全5件 (5件中 1-5件目)
1
シューベルトのハ長調交響曲について思い出を書いた機会に、この曲について感じていることをまとめてみました。 以前から好きな曲の一つでした。初めて聞いたときからスケールの大きさと、シューベルトでなければ書けない魅力にあふれた旋律を併せ持つことに惹かれていました。シューマンがこの曲を発見した直後に執筆した紹介文を知ったときには、それまで漠然と感じていたこの曲の魅力が文章化されているような気がして、うなずきつつ読んだものです。 自分なりにこの曲の魅力を要約すれば、大きな器の中に、美しい素材がいっぱい盛りつけられているところ、というでしょう。緻密な展開といった、糸を織り上げるような技の跡はあまり見られませんし、所々には、詰め物的な部分と感じるところもありますが、のびのびとしたおおらかな配置が他の曲にない魅力に思えます。 他方、感興の赴くままに無秩序にばらまいたとも言えず、例えば、付点リズム、同音反復がこの曲の全楽章を通じて満ちあふれており、これらの単純な音型が曲全体の統一感も与えていますし、時には非常な効果をあげていて、工夫が空回りしてはいないという手ごたえを感じます。 第1楽章冒頭の旋律がそれ限りにならないのも、個性的です。提示部の第2主題部後半では、同じ音型が繰り返されこの部分の頂点に至りますが、この音型は序奏主題の重要な音型(第2小節等)と共通しているように思えます。この部分は展開部でも再登場しますが、こうした扱いは冒頭の旋律を第1主題より優先して展開と終結に活用した「未完成」第1楽章と共通しており、興味深いところです。 興味深く思っていることをもう一つあげると、トロンボーンが実に自然に使われていることです。ベートーヴェンにとって、トロンボーンが、ここぞというところで用いられ、劇的な効果を上げていたのに対し、シューベルトは、「未完成」やこの曲でそうした気負いを持たずに、他の楽器と同じ扱いをしているように思えます。また、「未完成」での役割が低音や和声に徹していたのに対して、この曲では、トロンボーンの持ち味を生かした扱いが目につきます。例えば、第1楽章で先に触れた音型を単独で繰り返しているのはまさにこの楽器ですし、第2楽章の中間部で低音を弦楽器と交替で奏でるところなども、斬新な使い方だと思います。 そうした技術的なところもさることながら、やはりこの曲ならではの胸が熱くなるようないじらしさや、より高いところを仰ぎ見るようなあこがれが、そこここに感じられることが、私にとって、何度となくこの曲を聴いてきた最大の理由といえそうです。忘れられない箇所となった第2楽章の中間部だけでなく、第3楽章のトリオ、第4楽章の展開部(第2主題が低弦とトロンボーンで強奏されるところなど)など。 これからもこうした所に出会いたくて、この曲を何度も聴くでしょう。
2006/01/08
この場所での暮らしの終わりに備えて、準備に少しづつ手をつけながら、ふと考えることがあります。この地でやり残したことはないか、戻ったらどんなことが起きるだろうか、などなど。 そんなことを考えながら思い出すのは、2度目の海外勤務のことです。 帰国後、1つの曲が私にとって特別なものになりました。シューベルトのハ長調交響曲。7番→9番→8番と番号が変遷した最後の大交響曲です。 あのとき、任地は緊張状態にあり、持参できるものにも限りがありました。そのため、結果的には赴任時を通じ、音楽を聴くことを封印することとなりました。 帰国して、音楽に接する機会もふんだんにある生活にもどりましたが、赴任前とは比べ物にならないくらい醒めてしまっていました。CDを聴く気にもなれず、ましてや新しいものを買う気にも、演奏会に行く気にもなりません。あれほど好きだったのに自分はどうなってしまったのだろう。自分のどこかが乾いてしまったのだろうか。そんなことを思いつつ寂しさを覚えてしまいました。 2~3ヶ月後、CDショップに行けば気が変わるかも知れないと、足を運びました。あれこれと手に取りながらも、心引かれるものに出会うことなく、時が過ぎていきました。 ふと流れている曲がシューベルトのハ長調交響曲であることに気づきました。第1楽章が終るところで、すぐに第2楽章が始まりました。何年ぶりに聴くだろうと考えつつ、あの有名な主題に耳を傾けました。中間部に入ったとき、不意に心の中に何かが流れ込んでくるような感じがしました。自分の中の乾ききったところがうるおされていくような感触。それを感じながら、ああ帰って来たんだと、今更ながら思いました。 その後も、音楽との距離が元通りになるには時を要しましたが、そのきっかけを作ってくれたこの曲への思いは、以前と比べ物にならないほど深くなりました。 今回は、あのときのような制約もなく、音楽との間に断絶はできていないと自分では思っています。戻ったあと、何かの曲が忘れられないものとなるでしょうか。 ※ あのとき流れていたのは、ワルター指揮コロンビア交響曲団の演奏だったと思います。
2006/01/08
眠れない布団の中で、戻ってからのことを考えていました。はっきり姿がみえない仕事のことをあれこれ思いつつ、どうどう巡り。ふと通勤のことを考えたときに、思い当たりました。あそこに通うのなら、経路にある図書館も近い。とたんに、目をつぶっているのに視界が明るくなった気がしました。そうだ、この駅のあたりには1つあるはず。あの駅にも。通勤時に閉まっているかもしれないが、休みの日に足を伸ばしていってみよう。では、切符ではなく定期にして…少し、高揚(?)してきたせいか、眠れなくなってしまいました。寝酒の習慣を絶ってからこういうことがときどき起きます。起き上がったり、テレビをつけてみたり、無駄な行動をとってしまいますが、効果があるわけもなく、時間がどんどんたっていきます。あれこれしているうちに、頭の片隅に何かもやもやしたものが浮かび始めました。おや、眠りの兆しかと思ってみましたが、その状態からなかなか進みません。どれ位時間がたったか、今度は全身に温まるような感触が広がってきて、どうやら、そのあとしばらくして眠りについたのだと、目ざめた今(翌朝)になって思います。そうか、こんなふうにして眠りにつくのか、この歳にしてはじめて知った。などと、下らぬことを考えました。つまりこうなったときが、眠ってしまう前兆なので注意をすればいい、という訳には参らず、昼間はいつ眠ったかわからないうちに居眠り状態に陥ってしまうことが普通で、注意をする余裕がありません。昼と夜が逆ならいいのに。体内時計が望ましい姿とは逆になっているようです。
2006/01/06
住居に戻る新幹線、唯一の降雪地帯にかかり、いくつ目かのトンネルをくぐると、光景が一変していました。空はどんよりと曇り、山沿いには霧らしきものがかかっていて、風に流されています。霧に見えたのは雪で、少し進むと線路の周辺にも雪が舞い始めました。周り一面ははそれまでに積もった雪が覆い尽くしています。疾走する列車から眺める光景は別世界を覗くような気分。厚いガラスで隔てられた私達には外の寒気は届きません。15分くらいで雪は止み、やがて積雪もかけらしか残っていないそれまでの光景が戻ってきました。雪に苦しむ人たちに思いをはせる間もないつかの間の雪景色。先月の緩行列車とはまるで違う現実感の乏しさを伴って、印象に残りました。やがて列車は遅れることもなく目的地に到着。乗り換えを重ね、生活の場へと戻っていきました。今は鮮明なあの光景の記憶も、やがて日常生活に埋もれていくでしょう。
2006/01/03
再放送された「新選組!」総集編を最後の少しだけ見ました。 このドラマに初めて接したのは、この地にやって来た一昨年のある日でした。すでに話は或る程度進んでいました。 始まりの印象が強烈でした。あっけらかんとした音楽にとまどっていると、途中から合唱が入ってきたのに「え?」、と思うまもなく朗々としたテノールの独唱まで加わってきて頭がかき回されるような気がしました。 そのテーマが妙に頭にこびりつき、数回に1度みる程度の不熱心な付き合いを続けました。殺戮と陰惨な粛清の物語には、正直なところあまり深入りする気になれませんでした。 しかし、終幕は印象的でした。まわりはまだクリスマス前のきらびやかに満ちているとき、静けさの漂う終焉の場面が流れていました。それを見て美化しているなあと思う一方で、新しい場所での1年を回顧する自分。色々なことがあったが、もうすぐ一区切り、そんな感慨を増幅してくれるドラマの雰囲気が心に染みました。 そして、今回は、ここでの生活にも終わりがやってきそうだ、そんな予感を覚えながら見ました。1年前の印象を思い出し、またこの1年に起きたことも回顧していました。信念を曲げず敗れ去った者と時流に乗り勝ち誇る者へと明暗を分けた出来事が、現実にもあったのだと思い返しつつ、少し感傷的な気分に浸りました。 ストーリーと無縁なところで思い出に残るドラマになってしまいました。
2006/01/03
全5件 (5件中 1-5件目)
1

