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年越しまでに20000カウント達成しました。ありがとうございました。この「アイデア&インプレッション」を始めたのが、10月26日でした。そして、11月27日には10000カウント。12月28日には、ついに、20000カウントを達成。たった2ヶ月ですが、その間に、いろんな人と新しい出会いがありました。実際にお会いした人、まだ、お会いできていないけど、会いたいと思う人、いろいろ書き込んでくれた人などです。そして、このページに書こうと、いままで以上に、日ごろの生活に注意して、行動したこともあり、いままで、軽く通り過ぎていた事も、出会いとなりました。そういう、ことで、本当に皆様に感謝しております。2004年もよろしくお願いいたします。なお、どのようにしてアクセスを増やしたかについては、http://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diaryold/20031127/ をご覧ください。
2003.12.31
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日本昔話では、老夫婦が素晴らしい人材を作る有名な話が多い。昔話の定番の始まり方は「むかし、むかし、あるところに、おじいさんと、おばあさんが、おったとさ」である。そのような話は、桃太郎、一寸法師、竹取物語など、数限りない。ところで、なぜ、老夫婦なのだろうか、考えてみたことがあるだろうか。いままで、あまり意識して読んでいなかったが、今回は、その謎について考えてみた。まず、老夫婦の存在についてを考えてみたい。今の日本は、世界有数の長寿国である。しかし、昔話であるから、当時は、寿命が短かった事を考えると、老夫婦という事は、生きるための能力に長けていた人々と考えられる。多くの話は、子供のいない老夫婦が、いきなり、子供を授かってしまう話しである。つまり、生きるための能力といいつつも、生殖能力は高くないといえる。当時の結婚は、今の恋人という、婚前交渉が一般的ではなく、現代のアメリカのように、週に2回セックスをしないと、離婚の原因となるとは言わないが、結婚=セックスパートナーとする関係でもある。しかも、多くの昔話に出てくる老夫婦は、仲むつまじい姿が描写されているので、おそらく、セックスはしていたけど、子供に恵まれなかった。要は、生物的に、生殖能力があまり高くなかったと言える。また、老夫婦は、すでに、閉経している事が考えられる。生物は、命を繋ぐために生きているという面が多い。多くの動物は、生殖能力を失ったら、すぐ死を迎えるものが多い。鮭が、産卵後に死んでしまったりするのも。蜻蛉も、タマゴを生める貴重な時期は一瞬で、すぐに死んでしまう。人間に近い、サルの仲間でさえ、生殖能力を失うと、死期は近づく。しかし、人間は、閉経後も、何十年生きる。下手すると、人生の後半は、生殖能力を持たずに生きる。これは、人間の象徴とも言えるのではないだろうか。つまり、昔話に出てくる、老夫婦は、人間の象徴なのである。つぎに、主人公なり主人公を育てる老夫婦は、「知恵者」である。「知恵者」とは、知識を持っている人ではなく、考える事のできる人である。「知恵を持っている」=「知識をもっている」というイメージがあるが、「知恵」とは、情報を持っているという事ではなく、自分で考える事ができるという意味である。「知恵を絞る」という言葉があるが、これは、考えるという意味だし。「知恵を集める」というのは、情報ではなく、いろんな人の考えを集めるという意味である。よく、昔話しに出てくるキャラクターとして、良い老夫婦に対して、すぐ真似をする欲張り老夫婦が出てくる。この欲張り夫婦は、最後は失敗します。その失敗する理由は、情報を過信し、物事の本質を理解せぬまま、しかも、自分で何も考えないで、安易に真似をする事で、失敗をしてしまう。さらに、真似をする老夫婦価値基準は、本人の価値基準ではなく、他人から見て、どう見えるかに置かれている。よい老夫婦の成功を見て、それと同じように、いや、それ以上に"見られたい"がために、対抗し真似を始める。つまり、自分で考えて物事を始めたのではなくて、他人にどう見られたいかという事が、行動の原点となっている。一方、いい老夫婦は、自分で考える能力を持っている。しかも、他人に、どう見られているかもあまり考えていない。たとえば、桃太郎では、大きな桃が、上流から流れてくるわけだが、普通、そういう怪しいものが流れてくると、怪しくて手を出さない。それを、安全に、家に持ち帰り。調査をする。そうすると、中から、桃太郎が出てくるわけだ。桃から生まれた子供にしろ、光った竹から出てきた子供なんかは、不気味な存在でしかない。しかし、自分の価値観で、判断し、育て始めるのである。さて、桃太郎にしろ、一寸法師にしろ、素晴らしい人材が育つわけだが、それは、出生の秘密が特異だったから、それだけで、そういう人材になったとは思えない。それは、自分で考え、自分で判断をする人物に育てられたからこそ、素晴らしい人材に育ったのではないかと思う。しかし、昔話の多くは、老夫婦が、どのように育てたかについて、多くは語ってはいない。それは、自分で考えろという事なのであろう。もし、ここで、いい老夫婦が、育てたケーススタディを、物語として伝承してしまうと、マニュアル化してしまうのである。それは、情報を鵜呑みにする物真似をする老夫婦を増やすことになるからではないのだろうか。さらに、いい老夫婦は、考える力つまり「知恵」を持っているだけでなく「孤独力」を持っているとも言える。物真似の老夫婦のように超コミュニケーションに動じてしまうことはなく、いい老夫婦は、他人の評判に動じない「孤独力」を持っている。子供がいない夫婦は、村人など、まわりの人には、生物的には、劣っていると思われる。それにも、動じない、独自の生き方を持っているのだ。そして、独自の生きたかを持っているからこそ、不思議な出生の秘密を持っている人物が、屈折をせず育つ。それが、素晴らしい人材となるのである。昨今は、お受験などが流行っている。社会システムの問題もあるが、他人の評判を意識して、お受験をしている人もいるのではないだろうか。また、子供のファッションも、私の子供の頃に比べ、格段にファッショナブルだ。しかし、それは、他人に、いい家族に思われるために、着せているという事はないだろうか。これらの現代のいわゆる、豊かな生活をしている「いい夫婦」は、一見、昔話の、真似をする悪い夫婦のようには見えないが、本質的に、他人からどう見えるかを中心に行動しているわけで、昔話の真似をする夫婦と変わらない。情報化が進み、超コミュニケーション社会の中で、いまこそ、周りの評判に動じない「孤独力」を持ち、じっくりと、育てたいものだ。最近は、様々な絵本が発売され、テレビやビデオも発達し、子供に日本の昔話しを読み聞かせる事が減ってきているように思う。だが、日本の昔話の中に、狭い国土の中で生きていく秘訣が隠されている。それは、「人間の知恵」の大切さや、老夫婦の他人に動じない「孤独力」を持った生き方なのである。いまいちど、違った視点を持って、昔話を読み直してみてはいかがでしょう。
2003.12.30
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日本人は、塩分を取りすぎると言われています。それが、肥満の原因の一つって、知ってました?塩分は、いわゆる、ナトリウムの事を指しているのですが、その、ナトリウムは、血管を細く縮める作用があるのです。血管が細くなると、寒い時に、血が流れない事によって、体温を逃がさないという効果があります。だから、よく、東北地方など寒い地域では、塩分の摂取が多いと言われているのは、寒くて、体温を外に逃がしたくないために、塩分を取るからなのです。しかし、ナトリウムは、血管を細くすることにより、血の流れれが悪くなり、常に体をリフレッシュさせる能力が落ちてしまうという欠点があります。そして、それが、結果として、細胞に、悪いものが残ってしまう事につながります。その細胞に残った悪いもののひとつが、あの脂肪だったりするわけです。この血管を縮めるナトリウムに対して、血管を広げるのが「カリウム」です。カリウムは、ナトリウム拮抗することによって、細胞内の水分の出入りをコントロールをする役目を持っています。このあたりをうまく、摂取すると、水とともに、痩せやすい体になるのです。カリウムは、野菜や果物に多く含まれているといわれています。よく、ダイエットするときに「野菜を食べなさい」といわれるのは、カリウムの摂取を目的にしているものだと考えられます。さて、英語を喋る人に「カリウム」と言っても通じません。英語では"Potassium"という言葉になります。この"Potassium"と似たような単語で、飲み物を意味する"potable"という言葉があり、料理用語のフランス語である「ポタージュ」も、同じ語源だと考えられます。そう、カリウムは、とても、水に溶けやすい元素なのです。カリウムは、野菜や果物に多く含まれているとはいえ、水に溶けやすいため、調理方法によっては、水に溶けたまま、流れ去ってしまい、摂取しにくい物質となるのです。しかし、答えは、言葉の中にあります。「ポタージュ」そう、野菜スープにしてしまえばいいのです。ミネストローネなども、塩分が多かったらスパイシーにすることで、ナトリウムを減らすことも出来ます。私は、よく野菜スープを作ります。とはいえ、やっぱり、肉の成分がないとおいしくないので、肉類も使います。まず、カレー用の牛肉を少量、鍋で軽く炒め、そこにタマネギを刻んだものを入れさらに炒め、下味を作ります。そして、適当にいろんな野菜をぶち込んで、水を入れ、とにかく、ぐつぐつと煮ます。香辛料等で味を調節して出来上がり。名前はないです。トマトと豆が多いと、ミネストローネ風にもなります。手軽に作れるので、よく作ります。バリエーションとして、牛肉の量を増やして、水のかわりに、黒ビール、時々、余った赤ワインを追加し。そして、野菜や、干しプルーンを入れると、黒い大人の味のビーフシチューというご馳走にもなります。また、林檎ジュースなどにもたくさん含まれていますし、ドライフルーツにも多く含まれています。とにかく、日本人が過剰に摂取する、ナトリウムや、炭水化物を減らし、ダイエットできる体にするのに有効です。そうそう、スポーツ飲料を選ぶときも、ナトリウムは、元気を出す成分でもあるので、どうしても多く含んでいます。しかし、ナトリウムは、血管を収縮させるので、酸素を細胞に送ったり、細胞の老廃物を外に出す機能を低下させます。そこで、カリウムの多めのスポーツドリンクをオススメします。ポカリスウェットや、最近のダイエットに効果的なアミノ酸系では、燃焼系アミノ式には、ほかに比べて多く含まれています。ただ、ポカリスウェットなどに使われているカリウムは、カナダの鉱山で取れた化石になったカリウムなので、ちょっとびっくりしてしまいますよね。これは、野菜などを育てる肥料にも使われているみたいですよ。とにかく、このようなスポーツ飲料などの、成分表示を見るとき、カリウムが多く含まれているか、注目してみてください。意外と、表示されていないし、量が少ないので驚いてしまいます。カリウムに注目することで、痩せる事のできる体に。
2003.12.29
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4年前、関西から東京都の北多摩地区に引越してきた時。まず、驚いたことがあった。それは、道路沿いに「うどん屋」の看板が、意外に多い事だった。いや、正確に言うと、行くところ、行くところに「山田うどん」があるのだ。1杯の値段の安さがウリの看板につられて、そのうちの一軒に入った。店は、そんなにキレイに整備されていない、大きめの駐車場の中にあった。入り口は、寒さを防ぐために2重扉になっている。そして、ISO9001取得というステッカーも貼られている。店内に入ると、カウンターとファミリーレストランのようなテーブルと椅子であった。たぬきうどんを頼んだ。それは、まさに関西人の嫌がる「うどんが黒くなるつゆ」で、うどんは、コシがあるのかないのかわからない、いわゆるソフト麺系であった。関西人からすると、まずいうどんという印象、これが「山田うどん」デビューだった。しかし、それが、後に「山田うどん」にはまるとは、この時予想だにしていなかった。この「山田うどん」に、はまったのは、天ぷらを乗っけてからだった。どんぶりの大きさより、ほんの少し小さく作られた、大型の掻き揚げ天ぷらである。これが、じつにうまい。掻き揚げの中に入っている、エビ?やタコや様々な野菜が、つゆに次第になじんでゆき、最初はマズイと思っていた、カツオ系で醤油で黒々とし、直線的な味しかしない、つゆが、複雑ななんとも言えない味になっていくのである。その、味の混じっていく過程が、毎回、微妙に、ほんの少しずつ違うみたいで、これが飽きさせないのである。また、サイドメニューや丼ものや定食も充実していて、コロッケ、アジのフライ、カレー、トンカツ、とうふ、掻き揚げ丼、牛丼、キムチ丼、親子丼、モツスタミナ丼・・・・。パンチ・・・何者?そして、麺も、温かいもの冷たいもの、ザルから選べる上に、トッピングも自由にできる。確かに、組み合わせではあるが、毎日違うものを頼む事ができる。そういう事もあるのか、いままで、山田うどんのどの店でも、お客が自分ひとりになった事はない。常に、お客が途切れないのである。そばのイメージのある関東でも、日常生活に、うどんが溶け込んでいる証拠でもある。3年ほど前のある日、所沢の近くを走っていると「山田うどん研修センター」という看板が目に付いた。そして、店の横には、山田食品産業株式会社と書かれている入り口がある。どうも、ここが、山田うどんの本店らしい。今は、なくなってしまったが、山田うどんの素材がそのまま買える店が駐車場を挟んで向かい側にあった。ここでは、山田うどんで使われている、めん、つゆ、おかずのレトルト、揚げたての天ぷらなどが販売されているほか、通信販売用の「瑞豊」なる、乾麺や、そば打ち、うどん打ちの道具が販売されていた。さて、この「瑞豊」が、けっこう、うまいのである。普段の山田うどんのソフトな麺とは違う、コシ、ツヤのある麺なのである。これは、うまい。最近は「玄いうどん」なるものも、売られているが、まだ試したことはない。ただ、埼玉のうどんらしく、しっかりと小麦の味のする、満足感の高いうどんに違いないだろう。直販の店こそなくなったが、山田うどんの本店は、山田うどんの最新のサービスと、様々なチャレンジが見てとれる実験店舗でもある。時々、他店にはないメニューがあるなど、ぜひ行ってみたい店である。その山田うどんには、チェーン店とはまた違った一面がある。それは、麺の卸である。山田うどんの麺は、学校や施設などの給食などにも供給されているのである。現在のホームページからは、記述がなくなっているが、山田うどんは、給食などで使われている「ソフト麺」を作り上げた会社でもあるのだ。「ソフト麺」は、うどんではあるが、子供から老人にまで食べることのできるように、やわらかく、噛み切れる面であるが、煮込んでも、麺が崩れないという特徴がある。しかも、消化にもいい。ソフト麺は、讃岐うどんブームで、麺にはとにかく、コシとツヤを求められるが、それとは、違う発想の麺であり、低い評価を受けるかもしれない。しかし、ソフト麺の特性から、生まれて初めて口にする麺であり、もしかすると、病院や老人福祉施設で、人生最後に食べるかもしれない「うどん」は、ソフト麺である可能性が高いのである。山田うどんは、多くの人に、安定して、やさしい麺作りをしている会社なのである。そして、埼玉県や北関東を中心とする、小麦文化地帯のうどん文化の底辺を支えている。たかが、山田うどん、されど、山田うどんなのである。 山田うどん本店
2003.12.28
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駅前の本屋に行くと、9月から4ヶ月にわたって行われた、ファシリテーションのワークショップを共に学んだ、コーチングの吉田典生さんさんの新刊が平積みされていた。題名は「40歳からの人生を簡単にする99のコーチング」(講談社)という。むむっ、最近、似たような題名の本を読んだぞと思い、近くを見回すと「40歳からの「バカになれる脳」の鍛え方」(高田明和:講談社)という本が目に入った。この本は、今年流行の「バカ本」の一冊ではあるが、自分的には、養老孟司の「バカの壁」よりも、読みやすく、具体的で、分かりやすいという感想を持っていた。この本は、「本当のバカ」になる事によって、利口な人より、よい事をする、良い仕事をするようになり、壮年期、熟年期という、人生の正念場を向かえ、自分の能力を衰えさせることなく、逆に、自分の能力を向上させる事を目的にしている。「ケータイを持ったサル」(正高信男:中央公論新社)では、40歳を越えると、社会的賢さを失いやすく、しかも、専業主婦など、自分や身内だけの生活をしていると、その社会的賢さの低下、つまり、ある種の脳の老化が早まるという事を、実験の結果で出ていると書かれていた。これを、解決する方法として、高田氏は、この本で、平常心を保つことが、セロトニンが分泌され、脳の活動を活発化させることを提案している。ただ、この平常心は、妄想や欲望を減らすことであり、これは、時によっては「バカ」に見えるというのである。この「バカ」に見えるという事は、岩月謙司の「女は男のどこを見ているか」(ちくま書房)に、その「バカ」に見える状況が記されている。たとえば「賢人なのに、どこかひょうひょうとしている」・・・・。そして、平常心というところからすると、これは「孤独力」と大きく関係するように思う。こちらは、別の日に詳しく書いているので割愛する。とはいえ、「40歳からの「バカになれる脳」の鍛え方」の著者である高田明和が、一年前にしかも、同じ出版社から「40歳をすぎてからの賢い脳のつくり方」という本を出しているというのが、ちょっと、面白い。これは、今年の「バカの壁」で大きく盛り上がった「バカ本」ブームがいかに、出版界に大きく影響したのかがわかる。「バカの壁」以降の「バカ本」の特徴は、「バカをバカにする本」以外の「バカ本」が多く出版されている。それは「バカをバカにする本」以外の「バカ本」を読者に認知されたという事である。これで「バカ本」の幅が広がり、ブームになった。さて「40歳から」本は、楽天ブックスで検索すると、177タイトル。そして「40代から」本は、128タイトルが検索され、合計300タイトルを越えている。特に、ここ数年積極的に出している出版社は、講談社と主婦と生活社である。1999年以降、この5年間で、講談社は、なんと27タイトル、主婦と生活社も20タイトル出している。次いで、PHPと青春出版社がそれぞれ3タイトル、小学館、光文社が2タイトルという事から見て、この2社がいかに力を入れているかがよくわかる。まず、主婦と生活社であるが、「40代から、もっときれいになる本」という人気シリーズがある。これは、1999年10月に最初のものがでてから、最新のものでvol.15を数えている。他の5冊の「40歳から」本は、そのバリエーションと言っていい。とすると、「40代から」本の仕掛け人は、講談社ではないだろうか。1999年以前にも、講談社は「40代から」本を出していたが、タイトルを見ていると、このあたりから「40代から」本のテーマが変化してきている。1999年以前の「40代から」本は、ゴルフの上達術も含め、身体の衰えに対応するものと、資産運用なども含め老後の備えというテーマのものが多かった。しかし、1990年代は、バブルが崩壊した後で、リストラという流行語のもとに、本来のリストラクチャリングとは全く違う、ただのクビキリが横行し、終身雇用制度が崩壊した。もう、40代から定年後の生活など考えられない。そこで、あたらしい概念の「40代から」本が必要になったのだ。その一つの切っ掛けは、1996年の「40代からの知的生活術」(現代情報工学研究会:講談社)ではないかと思う。この本は、帯に「「心と精神の人間ドック」で、知的に充実したライフスタイルを」と書かれている。わたしが、この本に出会ったのは、偶然のことだった。それは、2年前、この本の著者となっている現代情報工学研究会の方から、ある取材を受けた、サンプルとして頂いた。「知的生活術」シリーズは、人気があり、この本で4冊目となるが、2年前までに、既に通算で30万冊を売っていた。きっと、今なら、さらに何万冊かは上乗せされているだろう。その「知的生活術」シリーズに変化が訪れたのは、1999年7月にPHPより発売された「40代からの知的時間術-価値ある自分人生をつくる77のヒント-」の登場であろう。この本は、今は、品切れとなり、楽天ブックスでは、入手不可能。これは、講談社にとっては、脅威だったに違いない。まず、人気シリーズだった「知的生活術」シリーズの当時の最新版とタイトルが酷似している。その年の6月に出した「40歳からの快適居住学-「長生き人生の家」6つのおさえツボ-」という本より、新しいコンセプトで本が作られているという事である。しかも、それが、自社の本の題名とそっくりだから、たまったものではない。しかし、同時に、この本の発売は、自らの先見性を証明される形となった。また、同年の10月には、主婦と生活社の「40代から、もっときれいになる本」が、ヒットを放つ。これも、40代から、自分を見つめなおし、精神的な充実を図ろうという企画と共通している。そこで、翌年から本格的に「40代から」本をシリーズ化したのではないだろうか。それは、知的生活をすることで、今を楽しく生きるためのヒントを提供している。別に、講談社の肩をもつもりはないが、けっこう面白い本が多いので、書店などで、手にとってみてもいいと思う。★参考文献★40歳からの人生を簡単にする99のコーチング著者:吉田典生|出版社:講談社|発行年月:2003年 12月 ISBN:4062722321|本体価格:880円40歳からの「バカになれる脳」の鍛え方著者:高田明和|出版社:講談社|発行年月:2003年 10月 ISBN:4062722216|本体価格:740円40歳をすぎてからの賢い脳のつくり方著者:高田明和|出版社:講談社|発行年月:2002年 09月 サイズ:新書|ISBN:4062721554|本体価格:880円バカの壁著者:養老孟司|出版社:新潮社|発行年月:2003年 04月 サイズ:新書|ISBN:4106100037|本体価格:680円 ケータイを持ったサル「人間らしさ」の崩壊 著者:正高信男|出版社:中央公論新社|発行年月:2003年 09月 サイズ:新書|ISBN:4121017129|本体価格:700円 女は男のどこを見ているか著者:岩月謙司|出版社:筑摩書房|発行年月:2002年 09月 サイズ:新書|ISBN:4480059644|本体価格:720円 40代から、もっときれいになる本(vol.15)著者:―|出版社:主婦と生活社|発行年月:2004年 01月 サイズ:ムックその他|ISBN:4391617749|本体価格:880円 40代からの知的生活術著者:現代情報工学研究会|出版社:講談社|発行年月:1996年 09月 サイズ:文庫|ISBN:4062561514|本体価格:583円 40代からの知的時間術価値ある自分人生をつくる77のヒント 著者:野村正樹|出版社:PHP研究所|発行年月:1999年 07月 サイズ:文庫|ISBN:4569572901|本体価格:533円 ※12/28現在楽天ブックス品切れ
2003.12.27
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今回の年末年始は、ゴミの回収日の日程が悪く、早い目に大掃除をした。私の住んでいる地区は、燃えるゴミが、水、土で、不燃物は、木曜日である。そのおかげで、年末は、燃えるゴミが12/27(土)、燃えないゴミは、12/25(木)が最終。年始は、燃えるゴミは1/7(水)、燃えないゴミは1/8(木)が最初。つまり、燃えるゴミは、10日以上、燃えないゴミは、まる2週間出せないのだ。これは、狭い家に住んでいる者としては、長期間ゴミが出せない事が、生活空間を脅かしかねず、とても、リスクが大きい。そういう理由で、あわてて、早めに大掃除を始めたのだ。普段、そんなにこまめに掃除をしないのに、いざ始めてしまうと、これが、萌えるではなく、燃える。えいやぁっと、捨てる、捨てる。風呂掃除なら、目地の汚れを落とす落とす。台所の油汚れや、窓枠の汚れも、トイレも、ゴシゴシゴシゴシ。実に快感である。日頃のフラストレーションを解消しているようにも思える。しかし、この燃え方、何かに似ているような気がする。それは、その場にいない人の悪口を言って単純作業をする時の感覚である。不思議なもので、人の悪口という、普段言えない、ある種の怒りを表現することで、ふだんならいやな、単純作業がはかどってしまうのである。ほらほら、掃除の時、汚れに対して、心の中で「えいっ!えいっ!この野郎!!」などと、小さくつぶやいて、ゴシゴシ磨いているときがあるでしょう。まさに、あれも、怒りの表現である。また、これと似た感覚は、梱包材に使われている、エアキャップを、プチッ、プチッと潰す快感とも似ている。なんとなくのものも含め、気に食わないものに対し、怒りの感情を持ったり、それを行動に移し、排除すると実に楽しいのである。人は、怒りの感情を表現するとき、脳内で、いわゆる「脳内麻薬」を発生させるそうである。それは、怒りは、ある種の快感を呼び起こすわけである。これは、普段言えない事を言った一瞬に「やった」という喜びを感じる、まさにそれである。大掃除も、普段、できない事を解決し、汚れやゴミに対し、ある種の怒りをぶつけることで、快感を得ているのではないであろうか。それが、大掃除の時に燃えるということに繋がっているように思う。さて、大掃除に活躍する、怒りの快感だが、やはり恐ろしい副作用もあるように思う。それは、怒るという事が楽しくて、ついつい、繰り返して、続けてしまうという事である。物事を解決せずに、いつも怒っている人がいるが、これはまさにそうである。それは、生産性を持っていない。ワイドショーというテレビ番組が、日本では人気があるが、これは、世の中の色々な出来事に対して、小さな怒りを発生させる事により、快感を発生させる番組ともいえる。よく、ワイドショーを見ている人を観察していると、大概は、なにか怒っている。これが、じつに、快感なのである。しかし、その視聴者は、ワイドショーを見続けるだけであって、物事を解決させない。まあ、自分が解決に寄与できないという事もあるが、まず、行動に出ない。つまり、怒り続ける事が楽しいのである。夜のニュースバラエティ番組にしても、同じである。そして、マスコミは、報道と称しながら、事件について、叩くような表現をする事が多いのだが、これも、視聴者に怒りからくる快感を供給するためのものと考えられる。また、怒りの快感は、怒りの対象を常に探し回るという事もある。これは、ワイドショーの内容を思い起したら理解できるかと思うが、スキャンダル系の芸能レポートなどは、明らかに、怒りの対象を探し回っているようである。アメリカも、ブッシュさんになってからが顕著だが、いろんな国に戦争を吹っかけるのも、定期的に根拠もなく日本叩きをするのも、怒りの対象を探しているからではないのだろうか。怒りの快感の追求によって、多くの人が、悲劇に巻き込まれる。また、この怒りの快感の追求は、場合によっては、平和活動や環境運動、女性解放運動など、社会を良くする活動にも使われる。しかし、その活動の成果があまり現れない事がよくあるが、その原因は、怒る事による快感が目的であって、怒りを表現し続けることが大切であり、問題は解決されては困るからという依存している部分も、一部にはあるのではないだろうか。これは、野党が政権を取らない事の一因でもあると思う。常にアンチでいる事で、怒りの快感を持ち続けることが出来るため、現状のまま共存し続けている。まあ、あくまでも、一要素だと思うが、いずれにしても、非生産的な怒りは、根本的な問題を解決させない事に繋がる。そう考えると、大掃除は、とても、生産的である。しかし、捨てるという、一種の怒りの快感に酔いしれ、他人の所有物まで、相手の了解を得ずに、捨ててしまう人もいるので、これだけは注意したい。これは、人権侵害であり、アメリカが、フセインが悪いヤツだという事で、イラクに兵隊を送る事とあまり変わらないのである。つまり、自分の怒りの快感のために、他人の人格を軽んじてしまう事には変わりがないのだ。関連記事 「お掃除フェロモン」
2003.12.26
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大きな仕事が決まった。フリーランスは、どうしても波があるので、大口の定期的に入る仕事が一番嬉しい。今回は、そういう仕事である。その仕事で、2月あたりに、ラオスに行くことになりそうである。もちろん、ラオスに行くのは初めてなので、ラオスという国について調べてみた。ラオスは、タイとベトナムに挟まれた国で、メコン川に沿って国土が広がる。北は、中国雲南省とミャンマー、南は、カンボジアと接している。ラオスの周りの国は、タイ以外は、20世紀中は、戦争、戦乱の歴史を持った国々である。そして、このラオスも、やはり、戦乱に巻き込まれた国である。さて、このラオスについて、調べていたら、ラオスでは、地番で表記できる土地が少なく、郵便物が届けられないので、局留めにする事が多いと書かれていた。日本では、考えられないことである。去年、地番と目標物がわかれば、翌日には、その現地の写真を撮影し、届けるという「現地写真.com」というプロジェクトをやったが、これは、日本だからこそできるサービスと言えよう。そう、日本という国は、国土の70%が森林(人工林も含む)で、それ以外の人の住んでいる土地は、きっちり、住所という、地番で表記が可能だ。森林でさえ、法務局や役所に行けき、公図を閲覧すれば「地番」が出てくる。そういや、公図に書かれた地番だけで、写真を撮影に行くという事をやったことがある。軽井沢とか、伊豆・箱根とかの別荘地なんかは、地番のみの表記しか資料がなく、道路がどうなっているのかもわからないまま、現地に飛んだが、どうにか、たどり着けるものだ。さて、その地番だが、税金を取るために、明治4年かなんかに戸籍制度、同5年に地券発行をするようになって、現在の地番の原型が出来上がった。それまでも、何度となく、検地が行われ、租税の徴収の基準となっていた。それと、同時に、明治4年に、郵便がスタートしている。これは、住所、地番を明確にする事によって税金を集めると同時に、情報サービスを提供しようというものである。実は、最近、これと似た、ビジネスモデルのものが、いくつか目に付いている。それは、首都圏、関西地区の鉄道でよく見られる、いろんな鉄道会社に乗れるプリペイドカードである。東京では「パスネット」、関西では「「スルッとKANSAI」と呼ばれるものである。これらのプリペイド・カードは、ストアード・フェア・システムを使っている。その事は、カードのどこかに「SF」と書かれていることで分かる。このシステムは、改札を入るときに、切符に入場記録情報を入れ、改札を出るときに、この入場記録を読み出して、料金を決定し、料金の支払い状況とをチェック、不足分があれば請求するという仕組みである。これは、プリペイドカードだけでなく、定期券、普通乗車券にも採用されている。さて、このカードが出来た、経緯だが、関西の「スルッとKANSAI」の原型は、1989年の阪急のラガールカードである。(山手線からスタートした、JR東日本のイオカードは、1991年)いまから20年程前まで、阪急電鉄は、キセル乗車天国だった。ある鉄道ジャーナル誌に、関西の私鉄の様々なデータの比較が掲載されていたのだが、不正乗車が一番多いのは、阪急電鉄だった。そして、意外にも少ないのは、南海や近鉄など、少し、古いコミュニティが残っている地域であった。スマートで、都会的な印象の阪急が一番、不正乗車が多いというのと含めて意外であった。そこで、キセル乗車を減らし、代金を回収するしくみとして、1992年にストアードフェアシステム、1994年にフェアライドシステムという仕組みを稼動させた。そのフェアライドシステムの完成後、1996年に、スルットKANSAIがスタートする。おそらく、まず、プリペイドカードを導入させてから、フェアライドシステムを本格稼動させ、定期券を使った、キセル乗車を撲滅し、確実に乗車料金を回収しようという順番で、導入している。首都圏のパスネットも同様である。いずれにしても、いかにお金という情報を回収するために、情報サービスのインフラも整備されるというわけである。その点、インターネットは、軍事技術からスタートしたため、お金を回収するシステムを持たなかった。Windows95が発売されたとき、マイクロソフトは、MSNというパソコン通信を推し進めていたのは、インターネットは、代金を回収する仕組みを持っていなかったためである。しかし、インターネットのパワーに押され、MSNの路線変更を余儀なくされたと同時に、インターネットでの代金回収に必要になる基本的なシステムづくりに力を入れる事になる。今でこそ、バブルははじけたが、携帯電話でのiモードやJ-sky Webなどのコンテンツも、1回の取引額が小額という事ではあるが、代金回収システムとして完成しているために、いろんな産業が参入した。利便性の高い、インフラの多く、特に情報インフラの多くは、お金という情報を回収するために整備され。普及するのである。ところで、ラオスであるが、数年前の、アジアの通貨危機で、タイ・バーツが急落したが、タイと隣接し、経済的には貧しい国ではあるが、あまり影響を受けなかったそうだ。それは、国民の80%が農業に従事し、今でも、物々交換で、経済が成り立っている部分が大きいからである。現地の通過も、不安定らしく、通貨は信用できず、貯蓄は、貴金属やバイクなどで行っているらしい。つまり、情報社会じゃなくて、物理的なモノ社会なのである。通貨、つまり、お金は、情報である。情報インフラは、お金という情報を守るために出来上がっている部分が大きいように思う。情報は形でないために、気持ち一つで、変化するという、弱い面がある。それを、安定化させるために、知恵を絞っているのが、情報インフラであり、そのお金という情報の秩序を守るために、お金を回収するシステムが整備されるのである。日本は、明治維新の時に、すでに通貨は存在したとはいえ、租税をお金にするということで、本格的な、通貨という情報社会に突入したのである。それが、近代日本社会なのである。さて、ラオスという国の社会は、どういう社会なのか、この目で見ることが出来るのは、いまから、とても楽しみである。
2003.12.25
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靴を買った。自分へのクリスマス・プレゼントとしてである。それにしても、前の靴は、この2年以上、ずいぶん履いた。スペアも持っていたので、いつも、同じというわけではないが、雨の日も、風の日も、雪の日も、炎天下の夏の日も。3輪スクーターで、1万5000キロ、車で1万キロ、新幹線で5000キロ・・・。地球半周分以上の距離を、私と友に移動したことになる。さすが、トラベラーという名前の持ち主である。紐が解けやすいという欠点はあるが、軽量で、蒸れず、とにかく疲れない。これがいいとはいいつつ、探したけど、前に買った店に置いてなかったので、別の靴を買っちゃった。その翌日、クリスマスプレゼントとして、靴下をもらった。よく考えると、クリスマスプレゼントは、靴下の中に入るはずなのに。靴下を包み込む靴と、靴下自体をもらってしまうとは。とにかく「足は大切に」という事かもしれない。それが、自分への最大のプレゼントかも。
2003.12.24
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先日、久々に、テレビ会議システム関係の仲間と会うために、秋葉原へ行った。彼との待ち合わせは、秋葉原電気街口であった。秋葉原は、かつての職場の最寄り駅だったので、お世話になったが、最近では滅多に行かない。パソコンも、メーカー製なら、新宿や池袋の方が安い事が多いし、サプライ品なら近くの電気屋で間に合うし、マニアックなパーツは通販で済んでしまう。都営地下鉄新宿線の岩本町駅から、JR秋葉原駅へ向かうと、つい、5.6年前と、また少し違った風景になっていた。書泉グランデは相変わらずだが、その先の昭和通り沿いは、風俗店が増え、なんだが、わからない街になっている。電気屋も、いまひとつ元気がないようにも見受けられた。さて、そんな秋葉原であるが、密かに一つのブームが巻き起こっている。そのおかげで、高架下のパーツ屋では、欠品が相次いでいるという。その原因は、今秋発売された、一冊の本にあるという。★参考文献★CPUの創りかたIC 10個のお手軽CPU設計超入門 著者:渡波郁|出版社:毎日コミュニケーションズ|発行年月:2003年 09月 |ISBN:4839909865|本体価格:2,800円 この本は「IC10個のお手軽CPU設計入門!」という触れ込みで、アキバで手に入る部品だけで実際の制作が可能となると同時に、コンピューターの中核であるCPUという名のブラックボックスの動作の基本原理から設計までを紹介している。これで、出来上がるのが、4bitCPU「TD4」である。「TD」とは、「とりあえず、出来た。」という意味だそうだ。しかし、たとえ、ICが、10個とはいえ、製作時間は、100時間近く掛かるそうだ。それが、どうも、人気に火をつけているらしい。そう、半田付けが、今、熱いのだ。確かに熱いけど。よく、電子工作のキットが売られているが、懇切丁寧にパーツが用意されており、自作ではなく、あくまでも「自作風」である。おかげで、出来たという喜びも小さいし、同時に、電子回路原理も学べない。その点、この「CPUの創り方」という本は、電子工作として、丁度いい具合かもしれない。とはいえ、製作には100時間もかかるので、さすがに、実際に作っている人は少ないと思う。しかし、パーツは集めている人はいるようで、秋葉原のガードしたで、欠品が相次いでいるという。さて、このTD4で何が出来るかって。・・・・最大のアプリケーションは「3分間タイマー」だそうだ。ぬぬぬ。100時間かけて作って、3分間タイマーだとは。最近は、どっかのお店の名前をつけた、こだわり、カップめんも、4.5分かかるので、3分間タイマーも、あまり役に立たない。とは言え。かつての秋葉原らしい、この現象に、少し胸を撫で下ろしております。
2003.12.23
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ドイツ車、イタリア車そして、この10年以内の国産車は、速いという印象がある。その一方、フランス車は、あまり速く走らないという印象がある。確かに、かなり昔は、フランス国内では、エンジンの出力に応じて、税金がかけられており、そのおかげで、車体の大きさの割りに、エンジンの馬力が小さく、いわゆる遅いクルマが多かった。だが、フランス車は、意外に速いのである。リック・ベンソン系の人気シリーズ「TAXi」は、一見、おとなしい、プジョー406のタクシーが、実は無茶苦茶速かった。というシンプルな設定と、コミカルなストーリーで人気があるが。本当に、速いのである。とはいえ、ここ数年ラリーで、素晴らしい成績を上げている、プジョー206とか、古くは、ルノーアルピーヌなどのレースやラリーの競技用やスポーツカーではない、普通のフランス車である。以前乗っていた、車検を通すという条件で、タダでもらったシトロエンBXのワゴンタイプも、オートマなのだが、いつの間にか、けっこういいスピードで走っている。しかも、時速80キロと130キロあたりがじつに気持ちよく走れる。さらに、長時間運転しても、あまり疲れない。このシトロエンBXで一つの記録を作った。JR三鷹駅の近くのスタジオから、甲子園まで、中央道、名神高速経由、1回ガソリン給油兼休憩で、4時間20分で走破したのである。しかも、ワゴンの荷質を拡大し、2シーターにして、荷物を満載しての記録だ。電車で行こうとすると、三鷹駅から東京駅まで中央快速で約30分、東京-新大阪間をのぞみで2時間半、新大阪駅-甲子園口駅が20分、甲子園口駅から家までタクシーで10分。これで、乗っている時間の合計が、3時間半。しかし、待ち時間を入れると4時間はかかるのだが、これと匹敵する時間で走れたのである。荷物の量を考えると、新幹線の移動では、4時間20分は無理だと思う。ちなみに、ほとんど、エンジンは3500回転以上で廻ってました。また、プジョー309Siという、普通のセダンもけっこう速い。このクルマは、スピードを上げると、だんだん安定してくるのである。カーブもしなやかに曲がる。日本仕様は、4メートルの小さなボディに、初期の205GTIに積んでいた、1.9リットルのシングルカムのエンジンをぶち込んでいるので、これも、速く走る原因でもあるが、それ以上に、とにかく曲がる。しかも、気持ちよく曲がる。だから、結果として速い。シトロエン2CVも、思ったより速い。設計も古く、軽自動車より小さなエンジンで、ホンダフィットぐらいの大きさのボディを動かしているのだが、こいつでも、ちゃんと110キロ出して走れる。舗装されていない農道を、タマゴを割らずに走るというコンセプトのもとに出来上がった、50年以上前に設計されたぐにゃぐゃのサスペンションにも関わらず、意外にしっかり走る。今度は、ルノーにも乗ってみたいところだが、フランス車は、意外に速い。確かに、ヨーロッパは、飛ばす人が多いからね。それに対応していくには、速くなければ話にならないのかもね。
2003.12.22
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銀座のギャラリーアートポイントというところで、12/28まで、おっぱい大好きアーティストで有名!?な松山賢の個展が開かれている。今回は「神話のアイドル」と題し、古典絵画の本質を突こうとしている。古典的な主題を持つ作品は、実際は、裸体を描く口実としてあると思う。女性のポーズに注意し、性器、陰毛などを描かないようにしつつも、理想的な肉体、女性の裸体の美しさを表現いいつつ、結果として、当時の流行の女性を描いていた。松山賢氏は、ここに、今の日本を象徴するポルノグラフィの対象物であるコギャルをぶち込む事で、アートとポルノグラフィの境目や、アートの持っている免罪符的な、お約束事の滑稽さを表現している。これは、同時に、今の日本では、消費文化となっている、グラビア等の女性の裸において、一線を越えなければ許されるという現象への皮肉でもある。世の中、大義名分や、ある約束事を守れば、それでいいという事が多い。今、話題になっていることでたとえると。自衛隊が、イラクへ行くにしても、武器をもってなければいいとか、戦争の最前線でなければいいとか、まあ、いろんな理由をつけて、結局は派兵している。政治的に偏りがちなネタが続くが・・・実際は、仕事が欲しくて、建設がしたいだけなのに、なにか理由をつけて行う公共事業。法的に特例を設ける事によって無意味になるザル法。人は完璧ではないので、逃げ道は必要であるが、こういう、お約束や大義名分がまかり通ることで、事実上のモラルが低下したり、本来のコンセプトが守られない。これは、じつに不思議な現象である。ちょっとエッチな作品だけど、とても、今の日本社会の現象を表した作品たちであった。ちなみに、1月には、大阪でもやるみたいです。
2003.12.21
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ダイエットなのに、なんで「焼き鳥」が、と思った人は多いのではないでしょうか。私みたいに、一人で住んでいたり、核家族の場合、自炊をしていると、どこかのお役所や研究所が推奨しているように、一日30食品などという、多くの食材を食べるのは、じっさいには困難です。そこで、うまく惣菜や外食を、適度にうまく利用することで、品目を稼ぐ方法が有効だと考えました。そこで、代表的な惣菜や外食の一つ「焼き鳥」に注目しました。さて「焼き鳥」には、どういう効果が期待できるのでしょうか。・1本単位で、部位ごとに、買えるので、量や栄養の調整がしやすい・たんぱく質の摂取・ビタミン・ミネラルの摂取焼き鳥は、鳥(や豚)の体を、いろんな部品にわけて、そして、一部は、香味野菜と一緒に焼く食べ物です。だから、いま、体が欲している栄養素を、考えて食べる事ができるのです。ここがポイントです。そのためには、どの部位にどういう栄養があるかを、簡単にでも、知識として持っておく必要があります。たとえば・・・・レバー・・・ビタミン・ミネラルの宝庫ビタミンA(レチノール)、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンB12、パトテン酸、ビオチン、パラアミノ安息香酸、リポ酸、ビタミンQ(ユビキノン、CoQ10など)、鉄、亜鉛、コラーゲン、メチオニン・砂肝・・・・コラーゲン・皮・・・・コラーゲン・手羽先・・・たんぱく質、コラーゲン・肉・・・・たんぱく質、コラーゲン(胸肉)、ビタミンB6(ささ身)、ナイアシン(胸肉)、ビタミンQ(CoQ10など)(ささ身)、クロム、アルギニン、アスパラギン酸・豚肉・・・・たんぱく質、ビタミンB1、葉酸、コリン、亜鉛、クロム、アスパラギン酸・ねぎ・・・セレン、アリシン・玉ねぎ・・・アリシン、フラボノイド・にんにく・・・アリシンとにかく、栄養だらけ。焼き鳥は、ちょっとした「栄養剤」とか「サプリメント」とも言える。これだけあると覚えられないので、あとは、食べたいものの多くは、体が欲している栄養素を含んでいる事が多いので、それをチョイスすればいいと思います。ただし、レバーはコレステロールも多いので、食べすぎには、注意が必要。だから、パックで買うのではなく、焼き鳥として、少しずつ頂くのが丁度いい。コレステロールの件もあるので、毎日食べるものでもありません。だいたい、一週間に1.2回程度にしています。また、痩せる体にするめたには、筋肉をつけて脂肪を燃やす体質にしないとダメで、そのためには、たんぱく質が必要。ただ、たんぱく質は、筋肉を使うことにより、筋肉繊維が損傷しないと、それを補充する筋肉を作ろうとしないために、適度な運動が必要となります。よく、ジムなどに体を鍛え、筋肉をつけに行く人がいますが、正確に言うと、筋肉を破壊しに行っているわけで、結果として、それを補うように筋肉がつく。栄養のバランスと脂肪燃焼の体質づくりに、適度な「焼き鳥」は、効果的です。ダイエットメニューに、組み込んで見ては、いかがでしょうか。
2003.12.20
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あまり知られてはいないが、埼玉県は、うどん文化が発達している県である。素朴なものが多く、いろんな所に、様々なスタイルのうどんがある。そういう、埼玉県のうどんが好きで、たまに食べに行く。良く行く店の一つに、さいたま市「藤店(ふじたな)うどん」がある。場所は、新大宮バイパスと、大宮と指扇を結ぶ道との交差点を、指扇方面に曲がって、200mぐらいの場所に位置する。この店の特徴は、日曜が休みで、しかも、朝10時から昼の3時までしか空いていない。麺はもちろん、手打ちである。店の入り口近くで、うどんを打っているのが見れるし、食べている最中も、うどんを打っている音がする。実は、埼玉県には、時々こういう店がある。後日、紹介したいが、熊谷とかいろんなところに、そんな店がある。こういう店を廻ろうと思えば、讃岐うどんめぐり感覚で、気合で廻らないといけない。讃岐うどんは「うどん小」とか「1玉」という、おやつ感覚で、軽く腹を膨らませる程度のメニューがあるが。埼玉のうどんは、大概は、量が多く「軽く・・・」という感覚はない。しかも、きっちりと、小麦粉が詰まっているのか、腹も膨らむ。店によっては、天ぷらも半端じゃない程大きく、食いきれない程出てくる。とはいえ、まだ、この藤店うどんは、まだ、加減を知っている。この店のウリは「肉汁うどん」である。これが、寒い日には、最高にうまい。たっふりと、豚肉、葱などの具が入った暖かい汁に、七味唐辛子を入れる。これで、ぽかぽかだ。麺は、肉汁うどん、きのこうどん用に打たれたもので、通常のもりうどんやかけうどんとは別の麺を使用している。サイズは、並・中・大と選べる。ちなみに、私は「中」をよく選ぶ。さらに、麺の固さ、麺の温かさも指定できる。このあたりは、うどんへの拘りとともに、うどんを知っているお客さんに対応したスタイルだと言える。ただ、麺の固さは、指定こそできるが、麺の固さは、お店におまかせしている。いや、なにも言わなくても出てくる麺は、力強く、コシがあって、実においしいのだ。値段は、讃岐うどんの、小が100円台という低価格ではないが、肉汁うどん並600円、中800円(麺1.5倍)、大1000円(麺2倍)という価格相当の満足感は、きっちり味わえる。これは、通常のもりうどんでも同じことだ。この店は、お土産や、地方発送もしているので、うまく、時間を作って、食べに行けない人も、その麺を味わうことが出来る。ちなみに、土産、地方発送用も、麺が選べるようだ。平日の昼から、うどんを食べに、さいたまへ。 藤店うどん 手打ち実演コーナーが見える。ここで、何人かの職人がうどんを打っている。 広い駐車場完備とはいえ、いつも、けっこう満杯である。 県道2号線からは、この看板が目印。 肉汁うどん(中) ちなみに、きのこうどんもうまい。
2003.12.19
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都内某所で、小さな忘年会が行われた。参加者は、ある財団の理事、養護学校の造形教育の教員、画家兼養護学校の職員、漫画家兼店員と私だった。そこで、障害者の造形の指導をしていて、いわゆる健常者の枠を超えた、発想や表現に驚くことが多く、常に刺激を受けているという事が話題となった。この養護学校の造形教育の教員は、大きな造形物を作る大胆な指導が特徴である。手をいっぱいに動かして表現しようとすると、手の動きが、約1メートルぐらいストロークするので、大きな造形物が丁度いいという。写真でしか見ていないが、確かに、のびのびした作品である。学校の授業で、机の上で作る、多くの作品がこじんまりしているのとは対称的である。その人の持っている個性的な動きに合わせて、作品の仕様を決定すれば、その人の才能が発揮できる。そう、プロデュースをしてあげる事で、個性を発揮させる舞台を作るのだ。また、うまく、コーチングしてゆくことで、一つの大きな作品を作ることが可能となり、その結果が自信となり、その人の持っている個性がさらに伸びる。しかし、障害児が大人になるにつれて、自立の名の元に、社会的規範に押し付け、本来持っている個性を殺してしまう事が多いという。実際、多くの教育の現場では、いかにして、社会に適応するかを、"躾ける"事に重点が置かれているという。それが、社会に対して、申し訳ないという、卑屈な思考に、陥れかねない。これは、障害児ではなく、健常児の方が、顕著に現れているかもしれない。一つの枠や、一つのものさしに囚われ、常に周りの評価を気にして生きている人は、けっこう多いと思う。しかし、社会に適応するまでのハードルが高いからこそ、出来る事もある。それは、普通では、自然とやっているために、その行動のプロセスを理解できないが、障害やなにかが劣っている事により、普通の人には見えない行動を分析的に見る事ができるし、それを理論付けて説明できるし、意識的に行動することが出来る。これは、有名な話だが、俳優であるトムクルーズがLD(学習障害)であるという事実だ。学習障害の為に、字が読めないので、他人に台本を読んでもらったりして、暗記する。これは、あくまでも予想だが、この遅さにより、他のすらすらと台本を形だけ覚えてしまう俳優よりも、形だけでない深い演技になるのだと思う。そういや、あるライターさんが「私は、一度も自分が文章が上手いと思ったことが無い。不得意と言ってもいい」と言っていた。不得意だからこそ、論理的、体系的に意識して、文章を書く。これが、プロとしての文章を書く事に繋がったのである。不得意だからこそ、それを克服しようとする力、カバーしようという力になり。不得意だからこそ、得意な人に見えない、しくみが見える。だからこそ、同じ理論を使って、新しい事を発見したり、新しい何かを創造する事もできるし、技術を追求することもできる。また、私がバイトをしていた、住宅設備の申請図面屋は、申請図面を書いたり書類を書くことが不得意だったからこそ、それをどうにかこなそうとしているうちに、他の人から、図面の依頼が来て、それがビジネスになっている。今はスタッフを何人も抱えて毎日忙しくやっている。得意な人は、器用な凡人で終わる事が多いが、不得意だからこそ、その道を極めたプロになれる。また、養護学校の造形教育の教員は、耳を悪くしているという、その代わり、視覚と嗅覚そして、第六感が鋭くなったという。一直線でなくても、不得意があるからこそ、得意な事が出てくるという事もあるらしい。いずれにしても、才能を発揮させるには、不得意を否定せず、不得意な事を認めるこどが必要なのだと思う。そこから、スペシャリストへの道が開ける。
2003.12.18
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先日、神戸ルミナリエを見てきたが、この季節、どこもかしこも、イルミネーションや電飾でギラギラである。地下鉄の駅に設置されているフリーペーパーも、ミレナリオをはじめ、様々な電飾を紹介している。そうかと思えば、近くの家も、イルミネーションをつけて、イエナリオ(関西では、ルミナイエ)状態。このイルミネーションは、もともとは、クリスマス装飾である。クリスマスは、イエス・キリストの誕生日だと言われている。しかし、あるユダヤの僧侶のような存在であるラビのM・トゥケイヤーの本によると、クリスマスは、イエス・キリストが生まれる前より、存在した冬至のお祭りが原型だそうだ。冬至は、日照時間が一年で一番短い日である。冬至を過ぎると、日一日と、日照時間が延びる。冬至は、太陽の照る時間がこれから長くなる事を祝う日なのだ。それは、いままでの、様々な闇から解放されていく。そんな喜びの日なのである。日本にも、古くから柚子の入ったお湯に浸かったりと、冬至を祭る信仰もある。太陽暦である現在の暦の1月1日も、基本的には、太陽が一番短い事を指している。クリスマスがもともと、冬至の信仰であるからこそ、日本人に受け入れられたのかも知れない。この冬至のキーワードは「闇」や「夜」への感謝である。クリスマスのイメージの映像などを見ると、クリスマスをロウソクだけで楽しむシーンだとか、窓から漏れる明かりが消えた後の静かな夜空に、サンタクロースが、トナカイの引っ張るそりに乗ってやってくる。つまり、闇は、重要な意味合いがあるのである。そして、闇に包まれてこそ、これから明るくなる事を祝うことができるのである。確かに、闇夜だからこそ、イルミネーションが映え、それによって、闇を感じる事もできる。しかし、本来の冬至の意味を考えると、闇を明るく照らすことにより、次の新しい明かりを感じることが出来なくなっているように感じる。今年の夏至である、6/22に、“2時間電気を消してスローな夜を”をテーマに「100万人のキャンドルナイト」が行われた。この試みは、東京電力の原子力発電所の不祥事による、原発の停止や、産油国の近隣で起こっている戦争、そして、電気を生み出すために発生する環境汚染や地球の温暖化などが起こっている状況下で、環境NGOの呼びかけに、さまざまな分野のアーティスト、環境省や企業、自治体、全国の公共施設が呼応して行われた。全国で推定500万人が参加したといわれ、東京タワーや全国のランドマークの照明も消えた。夏の一大イベントとなった。私も、個人的に、灯りを消して、香りのするロウソクを点けて過ごした。(ちなみに、パソコンは、データのバックアップ中だったので、そのまま続行してました)その時から、夏至でなく、冬至にこそ、電気を消すイベントを行うべきだと思っていたら。冬至にも行うとの事である。12/22は、イルミネーションや、灯りを消して、闇を感じ。それから、イルミネーションや灯りを点けたとき、灯りのありがたさ、そして、大切さを感じて見ようと思う。景気は、底を打ったという事が報道されているが、底を打ったという実感がない。底である事を隠したりして、人々が、底を打った感じがしないからこそ、さらに、底があるのではないかと不安になる。これが、今の不景気を長期化させる原因となっていると思う。そのためには、一度、闇を、一番悪い状態を実感しない限り、安心して、前に進めないのである。灯りを消すことは、不景気を象徴し。再び灯りを点けることで、これからの時代の明るさを予感する。そういう、景気のための儀式としても、100万人のキャンドルナイトは有効であると考えられる。祭りとか、節句というものは、気を入れ替えるための儀式でもある。こういう時代だからこそ、灯りを消す事で、闇を感じ、これから明るくなることを実感してみてはいかがでしょうか。神戸ルミナリエも、観光目的があるから、フルの2時間は無理としても、8時からの5分間でいいから、灯りを消してみてはいかがでしょう。震災の朝、停電で、暗闇に包まれ、しばらく電気が来なかったことをも、思い出すためにも。
2003.12.17
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今年、9月に亡くなった、ジャズボーカリスト笈田敏夫さん、そして、笈田さんの追悼コンサートとして「銀座ジャス」の企画に中心的に参画したにもかかわらず、11月1日にジャズドラマー・ジョージ川口さんが亡くなった。そして「銀座ジャズ」相次いで急逝した日本ジャズ界の巨星、の追悼コンサートてとなった。そんな「銀座ジャズ」は、一度はどうなるのかと思われた。しかし、スタッフの熱い思いと、ジョージ川口さんの意志を継いだジョージ川口さんの子息であるライジ川口さんの参加などで、紆余曲折を経ながらも、予定どおりの12月16日に銀座博品館劇場にて行われた。私は、いろいろ縁があって、ネット上で、銀座ジャズを企画した西郷さんと出会った事を切っ掛けに、見に行く事となった。ジョージ川口さんとは、ジャズボーカリストのアンリ菅野さんの葬儀の時に、一度だけしかお会いしたことが無いが、間接的にではあるが、私に、アンリ菅野さんのホームページを作るきっかけを作った方でもあった事も、見に行くことにした理由の一つである。(関連記事、「ジョージ川口さんと、天国のジャズメン?たちを偲ぶ 」)さて、銀座ジャズの会場である、博品館劇場は、マッカーサー元帥も行った、といわれる「銀座天國」の北側に位置する。笈田敏夫さんにしろ、ジョージ川口さんにしろ、進駐軍(昭和26年以降駐留軍)を相手に腕を磨いた、新進の若手ジャズメンで、日本のジャズブームを作った。笈田敏夫さんは、昭和28年(1953年)NHK『紅白歌合戦』に出演し、それ以降、7回連続出演したというし、ジョージ川口さんのバンド「ビッグ4」も、文化放送の「トリス・ジャズ・ゲーム」にレギュラー出演する事で、人気を博した。そして、浅草国際劇場でのリサイタルも、1日3回公演で、1日7000人を動員するという人気ぶりだったそうだ。今から50年前には、ジャズとマスメディアとレコード、そしてライブが一体化し、ジャズのブームを巻き起こしていたのである。私が見に行った、昼の部は、ジョージ川口さんの次男である。ライジ川口ジャズコレクションの若いグループ皮切りに、菅野邦彦トリオ(このコンガ担当の小川庸一さんは、ほぼ毎月見に行っている、ボサノヴァのグループの一員でもある)の何が起こるかわからないけど美しい演奏、チャーリー半田の楽しいボーカル、ペギー葉山さんらの素晴らしい女性ボーカル、そして、ジョージ川口Jr. NEW Big 4と続いた。最後の、ジョージ川口Jr.NEW Big 4は、ジョージ川口の次男である、ライジ川口が、ジョージ川口Jr.を名乗り、ジョージ川口のトレードマークであるツーベース・ドラムを踏襲し、迫力のあるサウンドを出そうというバンドだ。この「NEW Big 4」の演奏の前に、ジョージ川口さんの「ビッグ4」が出来たいきさつの朗読が、会場に流れた。この「ビッグ4」は、日本人のジャズメンで、グループを作ることをコンセプトにしてメンバーを集めた。なかなかピアニストが見つからず、あきらめて、外国人プレーヤーを雇おうと思ったが、そんなときに、若手の中村八大が見つかり、日本人だけのジャズバンドが出来上がった。全員小柄だったが、大きな音で演奏し、外国のプレーヤーに負けないよう「ビッグ4」と名づけたそうだ。そして、大きく羽ばたいた。ジョージ川口Jr.NEW Big 4が始まった。小さな頃、テレビで見た「ビッグ4」の雰囲気がある。大きく違うのは、松本英彦の奏でていたテナーサックスが、トランペットに入れ替わっているという事だ。迫力のあるサウンドと、お客さんに対するサービス精神は、見る見る会場を熱くした。今から50年前に出来たバンドだが、このビッグ4のコンセプトは古くないと感じた。たとえ、既にメンバーの何人かが亡くなり、違うメンバーが、演奏こそしているが、一つの公演で10万人を動員しただけのバンドだったと、なんとなくわかった。今、ジャズ界、いや、J-POPで、ビッグ4のようなものを造る事は、可能だろうか?これは、なかなか難しいと思う。もしかすると、このような成立プロセスで作られ、成功したのは、イエローマジックオーケストラぐらいかもしれない。今のミュージシャンは、すごく演奏が上手い。バークリー音楽院も、日本人でいっぱいというぐらい、熱心にプレイの腕を磨いている。しかし、50年前の若手プレーヤーとは、スケールと言うか舞台から発するオーラが違う。それは、進駐軍という、戦争という別の目的で日本に来て、ストレスを溜め、数少ないレジャーとして、ライブを見に行く。つまらない演奏だったら、何が起こるかわからない。音楽家としては、素人だが、音楽を楽しみたいという気持ちは、玄人のお客さんとの戦いである。だから、お客さんである、彼らを、いかに満足させるかを追求し、熱い演奏、そして、エンターテイメントを身に着けたと考えられる。これは、大阪の笑いの世界で、新世界にあった花月劇場、東京では、ストリップ小屋である、浅草のフランス座が、多くの若手芸人を育てた事ととても似ている。それに対し、今の多くのミュージシャンは、自分が納得するためや、自分たちの仲間や、玄人に評価される演奏を目指しているように見える。そして、玄人に評価された頂点の人が何人か一つのコンセプトに基づいて集まっても、誰でも、なんとなくひきつけられるものがあるパワーやオーラを持っているバンドは成立しにくい。同時に、自分が納得するためや、自分たちの仲間や、玄人に評価される演奏を目指しているプレーヤーが多いからこそ、お客さんが特定の人しか集まらず、結果としてライブハウスの運営が厳しくなるのではないかと思う。そうして、プレーヤーが育つ場所も無くなる。ある種の手触れスパイラル的なものを感じる。このあたりをどう打破するかが、ジャズをはじめとする、ミュージックシーンの課題だと思う。「銀座ジャズ」は、来年も引き続き行われていくという。今回は、観客も高齢の方が多かった。追悼の意味も多く、しかも、笈田敏夫さんという、スタンダードな名曲を無数に歌った方を偲ぶ意味もあり、名曲のリクエストという企画が目玉の一つという事もあった事が原因かもしれない。しかし、「銀座ジャズ」のコンセプトとしては、銀座をジャズのメッカとして定着させ、新しいジャズを銀座から作り上げ、広げることにあるそうだ。神戸の地下街で、空き店舗でギャラリーを開いている女主人(関連記事)が、こんな事を言っていたのを思い出した。「手離さないと、次が掴めない」笈田敏夫さんの追悼コンサートのメインアクターだった、ジョージ川口さんを、相次いで失った。それは、自らの天命が尽きることで、ジャズ界の未来のために、手離してくれたのだろう。今回の「銀座ジャズ」は、「手離すこと」ことを象徴するコンサートだったのかもしれない。そして、次に、何かを掴む。もしかして、掴んだ!?答えは、時間が経つまで、わからない。次回の「銀座ジャズ」、そして、ジョージ川口Jr.NEW Big 4に、さらに、新しいミュージックシーンに期待したい。帰りがけに会場で買った「笈田敏夫/進駐軍時代のジャズ」を聞きながら。
2003.12.16
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4.5年ぶりに、兵庫県川西市にある「アステ川西」へ行った。この「アステ川西」は、阪急宝塚線と能勢電鉄の乗換駅である「川西能勢口駅」に隣接している再開発ビルだ。阪急百貨店や、南西にあるJR宝塚線(福知山線)の「川西池田駅」まで雨に濡れずに行ける通路にもなっており「アステ川西」を知らない川西市民はいない。この「アステ川西」は、大きく分けて3つのエリアで構成されている。一つは、阪急百貨店。二つ目は、川西市の公共施設のホールや図書館。そして、三つ目は、「アステ川西」の場所や、それより東側にあった古い商店街の店舗が175店舗分入ったという「アステ175」で構成されている。オープン当初は、大規模駐車場に入りきれず「アステ渋滞」という現象が起きるぐらい、繁盛していた。兵庫県川西市は、兵庫県の東端にあり、大阪府の池田市と猪名川を挟んで西側に位置し、川西と言われるようになったと言う。大阪の池田は、上方落語のネタでもある「池田のタヌキ」の舞台であり、大阪からすれば、田舎の象徴として扱われていたが、独自の文化を持っている土地と認知された場所でもある。「池田銀行」という地方銀行を持つ規模の街で、街道が猪名川を渡るために、反対の川岸の川西も、町として発展した。川の両岸に町が発展するというパターンは、日本だけでなく、世界各国に見られる都市形成である。また、川西の北部には、清和源氏を祭ってある「多田神社 」があり、この地が、古くから独自の文化を持っていたと感じさせる。ちなみに、今はアサヒビールから発売されている「三ツ矢サイダー」の炭酸水の源泉は、多田地区にあり、清和源氏にまつわる、3つの矢が、商標になっている。この源泉は、ホームセンターの裏側にひっそりとある、三ツ矢サイダー記念館のそばにある。ちなみに、源泉は、今は、特別なことがないと飲ませてくれないが、飲んだ事のある人によると、今のサイダーとは違い、泡がとても細かくきめ細かいという。このように、古い歴史と文化を持っている町ではあるが、宝塚、箕面という、個性的な名称と、高級イメージのある街に挟まれ、さらに、ありふれた地名というインパクトの弱さもあって、新しい阪神間の住人には、印象が薄い。その上、猪名川を渡る鉄道の充実により、川の傍に町があるメリットが減少し。さらに、阪急の駅の移転や、再開発と共に人の流れが変わり。旧市街地は、みるみるシャッターの閉まった街になってしまった。人の来なくなった街には、なかなか人が戻ってこない。「アステ川西」は、都市の再開発の起爆剤となるように企画された施設だった。4.5年前に行った時は、既に少し、寂れてきていたが。久々に行ってみると、シャッターの降りている店が増えている。しかも、開いている店は、昔からあった店から、100円ショップなど、フランチャイズ店やチェーン店に入れ替わっている所が目に付いた。やはり、建物の中に商店街を入れてしまうタイプの再開発のショッピングビルは、流行らないのだろうか。自然発生的に出来上がった商店街を、一度潰して、再開発ビルに詰め込むという手法で、そこが、シャッタービルになってしまう例は、大阪駅前第1-4ビルが有名だが、ここも同じようになってしまうのだろうか。「アステ川西」が、計画された段階では、大阪駅前ビルの失敗を目にしているはずなので、その教訓を生かして設計されているであろう。そんな事を思いながら、シャッターの閉まった飲食店が多く、選択肢が少ない中、たまたま目に付いた串カツ屋に入った。店に入ると、どうも「アステ川西」のオープン当初からあるらしく、ほんの少し年季が入っている。そして、店員に勧められるまま、カウンター席に座った。やはり、串カツ屋は、カウンター席でしょう。やはり、店員さんとの適度な、コミュニケーションの取れるカウンター席が良い。カウンターの後ろの席に荷物を置き、近くの柱に飾ってある、食用サボテンのディスプレイをさわって、軽くおどけてから席についた。まず、システムの説明。この店は、お任せで次々と串の出てくる店で、お客さんが、ストップというまで、出し続けるという店。そして、薬味の説明をうけ。銀河高原ビールを頼み、普通に食事を始めた。串は、いろんな食材をコンニャクに巻いて、それを揚げたものとか、すこし、凝ったものが多い。出る串、出る串、それぞれが、工夫された創作料理という感じである。その時、この店の特別さに、まだ気が付いていなかった。その日は、以前、横浜で会った、漢方薬屋の薬剤師さんとの再会であった。おなかもいっぱいになり、デザートの「さんざし」をいただき、店を出ようとした時、薬剤師さんが、店の奥にある、たくさんある容器について、店員さんに聞いた。「あれ、サソリですよね」そう。この店は、猛毒のサソリを飼っているのだ。私は、その時まで、全く気が付かなかったのだ。数々の容器を見ると、サソリだけでなく、これまた猛毒蜘蛛のタランチュラも飼っていた。それだけではない、昆虫の燻製や、蛇や爬虫類や薬草を漬け込んだ酒も何十本も置いてある。このあたりに気が付くのは、さすが、漢方薬を扱える薬剤師である。店員さんは、漬け込んであるもので、わかるものに関して説明してくれた。ちなみに、お客さんのオーダーがあれば、いろんなものを漬け込んだお酒も飲めるとのこと。さらに、社長がいるときは、これも、お客さんの要望しだいで、サソリもタランチュラも食べさせてくれるという。そして、お勘定を済まそうとすると、社長らしいオジサンが現れた。いや、まさに、その社長だった。この社長は、食を研究してゆくうちに、規格化、工業化、均一化された食材に疑問をもち、いろんな成分が入っているを食べることで、人の体にいい食事を提供しようというポリシーを持っているようである。今は、「さんざし」に力を入れており、「さんざし」と蜂蜜を混ぜて飲みやすくしたジュースの販売に力を入れているという。面白いオジサンなので話を聞いていると、そのジュースを希釈したものを飲ませていただいた。濃い紫色をしたジュースで、酸味と甘みが丁度良く、じつにおいしい。他にも、「さんざし」を使ったドリンク剤(栄養補助食品)も出していて、かなり疲れた時に効くといい、それぞれに一本ずつお土産として頂いた。そして、「さんざし」を使った商品の置いてある棚の下の方に本を見つけた。私は、出会った人から本を買うのが好きだ。本は、一期一会で、その時買わないと、二度と出会わない本があるのである。思わず、その本を読みたいから、買いたいと言うと、社長は、サインをしてくれた上に、その本をくれた。関西から、東京へ戻る新幹線の中で、その本を読んだ。それを読むと、いろんな事実が浮かび上がった。この社長は「探偵ナイトスクープ」などの番組で取り上げられる名物社長である。凝った串揚げだが、食べた後に、何の串揚げかという説明をすると、お客さんが驚くものが多く含まれているということ。それは、串揚げという、お店が勝手にお客さんに料理を押し付けるというシステムだからこそ、なるべく多くの食材を食べてもらい、普通のお客さんでもこの店に行けば、約40品目を食べれるように串を構成。衣や油にしても厳選した素材で提供している事がわかった。シャッターが閉まっている店が増えつつある再開発ビルの中で、こんなにパワーのあるものに出会うとは思わなかった。都市計画の多くは、一直線に計画され、出所とブランドがしっかりしているもので構成し、画一的なものになりやすい。これは、人の体と同じく、弱く病気になりやすい。この店ような、ある種の毒物がないと、その建物も元気にならない。しかし、この店だけが、毒でもダメなのである。もっと、いろんな種類の個性のある店舗が集まらないと、いい街にはならない。そう、一日に30種類の食材を食べないと、健康によくないいう話があるが、一日に30件の個性的なお店を見ないと、その街を通る人々の心と景気の健康に良くないのかもしれない。そして、時には、毒も薬になる。このような店も必要なのである。◆データ「杉の坊」アステ川西地下一階 TEL 072-755-2477 串カツ屋でもらったドリンク。ネーミングが泣かせる。ラベルに社長の姿が載っている。
2003.12.15
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神戸アートビレッジセンターに、メディアアーティストの飯村隆彦 個展「見ること/聞くこと/話すこと」-DVDインスタレーション/パフォーマンス/ビデオ上映-を見に行った。この個展は、飯村隆彦氏の映像製作40周年を記念し、1970年代より四半世紀にわたり、ライフワーク的に作られた「見る/見られる」という、「知覚」のビジュアル表現を試みた「見ること/聞くこと/話すこと」を中心に展示されている。DVDを駆使し、4方向に映写された作品や、過去に作られた作品を見たあと。今、開催されている、神戸ルミナリエを見ようと、新開地駅からハーバーランドまで続く地下商店街と、西元町から続く商店街を抜けて、歩いて移動する事にした。神戸ルミナリエも、東京・丸の内のミレナリオなど、似たようなものが出てきたり、そろそろ神戸市もお金が尽きてきたせいもあり、規模が縮小しているそうだ。しかし、神戸には、もともと、地下街やアーケードの商店街が発展していて、そこを歩くと、ずっと、灯りのアーチの下を歩く事になる。今回歩くルートは、特別な雰囲気はないが、常設の神戸ルミナリエを歩いているようなものだ。そんな事を思い、ふらふらと、新開地駅から、高速神戸駅に向かって歩く。地下通路の脇には、地下卓球場がある。普通の卓球場は、窓ガラス超しに、プレイをしている所が見れるのだが、ここは檻のような金網に囲まれていて。あたかも、動物園で「卓球をする人間」を見ているようにも見える。そんな、ちょっとキッチュな、不思議な空間である。しかも、卓球場の向い側の壁画と相まって、相変わらず不思議時空が展開していた。高速神戸駅に近付くと、寂れた地下街になる。ここから、ハーバーランドまで、地下街の両側は店で埋め尽くされるのだが。高速神戸駅の西改札と東改札との間の地下街は、少し寂しい。お腹がすいたので、その一件の串カツ屋で、串カツ特盛り定食780円を食べ、どこか食後のコーヒーを飲もうと店を探していた時、なにやら、空き店鋪を利用したギャラリーらしきものを発見した。壁面は、打ちっぱなしの上に、紙やら布をかぶせただけの所に、手作りのものが展示されている。最初は、少し、躊躇したが、中に入ってみる。どこか、楽しい空間である。先程、見た、西洋哲学的に研ぎすまされたアートとは全く別の、どこか和む世界が展開している。ギャラリーを一通り見て、外に出たとたん、また、不思議なものが目に入った。先ほどのギャラリーの2倍のスペースに、どこかのリサイクルセンターから持ってきたような家具が置かれ、その手前に、手作りの陶芸などの工芸品やら、花やら、野菜が無造作に置かれている。もちろん、内装は、打ちっぱなしで、はつられたコンクリートがそのままむき出しになり、厨房らしきものも、器機がそのまま置かれている。無茶苦茶だけど、センスのある、どこか楽しい空間だ。なにやら、おもしろそうなので、野菜を見に行くと。この野菜は無農薬野菜だと、女主人に声をかけられた。ここは、空き店鋪の有効活用の実験店鋪のカフェで、ハーバーランドや神戸ルミナリエの「ハレ」の空間に対し、勝手口、台所、土間、庭先、軒先きから入るような感覚の「ケ」の空間を意識し、和めるスペースを提供しているという。女主人に声を掛けられるまで、コーヒーが飲めるとはわからなかったが、丁度、コーヒーをいただきたかったので、ここで、一服することにした。彼女は、様々な神戸の活性化イベントに噛んでいたという。そして、その活動の実績もあり、この地下街の空き店鋪を、一年間限定で、安く借り受けるチャンスを得たという。その一年間の期限が、来年の1月の末に来る。それまでに、きっちりとした結果を出し、すっきりと出ていきたいので、一つのイベントに力を入れていると言う。それが「和の灯(あかり)」コンテストだと言う。同じ「灯り」を使ったイベントでも、道路を閉鎖し交通を遮断し、多額のお金を使い、イタリアの技術者で作り上げる神戸ルミナリエに対し、もともと、歩行者しか通らないところで、少額の予算で市民が和の感覚で作る「地下街の手作り神戸ルミナリエ」のようなものらしい。今は、プロのアーティストの方の展示即売をしているが、19日からは、スペースを広げ、一般公募のアマチュアの作品も展示するという。この一般公募は、まだ行うという。それは、多くの人に参加してもらい、多くの人にこの街に来てもらい、それが、積み重なる事で、閉ざされたシャッターの中に、灯が点る事に繋がる。そのような願いもあるというのだ。だからこそ、なるべく多くの人に参加してもらいたいので、12/10に応募は一度は閉め切ったが、今からでも、参加を受け付けたいそうである。しかも、上位3名には、3万円分の商品券が当たるというので、これも楽しい。最終審査は、12/31に行うとの事。当初の展示期間も、12/31までだったが、楠公さんで有名な、湊川神社に初詣に来た人も見れるように、期間も延長して展示するという。今からでも間に合うので、募集要項を下記します。そんな、こんなで、ゆっくりしていたせいもあり、10時前に神戸ルミナリエまで辿りついた。遅いせいか、今まで見た、神戸ルミナリエより人が少ない。阪神大震災の鎮魂の想いを込めて「上を向いて歩こう」を心の中で唄いながら灯りのアーチの下をくぐった。他にも、似たようなものが出てきているが、このような気持ちで見る事ができるのは、ここだけである。しかし、観光、公共事業という、足下の事を見過ぎたために、物語を伝える事を忘れてしまっているような気がしている。それは、「見ること/聞くこと/話すこと」というすべてが揃った形で、市民の参加ができる形態で、プロジェクトが進められていないからかもしれない。物語りが伝承されない。物語が伝承されないという事は、ブランドも成立しない。地下街での出合いを中心に、「見ること/聞くこと/話すこと」を考えさせられた、神戸の夜だった。「和の灯(あかり)」コンテスト 募集要項■テーマ 自然・手作り■仕様自然素材(和素材)を使用した手作りの行灯(あんどん)。置くタイプでも吊り下げるタイプでも可。ろうそく不可。20W以下の電球使用。5時間以上の連続点灯に耐えるもの。■サイズ一人で、動かせるもの。最大、幅や高さ1m以内。■展示方法作品は、神戸高速の地下街(高速神戸駅と新開地駅の間の「星の広場」を予定)展示品は、販売可能。値段は各自設定してください。搬入・搬出は各自お願いします。■展示期間 12/19~12/31 16時から21時まで点灯。■審査 アート展に出展しているアーティスト等により審査。■賞品 上位三名に「メトロこうべお買い物券」3万円分。その他。■出展料 1人1作品につき、1000円■申し込み受け付け作品タイトルと説明(主な素材、大きさ)などを考えた上。とにかく、期間が過ぎており、多少フレキシブルに運営されているので、世話人に確認して下さい。■主催 神戸高速興業株式会社「メトロこうべ地下街」■世話人 カフェ・イグレック 米澤清美〒650-0027 神戸市中央区中町4-2-23 B-5 メトロこうべ内 カフェ・イグレック 米澤清美TEL 078-341-6578 地下街の灯をテーマにしたアート展 地下街の空き店舗を利用したカフェと主人 カフェ内部 カメラつき携帯電話で神戸ルミナリエを撮影する人々。今まではこういう光景はなかった。
2003.12.14
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私が管理人を務めている名刺交換MLの2周年記念オフ会の大阪バージョンのために、実家に戻ってきた。この名刺交換MLは、2001年11月に「広げよう、人脈の輪」をスローガンに、立ち上げた、異業種交流のメーリングリストである。390名が参加し、毎日何十通のメールが飛び交う、インターネットコミュニティとなっている。この名刺交換MLの2周年記念オフ会は、東京、横浜と開催し、今回の大阪で終了となる。私の実家は、会場である大阪・梅田から、阪神電車で一本でいける、甲子園にあり、そこに泊っての参加である。今回は、前日に入った。朝、いつものように起きたら、東京より経度が5度違うため、日の出の時間が20分遅く、夜明け前だった。そこで、甲子園の海で、日の出を見ようと、カメラを持って出かけた。甲子園に住んでいた時は、そんなことをやろうと思わなかったのだが、東京という、違った所に住むと、今まで、やろうと思わなかったことを、やろうと思うのが不思議だ。家から、徒歩5分で、すぐ、海だ。夜明け前だというのに、散歩に出かける人が多く、私の横を犬が飼い主とともに走り抜ける。堤防をこえて、砂浜に降りる。甲子園浜は、阪神間に残された、数少ない砂浜である。砂の色は、六甲山系の花崗岩質のため、関東の少し黒っぽい砂と違い、少しクリーム色ががった白い砂である。それが、自慢である。ただし、沖合いが埋め立てられてからは、人工的に砂を入れないと、砂浜が減ってくるせいもあり、今は、少し、砂の質はかわってきている。そのうえ、埋め立てのせいで、波が少なく、少し、池や大きな川のように見えるようになっている。波であらわれていないせいか、砂が荒くなっているような気がする。でも、やはり、海は、海。たとえ、池のようでも、潮の満ち引きがある。その日の朝は、ちょうど、干潮で、しかも、よく引いていて、小さな干潟になっていた。そこに、白く目の後ろに黒い斑点のついた冬毛のユリカモメの一団が餌を取りにきていた。ついつい、見入ってしまった。ユリカモメは、渡り鳥で、冬になると、大阪湾にやってくるが、夏は、サハリンだとか、オホーツク海など北の方にいってしまう。このユリカモメは、人には慣れていないものの、近付いても逃げない。5メートルぐらいまで、近付くことができた。今まで、ユリカモメに、ここまで近付けた事はない。甲子園の浜が、埋め立てられるという計画が、発表されたのが、30年以上前。それから、住民運動の中で、甲子園の浜が、鳥獣保護区になって、20年以上経ち。その年月のおかげもあって、鳥たちも、人は危害を与えないものと、安心して食事が出来るようになったのだろうか。それとも、周りが埋め立てられ、餌がないため、人が接近するという危険を犯してまでして、食事を採ろうとしているのか。理由は、ユリカモメに聞かないとわからないが、以前より、人の近くで、餌を啄む。私の予想している理由は、いずれにしても、埋め立てという要因がなければ、成立しない話だが、同時に、埋め立てられずに残ったからこそ、目の前で見れているという事実もある。理想的な、本来の大自然とは掛け離れたものだが、すくなからずも、残された自然があるからこそ、自然と触れて、心を癒す事ができる。歩いていける、小さな自然。本格的ではないけど、小さな自然と触れる場所が残っているからこそ、いろんな小さな出合いと発見がある。こういう場所って、都会の中では貴重かも知れない。 夜明けに、波打ち際に集まる水鳥の群 ユリカモメ
2003.12.13
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ある冬の朝の出来事。近所に住む、田村さんが訪ねてきた。早朝から、人が訪ねてくるというのはあまりない。何だろうと思いドアをあけると。当時の私の愛車のシトロエンBXからガソリンが漏れていると言う。田村さんは、ガソリンのにおいで目が覚めて、駐車場を見にいったら、私のシトロエンからガソリンがポタポタと落ちているというのだ。早速、駐車場に向かう。確かに、ガソリン臭い。シトロエンの前から、一筋のガソリンが流れている。車の後ろに回ると、車体の後端に近いところから、垂れているようで、その下に氷柱が立っている。おそらく、ガソリンの気化熱で、大気中の水蒸気が凍ったものであろう。車の後ろはすぐ、垣根で狭く、人が入れない。しかも、油圧式のハイドロニューマチックサスペンションは、エンジンを掛けないと、車体が走行状態の高さにならず、車の下を覗き込むことができない。しかも、隣の車が近すぎて、ジャッキアップの作業もできない。とりあえず、エンジンをかけずに、広い場所に移動させ、そこで、対処することにした。道路に寝そべり、ぺったんこに車高の下がったシトロエンBXの床下に手を差し込んだ。どうも、直径1センチぐらいのゴムのようなパイプのあたりから、ガソリンが漏れているらしい。そのパイプを押さえつけようと手を触れた瞬間。そのゴムパイプが外れた。これは大変なことになる。昨夜遅く、ガソリンを満タンにしたばかりなので、最悪、50-60リットルのガソリンが流出する。ましては、引火したら大変だ。私は、とっさに流れ出るガソリンを止めるため、パイプに中指を差し込んで止めた。私は、身動きが出来ない。それを見ていた、近所にいた田村さんが、急いで家に帰り、119番通報をしてくれた。手が、ガソリンの気化熱で、凍える。しかも、車高の下がったシトロエンのバンパーの下から手を突っ込んだ状態で、道路に不自然な状態で寝そべっている。まあ、消防署も近いし、すぐ来てくれると思い我慢する。消防車のサイレンの音が聞こえる。たった、400メートルも離れていないのに、朝っぱらから、サイレン鳴らすなよと、心の中で思っているうちに、消防車がついた。いや、消防車といっても、レスキュー用の特豺?郤屬澄三人の隊員が降りてきて、私に状況の説明を求めた。私は、小さなパイプが外れて、ガソリンが漏れている旨を伝えた。すると、一人の隊員は、わたしの代わりに、ガソリン漏れを手で押さえ、隊長らしき人を残して、もう、一人の隊員が、特殊工作車に戻り、なにやら、小さなものを持ってきた。それは、工作用の「あぶら粘土」だった。あの、深緑色した、臭いやつだ。しかも、パッケージに、クマさんの絵が書いてある。この粘土で、ガソリンを押さえようという作戦なのだ。小学校の工作の授業で使う、しかも、クマさんの絵がパッケージに書かれた「あぶら粘土」を、消防隊員が大まじめな顔をして、特殊"工作"車から持ってきたものだから、おかしくてたまらない。ここで、笑ってはいけない。と、思うと、よけいに、おかしくなる。笑いを堪えて、パイプを押し込めば直るから、まずそれをやって、駄目だったら粘土を詰める作戦に入ると、隊長に話し。隊員の迅速な作業で、無事ガソリン漏れは解決した。幸いにして、ガソリンは、半分以上残っていた。ちなみに、後で知ったのだが、あぶら粘土は、道路工事などで、ガス管を当てた時などに、そのガス漏れを止める時に使うらしい。おそらく、そのために、あぶら粘土を、特殊工作車に常備しているのだろう。でも、クマさんのイラスト入りは、ないよな。漏れたガソリンの蒸発を待ち、近くのマツダのディーラーに自走して行った。なぜ、シトロエンなのに、マツダかと言うと。私のシトロエンBXは、マツダ系のディーラー車だからである。ここで、よく、オイルを買う。いつものエンジニアさんが、原因を教えてくれた。ガソリンを満タンにし過ぎると、ガソリンタンクの空気抜きのパイプにガソリンが侵入し、そこのジョイント部分のゴムパイプが、外れそうになり、そこからガソリンが漏れるというのだ。経年変化で、そのゴムが劣化すると、特に漏れやすいと言う。とりあえず、新品のゴムパイプを注文し、今のゴムパイプの周りを、番線で、巻いてもらった。しかし、パーツがなかなか届かない。店から、広島の倉庫にあれば、翌日に届くのだけど、どうもフランスにパーツを取り寄せているとの連絡があった。20日ほど経って、パーツが届いた。パーツ代は、1200円だった。工賃はサービスしてくれた。しかし、このパーツ、フランスのシトロエン本社にも、在庫がなく、イタリアの部品メーカーに、シトロエンが発注し、航空便で、広島の倉庫に行き、そこから、店に届いた。これで、1200円は、運賃と動いた人の事を考えると安い。マツダは、この後、シトロエンのサポートを止める事になるが、ディーラーとして、インポーターとして、メーカーとして、信用を大切にし、サポートする姿勢に感服した一瞬でもあった。ドイツ以外の欧州車は、正規に輸入する業者である、インポーターが、安定しない事が多く、それが、欧州車が日本で普及しない原因と言われている。だが、信用を大切にしているメーカーやインポーターもある。それらの取り組みが、この10数年ドイツ以外の欧州車が普及する原動力ともなっている。確かに、マツダは、シトロエンから撤退したが、たった一つの安いパーツでどんなに手間がかかっても、お客さんに適正な販売をする姿勢をとっていた。このようなまじめな対応の積み重ねが、今の日本の欧州車の市場の基礎の一部を作ったと思う。それは、日本のクルマ文化の発展に貢献していると思う。
2003.12.12
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そうそう。もう、5.6年、聞き続けているCDがある。いや、流し続けているという方が正確かもしれない。CDなのだが、製本されており。CDサイズの本にCDが付いているという感じになっている。タイトルは「ロバの音探し」。文・絵:松本雅隆 写真:中里和人 音楽:ロバの音楽座。吸血鬼ドラキュラの舞台で有名な、ルーマニアのトランシルバニア地方の小さな村の音と風景の写真と古楽器の演奏が楽しめる。特に、現地で収録した様々な音がとても気持ちいい。足音、荷馬車の音、川遊び、子守唄、小鳥、牛の鳴き声、教会の鐘、子供たちの声、夜行列車の音、そして、現地の老夫婦の民族楽器の演奏・・・なにか、どこかに忘れ物をしてきたような音が入っている。その合間に、いつのまにか、素朴な古楽器の演奏が入る。中世の琴であるプサルテリー、バグパイプ、リコーダー、リュート、サズ、フォークフルート・・・・そして、いつ間にか曲が終わる。流行のJ-POPなど、隙間恐怖症と思えるぐらい、音を詰め込んだサウンドとは対極の世界です。昔のヨーロッパに、タイムスリップできるCD。絵本というより、写真集です。老夫婦が民族楽器を演奏する様子の載っているページより。CDの入手は、ロバハウスでできるみたいです。ちなみに、私は、なぜか、無農薬野菜の店で買いました。私は、こういう生活音や自然音を音楽に入れるのが好きで、自宅録音で曲を作るとき、時々わざと入れたりするんですよ。けっこうはまります。
2003.12.11
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案内ハガキを掲載する、アートイベント情報サイト「POSTCARDS 」に、掲載したイベントには、特に始めて掲載したものを中心に、実際に行ってみるようにしている。今日は、朝から、四谷で打ち合わせだったこともあり、その勢いで、飯田橋のギャラリーに向かった。今回は、手芸の展示である。東京デザインフェスタ会場で少し、作品を見たが、失礼な話だが、あまり印象が残っていなかった。駅から歩道橋渡り、階段を下り、銀行のATMの横の階段を上がり、会場に入ると、そこは人でいっぱいだった。しかも。全員女性。そして、壁一面に、毛糸で作られた縫いぐるみで覆い尽くされている。すごいパワーだ。私は、黒のスーツで行ったので、浮いていた。このイベントは「あみぐるみコレクション 」といい、 日本あみぐるみ協会が主催している。このあみぐるみというものは、あみもので作った縫いぐるみのことで、様々な毛糸を駆使して編み物をし、その中に綿を詰めて、縫いぐるみにしたものである。サイズは、15センチぐらいのものが、多く、手軽に作れるのが、人気の秘密のひとつだろう。また、毛糸も、毛足の長いものなど、様々なタイプがあり、いろんな表現が出来るアイテムが揃っているのも。その人気を後押ししているように思う。このイベントも約2年半、協会は一年少しだが、本当に、パワーがある。このあみぐるみ作家は、全国にいるらしく。インターネットを通じて、噂が噂を呼んで、今回は、140名の作家の作品が展示し、作品が販売されている。どおりで、全ての壁が、あみぐるみで埋まるわけだ。一人一人の情熱が、折り重なり、さらに強力なものになっている。私は、ただただ圧倒されるだけだった。壁一面に、人形で、圧倒されたと言うと・・・今年の10月に行われた、高円寺『ハート・トゥ・アート』 のメイン会場の一室で行われていた、柳瀬忠彦 vs 滝町昌寛 のこーナへでは、壁一面に手袋で作った縫いぐるみが貼り付けられていた。関連ページ 。一日5個作ったとしても、何年かかかりそうな物量である。これを、一人で作ったというから、ほんとうに驚きだ。しかも、ひとつひとつ、表情が微妙に違う。どういう気持ちで、作り続けたのだろうか。機会があったら聞いてみたいものだ。さて、この、手袋を使った、ぬいぐるみの材料である、手袋も、もとはというとニット。つまり、あみものである。この技術というのが、やはり、日本が世界に誇る技術なのだ。自動でニットを作る機械のトップメーカーは、和歌山の島精機であろう。この会社は、現社長の島正博氏が、軍手を作る、手袋編機の自動化をするめたに、今から40年ほど前に設立された。この島氏は、町工場で働いている10代の時に、既に、手袋編み機を開発。特許取得。それから、現在まで数々の発明をしつづけていると言う。ディスカウントショップなどで、軍手が安く手に入るのも、この島精機が、自動手袋編み機を開発したからである。さらに、軍手を良く見ると、継ぎ目がなく、正確に、複雑な形状の手袋が編まれていることに気が付く。これは、全自動シームレス手袋編機によるもので、これもかなりの技術である。この技術は、さらに発展し、セーターの継ぎ目を無くする技術に発展。同時に、デザインから生産までトータルにカバーするシステムとなり、ファッション業界にとって、必須といえるアイテムとなる。このおかげで、服のデザインの自由度が格段に向上。さらにコストも抑えている。設計システムと連動することで、いままで、人間が最初から考える事では困難な設計も可能となっている。それらの技術のおかげで、なにげなく着ている、おしゃれなセーターが存在するのである。そして、柳瀬忠彦氏の作っている、手袋でつくった、縫いぐるみたちも、日本の優れたテクノロジーを背景にして出来たものなのだ。日本人の編み物への情熱は、手作りにしても、機械生産にしても、いずれにしても、熱いものを感じる。もしかして、日本は、編み物大国かも。今は、ものづくりは、海外に移転していると言われるが、これだけ、日本は、ものづくりのパワーをもっているのだから。これを、生かさないわけにはいかないように思う。それを生かすには、国内のものづくりパワーを食わせていくビジネスモデルや環境作りを進めていく必要があると思う。
2003.12.10
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11月18日(火)に、「4ヶ月で10キロ痩せた [水]編」として、掲載したところ、10件ほどの書き込みがありました。ありがとうございます。今回は、「水」と関連して「温かい飲み物」編です。私が、ダイエットをしたのが、夏だった事もあり。水分を取る事に加えて気をつけた事は、「温かい飲み物」を飲むということでした。一つ目は、「水」編の時にも書いた、清涼飲料水を減らすことで、糖分や炭水化物の過剰摂取を防ぐ効果をも狙っているのですが。それ以外に、「温かい飲み物」は、体の緊張をほぐし、体を活性化させる事によって、新陳代謝を改善し、ダイエットできる体にするという、体質改善の一環と捉えている。暖かい飲み物を飲むと、多くの人が口にする言葉は「ほっとする」という言葉だ。この「ほっとする」感じが大切なのです。それは、緊張がほぐれるという事なのです。ダイエットをするとき、決められたメニューに従って行う事が多いと思いますが、これが時には、「○○しなければならない」という義務感となり。体の緊張させてしまうということに繋がる。何でもそうなのですが、緊張したり、固まっているものは、折れやすかったり、もろく壊れやすかったりする。逆に、緊張の無い、やわらかく、しなやかな状態の方が強いという事がある。からだも、緊張して、こわばっていると、血液などの循環が悪くなり、余分な脂肪を外に出す能力を失ってしまうのです。冷たい水も、飲むと、気持ちがいいものですが、体温との差が激しいと、やはり、体に緊張をもたらします。熱すぎるのもやはりダメです。そこで、「温かい飲み物」を飲むとき、少し冷まして飲むわけですが、ここで、すこし一工夫をして、さらに、緊張をほぐす効果を強化する方法があります。それは、「腹式呼吸で飲み物を冷ます」という方法です。私は、猫舌なので、熱いも飲み物は、少し苦手です。そこで、飲み物を、冷やすわけですが、放置して冷やす方法もありますが、息を吹きかけて冷やすという行動をします。この時に、腹式呼吸&深呼吸をしてしまおうというアイデアです。腹式呼吸の方法ですが、まずは、息の吸い方です。おなかの下の方を膨らますように、息を吸います。おながが膨らんだら、今度は、おなかの力を抜くと、自然に息がゆっくり出ます。この息を利用して、飲み物を冷まします。飲み物が冷えるまで、数回は、腹式呼吸で深呼吸をする事になるので、これで、からだに、多くの酸素がまわり、体はリフレッシュされます。もちろん、気持ちもリフレッシュされます。これが大きいですね。さて、何を飲むかですが、いずれにしても、飲みすぎはよくありません。おなかがいっぱいの時は、消化を促進するコーヒーもいいでしょう。(空腹時のコーヒーは、胃液が出るのを促進してしまうので、避けたほうがいい)また、あぶらっぽいものを食べた後は、番茶、ほうじ茶、ウーロン茶、プアール茶がおいしい。でも、お茶も飲みすぎると、なんか、血糖値が下がって、パワーダウンしちゃう事があるから要注意。また、ハーブティもいいですよね。ココアも、ホットミルクもおいしい。それと、ホットオレンジジュースなんかもおいしい。ホットオレンジジュースって、たまに異様に甘くなるものがありますが、そういうジュースは、冷たくなると甘さを感じにくくなるので、かなり糖分をぶち込んでいるという証拠です。そういうジュースは今度から買うのを避けましょう。そうそう。スープやお味噌汁を忘れていました。お味噌汁は、ダシによってはカルシウムも得られますし、良質のたんぱく質も得られるという、ダイエットに不足しがちなものを摂取できる食品です。但し、塩分が多いと、むくみの原因になるので、注意が必要。日本人は、ナトリウム過多ですし。ナトリウムが多いと、血管を収縮させてしまいます。ナトリウムに、拮抗するのが、血管を広げるカリウムで、野菜なんかに多く含まれています。ただし、カリウムは水に溶けやすいので、野菜を煮てしまうと、カリウムが逃げてしまう事があります。溶け出したカリウムを摂取できる野菜スープも、なかなかいいです。基本的に、お好みで飲みわけるのですが。缶コーヒーは避けています。これは、糖分が多いからです。日本人は、糖分や炭水化物過多と言われています。これが、日本人の肥満の原因のひとつだと思います。まあ、いずれにしても、からだを、自然な状態に、ほぐしてあげる事は、大切です。そうしないと、水も酸素も栄養も体に取り込まれないし、不必要なものも外に出ません。寒い季節ですが、温かい飲み物をのむ機会が多いと思います。そんなとき、深呼吸をしてみてはいかがでしょう。
2003.12.09
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日本のテレビ放送の独自文化というと、やはりワイドショーである。これは、報道とも、エンターテイメントともいえない、独自の位置づけであり、欧米諸国、アジアの諸国でも、ちょっとした、芸能番組というのは、存在するし、パパラッチもいる。しかし、芸能人のプライバシーについて、毎日放送するという、ワイドショーという形式での番組はあまりないそうである。そして、そのワイドショーの特徴の一つが、コメンテーターの存在である。本来、コメンテーターは、「解説者。評論する人。」であり、その道の専門家であったり、評論家という専門の職業の人が担当する。ところが、ワイドショーのコメンテーターは、ちゃんとした、専門家である事はあるが、なぜか、自分の専門外と思えることも含め、すべての内容についてコメントしてしまう。これが、実に不思議である。あるコメンテーターは、もともと、オウム真理教の専門家のジャーナリストとして、ワイドショーに出るようになったが、いつの間にか、レギュラーになり、全ての内容についてコメントするようになっている。作詞家の人も、なぜ、そこにいるのかも謎である。極端な話し、ワイドショーのコメンテーターは、顔が売れて、そこそこ、話しができれば、誰でもいいのかもしれない。コメントの内容も、多少支離滅裂でも、筋が通っていなくてもいい。とにかく、コメントするという事が大切である。ちなみに、きっちりコメントしているコメンテーターも数人いて、ピーコは、独自の視点がしっかりしていて、なかなかのものである。しかし、なぜ、ワイドショーのコメンテーターは、誰でもいいのだろうか。その謎を解くヒントとなる出来事が、先週のファシリテーションのワークショップで起こったのだ。その日の、ワークショップは、グループダイナミックスについてを学ぶ日であった。グループダイナミックスとは、集団力学ともいい、集団の特質、集団発達の法則あるいは集団内や集団間に働くさまざまな力の作用・動態を、力学的方法を用いて分析しようとする研究分野の事なのだが、実際は、集団行動によって起こる力の事を指す場合が多い。たとえば、会議などで、何人かの有力者が話し合っていると、その勢いで、内容が決まってしまう。なんて事があるだろう。そのような、集団になった時に、不思議な力というか、方向性というか、集団の持つ人格が出てくるが、そのようなものである。もともと、このグループダイナミックスは、ナチスが台頭してきたときに、研究され始めた学問である。それほど、集団の持つ力というのが、恐ろしく、その研究を始めたという事だ。さて、このワークショップで、どのような事が起きたかというと、何人かの、よく発言する人が、意見を出し合ったら、出席した人が、あくまでも、参加した気分になってしまうというものだった。だが、実際には、出席はしたが、意見は述べていないし、有力者の意見と、出席者の意見が完全に一致しているとは言えない。厳密に言えば、合意のもとで、話し合いがなされた事になっていなかったのである。よくある事だが、会議が終わった後に、冷静になってみた時、なぜあのときに、賛成したのかわからない事があったり。会議の場を崩したくなかったために、賛成したフリをついついしてしまう人がいて。後から、苦情が出るという事である。このような事が、トラブルの火種になりかねない。グループ内で行動していると、なんとなく、流されてしまう。これが、グループダイナミックスの一つの現れだと言うのだ。これは、恐ろしい、場合によっては、重要な議決で使われてしまうと、後で取り返しも付かないことになる場合も出てくる。それにしても、人間という生き物は不思議だ、人の話を聞いたり、見たりしているだけで、あたかも、自分がやったような気分になれる。野球やサッカーを観戦すれば、自分が監督にでもなったような気分になってしまう。もしかすると、学校での授業でも、黒板で誰かが、数学の問題を解いていっていると、しかも、それが正解だと、なんとなく、自分もその問題を解いたような気分になる事がある。教育番組なんかを見ていても、よくわからないけど、解けたような気分になることがある。しかし、実際は、自分で解いているわけでもないし、たとえそれをノートに書き記したからといって、テストでその答えを書けるとは限らない。実質的には、自分が行動していなくても、その時、なんとなく、満足するというのが、実に不思議である。なんとなく参加した気分にするには、もしかすると、なんらかの有力者が出演し発言すれば、誰でもいいのかもしれない。誰かが、代弁してくれさえすれば、見ている人は、行動に移さなくても、なんとなく行動したような気分になって、なんとなく満足するのだ。グループダイナミックスと、マスメディア論は違うと言う方もいるだろうが、マスメディアを通して、グループダイナミックスで起こること広がるということがある事については、否定しにくいだろう。ワイドショーも、番組として、見ている人に対して、満足感を与えるには、コメンテーターは、とにかく、もっともらしい、コメントを言えさえすれば良い。だから、顔さえ売れてしまえば、誰が何を話してもかわまない訳である。見ている人が、満足さえすればいいのだ。放送局も、なんとなく、世間で起こったことに対して、話したような気になる事によって、満足するという、ちょっとした快感が視聴率をかせぐ事を知っているのだと思う。しかし、見ている人は、その時は、満足するが、実際は、なにもしていないのである。討論番組を見ていても、その時、なんとなく言いたい事を言ってくれて、なんとなく満足しても、世の中の現状は変わらないのである。また、選挙の時だけ、演説を聴いて、そのあとは、政治家に対し、放りっぱなしになる事が多いが。演説を聴いている間に、なんとなく、満足してしまい。あとは、無関心になってしまうからだと考えられる。選挙というシステムは、いい面も、悪い面もあるが、なんとなく、演説を聴いているだけで、満足してしまうようでは、自分の身に降りかかってくる、様々な出来事も察知しにくい。後で、文句を言っても、既に、法的なプロセスを得ているため、すでに、変更することが困難な事になる事がある。あとは、いい手だとは思わないが、誰か、偉い人を捕まえて、荒業で覆すしかない。後の祭り。というか、後の政(まつりごと)という事である。いろんな、有力者の言う事を聞いて、なんとなく満足してしまう事があるが、そんなとき、ちょっと冷静になって、本当に自分が言いたいこと、やりたい事、思っている事を思い起こしたい。もしかすると、その、こころの片隅にある、そのような気持ちが、なんとなく、流されてしまう事を防ぎ、流された事によって、不快な思いをする事を防ぐかもしれない。そのような、冷静な判断ができる能力は、孤独によって育まれるという。自分を冷静に見る目、流されない力、そして、肝心なことに対して動く力は、最終的に自分を守り。大切な人を守る事になる。日本のワイドショーのコメンテーターは、なぜか誰でもいい。それは、日本人が、集団の中で、自分を冷静に見て行動する事が不得意な事を、表しているのである。蛇足ですが、芸能レポーターって、なかなか新人が育たないですよね。市場が、意外と小さいという事で、いまいる人だけで、事足りてしまうという部分もあるでしょうが。内部情報を聞きだせる、対人関係能力が、若い世代のレポーターでは、弱いという部分もあるかもしれませんね。
2003.12.08
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案内ハガキを掲載するアートイベントの検索サイトを始めて、一ヶ月を過ぎ、ぽつりぽつりと、誰のつてか、わからないアーティストからも、案内ハガキが届くようになってきた。そういう案内ハガキに誘われて、応募のお礼と、さらにサイトに掲載するために応募してもらえるようにお願いをしようと、神宮前のある小さなギャラリーに足を運んだ。地下鉄銀座線の外苑前の駅を降り、クリスマス前という事で、ナイアガラの花火の様に無数の小さな電球で装飾された、キラー通りを千駄ヶ谷方面へ少し歩く。古いビルの下にある看板を目印に、細い階段を4階まで上がると、目的地であるギャラリーがあった。その日は、二人の作家の金属で作った小さなオブジェと、木版画を木片に貼った作品が展示されていた。一通り観て、会場を後にしようとして、ふと、入り口にある、案内ハガキ置き場を見ると、どうも、トイレでも作品を展示しているらい事が、書いてある案内ハガキ案内ハガキがあった。しかも、展示期間中である。これは、見逃したと思い、もう一度、ギャラリーに入り、置くの扉をノックして、事務所に入った。そこで、トイレを見たいと告げると、左手にあるトイレを案内された。トイレに入ると、和式便所の便器とタンク以外全て、鮮やかな色の糸で円を描いたものが、全面に敷き詰められていた。これは、ドアを閉めて、しゃがんで見るしかない。そうすると、短い時間だが、目が廻るというか、なんとなく、ボーっとする感覚を覚えた。トイレを出て、ギャラリーの主人に、この企画について聞くと、どうも、毎月、違うアーティストによって、トイレが飾られるらしい。こういうのは、めずらしい。よくあるのが、アーティストにトイレをデザインするパターン。SAKO さんは、今はないが、クラブのトイレを、彼女の独特の有機的な陶器で真っ赤に埋め尽くすという事をしていた。そして、東京、大阪に何軒か店のある「青龍門」という台湾小皿料理屋は、仕掛けトイレで有名だ。そこのトイレは、いろんな形のトイレや、ちょっとエッチなものも含め、いろんなオブジェが置いてある。そういう、商業施設として、しかも常設という形で展示する事が多い中で、月がわりで替えていくというのは、面白い。ところで、トイレという空間は、不思議な空間である。これは、一種の瞑想空間ともいえる。名将、武田信玄も、トイレにこだわりのある人物で有名で、トイレについて、かなり拘りをもっていたようだ。そういう理由かどうか知らないが、JRの甲府駅前にある、武田信玄像は、なんとなく、和式トイレにかがんでいるようにも見える。しかも、ある角度から見れば「公衆トイレ」という看板が同時に視野に入るので、余計に、トイレをイメージさせる。今回のギャラリーアートスペースの展示は、私には瞑想空間としてのトイレと感じた。それは、「青龍門」のエンターテイメントとして、話題性のためのトイレとは一線を引いているような気がした。しかし、このギャラリーのトイレって、なんとなく、使いたくないよなあ。瞑想空間にはいいけど・・・ついでに、ですが・・・そして、また違うトイレのアートがある。西洋の古いトイレだ。これは、インドにある、トイレの博物館「Sulabh International Museum of Toilets」に、数多く展示されているらしい。ここには、行ったことがないが、大阪のインテックスでこの春に行われた「水のEXPO」の会場でインド人にいきなりパンフレットを渡されてその存在を知った。ホームページやパンフレットを見ていると、華やかにデコレーションされたトイレが並んでいる。これは、華麗に装飾され、あたかも、一つの調度品という雰囲気がある。これは、これで、一つのアートの世界がある。インドに行く機会があったら、是非とも行って見たい所だ。もし、そこに行ってきた人がいれば、感想を書き込みしてください。お待ちしています。最後に・・・今回行った、ギャラリーは、さらに、同時にもう一つ、小さな展示もしています。これも、月替わりのようです。多くの作家にチャンスを与えるためにいろいろ工夫をしてますよね。本当に、ギャラリー一つとっても、ほんと様々ですね。
2003.12.07
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12月に入ると、全国各地の商店街やショッピングセンターで、福引抽選会が行われる。私も、バイト時代も含め、大阪で、5.6年販促イベントの世界で働いていた。11月の中旬以降は、仕事納めが終わるまで、年末はノンストップで働く。店内放送のクリスマスソングが、耳について、夢の中でも鳴り続ける。私の仕事は、景品の在庫管理、バイトなどの人事管理、お客さんの整理などの会場管理、当選本数をコントロールする出玉管理である。在庫管理は、在庫数を常に把握するだけでなく、景品が均等に捌けるようにする事も大切な仕事だ。同じ等が当たった場合、賞品をお客さんが選ぶことができる場合、最終日に同じ賞品ばかり残っていたら、お客さんに選択の余地がなくなる。せっかく、当たった賞なのに、同じ賞を複数当てた場合、選択の余地が無く、同じものを貰っても嬉しさが半減する事がある。それを避けるためだ。さて、どのようにして、調整するかだが。それは、いくつかのテクニックがある。まず、景品のディスプレイの方法だ。人は、自分から近いものを選択しやすいので、在庫が多いものをお客さんから見て手前側に置くようにする。そして、照明がある場合は、照明がよく当たり、景品が明るく浮かび上がるようにする。さらに、景品の説明をするときは、どの順番で言うかによっても、コントロールが可能である。最初か、最後に紹介する景品がよく出る。これだけでも、ずいぶん変わってくるのだが、それでも、最終日に近くなると、欠品が出てくる。これだけは、仕方ない。もし、福引の券があるとしたら、早い目に、福引をする事をオススメします。景品を選ぶことができます。アルバイトの人事管理だが、年末は、バイトの確保が大変。特に人が集まらないのがクリスマス・イブである。女性アルバイトを、延べ何百人管理するわけだが、クリスマス・イブは、バイトの予約を入れてくれる人が本当に少ない。変な話だが、彼氏がいなくても、見栄を張って、クリスマス・イブを休みにするのだ。クリスマス・イブ当日のファッションビルは、夕方までは忙しいのだが、晩になるといきなり人通りが減り、閑散とする。実は、クリスマス・イブのバイトの仕事は、少しヒマで楽なのだ。とはいいつつ、ピークの忙しい時間帯にあわせて、人員を確保しているために、このヒマさが、苦痛になる。そのような日だからこそ、フォローが必要なのだ。閉店し、会場を片付けた後に、倉庫で、スタッフだけのささやかなクリスマスパーティを開く。疲れているだろうから、早く帰りたいだろうし、プレゼントを渡すと、店を出るときの検品チェックで引っかかる可能性があるので、あまり大掛かりにもできないが、一番大変な日に働いてくれたスタッフに対し、せめてもの感謝の気持ちだ。また、バイトの管理で困るのが、人間関係である。人それぞれ相性があるし、好き嫌いがあるので、犬猿の仲と解っている人はなるべくバッティングしないようにする。その一方、仲が良すぎる人も、仕事そっちのけになってしまったり、フレキシブルに配置を換えにくいので、配置に注意が必要。けっこう、ディレクターって気を使っているんですよね。そして、会場管理だが、お客さんの整列のほかに気をつけないといととけないのは、不正行為や万引きである。不正行為の代表的なものは、ニセの当たり玉を入れるというものだ。なにか、ものを落とすとか、いろいろ話しかけたりして、スタッフの注意を引いて、その間に、ニセの当たり玉を入れるのだ。しかし、これは、ばれるのだ。会場によって違うが、当たり玉には、通しナンバーや、何かの暗号を刻印しておくのだ。しかし、ニセ玉を入れるお客さんは、だいたいそこで、大きな声を出したり、他のお客さんに対し不快な行動をするので、うまい言い草をつけて、販売促進室に連れ込んで、そこで、別の賞品を渡すなどをして、そっと引き取ってもらう事が多い。間違っても、抽選券を手に入れている人なので、不正をしたといっても、お客さんには変わりはない。最後に、出玉管理である。これは、在庫と当選数が合うように、一つの誤差の無いように徹底して管理をする。しかも、お客さんに対し、ある日は当たりやすく、ある日は当たり難いという事なく、毎日、特等賞、一等賞が出るようにコントロールする。このために、期間中どのようなスケジュールで、玉を出すのかを、去年の実績、昨年比の今年の伸び率などを換算して、予定表を作る。そして、当日の天気などによって、微調整して、その日の朝に、入れる玉の数を確定するのだ。これにはパソコンがとても役に立ち、これでパソコンの操作を覚えたのだと思う。さらに、一つの抽選機に入る玉の数というのが、上限が決まっているので、お客さんが多い時は、複数の抽選機を使って福引を行う。この配分のほか、最低の賞の当たる確率も、一定のパーセンテージ以上は、お客さんが当たっていると感じ、会場が盛り上がるという数値など、こちらにも、いろいろノウハウがある。それでも、運営側の思い通りにいかないのが、抽選会の面白さである。逆に言うと、予想通りにズバリ当てたときは、独特の快感がある。通常のガラポン抽選機ではなく、20個の番号の書かれたボールと2つの色の違うボールを入れた箱から、手づかみで、ボール一つを選ぶという方式の抽選会をした時。色の違うボールを取った場合、タマゴ10個パック1つが当たり、あと一回、番号の書いてあるボールを取る権利があるというルールで行った事がある。(但し、参加者の人数は、限らせてもらった。)問題は、タマゴは、生ものという事である。普通、抽選会の景品は、余ったときの事を考えて、生ものを選択しないのだ。もちろん、景品の総額は、予算や公正取引委員会の指導で決まっているので、それを越えるわけにもいかない。抽選会の景品の設定は、企画だけではなく、数学の力を必要とするのだ。さて、このタマゴなのだが、試行の結果が分散することと破損の可能性も考慮して、2パック余らせるという計算のもとに、170パックのタマゴを用意したのだが、予想通り、2パック余った。計算した結果と、現実に行われた結果とが一致したときは実にうれしかった。今は、抽選会とは全く別の仕事をしているが、この仕事の経験は、インターネット時代になって、懸賞サイトの仕事に役に立った。懸賞サイトといえば、1000万円が当たるとかいろいろあるが、一番最初の高額懸賞のホームページは、私の企画した「100万円の当たるホームページ プレゼンページ」(1996年)なのだ。電子メールマガジンと連動しての広報は当たり、みるみるアクセスカウンタの数字の桁数が上がっていった。経営難が理由ではないが、諸事情があり、このサイトは撤退したのだが。今の高額懸賞を元に、マーケティングリサーチをするというスタイルが定着したのは、とても嬉しい。しかし、最近は、この高額懸賞ページにも、かげりが見えてきた。それは、金額で目を引くという手法には変わりないのだが、「一等=100万円1名様」ではなく「景品総額100万円」というように、懸賞総額を表示し、少しでも多くの金額にして目を飛行としながらも、実質的に景品総額が下がってきているのである。これは、そろそろ、インターネットで高額懸賞を目玉にマーケティングリサーチをするというビジネスモデルもそろそろ辛くなってきたのではないかと思われる。ちなみに「景品総額100万円」なら、数件の小さい市場は別にして、近くの商店街の抽選会の方が景品総額が高額なのである。駅前のガードしたの商店街でも、期間中の売り上げが、4000万円ぐらいを超えると、景品総額は100万円を越えるのだ。たとえば1軒の店が一日平均40万円売り上げたとして、そういう店が10軒集まって、10日間の福引を行うとすると、期間中の売り上げは4000万円となり、その3%までが、景品に回される。したがって、だいたい100万円分の景品総額になる。福引をしている商店街は、多くは、何十軒もの店が加盟しているので景品総額も増える。大阪・梅田などの大きな地下街やショッピングセンターは、軽く何千万円という景品総額になり、一日の懸賞総額だけでも、何百万円になる日がある。(それだけ、在庫管理は大変なんだけどね)つまり、総額100万円というインターネットでの懸賞サイトに参加するのだったら、日常品を買うのを福引の期間中だけでも、近所の商店街に変えてみる方が、景品として返ってくる金額が多いのである。こちらの方がお得。インターネット懸賞もいいけど、是非、近所の商店街の福引をチェックしてみてください。けっこう、当たりますよ。
2003.12.06
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車検が切れと財政難もあり、愛車のプジョー309を廃車することにした。プジョーのトレードマークであるライオンのせいかどうか解らないが、ネコ足といわれる、しなやかな足回りの車である。山道も軽く飛ばすと、なぜか安定してくる感覚は、同じクラスの国産車には、まず望めない。だが、何軒もの買取店では、買取はせずに、有償で解体・廃車手続きをすると言われた。それではあまりにも、この車がかわいそうだと思い、埼玉県北部にある深谷市の古いシトロエン専門のお店キャロルに、何十キロの最後のドライブをしながら、持っていく事にした。まず、本当に、引き取ってくれるかどうかを確認するために、電話を入れてみた。そうすると、車種を聞いただけで、無料で引き取ってくれると言ってくれた。ラッキー。また、私の住んでいる所から、陸運局まで歩いていける所なので、手続きも自分でできるので、これは幸いだ。ちなみに、他のお店は、廃車手数料を払って、でしか受け付けてくれないというお店が多かった。中仙道(国道17号線)をひた走り、深谷市内に入る。古い木造校舎の商業高校の前を通り、消防署の次の交差点を左に曲がり、住宅地を抜けてしばらくすると、シトロエンやプジョーや小さな欧州車が並んでいる店が見えた。ここが目的地だ。店自体は、今年で11年目だそうだが、ここの店舗は、今年の夏にオープンしたばかりで、噂に聞いていた、古いシトロエンが山積みされ、そこはまるで「シトロエンの墓場」と揶揄されていた印象と全く違って、ちゃんとした自動車の展示場になっていた。今回は見に行けなかったが、近くに2箇所ある工場は、おそらく、噂どおりの様相を呈していると思われる。駐車場に入ると、2CV、DS、CX、BX、AXなどなど、古いシトロエンを中心に、プジョー、フィアット、サーブなど欧州車のオンパレードだ。受付に行くと、少し乱雑に椅子や机が並べられた待合室に通された。そこから、シトロエンだらけの駐車場を眺め、このプジョー309も、ここに並ぶのか、それとも、墓場に行って、他の車の修理の部品になるのかと思いながら待っていると。黒いジャンパーを着た、店長さんがやってきた。私は、今朝電話した者で、以前からこの店の事を知っていたが、始めてこの店に来て、とても感動している旨を、店長に伝えた。少し、軽く世間話をしてから、ナンバープレートを外し、鞄に入れた。そして、陸運局の手続きについて簡単な説明を受けた。これで、プジョー君ともお別れだ。作業も一段落したので、再び、待合室に戻って軽くお茶をした。どうも、待合室が散らかっているのは、雑誌の取材で撮影をしたからだそうだ。その取材が実に面白い企画なのだ。それは、出版社が、車を企画して販売しようというものなのだ。しかも、その車は、設計が古く、エンジンの構造上、クーラーの付かない車、オートマチックミッションが付かない車、パワーステアリングの付かない車に、新しいエンジンなどを入れる「リビルド」という手法により、車を蘇らせるのだ。それを、出版社が企画し、製作し、販売するという。たとえば、シトロエン2CVとか、フィアット500など、エアコンやオートマチックが付くように設計されていない車に、スバルの軽自動車のエンジンを積み替える事で、エアコンもつくし、オートマにもなるというのだ。いままで、スタイリングが好きなので欲しいと思っていた車なのに、オートマ専用免許しかなかったり、マニュアル車を運転したことがなかったり、夏場はエアコンなしでは辛いなど、阻害要因が多すぎて、手を出せなかった人に対し、オーナーになれるチャンスを与えようと言う企画である。これは、二次的な効果もある。それは、環境にもやさしくなるという事だ。まず、車を廃棄するのでなく、永く使おうという省資源性。一度潰して、再生させるというリサイクル方法もあるが、分別の問題や、リサイクルにかかる電力や燃料の事を考えると、潰してから再生する方法は、環境に対する負荷が大きいと考える事ができる。次に、新しいエンジンを積むことにより、低公害に対応する事が可能となる。日本に輸入されたシトロエンHトラックは、全て設計の古いディーゼル車なので、既に東京都内で走れない。さらに、平成17年には、規制値をクリアしないと日本国内では走れなくなる。そこで、ガソリンエンジンに積み替えたり、同じディーゼルエンジンでも、DPFなどをつけた低公害なものに積み替える事もできる。平成17年規制クリアというステッカーの貼ってある、シトロエンHトラックを見たらぶったまげるだろうなぁ。さらに、運転ストレスを軽減することで、事故等を減らすなど、交通環境に貢献する。パワーステアリングにする事で、業務用として使うときに、オペレータの疲労を軽減する事が可能となる。加速や、ブレーキも強くできるので、日本の交通環境に適合できる。リサイクル、大気汚染、交通・作業環境など、様々な環境への貢献ができるのだ。だが、企画は面白いが、実際作ろうと思うと、かなりの技術力を必要とし、設計や製作を誰がやるのかという問題がある。しかし、その問題も、クリアされているのだ。不況が続く中、自動車メーカーも、技術者の早期退職を奨めている。そこで、その人材を活用して、リビルドの設計、製作をするという。さらに、追い風は、規制緩和である。その昔、本田技研工業が、2輪車から、4輪車に進出しようとするとき、政府から、強い反発を受け、後発メーカーが、4輪車の製造にこぎつけるのは、困難を極めたという。これは、今は昔の話になってしまった。今、規制が緩和され、リビルドという形で、出版社が、自動車を製造、販売をする。メディア先行でのマーケティングや商品開発というビジネスモデルは、他の商品については、多少試みられているが、ついに自動車までたどり着いたか。という印象派隠せない。古い車を、大切に乗り、先人たちの知恵を、そのままではないが、今の状況にあわせて、動く状態で体験できる。確かに少し特殊な世界かもしれないが、確実に顧客が存在し、小さいながらも、一カテゴリーとしてのマーケットが確立するのではと感じた。古い車も、自動車会社を辞めた技術者も、知恵と技術で再生し、永く勤めることができる。これが、21世紀型のビジネスプランの一つのキーワードではないかと、私は思う。私の愛車だったプジョー309も、この店になら、任せておけば、きっと誰かの役に立つだろう。そんな想いで店を後にした。
2003.12.05
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京都・北白川に総本店のある「天下一品」。独創のこってりスープは、ラーメンというより「天下一品」という別の食べ物といってもいい。この「天下一品」は、チェーン展開をすることで、全国でこってりスープが楽しめる。チェーン店になると、全国均一な味であったり、全国均一なサービスを展開するのが普通だ。だが「天下一品」は、時折、その店オリジナルのメニューや価格体系がある。この事実に、明確に気が付いたのが、奈良県の橿原神宮や大和八木と程近い、国道24号線の田原本店である。まず、この店は、ラーメンのサイズが細かく選べるのだ。他店では、普通と大盛の2種類しか選択できない。しかし田原本店は、ラーメン並600円のほか、小470円、大670円、特大740円と4種類の中から選べる。このラーメン小は、定食にも適用され、ラーメン小をつけた定食は100円引きとなる。大きさが選べることは、より多くの人が楽しめるのである。そして、この店のハイライトが、豚の角煮ラーメンが食べられる事だ。徹底して煮込まれた、角煮は、じつにやわらかく、味もしみていて、こってりスープとのマッチングが絶妙である。さて、ラーメンは、一人で楽しんで食べるという方法もあるが、この店に限っては、2.3人で食べに行く事をオススメする。それは、一品のキムチが、キムチ(白菜)、キムチ(もやし)、中国キムチの3種類あるので、それを全て楽しみたいからである。2人で行くときは、キムチ三種盛りを選ぶといいし、3人で行く時は、単品を3つ選ぶのも良い。そして、プラスして、角煮を一品でつけて、みんなでシェアする。角煮は、食べる途中にトッピングして、段階的に味を楽しみながら食べることができる上に、和辛子がついているので、その辛子をつけた状態でラーメンにトッピングする事ができるもの魅力だ。もちろん、三種類のお好みのキムチを入れながら食べるのも実に楽しい。さらに、このようにシェアして食べると、トッピングするより、若干割安になるのも、ちょっとお得な気分。奈良盆地の南部という、少し辺鄙な場所にあるお店だが、足を伸ばして行ってみる価値がある。きっと、また、天下一品の世界が広がるだろう。そうそう、この店のトッピングのメニューに「カレー+100円」というのが書かれていた。誰かチャレンジした人がいれば、情報をください。また、独自の一品料理のあるお店の情報もください。なるべく、足を運んで食べてみたいと思います。
2003.12.04
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横浜の野毛での飲み会で、川口市の鉄工所のオヤジさんに会った。埼玉県川口市は、東京23区と荒川を挟んで対岸にある。いまのように、道路が整備される前は、川が物流の中心であったり。第二次世界大戦中は、大きな軍事工場や、演習場にも近かった事もあり、戸田市、板橋区、赤羽などの北区、荒川区、足立区、墨田区、台東区と共に、工業で成長した町である。終戦後も、それらの製造業の町工場は、高度成長期、日本の生活や産業に役立つ様々なものを作り続けた。それは、子供が遊ぶベーゴマから、工場のプラントまで、様々なものを作った。しかし、生産拠点が、海外に移行したり、コンピュータ制御の機械の導入による設備投資の増大は、中小、零細工場の経営を圧迫し、次々と、工場が閉鎖されていった。そのような中、生き残った鉄工所が、その技術を使った新しい試みとして、一つのチャレンジを始めたのである。それは、自らの技術を使ったアート作品の製造である。彼らの技術はかなりのもので、微妙な曲線や、分厚い鉄板のくりぬき、複雑な溶接、表面処理は、何十年も、顧客の高い要求に堪え続けることによって培われたものである。デザインは、独特の風合いがある。鉄工所のオヤジさんは、お茶、料理など様々な教室に通っているそうで、そこで様々な感覚を習得したものではないかと思われる。ここ数年、1960-70年代の日本の工業製品のデザインが、キッチュだってりと、一部の愛好家に受けている。あのデザインの多くは、デザインを専門に勉強していない、無名のデザイナーや、町工場の職人が、時代の感覚を掴んで、作ったものが多いといわれる。そして、私は、この鉄工所の作品に、職人が自らの技術と、自らの感覚で作った、独自の感性を感じている。しかし、この鉄工所のオヤジさんは、自分ではデザインは、いまひとつだという認識を持っている。私は、このオヤジさんの感性を大切にしたいと思うが、彼の考えと一致していない限り、無理強いはできない。しかし、もしかすると、職人とアーティストをマッチングさせることによって、新しい可能性が出てくるかもしれないと思う。この鉄工所では、芸術系の大学や、そのあたりのアトリエや、工房では、作れない技術を持っている。そこで、原案を、アーティストが作り、できない部分を、この鉄工所で作るという手法である。1990年大阪の鶴見緑地で、花の万博が開かれたが、その一つのイベントとして、巨大な古木を再生するという事をやった。私は、完成後に、古木の再生をイメージした舞踏の演出側で関与していたので、その舞台の裏側から見る機会を得た。実は、この巨大な古木の再生のインスタレーションは、いけばな小原流という、近代いけばなの流派による作品で。「前衛いけばな」の延長上にある作品だ。古木もかなり巨大で、クレーンを、花の万博の会場に持ち込み、来場者の目の前で設営するという大掛かりなものだった。その危険な作品作りに、とび職の人が参加していたのだ。これは、通常のいけばなでは出来ない事を、職人がコラボレーションする事により、作品が作る事ができ、アーティストと職人と、お互いの技術を融合することでより素晴らしい作品が提供できるのだ。このような例もあるので、町の鉄工所の技術を生かす、一つの可能性として、アーティストと組むことで、より素晴らしい作品を作り出せる可能性を秘めている。彼らは、芸術系の学校で教えない様々な技法と技術を持っている。それを生かさないという手はない。ファインアートの分野でも、職人をうまく使うことにより、作品をより高度にしていくことができるのだ。11月28日に記した勝間嘉久氏の場合も、アーティストと技術者とのコラボレーションで作品作りをしている。技術の伝承がなされていない現在、今も残っている町の技術者とアーティストが組む事で、より想像性豊かで、高度な表現活動が可能になるように思う。そのためには、職人と芸術家の出会いの場や機会を作る必要があるように思う。そのことにより、日本の町工場の技術を習得しようと志す人が増えたり、その技術を再認識し、付加価値のある、新しい産業として生かそうとする者が出てくるように思う。まずは、ちいさな成功が欲しい所である。
2003.12.03
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言葉というものは不思議なものである。同じ単語で構成されていても、言葉の順番次第で、意味合いや、印象が変わってくる。たとえば「ひょうたん」と「島」という言葉を組み合わせたとして、「ひょうたん島」は、島であったり、その島の地名を指し、「島ひょうたん」は、島で採れたひょうたんや、島の形をしたひょうたんという、ひょうたんを表す。つまり、後に来た単語の事を指す。ところが、二つの単語の間に「と」「・」「、」を入れて書くと、後の方の言葉の意味にならず、並列した表現となる。しかし、言葉の順番で、並列の中でも重要度が違って感じる。「赤と黒」と書いた場合は、赤がメイン。「黒、赤」と書いた場合は、黒基調というように、最初に表示された言葉の方が重要度が高く感じる。これは、必ずしも、物理的な大きさとは関係がないというのが、また面白い。たとえば、日本の国旗である「日の丸」だが、多くの人は「赤と白」と答えると思う。しかし、面積的には、白の方が大きい。これは、物理的な大きさではなく、目立つとか、日の丸の赤い丸が太陽を表しているなどという意味を重要視して、「赤」注視して表現するために「赤と白」と言う。同じ「赤と白」の国旗は、インドネシアやモナコがあるが、こちらは、塗り分けられた面積が同じだが、赤が上なので「赤と白」という順番に言う。しかし、同じ「赤と白」でも、白が上のポーランドの国旗も、多くの人は「赤と白」というので、やはり、物理的な面積や配置ではなく、色の目立ち方で、並べる順番が変わるのだ。さて、このテーマの 『うどん・そばを楽しく食べる』であるが、私が関西人であるという事もあるし、うどんについて書きたい事が多かった事もあり、「うどん」を先に表示している。ふつうは、「そば・うどん」の順番で言うケースが多いと思う。実際、本を検索してみると、何十冊の本のタイトルは「そば・うどん」という順番に表記されている。「うどん・そば」の順番で表記された本は、実に少数派で2冊見つけた。「京のめん処―馴染みのうどん・そば屋さん」京都新聞社 (編集), 京都新聞= (編集)ISBN: 4763804138 ; (1997/06)、「めんクッキング―スパゲティ・うどん・そば・ラーメン BEST COOKING」主婦と生活社 ; ISBN: 4391115662 ; (1993/06)である。一冊目は、京都ということで、うどんがメインになったと考える事ができるが、二冊目の方は、家庭料理としての手軽なものから順番に並べたものだと考える事ができる。「そば・うどん」という、柴田書店のムックのシリーズがあるせいというのと、出版物の95%が東京で作られるという現状から、東京的な価値観として、そばの方が付加価値や、一般性があるという判断で「そば・うどん」の順番になっていると思われる。ところが、そば屋では、必ずしも「そば・うどん」という順番で表記されていないのだ。たとえば、店の看板や、のぼりである。正確な統計をとってはとないが、「うどん・そば」という順番で表記されている事が、実に多いのである。下手すると、7割は、この順番で表記されている。国道沿いの蕎麦屋ののぼりも、かなりの割合で「うどん・そば」の順番で書かれている。また、メニューも、うどんが先に書かれている店が意外に多い。私は、関西人なので、これは関西だけかと思っていたが、東京都内、信州、北関東などでも、この傾向がある。私は、ちょっとした、カルチャーショックを受けた。みなさんも、この文章を読んだ後に、意識して、確認して見てほしい。思ったより、店先では「うどん・そば」の順番で表示されている事が多いことに気づくだろう。さて、なぜ、「うどん・そば」の順番なのかである。これは、やはり、そばの歴史から考えてみる必要がある。前回「混沌とした、うどんの歴史と「耳うどん」11月20日(木) 」で、うどんの歴史について、書いたが、こんどは、そばの歴史について調べてみる必要がある。奈良時代にうどんの原型があったと書いたが、そばは、今のそばの形になったのが、江戸時代だと言われる。そば切り自体は、室町時代にも食されたようだが、麺の形にする事が困難で、今のかけそばのような食べ方をすると形が崩れてしまう。これは、蕎麦掻を連想してもらえばいいと思うが、蕎麦掻を細く切って麺にするのは困難なことは、容易に予想がつく。また、そばは、蒸篭(せいろ)で食べる事が多いが、これも、麺状のそば切りを、うどんのように茹でると、形が崩れてしまうために、せいろで蒸して食べたことの名残なのである。そして、いまの蕎麦のスタイルを作ったのが、江戸自体の初期に、朝鮮から帰化し、奈良の東大寺にいた元珍という僧侶だ。小麦粉をつなぎにして、切れにくい蕎麦は、このときに出来上がった。つまり、うどんの方が古いから、うどんの方が先に表示されたのである。江戸時代の初期から元禄時代の江戸は、うどんの天下だったそうだ。また、そば切りは、せいろで蒸していた都合で、お菓子屋さんが扱っていたそうである。それが、そばの技術革新と共に、茹でて食べられることから、そばきりが、うどん屋で取り扱うようになった。蕎麦が、後から追加されたから、そばが後なのだ。「守貞満稿」に記されている、江戸時代の麺類処の堤燈には「うどん・蕎麦切り」の順番に書かれている。もしかすると、現代の蕎麦屋の看板やのぼりも、当時の風習が、そのまま残り「うどん・そば」という表記の順番になっていると思われる。しかし、出版物に関しては、そのような歴史的背景がなく。しかも、うどんの製造技術が決して低いとは言わないが、うどんに対し、蕎麦の製造に新しい高度な技術が必要なために、付加価値があるイメージが形成された事も含め。今の嗜好にあわせ、表示の順番を決めたために「そば・うどん」の順番で表記していると考えられる。「うどん・そば」「そば・うどん」。「もんじゃ焼き・お好み焼き」「お好み焼き・もんじゃ焼き」「ギョーザ・ラーメン」「ラーメン・ギョーザ」・・・・・・どのような順番で表示をされているのか、あらためて周りを見渡してみよう。そこには、いろんな人々の営みや歴史を見つける事ができるかも。
2003.12.02
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最近、ヴァイオリンの入った曲が、ちょっとしたマイブームである。静かな部屋で聞くヴァイオリンは、ピアノとは違った豊かな感じがする。私の今回のマイブームは、ヴァイオリンといっても、一応クラシックの部類に入るかもしれないが、超絶技巧のプレーヤーのものだ。その一人が「ラカトシュ」である。ジャズ、クラシック、コンテンポラリーなど、いろんな要素を取り込み、しかも、名曲を、楽しくエンターテイメントとしてアレンジ。絶対、ライブは面白いと思える茶目っ気があって、少しコミカルとも言える超絶技巧が光る。それでいて、聞かせるところは聞かせる。私の持っている盤は、1998年ベルギー録音のもので、ハンガリー舞曲第五番、2つのギター、剣の舞、「シンドラーのリスト」のテーマなど13曲が入っているものだ。次に、日本人アーティストである。11/15.16の両日、東京ビッグサイトで開催されていた「東京デザインフェスタ」の会場で出会った、小さなレーベルの社長が一押しするアーティストである。私は、何も試聴せず。そのまま、言葉とジャケットを信じて、CDを買った。これが、大当たり。喜多直毅「HYPERTANGO」(このページで試聴と購入が出きる)タンゴのヴァイオリンなのだが、どこかロックの香りがり、インプロヴィゼイション、無伴奏ソロが、炸裂する。しかも、聞きやすい。こちらの超越技巧もじつに気持ちがいい。難しいクイズが解けた時の様な、清々しい快感がある。ライブがあったら、絶対見に行きたい、注目ヴァイオリニストだ。さて、これらのヴァイオリンを聴くときだが、なるべく、豊かな音の出る、オーディオ機器で聞きたい。私は、CDプレーヤーは、CDJ50IIという、パイオニアのDJに使える業務用CDプレーや、アンプはソニーの8万円ぐらいのAVアンプ、スピーカーはYAMAHA NS-10xという防磁タイプのテンモニという組み合わせを使っている。このCDプレーヤーは、高音質設計なので、普通のCDプレーヤーと格段に音に艶がある。ここまで、高くなくてもいいけど、CDプレーやを買うときは、同じ機能を持っている機種に、高音質の回路を追加して1万円高くなっている機種を選ぶと、同じCDプレーやでも格段に音が良くなります。次に音が良くなるのは、定価が8万円を越えるぐらいと、30万円を越えるぐらいで、急に、くぐっと音が良くなるのだけど、コストが掛かりすぎるのでオススメできない。やはり、上乗せ1万円がいいところだ。3年使えは、一日10円で高音質を手に入れる事になる。これは、ポータブルタイプでも、音が良くなるので試聴してみるべし。アンプも、6.7万円で、急に音が良くなる傾向がある。但し、最近流行の、小型スピーカーの場合、アンプとセットでコーディネイトしないと、いい音が出ない場合がある。BOSEが、小型スピーカーとイコライザーをセットにして、聞きやすい音のオーディオセットを売り出してから、この傾向が出てきた。私の持っているYAMAHA NS-10xは、それからすると、世代的に古い小型スピーカーだ。これは、10-20年前に、レコーディングスタジオで、モニタースピーカーとして使われていた、テンモニと呼ばれるYAMAHA NS-10にAV用に、防磁加工したものである。普通のスピーカーは、どこかに穴が開いていて、その穴によって、低音が出やすくなる構造になっているのだが、このYAMAHA NS-10xは、その穴が無い「密閉方式」と呼ばれる構造になっている。これは、音が出る構造が単純なために、どの場所から聞こえるかという、音像の位置とか、定位が明確になるという特徴がある。映画などを見ていると、その音が、リアルに再現されるために、隣の部屋で作業をしていると、映像の中の音が、隣の部屋で行われているように聞こえる事がある。ガサガサって音がしたので、何事かと思って、覗きに行った事も何度もある。これらのオーディオ機器は、ヘッドホンステレオやラジカセ用に作られたJ-POPでは、あまり効果がないが、洋楽、クラシック、ジャズなどでは、格段に音が良くなる。なにげなく聞く音かだらこそ、繊細で、豊かな音の出るオーディオがいい。テレビやラジオと違った、豊かな音質で聞くことで、情報としての音楽ではない、部屋を映画館にするわけでもなく、音楽を音のインテリアとして楽しむ事ができるのだ。インテリアとしての、ハイファイオーディオを、いまいちど、見直してみてはいかがでしょう。
2003.12.01
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