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<紀伊国屋文左衛門>-----#342 「其方は何時から其処に居ったかな」 「四半刻に御座います」 「何、其方、女子か・・・忍びかな」 「いいえ、御家人の妻で御座います」 「して、御家人の妻女殿が紀伊国屋に何用ですかな」 「流石は文左衛門殿で御座います、噂に違わず肝が座っておりますな」 「身体を起こしても良いかのぉ」 「宜しゅう御座いますが、単筒はご勘弁願います、其方様も手が無くなるのはお嫌で御座いましょう」 「・・・儂の手を斬ると言うか、しかし、何故に単筒を知っておるのかな」 「其方様の落ち着きは剣技に信があるからでは御座いますまい、と言いたい処ですが、一昨日より其方様を探っておりましたので御座います」 「そうで在ったか、儂も少しは剣術を修行した身じゃが、其方の気が感じられぬ、其方の仲間がおっても解らぬと言う事かのぉ」 「はい、私は気を消す事が出来ます、例え真剣の立ち合いでも気を出しませぬ、また、剣技の下位の者は上位の者の技量は解りませぬ、技量が解るのは己よりも下位の者のみで御座います」 「其方は女子じゃが儂よりも剣技が上と言う事かな」 「その様で御座います、ましてや材木商に剣技は要りますまい」 「何の、何の、この様な眼に合うでな、己の身は己で守れぬとのぉ」 「用心棒を六人も抱えておっても役には立ちませぬな」 「儂は用心棒の選び方を間違えた様だのぉ、其方、儂に仕えぬかな」 「私の旦那様は御家人と申しました」 「もしやして、近くに其方の御亭主が居られるのか」 「良うお判りですね」 「おぉ、其方はもしやして・・・橘佐紀殿ではないのか、亭主は龍一郎殿ではないのか」 「はい、私は橘佐紀で御座います」 「おぉ、お二人にお会いしたいと思うておりました、見目麗しいとの噂のお顔を拝顔させて下され」 佐紀は障子を通して差し込む月光の中に顔を晒した。 「おぉ、・・・噂以上の麗しいお姿で御座います、忝い、四十八歳にして天上界に参った様です」 「褒め殺して何となさいますな」 「嘘や戯言ではない、本にお美しいお方で御座います、おぉ、何処に居られるかは知らねど、お許しくだされ、御亭主の龍一郎殿、其方にもお会いしたいと思うておりました」 「私たちに何を望まれますでしょうか」 「はい、私が耳にした処によれば銚子の始末も浦安の始末も奉行所の手柄では無うて其方様方の仕事とか、もしやして、私もお弟子にして頂けぬかと存じましてな」 「おや、まぁ、沢山の用心棒では本に満足出来ませぬか」 「今、まさにこの様な時の為にと申しました、もしも、私が聞いた通りに銚子も浦安も其方らの仕事で在れば、私も力に成れると思う、いや、力に成らせて貰いたい、如何かな」 「もし、その仕事が我らとして、其方様は何の力になりますでしょうか」 「私には町名主と町年寄りとの繋がりが御座います、江戸の町名主の皆とは言いませぬが、三人の町年寄りとは懇意にして御座います、また、街の噂、裏話を集める力にもなろうかと思います」 「町名主は存じておりますが、町年寄りは存じませぬ、三人と申されましたな、どの様な任の方で、何方で御座いましょう」 「ご存じないのも最もで御座いますよ、長屋住まいの町人は大家と繋がりを持ち、名主さえも知らぬ者もおります。 商家も中小では名主しか知りません、逆にお上、幕府は町年寄りにお触れ書きを渡しますので名主を知りませぬ。 お触れなどを町年寄りが町名主に指示し、町名主が町民に伝えるのです。 ですから、殆どの町民は町年寄りを知りません、その名前も知らないのが常で、その存在さえも知らぬと思います」 「三人と申されましたな、名と住まいはどちらで御座いましょう」 「奈良屋・舘市右衛門様、樽屋藤左衛門様、喜多村彦右衛門様のお三方で御座います、住まいは三名ともに日本橋で御座います」 「そのお三方がこの広い江戸の全域の総取締りなのですか」 「左様で御座います、武家屋敷に囲まれ、屋敷も武家屋敷で御座いますれば、皆がご存じ無いのも無理からぬ事で御座いますよ」 「奈良屋で御座いますか・・・材木商に奈良屋と言う店もありましたなぁ」 「はい、紅都に奈良屋は二店御座います、ですが何の繋がりも御座いませぬ」 「貴重な御指南、ありがとう御座います。ですが、我らが繋ぎを持つのは其方よりもそのお三方かも知れませぬな」 「そんな殺生な、お佐紀様~」 「ほぉ、ほぉ、ほぉ、要約にも文左衛門殿が慌てましたな、ご安心なされ、戯言で御座いますよ。 其方様が三人をお知らせ下されました、そのご指南は大事に御座います」 「ほぉ~、安心致しました、お仲間に加えて頂けますか、町年寄りにお会いになりますか、仲間になさいますか」 「仲間に加わるには理が御座います、一つ、悪事を働かぬ事、一つ、我らの秘密を漏らさぬ事、これは仲間以外と我々の話をしない事です、一つ、これから渡す物を見られぬ事、一つ、我々との契りを第一にする事です。 約定できますか」 「渡す物とは何ですかな、それにも寄りますが、他は約定致しましょう」 「奉行所にて攻めを受けた刻にも約定を守れますでしょうか」 「うむ~、石を抱かされたでは、うむ~、自信は無いのぉ~」 佐紀が両の手を横に出し暫くすると、その両の手に黒い塊と白い塊が落ちて来た。 文左衛門は天井を見上げたが、何時もと変わりは無かった。 「これは重しと晒に御座います、剣技上達には体力、気が要ります。 寝る刻以外は重しを腰と手首、足首に巻き、お過ごし下さい、身体に力が着きます。 他の方に見られぬ様に重しの上に晒を巻いて下さい。 その重しに慣れましたなら重しを増やします。剣技上達は道場にお出で頂ければ基より教授致しましょう」 「これで私もお仲間ですかな」 「仮りのお仲間で御座います、後は其方様の行い次第で御座います」 「・・・承知致しました。道場へ明日にも、お伺いしても宜しいでしょうか」 「構いませぬ」 「お願い申します」 門左衛門が頭を垂れ戻した刻には、佐紀の姿が消えていた。 「儂は夢を見ていたのか・・・いや、重しがある・・・うむ、重い物だのぉ~、これを着けてか・・・良し」 文左衛門は早速、重しを着け晒を巻き、部屋の中で歩き回った。 「うむ~、少々動き難いのぉ~」 翌日、文左衛門は駕籠にも乗らず、用心棒を連れず一人で宣言通りに道場に現れ、剣術の基を学び、帰宅途中で武具屋に寄り竹刀と木刀を買った。 <参考>----------(紀伊国屋 文左衛門)--------------------------------紀伊国屋 文左衛門(きのくにや ぶんざえもん)、寛文9年〈1669年〉? - 享保19年4月24日〈1734年5月26日?〉は、日本の江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」(きぶん)と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしない等、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。 ------------------------------------------------------------------------------’ <つづく>
2026.01.29
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<四宿の頭 千住編>-----#341 千住大橋・北側の千住宿の北組にある「勝専寺(しょうせんじ)」の門前を二人の大男が歩いていた。 「さて、双角、千住は其方と儂のどちらが仕切りますかな」 「修行の行き返りに通っておった、儂に任せてくれまいか、慈恩」 「良かろう、其方に任せる、それで、何故に勝専寺へ参ったかな」 「な~に、この近隣の寺社仏閣で一番賑わう処だからの事でな」 「となると、近隣の一番の香具師が仕切っておるかな」 「そう思うておる」 「では、儂は裏方に回るで、暫しのさらばじゃ」 「願う」 慈恩が双角の側から離れて行った。 双角が参道の店道に入ると直ぐに店子と渡世人風の男が揉めていた。 双角は側に寄り話を聞いた。 「だから言ってるだろうが、てめいの店はよう、先月分の店賃を払っていねいんだよ」 「だから儂も言うておろうが、確かにお前さんの処の手先にきっちり払ったってよ」 「だから店賃は儂の手に集まるはずが、おめいの店の分を手にしてねいんだよ、一体うちの誰に払ったね」 「始めて見る顔だったんで、ちゃんと聞いていますよ、留吉さんでした」 「おい、おい、これで解ったぜ、悪いがよ、うちに留吉なんて言う奴はいねいぜ、とっつぁんよ、お前さん、騙されなすった様だねぇ~」 「三次さん、俺はどうすりゃ~良いんだよぉ~」 「本来ならよ、もう一度払って貰う処だがよ、とっつぁんが嘘を言っちゃ~いないと思うからよ、今回は無しで良いぜ」 「有難い、どうして嘘で無いと思うんだね」 「実はよ、騙されたのは、とっつぁんだけじゃねいのさ、他にも二店あってな、儂らの落ち度でもあらぁな」 「ちくしょう、何者だ、捕まえたかね、三次さんよ」 「それが、まだなんだ、また、そいつが来やがったら知らせてくんな」 「解ったぜ、三次さん」 「頼んだぜ」 双角は店先の品物を選ぶ様子で二人の会話を聞いていた。 「親父殿、今の兄さんは何処の者ですかな」 「へい、口入屋の三国屋さんの番頭さんですよ」 「なかなかに話の解るお方の様ですな」 「へい、三次さんと申しますが、三次さんは真っ当な方ですが、此処だけの話、親分がしみったれでしてね、困ったもんです、三次さんが親分ならね、詮無い話で御座いますがな」 「はい、内緒の内緒ですな」 「お願いしますよ」 「承った」 今日の双角の姿・形は武士で、何処かの藩の中級武士に見えた。 双角が参道を奥へ進むと先程の三次が他の店の主と思しき男と話しているのを見つけた。 双角はまたも店先に立ち、品定めの振りをして二人の話に聞き入った。 「三次さん、偽もんの手下は見つかったかい、留吉って言ったかね」 「悪いな、まだだ、捕まえちゃいない」 「余計なことだがね、捕まえたらどうするつもりかね、半殺しに叩きのめすかね、殺すかね」 「まだ決めちゃいないね、どうすれば良いと思うかね、騙された本人の親父さん」 「騙されたと知った時にゃ~、殺してやりたいと思ったがね、考えりゃ~、店賃一回分だ、三次さんに任せるよ」 「ありがとうよ、親父さん」 「捕まえたら、そいつに会わせてくれるんだろう、確かめないとな」 「あぁ、確かめてほしいね、そん時ゃ~頼むぜ」 「よっしゃ、引き受けた」 「じゃあな、おやっさん」 「あぁ、またな」 三次は参道をまた奥へと歩いて行った。 双角の隣に大男が立った。 「双角、どうも三次と言う男は信用できそうだ、私の思い付きなのだが、どうも今の親分の評判が良く無い。 そこで三次を親分にしては、と思うのだが、今の処だが、どう思うね」 「私もそれを考えていた、本当に今の親分が悪い人か確かめてからだな」 「あぁ、その時は三次を仲間にするかどうかだな」 「あいつなら資格はあるだろうな、誠実そうで鍛錬にもきっと耐えるだろう」 二人の両側に同じ顔の武家娘が現れた。 「葉月殿、龍一郎様に会うたおりに一家の代貸しを跡取りにして良いかと確かめて下され」 「承知致しました」 二人の娘が店から離れて行った。 「さて、儂はもう暫く、あの男の跡を着けてみる、警護を良しなに」 「承知」 慈恩が店から離れ、双角も店から離れ参道の奥へと三次の跡を追った。 双角が三次に眼を止めた時、右の店から「三次さん」と声が掛かった。 三次が「何ですね」と声を掛けた女の店に向かった。 「三次さん、今し方、店賃を、私が店賃を渡した男が通り過ぎたんですよ」 「どっちに行ったね、年恰好は、見分けはありますかい」 「丁度、三次さんと年恰好も同じだったよ、奥の方へ向かったよ」 「ありがとうよ」 三次が奥へと速足で向かい、双角が跡を追った。 三次はきょろきょろと回りを見ながら奥へと向かっていたが参道を過ぎ、本堂前の広場に出た。 三次は、そこに三次と同じ様に法被を着ていて、年恰好の似た男を見つけた。 男は与太者と渡世人らしい男と三人で話し込んでいた。 三次は三人に近づき声を掛けた。 「留吉さん、留吉さんですよね」 「あぁ~ん、何だ、てめいはよ」 「留吉、何もんだ、こいつは、知り合いか」 「知らねいな」 「留吉さん、以前と違って随分荒っぽい言葉ですね」 「しゃらくせいや、てめいなんぞ知らねいぜ、何の様だ」 「三軒の店から預かった店賃を返して頂きたいのですよ」 「何だと~、てめいは何もんだ」 「へい、私はね、この辺りの守り役・三国屋の番頭と言うか、代貸しでしてな」 「何だと、三国屋だって~」 「おい、不味いぜ、留吉よ」 「こいつは一人だ、こっちは三人だ、とっとと畳んで逃げるぜ」 「そうだな」 三人は三次を囲む様に散らばり懐から刃物を取り出した。 「しまった、お前さんが、ここまで荒っぽい奴とは思わなかったな」 「悔やんでも、もう遅いぜ」 留吉の仲間がドスを腰溜めにして三次に突っ込んで行った。 反対側からも留吉の仲間が刃物を腰溜めにして突っ込んでいて、三次の逃げ道は無かった。 その時、何処からか大きな男が現れ三次を後に放り投げ突っ込んで来た二人の頬を張り倒した。 叩かれた二人は吹っ飛び気を失ってしまった。 「大丈夫かな、三次殿」 「ありがとうよ、助かったぜ、お侍、あっしをご存じですかい」 「三国屋の代貸しと聞いたがな」 「へい、以前はその名でしたが、番頭と呼ばせる様にしております」 「何故かな」 「渡世人では無く、唯の町人に成りたくてですよ」 「良い心がけじゃ、処で、三次殿、留吉さんをどう致しますかな、留吉、動くで無い」 逃げようとする留吉を双角が刀に手を掛け呼び止めた。 「店賃を返して貰って、骨の二、三本もおりますかな、其方がやるか、某がやってしんぜ様か」 「何故にお侍は助けて下さるので御座いますか」 「悪い奴を懲らしめるに町人も武士もあるまい」 「へい、おっしゃる通りで御座います」 双角の姿が一瞬、揺らめいたと見えたら、次の瞬間には手に巾着を持っていた。 「おお、こ奴五両も持っておるぞ、店賃は幾らかな」 「へい、迷惑料の含めて一両頂きたいものですな」 慈恩は巾着から一両を抜き取り三次に渡し、巾着を留吉に放り投げた。 留吉が投げられた巾着を受け取った途端に「ぎゃ~」と悲鳴を上げた。 右腕の上腕が可笑しな方向に向いていた、双角が骨を折ったのである。 「留吉、良く聞け、此度は一本で許す、次回は二本、その次は痛みを感じぬ様に致す」 双角は暗に三度目は殺すと告げていた。 「お侍、其方様は唯の武家とも思われませんな」 「某を其方の一家の用心棒に雇わぬか、どうじゃな」 「其方様が直参か陪臣かは存じませぬが、解りませぬが、主様の許しは宜しいので御座いますか」 「副業と思うてくれぬか」 「お武家様が副業で御座いますか、それも用心棒の副業で御座いますか、何とも」 「武士もなかなかに懐が寂しいでな」 「親分が決める事で御座いますが、あっしが説き伏せますで、これからご一緒に如何ですかな」 「良しなな願う、留吉の仲間の二人の腕も折っておいたで、それで良かろうかな」 「おぉ、何から何まで念の行った始末で忝のう御座います、二人は気を失って悲鳴も上げませぬな」 二人は参道を戻り、歩きながら三次は三軒の店に寄り、留吉を対峙した事を告げ迷惑料を渡した。 「三次殿、其方は渡世人とも思えぬ御仁じゃな」 「何がで御座いましょう」 「いや、良い、其方に取っては当たり前の行いなのであろう」 三次は参道を出て直ぐ近くの口入屋と看板が掛かった店に双角を案内した。 「戻ったぜ」 三次は敷居を跨ぎ店に入り声を掛けた。 「ご苦労様でした」 「お帰りなさいまし」 店の若者たちの声に迎えられた。 「このお方は客人だ、親分は奥にいるな」 「へい、おいでです」 「良し、店を頼むぜ」 「今日の客はどうだ」 「へい、今日は浪人が多い様ですぜ」 「また、どっかの藩が潰されたのか、お上も銭を出し惜しむのも良いが浪人が増えるぜ」 三次はぼやきながら奥へと双角を連れて行った。 三次は居間の前で声を掛けた。 「親分、土産だ」 「土産、土産とは何だ」 「このお侍ですぁ、店賃を騙し取っていた留吉って奴を見つけましたぜ、銭も取り戻しました。 留吉と二人の仲間の腕の骨を叩き折ってくれたのが、こちらのお侍でさぁ」 「おぉ、そりぁ良い知らせじゃわい」 「それで、このお侍に用心棒になって貰いますぜ」 「駄目だ、銭が掛かる」 「何言ってるんですかい、どっかの一家が手を出して来た時の安心料と思やぁ安いもんですぜ」 「幾ら出すんだ」 「お侍、月二両でどうですね」 「良かろう」 「と言う事でお侍の本業の無い時にゃあ、店に居て貰いやすぜ」 「お侍、しっかりと銭の分は働いてくれよ」 「承知した」 「お侍、台所で何か口に入れませんかい、茶にしますかい」 「頂こう」 「こっちです」 三次は台所に入り女衆に声を掛けた。 「茶を頼むぜ、あぁ、それとよ、このお侍が身内になったからよ、出入りする様になるぜ、宜しくな。 お侍、名をまだ聞いて無かったな」 「某の名はそうよな、双角とでも呼んでくれぬか」 「双角ですかい、何だか坊さんの名みたいですな、良うがす、双角さんと呼ばせて貰います、双角さん、飯は要りませんかい」 「儂は腹っ減らしでな、何時でも腹が減っておる」 「へい、双角さんに飯を頼むぜ、菜は何だ」 「焼いた秋刀魚でどうですじゃろか」 「おぉ、焼き秋刀魚か、儂も食べる、二人分にしてくれ」 「はいよ」 「双角様、直参か、陪臣か位は教えてくれませんかい」 「それを聞いて、其方の某への接し方が替わるのかな」 「いいえ、唯の好奇心で御座いますよ」 「ならば、聞かなかった事に致そう」 「良う御座います、街でお会い致しましたおりには知らぬ振りを致します、宜しいですな」 「そう願う」 女衆が茶と飯と煮物と漬物を二人分持って来て二人の前に置いた。 「秋刀魚が焼けたら持って来るでな」 「おぉ、頼むぜ」 「但し、某の役目柄、武家の形(なり)とは限らぬぞ、心しておけ」 「双角様は探索方ですかい、大変な仕事で御座いますな」 「たつきを得るのはどの様なものでも難しいものであろう、其方の稼業も楽ではあるまい」 「へい、良くご存じで」 「処で、この店の屋号は何と言うな、親分の名は何と言うのかな」 「へい、越後屋と申します、何処の街にもある越後屋で御座います。 この千住にも宿屋、染物屋、呉服屋と御座います、親分は又八と申します」 「越後屋又八か、何やら、そぐわぬのぉ・・・越後屋三次の方が語呂が良いのではないかな」 「・・・あっしに仕切れと申されますか」 「親分は町人の評判が良く無い、其方は町人の受けが良いでな、守り役は町人の信が無ければならぬ」 「へい、此処だけの話で御座いますが、親分には何度も言っておるのですが、改めませんでね。 あっしの言葉が気に入らないのか、逆に酷くなります。 最近は手下からの不満も出ております、なんやかやと理由を付けて手下に折檻を致しますのでね」 「親分は別邸を持っておるかな」 「へい、深川に御座います、妾を住まわせております、女将さんは居りません、一昨年に病で亡くなりまして、妾を女将にすればと申しておるのですがね、たまに会うから良いのだ、と申しましてね」 「何とも身勝手な心根ですな、又八親分には隠居して頂きましょう、其方が跡目です。 但し、親分と言う呼び名は良くない、頭取と変えなさい、代貸しも良く無い、番頭か頭にしなされ」 「私が跡目ですか・・・」 「其方に着いて来ない手下がおりますか」 「いいえ、皆、私に着いて来るでしょう」 「では、善は急げと申す」 双角は立ち上がり三次が立ち上がるのを待ち、又八親分の居間に入った。 「どうしたな、お侍」 「其方、町人の評判が宜しく無い、故に隠居しなされ、妾のおる深川へ行きなされ」 「何だと~、おい、三次、てめいの差し金か」 「又八、三次殿の差し金ではない、某の案じゃ、大人しく隠居せよ。 然(さ)もなくば、手足の骨を叩き折って運ばれる事に成る、どちらを選びますかな」 「おい、三次、てめいの親分が痛めつけると言われてんだ、何とかしろ」 「・・・」 「てめい・・・お~い、誰かいねいか~」 又八親分の大声の呼ぶ声にあちこちから手下が現れた。 「おい、てめいら、三次が裏切りやがった、俺に隠居しろと吐しやがった、こいつらを畳んじまえ」 皆が三次と親分を交互に見て動かなかった。 「どうした、早くやれ、親分の儂の言う事が聞けねいのか」 三次の腹心と思しい男が一歩前に出て言った。 「一家の親分は鬱憤晴らしに手下に折檻をして良いもんですかねぇ~。 町人の守り役の親分が町人に嫌われるもんですかい」 「てめい、何が言いたいんだ、てめいもか、おい、誰かこいつらを叩き出せ」 手下たち全員が三次と腹心の男を見つめ、動こうとしなかった。 「てめいら~、皆出ていきやがれ」 「出て行くのは又八親分、其方の方だ、其方の日頃の行いが悪い、身から出た錆と言う事じゃな」 「ちくしょう、嫌だ、嫌だ、儂は出ていかんぞ」 「では、手足の骨を砕き運ぶ事にします、銭は贅沢が出来ぬが生きられる分は差し上げよう」 「骨を折るのは勘弁してくれ~」 又八は両手を合わせて拝む様に懇願した。 だが、次の瞬間、用心の為に何時も左に置いているドスの鞘を払い双角に突きかかった。 だが、双角は慌てる事も無く一歩下がると手刀で上腕を叩き「ボキ」と音を響かせ骨を折った。 部屋に又八の痛みに耐える悲鳴が響き、手下たちは双角から一歩、二歩と遠ざかった。 「ぎゃ~、ぎゃ~と煩い奴だ」 双角がそう言うと又八の首筋に優しく手刀を打って眠らせた。 「皆、良く聞け、今日只今より、親分は三次殿だ、但し、親分と言うてはならぬ。 今日からは与太者の集まりでは無い、呼び名は頭取とせよ、正業の口入屋を勤め、参道近辺の守り役に勤めよ。某か某の仲間が刻に見回る故、悪さを致するで無い、又八と同じ眼に合うと心せよ、其方が三次殿の腹心であろう、其方が代貸しじゃ、但し、呼び名は頭とせよ、良いな、解ったならば参道の見回りに参れ」 双角の怖い姿を見せられ逆らう事も無く、皆は見回りに外へ出て行った。 「三次殿、又八の妾の処を聞こう」 三次は妾の深川の処番地を双角に告げた。 「三次頭取、其方の後見に我らがなる、これから言う事を其方だけの秘密とせよ、我らは江戸の安寧を願う者たちの集まりで御座る、其方は橘道場を存じておるか」 「はい、先の天覧試合で勝者と次席を占めた鍛錬所で御座います、まさか、其方様は橘の鍛錬所の方ですか」 「そうじゃ、儂は橘道場の者だ、其方の後見に橘道場がなる、但し、悪行をせぬ限りじゃ、困り事が在れば橘道場に知らせよ、どうじゃ、我らに組するかな」 「はい、ぜひにも、お仲間に加えて下され、お願い致します」 「我々の仲間になるには理があります、誠実、正直、我らの仲間と漏らさぬ事、身体と心を鍛錬する心根のある事、こちらからの頼みがあった刻には無理をせず、己の身を守るを第一とする事、己の身の危機は仲間の危機に繋がるからに御座る、それと重しを着けている事を見つからない様にする事。約定出来るかな」 「最後の重しとは何でしょう、それ以外は約定致します」 双角がもろ肌脱ぎになり腹の晒を見せて晒を取り下の黒く巻いた物を巻き取り三次に渡した。 「何ですか、おぉ、重い、これが重しですか、これを着けていたのですか」 「この重しは初心者の重しでは無い、其方にはもう少し軽い物から始めるのが宜しい」 双角は重しを戻して貰うと一部を外しまた渡した。 「これが初心者用ですか、それでも、この重さですか」 双角は手首と足首の晒と重しを外し、三次に渡した。 「凄いですね、これを全て着けて動いておられたのですね、凄い、凄いです」 手首と足首の重しから一部を外し三次に渡し、腰と手と足の晒に渡した。 「この晒を巻いて重しを着けているのを解らない様にするのですね」 「そうです、決して他の人に見つからない様にして下さい、その重しを着ける事が我らの仲間入りの証の手始めです」 「手始めですか」 「左様、其方の心持ち、続くかどうか、其方が悪行に走らぬかを見ます、宜しいですか」 「解りました、精進致します」 「うむ、其方が続く事を願っております、では、某は此れにて失礼致す、さらば」 双角が三次の前から消えた。 三次は暫く、放心していたが、突然思い出した様に着物を脱ぎ腰に重しを着け晒を巻いて、手首と足首にも重しを着け晒を巻き着物を着て他の人から解らないかを確かめた。 そこへ見回りに行っていた皆が戻って来た。 「代貸し」 「ばかやろう、代貸しじゃねい、頭取だ、頭取と呼べ」 三次の腹心が叱った。 「そう言う、頭取も言葉使いを丁寧にした方が良いですぜ」 「へい、いえ、はい、直しますです。処で、皆、座ってくれ、皆で今後、どうするかを話そうか」 皆が三次を真ん中にして車座に座り話し合いが始まった。 天井裏で双角と慈恩が聞いていた。 「双角、以外とすんなり行きましたな、千住は三次に任せて良かろう」 「余りにもすんなりと行き過ぎて怖いのぉ、次はそうは行くまい」 「次は板橋にしよう、今度は儂が表じゃ、影護衛を願う」 「承知」 「ここの護衛は要らぬかな」 「二、三日、様子を見ようではないか」 「うむ、それが良かろう」 「そうと決まれば、腹拵えに参ろうか」 「承知」 双角と慈恩の二人は口入屋・越後屋から立ち去り、街外れの「めし・酒」と書かれた提灯が掲げられた店に入り食事をした、但し、二人では無く、葉月と弥生の二人も一緒だった。 四人は大いに眼だっていた、大男二人、そのうえ美形のそれも同じ顔の二人の娘が一緒だからだった。 双角が三次と食べた焼き秋刀魚が美味しかったと語り、四人は焼き秋刀魚を願った。 「双角様、慈恩様、私たちは屋根の上におりましたので詳しくは存じません、お教え下さいな」 「葉月様、弥生様、事の他上手く事が進みました。代貸しが危ない処を助けました」 「はい、そこは見ておりましたので存じております」 「用心棒に雇って頂くと言う事で店に入り込めました」 「はい、そこも見ておりました」 「親分が嫌われ者でしてな、町人に嫌われ、一家の手下たちにも嫌われておりました、そこで思い切って町人と手下たちにも人気のある代貸しを親分の後釜に据える事とし親分を排除しました、親分が止める事を嫌がり、私に襲い掛かりましたので腕の骨を折り気を失わせました。親分は深川に妾を囲っておるのでな、そちらへ運んで貰った」 「運んで貰ったとは、何方にで御座いますか」 「おや、其方らは気づかなんだか、三郎太殿とお有殿に願った」 「えぇ、お二人が居られたのですか、気が付きませんでした」 「其方らは屋根の上であったからのぉ、天井裏から軽く気を出してくれたで、儂にも解った。そうで無ければ解らぬ」 「その気も感じませんでした、修行が足りませぬね、弥生」 「はい、お姉様」 「三次殿が新たな親分じゃ、やくざ者から口入屋と真面目な香具師の元締めになって貰うとの思いで、親分と呼ばずに頭取と呼ぶように願った。代貸しを頭か番頭と呼ぶように願った」 「それは良い考えかと存じます、三次殿を我らの仲間になさいましたか」 「おぉ、良う解ったのぉ、重しも渡して参った」 「次は何処になさいますか」 「うむ、慈恩殿とも話合うたが、板橋になる、今度は表が慈恩殿で影が儂じゃ、だが、ここに二、三日は留まり三次殿の影護衛をと思うて御座る」 「では、私共姉妹は一度道場に戻り、三日後に板橋に参ります、宜しいでしょうか」 「うむ、うむ、板橋に着いたなら、何時もの様に気で知らせて下され」 「承知しました、では、三日後に、此処のお勘定を宜しいでしょうか」 「勿論じゃ、龍一郎様にたっぷりと貰ろうておるでな、三日後にまた会おうぞ」 「そうじゃ、某の重しの初心者分を渡したで、板橋で会うた刻に貰いたいのぉ」 「はい、承知致しました」 葉月と弥生が皆の視線を浴びながら店を後にした。 <参考>-----(秋刀魚)----------------------------------------------------- 将軍・徳川吉宗の時代(1716~1745年)には、秋刀魚(サンマ)はすでに食されていました。 ただし、現代とは少し異なる扱われ方をしていました。 ・吉宗の時代の秋刀魚 ・食用と燃料の両方で利用 ・吉宗の時代にあたる江戸時代中期以降、秋刀魚漁が盛んになり、庶民の食材として定着しました。 しかし、秋刀魚の脂は、食材としてだけでなく、燃料としても貴重でした。高価な菜種油の代わりに、 安価な秋刀魚の油を行灯(あんどん)の燃料として用いていました。 ・「下魚(げぎょ)」としての秋刀魚 ・当時の秋刀魚は、武士のような身分の高い人々が食べる魚ではなく、「下魚」と見なされていました。 ・高級な魚ではなかったため、庶民の間で食べられていたようです。 ------------------------------------------------------------------------------’ <つづく>
2026.01.03
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