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創業応援キャラバン特別フォーラム、スピンオフベンチャーへの期待に参加した。キャラバンって何?スピンオフって何?か知らなかったし、題名もよく読まず、創業という2文字のみに興味があったので参加したもの。キャラバンとは、「隊を組んで、砂漠などを往来する商人」のことらしい。またスピンオフは「親会社が子会社に持つ株の配当を親会社の株主に配分すること、副産物」という意味がある。フォーラムに参加した者としては、スピンオフは親企業の関係を維持し、協力を得た上での独立創業のことと理解した。しかし、実際に出演していた方は、親企業の協力は取り付けることができない、いわゆるスピンアウトの方が多かった。そして、スピンオフという制度が可能であれば、利用しただろうけれども、スピンアウト(しかも喧嘩別れ)だったから、活力(おそらく怒り)が出て成功することができたのかもしれない、とおっしゃっていた。なかなかスピンオフを認める企業はないが、先進企業はうまくスピンオフベンチャーを囲い込んでおり、今後はスピンオフさせる企業が増えてくるらしい。もう一つ、このフォーラムの対象は、主にハイテク関係の起業家向けだったようだ。本日の行動の選択肢として、オモロイ人生大学のセミナーもあって、そちらの方に参加したい気持ちがあったのだけれど、セミナーの内容は参加者の楽天日記で見ることができるだろうからあえてこちらの神奈川県主催のフォーラムに参加した。いまの段階では、このフォーラムに行った意味があるのかどうか分からない。しかし、レベルはともかく地公体もベンチャー創出に本格的に乗り出してきているという潮流が分かっただけでも、収穫があったように思う。
2004年01月31日
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私が育った街は、割と由緒ある街だった。おそらく住民はみんな自分の住む街に誇りを持っていたのだろう。あるとき、鉄道が引かれる話が持ち上がった。しかし、住民は鉄道が引かれて景観が損なわれることや、自分たちの持っている土地が侵食されることを恐れて、反対した。自分たちの現在の利益を最優先にしたわけだ。同じようにスーパーが進出してきた。このことについては、商店街の反対はあったものの、進出はとめられなかった。商店街は大資本と戦うことになった。それから20年から30年後、どうなったか。鉄道の通った隣町は人口も増え、また専門店なども進出してきて活気が溢れてきた。一方、鉄道に反対した街はどうなったか。自分たちの土地はなんとか守ることができているものの、活気はない。スーパーも撤退を余儀なくされる。出店時には反対していた商店街も、重要な拠点を失ってしまう恐怖から、今度は撤退に反対している。ここまで書いてみると、鉄道に反対した街のことを非難しているような文章になっているが、主旨は違う。現在活気のない街をいかにして復活させるか、ということが今考えていることである。隣町と同じように鉄道を引けばなんとかなる、わけはないし。目先の利益を追い求めていると、どこかで必ず足元を掬われる、と思う。その街の良さを十分に引き出す方法を考え、尚且つ、将来有効と思われる新しい文化を採り入れて融合させていく。そこには住民一人一人の発想の転換が必要だ。現にIT・芸術等で活気を取り戻しつつある街もある。衰退した街から出て行くのではなく、世話になった街を再生させる、そんな中の一員でありたい、と願う。
2004年01月30日
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今日の言葉は「自由」今日初めて出会った、自由に関する言葉「社会の圧力からも自由になりたいが、それは半分だけで、自分自身の恐怖心とか、動物としての自分の限界や、自分の性格から、自由になりたい」(町田康氏の言葉、山田玲司氏ONE ON ONEより)今までで心に残っている、自由に関する言葉「自由はある束縛を伴ってやってくる」(三田誠広)「自由に生きていく方法なんて、百通りだってあるさ」(浜田省吾)思いついたのは以上、もっと凄い言葉があるかもしれない。私が考えているのは、「精神的な自由」。どんなに不自由な状態であっても、自分が考えたり、思うことは自由。「精神的な自由」をもって、例えば日記を書く、言葉を書く、絵を描く、音楽を創る、等、アウトプットするまさにその時、途端に不自由になる。その不自由さを解消するために、いろいろなことを学んでいく。考えたり、思うことは自由であるが、アウトプットしたものの受け取り手が「不快」を感じることもある。それは人それぞれの「価値観」の違いがあるためであろうが、稀にアウトプット自体が悪意を持ったものであることもある。相手に媚びる必要はないけれど、せめて誰かの役に立つようなアウトプットをする方向には向いていたい。
2004年01月29日
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寒い。冬だから仕方ないけどやっぱり寒い。風が吹くと身にしみる。寒い環境下で、北風を作り出すようだと思われるもの。増税、年金負担の増加、年金支給の減額、年金保険料の強制徴収、公共受注の単価引き下げ、事業系ごみの有料化、等。政策には素人の私であるが、上記のうち逆さにしたらよさそうなものを挙げてみる。減税、年金負担額の減少、年金保険料の負担自由化、公共受注は良いものには資金を多く出す。ごみについては、少なくする努力をする者が、負担も少なくできるような仕組みが必要だと思うので、そのうちすべてのごみが有料化されていくような気がする。良いものには資金を多く出す、という目利きは育っているのだろうか?建前だけで判断することは危険だ。実績を見極められる力が欲しい。太陽は、場所によって差はあっても、あたりたいと思う人のところには平等に光を与えてくれる。そして、その光をどう感じてどう利用するかは、その人の生き方、考え方次第である。人間だから喜怒哀楽はやむを得ないが、光に感謝する心は忘れないでいたい。
2004年01月28日
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「前例に倣って(先送り、もしくは進歩しない)」今日工事屋さんと話していて思ったことである。工事中に機械を使ったほうが効率よくできるとしても、最初から届けておかないと使うのが認められないそうである。現場の人間ではないから、実際のことはよく分からないので、大きなことは言えない。もしかしたら、その機械は何かしらの問題があるのかもしれない。認可するほうから見れば、前例に倣って新しいものを排除した方が楽でいい。しかし、前例にあるものよりもより良いものができていたとしたら、その新しいものについて吟味しなかったことは後世に悪影響を及ぼす。新しいことを始めたり、新しいものを使ったりすることはリスクである。そのリスクを怖がって行動を起こす訓練をしていないと、もしどうしても避けることのできないリスクが来たときには立ち尽くすことしかできないのではないか?そうなってしまうのは嫌だ。
2004年01月27日
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今日見た夢の話を書き留めておこう。眠っている間に夢を見るのも久しぶりだったことだし。私は野球部だったわけでもないし、最近野球をすることもないのだけれど、なぜか草野球の試合をした夢をみた。打席に入ったとき、とりあえず力を抜いて、ボールが当たればいいやと思っていた。ボールが来た。振ってみたら、運良く当たったものの、ボテボテの内野ゴロ。走ったら内野手が暴投してヒットになった。エラーなのかもしれないけど、自分の中ではヒットなのでヒットにしておいた。夢の中なのに走るのは辛かった。体が重い。次のバッターもヒットを打ったので、私は二塁へいった。間に合ったところで目が覚めた。点にはならなかったけれど、また些細なツイている夢だったけれども、私には現実にもこんな小さな成功体験の積み重ねが必要なのだと感じた。それでは、成功するためには何を考えて、何を準備しなければならないのか。どのような分野で成功したいのか。明らかにしていく必要がある。
2004年01月25日
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出ましたね、「1億円ノート」(起業家大学著、三笠書房)。神田昌典先生ファンならばご存じだとは思うけれど、「成功ノート」の第2弾である。まだよく読んでいないのだが、1億円貯めるにしても、稼ぐにしても今の私からは程遠い話だし、この本を読んで知識としては得たとしても、実践できるかどうかはまた別の話になる。読む前にどんなことが書いてあるか想像してみよう。例えば1年間に1億円を稼ぐとすると、1日平均27万円、1ヶ月平均833万円稼ぐ必要がある。例えば500円のケーキを売るとしたら、一日548個を売らなければならない。これって大変なことだ。また、本当に売るとしたら、材料費とか、人件費とかがかかるので、利益はもっと少なくなる。常識で考えると困難である。それでは、①単価を1000円にしてみると、270個売る計算、②単価を5000円にしてみると、54個売る計算、③単価を10000円にしてみると、27個売る計算になる。③あたりが数量的には妥当なところだ。1年で1万個売れるもの。しかし単価が1万円のものって何?1万円出して自分が買いたいものは何?と、ここまでも常識的な話。やっぱり程遠かった。だけど、諦めないぞ。勉強、実践あるのみ。
2004年01月24日
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エスポワールという名前のマンションを見たことはないだろうか?エスポワールはフランス語で「希望」の意味。最近、久々にお目にかかったので今日のテーマ。希望って、いい言葉だな、と思う。「未来に望みをかけること」。決して未来に絶望することではない。同じような言葉に、夢、願い、望みなどがある。よく、卒業文集に「将来の夢」を書くところがあるが、私はそこに「夢はかなわない」と書いた。今思うと嫌な奴だ。というよりも、考えすぎて夢を見ることができなかったのかもしれない。「商品を売るためには、感動を与えることができなければならない。」ということを漠然と考えていたのは5年くらい前。ただ、日々の生活に疲れ、またそこそこ楽しいこともあったため、人生について深く考えなかった。年を重ねていくうちに、「課をまとめる」という役目をおおせつかるようになった。2、3年前の話である。ここで壁にあたる。課を日々向上させるように言われる。人生についても仕事についても深く考えることのなかった私にとってつらい課題であった。さらに仕事も難しく、厳しくなる。そこで、とある自己啓発のセミナーに飛び込んだ。そこで思ったのは「感動を与えられる自分になること」。どうしたらいい?深く考えた末たどりついたのは簡単なことであった。「自分自身が感動できる人間になること」それまですっかり忘れていた。意識をしてないのと、意識をしているのでは感じる強さが全く違ってくる。以前「美味しんぼ」という漫画が好きで何気なく80巻程度そろえてしまったこと、について意識を集中させてみると、「如何に人を感動させるか」を考え抜いた末の作品としての料理に感動したからなのだと気づいた。それから生きていることが楽しくなった。あたらしい発想も浮かんできた。まだまだおぼろげであるが、希望も見えてきた。誰の人生にも、自分の希望を知るための出来事が起こるはずである。その出来事は楽しいことかもしれないし、辛いことかもしれない。その出来事に「その時自分ができる精一杯の力」をつぎ込んでいくことが、自分の希望を知る近道なのかも知れない。
2004年01月23日
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ここで、復習。「ベクトル」って何だっけ?確か→のことだよな。言葉で言うと、「向きをもった量」のこと。ベクトルの足し算もあった。言葉で表すと、「ここからあっち行ってこっち行くと、結局ここからどっちにいる?」っていうこと。高度成長期には、みんなが「豊かになる」という方向を向いて力を出したから、それが大きな力となり、高度成長を為し遂げた。安定成長になると、みんながいろいろな方向を向いて、もしくは迷ってしまって、大きな力が育たなかったのかもしれない。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉があった。みんなで渡っていると、安心してしまって、たとえ赤信号であろうと、突っ走ってしまうことがよくあるのではないか。また大きな力になると、方向転換が難しくなる。方向転換をさせるきっかけとは何か。それは不況であったり、社会問題であったり、革命であったりする。そこで一度立ち止まって、次には何をしたらいいかを考え、方向転換をすることになる。今はそんな時代なのかもしれない。
2004年01月22日
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「ぶっ壊す」といっても、人や物にあたってはいけない。あたったところで、自分の心が寂しくなるだけなので。何をぶっ壊す?自分の内にある悩み、怒り、どろどろしたものを。ベルリンの壁をハンマーで思いっきり叩き壊すようなイメージで。壊したら何が見えてくる?人によって違うだろうが、私には雲一つない青空や、星が瞬いている夜空が見えた。また、私自身がゼロになってもいてくれる友達も見えた。実は思うように進まない仕事、思うように動いてくれない同僚に行き詰まりを感じていた。「物は大切にしなければいけない」と自分に言い聞かせつつも、湧き上がる怒りを抑えきれず、エンターキーをぶっ叩いてしまった。まだまだ未熟。
2004年01月21日
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今日はトラブルにこそならなかったけど、ボタンの掛け違いを3回くらいしてしまった。物事を為すにあたって、準備が必要なことは当然であるし、できればそうしたいと思っているのだが、タスクが10個くらい同時に流れているとなかなか思うようにいかない。みんながみんな優先事項である場合どうすればよいか。1.お断りする、2.外注に頼む、3.とりあえず引き受けてやりながら考える「為せばなる、為さねばならぬ何事も」という諺があるけれど、物理的に不可能なこともあるよな。「できること」と「できないこと」ってあるだろ?ただ、「できっこないこと」をできるようにするところに「ビジネスチャンス」があることもある。同じやるならば前向きに考えないと。
2004年01月20日
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昨日のテレビ「女子十二楽坊のすべて」から、彼女達の演奏技術は中国の一人っ子政策の賜物であると感じた。小さい頃から例えば音楽の才能を見出され、9歳から音楽の英才教育を受ける。その中でさらに篩いにかけられ残った者がエリートとなる。そして世界にはばたき、多くの人たちを感動させる。中国は今後豊かになっていくだろう、しかし次の世代はどうだろうか?乗り越えるハードルは高い、しかも、何もしなくても豊かである、やりたいことも特にないし、乗り越えなくてもいいやと思う。私がなんとなく感じるのは、人間というのは問題を起こしたがる生き物なのではないかということ。乗り越えるハードルがほどよい高さであったら、乗り越えることを問題とする。あまりにも高いハードルであったら、乗り越えることを考えないで、別のことを問題にしてしまう。問題を正の方向に起こすか、負の方向に起こすかで社会を幸福にするかどん底にするかを決定してしまう。
2004年01月19日
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今日読んだ雑誌は「ヨミウリウィークリー2004年1月25日号」1.養老孟司氏が語る「バカの壁」的小泉論より首相だからといって一人の人間であるからいろいろな見解があって然るべき。個人的には賛同も反対もするつもりもないし、いい面も悪い面もあって仕方がないけれど、どうしたら社会を良くしていけるかの観点からは改善が必要なことは確かだ。養老氏は首相の「この程度の公約を守らないのは大したことではない」という発言について、「現代社会における典型的な考え方」であり、「約束を守るということが死語となっている」と語っている。約束を守らない→人を信用できない→だから自己責任ということになるのか。しかし、人を信用できない社会って、辛いなあ。これからは何が本物で何が偽者かを見極める力が必要なことは確かだ。また、公約を守れないのは突き詰めると「考えていない」ということではないか。と語っている。約束っていうのは、それが守れるか守れないかを自分なりに判断してするものだ。自分ができること、できないことの線をはっきりさせないと、約束はできない。もしくは、始めから条件付で約束する。あたりまえのことかもしれないが、最低でも「約束を守る気構え」ぐらいはないと、いけない。2.今年も偏屈でゴーゴーゴー(町田 康氏)昨日私は(絶対まねしないでください)と注意書きをしたのだが、町田氏は注意書きをされると逆のことをしたくなる性格らしい。実は私もそんな一人だったりする。記事については、簡単に要約しては町田氏に失礼なのではないか、共感するにしろ、反発するにしろすべて読んだうえで読者がそれぞれの価値観に基づいて感想をもつことが必要なことだと思ったので申し訳ありませんが内容は割愛します。他にも、福本清三さん(ラストサムライ斬られ役)の記事、川井郁子さん(バイオリニスト)、筑紫哲也さん・小倉千加子さんの記事など読み応えがあった。ちなみに、私がお気に入りの倉田真由美さんのコメントも載っていた。
2004年01月18日
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熱いお茶をストローで飲んだことがありますか?私は3回ありますが、3回とも大変なことになった。経験者として絶対まねをしないようにお願いします。今日お茶を飲んでいて、そのことを思い出し、ツボにはまって大笑い。バカなことをしたものだ。しかし、何で熱いんだ?お茶を飲むときは空気と一緒にすするので、冷ましながら飲むことができる。ストローでは空気がなく、直接熱湯を舌にかけるようなもので熱いに決まっている。こんなところでしょうか?痛みを感じる失敗なら、痛みを感じたところでリカバリーすることができるけれども、もし痛みを感じない、逆に快感を感じる失敗があるとしたら・・・・非常にコワイ。新撰組第1回の再放送を見ていて思ったのだが、黒船が目の前に出てきて雲泥の差を感じ、痛みの予想ができたから、そこで頭をつかい難局を乗り切ることができたのかもしれない。どうも今の時代は「痛みに気づいたときには既に遅い」状態になっているような気がする。それはなぜだろう?「先人の教えをおろそかにしているからなのではないか」と思う。歴史っていうのは、単なる暗記科目ではない。その時代にそこに生きた人々が何を思い、何を為し遂げ、何を残したのかということを考える勉強なのだろう。そして勉強したことを自分の人生の指針としていくことで、幸せな未来が創っていけるのだ。(使用上の注意)合格のみを目指す場合は、上記のことは参考にしないで下さい。暗記も必要だと思いますので。
2004年01月17日
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三日間ぐらい突っ走ってしまったので、今日はひと休み。ねぎぼうずの話でも。私の経験ではねぎ嫌いは10人に2人くらいいると思うので、嫌いな方は読まれないほうがいいですね。今日はねぎ農家さんに行って来た。収穫の時期は年末が良かったらしいが、忙しかったので今日になったという話。ねぎ畑の様子はよく見るが、収穫をみるのは初めてだった。収穫が遅れると太くなるそうだ。そして、もっと遅れると「ねぎぼうず」が出てきて、ねぎは風味が劣化するらしい。検索したら、あるHPでねぎぼうずに種がなっている写真があった。ちょっと夢に出てきそうな写真だった。多分、次の世代を担う種に栄養をとられて、根っこはおいしくなくなるのだろう。夕飯はねぎ入りスープだった。ねぎづくしの一日。私の苦労をねぎらってくれたのだろうか?おあとがよろしいようで♪
2004年01月16日
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今日はお話好きのおじさんと巡り合った。おじさんは家を建て直すときの話をしてくれた。古い家を壊す前に、「どうせ壊すのだから、子供と一緒に思う存分落書きしたり壊したりした」という話をしてくれた。また、家を新築した後は、少しでも汚れると嫌な気持ちになりがちだが、ものの価値は買った直後に下がるものなのだから、汚れてもいい、程度の気持ちで使ったほうがいいとも話していた。私はその時、おじさんの気持ちに賛成が20%、反対が80%くらいであった。だから、共感できる部分もあった。おじさんと別れてよくよく考えた。例えば、自分がその壊される運命の家であった場合、落書きされたり壊されたりして嬉しいか、ということを。少なくとも、その家族のことを守ってきた身である。それを最後にめちゃめちゃにされてしまうなんて・・・。一方では、最後まで存分に利用してくれて嬉しいという気持ちもあるかもしれないな、ということも考えた。私は子供の頃から、折れた箸や欠けてしまった茶碗を捨てるときに「ありがとう、そしてごめんなさい」と言いながら捨てていた。誰から教わったのかは覚えていないけれど。今でもなぜかそのようにしている。一方で、よく物をなくす。どこに置いたかを忘れてしまうのである。主に、ボールペンやのり等、文房具類が多い。その「物」のことを忘れてしまうのは、その「物」への感謝の心が足りないからではないか?と気づかされた。「物」がたくさんあり、また「使い捨てがきく」ものが増えた弊害ではなかろうかとも考えた。おそらく現在は、大量消費社会から循環型社会への移行期なのだろう。まだまだゴミの量も多い。しかしこのままでいい訳がない。「物」を大切に思う心を広げていかなければならない。
2004年01月15日
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今日会ったお二方から学んだこと、これも何かの導きかもしれない。お一方は自分の道を見つけて確信をもっている中小企業のA社。もうお一方は古き良き時代が忘れられず、なんとなく価格競争に巻き込まれ、やり方に悩んでいるが、A社の約10倍の規模があるB社。業歴はほぼ一緒なので、何が違うのかといえば、A社は自分の「腕」、B社は「金額、規模」を磨いてきたのではないか、という結論に至った。その結果、現在何が残っているかというと、A社は仕事の実績が認められて厳しい環境下においても受注が来ているという。A社のお言葉「技術があるんだから、堅実に仕事をこなしていれば儲かるよ」ちなみに、本業以外で、金銭的な苦労はしたらしい。B社は売上を伸ばそうと価格競争をしてしまっている。ただ、大企業とのパイの奪い合いとなってきており、これはどうも勝てそうにないな、ということを悟っている。ただ、ある程度の規模になっているので方向転換が困難な状況なのだろう。A社とB社は、私がたまたま同日に会っただけであり、別に競争相手であるわけではない。しかし、どうにも対照的な両社であり、一番気になった出来事であったので、ここに記すことにした。どちらが幸せなのだろうか?
2004年01月14日
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一ヶ月記念ということで、昨日は自分なりに盛り上がって書いていたのだが、そのことを冷たい目で見る自分がいた。今日はその「冷たい目の自分」が盛り上がってきた。「あなたのことを救いますよ」と言われて、応じる人もいれば応じない人もいる。まあ、「救いますよ」なんていう人のことは今の時代なかなか信用できないか。個人個人のレベルの話ではあるが、「救われてよかった」と思う人もいれば、「大きなお世話だ」という人、「ほどこしなど受けない」という人もいるだろう。現に私は、望みもしないで「救われた」人間の一人である。ただ、救われたことは、何かの運命なのだろうと、その運命を素直に受け入れようと思っている。「救世主」という言葉は、私の経験則と古い価値観から出てきたものである。上記のような考え方が自分の中にでてきた以上、新しいものを産み出さなければならない。そこで「楽世主」。文字どおり世の中を楽しくする主のことだ。この楽天日記にも、「楽世主」はたくさんいる。「救われても喜ばない人もいる」という気づきは、本業をしている間にふと得られたものである。面白いものだ。仕事は仕事できちんとしていますよ、念のため。
2004年01月13日
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「起業して成功したいなあ」と漠然と考えていた自分。ただ、何か少し違うんじゃないかという思いがあった。実践しているわけでもないので、偉そうなことは言えないし、身の程もわきまえている。ただ、精神的には何を考えようと自由だ。そして考えたことを情報発信し、受信した方がそれ以上のアイデアを出して、みんなで協力して世の中を明るくしてくれればそれでいい。「次の10年はこうなる」文芸春秋の特集号に目がとまり、読んだ。「少子高齢で楽しい社会実現」「年金革命を断行せよ」国民年金保険料の未納率増加、年金支給年齢の上昇、支給額の低下、改革が必要なことは間違いないが、どうする?「自衛隊イラクヘ」イラク派兵については人道的には反対だ、ただ、国際社会の一員として復興支援という観点ではやらなくてはならないことだ。申し訳ありません、私の中では結論でません。「フリーター1千万人の時代」大企業の多くは生き残りで必死である。少数精鋭でやっていかなければならない。採用する余裕もない。働いている人も人員削減の影響で病んでいる。「職の二極化」「富の二極化」が進む。社会秩序の乱れにつながるかもしれない。なんとかしなければ!地域再生の動きも見られる。収益力をあげなければならないのは喫緊の課題であるが、それよりも形の見えにくい「希望」を持つことのできるような社会にすることが先決だ。そこでしばらく考えた。時代は「救世主」を求めている。ただし、救世主は一人ではない。「我々がよのなかだ」の観点から考えると、一人一人の心の中に救世主がいなければならない。「救世主伝道養成プログラム」があれば最高なんだけど。あまりにも胡散臭いかな?これからの自分の目標を定めよう。「救世主養成トレーナー」になる。「夢は大きくもてばもつほど、自分も大きくなる」から。
2004年01月12日
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今日は横浜のとあるデパートへ行った。昼食をとっていなかったので、デパ地下で買うつもりであった。おいしいサンドイッチ屋さんを知っていたので、私はそこで買いたいなと思っていたが、連れの納得が得られなかったので、他を探すことにした。連れは一旦「おにぎりやさん」を通り過ぎてすし屋さんまで行ったが、引き返して「おにぎりやさん」に戻ってきた。前に買っていた人が、「ここのおにぎりは美味しいのよ」と言っていたし、連れもおにぎりに納得したので買うことにした。連れはいくらが好きで、なんといくらのおにぎりが売っていたので、満足していた。さて、食べてみたら、これが美味しかった。具もおいしかったが、なんといっても米が美味しかった。米はコシヒカリを使っていたようだ。また行こう。ちなみに、コシヒカリといえば新潟魚沼産が有名であるが、米の栽培には雪解け水は向かなかったらしい。それを品種改良を重ねてこれだけおいしいお米を創ることができたそうだ。当時の常識を覆す研究は支援を得ることが難しかっただろうし、大変な努力だっただろうと思う。またそれを継承し、今も作り続けている方々も。その恩恵を受けられた私はつくづく幸せだと思う。ありがたいことだ。
2004年01月11日
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私は近視であり、乱視である。視力検査で使うあの”C”のマークでどこが開いているのかは0.3くらいまで答えられるが、Cのマークが3つか、4つくらいに見える。車の運転時にはさすがにメガネをかけるけれど、それ以外は裸眼で過ごしている。近場は見えるので不自由しないからという理由と、メガネをするのがどうも好きになれないからという理由だ。見えないと左右どちらかの目に負担がかかり目に悪いとか、目が疲れるとか、精神的によくないとか、もっとよく見えれば楽しいのかもしれないとか、考えることもある。私の周りの多くの近視の人はメガネやコンタクトを常用している。なんで見えるようにしているのかといえば、見えないと落ち着かないからか、必要に迫られているからなのだろう。私は以前、見えないことは見えなくていいじゃないか?どうして見る必要がある?と考えていた。いま目の前に出てきた事象をクリアしていけばいい、すなわち行き当たりバッタリの人生であった。そのように過ごしていると、その場その場で起きた楽しかったり辛かったりした出来事を、後でまた振り返り懐かしむということを繰り返すだけの人生になってしまっていた。どうも生きていてもおもしろくない。そのうえ、人から与えられた課題を自分の力不足で達成できない。さらにつまらない。という悪循環に陥ってしまっていた。なんとかしないといけない。自分に足りないものは何か、どうしたら楽しくなるのかよく分からないけど、なんとかしなければならない。知らず知らずのうちにそんな思考回路になっていった。本を読んだり、セミナーに出たりした。そこで出会った人と一緒に試行錯誤しているときに気づいた。「自分が何を探すべきか。」言葉で言ってしまうと簡単なことなので、あえて言葉では言わない。心からの気づきでなければならないから。ただ、タイトルに出した「見えないことを見ようとすること」は答えのヒントになると思う。ただ、今後ともメガネは必要なとき以外、着用しない人生を送るとは思う。
2004年01月10日
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ような気がしたので、今日のタイトルにした。しかしこれはケースバイケースになるため、真実だと言える自信はない。「戦った」ために相手が不幸になってしまうケースは、このタイトルは真実かな。ただ、戦いというのは「さわやかな戦い」があるからね。あいつに負けたのならば納得がいく、といったようなケースは、タイトルは成り立たなくなるだろうか。「戦う」相手が自分であるケース。これは自分にとって成長できるケースだから、タイトルは真実とならない。自分を責めすぎると狂ってしまうけど。「けんかをやめて」のケース。「二人をとめて、私のために争わないーで」。みんな仲良くがいいのだろうが、どうも独占欲が強くなるため、争ってしまう。この場合、勝ち取ったことがゴールとなってしまうと、その後に残るものは後悔。生きていくために「パイの奪い合い」をしてしまった場合。これも負けたほうが不幸となる。できることなら、せめて半分ずつにするとか、他を探すから差し上げるとか言う余裕が欲しい。法科大学院の創設により弁護士が増えるようだが、なぜなのだろう?どんな些細なことでも訴訟になってしまう世の中が到来するからだとしたら、それは楽しい世の中なのだろうか?もし他の理由があるのなら、勉強不足でごめんなさい、感じたままを書いただけなので許してください。
2004年01月09日
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15年程前になるか、”We Are The World"という歌が創られた。最近、私の周りでも毎日のようにいろいろな出来事が起こる。仕事内容はさほど変わっていないので、起きる出来事の量も変わっていない筈なのだが。そのように感じるのは昔と比べて物事に対する自分の感じ方が変わったからだろう。朝起きてから、自分の気がついたことをメモしていく。ただ、朝は楽しく感じられたものが、今メモを見ると、どうして楽しく感じたのかが分からないものもある。言葉では言い表せない何かがあるからだろうか?どれにしようかな、と迷っていたときに、ふと冒頭の歌が頭をよぎった。今日のどの出来事もこの歌にはかなわない。そう感じたので今日のタイトルにした。私は翻訳家ではないので、ごくありふれた訳しかでてこない。「我々は世界だ、我々は子供たちだ、我々はより良い日を創ることができる。」というありきたりな訳しか思いつかない。またこの歌の歌詞もうろ覚えである。内容を知っている方がいたら、教えていただきたい。自分でも暇を見て探したいとは思うけれど。
2004年01月08日
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高校サッカーも決勝戦を迎える。熱狂的なファンではないので、ハイライトとか結果を見るくらいしかしていないが、テーマソングが好きなのと、全く手が届かなかったけれど国立競技場を目指していた者として、毎年気になることである。素人目から見てだが、ここ数年で気になるのは、九州のサッカーが力強く、粘り強いということである。昔の強豪といえば、静岡県や埼玉県など、関東近辺だったような気がするが、完全に勢力図が変わっている。今の状態がいいとか悪いとか言うつもりもないが、高校サッカーに限らず例えば経済についてもその勢力図は変わるのかもしれない。憶測に過ぎないのだが、今活躍している高校生は10年前からじっくり鍛えられてきたのではないか。その地域の高いレベルの中でもまれていれば必然的に高いプレーヤーが誕生する。そして、高校ですぐれた指導者や仲間達と出会い、さらに成長していく。地域を変えようと願う仲間たちと出会い、地域を変える先駆者となる、そんな生き方をしたいものだ。
2004年01月07日
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昨日、日記を書いていて、あまりにもこじんまりして、従業員精神まるだしになってしまったので、反省をこめてもう少し広げようと思った。何で面白くなかったかを考えると、結局は人から命令されていることと、その仕事をしたことによって喜んでくれる人の顔が見えなかったからだった。自分で自分に命令して、自分で自分を追い詰めることができるようになることが、成功者への第一歩なのかもしれない。ただ、その先に偉大な夢をもつことが必要だが。楽天で日記を書いていると、考えて書くという作業が楽しくなってくる。また、日常ではなかなか聞く機会のない他の方々の考え方を知ることもできて、世界が広がってくる。凄い仕組みだな、とつくづく感じるとともに、ありがたいことだと思う。
2004年01月06日
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「できるのか、できないのか、どっちなんだ」「できます、やります」「本当にできるのか、精神論を聞いているんじゃないんだぞ!」私の住む世界では、このようなやりとりがある。言う方も辛いかもしれないが、言われた方のが辛い。ある意味で、これは叱咤激励である。精神を追い詰めて、背水の陣をしかせれば、火事場の馬鹿力で出来てしまうことが多い。私はこのやりとりを聞いていて、どうも面白くない。当事者になった場合には、やはりとりあえずでも「できます」と言ってしまう方だ。ただ、追い詰められてやることは大概面白くはない。たまに、キレて、ハイな状態になることもあるけれど。面白くはないけれど、生きていく上では必要なことなのだろう。ウーン、微妙。
2004年01月05日
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正月だから「家でゆっくり」というのは、もう昔の価値観なのだろう。昔は正月といえば、神社周辺以外はどこへ行っても店は閉まっていて家の近くで遊んでいたものだ。街に出てみると、友達同士で遊んでいる人が多かった。いつもの休日と変わらない。いや、久々にあった人もいるのかもしれないが。あれだけの人出があれば、店は稼ぎ時だ。ファーストフード店などは混雑しており、働いている人は大変だっただろう。お疲れ様でした。街の混雑の中、下町フェアなるものをやっていたがそこの人出は少なかった。長年修業して高度な技術をもっているのであるが、広告はあまりしておらず、店のおじさんも難しい顔をしていて声をかけづらかった。どうしたら売れるのかなあ。製品単体ではなかなか購買意欲がおきない。例えば竹細工だったら、子供たちを集めて作り方を教えるとか、その竹がどこで育ちどこで取れたものかをストーリーにするとか、その竹細工によって癒しの効果を演出するとか、いろいろあるのではないかなあ。同じ街の中でも、人が混雑しているところと、閑散としているところのコントラストが、妙に心残りであった。
2004年01月04日
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あけまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。初詣に行ってきた。今年も良い年でありますように、と願い行くものなのだろうか?お正月=初日の出を見る、初詣に行く、おせちを食べるなどどうも表面的なことしか見てきていない。伝統となり続いているということは何かしら意味があるものではないか、と思うのだけど、追求せずに生きてきてしまっている。最近は「悪い運勢が出たらいやだな」と思って、おみくじから遠ざかっていたのだが、運試しを兼ねて、ひいてみた。結果は「吉」。おみくじ全体の40%くらいは無難な「吉」だと思うから、平均的なところか。願い事=必ずかなう、用意して待て。これはよかった。商売=今年はじめるのは無理。そうか、今年はじめるのは無理か、しかし去年からはじめているから大丈夫かな。はじめる、というのは決意した時か、行動を起こしたときか、どの時点なのかはよく分からないが。その他は興味がないので忘れてしまった。無理といわれても本当にやってみたいことだったら、今の自分はやりますよー。ただ、おみくじの10%くらいは凶なのだろう。たとえ、凶であっても、「こんなもの所詮人が作った物だ」と思い直すか、「絶対良い年にしてやる」という気概をもって奮起するかしたと思う。新年早々少し気分悪いと思うけど。
2004年01月03日
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