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昨日は「探しものが見つからない」日記であったが、今日は「探しもの」というほど探していなかったが、無意識に探していたものに出会ったという日記。昨日、あるセミナーに出て、「やってみたいな」と思ったことがあったが、その願いが今日のうちに叶ったので不思議なものだなと思った次第である。まず一つは富士山を見ること。セミナーのビデオで、1章毎に富士山の映像が写しだされるのだが、映像ではなく、自分の目で見たいなと思っていたのだった。山中湖方面に行く用事があったのだが、その用事に集中していたので富士山のことはニの次であったし、朝は雨が降っていたので富士山を見ることもできず、見る余裕もなかった。用事が早くに終わり、少し時間があったことと、バスの前売券を誤って河口湖から買ってしまったこともあって、何気なく河口湖まで足を伸ばした。その頃には快晴となり、今までに見たことのないほど素晴らしい富士山が姿を見せてくれた。富士山の実体はいつもそれほど大きくは変わらないだろうが、やっぱり天候状態のいい時の富士山というのは雄大である。2つ目は似顔絵を描いてもらうこと。3つ目は自分に合う色を見てもらうこと。昨日似顔絵の名刺をいただいてから、似顔絵もいいものだな、描いてもらいたいな、と思っていた。また、カラーコーディネートをしてもらった話を聞いたので、自分に合う色というのも知りたいな、と思っていた。通りがかりに、似顔絵を描いている方がいるではないか。ありゃ、また願いが叶ったよ。早速描いてもらった。実は似顔絵を描いてもらおうなんて、今まで一度も思わなかったし、必要性も感じていなかった。その価値観が一変した途端の今日の出来事。さらにその似顔絵を売っていた方は、絵に色をつける方だった。描いてもらっている途中、出来上がるまでにワクワク感と不安感が入り混じった状態。顔自体は並なのでやむを得ないが絵の出来栄えは素晴らしかった。また、私の色は「緑」だったようだ。そういえば、ホームページをつくりたいな、と思って楽天日記にたどり着いたことを思い出した。私の場合、願いをかなえるには「あくまでも自然体」がいいらしい。
2004年02月29日
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くだらないものを探している。それはホチキス。探しているものが見つからないとイライラする。いつも同じ所に置いてあるはずのものがない。それで探す。いろいろなところを探すのだけど、どうしてもない。探している最中にいつも思うこと。時間の無駄だ。どうしていつものところに置かなかったのだろう?探している途中で前に探していたものがふと見つかることもある。「あれ、こんなところにあったのか」しかし、今必要なものではないので、あまり嬉しくない。「捨てる技術」や「奇跡の整理術」という本もあるが、どうも私には効き目がない。その本が増えることでかえって、探しものをさえぎる要因になる。結局見つからなかった。いつか見つかるだろう。もう寝よう。
2004年02月28日
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「まわりの人からどう思われようが、自分がこれは絶対に良いと思ったことや自分がこれは絶対に良いと思ったものは必ずしも変える必要はない。」子供の頃、テストやなにかしらの作品をつくった際、「たいへんよくできました」「よくできました」「もっとがんばりましょう」の3種類のスタンプを押して貰っていたという記憶がある。3種類のスタンプをどう使い分けていたのかについて考えてみた。自分が頑張って獲得した「大変よく出来ました」は子供にとっては非常に嬉しいものだと思うけれど、いい加減に書いて獲得した「大変よく出来ました」は「何だ、この程度でいいのか」と努力をしなくなってしまうのではないか。逆に頑張って獲得した「もっとがんばりましょう」だったらどうか。「なんだ、頑張ったのにこれだけか、頑張るのや~めよ」。いい加減にやって獲得した「もっとがんばりましょう」は「まあそうだろうな」と納得がいくかもしれない。あくまでも、今の私の価値観をもとに書いている。子供の価値観だったらどうだろう?子供って認めてもらいたいという欲求が強く、基本的には頑張るような気がする。ただ頑張る子供のまま成長できるかどうかは、まわりの環境に大きく左右される。「認めることができる」周りの大人が必要だ。教育とは、その人その人の個性を理解することが重要だ。そして、テストにしても作品にしても、その人が見せているたった一面、氷山の一角に過ぎないのだということに意識を集中する必要がある。見えないものを見ようとすることは大変な努力を要するだろうが。
2004年02月27日
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導入は「もしもピアノが弾けたなら」いつもなぜか一人で歌を歌っている。そのときそのときで出てくる歌が違うから不思議だ。今日頭の中に浮かんできた歌は「もしもピアノが弾けたなら」さて、何ででてきた?そのときは分からなかった。次に出てきた歌「もしも願いがかなうなら」その次「もしも私が家を建てたなら」次「もしも明日が晴れならば」次の思考例えば何か悪いことが起きてしまったとき、なぜそのようなことが起きてしまったのかを考えることがよくある。悪いことが起こってしまった場合、それを批判することはたやすい。リーダーを偉い地位と錯覚しているリーダーはそのことをいとも簡単に、そして激しく怒るわけだ。激しく怒られたほうは最初は「すまない」と思っていても、感情的に納得いかない部分があるから「ふざけるな」という思いが強くなり、また同じことを繰り返す悪循環が発生する。(あくまでも仮定の話、激しく怒ることはケースバイケースで必要とも思う)結果論的な考え方である。結果というのは顕在化した、いわゆる目に見えるものである。結果として失敗したことを「笑う」ことはサルでもできる。結果には原因があると同時に、動機がある。動機というのは入り口みたいなもので、一人で考えているとどの入り口から入ったらいいか分からず、これでいいや、と安易に考えて入るとそこは崖だったりするわけだ。優秀なリーダーは入り口の選択の仕方を教えられる人のことなのだろう。また、プラスとなる動機を獲得する手助けができる人であるとも思う。元に戻ろう。今の自分が一つの結果だとするならば、今までに採択してきた自分の思いや行動が動機や原因である。そして今の自分に満足していないならば、これからの思いや行動を変えていくしかない。「もしもピアノが弾けたなら」→弾けるように努力したい「もしも私が家を建てたなら」→がんばってみよう「もしも願いがかなうなら」→かなえてみよう「もしも明日が晴れならば」→晴れるだろう(注)歌の内容とは全く関係ありませんのでご容赦くださいもっと深いところを書いてみたかったんだけど。続きはいずれ書こう。
2004年02月26日
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タイトルに悩んだ。問題の多いお店、問題の多い会社、問題の多い国、問題の多い世界。そもそも、問題って何?私が一番馴染んできたのは、試験問題であるが、問題の意味なんか考えたこともなかった。困ったときには辞書に頼る。1.(実力、効果などをためすために)答えを求める問い。2.(解決すべき)めんどうな事柄。3.(解決を求めるために)取り上げるべき事項。4.注目・批評に値する事柄。問題って、解決すべき事項があったり、実力を試す機会が必要だからこそ発生するんだ、と改めて感じた。問題が起こると、「それは問題だよ」としたり顔をして大げさに振舞う人がいる。こういうスピーカー的存在の人も必要なのであろうが、自分としてはすばやく解決にあたったほうがストレスもないと思うので、とりあえずは言う前に、スピード解決のために一生懸命考えるようにしている。ただ、一人では思考の限界もあるから、まわりの人の意見も教えてもらう。ただ、解決してしまうと、「喉もと過ぎれば熱さを忘れる」ので、問題が起きてから解決に至る思考は記録しておきたい。また、後輩がいる場合は考えてもらうチャンスと捉えて、少しずつヒントを与えながら解決に導いていく。これが私の理想とするところだ。問題が起きたときはパニック状態になる。たくさん問題を起こしてきたおかげで、問題が起きたときでも表面的には落ち着いた姿勢をとることができるようになってきたような気がする。内心はハラハラしているんだけど。今日の日記を書く過程で、「注文の多い料理店」という題名が頭に浮かんだ。宮沢賢治の作品であることは有名なのだろうが、うっかり忘れていた。ヤフーで検索していたら、楽天日記を書いている方のところにとんだので、興味のある方はこちらから飛んでみてください。http://plaza.rakuten.co.jp/kazeironohondana/6004
2004年02月25日
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常識その1稼いだものから、使ったものを引くと稼いだもの>使ったものの場合は貯金稼いだもの<使ったものの場合は借金常識その2楽しみの大きさから苦労の大きさを引くと楽しみ>苦労の場合は幸せ楽しみ<苦労の場合は不幸せ常識その1から考える。貯金を大きくするためには1.稼いだものを大きくする2.使うものを少なくする3.あとで何倍にもなって返ってくると考えられるものにたくさん使う常識その2から考える幸せを大きくするためには1.たくさん楽しいことをする2.苦労を極力避ける3.あえて苦労を選び、後で感じる楽しさを倍増させる4.苦労を苦労と思わず、むしろ楽しいと感じるようにする5.私の辞書に苦労という文字はない
2004年02月24日
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暖かいが風の強い日であった。今も強い風が吹いている。季節の変わり目には天気が荒れる。冬から春への嵐、春から夏への梅雨、夏から秋への台風、秋から冬への?唯一冬は季節が嵐みたいなものか。人生の春夏秋冬理論も同じだ。季節の変わり目にはその人それぞれの人生の過程におけるテストが控えている。「あなたはその季節に何をしていましたか?」別に何をしてなくてもいい。時間は平等に与えられている。やりたければやればいいし、やりたくなければやらなければいい。環境によってはやりたくなくてもやらなければならないこともあるが、その先には何があるか、そのことで何を得られるのかを考えていたほうが自分のためになる。おまけ今日「噂の東京マガジン」で、新しい自転車のライトについてやっていた。ご覧になった方も多いだろう。夜、自転車を無灯火で走る人が多い。主な理由は「ペダルが重くなるから」それでは、重くならないようにすればどうすればよいか?その解決法に中学のときに習った、フレミングの法則を利用した会社がある。磁力を利用して光をだす。画期的な発明で、使う人の立場にたっている。しかし、風当たりも強そうだ。
2004年02月22日
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相手に対して「辛い」ことを話した。光があれば、影がある。いいところがあれば、悪いところがある。好調な人がいれば不調な人もいる。私の今日の行動は、やや影の部分。この影の部分という思いつきから、辿っていったら思いもよらぬことに辿り着いた。最後はあくまでも私の推測に過ぎないけれど・・・。一つ一つの事柄は掘り下げていくととりとめもなく深くなってしまう。多分今日の事柄をつきつめると何日あってもたりないので、表面をさらっと流す。「業」という言葉がある。仏教で善悪の行為の意味。脅威では悪い行為を指すようだ。つきつめて考えると、生きているということ自体、悪なのかもしれない。生きるためには植物、動物を食べる=生き物を殺す、ということにつながるから。「悪」か。悪といえば悪魔だよな。悪魔ってどんな意味だ?「神や仏の教えを邪魔する魔物」のことか。ふむふむ。「悪魔主義」っていうのもあるのか。はじめてきいた。代表としてはボードレールっていう人がいるのか、それじゃ、インターネットで検索。「悪の華」っていう詩があるんだ。ボードレールってフランスの人なんだ。なになに、この人はポー、っていう人の影響を受けているのか。ポーってだれだ?「エドガー・アラン・ポー」あれ、どこかで聞いた名だ。推理みたいなことをしているな。エドガー・アラン・ポー、エドガーアランポー、えどがあらんぽー、江戸川乱歩?しえー。昔、怪人二十面相がはやった。私もよく読んだものだ。まさか、江戸川乱歩は「エドガー・アラン・ポー」をもじってつけたのか・・・。今のところ手がかりはこれだけ。直感的に多分そう。予期せぬ出来事であった。
2004年02月20日
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GDP(国内総生産、10~12月期)が、実質で前期(7~9月期)比1.7%増、年率換算では7.0%増と伸び、13年半ぶりの高成長を記録した、とのニュース。設備投資・輸出が伸びたことが背景にあるようだ。ただし、これをどう捉えるか?前期までが異様に落ち込んでいたりしないか?排ガス規制などの特殊要因はないか?適正に分配されているか?春夏秋冬理論に基づき自分なりに歴史を遡ってみると、日本はもうすぐ冬を迎える。もしくはもう冬に入っている。これからが試練のときである、ような気がする。懸念される事項中国の大量消費開始により原材料が高騰する。近隣諸国の技術力向上により、輸出が減少する。モノは必要最低限あればいい、こわれたら修理して使う、身の丈にあった生活をすればいい、輸出が一段落してしまった時の対策を練ったほうがいい。思いつくままに書いてしまったが、浮かれていられないことは確かではないか?
2004年02月18日
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関係会社へ企画書を送った。送ってから約1週間。進行状況を確認するため、電話した。回答「これから見ます、あと2,3件後になります。」2時間後、連絡あり。「なんなんだ、この企画書は。補足資料が足りないじゃないか。」補足資料については、協力してくれている取引先の都合もあり、代替のものをつけて送っておいた。そして、後送しますというメモをつけておいた。一応は代替のもので間に合うはずではあった。「分かった、とりあえず返すから。」返されてはまた倍の時間がかかる。それでは困る。しかし相手が返すと言っている以上、返してもらうほかはない。「ふざけるな、もういい」と逆ギレも可であった。ふざけるな、という思いもあったけれど、ここで逆ギレしてはいままでの努力が水の泡、企画を楽しみにしている人にも迷惑をかける。話しているうちに、「とりあえず、明後日まで預かっておくから」ということになった。もうどうでもいいや、という気持ちと、怒りが交錯していたが、歯を食いしばり、「ありがとうございます。」ということができた。これもこの楽天内で幸せとか元気を分けてもらっているおかげであろうか。ただ、しばらくは感情がうまくコントロールできなかった。その中で、相手がなんでそんな言い方をするのか、を考えていた。そいつもいろいろと苦労しているんだろうな。大変な立場だもんな。その一時間後、「さっきは言い方が悪かった。企画書は通しておくから」という電話。嬉しいことは嬉しいのだが、ちょっと拍子抜けした。「白線流し」で、企画書をごみ箱に捨てられるシーンがあった。私も以前、苦心して書き上げた企画書を投げつけられたことがあるので、気持ちがよく分かる。今思い出しても、怒りに打ち震えるけれども、今日の出来事を通し、自分の成長が確認できてよかったな、と思った。
2004年02月17日
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今日は少し停滞気味だったので何かパーっと明るいことはないか探していたら、この言葉に当たった。春を待ちきれずにあふれ出したきれい色、すなわち、シャーベットオレンジ、フューシャピンク、トマトレッドを取り入れて幸せいっぱいの春気分を満喫しませんか?気分によって好きな色は変わるけど、オレンジ色は結構好きな色である。高校3年のとき、S台の夏期講習に行っていたのだが、グレーなはずの受験勉強の中に、パッと明るいオレンジ色のTシャツを着た女の子がいた。衝撃的であった。何の因果か隣の席になり、話かけた。ほんの数分の出来事であったが、普通に話してくれたことがとても嬉しかったことを覚えている。どんなことを話したのかはほとんど覚えていないのだが、唯一覚えている会話。私「現役の方ですか?」相手「そうです。浪人ですか?」私「一応、現役です・・・・(T_T)」運悪く、同じ夏期講習に悪友がいた。そいつは記憶力抜群でその会話を覚えていて、たまに会うと15年過ぎた今でもその話になる。私の質問の仕方が悪かったような気もするが、いい思い出だ。
2004年02月16日
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たまに食料を調達しにいく。牛乳が安くなっている。つい最近まで2本300円で安いと思っていたのだが、1本127円になっている。安くなるのはありがたいことだが、同時に申し訳ないと思う。製造者は大変なのだろうな、と勝手に想像してしまう。私は、生きていく上で一番大切なのは食料だと思う。食料がどこでも手に入れられる世の中に生まれたことに本当に感謝している。
2004年02月15日
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今、凄く眠い。目の前の世界が揺れている。日記を書いている画面も揺れている。まぶたが自然に下がる~。今、眠れたら幸せだなあ。でも、日記は書きたい。今日は格別何かあったっけ?もう一生、牛丼店で牛丼が食べられなくなるかもしれないので、朝から牛丼を食べたなあ。眠いときはα派が出ているんだっけ。こういうときは想像するチャンスだ。いまのうちになりたい自分とかを思い描いたほうがいいのかも。自分の将来の姿。残された時間もあとわずか。思い残すことはないか。やりたいことはやりきったか。やばい、画面をみながら落ちるところだった。まだ私は生きている。とにかく、私は幸福だ。そして裕福だ。どうしてそうなったのか。昔はいろいろあった。不安なこともたくさんあった。しかし私は遠い星を見つめ続けて、そこに向かって歩き続けた。迷わずに歩き続けていると、世界が開けてきた。まわりの状況も良く見える、世界の流れも見えてくる。流れが見えれば幸せになることは簡単なことだ。みんなが私に協力してくれる。竹やぶがこっちに行けとささやいてくれる。この世の全てが自分の味方である。怖いものは何もない。あとは雄大な自然の流れに身をゆだねるだけである。この上ない至福を手に入れたとき、私は力尽きる。この世に生を受けて本当に良かった。安心して眠れる。おやすみなさい。
2004年02月13日
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夜10時を過ぎた帰り道、塾帰りの中学生10人位とすれ違った。寒いのにみんな元気だ。しかしこの分だと朝はしんどいだろうな、と勝手に想像してしまう。朝起きて学校にいく。学校終わって塾にいく。一人だったら辛そうだけど、仲間がいるから楽しい。中学生だった頃を思い出した。けんかもしたけど、総じて楽しかった。あの頃、みんなはどんな未来を見ていたのだろう?あんなに楽しかった仲間達だったのに、違う方向に進み時が経つにつれて何かしっくり来なくなってしまう。最後に会ってから10年過ぎた。忙しい日常の中で、昔を回想しているのは私ぐらい?回想しても詮無きことなのに。
2004年02月12日
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今日は、建国記念日。「建国をしのび、国を愛する心を養う」日として1966年から祝日となった。愛国心という言葉は好きではないけれど、国を愛する心は持っていたいな、と思う。また、国を誇れる心も持っていたいなと思う。現実的に日本は愛せる国か、誇れる国か?国は誰が作っているんだ?まずは自分を誇れる行動をとろう。
2004年02月11日
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就職・創業フェアに行った。企業説明・就職面接コーナーは半数以上が情報通信関係。いくつかパンフを拝見したが、総じて技術もさることながら、やる気、誠実さ、人間性のある人材を求めていた。SEの友人から聞いた話であるが、納期が迫ってくると徹夜が続いてくるそうだ。しかも膨大な仕事があるので、いくらやってもきりがないとのこと。どんな仕事でも同じかもしれないが。そこには、やる気や誠実さがないと続かない仕事であることは間違いない。コンピュータは今でこそ一家に一台、いや一人一台まで浸透してきたが、1970年代までは組織中心の利用だった。組織中心の利用だった頃は流通性は低い、付加価値は高い。そこから個人中心の利用となった現在は流通性は高い。付加価値は競争で低くなる。商品の流通性の低いものは付加価値が高く、流通性の高いものは付加価値が低くなる。この流れを大判から小判の流れに例えていた、知り合いの社長の話を思い出した。
2004年02月10日
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一日予定がなかったので、少しだけ部屋の片付けをした。最近、新聞に面白い記事が載っていたので、何日か分の新聞を別保管しておいたが、それが散らばってしまっていた。たいして時間もかからないだろうと思ったのだが、結局気になった記事が50片くらいあった。毎日楽しみにしていたのが、ガルブレイスさんの私の履歴書だ。中学生の頃から名前は知っていたが、経済学者であること以外は何も知らなかった。著書の「ゆたかな社会」「新しい産業国家」「不確実性の時代」は、近いうちに読んでみようと思う。切り抜きの中で多かったキーワードは、起業、金融危機、社会的責任、電縁の時代、少子化対策、求人、教育だった。たった今キーワードを拾ってみると、「おいおい、だいぶ現実的なものしか見てないな」と思った。特に意識をしないで、興味をもったものだけ集め、改めて眺めてみると、自分がどんな方向に流れているのか分かる気がした。記事の中で、「森林セラピー研究会、3月設立」という記事があった。森林浴は気分が落ち着いたり、脳梗塞などの治療効果を高めたりする効用があるらしい。森林に行ったイメージをしてみる。青々とした葉っぱ、まっすぐ聳え立つ木々、時折差し込んでくる木漏れ日、小鳥の囀る声、せせらぎ、等等、確かに心が洗われるようだ。はい、現実に帰る。現実的な一つ一つの事柄ばかり見ているのは一本一本の木々しか見ていないようなものだ。森を見る、すなわち大きな流れをつかみ、最終的に何をつかみたいのかを明らかにして、そのために今日どのように過ごすことがベストなのかを考える。そう心がけて生きてみよう。
2004年02月09日
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今日も一日、いきあたりばったり生活をしてしまった。しかし、「必要なときに必要なものと出会う。」という言葉があるように、今日も今の自分に必要だと思われるものにめぐり合った。今日の出会いは「フリーマーケット」。フリーマーケット開催情報があると、どうも行きたくなる。事前に情報を得ていても行けないときもあるが、今日のように特に考えていなくても行けることもあるから不思議なものだ。なぜ、行きたいのか。売っている人が一度は必要とした、もしくは必要と思った商品も含まれているから、掘り出し物があるかもしれない、というのは一つの理由であった。ただ、フリーマーケットの私の中での定義は「不要なものを売ること」だった。今日のフリーマーケットは人出が多く、盛況だったのではないか?一回りしてみたが、圧倒的に服が多い。その他、アクセサリー、ゲーム、本などがつづく。今日売れなかったら、売れるまで出店するのか、再び家に置いておくか、もしくはゴミ化してしまうのだろうか?出店者が「この人楽しそうだな」という表情をしている店の殆どに、売り物の中に目をひくワンポイントがあることに気づいた。
2004年02月08日
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横浜のみなとみらい駅はクイーンズスクエアの地下にある。駅が吹き抜けになっていて、スクエアの2階とか3階から電車が止まっているのを見ることができたので、驚いた。ランドマーク、クイーンズスクエア、インターコンチネンタルホテル等の一帯は形にこだわりがあって、確かに「みらい」的な街を作り出している。また、新高島駅周辺にもこれからビルが建設されていくことだろう。「みらい」的な街を創造した人々は、その将来の姿にワクワクしていたのだろう。そして、製作途上ではあるけれども、既に芸術的な街が創られている現在、夢が現実となり感無量ではなかろうか?昔、世界の四大文明を学んだ。黄河文明、インダス文明、メソポタミア文明、エジプト文明だっただろうか?歴史に残る文明であるから、その時代に生きた人々は、繁栄が永遠に続くと思っていたのだろう。ちなみに、文明とは、「発明、発見の積み重ねにより、生活上の便宜が増すこと」らしい。現在、その繁栄の跡はどうなっているのか。NHK教育テレビで見たのだが、「砂漠」だそうだ。黄河地区では、将来のため植林の動きも出ているとのこと。みなとみらい線や、みなとみらい地区の技術の高さ、そして創り上げた人々の努力は、壮絶さを感じ、頭が下がる思いである。ただ、「凄さ」の裏には、「危うさ」もあることを感じた一日でもあった。
2004年02月07日
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どなって怒る人って、好きじゃない。しかし、怒りは必要な感情であり、そのエネルギーは大変な力をもっている。最近、少しのほほんとし過ぎてたかもしれない、ということを、怒鳴っている人を見て反省した。その証拠に、私の気持ちが動揺してしまった。怒鳴りに気持ちが揺らいだり、屈してしまうということは、甘い証拠である。ただ、子供の頃に怒鳴られてばかりいると、人の顔色ばかり窺ったり、さらに弱いものをたたくような人間になりかねないので気をつけよう。自分が怒鳴られた訳ではないけれども、自分が怒鳴られていると立場を置き換えてみた。相手が感情的になればなるほど、自分は冷静に判断することが必要だ。決して相手と同じように感情的になってはいけない、と思う。怒りを自分なりに分析してみると、1.自分が大切にされていない、と感じている2.怒鳴ればなんとかなる、と思っている3.相手が自分の思うように動かない4.相手がふざけた言葉を吐いた5.相手を改善させるために怒る等となる。また、怒鳴ってある程度吐き出す人は、その後、話せば分かるかもしれない。しかし、怒りを少しずつ吐き出すひとはいつまでもいつまでもグチグチいうので性質が悪い。できれば巡りあいたくないものだが、今後、怒りにめぐり合った時は、自分なりに考えて、成長の糧にしていこう。
2004年02月05日
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電車で寝過ごしてしまった。どうしても100回に1回くらいは寝過ごしてしまうようである。以前、「プラス思考になる」セミナーを受けていた友人にこのことを話したことがある。プラス思考で考えるとどうか、と聞いたら、「いつもは見ない景色が見られて良かったじゃん、ていう感じ」という答えが返ってきた。今日寝過ごした意味を考えてみた。まず思い浮かんだ言葉は「過ぎたるは猶及ばざるが如し」であった。しかし、これって何か違う。次に「すごろく」。ゴールにぴたりと止まるまでは過ぎた数だけ戻る。チャレンジしていればそのうちゴールにたどりつく。そうこうしているうちに、他の人がゴールにたどり着いてしまう。一体、誰がこんなルール思いついたんだ?特に何も起こることなく、家に着いた。「ジャボーン」と布団に飛び込む。ふと、昔の記憶が蘇る。小学生低学年の頃、「ふとんかいすいよく」という本が課題図書になった。布団の中で泳いだ経験のある人も多いだろう。この本が私の読書の始まりであると言っても過言ではない。一度記憶が蘇ると他にも記憶が蘇る。こんなことを思い出すなんてアホだなあ、と思っていたら「アホちゃいまんねん、パーデンネン」という明石家さんまが出てきた。どうしてこんな連想をするのだろう、と思っていたら、「檀さん、大和田さん、檀さん」の「連想ゲーム」を思い出した。思考が跳ぶ、跳ぶ。変な一日だった。疲れているのか?
2004年02月04日
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ソラで語れるおとぎ話はいくつかあるけれど、代表の一つとして桃太郎についての疑問を書いてみたくなった。なぜ桃太郎なのか?みかん太郎とか、林檎太郎とか、梨太郎・・・、やめた、やっぱり桃太郎は語呂がいい。桃太郎は桃が先か、桃太郎が先か?桃太郎が入っていた桃は、実はタイムマシンだったのではないか?桃太郎はなぜ桃に入っていたのか?山に芝生は生えているのか?芝刈りとは芝生を刈ることではなく草刈りのことか?おばあさんはどうやって桃を家まで持って帰ったのか?犬と猿はなんとなく分かるけど、鳥はどうして「雉」なのか?動物はどうしてきびだんごを欲しがったのか?桃太郎一味は鬼に対しどんな作戦で挑んだのか?鬼は退治されたあと、どうしたのか?
2004年02月03日
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一日経ってから分かることもある。今日は神田昌典先生の「告白」を読んだ。新聞広告に出ていたときから「これだ!」と思い、絶対に買おうと思っていた。この本を読んで、10回くらい泣いた。最近自分に子供の頃の感受性が戻ってきているような気がする。簡単に言うとこの本は、ある起業家とメンター・家族・社員のやりとり、そして企業の成長の物語である。今までの神田先生の本には、成長カーブが必ず出てくる。しかし、このカーブはマイナスになることはない。今回の本もそうだった。スキル面からいくと、おそらくスキルが落ちることはないから、これは「真」である。しかし、資金面でいうと現状よりも低くなるのでマイナスになることがあるし、現に本の中でも貯蓄が底をつくようになっている。何かを始めた途端に急降下していくのは、とても不安なんだろうな。私にはまだ経験がないので、計り知れないことである。そして昨日のフォーラムで唯一、その部分を語った方が、このことを「デス・バレー」という言葉で説明していた。「デス・バレー」というのは、「篩い」みたいなもので、そこで本気かどうかを見極める「試金石」という気がする。「登竜門」とも言えるかな。私にも近い将来この関門が必ずくる。それまでにどこまで自分の志を磨き上げられるかが勝負である。
2004年02月01日
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