昼頃? (6) 日・(5)による記事が各紙に掲載されるといった経過をたどって行きます。 では、フジテレビの番組前に流れた記事4点から、問題になる箇所の書きぶりを抜き出して比較しましょう。(1)(3)が日本、(2)(4)が韓国です。最初に5年前への言及について、▽ まず日本側(1) この駅では01年1月にも線路に落ちた男性を助け出そうとした韓国人留学生李秀賢(イスヒョン)さん(当時26)が、電車にはねられ亡くなった。(中略)同駅では、01年1月26日夜、ホームから落ちた男性を助けようと、同じ韓国人留学生だった李さんが日本人のカメラマンと2人で線路に降り、電車にはねられて亡くなった。(3) この場所は01年1月、韓国人留学生、李秀賢(イスヒョン)さん(当時26歳)がやはり転落した人を救出しようとして電車にはねられ死亡した場所と、5メートルと離れていなかった。(中略)新大久保駅では01年1月26日夜、横浜市の男性カメラマン(当時47歳)と李さんが、線路に落ちた男性を救出しようとして電車にはねられ死亡した。▼ 一方韓国側は(2) 2001年李秀賢さんが日本人酔客を救った後、死んだまさに同じ駅だ。(4) この駅は2001年1月26日、韓国人留学生李秀賢さんが線路に落ちた日本人を救った後、亡くなったまさにその駅だ。 日本の記事では全文を読めば誤りなく伝わるようになっています。(どちらもリード部分の最初の2行で日本人のカメラマン氏を抹殺しているのが悲しい。)一方韓国側は日本人の関与は黙殺、しかも救出は成功という誤りをおかしています。次に「日本人認定」の有無をみると、▽ 日本側(1) ホームには20人ほどが集まっていたが、ただ見ているだけだった。(3) ホームには20人ほどの乗客がいたが、高齢者が多く、線路をのぞき込むだけ。 ▼ 韓国側(2) 当時周りには女学生の友達を含めて20余名の日本人がいたが、どうしていいか分からないまま皆地団太を踏んでいた。(4) 当時プラットフォームには20人ほどの日本人がいたが、どうしていいかわからずにいた。 日本人と断定しているのは韓国側の記事だけです。朝日新聞も毎日新聞もそんなことは書いていません。 考えてみれば理にかなった話です。駅の利用客が全員日本人であるという保証はありませんし、新大久保駅については、特に信憑性が疑われることは日本の記者なら分かります。 ところが日本の事情にうとい読者ならば疑いをいだくことはありません。まして、日本人に対する優越感をくすぐる文字列ならば、使ってみたいという誘惑にかられるでしょう。歓迎される上に、疑わしいことはばれませんから。2紙が歩調を合わせてこの表現を採用したのは、ある意味微笑ましいものがあります。 比較結果は以上です。フジテレビの番組がどのソースに準拠して番組を構成したと考えているか、これ以上語るのはやぼというものでしょう。 最後に、多数の新聞社にニュースを提供している報道の要、共同新聞社の記事(5)を紹介しますと、・ 同駅では2001年1月、線路に落ちた男性を助け出した韓国人留学生李秀賢さん=当時(26)=が電車にはねられ亡くなっている。・ ホームには20人ほどの客がいたが、見ているだけだった。 5年前についてのの記述が韓国2紙の(2)、(4)に倣っています。 日本人カメラマン関根氏の名をオミットしたことについては、きっと、それなりの理由があるのでしょう。関根氏のご遺族の前でも胸を張って言えるだけの説得力ある理由が。しかし、「助け出した」のほうはまぎれもない誤報です。 多くの新聞社が頼りにしているという立場を考えると、誤報を拡散させた責任は小さくないと素人なりに考えます。しかも韓国側の誤りを持ち込む形での誤報を行ったことから、共同通信社がどのようなソースでこの配信記事を作ったか、それから類推される日常の作成状況はどうか、ある種の憶測を免れることは難しいでしょう。 皮肉なことに、この誤りは韓国側の記事ではその後時々修正されています(例えば(4)の続報)。かの地にも5年前の犠牲者李秀賢氏のご遺族がおいでですから、放置は好ましくないでしょう。韓国で誤りが見直されている頃、日本では同じ誤りが拡散されたわけです。 これは例外なのだろうか、この種の報道がどのように伝播していって、既成事実と化していくのかを暗示する例なのだろうか、考えさせられます。
2006/06/11
これまで1つの話題について何日もかけて少しずつ書いてきたのは、話がマスコミなどへの批判に及ぶのを嫌って先延ばしにしてきたためです。そんなことを書きたくてこの雑記帳を始めたのではありません。できれば避けたいと思っていました。しかし、やはり無理のようです。今日からその種のことにも触れていきます。 これまで書いたように、ホームからの転落事故に遭遇したとき、「線路に降りて救出」は良い選択とはされていません。JRも線路には降りないでもらいたいとアドバイスしています。そして、多くの駅で線路に降りなくても救命・救出に協力できるような設備が整いつつあります。 しかし、今回の報道では、その点をほとんど素通りしていました。目を逸らしていたといっても過言でない気がします。この「美談」を取り上げたニュースや番組の映像や音声をいくつか確認しましたが、その範囲では検知マットにわずかに触れたものが1件あっただけ。非常停止ボタンについてはまったく語られていません。 線路に飛び降りるのが唯一の選択だった。 それができたのはかの留学生氏だけだった。この1色で塗りつぶされてました。 これらの大合唱に加わった人々、その大合唱の場を提供した新聞社、テレビ局、ラジオ局は、ホームからの転落を目撃したら線路に降りて救出せよと主張されるのでしょうか。プラットホームを少しでも安全なものにするための取り組みをなかったことにするのでしょうか。それで5年前の事件を「忘れない(公開予定の某映画の題名から)」と言えるのでしょうか。 不可解なのは、番組を作り上げるために何人もの関係者が駅に足を運んで鉄橋付近に身を置いたにもかかわらず、非常停止ボタンの存在に触れることなく済ませてしまったことです。あの場所の映像は何度も流れていました。その場でレポートをする人もいました。多くの人が駅に足を運んでいる訳です。その誰の目にも、あちこちに設置されている非常停止ボタンが目に入らなかったのでしょうか。 報道では「現場が第一」とよく言われます。せっかくあの現場に身を置きながら、「何か違う」という感覚をもてなかった人、それを番組に反映できなかった人、こういう資質の人たちで、日本の報道の場が満たされているのか。 あまり考えたくないのですが、苦い現実かもしれません。
2006/06/10

現場は鉄橋部分、そこに降りるのは危険で無謀なこと。ではどうすれば線路上に横たわる人を危険から逃れさせることができるのか。悩んであたりを見回したとき、何が目に入るでしょうか。それが左の写真です。駅内回りホームの鉄橋付近、現場と思われるあたりから撮りました。 すでに書いたように、この付近には非常停止ボタンが1つおきの支柱に設置されていて、そのどれかが容易に目に入ります。まずは、このボタンを作動させる。これで、電車の進入を阻止するための手段がとられます。あとは、すぐ近くの階段を駆け下りて、駅職員に事態を知らせる。おそらく、警報を受けて駆けつけるところで出会えるでしょう。必要な対処をとってもらい、後は時間に迫られることなく力を合わせて救助に専念することができます。 新大久保駅、特に階段付近は一般客が危険を冒すことなく緊急事態に対処できるような設備が置かれ、それが生かされるような配慮も加えられていました。「英雄」の再来を必要としないような駅への改善が進められてきたのです。もちろん完璧ではありません。可動柵がないため、転落そのものは防げません。改善をもっと進める余地があります。一方、これまで導入された設備が、いざというときに確実に生かされるよう、多くの人に伝えていかねばなりません。5年前、悲劇を教訓として決意したことは、まさにこのような方向だったのではないでしょうか。「二度とこういうことがないように」という願いから出発したのですから。
2006/06/09

今度は視点を下げて線路の状況をみました。普通は、アスファルトで固めた路面上に枕木が埋め込まれ、線路はその上に固定されています。レールや転落検知マットの高低差があるので油断していると転倒して思わぬ怪我をする危険な場所です。 ところが鉄橋部分をみると、今まで見ていた地帯が平面に思えてしまいます。ここは恐怖の地帯です。線路部の1メートル弱下に基底をなす鉄板が敷き詰められ、その上に枕木を支える2本の鉄骨、枕木、線路、線路間中央の金網がつくる構造がむき出しになっています(→写真)。転落検知マットはホーム側のレールと線路がつくる隙間の半分くらいの幅(検索した資料によれば35センチ)でホームに接するように敷かれています。ホームの黄色い線に立っていてはこのマットは見えません。 ホーム付近で足場が他に比べ安定するのは、この幅40センチに満たないマットの上だけ。このマットから脚がはみ出ると、枕木、レールに足を乗せるしかありません。踏み外せば脚は構造があちこちに作る隙間に。例えば鉄骨、枕木、レールが作る井桁に脚がとられ抜けなくなれば、重大な事態になるでしょう。 そんな危険からわが身を隔てる余裕は、危険検知マットの幅35センチのみ。しかもそのマットはホームの壁に接しており、上に立つと高さ1メートル10センチのホームの壁が密着するように迫っています。かといって、線路間の金網上に立てば、今度はホームとの間隔が1メートル半になってしまいます。 ネット上で議論されたように、線路上に倒れた人を一人で持ち上げホーム上に戻すというのはそれだけでも容易でない作業です。加えて現場は鉄橋上。いったい両足をどのように置けばこんな作業が可能だったのでしょうか。正直なところ不思議です。達成もおぼつかないのに、危険きわまりない鉄橋上に降りるのは、後先を考えない暴挙といっても過言ではありません。テレビでは留学生氏以外の人が見ているだけだったという報告に非難めいたコメントが相次いでいましたが、それが自然でしょう。いや、なまじ跳び降りて、自分まで負傷したり動きがとれなくなって更なる迷惑をおよぼすことも十分考えられます。 ホームから線路に人が転落した。その時あなたは何をすべきか--「線路に降りて救出を試みる」は決して正解でない。「やってはいけないことだ」とはっきり言うべきではないか。なぜそう言わないのか。これがこの箇所を覗き込んでいだいた私の印象です。
2006/06/08

JRとしての取り組みを公開資料により追いかけてみましたが、そのような取り組みが進んだはずの新大久保駅を舞台に、時をさかのぼるような救出劇が報じられました。未だにそのような危険を冒すべき場所なのだろうか---それを確かめたくて、新大久保駅を訪ねてみました。 新大久保駅は山手線のみが停車し、2つの線路の間に1つのホームが設けられています。そのホームを端から端まで歩いて、22個の非常停止ボタンを確認しました。それぞれは1番線用、2番線用と区別され、同じ位置にそれぞれのホームに向けて2つがおかれる配置になっているので11対と言った方がよいかもしれません。 設置の様子は他の駅と同じ。赤い大きな押ボタンが中央やや下側にある黄色い直方体、これが非常停止ボタンの装置で、この装置が屋根を支える支柱に取り付けられています。この装置が設置された柱には上方は鮮やかな白と赤の斜縞模様が施され、遠くからでも識別されるようになっています。また「非常停止ボタン/emergency train stop button」と日本語及び英語で表示された標識板もつけられ、これは正面からだけでなく横からも見えるように工夫されています。 さて、11対ある非常停止ボタンの存在感を特に強く感じた一角がありました。高田馬場方向に出る階段からのホーム北端にいたる部分です。新大久保駅は高架駅で、改札からホームに上がる階段はかなり高田馬場方向に寄っています。そのため、階段を境にした高田馬場側は列車にして2両半分しかありません。階段を上りきったところが3号車中央になります(高田馬場寄りから1号車、2号車…と数えます)。 [参考] 駅ホームの構造はJR東日本のウェブページで見ることができます (トップページ>鉄道・駅のご利用案内>駅構内図>駅名)。この部分を支える支柱は2本の対が7対、14本です。内3対6本に非常停止ボタンが配置されています。感覚的には他に比べ設置密度が高い印象を受けます。より詳しく書くと 2号車第1扉付近、2号車第3扉付近、3号車第1扉付近の3箇所。1つ置きの支柱に設けられています。新宿寄りの部分では大体2つおき、中には3つおきの箇所もあるので、確かにこのあたりの配置はやや重点的です。 そして、こここそが他ならぬ「5年間を飛び越えた運命の感動物語」の現場です。新大久保駅は、途中で道路(大久保通)を横断しこの部分は鉄橋になっています。長さは電車1両分に少し足りない位。その鉄橋が階段を高田馬場方向に上りきったあたりから始まっています。後で述べると思いますが、危険度が格段に上昇するところです。5年前の悲劇はこの危険な鉄橋部分で起きました。そして今回の現場はそこから「5メートルと離れていなかった」と強調されています。 鉄橋部分付近に高密度な配置がなされたのは、少しでも早く作動させ、脱出困難な落下者を危険から遠ざけたいという意識が働いたからでしょうか。あるいは、線路に降りようと決心する前にボタンの存在に気付き思いとどまってくれたら、という期待もあるかも知れません。 ホームから線路に人が転落した。その時あなたは何をすべきか----JRのアドバイスは前回書いたとおりです。この箇所ではそれが少しでも確実に実行できるよう、通常以上の配慮がなされているように感じました。 [改訂履歴]6/8 ・ 『新大久保駅で今回発生した救出劇。』→『新大久保駅を舞台に、時をさかのぼるような救出劇が報じられました。』 ・ 『黄色い直方体のケースが屋根を支える支柱に』→『…直方体、これが非常停止ボタンの装置で、この装置が屋根を…』 ・ 『「非常停止ボタン」と日本語及び英語で』→『「非常停止ボタン/emergency train stop button」と日本語・英語の両方で』 ・ 『3号車中央になります。』→『…なります(高田の馬場寄りから1号車、2号車…と数えます)。」 ・ 『この部分に3対の』→『この部分を支える支柱は2本の対が7対、14本です。うち3対6個の』 ・ 『この範囲に少し高密度な配置が』→『鉄橋部分付近に高密度な…』 ・ 『平均的には1両1対になりますから(山手線は11両編成)』→『1つ置きの支柱に設けられています。新宿寄りの部分では大体2つおき、中には3つおきの箇所もあるので、』 ・ 『道路を横断し』→『道路(大久保通)を横断し』 ・ 『足りない位。後で述べる』→『足りない位。その鉄橋が階段を高田馬場方向に上りきったあたりから始まっています。後で述べる』
2006/06/07
2001年1月26日の痛ましい犠牲が問題にされる中、強く求められたのは「安全な駅」に向けての取り組みであった。そのことを国会での議論を引きつつ紹介しました。これにJR東日本がどう応えたか、少し勉強したことを紹介します。以下は主としてJR東日本のウェブサイト( http://www.jreast.co.jp/ )に拠ります。 事件を契機にホームの安全への取り組みが進められました。前日の記事で紹介したいろいろな安全装置の普及に努めました。非常停止ボタン(前回「…『押』ボタン」としていましたが、駅での表示に揃えます)や転落検知マットなどです。 特に非常停止ボタンについては、それまで職員用とされていたものが大きく位置づけを変えました。私たち乗客にも利用できるようになり、積極的にその利用を呼びかけるようになったのです。その変化は過去のプレスリリース (トップページ>プレスリリース一覧>java script をオンにして「他の年度・期の一覧はこちら」欄で希望期間を指定) で追いかけることができます。 「プラットホームキャンペーン」というものが1999年から実施されていますが、このキャンペーンを案内するプレスリリースを順に読んでみました。 事件前の2000年11月のキャンペーンではその趣旨は「酔ったお客さまに対する注意喚起や、マナー向上等」となっていました。それが事故をはさんだ2002年1~2月のキャンペーンで大きく変わります。「駅ホームでの人身障害事故を防止するため、お客さまの安全を確保する設備の導入を進めていますが、あわせて、駅ホームの安全確保について、お客さまにご理解とご協力をお願いするため、…」とマナー向上に加えてホームでの安全確保が前面に出てきます。更に2003年3月のキャンペーンでは「非常停止ボタンの更なる浸透を図ります」と、非常停止ボタンそのものがキャンペーンの対象に明記されました。 トップページ>取組み・ライブラリー>安全>駅ホーム と辿るとホームの安全に向けての取り組みが紹介されており、非常停止ボタンやへ転落検知マットも紹介されています。そこに、過去のプラットホームキャンペーンのポスターが紹介されています。メッセージは「安全を守る。万一を守る。ホームでの緊急時には非常停止ボタンを!」 ホームから線路に人が転落した。その時あなたは何をすべきか。JRのアドバイスはこのポスターで明らかでしょう。[補足] こうした設備充実への努力が実を結んだ例が残っています。悲劇の年2001年の8月20日朝、他ならぬ新大久保駅でホームからの転落が発生したものの、迫っていた電車は現場50メートル手前で緊急停止しました。転落検知マットが作動し、緊急停止ボタンも押され、周辺の信号が赤に変わったことが奏功したとのことです。7ヶ月前の教訓を受け止めた取り組みが、新たな犠牲者を生み出さずにすんだと言えるでしょう。なお、この例は今回の「美談」をいち早く伝えた朝日新聞、それに続いた毎日新聞の記事で確認しました。[更新履歴]6/8 ・『中、「安全な駅」に向けての取り組みが強く求められたことを』→『中、強く求められたのは「安全な駅」に向けての取り組みであった。そのことを』 ・『1999年から実施されていますが、』→『…実施されていますが、このキャンペーンを案内するプレスリリースを順に読んでみました。』 ・『2001年8月20日の朝』→『2001年の8月20日朝』 ・『緊急停止。』→『緊急停止しました。』 ・ 最後の文『なお、…確認しました。』を追加
2006/06/07
ホームから線路に人が転落した。その時あなたは何をすべきか。とても大切なことです。では一連の報道がその大切ことへのアドバイスとして妥当だったでしょうか。 これまで拝見した意見には「転落した人を見てすべきことは、非常停止ボタンを押して電車を停めることだ」という主張が少なくなりません。私も同意見です。では、テレビなどではその基本が十分踏まえられていたでしょうか。 これから述べることの中心はそこにあります。 まずは、いささか唐突ながら国会議事録を見てみました。最近は国会議事録を簡単に閲覧することができます。検索してみると「第151回国会 衆議院国土交通委員会 第2号(平成13年2月23日(金曜日))」なるものが出てきました。 1月末の新大久保での悲劇から日も浅く、対策を問う質問が相次いでいました。「…我々は貴重な教訓を学び、二度とこういうことがないようにしていかなければなりません。」(赤城徳彦委員の質問から)まことにごもっとも。そして事故後に出された転落防止策、またその実施状況に関する質問が各委員から出ています。 具体的には非常停止押しボタン、転落検知マット、退避用スペース、線路ホーム間のステップ、更には可動柵、これらの整備を多くの委員が求めました。要するに、(1) 転落そのものが発生しない、(2) 発生したら電車を停め危険を除去する、(3) そして速やかに脱出できるようにする、それらのための対策の実施が要求されていたわけです。 誰から危険にさらされながら線路に降りなければ助けられない--そんなことが「二度と…ないように」これが共通認識であったと言えるでしょう。 では、国政を議論する場でそんな議論がなされた5年後の新大久保の姿はどうか、実際に立ち寄ってみて次回報告致します。-- 改訂履歴06/07 題が「新大久保での救出劇」となっていましたので、駅の字を加え他と揃えました。06/08 『大切こと』→『大切なこと』 『これから述べることの中心はそこにあります。』→(文の位置変更)
2006/06/06
5月21日(日)早朝にあった「少しいい話」を、2週間以上経って取り上げます。「韓国人留学生、女性を救出 同じ新大久保駅 亡くなった李さんの後輩」などとして24日夕刊から28日にかけて大々的に取り上げられた件について。 この美談は、明るみに出た翌日(25日木曜日)いくつかのテレビで取り上げられ、どのスタジオも救出した留学生氏への賛美で塗りつぶされました。加えて「その間20名位いた日本人は何もしなかった」という留学生氏の談をもとに、日本人への非難を出汁(だし)に韓国の人を賞賛するという、昨今ありがちな構図が展開され、その取り上げ方への疑問の声が相次ぎました。特に、5年前の事件が事実と異なる描写をされたことには、強い憤激をよびました。掲示板などでなどでの意見・情報交換では、そもそもこんな出来過ぎた話が本当に起きたのだろうかという疑問も当然ながら持ち上がり、確認・検証が進むうちに信憑性に疑問を投げかける材料が続出、マスコミは28日(日)あたりから早々にこの話題から撤退し沈静化を待つ気配、といったところが現状でしょうか。 私がこのことを知ったのは週末を前にした2日夜。それ以来心の中からもやもやしたものが消えません。週末のかなりの部分をこれに関する情報を探るのに費やしました。気になった理由はひとつではありませんが、最も大きいのは、上に書いたような報道ぶりへの疑問です。 ・ ホームから転落した人を線路に飛び降りて助け上げた人がいる。 ・ その人は韓国の留学生だ。 ・ そうだよな、日本人にそんなことする人はいない。現に5年前のあのときだって… ・ だから、韓国とは仲良くしないとね、 ・ そういえば5年前のあの事件、映画になるんだ。楽しみだね。25~28日頃の典型的な取り上げ方を私なりに要約すれば上のようになります。それがこの件の扱いとして適切なものなのだろうか。留学生氏はこの行動の動機を語った際「生命は大切だから」と述べたようだが、ではこの件に関する報道振りは本当に「生命を大切」にしているだろうか。これからおそらく数回にわたり、この件に関し粘着的に論評する理由はそのあたりにあります。改訂履歴06/07 ・ 本文1行目にも表題がコピーされていたのを除きました。 ・ [旧]5年前の事件が事実と異なる描写をされたことには、 → 1字削除して『ことは』 ・ 『掲示板などで意見が交わされるうちに、』 → 『…などでの意見・情報交換では、』 ・ 該当映像確認の上、訂正しました。 [旧]動機を語った際「命は大切ですから」と述べたそうだ(まだ確認してません)が、 [訂正]「生命は大切だから」『述べたようだ』に修正、『(まだ確認してません)』を削除 ・ 連動して『「命を大切に」しているだろうか。』 → 『「生命を大切」に…』
2006/06/06
1月ぶりに立ち寄ったデパートで遭遇した「和三盆ロール」を買うことができました。初めて見たときは、出先に向かう途中。何気なく立ち寄った地下では中国・四国の食品が並ぶイベントが開かれていて、「和三盆ロール」はその一角で売られていました。興味はありましたが、ケーキは要冷蔵、こちらは仕事中なので断念。「和三盆 → 香川・徳島が産地 → このケーキはイベント限定」と勝手に連想が働き、おまけにケーキには「限定」との表示もあったため、もう売っていないものと思い込んでいました。 ところが今日再び地階を歩いていると、見覚えのある箱がいくつも並んでいました。考える前に手が伸びて… 「和三盆ロール」はいろいろな店で作られているようですが、今日買ったのは叶匠壽庵という和菓子屋さんのものでした。洋風和菓子というか和風洋菓子というか、生地はきめ細かくクリーム部分の味は上品で、和洋が微妙に溶け込んだ繊細な味。半ばあきらめかけていた限定販売(ただし季節限定です)のケーキを口にすることができた幸運をじっくり味わいました。
2006/06/02
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