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ある大学の先生が、「最近の学生は私のころと違って海外のことや社会のことに興味を持たなくなっている、どのようにしたら感心を持つのだろうか」とこぼしていました。私のまわりは、関心の高い学生さんが多かったり、ブロガーは社会的なことについてのコメント数が多いので気がつかなかったのですが、下記の2つの記事が出てきて妙に納得です。また、ある方は、最近、渋谷に遊びに来る若者が減って、近郊でしか遊ばない若者が増えたと言ってしました。携帯電話やインターネットのコミュニティが発達するなどで、コミュニケーションが高度化したことが、密な関係を作ったということなんでしょうね。それが「村社会」とか「内向き傾向」という形になって表れているんだと思います。狭い社会の中で、高度な情報を常にやりとりすることで、外が見えなくなるとか、情報をやりとりすることに疲弊するということが発生しやすくなります。このブログをはじめたころの記事に「孤独力」について何回か書いたのですが、こういう時代だからこそ、この「孤独力」が必要になってくるように思います。子ども、内向き傾向に=「世界で活躍」2割以下-周囲との関係を重視・ベネッセ調査(時事通信社 - 03月14日 16:02) 最近の子どもは狭い世界の中で満足?-。「ベネッセ教育研究開発センター」(東京)が全国の小学生から高校生を対象に生活実態調査したところ、5年前の調査に比べ、周囲との関係を重視する子どもが増えた一方で、内向きの傾向にあることが14日、分かった。将来像について「世界で活躍する」と答えたのは2割以下で、調査担当者は「大人や地域社会が視野を広げる機会を増やす必要があるのではないか」と話している。 調査は昨年8~10月、全国の小学4年から高校2年の計1万3797人を対象にアンケート形式で実施した。 それによると、友達とのかかわりについて尋ねた項目で、「仲間外れにされないように話を合わせる」と答えた小学生は、2004年の調査に比べ4.9ポイント増の51.6%、中学生が同1.1ポイント増の44.4%、高校生が同2.0ポイント増の41.1%と、いずれも増加。中でも小学生が顕著な伸びを示しており、小さいころから周囲との関係を重視している傾向がうかがわれた。また、「友達のことについて母親と話す」割合は、小学生が同7.0ポイント増の75.9%、中学生が同9.2ポイント増の66.4%、高校生が同4.4ポイント増の63.7%と、いずれも半数以上を占めた。 昨年の調査で新たに「将来像」(複数選択回答)について尋ねたところ、「親を大切にしている」が小学生で82.9%、中学生で74.9%、高校生で79.2%とトップを占め、続いて「幸せになっている」「子どもを育てている」が続いた。「世界で活躍している」は小学生で16.2%、中学生で12.3%、高校生で13.0%と、八つの選択肢の中で最下位だった。 若者の間で村社会が復活?(WEB本の雑誌 - 03月15日 03:04) 10代:14.24歳 20代:16.77歳 全国の10代1,420人と20代2,246人を対象にしたドコモ・モバイル社会研究所の調べによると、今の10代は平均して中学2、3年生、20代は高校1、2年生でケータイを持ちはじめるのだそうです。若者が幼いころからケータイを持つことによって、彼らにどのような変化が起こったのでしょうか? 思春期をケータイなしで過ごした世代が経験したようなものとは、明らかに異なるライフスタイルがそこにあるといえます。 例えば、好きな人と話すために、ドキドキしながら、家の人が出るかもしれない固定電話にかけるといった苦労は当然ながらありません。 A男「お前、C子のアドレス知ってる?」 B男「知ってるよ、教えてやるよ」(AにC子のアドレスを転送) A男「B男から君のメアド聞いちゃった。勝手にごめんね~。今度一緒にカラオケいかない?」(A男からC子へメール) C子「いきなりでびっくりしたよ~。でも、喜んで!」 人から勝手にアドレスを聞いて好きな相手にメールを出すのも少しはドキドキするかもしれませんが、せいぜいこの程度。もはや、ドラマ「東京ラブストーリー」の世界などあり得ないのです。 10~20代のケータイ電話帳には、平均114.2人の知り合いが登録されているのだそうです。30~50代の平均143.9人にはさすがに及びませんが、彼らがまだ若者であることを考えると、かなりの登録件数だといえます。また、ケータイだけでなく、SNSやプロフなども利用しているので、「友人の友人」といった独特な距離感で付き合う人も多いのだとか。これがちょっとした「知り合い増えすぎ現象」となっていると、『近頃の若者はなぜダメなのか』の著者、原田曜平さんは指摘します。 街を歩けば予期せず必ず誰かと会ってしまうということは、人口の少ない地方の繁華街では昔からよくあったことですが、最近では、世界有数の大都市・渋谷でも頻繁に起こるのだそうです。 あまり仲の良くない知り合いと道端で会った時に気づかないフリをしただけで、他の友人にメールで「感じの悪い奴」と密告され、異性の友達と歩いているだけで「浮気している」と広まってしまう。そこには、いつも誰かに会うのではないかと人目を気にしながら生活する「監視社会」が誕生していると原田さんはいいます。これはかつての「村社会」と同じ。いつも誰かに見られ、まわりの村民と違った行動や目立ったことをすれば、すぐ村中の噂となり、陰口を言われたり、鼻つまみものにされてしまう「渋谷村」に生きる若者たち。 若者の間にケータイが普及したことで、巨大なネットワーク環境が生まれ、お互いの顔色をうかがい「空読術」により協調性を保たなければならない「村社会」が若者の間に復活したのです。流行語となった「KY」が、若者のなかから生まれたのもうなずけます。 『近頃の若者はなぜダメなのか』 著者:原田曜平 出版社:光文社 価格:861円
2010.03.15
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このTシャツ誰かに似ていると思っていたら・・・いました。舞踏家の伊藤虹さんです。皐月みらいまつりの会場で会いました。伊藤虹さんは、古くからのツナミクラフトユーザーで、さをり織りの財布を愛用してくれています。しかも、今日の舞踏のテーマが「呼吸」ということで、Tシャツにタイ語で書かれている。「ゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐きましょう」というこで、ピッタリです。今回は、伊藤虹さんの他に2名のダンサーと3名のミュージシャンで、チベットを支援しようと言うことで集まったグループで表現してくれました。
2008.05.17
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あるお茶の先生がネットカフェは現代の茶室の可能性があると言っていました。まず、カフェはスバリお茶を飲み覚醒するところである。次ぎに、虚無の中で場を共有する場である。インターネットという虚無の世界の中で、世の中のことを何かに見立てて語り合う。地球温暖化が進む前の日本は四季が明確であったため、四季折々のことについて語り合ったわけですが、いまは季節感が無くなったからこそ、時事ネタで語り合う。しかも、コストダウンのためということで、ネットカフェは質素でもある。旅人を収容する場所である。お茶は仏教から始まったわけですが、仏教を始めた仏陀は、森から森へと旅をして暮らしていた。タイのお寺では、歩く瞑想が行われているが、本来は、朝、托鉢に出て、そのまま歩いていき、他のお寺など次の宿に泊まる。そこに、一期一会というものが発生するし、タイで出家すれば朝一回だけの食事になるので一宿一飯の恩義なんてのも発生する。そういうところから、進化し、茶室が生まれたとすると。派遣労働で働くワンコールワーカーたちは、ネットカフェを放浪することで旅人となる。茶道というのは、千利休の頃は、出家した者が行っていたとのことで、江戸時代に儒教の影響で、家制度が導入されることで、大きくスタイルが変わったという。家制度は、体制を守るシステムとしてよく出来ている。茶道の原型は、家を出た「道」であるという。そう考えると、ワンコールワーカーであり、ネットカフェ難民は、出家した者とも言え。いわゆる家制度の茶道より、千利休の頃の茶道に近いものがあるかもしれないというのだ。出家している身は、とても危うい。その他、出家している人たちというのは、ホームレス、閉鎖された施設に預けられている人などがある。そういう人は、お金も含め、所有しているものが少ない傾向がある。そして、その究極は、仏陀のような無の世界となる。残念ながら、戸籍制度のある明治以降の日本など家を重視する社会システムは、移動をする人たち、家から出てしまった人たちを、排除する力が働く傾向がある。いま、正社員を増やそうという動きになっているが、これはワンコールワーカーを家に戻す仕組みづくりであり。自立支援ということで、家に戻す形の「更正」という名の排除法と。隔離や場合によっては命を奪うなどの排除法がある。これを、法律に基づくことでコンセンサスを得たことにして合法的に行うのが、法治国家であり、コンプライアンス経営の流行る今流です。ちょいと昔ならば、トップが気に食う、気にくわないで、排除するしない、どのように排除するかが決まる。そんなことで、千利休は切腹を銘ぜられるわけですが。これは、本来紀行文を書く旅人だった「ジャーナリスト」が取材中に身柄を拘束されたり、殺されたりすることと似ている。先頃のイラク戦争の取材において、日本の大手メディアの社員がイラクに入らなかったり。教育改革といいつつも、規範や道徳教育の強化が行われようとしていますが、その根底に、儒教的な発想による家の維持が強化されている傾向が見える。企業という新しい家制度の強化という見方も出来る。(労働組合も家制度の機能をもっていたかも)この企業などが持っていた家制度の機能も、ここ最近だいぶん解体された。戦後の日本で、いまになって格差が拡大したのは、新自由主義以外にも、戦争に負けた日本を弱体化するために、家制度を破壊しようとした事に一因があるように思う。たとえば、家制度を崩すために、相続税が強化されたりした。そういう流れの中で、家族が解体され、核家族化、そして、個別化していった。しかし、世の中、バランスを取ろうとするもので。家が解体する一方で、家の解体から身を守るために、家を守る力をつけたグループがいて、世襲などが行われた。教育再生とか言って、道徳教育を強化しようとしている方がいるが、そうやって、家を守った実績があるからこそ、そう言っている面があるように思います。しかし、現実は、家制度が崩壊してしまっている人が大多数なため、家制度が残っている状態での教育システムが通用しない可能性が高い。質が悪いのは、所有するという仕組みをもったまま、コミュニティや家制度がなくなるという、日本の歴史上初めての状態になっているということで。そのため、かつての知恵が使えない状態になっている。かつての知恵が使えないからこそ、余計に家制度によって培われた伝統的手法に囚われ、さらに強化するように訴えているというのが、昨今の教育再生の発想の根本のように思える。ただ、この解決法では、問題が解決する可能性が低い。この問題を解決出来るアイデアは、もしかすると、ネットカフェ難民だったり、ホームレスであったり、そういう、家を出て旅をしている、しがらみのない人たちの中から、現れる可能性があります。つまり、お坊さんの知恵みたいなものです。また、どこかに隔離されたり捕らわれている、家から出ている人を、解き放つことで、しがらみのない人が増え、新しいアイデアが生まれやすくなるかもしれません。ただし、ネットカフェ難民など旅する人の多くには、様々なしがらみがあるので、そういう境地になる方は少ないかも知れないですが、創造的な知恵を生み出す人が現れる素地があるように思います。そう考えると、ネットカフェという茶室には、まだ千利休が現れていないのかも知れません。
2007.07.23
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朝日の夕刊の一面に「学生・生徒の自殺 最悪」と書かれていた。全体では9年連続で3万人を超え、昨年は学生・生徒の自殺者は886人で、中学生が急増したのだそうだ。てなことで、記事を読み進めていて、恐ろしい事に気がついた。それは、自殺者の7%が外国人だったということです。厚生労働省の自殺者の数字は、外国人を含まないものなのだそうで。単純に、警察の発表の数字から、厚生労働省の数字を引くと、その数字が出てくる。 警察庁 3万2155人 厚生労働省 2万9887人 差 2168人 = 外国人日本に来ている外国人というのは、増加の傾向があるのだが。別の厚生労働省のデータでは2004年現在でも2%に満ちていなくて。ここ10年緩やかに増加をしているものの、ほぼ横ばいという状態である。て、事を考えると、日本にいる外国人の自殺率は、単純計算で日本人の4-5倍あるってことになる。日本人も住みにくい世の中ですが、外国人も日本は住みにくい国なんでしょうかね。日本人でさえ、コミュニティが崩壊しているのですが、外国人はさらにコミュニティに溶け込めない状況があり、自殺という選択をしたのでしょうか。とにかくなぜ日本人より外国人の自殺が極端に多いのか気になります。ちなみに、学生の自殺が増えた理由は、一つは、自殺予告が流行った影響もあると思うんですよね。それによって、いままで自殺を踏みとどまっていた人も自殺してしまったのも一因だと思います。もちろん重大な事件なのですが、あまりに騒ぎすぎると、連鎖してしまうってことなんでしょうね。
2007.06.07
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婚姻ネタ、子どもネタが続きますが・・・無戸籍の問題で、やっと厚生労働省が動きましたね。但し、戸籍がないため旅券の発給を受けられないことと。結婚の際の婚姻届が出せないことには変わりはないようです。<300日規定>無戸籍児を救済、厚労省通知 児童手当など http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070413k0000e040077000c.html(毎日新聞 - 04月13日 15:11) 「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法772条により戸籍のない子供の多くが行政サービスを受けていない問題で、厚生労働省が、児童手当を支給したり、保育所に入ることができるとする通知を都道府県などに出していたことが分かった。通知は、法律の適用や解釈によりサービス提供は可能との見解を示し、市町村へ周知を図る目的。離婚後300日規定をめぐる問題について、厚労省が具体策を講じるのは初めて。 無戸籍の子供に関しては、「無料健診などのサービスを受けられず、経済的負担が大きい」「自治体でサービスを受けられたり、受けられなかったりする」などの声が出ていた。通知は、事実上これに応えたもので、徹底されれば児童福祉上の不利益の多くは解消され、残るのは旅券の発給や結婚届の提出などとなる。 通知は、3月22日付で、▽児童手当の支給▽児童扶養手当の支給▽保育所への受け入れ▽新生児の健康診断など母子保健事業の実施--の取り扱いへの見解を示している。 児童手当の支給に関しては、児童手当法の支給条件を定めた規定に、もともと子供の住所に関する記載がないことから、通知は養育や生活の状況を判断したうえで支給できるとした。また、児童扶養手当については、児童扶養手当法で子供が国内に住所があることを支給条件としているが、通知では国内居住の実態があれば対象とした。 通知を受け、さいたま市で生後2年以上にわたって戸籍のなかった女児には、児童手当が近く支給され、無料での予防接種(母子保健事業の一部)も実施される。厚労省雇用均等・児童家庭局総務課は「戸籍や住民票がなくても、こうしたサービスの提供には問題がないことを改めて確認するため通知した」と話している。【工藤哲】 Copyright(C) 2007 毎日新聞社 300日規定:厚労省通知…不利益減るけれどhttp://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070413k0000e040078000c.html父親と手をつなぐ伊集院麗樺(らいか)ちゃん 「離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子」と推定する民法772条をめぐり、厚生労働省が自治体に児童福祉サービスを提供できるとの通知を出したことは、規定の存在で不利益を被ってきた子供や親にとって朗報だ。だが、通知によって無戸籍を解消できるわけではなく「子供の権利の根本的な解決にはつながらない」との声も出ている。 「医療費が高く、大変な思いをしてきた。人並みのサービスを受けられるようになってよかった」。こう話すのは、さいたま市岩槻区の伊集院麗樺(らいか)ちゃん(2)の世話役を務める元施設職員、竹内智江子さん(33)だ。 麗樺ちゃんは、母親の離婚後226日目の04年12月29日に生まれた。母親は昨年3月に家を出たまま行方不明になっており、再婚相手の父親の子であるのに、規定を覆す裁判も起こせずいまだ戸籍がない。 父親らから相談を受けた竹内さんは、昨年11月から区役所に何度も出向き、戸籍に登録するまでの緊急措置として行政サービスの提供を求めてきたが、「戸籍がない」と断られてきた。児童手当や定期検診、予防接種も受けられず、無料の乳幼児検診やBCG、風しんなどの予防接種の際は、それぞれ数千円の負担を強いられてきた。 今回の厚労省の通知を受け、月額1万円の児童手当が近く支給され、間近に控えていた3歳児検診やポリオの予防接種も受けられることになった。竹内さんは「ほっとしているが、戸籍がないため旅券の発給を受けられず、結婚の際の婚姻届が出せないことには変わりはない」と不安を語った。【工藤哲】毎日新聞 2007年4月13日 15時00分 (最終更新時間 4月13日 16時03分)ニュースサイトはすぐに記事を消してしまうので多くの人にこの知らせを知らせるために転載させて頂きます。
2007.04.13
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この一年ほど津波復興住宅で作られている民芸品の販売をフェアトレードの精神にのっとって行っている。活動を続けていると、いろんな優しい方と出会い協力していただける。そんな協力してくれる方には、世の中を良くしようと熱い気持ちを持っている大学生たちもいる。そんな学生さんたちが、いろいろ販売の提案をしてくれるからうれしい。そんなことで、11/3.4は桜美林大学、11/4.5は恵泉女学園大学という多摩地区の二つの大学で津波復興住宅の民芸品を扱ってくれることとなった。桜美林大学には、国際学部や国際学研究科などを有していることもあり、国際的な支援活動に関連するサークルがいくつもあるそうだ。そして、今回の桜美林大学学園祭にて、 ☆GLOCAL FESTA☆と題し、桜美林大学にある国際協力団体が一同に集結するとのこと。そういう場で、津波復興住宅の民芸品を販売していただけるというのはとてもうれしい。場所は、 桜美林大学 明々館 403号室 とのこと。11/4はオープンキャンパスなので、高校生もいっぱい見に来るだろう。一方、恵泉女学園大学の方では、多摩キャンパスにおいて、11/4.5の二日間学園祭の会場で「タイフェスティバル」が行われるのだそうだ。そこでも、楽しくサヌックの精神で、社会問題などに立ち向かう展示やワークショップなども行われるようです。いずれの大学も多摩センター駅からバスが出ているので、はしごしてみるのもいいかもしれません。アクセス桜美林大学恵泉女学園大学 多摩キャンパス この記事を読んで興味を持った方は↓をクリックしてみてください。 同様のカテゴリーの話題に出会えるかも。
2006.11.02
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12日まで、鎌倉由比ヶ浜のリトルタイランドで、"TSUNAMI RECOVERRY CRAFT SHOP"を開いているのですが。ここ、リトルタイランドには、タイ料理屋が6店舗ある一方で、なぜかブラジル料理屋も出店していて、そこが大盛り上がりなのだ。このお店は、日系ブラジル人女性の方達が中心となって運営しているのですが。普通に話していたら、姿形も話し方も日本人と全く変わらず。ちょっと陽気な女性という感じでしかないのだが。普段の日常会話がポルトガル語ということで、日系ブラジル人という事が分かる。私は、ブラジル音楽が好きなので、いろいろ話があうし、美味しいカイピリーニャが頂けるのでお気に入りの店である。このお店には、週末の夜となると、神奈川県近辺に住むブラジル人が集まってきて、何十人も集まり盛り上がっています。リトルタイランドという企画なんですが、この一角は、リトルブラジルという感じで、楽器を持ってきて演奏したりととても楽しくなっていて。リトルタイランドという企画なので、タイ人や日本人とタイ人の家族なども多くいらっしゃっていて、近所同士お互いに助け合い、寄り合い所帯の海の家が楽しく盛り上がっています。そんなことで、多文化が共生し、夜の由比ヶ浜の海の家で最も楽しい一角となっています。海の家自体は8/31までやってますので、是非、この多文化共生の様子を楽しんで下さい。 ちなみに、何人ものブラジルの方が、デザインを気に入って、カオラックの民芸品を買ってくれました。有り難いです。
2006.08.06
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アースガーデン夏2006も2日目となった。心配していた雨だが、激しく降らずに済んだ。それにしても、暑いので、お客さんは1日目と同様3時以降に集中した。夏のイベントは、シエスタ制度を導入して、昼間の暑い時間は休んで、早朝と夕方に行うというのがいいかもしれない。なんて思った。今回のアースガーデンで気がついた有り難い事は、以前、カオラックの民芸品を買ってくれた方が、身につけて会場内をうろうろとしいるということだ。そして、さらに、友達を引き連れて、こちらのブースに来てくれるんですよね。こういうイベントって、何回も出て、イベントの常連になることで、売れる構造ってあるのかなという感じがした。出店時間が終了して、後かたづけをしていると、向かいのブースの方がやってきた。なんと、御菓子とハーブティをくれるというので、有り難く戴きました。このイベントの面白さは、近所づきあいなんかもしれませんね。
2006.07.09
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今、スペイン語での録音をしているのですが。相手は、日本語がほとんど話せないし、こちらは、スペイン語も英語もほとんど話せないという状況で、レコーディングが進んでいる。ラオスやタイでの撮影もそうだが、すべての言葉が通じなくても、こういう録音などを上手く進めるコツがある。それは、撮影タイミングを知らすとき、仕草を交えながら相手の国の言葉でカウントする方法である。この方法のポイントは、相手の国の言葉を少しでも覚えて接することで、相手もこちらの国の言葉を少しでも話そうとしてくれたりと、双方が歩み寄りコミュニケーションを取ろうとし、仕事の一体感が出るという効果があるのだ。そんなことで、カタコト同士のまま、スペイン語の録音は進んでいる。スペイン語は、アルファベットで書かれているので、だいたいどの部分かがわかるので、読み間違いのチェックがしやすい。とはいえ、タイ語やラオス語やシンハラ語でも少しずつ解ってくるようになるから面白い。録音が終わる頃には、普段、日本語を話さないニカラグア出身の彼が、ずいぶんと日本語を話せているのを見て、周りの人がびっくり。その反応に対して、彼は周りの人に、私がスペイン語を覚えたって言い返していました。そんなことで、和やかに、録音を進めています。
2006.07.06
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仙台でカオラックに1年間ボランティアをしていた方が帰国していたので会った。私が撮影をしにカオラックに行ったときに、津波の復興支援のために働いている彼女に出会った。彼女との出会いもあり、スムーズにカオラックの民芸品を輸入・販売出来ていた。しかも、1年間津波のボランティアとして働いたというのは、とても珍しいケースで、長期に居たからこそ出来た事があったのだと思う。しかし、現実は厳しい。長期海外ボランティアから帰国して困ることは「仕事」。就職活動をするとなると、求人のある長期アルバイトが出来ないし。長期アルバイトをすると、就職活動をする時間がないというのだ。今回、仙台の仕事で手伝ってもらったのだが。彼女の実績をはなすと、国際保健学を学ぶ海外からの留学生からは、彼女に敬意を払った。それだけ、他の人に出来ない良いことをしているのに、現実は、他の人同様に仕事がないのだ。大学を卒業して、即、津波のボランティアに行ったために、企業への就職の実績がないのも採用に不利なようだ。津波被災地で、学生の間に海外ボランティアに行くと就職に有利だということで被災地に入り。しばらくして、現地の人にボランティアに来た理由を知られて、現地の人に激怒されるという事があったという話をよく聞いたが。そういう、ポイント稼ぎに海外ボランティアを使っている人に職場があり、現地でねばり強く活動していた長期ボランティアの人が帰国したら職場がないというのは、なんとも言えない不公平感というかそういうものを感じる。とはいえ、こういう特別な体験をした人には、普通のポイント稼ぎをしているような人には出来ない、もっと素晴らしい仕事をして欲しいと言うこともあるので。ポイント稼ぎで海外ボランティアをしたのを見抜けずに採用の判断をしたというようなバカな職場には行って欲しくない気もしている。仕事が決まらないというのは不安だけど、人生のうちの微々たる時間かもしれないから、辛いかもしれないけど、焦らずに、それなりに有意義に過ごして欲しい。
2006.06.30
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大学案内によく「実学」という言葉が書かれているが、いままで、曖昧に感じていたのだが、その概念を面白い表現をしている方にあった。この方の考える実学の概念は、「いま社会に起こりうる問題を解決する学問」と説いていた。たとえば、現代社会では、環境問題を解決したり、少子化問題に絡み女性が働ける環境作りのための男女共同参画を実現するための学問が、実学であるのだそうだ。いままで、実学と聞くと、お金儲けに役立つという事を教える学問という雰囲気があったが。それは、かつては、そういう時代の実学だったのかもしれないが。いまの実学は、時代と共にその中心が変わろうとしているようだ。てなことで、環境教育なんてのも、貧困に対してどうするという開発教育なんか、もろ実学ってことね。ちなみに 国語辞典では・・・じつがく 0 【実学】 理論より実用性・技術を重んずる学問。実際生活の役に立つ学問。農学・工学・商学・医学など。じつがく-しゅぎ 5 【実学主義】 実用と実践を重んじ、日常生活に即した具体的・実際的な学習を中心とする立場。福沢諭吉の思想にその典型がみられる。三省堂 国語辞典より ←クリックしてね↑↑なんとなく面白そうだから貼り付けてみました。さてどのぐらいの順位になるのでしょうか。
2006.05.30
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仙台での仕事が長引き、昼に東京に戻ってくるというハードスケジュールになってしまったが。「第一回市民映像ディレクターサミット」は、どうにか終了した。イベント自体は、結果的には若干の赤字だったのだが、お客さんもいい感じに入り、しかも、ジャーナリストの方などもいろいろ現れた。とはいえ、舞台の上に登っているのは、自分でカメラを持って、撮影していたりする、無名の人たちばかりで。映像を撮り始めたのが、去年からという人もいる。しかも、みんなてんでバラバラの活動をしている。とはいえ、話しは、かなり濃いかった。昨日のブログに書いた事とどこかに共通する話題もありました。反省点が多い第一回目だったが、いろいろ修正しながら、第二回め第三回と続けて行ければと思います。みなさまありがとうございました。 6/7は「天の浮舟」へhttp://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diary/200605310000/ ←クリックしてね↑↑なんとなく面白そうだから貼り付けてみました。さてどのぐらいの順位になるのでしょうか。
2006.05.29
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ある大学の先生に聞いたのだが。最近の学生は、海外に興味がある人と、まったく関心が無いひとの真っ二つに分かれているのだそうだ。そして、医学部など、いわゆる専門職を目指す学部では、まったく海外に関心の無い学生や。全く無知な学生が多いのだそうだ。まず、20人ぐらいの中で、世界史を高校で学んだ人は3人、日本史や地理はそれ以下で。しかも、大学に入ってから、いわゆる一般教養という授業が必須でなくなったために、そこでも、世界史などを学んでいないことがあり。そのために、海外のことについて無知だったり、関心が無かったりするのではないかと疑っているのだそうだ。その先生が若い頃は、海外に関心をもち、どうしたら留学できるのかという事に興味を持っていたそうで、どこかギラギラしていたそうだが。いまは、そういうことはなく、日本さえ知ればいい(とはいえ、日本についても知ろうと思っていないような雰囲気)と言い張る学生が多いのだそうだ。そして、変な保守化をしている人も多く、靖国神社に言ったことがないのに、康子に神社に行くべきだと言ったりと、支離滅裂な学生もいたのだそうだ。(この話、別のところでも聞いたな。こちらは、東京のどっかのイベントかなんかで、靖国に行くべきだと熱弁をふるっていた青年が、靖国に言ったことがあるのかと聞いたら、行った事が無く自爆してしまった)実は、そんな若い子は、保守化でもなんでもなく、情報だけで満足したり、情報に乗っかって口を動かしているだけの可能性がある。そこには、自分の言葉なんかないんですよね。まわりが、そう言っているから、そのとおり言っているだけで。別に自分の言葉でも何も無い。自分から発信するものがないから、他のことにも関心が薄い。そのうえに、スペシャリストを育成するということで、必要なものだけ、集中して学べばいいという環境が整ったために。さらに、ほかの事に関心がなくなる。で、結果としてどうなのかというと、好奇心が乏しく。人間性の深みというものが得られなくなるのだそうだ。さて、そのような傾向のある学生に対し、どのように、好奇心を持たせるのか、自発性を出させるのか、創造性を磨くことが出来るのか。どのようにすればいいのかにとても苦心しているのだという。 6/7は「天の浮舟」へhttp://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diary/200605310000/ ←クリックしてね↑↑なんとなく面白そうだから貼り付けてみました。さてどのぐらいの順位になるのでしょうか。
2006.05.28
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王子をつれて、根津のギャラリーカフェに行くとき、電車の中であるNGOの車内広告が目についた。タイの津波の被災地域の復興住宅の入り口によく立て看板がついていたので、馴染みの深い団体なのだが、なにをやっているNGOなのかは特に気にしてはいなかった。これで、どういうNGOなのかわかったのだが。なぜこの広告が気になったのかというと、そのコピーと写真なのだ。「この子の笑顔が、支援の成果」と書かれ、インドの女の子が団体のロゴ入りのランドセルを担いで笑顔でこちらを見ているという写真が掲載されていた。去年、プーケットの日本人祭りに来ていた、カオラックの津波で被災した子供達の笑顔を見たときもそうだったのだが。日本の子供より、普段から素晴らしい笑顔なんですよね。よく、途上国に支援に行った人からも聞くのだけど、かなり厳しい状況にあるのに、素晴らしい笑顔であることが多いんです。これが支援の成果かどうかというよりも。日本の子供の笑顔が無くなっているという事の方が問題だと思うんですよね。親ばかだから言うけど、うちの王子は、いまのところ良く笑ってくれて、周囲の人を喜ばしている。でも、いろんな要因があって、その笑顔が失われるかもしれないんですよね。残念ながら、いまの日本は、笑顔を失う環境が他国より整っているように感じる。べつに、この団体の活動がどうのということではないのだが。一人当たり、月々4500円を払えば、途上国の子供が助かるというような事が書いてあったが。日本の児童手当って、月々5000円なんですよね。別にお金がたんまりあるからといって、子供が育つわけではないとは思うけど。お金の価値が低く、物価の安い地域に対して払うお金と、物価の高い日本の子供に支払われるお金の金額があまり変わらないというのは、ちょっと淋しい気がするんですよね。先日、野田聖子さんが言ってたけど、日本には、15歳未満の子供が1500万人いると言われているけど。登録されているイヌ・ネコの数が2300万匹ということで、子供の1.5倍いるんですよね。いまの日本における民主主義では、多数派が優先される傾向があるわけですが。その論理で行くと、日本の子供は、数の論理でいけば、イヌ・ネコに負けるんですよ。実際、小児科は減って、ペット病院は増えているわけで、市場の世界では、子供マーケットより、ペットマーケットの方が躍進している。話しはもどって・・・こういうNGOの活動は、とても重要だと思うし、うまく機能していってほしいと思うのだが。目の前の日本の子供の事をもうちょっと真面目に考えゆきたいところです。しかも、少子化で、子供がマイノリティに陥っているからこそ、多数派の大人の論理で進めるのではなく、子供の立場で考えていってほしいところです。P.S.インドネシアのジャワ島の地震が気になっています。日本って、命が失われにくい国なだけに、ちゃんと、命が失われやすい国のことを学ぶ必要があるように思います。 6/7は「天の浮舟」へhttp://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diary/200605310000/ ←クリックしてね↑↑なんとなく面白そうだから貼り付けてみました。さてどのぐらいの順位になるのでしょうか。
2006.05.27
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みなさんご存じでしょうか?国土交通省の8月の道路を守る月間に比べて、露出度が少ないので知らない人も多いでしょうが。毎年5月はフェアトレード月間なんです。そんなことで、いろんなフェアトレードに関するイベントが開かれているのだが、三軒茶屋でちょっとしたフェアトレードのイベントがあったので行ってきました。もちろん目的は、カオラックの民芸品の販売先探しと、市場調査である。話しは変わるが、私は、東急田園都市線というかかつては新玉川線と呼ばれていた路線に乗るのがあまり好きではない。沿線の街はべつに悪くはないんだけど。異様に混んでいるし、駅や電車のオーラがあまり良くないんですよね。以前、池尻大橋と駒場東大前の間のあたりに事務所を構えた時期もあったし、池尻大橋の近くに勤めたこともあったりして、池尻大橋駅はよく利用していて。焼鳥屋さんや、牛丼屋さんなど、馴染みの店があるにもかかわらず。ホームに降り立つと、どっと疲れてしまうんですよね。渋谷から池尻大橋までの1区間だけでも疲れ果ててしまう事もあった。そんなこともあり、渋谷まで歩いたり。駒場東大前から井の頭線を利用する事が多かった。なんでなんでしょうねぇ。同じ理由で、千代田線と東西線はなるべく利用しません。新木場に行く以外は有楽町線もなるべく避けています。おそらくこの時期に作った地下鉄のオーラが悪くて、どっと疲れてしまうんですよね。でも、都営新宿線もかなり疲れるけどまだマシなんですよね。また半蔵門線も半蔵門から東側は特に嫌いではないから不思議。そんなことで、都営新宿線から、京王新線を経由して、下高井戸に行き。そこから、東急世田谷線に乗って、三軒茶屋に着いた。「ふろむ・あーす見本市!フェアトレードフェスタ」の会場のホールのあるビルに入って、エレベーターを上がると、あまり人気がなかったのだが、会場に入ると、たくさんの店が建ち並び、イベントも行われたりして、人がいっぱいになっていた。まず、入って気になったのが、フィリピンのフェアトレードプロジェクトの商品だ。飲み終わったジュースのパッケージを利用したバッグ牛乳パックを使って、紙すきをするという事を、環境教育や啓蒙活動として行っているところが多いが。紙のリサイクルの原理を理解するためにはすばらしい教材なのだが。紙すきを終えた紙の繊維の残った廃液をそのまま下水に捨ててしまうと、下水処理施設の負荷が極めて高い廃液を流した事になってしまう危険性があるし、もちろんそのまま流したらヘドロの原因となるのですが。パックそのままを使うことで、そんな危険性も少ないし。しかも、パッケージデザインの素晴らしさまでリユースされるというのが素晴らしい。私の取り扱っているタイの津波関連の民芸品の中で人気の高い商品として、Tsunami Volunteer Centerが生産している「ツナミ人形」があるが。このツナミ人形は、援助支援で送られてきた衣服の余りでつくっているのと、このジュースのパックのバックとが、どこか共通しているエッセンスがあるように感じました。さらに廻っていると、以前紹介したパレスチナのセージが、パッケージになって商品化されていました。つい、1週間前に製品になったそうです。パレスチナのセージいつものように、美味しいタイベビールを飲み干して、カレーを頂く。そして、仕上げは、スローコーヒー。無茶苦茶幸せ。タイベビールは、ほっとけないのイベントの時に出会って以来、売っていたら、痛風なんかそっちのけで、飲んでしまいます。ただし、2本目は要注意です。黒とゴールドの2種類があるのですが。赤ワインに対して黒、白ワインに対してゴールドという感じでチョイスすると料理にばっちりです。さて、カレーを頂きながら、カリンバを作っている方と話しが盛り上がった。この方は、アフリカからカリンバを買ってきて。カリンバを調律してから販売しているのだそうだ。そうすることで、付加価値を生み出すと共に、買った人は異国の生産者への尊敬の気持ちを抱く。コーヒーも、原価はとても安いと言われているが、職人さんが上手に焙煎し。お店の人がきっちりとその場に合わせてコーヒーを入れてくれることにより、付加価値が生まれ、異国の生産者への尊敬の気持ちが持てる。カレーの後のコーヒーを飲みながら、そんなことを感じた。そういや、スローコーヒーのブースでは、私と雑談をしながらも、その合間にコーヒーの味が落ちないように、常に少しずつ試飲してモニターしてるんですよね。そうることで、最高でもないかもしれないけれども、手早く一定以上の味のコーヒーをお客さんに出すことが出来る体制を維持している。ちなみに、スローコーヒーでは、渋谷近辺の取扱店を地図にして配布することで、愛飲者の囲い込みや、取扱店を増やす試みをしている。もし、スローコーヒーを飲む機会があったら、その地図を手に入れて、いろんな店を廻ってみるのもいいかもしれない。同じコーヒーでも、コーヒーを入れる人、器、お店の雰囲気など様々な要因で、味わいがいろいろと変化するのを楽しむことが出来るかも知れない。ドトールやスターバックスなどで、均等な味を楽しめるというのもいいが。同じもので、どのような個性が出るのかを試してみるとかなり楽しいと思う。そんなことで、上機嫌で、帰路につきました。気がついたら、ラオスのコーヒー豆、カレー、黒コショウとバックとチョコレートを購入していました。けっこう浪費したかも。#ラオスのコーヒーで思い出したが。最近は、東ティモールのコーヒーがいいらしい。戦争が長く続いたために、農薬や無機肥料が使われていない土地があったため、オーガニックで育てることが出来るらしい。関連サイト地球雑貨 ふろむ・あーす http://www.from-earth.net/タイベビール http://savetheolive.main.jp/taybehbeer.htmスローコーヒー http://www.slowslowslow.com/ ←クリックしてね↑↑なんとなく面白そうだから貼り付けてみました。さてどのぐらいの順位になるのでしょうか。
2006.05.21
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王子が地上に降りて3ヶ月が経ったが、相変わらす外に出ると、王子に年上の女性の視線が集中する。銀行に行きATMの順番待ちをしていると、3人の女性に声をかけられ、王子は笑顔で答えるから。また、年上の女性が喜ぶ。スターバックスに行くと、隣の席の女性に声を掛けられている。家に帰りしばらくして、来客があったのだが、そこでも2名の年上の女性を虜にしてしまった。おそるべし。さて、王子にくらくらする女性からは、様々な子育てのアドバイスを頂くことがある。そこで、これは気が楽になると思った言葉は。「子育ては、自分以上の事は出来ないし、自分以下の事も出来ない」ということだった。普通「自分以上の事は出来ない」と、よく言われるのだが。自分以上の事をやりたいのが人情なんですよね。しかし、「自分以上の事は出来ない」とだけ言われると、向上心を持っている自分を否定された気分になるんです。まあ、冷静に考えれば、自分を高めることで、いまの自分以上の事が出来るようになるわけなんですが、そう言われると、一瞬否定された気分になる事がある。だが「自分以下の事も出来ない」という言葉が加わると、理想からかけ離れているかもしれないけど、いまのままでも最悪にはならないという安心感も生まれる。その安心感が、なぜか自分を肯定された気分にさせてしまうんですよね。世の中、雑誌やWebなどで、子育て情報が氾濫していますが。その情報に惑わされて、悩んでいる方がたくさんいらっしゃると言われています。とても、真剣に子育てに取り組まれている方が、その情報に惑わされ、自分のやっていることが間違ってかもという疑問を抱き、自信を失ったり、神経が疲れてしまう。だけど「自分以下の事も出来ない」と言われると。いままで、真剣に取り組んできた事が、なんとなく報われるんですよね。言葉というものは面白いですよね。 ←クリックしてね↑↑なんとなく面白そうだから貼り付けてみました。さてどのぐらいの順位になるのでしょうか。
2006.04.27
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昨年いろえろお世話になった、プーケットブロガーの一人、ハッチさんが来日し、上野でお花見が行われた。昨日は、新宿御苑に行こうとしたら、切符を買うだけで大変そうだったので、結局入場せずに、近くのカレー屋に行って、その下のタイ屋台料理屋で、いろんな話しが盛り上がったりしたのだが。今日の上野公園は、満杯で大変なのでは・・・と思い、相方と王子と"K"("MKというコードネームもある")との四人で上野に向かった。とはいえ、朝5時までテレビを見ていた"K"は、お昼まで寝ていたので叩き起こすような感じで、起こしての出動となった。上野公園に着くと、なんと、上野動物園の入り口の真ん前に、陣取っているじゃないですか。朝から陣取っていたとのことだが、宴会の手配が良いのはさすがだ。私たちに気がついて、手を振ってくれているので、すぐにわかった。席につくやいやな、"K"は買い出し部隊となり、いきなり買い出しに行ってしまった。"K"は、バシリに使われても嬉々としてやってくれるキャラもあるのだが。何回かプーケットで会ったことがあるだけで、見事にキャラクターが読まれているのが妙におかしい。メンツを見ると、プーケットで会ったり、映画に見に来てくれたりと、顔を知っている人が1/4ぐらいで、残りは初めて会う顔ばかりだが。どこかで繋がっているという安心感か、どこか和やかな雰囲気だ。軽くビールを飲んでいると、王子に気がついた、タイ人の旦那衆が、王子のご機嫌を取りに来た。それにしても、タイ人の男性は、子どもが大好きだ。とにかく子どもをあやして遊んでいる。それに対して、いわゆる一般の日本人の大人の男性は、あまり子どもが好きでないのか、それとも扱いに慣れていないのか、赤ちゃんと接しようとしない。岩月謙司氏の「女は男のどこを見ているか」(ちくま新書)には、赤ん坊に"べろべろばー"が出来るのが、いい男の条件として書かれているが。タイ人男性に惚れてしまう日本人女性が多いのは、もしかすると、こういうタイ人男性の子ども好きな面もあるのかもしれない。逆に言うと、日本人男性が、魅力を失ってきていると言えるかも知れない。 岩月謙司氏の「女は男のどこを見ているか」(ちくま新書)そういや、JICAのイベントで、バリ島などで日本語教師をしていた方が、日本人男性の魅力が減退しているから、バイタリティのある日本人女性は、外国人男性と結婚する傾向があるのではなかいかという話しをしていた。そして、日本では少子化とか言われているが、そのカップルの間には、子どもが生まれる。今回も、多くの日本人とタイ人のハーフの子どもが来ている。とはいえ、タイ人男性が、いわゆる子育てに参加しているかと言われると。どうも、必ずしもそうじゃないらしい。本人が自発的に、子どもをあやすのは好きだが、育児に困って手伝ってくれと言ったときは、手伝ってくれない事が多いそうだ。だから、子どもが大好きだからといって、いわゆる育児も手伝ってくれるかと言えばそうでもない事が多いそうだ。しばらくすると、上野動物園に行っていた子ども達が帰ってきた。子どもたちは、いろんな大人の所に行って相手をしてもらっているので、誰が誰の子どもかわからないほどミクスチャーされている。そして、協力し合うことにより、大人も楽をすることもできるし、子どももみんなで遊んでイキイキするしくみに見事になっている。この光景は、プーケットで見たコミュニティというか宴会そのまんまの雰囲気だ。まるで、このお花見が、ヤマトマンション上野サテライトパーティという感じとなっている。これって、別に教えられたわけでも、何でもないのだろうが。南国の雰囲気とか、人との付き合い方というのかで、自然に知恵が呼び覚まされているのかも・・・。そして、プーケットというタイ南部の地域に縁がある人が集まると、その雰囲気は、日本に来ても変わらない。そんなことで、楽しい花見だったのだが。雨が降ってきたので王子を連れて撤退することにした。この続きは、王子を連れて、プーケットで・・・ちなみに、二次会は、カラオケで盛り上がったようです。
2006.04.02
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SSF笹川スポーツ財団が発行する「青少年のスポーツライフデータ2006」という10代のスポーツライフに関する調査報告書を読んでいて気になったことがある。それは、スポーツをする場所として「路上」が、2001年の前回の4位(22.0%)から、10位(4.9%)と大幅にランクを落とすと共に、17.1ポイントも下がったのだ。報告書では「"路上"の激減は、学校内の施設利用が進む一方で、運動やスポーツの場として日常生活空間の利用が減少していることを示している」と書かれている。四谷四丁目のあたりは、裏道にはいると、行き止まりの道路があるため、車の往来が少なく、子どもが、バレーボールや縄跳びをし、若者もサッカーをやっている姿を見るのだが。このような、どこにでもあった街の姿が、いつの間にか少数派になってしまったというのが、数字に表れた。様々な国の映像を見ていると、子どもが道路で遊んでいるという風景をよく見る。それに比べれば、道路で子どもが遊んでいない日本はなんとなく活気がないように感じる。道路を往来の場所として捉えている、警察なんかとしては、目的外である、路上で運動やスポーツが減るということは、交通安全面では、いい傾向とも言えるが。都市の機能として、人と人とが出会い交流する場としての道路という事を考えれば、どこか淋しいものを感じる。道路は人と人との出会いの場であり、そこで行われるコミュニケーションが人の成長を促す面も大きいはずだ。ブラジルなど南米のサッカー選手が強くて創造的なプレーをするのは、荒れた道路上で日が暮れるまでサッカーをしていたから、整備された芝生のピッチでは起きない、ボールの動きに対応する事で得た、環境適応力の影響だというがあり。その事を強く語る有名サッカー選手もいる。路上での運動で、整備されていないのは、スポーツルールもしかりだ。学校で指導者がつく場合は、決められたルールでスポーツが実施されるが。路上では、自分たちでルールを定め、自分たちで守り、様々な出来事に対し、自分たちで、考え判定を下すことになる。これは、社会生活において、必要なスキルである。そして、それは、様々な自主的活動をする上でのスキルであり、世の中がうまく運営出来るようにするスキルでもある。しかし、残念ながら、基本的に「言うことを聞く」という事を推奨されがちな学校では体験出来ないわけで。路上での運動やスポーツが減った事は、創造的な人材が育つ可能性を減らす結果となるだろう。さて、なぜ、路上での運動やスポーツが減ったのかという理由については、この調査報告には書かれていない。そこで、なぜ、路上での運動やスポーツが減ってしまったのかの要因を予想してみよう。まず「交通量の増加」を疑ってみた。交通量の増加が安全に子どもが遊べる場を減らしたのではということは、真っ先に浮かぶことなのだが。この5年間で、交通量が増加したとは思えない。交通事故の件数は増えてはいるが、ここ数年、交通事故死が減っている。交通事故死の数は、景気と連動しているという説もあって。景気が良く、人や荷物を運ぶ量が増えると、交通事故死が増えるという理屈なのだ。とはいえ、17.1ポイントも下げるほどに、交通量が増えたとは思えない。また、まちづくりの観点から、生活道路に、車が入りにくいような工夫をするところも増えていて、路上で遊ぶ場となる生活道路の交通量が減っているはずだ。次ぎに「子どもへの安全強化」だ。ここ数年、子どもの安全について、神経質になっている傾向がある。学校には警備員。登下校は、集団になり、親がついていく。また車でお出迎え。場所によっては、子ども一人一人にICタグをつけるところまで出てきている。これは、ここ数年、立て続けに大きく報じられている、児童に対しての凶悪事件の影響が大きいだろう。このことにより、子どもは、学校と家と習い事の場所を移動し、常に大人の監視下に置かれ、子どもだけで過ごす時間が少なくなっているように思われる。おそらく、これが路上で子どもが遊ばなくなった最大の原因なのだろう。子どもが、路上で得る社会性のことを考えると、子どもへの安全強化の方法として、子どもを管理したり手の届くところに置いておくのではなく、子どもを奔放に遊ばせておいても大丈夫な環境を作る方向に持っていくことが必要であろう。そうしないと、いくら、国際化への対応といって、小さな頃から英語を習わせたとしても、根本的な社会性を持たない限り、コミュニケーションがうまくいかなかったり。将来、創造性が足りないことで、問題の解決の出来ない大人が増えてしまう可能性があるのだ。
2006.03.31
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京都の田舎神社の第二種兼業神主?が会合があるということで東京に出てきたので会うことにした。彼が、神主など神社で働く人のインターネットコミュニティが10周年を迎えるにあたり、単なる勉強会ではなく、ワークショップスタイルで行おうということで、東京にやってきたのだ。ワークショップが開かれるには、その背景がある。それは、神職で食っていくのか大変だからである。彼も、平日の昼はサラリーマンをやり、夜や休日に神社の仕事を行っている。まだ、この神社は、神主なり神職についている人がついているからいいが、最近では神主がいない神社も多いそうだ。さて、昔は、それなりに神社もやっていけたのに、なぜ今はダメなのだろうか。まず、環境的な原因として、都市への人口の移動などで、地域コミュニティが崩壊して、地域コミュニティと密接に関係のあった地域の神社と人々との生活とが離れてしまった事がある。しかし、賛否両論ではあるが、時代に合わせたマーケティング戦略をとり、若い女の子をターゲットにして様々な商品開発をし成功した神社もある。この商品開発に対する賛否両論はどこから起きるかというと、神道という宗教行為から逸脱している可能性があるからである。それは、神社の中で女の子向けのお守りを売っていて、それがバカ売れするぐらいだったら可愛いが、神社の名前を使った商品がスーパーの店頭に並んでいるという所まで出てきたため、伝統を守って商売に熱心ではなかった神社などからは「けしからん」という声が出てくるのである。それは、信仰の精神からの逸脱に対する指摘の要素以外に、「けしからん」と言わないと、過去にこだわり、伝統を守ってきて自分たちの立場がないという要素もあるのだそうだ。しかし、神社もなんらかのお金を回さないと、古くからの伝統のある神社も維持出来ないわけで、商売を否定ばかりしてはいられない。そんなことで、神社を営む者が、神社経営の相談に乗ってくれる組織などに相談することがあるそうなのだが「伝統を守りなさい」という言葉が返ってくる事が多いそうだ。この言葉がけっこう曲者なのだ。確かに歴史も背景も祀っているものも違う神社の個々のケースに合わせたコンサルティングは簡単にはできない。そこでどこに対しても言える「伝統を守りなさい」と言われてしまうと、相談した方は何も言えなくなる。そして、その言葉には、3つの思考停止がある。1つは、「伝統を守りなさい」という回答をすれば、相談者が何も言えなくなるだけに。何も考えずに「伝統を守りなさい」といっておけば、実際は問題解決には繋がらないにしても、なんらかの形で相談者に回答したことになり。とても楽である。それで、なんらかの金銭が動いているのであれば、とても効率的なコンサル業と言う、皮肉じみた表現がよく似合う。2つめの思考停止は、「伝統を守りなさい」という言葉をきいたときに、「いままでと同じ事をやっていればいいんだ」という自信を深め、自分で考えるという事をやめてしまうのだ。次ぎに、3つめの思考停止は、「伝統を守る」ということが、自分で考えずに、あくまでも過去の事例に頼ることに繋がるところである。確かに、伝統の中には、その神社の個々の背景に基づいた過去の対処法なりがあるわけで、それが問題解決に繋がる知識があることにはあるのだが、今起きている大きな変化に対応した問題解決方法が記された伝統をもっている神社はほとんどない。つまり、前例がないから対処出来ないのである。それなのに、「伝統を守りなさい」という非の打ち所のない言葉をなげかけられてしまうと、自分で考えずに思考を停止し、伝統の中にある前例を探すことに労力を使うこととなる。そんなことで、「伝統を守る」という非の打ち所が見つかりにくい言葉から、多くの思考停止が生まれているようなのだ。そして、別に「伝統を守りなさい」ということで思考停止に陥るだけでなく、もっと日常的に思考停止に陥る出来事があるようである。そんなことで、神職に就いている人の中には、思考停止が当たり前になってしまっている人が多いと言うことがあるそうで、それが原因で食えていけない神職の方が多いのではという仮定のもとに、ワークショップを開くことにしたのだという。さて、普段から慣れていない「思考する」という体験をするワークショップだが。思考したことがないだけに、どうやったらいいのかわからず、様々な不満が、ファシリテーターを勤めた彼に「もう、二度とやりたくない」と言い出すほど激しくぶつけられたそうだ。人は、だれしも、慣れないことをして、うまくいかない時、誰かに当たってしまう事があるが、まさにそれだ。しかし、ワークショップがおわると、自ら「思考した」体験の楽しさでいっぱいになり、参加者から「また、今度もやって欲しい」という声がいっぱいになったそうだ。思考する楽しさを体験したことは良かったのだが、その楽しさを再び味わいたいために「他人に頼る状態」なのである。神社を経営するには「自分で思考し」「自分でやる」必要があるのだが。思考する楽しさを知ったのはいいが、まだまだのようである。神職の方の中のほんの少しだし、まだ第一歩を踏み出したところではあるが、思考停止から抜け出そうとしている。このワークショップには次回があるかどうかわからないが。なんらかの形で繋がり、形式的な伝統でなく、「思考し自分でやる」という姿勢が伝統になってゆけば、鎮守の森という自然を守り、神と繋がる場所である神社が後世にも伝わってゆくのであろう。
2006.03.18
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谷みどりさんをご存じだろうか。谷みどりさんは経産省の現役の消費経済部長さんで中古の楽器やオーディオが買えなくなるという電気用品安全法いわゆるPSE問題で自らのブログが「炎上」したので一般にも有名になった方だ。谷みどりさんは経済産業省の公報が不十分だと感じ、自らの責任でブログをつくり仕事の最中に広報活動をした。しかしPSE問題でブログが炎上。それをきっかけに経産省に知れてしまったから大変。国家公務員法の職務専念義務違反で注意を受けた。 つまり、谷みどりさんは、組織の問題点に気がつき、それを個人の判断で、個人の出来ることで解決しようとしたら罰則規定に引っかかってしまった。 これって、クリントイーストウッドの作品でよく描かれる刑事と同じ行動ですよね。腐れ切った警察組織では解決出来ないことを、自分なりのやり方で問題解決をしようとしたが。市民活動家から苦情が職場に届いたり、職務義務違反だということで罰される。 そう、谷みどりさんは、ダーティーハリーと言われる「ハリーキャラハン刑事」と同じ行動をしたのだ。 クリントイーストウッドの作品のもう一つの特徴は、有能な女性の活躍である。しかも、男の職場への女性第一期生という設定も何本かある。最初は、女性だと言うことで、言われなき差別的待遇をうけるが、最後には自らの知恵と行動で実力を示し、その差別を跳ね返す。 谷さんは東大を出て79年に旧通産省入省。環境省初の女性課長などを経て、05年から現職。という素晴らしいキャリアをもっている。クリントイーストウッドは映画の中というフィクションで描いているが、おそらく彼女はそれを実際に肌身で感じつつも、はねのけてきていたのだろう。 今回は、クリントイーストウッドの映画のようにうまくはいかなかったが。こういう官僚もいるんだという事が世に知れただけでもいいのではないだろうか。そもそもの問題は、ユーザーの立場を考慮した広報が行われていなかったことであり。この問題を解決しない限り、谷さんのしたことは浮かばれないだろう。PSE問題は、法律が曖昧で、どっちにも解釈出来る内容であったことと、その解釈を十分に告知していなかったという事がある。谷さんは「官庁のHPは、見たい情報にたどり着くのが大変だし、広報予算も限られている。官僚言葉でなく、個人として語りかけたかった。職務中の更新は注意が足りなかった」と語ったそうだ。個人として。=人として。 ステークホルダーと対話をしたかったという姿は、役人として評価をすべきであろうと思う。しかし、大きな問題は、個人では受けきれない。役所の広報のあり方を根本的に見直す必要があるだろう。また、一般職員ならまだしも、部長という組織をまとめる上級管理職から、こういう動きが出るというのは、省の運営や意志決定のプロセスに大きな問題を抱えていることの現れでもあるともいえる。谷みどりさんの今後の活躍に期待致します。#今回の件は「暴れん坊将軍」が、世の中の政治をどうしようと思い、じいやにだまって、職務を放棄し、お城を抜け出し、市中をうろうろしながら、人々の生活を観察しようとしたら。じいやにばれて怒られたのと似ているという見方もある。ただ、違うのはお庭番がついていないので、全くの無防備だったと言うことだ。参考 朝日新聞より -------------------経産省部長ブログ「炎上」 PSE法巡り書き込み殺到2006年03月08日15時13分 「わかりやすい言葉で政策を伝えたい」と経済産業省の現役部長が、役職と氏名を明示して開設したインターネットのブログが、3週間ほどで閉鎖に追い込まれた。反対の声もある電気用品安全法(PSE法)に触れたところ、書き込みが殺到したためだ。その上、ブログの更新が執務中だったことが問題視され、部長は大臣官房から注意を受けた。 ブログは、経産省の谷みどり消費経済部長が2月1日、個人で開設した「谷みどりの消費者情報」。谷さんは東大を出て79年に旧通産省入省。環境省初の女性課長などを経て、05年から現職。 谷さんはブログで、悪質な内職商法の問題など消費者関連の政策を紹介、経産省のホームページ(HP)への誘導を狙った。当初は好意的な書き込みが多く、読者との関係は良好だった。 しかし、2月13日にPSE法について書くと、様子がおかしくなった。 PSEマークのない中古家電の業者による販売を禁ずる法律で、4月からテレビ、オーディオ機器、電子楽器など259品目の中古品が対象になる。中古家電販売業者、オーディオファンらが強く反発している。 ブログで谷さんは、この法律への理解を求めた。だが、同法に対する意見に交じり、反対派とみられる人たちから「死んでわびろ」「能なしの税金泥棒」など中傷も寄せられた。冷静な意見を含めて、書き込みは最終的に1600通にのぼった。ネット用語で言う、書き込みが殺到し、収拾がつかなくなる「炎上」状態になった。他のネットの掲示板でも話題になり、騒ぎは大きくなった。また、ブログ更新が平日の勤務時間内だったため「公務中の更新は問題」と議論は思わぬ方向に飛び火した。 このため、谷さんは閉鎖を決断、2月19日に「閉鎖のお知らせ」を掲載し、25日に閉じた。「公務中の更新を巡り、国民の非難を浴びた」として今月3日、国家公務員法の職務専念義務違反で注意を受けた。 谷さんは「官庁のHPは、見たい情報にたどり着くのが大変だし、広報予算も限られている。官僚言葉でなく、個人として語りかけたかった。職務中の更新は注意が足りなかった」と話した。
2006.03.09
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ここんところ滋賀県長浜市で幼稚園児2人が殺害された事件のニュースがしきりに流れているが。この事件は、殺人に至るという事を除いて、コミュニティに溶け込めない外国人の悲劇の一つの典型のような気がしてなりません。テレビ番組等でいろいろ事件の背景を追いかけるような映像が流されているが、個人情報ということなのだろう、ダンナの影がないんですよね。ダンナの実家から出て、入院したり、新築一戸建てに住んでいたりと、物質的には、それなりの生活をしていたのだろうが、それと裏腹に、孤立してゆく姿が妙に目に浮かぶんですよね。さて、新聞のおそらく警察の発表そのままと思われる記事に「県警は、周囲から一方的に疎外感を感じていた鄭容疑者が、グループ通園でさらに葛藤(かっとう)を抱え、不満を強めていったとみている。」なんて、書いてあったけど、本当に「一方的に疎外感を感じていた」のでしょうか。警察で調書を取るときって、警察語で文章が書かれるので、事情聴取をもとに警察官が作文して、それを読み聞かせて、それでOKかどうかを確認して出来上がるわけですが。形式通りに書くことで、読んだとき共通の認識を持ちやすいというメリットがあるが、その形式通りの順番に沿って質問をし、それに答えるという形で事情聴取をした場合。質問者の意図に沿った答えが出やすい質問方法を取りやすいわけだし、質問者の意図に沿いつつも、どちらでも取れるような文章を書くことも可能だ。調書を取られる人は素人だけど、調書を取る人はプロなので、やろうと思えば可能である。でも、それを意識的にやらないのも、プロの仕事でもある。ところが、複数の幼い命を奪った凶悪な犯罪を犯した容疑者だという先入観が、別に意識的でなくても、無意識にバイアスを与えてしまう事もありえる。なぜそう思うかというと「一方的に疎外感を感じていた」というのは、容疑者が「一方的に疎外感を感じていた」というはずはなく「疎外感を感じていた」と言うはずで、そこには「一方的に」という言葉は入らないし。「疎外感」は一方が感じるものだから、わざわざ「一方的に」と書く必要はない。この「一方的に」とうう言葉は、捜査本部が付け加えた言葉である可能性が高い。「一方的に」という言葉が入ったのは、被害者の関係者は、亡くなった子供の名誉のために、子供や自分たちに落ち度がないと言い張った可能性もあるので、これらの証言を総合して「一方的に」という言葉をつけたのだろうが。逆に「一方的」になってる気がするんですよね。現段階では、「一方的に」という、言葉をつけずに発表した方が、情報を受け取った人が、冷静にこの事件について見ることが出来るように思う。お見合いという形で日本に来た外国人妻は孤立しやすく、疎外感を感じる事が多いと言われている。その一方で、孤立させた方は意識せずに孤立させたわけで、自分が阻害しているなんて意識なんかない。だから「一方的に疎外感を感じる」という状況となる。確かに、そういう状況かも知れない。だからといって「一方的に疎外感を感じていた」と報道してしまうと、その人が、勝手にそう思っているだけになってしまい、その人だけが悪いという印象を与えてしまう。それって、ある意味「一方的」ですよね。亡くなった方のご遺族の気持ちも大切です。許せないと思います。ですが、容疑者だけが一方的に悪いように報道してしまう事で、周りの人やテレビをみてウンウン言っている人は、その人が罰せられて終わりとなることで、同じような悲劇を繰り返さないように出来るのでしょうか。「鄭容疑者は調べに、グループ通園についての心情の変化を詳しく供述しているという。」ことなので、いろんなことが、これからわかってくるだろうけど。人のイメージって、最初の方のちょっとした一言で決まってしまうんですよね。だからこそ、今回の報道で「一方的に」という言葉を、警察発表に入れたのは、不適切だったのではないかと思う。その他に気になったのは・・・・「捜査本部は、鄭容疑者は長女をグループ通園へ参加させたりやめさせたりして悩んだ上で、「娘が仲間はずれにされている」と思いこむようになり、原因が周りの子どもたちにあると考えた可能性があるとみている。 」という報道もされているが、これって、あくまでも、事実かどうかまだわからない段階での、捜査本部の予測コメントですよね。でも、報道を受け取った、多くの人は、これを事実だと思ってしまうんですよね。
2006.02.21
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「個の時代」と言われて久しいが、「個の時代」という言葉に欺瞞を感じるんです。確かに、家には個室があり、それぞれの部屋にテレビがあり、家によっては各部屋に冷蔵庫まである。そして、パーソナルメディアであるパソコンや、より身体に近いウェアラブルコンピューティングに近いパーソナルメディアである携帯電話も普及し。音楽も、みんなで聴くわけではなく、ちょっと前までは、ウォークマン、いまは、iPodで個別で聞く。そういう物理的なものを見て「個の時代」と言うようになったのだが、実際は「個の時代」ではなく、不特定な人の集まりである「マス」の時代でしかない様な気がしてならない。日本は、かつては「組織」を重視する傾向があり、何十年という時間をかけて、その組織の繋がりを解き解いていった歴史がある。だからといって「組織」から「個」にシフトをしているというわけではない。ここ10年ほど、ITを活用した、個別対応のマーケティング手法が流行っているが。マーケティング的には、個別対応と言い直接繋がりを持っているとはいいつつも、選択肢の単なる順列組み合わせによる多様性を欠く選択システムであったり、最大公約数的な者の考えや、常に統計的というかマスで捉えた方法論で行われているので、「個の時代」と言いつつも、実際は、「マス」で捉えていて、決して人を「個」という捉え方をしていない。インターネットも、「個」同士の付き合いも可能なツールだが、多くの場合は実際は見えない「個」の不特定な集まりである「マス」を対象にして、コミュニケーションが行われている。メルマガも巨大掲示板もブログも拡大化したSNSもまさにそうだ。メディアが個人に対し、何も緩衝材もなく直接個と繋がるようになったり、組織の解体を行っているから、「組織」から「個」にシフトしているように見えているだけで、決して「個」を尊重している訳ではない。太平洋戦争時の日本は「組織」の時代のピークで、隣組から、婦人会まで、いろんな組織化に熱心な政策で。大東亜共栄圏を旗印に、東南アジアに攻め入った時に、アジアの国の人に対しても、組織化を働きかけていた。そういや、あるワークショップで、ファシリテーションと政治のセッションで、星川淳さんと、このあたりの話しをした覚えがある。様々な共感をすることで、絆を深めた集団が、組織となると、大きな力を出すだけに、間違った方向に向いたら、これまた大きな力を出してしまう。日本は、それが、戦争に利用されてしまったという過去をもつわけで、戦争に負けて、占領下において、様々な、組織の解体が行われ。労働力の流動性と相まったり、不公正を正すという言い方でも、組織や繋がりを解体していった。組織の解体をして、個別化したことで、もともと個は不完全なので、不完全な部分が露呈してしまうのだが。そこに、さまざまなサービス産業が成立するという経済効果も現れた。たとえば、大学の進学希望は、医療・福祉系が伸びでいるが、これは介護ビジネスなど、福祉ビジネスのマーケットが、いま旬だからである。介護ビジネスは、家族や地域という組織が解体された事によって施されなくなった事をサービスとして提供しようというものだ。介護保険という制度が出来て、いままで補完するものという立場から、一気に介護事業という大きな地方自治体の事業の柱となるように成長した。しかし、制度を導入するに辺り、一人、一人事情が違うにもかかわらず、要介護認定という一つの物差しで、対応を決める。一つ一つのサービスは、個別になされてはいるが、必ずしも、その人の「個」ではなく、ある範囲内の不特定多数のものに対し均一に対応するという「マス」的な捉え方をしている。これで、果たして「個の時代」なのだろうか。また、個は不完全だからこそ、そこから湧いて出る恐怖感に基づいたビジネスも増えた。これは、個の不完全さに対応した「個の時代」の産物のようにも見える。たとえば、個の時代になって盛んになったものの一つに、資格商法があるのだが、資格を取るということは、自己実現をすることに繋がるのだが。資格を得て、何かしらの形で認められることで、安心したいという、不安感を利用して、広がった面もある。資格は、何かしらに認定されるという仕組みのために、資格を認める人に依存する形となるわけで。これは、必ずしも「個」の確立に役立っているわけではなく、本当に「個」が確立しているのであれば、資格なんてなくても、堂々と生きられるはずである。資格というものを得て、ひとつの属性に入れられることで、安心を得たり、信用を得たりする。これで、自己実現が出来ればいいのだが、資格に拘る人は、一つの資格では安心出来ず、次から次へと資格を取り続ける。人生、常に勉強という言葉とは違う意味で、常に満たされず資格を追い続ける。そんなことで、資格を取ることは、必ずしも「個」を育てているわけでもないし、「個」を尊重しているわけではない。「個の時代」を象徴するものの一つに「個性的」という言葉があるが、これも変だ。いわゆる「個性的」と言われるものの中には、ある一定の型にはまったものになると「個性的」と言われる事が多い。ロックバンドが、それぞれの個性を売りにやっきになるのだが、個性を出そうとする行動が、けっこう似通っていて、結局似通ったバンドが増えるという現象を起こす。似たようなことをしようとしても、どうしても似たようなことが出来ずに個性の出てくるバンドもあるので、個性を得るためのプロセスとして、個性的という枠にはまってしまおうとするのかもしれないが。「個の時代」を象徴した「個性的」という言葉を使うときは、たいがい、ある型にはまったというか、記号性としての「個性的」である場合が多く。「個性的」と言われるものに対して、決して「個」として捉えているわけでもなく「個性的」という属性の「マス」として捉えられ扱われている。「個の時代」と言っているけど、実際は、個を育てることもしていないし、個を尊重しようともしていない。それで、本当に「個の時代」なのだろうか。本当の意味の「個」を育て「個」を尊重していないからこそ「個の時代」という言葉を使って、「個」を尊重しているように見せかけることで、社会のバランスを取っているのかもしれない。
2006.02.09
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最近の話題は、やはり、フランスの暴動だろう。フランスに来ている移民の2世・3世を中心に暴動が起きていて。暴動を起こしている少年の親に対し、手当を支給しないという措置を検討する自治体も現れている。経済的な問題から、暴動が起きているのに、手当を支給しないという経済制裁をしたら、暴動の原因を大きくしているだけのように感じる。その一方、日曜日の朝、名神高速道路で、日系ブラジル人4世をたくさん載せたワゴンが、追突され。その後、さらに追突されたため。多くの日系ブラジル人が亡くなった。この日系ブラジル人の方の中には、日本で働いたお金で、ブラジルの大学に進学しようとしていた方も含まれていたようです。ご冥福をお祈りします。この日系ブラジル人が、日本に働きに来ているということは、ブラジルの物価や景気の問題もあるのだが。私の予想では、移民である日系ブラジル人が、うまく現地で生きていけないという問題という背景があるのではないかと感じている。移民が、現地でうまく暮らせなくて、貧困に陥ることは良くあることで。フランスの暴動の背景もまさにそうだ。しかし、移民の2世・3世・4世・5世となると。元の国に戻ることは、困難を伴う。おそらく、今回の事故にあった、日系ブラジル人たちは、苦しい生活の中のちょっとした楽しみのために、名古屋に行った帰りに、交通事故で命を落としてしまったようだ。明日から、タイに渡るのだが。ここんところ、多くの日本人や日系人にあっているが。このような事件を見ていると。2世・3世の子供達が将来、貧困の罠にはまらないように、普通に幸せに暮らしてもらえるようにと思わずにいられない。今後、どうなっていくのか、もっと長期的に見届けてゆきたい。
2005.11.16
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児童就労に関する話を聞いた。養殖場で育ったニワトリを絞める作業を、どうも、児童就労で行われている事があるそうだ。タイやラオスなんかだけではないけど、家の庭でニワトリを飼っている姿がある。これらのニワトリは、時々、絞めて食べるわけだが。それとは、まったく規模が違って、子供が一人当たり、一日に250羽から300羽のニワトリを絞めるとのことで、そこで、何ヶ月も働いているうちに、精神的におかしくなってくるのだそうだ。普段、店に並んでいる、鶏肉も、おそらく、大量処理されているわけで。あの値段を考えると、一人で、一日何百羽も絞めないといけない状況が予想されるのだけど、今回の話を聞いて、気がついたという感じだ。本来なら、おめでたいと事があったとき、一日何羽かを絞めることがあるかもしれないが。おめでたいことがなんにもないのに、一日何百羽も絞めないといけないという、ことを、毎日過ごしていると、気が変になってもおかしくない。しかも、現金がほしい人がたくさんいるということで、競争率が高く、そのため、低賃金でも雇われる人が優先されるそうで。異様な低賃金なんだそうだ。いろんな、作業を集約すること、集中することによる、効率化というものがあるのだが。負担も集中するということなのだろうか。遠隔医療プロジェクトをしている人が、遠隔医療を実施すると、特定の技能をもった医師に仕事が集中してしまい、過労になってしまうという問題が発生したというし。集中することは、メリットもあるが、リスクも集中してゆくということなのだろう。コーデック技術の発展で、遠隔監視も可能になっており、ネットワーク化も進み、ますます、集中化が進んでいる。本来、インターネットは、軍事用コンピュータネットワークとして、分散型サーバーをネットワーク化することで、複数経路で情報が流れる仕組みを持つことで、いざというときに、どこかが壊されても、機能するしくみとして作られたのだが。インターネットの民間利用から急速に発達したIT化は。インターネットのもともとの発想とは逆に、さまざまな集中化を招くことになった。アジアの国も、生産拠点としての集中化のまっただなかにいる。その集中化によるひずみを、そのまま、受け続ける必要があるのだろうか。分散する方法はあるのだろうか。
2005.11.09
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就業規則を労働基準監督署に出さない事業所って多いですよね。社員が7人アルバイトが8人もいる会社でも、就業規則を作ったが、労働基準監督署にも出していないし、従業員の知らぬ間に変えてしまっていたりするから呆れる。まあ、就業規則って、従業員の代表の意見を聞くことをすすめているが、基本的には、雇う側が決めるんですよね。また、就業規則は、誰でも見れる場所に置いておくとか、明示しないといけないわけですが。ほとんどは、総務担当の引き出しのファイルの中に片づけられていて。総務担当がいないときは、ご丁寧に鍵までかかっているなんてこともある。それにしても、疑問なのが、楽天日記には、たくさん社労士さんが日記を作っていて、忙しそうにしているのだけど。就業規則をつくり、労働基準監督署に出していない事業所が多いってことなんですよね。なんでなんでしょうね。それだけ、第三者に見られたくないものなんでしょうか。別に、就業規則を提出したって。改訂したら、また提出するというのは、面倒かもしれないけど、別に経営者からすると、問題はそれぐらいのもんなんですよね。何で、出さないんでしょうかね。この際、従業員募集広告やハローワークに募集をかける時に、就業規則を提出した認証番号を掲載しなければならないぐらいにしないと、徹底しないモノなんでしょうかね。また、登記簿と同じく、第三者にも提示出来る仕組みなんてのも必要かも。うちは、駆け込み寺ではないのだけど。今日も、10月に知らない間に就業規則を変えられて、そのために有給休暇が消えてしまったことを給料日寸前に聞いて、愕然としてしまったという人の話しを聞いたけど。そこも、10何人も従業員を雇っているんですが、労働基準監督署に就業規則を出していなかったのよね。どういう感覚で、就業規則を出さないのだろうか。作るのや、手続きが、めんどくさい以外の理由がある人は、教えて下さい。
2005.11.08
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先日お伝えした、リース詐欺事件の話ですが。まだ、10月時点でも、連絡が取れないと言っていたはずの販売代理店が、まだ、リーストラブルの原因となるキャンペーンの告知投稿を行っているようです。みなさんも、注意してください。さて、リース詐欺の件で、被告となった方に、再び事情を聞いてみた。事情を話すのにもエネルギーは必要だが、今回は、力になってくれるという人が新たに現れたし。今度の裁判所への呼び出しのときに、話す内容を整理しておいたり、言葉にすることによって、話すことに慣れたりする要素もあるので、申し訳ないけど、最初からもう一度説明をしてもらった。その中で、いくつか気になったことがある。リース会社の方が、自分たちのマニュアルに沿って行えば、被害者に悪いことにはならないといいつつも、結局は、被害者が被告になってしまった。おそらく、リース会社の担当者のマニュアルを信じた良心と、被害者のリース会社の担当の言うことを信じた良心が、結果として告訴されたことによって、裏切られたという感情を生み出しているようだった。そして、リース会社の代理人として出てきた法律事務所だが。担当の弁護士に、被害者が本音のことを聞いたところ。担当の弁護士は、大口クライアントの仕事だからやっているが、被害者に対しては申し訳ないと思いながらも仕事をしているようだった。担当の弁護士は、法律事務所に雇われている弁護士だし、相手の主張を弁護するのが仕事だが。仕事とはいえ、良心の呵責にないまされている姿を感じる。これは、べつに、弁護士だからというわけではないだろう。いろんな会社でも、被害者に対し申し訳ない事をしているとわかっていても。それをやらないと自分の任務が完了せず。おまんまが食い上げになってしまうからということで。自分の意に反することを行っている人も多いと思う。コンプライアンス経営ということで、遵法精神で経営をするということを謳っている会社も増えてきているが。法律は、必ずしも、全ての人が良い塩梅になるようになるものではなく。法律に基づいた手続きをすればするほど、人を傷つけていく事も少なくない。たとえ、それに気がついていても、手続きをすることが仕事であって、それをしないと自分が食えなくなるという矛盾をはらんでしまう。そんな事を見ていると。良心と仕事を一致させるには、雇われの仕事をしないに限るという事になってしまう。世の中は、複雑にからみあっているものなので、なんらかの形で雇われて仕事をしないわけにはいかない。そのような中で、どのようにして、良心の呵責にさいなまれることなく、仕事をしてゆくことが出来るのだろうか。
2005.11.06
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大泉学園のわらべというもんじゃ焼き屋に、楽天日記でリンクしている本田さんと出かけた。このわらべの主人は、アイデアマンで、店をやりながら、いろんなまちづくりのアイデアを提案し、出来る範囲から少しずつ実践していっている。いつも、いろいろ、面白い実践しているプロジェクトの話しが聞けるのだが。今回も面白いプロジェクトが出てきた。トレードマークのエプロンに描かれたドラえもんのポケットではないけど、とても、いろんなものが出てくる。今回のネタは「店コミ」という概念だ。よく「口コミ」という言葉を聞くが、地域コミュニティが崩壊した、都市の郊外では、口コミが同じ層しか伝わらないという、断片化が進んでおり。ターゲットが絞られたマーケティングには使えるが、広く広がる口コミというスタイルではなくなっており、口コミの広がりが弱くなっている。そこで、店が、お互いに特性を知り、他人の店を紹介したり、店が地域の情報の窓口となることで、来店者に対し、コミュニケーションを提供していこうというのが、店コミなのだそうだ。現在の所、基盤を作る段階のようで、店コミは、しっかりとした店同士で行うということで、着実に、しかも確実な情報を来店者に提供出来るように動いているようだ。成果は、まだ、出ているとは思えないが。中・長期的に、練馬区という、他の地域からの流入者の多い街において、このローカルホスピタリティ的な要素が大きいプロジェクトが機能すると。地方流入者にやさしい、魅力的な街になると思う。是非、きっちりと続けて欲しいプロジェクトだ。
2005.10.13
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明治公園のフリマに出店してきました。日本では、衆議院解散総選挙の日ですが、世界的には、4年前に起こった、米国同時多発テロの日ということもあって、同じ会場では、Be-inという戦争反対のイベントが行われています。そういうことで、そこに売れる商品ということで、こんなTシャツを販売してみました。 普段は、1500円ということにしているのですが、9月11日を記念?して、911円で販売しました。また、近所で、ワールドピースナウという、デモ行進を行うということで、この公園に集まった人の一部が、スタートまでの時間に、フリーマーケットを覗きにきていましたが。特に英語圏の方にバカ受けで。白人の女性カメラマンなんか、走ってきて、写真撮影をした上に、お買いあげいただきました。お買いあげありがとうございます。ちなみに、こちらでも販売しております。他に、STILL ALIVEのTシャツや、古いTシャツ袋詰めなんかもやりました。この袋詰めセールは、大好評で、開店から、1時間半で全て売り切りました。とにかく、フリマのプロ(買う方)の方の、袋詰めのテクニックに脱帽です。見事に、袋にきれいに収めてゆきます。畳まれたりすると、たくさん収められるので、わざと、ぐちゃぐちゃにしていたのですが。きちんと畳んだり、まるめたりして、コンパクトにして詰め込む姿には感心しました。それにしても、今回の私のいた場所は、国際的で、裏側がイギリス人女性、斜め後ろが、インドネシア人、隣は、アジアを歩いて写真を撮っている方という感じで、お弁当を分け合ったりと、暑い中わきあいあいとしていました。デモ行進に参加しようとしている人たちの中には、こういうフリーマーケットが開かれている楽しさを感じ取っている人もいて。相手を非難して、排除するような活動ではない、楽しい平和活動もいいんじゃないかな。なんて、言っている人もいました。それもつかの間。午後2時頃から、天気が急変。激しい雷雨に。とにかく、持ってきた物を、トランクに詰め込む。商品が濡れてしまっては、大変だ。すごい豪雨に、会場は、川のようになっている。トランクの下に、照明スタンドをいれて、高床式にして、浸水を防ぐ。ちょうど、向いにあった、テントの下のお店に雨宿りさせてもらったが、ここも満杯になる。そんなとき、テントの下のお店の方が、車を移動させてきて、その中から、一張りのテントを出してきた。これで、多くの一が雨に濡れなくすむ。雷が、近くのビルの携帯電話アンテナや、日本青年館に直撃。雨宿りしている人々は、恐怖におののく。午後3時頃に、少し雨が止んで。また出店しようとしたら。またもや、雨が激しくなってくる。今日はもうあきらめだ。みんなで力をあわせて、商品をテントの下に撤退する。インドネシアの方の店では、400円で売っていた商品が全滅している。イギリス人女性は、あまり足が良くないようなので、インドネシアの方が気遣っている。いざとなったら、国籍や人種なんか関係なしに、近所同士が助け合う姿がそこにあった。テントの下で、いろいろ話していたのだが、このテントを貸してくれた方は、無農薬、有機野菜を売るのが本業で、阪神大震災の時に被災地に継続的に野菜を運んでいた方だったんで、びっくりしました。最初は、門戸厄神、つぎに、大社のあたり、そして、神戸市内入りして、最後は、長田区あたりで活動していたそうで。結局、震災後2年以上かよって、今も、時々、神戸に顔をだしているという。彼としては、当たり前のことなのかもしれないが。フリーマーケットや、こういう支援活動経験から発生する機転というものを感じた。夜になっても、スコールのような雨が降り続き、フリーマーケットは撤退したのだが。イベントは、つづいていた。私は、少し早めに撤退したが。その後は、最後まで居ようと思うひとだけが集まり、KOH TAOの演奏を聴いている姿はちょっと、いい雰囲気だったそうだ。
2005.09.11
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大阪での打ち合わせがあり、梅田から少し離れたところにある、カフェに向かった。そこで合う方から「地元の人でも迷うし、奇跡のような所です」なんて、言われていたので、携帯電話のGPS機能を利用する。以前、仕事や、音楽活動の都合で、あのあたりは、うろうろしていたのだが、近くにある小学校は知っていたのだが、今まで、入ったことのない路地を、GPSが指している。とにかく、細い路地を入ると、古い長屋がたくさんあり、そこに、何軒か、面白そうなカフェやお店が点在する、不思議なエリアがあった。その中の一軒が「天人(あまんど)」という、コミュニティカフェだ。ここは、古い空き家を活用しようという企画から始まったカフェで、築120年の民家を利用しており、出来てから4年が経過したそうだ。ちょっと不思議で、なつかしい感じの空間だ。そして、昨日の凡愚とは少し違った、気持ちの良い雰囲気をもっている。それは、ものを大切にする心だ。このカフェも、古い空き民家を利用しているのだが。実は、ここにある全てのものが、再生品を利用している。しかも、全て、近所の人から不用品をいただいたものなど、無料でいただいた物である。だから、釘一本も、伸ばして使ったりしているので、お金を使っていないという。パソコンも、テレビも、CDも、蔵書も。全て、いただいたもの、言い換えれば「GIFT」されたものであるという。装飾に使われている、不思議な穴の開いた紙は、古い織物を作る機械の西陣織りのパターンを記した紙である。これって、紙でこそあるが、再生装置が使えなくなった、不要なデジタル記録媒体である。ここには、こういう、使えるけど、いらないものが、適度に集まってくる、空気があるのだ。若い人が、面白いことをやっているのを、面白いと思ったということなのか、地域の方も、そこで、必要だと思われる、自分たちが不要なものを持ってきてくれたそうだ。よく、大きな災害があると、救援物資を被災地に送るということがあるが。その多くは、相手のことを考えず、自分の思い込みでこれが必要だと思って実際には役に立たないものを送りつけるならまだしも、ただ単に自分が不必要なものを、これ幸い?かと、送りつけているという現状がある。被災地で、援助物資の受付けを担当する人は、この送られてきた不用品の処理に奔走することとなる。さて、話は、このカフェに戻るが・・・このカフェの場所を貸し出したり、地域の方が必要なものをもってきてくれた背景には、60年前に戦火に巻き込まれなかったことがあるのではないかと思う。大阪は、激しい空襲にあったにもかかわらず。この一帯は、お地蔵さんが多く、そのお地蔵さんに囲まれた地域だけが、戦災から免れ焼け残った。その焼け残った有り難いところを、そこに住んでいる方が亡くなり。住む人が居なくなったことで、廃屋になり、取り壊してしまう事はもったいないから、新しく大切にしてくれる人を招き、その人に不要でも、役に立つものを提供しようという発想が出来上がったのだろう。また、この家が出来てしばらくしてからの様子も住民から語り継がれていて。明治から大正時代の頃には、屋根裏部屋みたいな2階に8人の方が共同生活で暮らしていたそうだ。そして、いま、また、カフェという違う形での共同生活が始まっている。こういう話が伝わっているところも、戦火に巻き込まれず、コミュニティが維持されたからできる話であり。そんな地域のコミュニティが、新しいコミュニティを取り込み。地域の伝承が続こうとしている。カフェを出て、歩いて5分で、毎日放送とLoftがあるという都心に、古い民家を改装したカフェとそのカフェを支える地域の方、そして、そのカフェの魅力に取り付かれ、カフェを手伝っている方の、ものを大切にするコミュニティが存在するのだ。天人そこを訪れた人はすべて、天下人になる場所。一人一人が自分の存在を思い出し、社会での役割を定めていける。すべてが、この星の一部として機能し、いべてに還元されてゆく。人生の時間が芸術となった時、その人は光り輝く。幸せはその昔、与えられるものではなかった。誰に与えられずとも、人それぞれが幸せ自体だったから。人が大地と調和して、すべての人がそれぞれの道で天下人となったとき人類は celestial being (天の人)になる。 Salon de AManTo 小冊子よりこの天人では、そのほかにも、Cafe大学や、環瀬戸内海での展開など、様々なプロジェクトがあるので、またの機会に紹介したい。
2005.08.16
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またもや、仕事で仙台に来た。今回は、宿泊の予約が取りにくいと思ったら、東北三大祭の一つ「仙台七夕まつり」の当日だったのだ。この「仙台七夕まつり」は、今年で復活60回目だそうだ。軍事政権下、日中戦争が激化しつつある、1939年に「仙台七夕まつり」は、休止に追いやられたのですが、戦争の終わった翌年(1946年)に、東一番町という商店街にあった戦災による焼け跡に、商店主たちの力で、52本の笹飾りが立てられたそうです。その笹飾りは、終戦後、資材の少ない時代のため、印刷所の断裁済みの紙切れなどを使って、心をこめて作ったそうです。それは、豪華さがなかったものの、情緒あふれる、色とりどりの吹き流しなどを見て、涙を流して見とれた人もいたそうです。それ以来、戦後復活60回目になっても、商店街の方をはじめ、子供や地域の方が中心となって、まつりの伝統を守っているそうです。七夕まつりの伝統といえば、仙台七夕の七つの飾りですよね。まず、仙台七夕のイメージといえば「吹き流し」ですよね。他の地域の七夕でも飾る「短冊」「投網」のほかに、「折鶴」「かみごろも」「巾着」「くずかご」の、合計7つである。「短冊」「投網」「折鶴」「かみごろも」「巾着」は、祈願するために奉られたものですが。面白いのが「くずかご」だ。この「くずかご」は、七つの飾りを作り終えた裁ちくず、紙くずを拾い集めて、中に入れたものです。つまり、ゴミまで飾ってしまうのだ。ゴミまて飾ることによって、ものを粗末にしないで役立てるという。清楚と倹約の心を育てる教育効果がある習慣なのだそうです。お祭りには、歴史だったり、性教育だったりと、様々な、教育機能がありますが、環境教育という面でも、機能しているようです。お祭りで覚えると、学校で、体育館に集められて、レクチャーを受けるより、よっぽど自然に覚えられるよね。それと、お祭りに関わることで、プロジェクトマネージメントについても学べますよね。地域のお祭りが廃れているところが多く、その一方で、どこかか持ってきたような新しいお祭りがもてはやされていますが。多くの地域で、お祭りの様々な役割が伝わっていないような気がしてなりません。さて、ホテルにチェックインをして、仕事場に行こうと、タクシーで移動しようとしたら、えらい渋滞で、車が動きません。その理由は、三つあります。まず、七夕まつりと併催される「星の宵まつり」という、市民参加団体がパフォーマンスを行うイベントのために、交通規制がかかっています。そのため、迂回する車で混雑しているのです。そして、月曜日という平日のため、通勤ラッシュと重なっています。地域とつながったお祭りでは。お祭りの日は、仕事どころではなてので、通勤ラッシュは起こりにくいのですが。他の地域との仕事の連動が重視されるようになって、たとえその地域のお祭りの日であっても、カレンダーどおりに仕事をしなくてはならない事業所が多いのである。また、祭りのために休むのは良くないという風潮もありますよね。学校などもしかりで、大学の時の友人は、高校時代、だんじりに参加したということで、無断欠席扱いにされた経験を持っていました。そして、ひどい渋滞の三番目の要因・・・それは、仙台七夕のジンクスといわれる現象。そう、「雨」です。タクシーの運転手が言っていたのですが、七夕のとき、必ず一度は雨が降るそうです。今年は、ずっと晴れていたので良かったと思っていたら。最終日の夕方に雨が降ってきたそうです。これで、今年も仙台七夕のジンクスが守られたそうです。しっかし、雨が降ると、渋滞がひどくなりますよねぇ。
2005.08.08
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ここ数年「○○力」という本がいろいろ出ていますが。最近「部下力-上司を動かす技術-」という本が出ました。この本の著者の吉田典生さんとは、国際ファシリテーション協会というところで、楽しく一緒に学んだことのある方で。コーチングに強い方です。いろいろと感じる事のあった人の名前を本屋で見つけたので、なんとなく、手にしたのがこの本です。これが、なかなか楽しく読める。よく、リーダーシップだとか、マネージメントだとか、とにかく、上司になる人のための本が、山のように出ているし、本もよく売れている。でも、なぜ、そのような本が売れ続けるのかというと、リーダーシップなり、マネージメントの出来ない上司が多いから売れているとも言える。つまり、これほど、いろんなノウハウが注入されているのに、問題が解決していないのである。そこで、少し視点を変えて、組織の問題を解決してみようというのが、この「部下力-上司を動かす技術-」という本なのだ。トップダウン型の組織の欧米型に対し、日本はトップダウンの傾向が弱く、品質管理などを、現場の人を参加させて行うなど、ボトムアップ型をうまく使いこなすことで、日本の産業が発展した所がある。つまり、日本は「部下力」というものを、もともと持っているのである。ところが、欧米的なグローバリズムの流れの中で、リーダーシップだとか、マネージメントだとか、トップダウン的な事を尊重する傾向が出てきているが。現実は、リーダーシップだとか、マネージメントだとか、とはほど遠い、単なるワンマン的な事が野放しにし、もともとそんな人が多くいたにしろ、その人たちを増長させてしまった面がある。それが、いろんな会社の業績の伸びを抑えた面がある。この「部下力」というのは、現場の人間が、上司のやる気を出させる事で、成果を上げやすくする力のことだ。たとえば、九州では、よく男尊女卑が激しいと言われることがあるが。よく見ると、男の人が、立場が低いはずの女性にうまく、動かされて、成果を出しているということがある。つまり、九州男児を立てることの出来る女性は「部下力」が強いということになる。これを、コーチングの理論を用い、逆発想をして解明し、職場の停滞を引き飛ばそうというのが、この本である。仕事って、結局は、現場がやっているわけで、その現場の力を使いこなすというのは、リーダーだけが手を打つのは限界が低いのではと思われる。リーダーの能力以上のチームを作るには、こういう「現場力」というか、「部下力」が必要なんでしょうね。困った上司のパターンがいろいろ出てきたりしてけっこう笑えるので、あっという間に読める一冊です。 ←「部下力-上司を動かす技術-」まだ、表紙の写真が楽天ブックスに届いていないようです。他に、この本なども併読すると面白いと思います。 このあたりも多少笑えるが・・・ ← この本が、無茶苦茶笑えます。 オススメです。困った上司の問題は、この本を読む限りは、あまり解決しないかも・・・という内容ですが。とにかく、気持ちよく豪快に斬っているので。なんとなく、気が晴れる人が多いと思います。まずは、この一冊を読んで、一度、気が晴れてから、上司への「部下力」などの上司対策本を読むと、うまく実践できるように思います。
2005.08.08
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朝から、話題になったのだが、あるところで、とある学生さんが「多くの戦争で亡くなった人が祀られてるから、日本人なら、靖国神社に行くべきだ」と強く語っていたのだが。よくよく、聞いてみると、他人に勧めている割りに、言った本人は、靖国神社に一度も行ったことがなかったのだ。(もちろん、地方在住だからという理由で、靖国神社には行けないので、地元の護国神社に行っているというわけでもない)靖国神社に行って、良かったから、薦めるのならいいけど、自分がお参りしていないのに言うのは、普通な考えると、おかしなことだ。たとえば、ディズニーランドを勧める人の多くは、自ら、ディズニーランドに行って、経験し。その体験をもとに、他人に勧めるのだが。どうも、少し違うようなのだ。靖国神社に対し、失礼な言い方かもしれないが、日本有数の戦争テーマパーク的な存在の靖国神社と、テーマパークの代表格であるディズニーランドと、どこが違い、なぜ、このような差が出たのであろうか。まあ、最近のマスコミが靖国神社問題で騒いでいるのを見て、感化されて言ったのだろうか。てなことで、学生らしいという笑い話になりかけだのだが。よくよく考えてみると。「他人に勧めることは、自分でやらない」という事って、よくあるんですよね。ダイエット法とか・・・・。しかも、大の大人もやってます。だから、学生だからというわけではありません。そして、このことは、靖国神社に関する事だからこそというように、特別に起こっているわけでもない。どうして、そうなるんでしょうかね。まず、勧める内容について、興味があることは確かだ。しかし、いまひとつ、踏み込めないところがあるからこそ、強く言っている割りには、行動をしない。それは、もしかすると。他人に体験させて、その様子を見てから、自分も言ってみようと思うのでしょうか。うーん、どうもそうではないかも・・・。おそらく、他の人が、その人に勧められるがままに、行動したとして。勧めた本人が、必ずしも行動するとは限らない。本人は行動しないまま「○○さんもやったのだから、あなたもそうしなさい」と言うだけで、本人の主張を強化するだけで終わってしまう可能性が高いように思う。おそらく、自分の代わりに体験して欲しいという事が、目的ではないようです。または「べき論」を語ることで、自分の存在の主張をしている(必ずしも、自分自身を主張しているわけではない)という事も考えられるが。そういう要素はあるにしろ。他人に勧めるという事に繋がったとしても、行動しないという理由にはならない。だから、これが「他人に勧めることは、自分でやらない」ということへの主要因であるとは思えない。まあ、必ずしも、他人に勧めることを、自分でやる必要はないし、いちいちやっていたら身が持たないという事があるので、どうでもいいという話しでもあるのだが。「他人に勧めることは、自分でやらない」という事が、なぜ、起こるのか、ナゾである。おそらく、このナゾが、自発性やら能力開発と関わりのある事だと予想しています。みなさんは、どのように考えますか?また、身近で起こった「他人に勧めることは、自分でやらない」という事も教えて下さいね。
2005.08.04
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先日の労働時間と少子化の関係に引き続き、少子化と関係する面白いデータが新聞に載っていた。このデータを出したのは、独立行政法人労働政策研究・研修機構という長ったらしい名前の組織なのだが。ニート対策とか、長期休暇が企業にどういう影響を与えるとか、そん働く人と社会との関係を研究している所の一つだ。(キャリアを占うソフトもなんと販売していたり。動画配信なんもやってる)現時点では、この新聞記事がどこから引用しているのか、このサイトからはわからなかったが。2002年に行った総務省の就業構造基本調査を解析していくと。男性、25-29歳、30-34歳ともに、収入が低い方が結婚をしていない傾向が高く。年収300万円以下では平均を大きく下回っているのに対し、年収1500万円以上では、30-34歳で9割が結婚している。雇用形態別では、自営業者が結婚率が高く、パート・派遣は、正社員(役員含む)より20-30ポイント以上低い。自営業者は、貧富の差がはげしいが。結婚してやっと自営で仕事が出来るという業務形態もあるので、結婚率が高いのはありえるのだが。(自営業は、お見合いでは、けっこう嫌われるんですが。ちゃっかり結婚しているのが面白い。)それ以外は、見事に、給料と結婚率との関係性が見えてきて面白い。基データと、どのように解析したのかという部分を読まないと、なんともいえないが。若年層の低所得化が進んでいることと連動して、晩婚化も進み、少子化に繋がっているという図式が見えてくる。高所得者でも、先日の労働時間と少子化の関係があるとすれば。お金がないと、結婚も出来ず、お金があっても、働きすぎで、子どもが出来ないという、状況が最低でもあるようです。お金がないと結婚出来ないというのは、いつの時代にもあるのかも知れないけど。あまりにも、露骨に出てくるのも、なんだかなぁ。日本は、物理的には豊かかも知れないけど、確実に若年者から貧困化が進んでいる気がしてならない。ホワイトバンドの影響で、貧困という言葉に、興味を持つ人も増えていますが。貧困って、気が付いていないだけで、もっと身近で発生して居るんですよね。この問題の解決には、雇用の問題や、所得を上げるという方法も、真っ先に考えられるかもしれないが。結婚にお金が掛かるという事だったり、夫婦で生活することにお金が掛かる事に問題があるのではないかと思う。貧乏ながらも、楽しく幸せに、暮らせるのなら、多少は所得が多少低くても、結婚に対して経済的な不安は減ると思うんですよね。少子化との関連性が指摘された長時間労働も、女性の経済的な自立が出来ないと子どもが生みにくいというのも、いずれにしても、経済的不安から発生している部分もありますしね。ベースが低くても生活の出来る世の中にならないと、この問題の解決に近づかないように思います。
2005.08.03
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ちょっとブログのリンクをたどって、ネットサーフィンをしていたら。面白いブログに出会いました。それは、福岡県筑後市の”玄関口”JR羽犬塚駅に隣接する中央商店街のブログです。ど素人が集まって、一生懸命やっているというブログで。プロが関わらず、手探りで、やっているという感じなんで、他のブログに比べると、完成度は低い部類に入るのだが、熱意や努力については、他に負けないものがあると感じました。まず、好感が持てるのは、人の顔が見えるということです。ここんところの、個人情報保護法とかいう、法律を拡大解釈してしまって、その人のパーソナリティが見えないブログが多い中にあって。ちゃんと書いている人の写真が見ることが出来ます。まあ、もともと、お店の人だから、顔が看板なので、顔を今更隠す必要がないということもあるのですが。ブログの基本である、パーソナリティの表現をしています。とはいえ、まだ、写真だけという感じなのですが。もともと商売人の方が作っているので、もとからあるコミュニケーション能力と、パソコンでの表現方法がバッチリ合えば、ブログが大化けする可能性を持っています。特に、福岡の通勤圏では、インターネット対応マンションも増えているそうなで、マーケティング的にも、面白そうですね。まだ、今のところ、ほとんどセール情報のみで、単調な記事になっているのですが。実際に街に来てもらえる工夫をしているのも、素晴らしいですね。それと、このブログは、どこどこが指導して始まったというより、商店街の中から発生したという感じがするんです。その根拠は、サイト作成の教科書どおりじゃないんですよね。街のチラシ屋さんは噛んでいるかもしれませんが、Webプロダクションだとか、広告代理店はまず噛んでいないと思います。かつて、商店街やショッピングセンターの販促の仕事をしていたのですが、別の所からお仕着せになってしまった状態でのプロジェクトって、オーラが悪いし、うまく行かないんですよね。で、失敗したら、提案した会社のせいにして終わりです。本当は、主役である、自分たちの熱意がなかったから、成功しなかっただけなんですけどね。まだまだのよちよち歩きのブログですが、生きたプロジェクトになりやすい、ブログだと感じています。ただ、残念なのは、全国の多くの商店街が展開した、バーチャル商店街と同じところで、引っかかっているという感じがする部分があります。これは、このブログが悪いのではないし。体験しないと解らないことがあるので、一様に悪いとは言えないのですが。バーチャルな商店街の振興や支援をしている所が、きっちりと、指導というか、良い例と、悪い例の情報の共有化をしていないことから出てきているのではないかと思います。さらに、ここのブログの方からのメールによると、商店街の空き店舗を利用して、パソコンを使える共有スペースを持ち、そこで、いろいろ、やりながら、プロジェクトを進めているようです。こういうことをしていると、お互いにノウハウを共有したり、それをベースに、新しいワザが生まれやすいんですよね。個人でブログをやっていると、カンのいい人は、いろんな所から情報を集めてきて、様々なトライをして、ブログが上手になっていく訳ですが。目の前で、一緒にやりながら覚えていく方が、多くの人が同時に、ブログが上手になりやすいんですよね。まだまだ、よちよち歩きのブログですが。ちょっとした、切っ掛けで、大きな成果を出しそうな予感がしています。それまで、ちゃんとした、サポート体制を整え、無理せず、根気強く続けてもらいたいと思います。今後も、注目してゆきます。近いうちに、現地に行って、どのように運営されているかの現場を見てみたいと思います。先日の、ボーイスカウト京都第72団のブログとともに、注目してゆきたいところです。他にも、注目しているブログがあるのですが、後日改めて・・・
2005.08.02
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ちまたでは少子化とか言われていますが。そろそろ40歳に近づいている私の身の回りは、去年ぐらいから、密かにベビーブームなんです。(ブログを始めてからという説も)理由はわからないのですが、赤ちゃんが出来るだけでなく、同居や結婚も増えてる。昨日、花火大会を観たマンションの住人は、4ヶ月の赤ちゃんがいて、みんなの人気者でした。4ヶ月でも花火に感動していましたよ。また、来ていた一人は、最近同居を始めたり。また別の人は、この8月からシェアドハウスを始めるという。なんだろうねぇ。そういう気の流れなんだろうか。まあ、こじつけかもしれないけど、私が、人との繋がり方を変えようと思いたって、4年近くなるのですが。だんだんと気持ちのいい人が集まってきています。その成果があったのかもしれませんね。赤ちゃんが出来ている人、結婚した人、同居を始めた人って、みんな気持ちがいい人ばかりなんです。赤ちゃんは、生まれる人を選ぶという話しもありますが。気持ちのいい人を狙って、生まれてこようとしているのかも知れません。不妊治療をしている人も、きつい不妊治療を中断したとたんに、赤ちゃんが出来るケースも多いみたいですしね。少子化の問題は、もしかすると、多くの人が、気持ちよく暮らせていないという事が原因なのかもしれませんね。
2005.07.24
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ついに、500ネタ達成です。原則は、1日1ネタなので、複数の書き込みはしないのですが。先日、都内某所で『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』の著者の三砂ちづるさんと出会ったことと、ホワイトバンドと関係するネタということで、身体感覚関連ネタダイジェストにすることにしました。三砂ちづるさんは、かつてJICA疫学専門家として、ブラジルの家族計画母子保健プロジェクトで、ホワイトバンドの訴えかけるテーマ「いま世界では3秒にひとり、子どもが貧困から死んでいます。1日だと3万人。」という部分に関わる活動をし、どうも、それら活動の中で「身体機能」について研究しだしたようだ。この身体能力についての研究が進むことで、保健の形が変わるかも知れませんね。身体感覚関連ネタ ダイジェスト ・2003年10月27日 3つの「孤独」 ・2003年11月04日 続・3つの「孤独」 主婦の孤独 と ペット ・2003年11月19日 安息日というシステム・2003年11月23日 勤労に感謝するべきか ・2003年11月29日 制限と表現 ・2003年12月08日 なぜ、ワイドショーのコメンテーターは、誰でもいいのか? ・2003年12月09日 4ヶ月で10キロ痩せた「温かい飲み物」編 ・2003年12月15日 猛毒サソリのいる串カツ屋 ・2003年12月21日 古典絵画の中のコギャル ・2003年12月27日 「40歳から」本と「バカ本」 ☆最初のネタが「孤独」でした。「孤独」は、自分の身体能力を発見するために必要な事なんですが、情報化が進み、自分の身体のメッセージを見過ごしてしまいます。最近のジェンダーの流れとしては、理論武装して戦うという情報戦という感じではない、自分たちの身体に備わった能力を見直していくという動きがあります。・2003年12月30日 なぜ、昔話は、老夫婦が素晴らしい人材を育てるのか。 ・2004年01月08日 想いが強い主張は、意外に説得力が欠ける ・2004年01月11日 二つのアルファ波 ・2004年01月12日 答えのないもの、わからないもの ・2004年01月14日 ラオスの楢山節考? ・2004年02月04日 女性が女性のために性を語る出版物 ・2004年02月14日 バレンタインデイと恋愛と兵隊と権力者 ・2004年02月17日 ほめること、わらうこと ・2004年02月19日 エッチの変遷 ・2004年02月28日 悪い宇宙人 ☆またもや、話しの幅が広くなって、つかみ所がない。・2004年03月16日 便利さとともになくしたもの ・2004年05月17日 あらはれ ・2004年05月19日 共に学ぶということ ・2004年05月20日 デフレは、リアリティの欠如から起こっている ・2004年05月21日 「トリビアの泉」と「ためしてガッテン」 ・2004年06月01日 仲良しはキケンだ ・2004年06月04日 そういう決まりになっていますから・・・・ ・2004年06月23日 男の家事時間を30分増やそうってか ・2004年06月29日 老後という言葉が人を不幸にしている ・2004年07月08日 DVの原因は母親のドメスティックマインドコントロール? ☆このあたりは、情報によるリアリティの欠如ネタが多いですね。・2004年07月15日 性欲教育のススメ ・2004年07月20日 胎内記憶と横浜胎児生ゴミ事件 ・2004年07月21日 子供もリストラ要員 ・2004年07月23日 劇団キャラメルボックスの加藤さんの子育て法 ・2004年08月02日 「良いきまり」は、書いている通りには、なかなかならない ・2004年12月23日 女子高生が油断している姿の写真展 ・2005年01月08日 太鼓の叩き方で性格や心の状態がわかる ・2005年01月09日 深海と氷点下10度の星空 ・2005年01月12日 コンドームを大量にもらう ・2005年01月25日 食欲教育 ☆性欲教育研究会は、今後展開したいプロジェクトです。・2005年01月26日 続・性欲教育のススメ ・2005年01月27日 花粉症は7000億円分経済にマイナス ・2005年02月06日 変なおじさんが安全な街をつくる? ・2005年02月11日 ニートは求人情報が作る ・2005年02月16日 数学的リテラシーと小論文の自動採点 ・2005年03月05日 子供への性的虐待は、ごく普通に行われているかも ・2005年03月19日 いろんな親になる方法 ・2005年04月03日 ダイエットは赤ちゃんの将来に影響する。 ・2005年04月08日 突然、痛風に ☆これまた、話しが飛んでいますねぇ。私の中では繋がってるんだけど・・・。・2005年04月16日 自分だけのメロディ ・2005年04月19日 養育費の日 ・2005年04月22日 勝負下着と人間関係 ・2005年05月24日 健康安全原理主義 ・2005年07月04日 24時間待っていてくれる店 ・2005年07月10日 アートでストリートチルドレンと働く子たちを自立させる ・2005年07月22日 ホワイトバンドをつけて歩く ☆養育費の問題も、リアリティの欠如の部分と関係があると睨んでいます。身体感覚を軽視した結果、いろんなことが起こってますよね。★三砂ちづるさんの本★
2005.07.22
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今月のヒット商品「ホワイトバンド」はご存知じたろうか。「ほっとけない貧しさキャンペーン」として「3秒に1人、子どもが貧困から死んでいます。食べ物がない、水が汚い、そんなことで。この状況を変えるには、お金ではなく、あなたの声が必要です。貧困をなくそう、という声を表すホワイトバンドを身につけてください。」というメッセージのもと、有名人が身に着けていることでも有名になった商品です。私は、2週間ほど前、こんなに人気が出るとまったく知らず、丁度、開発途上国の保健やプライマルヘルスケアに関係する方の仕事の関係で、その問題の深刻さについて知る機会があったこともあり、たまたまであったNGOの人から、私も意思表明のために手に入れ、常に身につけている。そんなホワイトバンドを身に着けて街に出かけると、たまたま出あった、知らない人に、そのホワイトバンドは、どこで手に入れたのかとか聞かれる事が多い。いろいろ話を聞くと、お店ではどこでも売り切れだというし、通販では3-4週間待たされる。それほど、品薄なのだ。だから、みんな聞いてくる。さて、このキャンペーンの目的は、寄付を募ることでなく、啓発活動だけでもなく、啓発活動の結果として「貧困をなくす政策をみんなで選択する」ことなのだそうだ。だからこそ「お金ではなく、あなたの声をください。その声をあらわすホワイトバンドを身につけてください。」という、世界的にプロジェクトの共通テーマになっている。とはいえ、世界の「貧困」は、募金だけでは解決しないといいつつも、このホワイトバンドは、ひとつ300円で売られている。しかも、中国製であり。ある意味、貧困の原因のひとつである、途上国と先進国間の貿易の不公正のうえで、廉価で買えている商品でもある。そんなこともあって、多少疑問もあるのだが、貧困の問題への意思表明は必要だと思い、たまたま、購入したのだ。さて、いろんな人に、どこで手に入れればいいのかと聞かれたときには。「ホワイトバンドは、意思表示であり、このシリコンゴム製のホワイトバンドをつけなくても、白い紐であったり、リボンをつけることで、自分だけのホワイトバンドで、貧困根絶の意思表明が出来る。Jリーグのサッカーチームを応援するとき。必ず、そのチームのレプリカユニフォームを着なくても。チームカラーの服や、タオルなどで、サポーターであることを現すことがあるけど、あれと同じだよ。お店で買えなくても、身につける意思があれば、いますぐ、白い紐を捜して、身につけるべきだ」と答えることにしている。実際、何人にも、そう答えています。その答えを聞いた人の多くは、他のホワイトバンドを探している人に、そのことを教えてあげると言ってくれるのがとても嬉しい。そして、本当のホワイトバンドの意味を伝えるため、ホワイトバンドが在庫切れで、多くの人が探し回っている期間は、シリコンゴム製のホワイトバンドを身につけるつもりです。ホワイトバンドの公式ページ☆楽天で買えるホワイトバンド☆
2005.07.22
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「経営」って、言葉が、仏教用語だったって、知ってましたか?私も、最近知ったのですが。とても、奥深い言葉だったのです。「経営」は、仏教用語といっても、インドから伝わった言葉ではなく、禅寺から生まれた言葉だそうです。禅寺で、大きな法要を行うとき、その運営が、スムーズに行くようにしたり、プロジェクトが大きいので、それを苦労して、成し遂げる様子のことを「経営」と言ったそうです。そして、「経営」の「経」は、地図の「緯度」や「経度」という言葉の「経」と同じく、布を織るときの、縦糸の事を言い。縦に筋がきっちりと通っている事を指しているそうだ。縦に筋が通っているといっても、命令系統が上から下に行くという意味ではなく、人としての筋道を通しているかということなのだそうだ。ここんところ、CSR(企業の社会的責任)という言葉がありますが。ちゃんと経営をしていれば、いまさらCSR(企業の社会的責任)なんて言う必要がないのです。英語で、経営を management や administration なんて書きますが。道具として使うことであったり、支配という階層の上に立つということを言っているだけで。そこには、経営という言葉に隠された、筋を通すという概念は感じられません。だからこそ、CSR(企業の社会的責任)なんて言う言葉が必要になるんです。ここんところずっと、いろんな企業が、人の道をはずし、社会的信頼を落とすような事をしている様子が、新聞などで報道されない日がありません。最近では、アスベストの問題なんかもそうですし。企業の個人情報の漏洩の問題などもそうです。おそらく、本来の経営という言葉の意味が、どこかに行ってしまって、人を単なる道具として扱ったり、支配するという意味になってしまっているから、人の道をはずした経営が行われるのでしょうか。☆普段使われている言葉の中にある仏教語について書かれた本☆
2005.07.21
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いまから、ちょうど一年前の7月13日。東京・青山の国連大学前に、クルド人難民2家族が座り込みを始めた。その後、72日間に渡り座り込みをし。今年の1月17日には、この座り込みをしたクルド人難民のうち、2人が強制送還されたりした。このブログでも、この件について何回かとりあげたのだが。けっこう反響が大きく。かなりのアクセスがあった。(まあ、特定の人が何回も何回もアクセスしているというケースもありましたが)詳細については、過去の日記などを読んでもらうことにして。一年目を節目としてか、クルド人難民の座り込みをまとめた本が発売されている。「難民を追いつめる国」という本だ。この本は、クルド人難民2家族の活動の記録と共に。支援活動をしている人たちの活動記録ともいえる。いや、クルド人難民というより、支援活動をしている人たちの記録の要素が大きい気がする。一年前には、何も知らなかったずぶの素人が、たまたま知ったクルド難民の問題と直面し、急激に支援活動を始める。まあ、中には、いろんな活動経験のある人もいたようだが、あくまでも、素人集団として支援活動を開始している。それだけに、ノウハウもない人が、ぶつかる問題が書かれている。ところどころ、ちょっと一方的な書き方と思える記述があるのは、この手の本のご愛敬ということだろうか。たとえば、経験者が反対したことで、支援会の発足が一度は幻となった事が書かれているが。そのとき、経験者が、なぜ、どのように反対したのかが書かれていない。このエピソードの面白いところは、なぜ、どのように反対したのかが、記入されていないということで、活動するグループ内での、情報の共有化の難しさを感じるところだ。おそらく、この文章を書いた人は、未だに、この経験者が反対した理由を理解していないのだと考えられる。だから、書くことが出来ない。経験者が、経験していない人に対し、自らの経験を伝えようとしても、なかなか伝わらない現実がそこにある。初めての経験にもかかわらず、早く結果を残さないといけない状況など、頭がパンクしそうな状態では、人の事など聞けない事もあるだろうし。経験者は、経験者にしかわからない言い方をしてしまいがちでもある。このあたりも、いろんな人が参加するプロジェクトや、コミュニティを立ち上げる時などでは、よくあるトラブルと言えよう。とはいえ、まあ、よく、素人集団でここまで活動出来たのだと感心してしまう。もちろん、当事者であるクルド人難民の2家族にとって、普通に暮らせる状態が得られたのかというと疑問だし。本当にやったことがよかったのかどうかも微妙で、成果は出たのかも疑問だ。だからこそ、記録され、まとめられた事に意味があるのかもしれない。本が出来、多くの人に読まれることは、ひとつの成果物である。成果が出たかわからないからこそ、成果を出してみることが、大切だったのかも知れない。難民を追いつめる国クルド難民座り込みが訴えたもの著者: クルド人難民二家族を支援する会 出版社:緑風出版ISBN:4846105113サイズ:単行本 / 233p 発行年月: 2005年 07月 本体価格:1,700円 (税込:1,785円) 関連ページ・国連大学前のクルド人 2004年07月26日・緊急情報 国連前のクルド人強制排除 2004年08月24日・2歳児含むクルド人親子入管に捕まる! 2004年09月01日・21日7時30分国連大学側の座り込み難民撤去が始まりました 2004年09月21日・国連前のクルド人退去 2004年09月23日・クルド難民が強制送還 2005年01月19日
2005.07.13
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浅草は、浅草寺というお寺に参るお客さんを相手に発展した門前街だ。しかも、外国人達が多い。このような、門前町でしかも、外国人旅行者の多い所は、けっこう世界中にあって。たとえば、ドイツのケルン、フランス・パリのモンマルトル、タイ・バンコクのカオサンなんかも、いずれも、近くに寺院があり、安宿があり、外国人旅行者が多い。浅草は、ここんところ、白人より、ディズニーランドに行く中国人が増えているという傾向があるのだが。この浅草のお店のおばちゃんたちは、見事に、コミュニケーションを取り、外国人のニーズに応えている。たとえば、ある天ぷら屋では。白人のグループが来ると。「いらっちゃいませ」と、日本語で対応。つぎに「2階へどうぞ」これまた日本語。お茶とメニューを持っていって、メニューの説明をする。さて、このメニューの説明が見事。天丼の方を指さして「ライス」、天ぷらの方を指さして「ノー・ライス」と、ただ、それだけを言ったのだ。ことのき、近くにいたエセインテリそうな日本人女性が「通訳しましょうか」とおばちゃんに言うと「大丈夫」と答える。案の定、白人の人が、オーダーを告げる。数を確認するため、おばちゃんが「ワン」「ツー」と言う。そして「ビャー」。そして、一通りオーダーを取ると「オーケー」そして「サンキュー」と答えた。あとは、ぜんぶ、堂々と、日本語で、対応していたのですが、白人の旅行者たちは、全く問題ないという感じだった。フォークとナイフとスプーンを用意したぐらいで、あとは、日本人と変わらない対応だった。さて、今回使った英単語を整理してみると「Rice」「No」「One」「Two」「OK」「Beer」「Thank」「You」の以上8つの単語のみだった。日本舞踊の扇子を売る店のおばあちゃんも、全部日本語で、相手に伝えて、商品を売っていたりと。浅草のお店の人のコミュニケーション能力の高さには驚かされる。街中で、外国人と見ると、英語で話しかけようとして、うまく伝わらず、失敗している日本人をよく見るが。浅草のお店の人の方がスマートだ。そういや、こういう調査結果があったという事を聞いたことがある。浅草のお店の人は、外国人と接するのは抵抗がないが、海外旅行をあまりしたいとは思わないらしい。それは、浅草に外国人が集まってくるからなのかもしれないが。普段から、堂々と、外国人と対応をしているから、外国に対してのコンプレックスがないからなのかもしれない。浅草のおばちゃん、おそるべし。
2005.07.12
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インターネットが日本に本格的に入ってきて、そろそろ10年経った。今になって、いろんなサイトを見ていると、WWWやHP、HTMLの当初の概念とは、かけ離れたものが多い。その一方、本来目指していたものを、具現化しつつものがある。blogも、その具現化しつつあるものである。さて、その当初の概念を、私なりにまとめてみた。HTML:自分たちで簡単に文字や画像など様々なものを使って情報発信するための簡易言語である。HTMLは、いろんな事が表現出来るようになるように、様々な、改良を加えた結果。逆に、機能が多くなり使いづらいものになってしまいました。今は、Blogなど簡単に表現しやすい様々なツールが開発されてHTMLをあまり意識しないでページ作りを出来るようになりました。HP(ホームページ): 自分が情報を発信するための基本となるWeb Page。ブログのトップページと機能的に似ています。いや、ブログのトップページは、ホームページに適していると言えましょう。ホームページと一般的に言われていますが、内容の書かれたページは、ホームページとは言わずに、Webの一部となったページとして、Webページと呼ぶのが正しい。WWW(World Wide Web):世界中に蜘蛛の巣のようにリンクが張り巡らされた状態で。それらは、一つ一つの独立した、ホームページが、HTMLという自分たちで情報発信出来るツールを使い、情報発信をしたものの集合体。ブログは、その点、リンクやトラックバックなどの機能を使い、簡単にしかも複雑にリンクが出来る仕組みになっているのは、本来のWWWの概念を具現化しようとしているツールである。さて、そう考えると、世の中に出回っている多くのサイトは、ECサイトも、フィッシング詐欺のサイトも、自動販売機としての機能で、自らの手で情報発信し、繋がっていく機能を持ち合わせていない場合も多いし。企業のホームページと言われているページも、外注業者任せだったり。企業の各部門の現場は、自分の部門のホームページという意識が無く、広報や電算の人が勝手に作っていると思いこんでいる。もちろん、自分たちで管理もしない。だから、あくまでも、自分の部署の事を書いた記事ページでしかなく、その部署のホームページではない事が多い。これは、役所もしかりだ。また、ホームページ作成業者が、作成代行をした場合、本来発注者側の企業なり団体が、自分の物として取り組まず、業者任せにしてしまう事もある。そういうことで、当事者が噛んでいないページが多い。これらは、本来の意味で、ホームページと呼んで良いのだろうか。ビジネスブログという言い方も昨今流行っているが、もしかすると、これが、今後ホームページを取り戻すことになる可能性をもっている。とはいえ、すでに、10年かけて、ホームページは、チラシのように使うとか、自動販売機のようなものだという刷り込みをされている状態では、なかなか本来のホームページのコンセプトを取り戻すには、時間が掛かるだろう。さて、そんなさなかに、とっても小さなページたちだが、これぞ、ホームページだというページを見つけた。ボーイスカウト京都第72団http://blog.livedoor.jp/boyscout72/このボーイスカウト京都第72団のサイト内にあるブログは、この下部組織である、・ビーバー隊:幼稚園の年長~小学校2年生の夏・カブ隊:小学校2年生の夏~5年生の夏・ボーイ隊: 小学校5年生~中学校3年生のそれぞれの、ブログを使った自分たちで運営するプログを使ったホームページと連動する仕組みとなっており。http://tweb.no-ip.com/~kyoto72/ というボーイスカウト京都第72団のトップページとのリンクがまだうまく構築出来てはいないが。このサイトだけで、それぞれの核をもったものがWeb状態で繋がった状況が出来ている。このことにより、各の隊への指導は大変だと思うが、団全体のホームページのコンテンツを一部の人が抱えて、必死になって更新する業務が軽減すると共に、サイト全体が活性化してゆくだろう。こんどは、これと、活動している個人のホームページとが繋がるようになると、もった面白いことになるだろう。久々に、ホームページらしい、ホームページを見た気がした。
2005.07.11
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アートでストリートチルドレンと働く子たちを自立させるための学校を作ろうと動いている人に会った。このプロジェクトは、インドの南部の都市、バンガロールという街で取り組みを始めているという。バンガロールは、標高が700メートルいう高原にあり、インド南部とはいえ、涼しく、空気も乾燥しているため、エアコンシティとも呼ばれ、IT産業がさかんな街である。私の想像する街のイメージとしては、年中真夏な長野県の諏訪湖の近くという雰囲気なのだろうか。このバンガロールという街には、700万人以上が住んでいますが。そのうち、8万人がストリートチルドレン、10万人の児童就労者がいると言われており、いまなお増加傾向であるそうです。さらに大人の失業者も多いという。かつての共同体の社会では、子供も働くことにより、一人に仕事が集中しないように、仕事を分散する仕組みがあったのだが。(丁度、その日、同じインドながら、バンガロールと全く違った文化を持つ、チベット仏教の地域である「ラダック」という地区の共同体の映像をやっていたのだが。そこには、児童就労ではない形で、子供が働く様子が描かれており。いわゆる西欧化が進み、子供が学校に行き、男が働きに行くことにより、家庭内の女性の労働負担が増えてしまったという事が、描かれていた。なんか、なんとなく日本も状況が似ているよね)この児童就労が多く、失業者が多くなる理由は、児童は低賃金で働くからである。この状況も今の日本も全く同じで、低賃金のアルバイトやパートで、若い人が何年か働くが、ある程度高い給料が必要な状況になると、仕事を辞めなければいけない雰囲気になって。辞めたら就職は出来ない。挙げ句の果てには、働く気持ちも無くなる。物質的に豊かで、いわゆる貧困と言われている国に比べ動いているお金の単位が大きく、家の中に引きこもってくれているおかげで、なんとなく表に見えないだけで、年齢こそ上がっているが児童就労とストリートチルドレン、そして、失業者の問題は、貧困の代表格の一つとされているインドの街の事も、日本のニートを含む諸問題も、根っこはあまり変わらないのかもしれない。さて、このバンガロールの街は、子供の貧困を救うために、いろんなNGOがいろんな手を尽くしているという。そのいくつかは、ストリートチルドレンを施設に入れ、学校と同様に、仕事につける能力として、読み書きなどを教えているという。しかし、かなりの子供は、1ヶ月そこそこで、施設から逃げ出してしまい。さらに、NGOの事務所から修正液を盗み、それを、シンナーのように吸引などをしており。子供によっては、10回以上もNGOの施設からの逃亡を繰り返しているという。逃亡の原因は、いろいろ考えらるのだが、NGOも学校も押しつけの教育をしてしまっている事で、教授されることと自分や社会との繋がりに気づくより先に、押しつけられていることのストレスが限界に来てしまっている事も考えられる。そこで考えられたのが、アートでストリートチルドレンと働く子たちを自立させるプログラムだそうだ。アートという、子供が興味を持つことを伸ばすことで、働く能力を高め。同時に、アートで食えるようにするというものだそうだ。この8月から本格的な活動となるようだが、これまでも、何年かに渡り、試験的にいろいろ試みを行っているそうだ。面白い発想だ。そして、パーカッションの腕を磨いた少年のイキイキとした表情も印象的だった。しかし、現実は難しいかもしれない。さきほどまで、インドの街の貧困と日本とが似ているということを書いていたが。これと、同じ事が発生する可能性がある。いま日本では、若手も年寄りも含めアーティストが食えていない。子供が出来たことを機に、お金がないことを理由にアーティストを辞め、しかも働き口がないため、ただの失業者になっている人も多い。つまり、アートで食える環境を作らない限り、アートでストリートチルドレンと働く子たちを自立させるプログラムは成立しない。アートで食える環境といっても、現金収入を増やす方法もあれば、現金を使わなくても楽しく生きられるようにするなど、いろんな方向性があるのだが。いずれの方向でも、食う事は難しい。いくら難問とはいえ、日本にしろインドの街にしろ、どちらかで、小さくても成功例が出たり、小さな失敗が積み重なっていく事が、成功に繋がり。最終的には、インドの街も日本もともに問題解決していくのであろう。今後のアートでストリートチルドレンと働く子たちを自立させるというプログラムの展開には注目してゆきたい。★関連ページ★インド発!みおいちゃん通信(つうしん)http://www.ne.jp/asahi/child/rights/everybody/olal/mioi/mioi.html ★パンガロール製のお香★★インド北部の地域「ラダック」のコミュニティについての本★
2005.07.10
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カンパンhttp://canpan.info/と呼ばれる、公益活動支援のコミュニティサイトの方と会った。このサイトは、日本財団という、日本では有数の公益活動の助成をしている所で。口の悪い言い方をすれば、全国の競艇という公営ギャンブルにお金を掛けて、そこで擦ってしまったお金の一部を、みんなのために役に立つようにと使うことを仕事にしている団体である。その業務として、助成金や福祉車両の寄付など、様々な公益活動の団体を支援する業務があるのだが。これが、かなり大変なのだそうだ。毎年、約8000件もの団体や施設に、支援するわけだが。それを、たった40人ぐらいで、手分けして、一人あたり、約200件という膨大な量の、審査のための調査から、効果的に使われているかの評価のための調査などをするため、全国を奔走しているそうなのだ。これは、かなりハードだと言える。世の中の役に立つために、お金を分配するのは、とても大変なんですね。先日紹介した、「コミュニティケア活動資金助成プログラム」は、この審査の部分を、実際に活動している人が参加して行われ。現場の人の目から、実際に有効に活用されるか判断するしくみになっているのだが。もしかすると、日本財団のような大きな公益事業でも導入しても面白いかも知れない。確かに、当初のイニシャルとしての労力は大きく掛かるかも知れないが、結果として、担当者の目の届かない所を、多くの人が絡むことで、フォローすることで、より、効果的なお金の使い方もできるし。担当者の責任が軽くなることで、仕事に追われて、不適当な判断をしてしまう事も少なくなるだろう。さて、「カンパン」の方に話しを戻すと。このサイトにも、「コミュニティケア活動資金助成プログラム」と似た流れがあるように思う。「カンパン」は、コミュニティサイトなので、公益活動をする、NPOたちが、相互扶助出来る場とすることが出来る素地がある。「コミュニティケア活動資金助成プログラム」の募集要項の7番目に「相互支援の場づくり」というものがある。ここには7.相互支援の場づくり資金助成の対象となったか否かを問わず、応募団体は、次のような相互支援の輪づくり活動に参加できます。●コミュニティケアに関する情報・意見交換を内容とするメーリングリスト●コムケアサロン(東京:コミュニティケアに関する学びあいの場)●ホームページの活用(コムケアのホームページに自分たちの頁を持てる)●交流会(各地での交流会を実施)●イベント支援資金助成プログラムへの応募(応募団体を中心に公募します)●自分たちの得意なノウハウや情報などでの参加団体への支援活動 ★「第五回コミュニティケア活動資金助成プログラム」より抜粋と謳われている。「カンパン」には、今のところ、フォーラムであったり、バーチャルサポーター制度など、サイト内にとどまっている部分があるのだが、無料で参加できるわけだし、ここで繋がりを作ることで、お金も直接もらえないかも知れないが、お金を使わずに相互扶助の関係を作る事も可能である。こは、お金ではない、利益なんですよね。そのバーチャルでの相互扶助関係が活動や、サイト運営者の活動などにより、「コミュニティケア活動資金助成プログラム」のようなリアルな繋がりになっていくのなら、「カンパン」というサイトから、面白い展開が出来るのではないかと思う。近年、競艇での売り上げが減少傾向ということですが。財源が小さくなってしまっても、有効に公益活動を支援出来る体制を作ることで、いままで以上に、公益活動が出来る可能性を持っているのではないかと感じました。21世紀は、右肩上がりの経済という発想では破綻してしまうと言われていますが。財源が減少傾向になっている所が、視点を変えた取り組みを行い、きっちりと結果を残すことが。企業活動も含め、いろんな活動に、希望と元気を与えていくと思う。少子化傾向と言われ、あと数年で、日本の人口も減少していくわけですし。早く、減少傾向に合わせた経営方法を実践した方が、いわゆる勝ち組的存在になるんじゃないかな。「かんぱん」は、まだ、サービスが始まったばかりで、まだまだ、完成形ではないだけに、使って見たユーザーの意見などで、ユーザーの使いやすいように発展していく可能性を持っています。興味のある人は、まず使ってみて。少しずつ、自分が使いやすい場とするように、サイト管理者に要望などを出してみると。自分も使いやすくなるし、多くの人も使いやすくなります。是非、試してみて下さい。「カンパン」 http://canpan.info/「コミュニティケア活動資金助成プログラム」http://homepage2.nifty.com/comcare/josei/2005.htm
2005.07.08
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「第5回コミュニティケア活動資金助成プログラム」の募集が始まった。このプログラムは、「大きな福祉」という視点で、支援する側、支援される側という立場を分けることなく、助成金だけでなく、相談業務の他、応募した団体が相互に情報交換をする場を通じ、相互扶助的な形で、活動を支援していくプログラムだ。いろいろな支援のプログラムがあるが、支援する側、される側が明確に別れ、一方的に支援プログラムが実行されるというパターンが、多数をしめています。そのため、せっかく支援を受けても、支援を受ける側の立場がどうしても弱く。本来目指した方向性の活動がやりにくくなったします。さらに、こういう状況が続くと、支援する側のほうも妙に慣れてしまって、支援される側からの情報を軽んじてしまう事もよくあるそうです。また、一方的に支援すると、どうしても縦の関係が強くなると同時に、横の繋がりが弱くなりがちです。そのため、それぞれの支援制度同士がかち合って、一つの活動に対して、複数の助成制度が適用されてしまうという、支援の支援の集中という事も発生しています。そのことによって、過剰投資が発生することも度々。しかも、支援する側が、支援される側のすぐ横で、自らの支援活動の優位性を高めるために、足並みが揃わないだけでなく、ケンカするという、バカな事もあるようです。去年、仕事でたまたま、見ることになった、さまざまな国際支援組織が参加する能力開発に関するシンポジウムで、南南協力(支援を受けている開発途上国同士が協力しあう)についての分科会が行われていた。実は、こういう分科会がなされるというのが、このシンポジウムで初めてだったと聞き、驚いてしまったのだが。これと同じように、支援を受ける側同士が、学び合い、支援しあえる仕組みを持ち合わせたのが「コミュニティケア活動資金助成プログラム」である。このプログラムを計画するにあたって、別に、国際的支援機関同士の話し合いなんて、頭になかったのだろうが、結果として、同じ指向に向かっているというのが興味深い。さて、今回の「第5回コミュニティケア活動資金助成プログラム」は、「暮らしのなかの介護と医療」「暮らしのなかのつながりづくり」というテーマなのだが。その大前提が「大きな福祉」という視点で、捉えられている。この「大きな福祉」とは、このページによると「福祉というと、介護や高齢者問題など、特別の問題をイメージしがちですが、私たちの生活や社会はさまざまなものが複雑に絡みあっています。ですから、個々の問題ごとに解決していくと同時に、それらをつなげていくことが大切です。社会にあるさまざまな問題を、みんなが自分の問題として共有化し(つまり当事者になって)、一緒に知恵と汗を出しあいながら、みんなにとっての新しい価値(積極的な解決策)を創出していくこと。これが、私たちが考える「大きな福祉」です。」ということだそうだ。つまり、福祉制度として、どこかが、誰かが、そうしてくれるのではなく、自分が当事者であるという認識のもと。自分だけがではなく、問題の共有化を図り実現していくプロセスを含めたのが「大きな福祉」と捉えているようなのだ。また、このプログラムのさらに面白いことがいくつかあって。助成金を受け取る事ができなくても、それなりの支援を受けられる。助成金を受け取る事ができる所を選定する事に、支援を受けている所が参加出来。しかも、参加出来るだけでなく、けっこう、深くまで関わることが出来るのが面白い。支援する人が格好良くなる仕組みになっていたりと、誰のための支援制度なのかよく分からない支援プログラムが多い中では、とても個性的なプログラムと言えよう。しかし、支援を受ける人が主体となるプログラムが特別という状況でなくならないかぎり、自らが当事者となる「大きな福祉」が実現できないのかもしれない。「第5回コミュニティケア活動資金助成プログラム」http://homepage2.nifty.com/comcare/josei/2005.htm締め切りは、8月15日です。★関連する記述能力開発と有効な援助 2004年02月06日http://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diary/200402060000/
2005.07.06
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去年、タイでのまちづくりのビデオを作ってから、いろいろ、まちづくりを追っかけていると。そんな仕事が舞い込んでくるものです。まだ、プロジェクトが始動する前の段階で、私が噛んで仕事になるかは全く不明なのだが。けっこう、有名な街のまちづくりのプロジェクトの話しである。この街は、お寺の前に出来て、旅人を迎えることで出来た、いわゆる門前町である。世界中にも、このような街があり。ドイツのケルン、パリのモンマルトル、先日足を運んだ、バンコクのカオサン通りも、門前町で、旅行者の街である。そんな街と同様の街の、まちづくりのプロジェクトに仕事として関われる可能性が出てきたというのは。まだ、決まってもいないのに、どうしても、わくわくしてしまう。さて、そんなことで、和やかな雰囲気の中で打ち合わせが終わり。東新橋の印刷屋に行く。そこは、異様な町並みである。東新橋は、汐留の再開発の一環で、西欧風のビルが建ち並び、エセ、リトルヨーロッパ状態である。地理的に、ハウステンボスほど、悪くないのですが。通りを挟んで存在する、昭和30-50年代に建てられた雑居ビルとの落差は、笑えてしまう。1階には、ジェラート屋などが誘致されていたが。土曜日と言うこともあり、店はやる気無し。イタリアの街って、アパートの下に、バールという、一杯飲み屋というかコーヒーショップというか、御菓子屋があり。そこで、町の人がいっぱい引っかけることで、コミュニケーションが生まれ、街が活性化しているのだが。住民がいない、事務所だけの街で、1階の店が流行るのかは疑問である。コンビニが一軒あれば、たちまち、他の店が駆逐されてしまうのではという感じである。この街を、あと、何十年して歩いたとき、どうなっているのかなぁとか。想像してしまいます。印刷屋に行った後、担々麺を食べに、浜松町から、モノレールに乗り、天王洲アイルに行く。ここは、今から20年近く前の、バブル時期に、東大閥のまちづくりの専門家が設計した街である。しかし、ここが完成する寸前に、バブルが崩壊。航空会社の事務所さえ、ここの地に引っ越したくないと反発する事態に陥ったにもかかわらず。最終的に、ここに事務所を置くということで、どうにか納めたという曰く付きの場所だ。オープン当初は、いろいろとにぎわったが。その後、フジテレビなどがあるお台場が出来、汐留や品川の再開発が進み。お客さんは新しいところに移ってしまい。天王洲アイルは、めっぽう、寂れてしまった。おかげさまで、ゆったりと、担々麺を食べることが出来るのだが、こういう、多額のお金を使って、焼き畑農業的な再開発ってなんなんだろうなぁと思ってしまう。こういう、持続しないまちづくりって、動員できるイベント性に頼りすぎて、小さな、しかも広がりのあるコミュニケーションを大切にしていない傾向があると思う。確かに、飲食店やショッピングモールでは、コミュニケーションは発生しているとは思うが。それは、家族であったり、恋人であったり、友人関係であったり、趣味の仲間であったりと、一定の決まった閉じられたコミュニティ内とか、商取引の間柄という利害のある関係性であったりすることが多く。コミュニケーションに介在する人の広がりがなかったり、上下関係などがあり、自由にコミュニケーションしにくい雰囲気を持っていたりする。この広がりのなさが、自然に物理的に減少するスピードに追いつかないことで、街に元気が無くなっていくのではないかと思う。見た目は、多少格好が悪かったり。人が集まるだけに、悪いヤツが出てくるかもしれないけど。結局は、コミュニケーションの広がりの力を持つ町が、継続していくのだろう。
2005.07.02
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都内某所で毎月一回行われている、異業種交流会に参加した。今回のテーマは「ホスピタリティ」である。「ホスピタリティ」という言葉を知ったのは、もう15年ほど前になるのだが、神戸のアーバンリゾートフェアに関連するイベントの企画書を作る仕事をしていた時に、そのコンセプトとして「ホスピタリティ」という言葉が書かれていた、耳慣れない言葉だった。企画を書くには、言葉を理解しないといけないので、何冊か辞書を開いてみも「ホスピタリティ」という言葉は載っていなかった。手元にあるのは、コンセプトが書かれた書類だけだった。そのことによると「ホスピタリティ」の語源は、ホテルとか病院(ホスピタル、ホスピス)と同じものなんだそうで、それが、余計に謎を深める結果となった。そんなこともあり、今回の交流会は、ずっと謎だった「ホスピタリティ」という言葉を知るチャンスだと思い。タイから帰国して、すぐに参加した。今回の講師は「日本ホスピタリティ・マネジメント学会」(http://www.hospitality.gr.jp/)」の方だ。#どうも、この日本ホスピタリティ・マネジメント学会が開いているコンベンションは、地域とホスピタリティの関係に関係するものが多いようだ。まず、お話しは、ホスピタリティの語源についてから始まった。 「Hospitality(ホスピタリティ)」の語源は、ラテン語の「Hospes(ホスピス)」という言葉だそうだ。これは「旅人をもてなす」という意味である。昔は、旅行も今以上に命がけであった。それだけに、旅行はなかなか困難で、他の地方の情報を得ることは困難であった。そこで、旅人を大切に扱うことで、その旅人から情報を得るメリットがあることから、旅人を丁重に扱ったというのが、そもそものホスピタリティの始まりだったようだ。そしてその時、丁重に扱うとしても、お互いに尊重し合う態度を取ることにより、交流が図られたという。それに対し、相手のために気を配って尽くすことを意味する「サービス」の語源は、servant(召使い)と同じで、あくまでも、上下関係があるという。よく、「サービスしてんか」なんて、いう言葉を聞くことがあるが。この時、この言葉を発する人間は、明らかに優位な立場で、立場の低い相手にサービスを強要する時に使う。それに対して「ホスピタリティしてんか」という言葉はない。持て成すことということは、強要出来ないものであるし。立場が対等であれば、当然相手に強要も出来ない。そんなことで、プーケットのバトンビーチで聞いたお話しを思い出した。バトンビーチでの楽しみ方の一つが、バーで、女性の店員と仲良くなるという事だそうだ。まず、バトンビーチのセントラルあたりのバーで、いろいろ、そこのホステスさんと、お話しをしたり、ゲームで盛り上がり、そのホステスさんに、飲み物を御馳走したりする。そうすると、このバーの中から、連れ出して欲しいという話しになり。それから、いろんな事をして、あくまでも、疑似恋愛かもしれないが、バトンビーチでの数日を連れ回しながら楽しく過ごす事が出来るそうだ。(その中に、セックスも入ってくる事もある)また、このホステスさんと付き合っていると、おみやげ物や飲食が安く付く事が多いという。お店では値段が表示されていない事が多いのだが、彼女たちが、うまく、交渉して安く買うことも出来てしまうらしい。もちろん、そこで、浮いたお金で、近くの女性用の衣料品のお店に行って、ホステスさんのために、セクシーな下着などを買ってあげるために使う事になるのだが・・・。(おかげでか、セクシーな女性下着の店が多い)面白いのが、このバーのホステスさんには、旅人の男性を選んだり、拒否する権利があるそうだ。つまり、共に楽しめない相手とは、付き合わなくて良い、サービスを強要出来ない、という、対等な立場があるそうだ。つまり、バトンビーチのバーの女性は、ホスピタリティの上に成り立った、あくまでもホステスさんたちなのだ。結果として、お金を払った形での、セックスという行為に当たるかもしれないが、いわゆる、売春と言われる形でのサービスとは違う、ホスピタリティという関係性が成り立っている。家族連れからすれば、バトンビーチは、刺激が強くてダメかもしれないが、人間関係を楽しむという、ここには、大人の旅の楽しみ方があるのだろう。聞くところによると、こういうバトンビーチのような雰囲気が楽しめる街は少数派らしく。おなじプーケットでも、プーケットタウンでさえ、ホステスではなく、いわゆるコールガールなんだそうだ。とはいえ、バトンビーチにも、売春なり風俗サービス営業は存在していて、街を歩くと、日本人男性と見るや「ススキノ、ヨシワラ」「ソープランド」とか、女性器を表す放送では流せない日本語で勧誘してくる人がいる。突然耳に入る日本語が、こういう言葉だとガックリする。ちなみに、けっこう良く耳にする日本人への声かけは「カトちゃんぺっ」「ナカタ!」「儲かりまっか!」だった。いずれにしても、どいいう理由で、この言葉を覚えたのか知りたいところだ。プーケットから日本に戻る際、パンコクの伊勢丹のある建物の7階にある免税店を覗いたのだが、そこにいた、少しガラの悪そうな日本人男性たちが、女性を買って何十万円も注ぎ込んだという自慢話をしながら、なにか高級品を物色していたのだが。そこには、残念ながら、彼らの態度からは、金に任せて、サービスを強要している姿しか思い浮かばなかった。同じ、旅行者として、少し考えさせられるものを感じた。いわゆる、アジアでの売春の問題の根底の一つは、この「サービスの強要」という面があるのではないだろうか。そういう構造を作っているのは、ホスピタリティのわからない旅人なのかも知れない。そこから、日本に対するイメージが作られているとしたら、とても悲しいことだ。21世紀は、継続型のビジネスが主流だと言われているが、サービスの強要は、相手を尊重しないだけに、継続が難しくなる場合が多い。また、リスクが高いからこそ、高い料金が必要という形で、トータルとして考えれば、コスト面も高く付く。それに対して、ホスピタリティ型のビジネスは、互いに、楽しく、気持ちよくなることで。持続が可能で、トータルとして考えれば、安く楽しめる。ホテルとか観光関係を教える学校では、従来からのサービス教育だけでなく、ホスピタリティに関する学科の開設が相次いでいる。そこで、本当のホスピタリティが教えられるかは、少し疑問である。それより、日本文化の中にある、ホスピタリティと同様の文化を、見直し、自分たちのものとして、ホスピタリティを身につけ、ホテル観光業界だけでなく、多くの産業でもホスピタリティを実践ていく事が、21世紀の循環型社会に繋がっていくものだと感じている。★ホスピタリティの関連書籍★ホスピタリティ・マネジメント入門著者: 服部勝人 出版社:丸善ISBN:4621074415ホスピタリティ・マネジメントポスト・サービス社会の経営丸善ライブラリー著者: 服部勝人 出版社:丸善ISBN:4621052144※この本をベースに、上記の「ホスピタリティ・マネジメント入門」が作られた模様。ホスピタリティ学原論著者: 服部勝人 出版社:内外出版ISBN:4931410669ホスピタリティ・観光産業論著者: 山上徹 出版社:白桃書房ISBN:4561651047
2005.06.29
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今日は、仙台の某所で、深夜まで、会議だった。その会議が終わった後、座長の人と軽く食事をしたのですが。そこで、耳慣れない言葉を聞いた。それは「人間の安全保障」という言葉だ。どうも、このあたりで、いろんな動きをしたいのだそうだ。そして、そのあたりで、協力できないかという話しだった。「安全保障」という言葉は、国連安保理事会とか、日米安全保障条約など、国家間の言葉という印象がある。しかし、この「人間の安全保障」とは、人の個人単位での安全の保障のことであり。人の安全を保障するために、保健・医療、経済など、いままで、別々に行われていた、様々な施策を横断的に捕らえて実行するという発想なのだそうだ。とはいえ、あまりに新しい概念のために、従来の組織では対応できないところもあり、これから、新しい組織や体制づくりをしようとするところで。まだまだ、始まったばかりなのだそうだ。来年には、そのあたりに関連した、学会が開かれたり、そのあたりに関連して、アジアを中心とした途上国から、学生を呼んだりと、少しずつだが、具体化してゆこうというという動きも出ています。10年後、20年後には、多くのことが、実現しているのでしょうか。そのとき、世界はどうなっているのだろうか。 人間の安全保障委員会 The Commission on Human Security http://www.humansecurity-chs.org/japanese/index.html■関連書籍安全保障の今日的課題人間の安全保障委員会報告書著者:人間の安全保障委員会|出版社:朝日新聞社|発行年月:2003年 11月サイズ:単行本|ISBN:4022578637「人間の安全保障」戦略平和と開発のパラダイムシフトをめざして著者:吉田文彦|出版社:岩波書店|発行年月:2004年 07月サイズ:全集・双書|ISBN:400027031121世紀の人間の安全保障著者:東海大学平和戦略国際研究所|出版社:東海大学出版会|発行年月:2005年 03月サイズ:単行本|ISBN:4486016769
2005.06.21
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日本における全ての公益活動情報のハブを目指すコミュニティサイトCanpan(カンパン)がオープンした。日本を元気にしたいという思いが託された様々な活動の情報が集まり、より詳細なホームページへとリンクが張られている広場として、NPO、NGO、ボランティアまたは行政など公益活動を行っている方々の情報交流を目的として作ったそうです。Canpanには、現時点でもいろんな機能があるのですが、あとから、ブログなどの機能を追加するようです。まずは、機能を簡単に紹介します。その1.地方自治体を含む全国の助成制度検索全国の助成制度を横断的に検索して探すことができる機能で。6月中には地方自治体を含め200ほどの助成制度が公開される予定です。今までの助成金の情報は、それぞれがまとめてはいたのですが、全体を一覧できるものがなくて、とても不便でした。日本全国から、運営主体や省庁の垣根を越えて条件にあった制度を探すことが可能となったのは、とても画期的です。助成制度は、200どころか、まだまだたくさんあるので、今後、さらに充実していくことを期待したいところです。その2.たのサポ「たのサポ」とは、「頼もう」と「サポートしたい」を合体させた造語で。支援をお願いする側「頼もう」と、支援したい人「サポートしたい」が情報交換できる機能で。ボランティアスタッフを募集したり、ボランティアをしたい学生が応募したりできる、マッチングシステムです。その3.ニュースやコラムを発信カンパンの登録ユーザ自らが、コラムやニュースを書くことができます。この記事はCanpan運営事務局の承認後に公開されます。近い将来、読者のアクセス数に応じてコラムニストを表彰する予定もあるとのこと。最近、ブログに飽きたらず、記事を書きたいというニーズが高いようなので、密かに流行りそうな感じがします。また、カンパンエディターという権限をお持ちの方々は、事務局の承認なしにニュースなどを即時公開することができます。その4.団体や活動内容を紹介公益活を行っている方や、企業など支援者に日ごろの活動をアピールできます。また、そういう活動に対して、バーチャルサポーターという形で、応援することも出来るみたいです。その他ユーザー登録をすると商業広告の入らない無料のウェブメール (上限50MB)、フォーラム(掲示板)、さらにメールマガジンを発行できる機能が使えます。これだけでも、お得です。 そして、近い将来「Canpan(カンパン)ブログ」が、追加される計画もあるそうです。無料サービスも充実しているけど、それ以上に、社会起業家やそれを目指している人にもメリットが大きいサービスです。このようなサービスを活かすのは、参加者の数と質の両方なんですよね。まだ、ページを見る限り、ちょっと淋しい感じがするけど、6/1にグランドオープンして、現在1000人ほどが登録しているそうです。けっこう、登録してますね。こういうサイトって、もっとたくさんの人が参加することで、もっと、便利なツールに進化するんですよね。ソーシャルネットワーキングや、楽天広場とは違う形の、コミュニティツールとしての発展を期待したいところです。ちなみに、私は、早速登録しちゃいました。 公益情報コミュニティサイト Canpan(カンパン) http://canpan.info/ 運営団体 日本財団 Canpan運営事務局
2005.06.02
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少子化問題と同様に、なんか、ニート対策をいろんな、エライ人が話し合っているみたいだけど。制度とか、教育とか、施設なんかで、解決しようとしているようですね。2月頃だったっけ、ニートのパレードなんてのをやってたけど、かなり、意味がない感じでした。結局、自分の仕事に誇りを持ったり、楽しく働いたりするのを見せつけるのが、根本的な、ニート対策なんだと思うんだけどね。これを、天の岩戸作戦と呼んでいるんですが。古事記に「天の岩戸開き」という、有名な話しがある。下記は、お友達のサングリーンさんの「古事記のものがたり」の「天の岩戸開き」のURLです。http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/monogatari/10.htmその冒頭を引用しますが・・・「高天原にある天の岩戸に天照大御神がお隠れになってしまわれ たために、高天原と中つ国から太陽の輝きが消え失せ、すっかり暗闇に覆われてしまいました。そのために神々の不満や怨差の声が聞こえ初め、たくさんのわざわいが起り出しました。」これって、どこか、今の世の中の、いわゆる「ひきこもり」であり「ニート」と似てるところもあるんですよね。それぞれ理由が違うのだろうけど、伊勢神宮に祀られる日本の一番大事だとされている神様でさえも、ショックや現実にうちひしがれて、引きこもりをしたわけです。その解決方法が、大宴会であり、音楽に合わせて、裸で踊る、いわば、ストリップ状態で、楽しく盛り上げ、それに、興味を持ったところで、引き出す作戦なんです。このとき、天照大御神は「世の中は暗く嘆いているはずなのに、どうして外はにぎやかに笑い踊っているのだろうか?」と言って、外を覗くために、扉を開く。そのタイミングで、うまく、連れ出すことに成功する。実際は、明るくないかも知れないけど、楽しくすることで、何かが開くんですよね。タイには、サヌックの精神という、サヌック=楽しい、つまり楽しく生活をしようという精神があります。楽しければ、仕事がきつくても、どうにでもなる所がありますよね。とにかく、誰かが、裸踊りをするぐらい、楽しく生活したり、楽しく働くことを見せることが、扉を開けるんだと思う。しかも、無理をして、空元気で、楽しく装ってもだめなんですよね。本当に楽しまなくてはね。とにかく、おもろいことやってなんぼですよね。審議会で、険しい顔で、楽しくなさそうに、ニート対策を話し合ってばかりいないで、楽しく仕事をしている所を見せて実践した方が、解決が早いような気がするんですよね。「古事記のものがたり」http://www5c.biglobe.ne.jp/~izanami/この本は、自主流通で売っているので、残念ながら、普通の書店では入手が困難です。このページか、著者の方たちの噛んでいるイベントなんかで、購入できます。部数も、5年間地道に売り続けた結果、一万八千部をゆうに越えて二万部に迫ろうとしています。さらに、最近、ついに、改訂版が出せる運びとなったようです。また、この本の影響で、他社からも、口語で手軽で読みやすい古事記が、何冊か出ました。楽天日記を書いている人で、本を出している方を、多く見受けますが。書店にあまり置いてもらえなかったために、自分の手だけで、本を売りさばき。その成果を見て、他社の出版企画に影響を与えた人は、あまり見かけません。この本の販売プロセスは、なかなか興味深いところがあります。まずは、買って読んでみて、どのように売ったのかをイマジネーションを深めてみるのも良いかもしれません。
2005.05.31
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都内某所にあるサロンで行われた、異業種交流会で、面白い人物に出会った。この異業種交流会は、毎回テーマをを決めて、ゲストを呼んでいるのだが。今回のテーマは「ソーシャルアントレプレナーへのお誘い」だった。こんかいの講師の方は、会社を辞めて以来、「コモンズの回復」をテーマにさまざまなテーマに関わって来たそうです。「コモンズ」とは、三省堂の辞書によると「〔共有地・公有地の意〕所有権が特定の個人でなく共同体や社会全体に属する資源。入会地、公海の水産資源など。」と書かれている。なんか、これも、難しい言い方なんですが。「コモンズ」は、「ソーシャルキャピタル(社会的資本)」に近い言葉である。それを、彼は、「個人から発想する時代」に向けて、社会構造の座軸の転換をすることで、「コモンズの回復」を実現したいようだ。その主人公とは言わないが、「個人から発想する時代」の「ソーシャルキャピタル(社会的資本)」を支える人材が、「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)」となるようだ。彼は、「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)」とは、単に収入を得る手段としてだけではなく、自己実現のために、そして環境や人権などの課題を解決していくために、新しい事業に取り組んでいる人たち。と定義している。それでは、なぜ、「コモンズの回復」が必要なのでしょうか。それは、この百何十年いや、地域によっては、もっと古くから、人と人を分断することで、経済や産業が発展した来た。これを、彼は「つながりこわし」と言っています。地域を分断することで、労働力の移転を楽にする事で、早いビジネスを可能にしたり。みんなで楽しむもの、みんなで使うものを、一人で楽しむように、一人で使うものにすることで、販売量を増やしてきた。たとえば、テレビ・自動車・冷蔵庫という、いわゆる新旧の三種の神器と呼ばれた製品たちは、かつては、一家に1台の普及を目指してきたものが、今では、各部屋にあったり、一人に一台となり、販売台数を伸ばした。他には、電話などでは、公衆電話という、社会的な共有物がなくなり、家の電話という家族の共有物も使われなくなり、携帯電話という個人が持つものとなることで、回線の数が大幅に増えたことで、電話業界全体から見れば活況となっている。そういう、分断された状況を、再び繋ぎ直すことで、彼は、「コモンズの回復」をしようとしているようだ。「コモンズの回復」の担い手として、人を繋げ直す「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)」の存在は、私の考えた「コミュニティスト」と、多くの共通点があるような気がする。ただ、一般に言われている、社会起業家は、NPOに属している事が多く、企業や官庁などとあくまでも、違った立場を取っているケースが多いし。そう捉えられがちだ。それに対し、彼の言う「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)」は、企業や官庁そしてNPOのどこに居ても構わないという概念を持っている所が共感が持てる。これは、私の考えている「コミュニティスト」とよく似ている。そして、私も、実は、個人であると共に、なにも目指さず、無意識のうちに既に「ソーシャルアントレプレナー(社会起業家)」になっていたという事に気づかされた。なんか、今回のお話しを聞いて、自分の考えている事が、少し整理できたような気がした事と。仲間が見つかった様な気がした。おそらく、今後は、なんらかの形で繋がっていくような予感がしている。なんか、楽しいよね。■あまり参考にならない参考文献■【楽天ブックス】社会起業家【送料無料商品】これから働き方はどう変わるのか すべての人々が「社会起業家」となる時代
2005.05.25
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