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南無妙法蓮華経と彫ってある、神道のお墓の様な石塔です。その横にあるのは先に紹介した、素朴な石仏ですが、この石塔は何の意味を持っているのでしょうか。はじめてみる石塔です。
2010年10月30日
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墓地の中にある、太子堂です。随分と荒れていますが、何故、墓地の中にあるのでしょうか? この中で気に成ったのが、燭台です。取っ手が付いた燭台を見たのは、初めてです。洒落た燭台ですね。
2010年10月30日
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手にしている物は、如意宝珠でしょうか、大変素朴な舟形後背の地蔵様です。
2010年10月30日
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没年に天と書いてあります。正面上部の屋根には、Aの文字を思わせる、二重に成った三角形の山が彫ってあります。キリシタン墓碑の特徴を、堂々と揃えてある墓碑です。 この地方も、島原の乱で全滅したことに成っていますが、キリシタンの慣習を残す墓碑が、多いように思われます。もしかしたら、歴史が間違っているか、島原の乱の後に入植してきた人たちも、やはりキリシタンでは無かったのかと、思えてなりません。もしかしたら私の先祖も、熊本からの入植者と言い伝えられていますが、熊本のキリシタンだったかもしれません。 それに、気に成ったのが、嶽南さんの紹介して居られる、松平家のお墓です。http://plaza.rakuten.co.jp/gakunan/diary/200907190000/#commentお墓の正面の図柄が、キリシタン墓碑の図柄に似ていませんか?私の気のせいでしょうか?
2010年10月29日
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今も残っている、このお宅の慣習でしょうか。正面に、月と太陽が彫られています。この地方でもあまり見ない、文様です。
2010年10月27日
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上部に、おそらく霊の文字であろう文字が彫ってありますが、何故か下半分が綺麗に削ってあり、雨の文字に成っています。 何故この様にしなければ成らなかったのか、意味が分かりません。ちなみに、この周りの墓碑には、キリシタン墓碑であろう墓碑が、沢山残っています。 中には、比較的新しい墓碑にも、キリシタン墓碑の特徴が残っているようです。慣習化しているのでしょうね。しかし、今ではその意味を理解している住民が、居るのかが問題です。
2010年10月27日
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墓碑の屋根正面に、巾着の彫ってある墓碑です。巾着の線香立ての在った墓所にありました。他の墓所では見かけない、珍しい彫りものです。
2010年10月26日
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前回紹介した、お墓です。より分かりやすいように、写真を撮り直してきました。一番上の部分の丸い模様は、菊の模様にようでした。細か過ぎて、分かりづらく成っています。 ついでに、変わった線香立も、その墓地にあったので紹介します。
2010年10月25日
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少し変った、線香立てです。線香立てが、なぜか巾着の形をしています。不思議に思い調べてみましたら、聖天様に関係ある事が分りました。聖天様とは大聖歓喜天の事だそうです。 聖天様の御利益を端的に表したものが、巾着や大根に表れるのだそうです。大根は身体を丈夫にし、巾着は財宝で商売繁盛の御利益があるのだそうです。 聖天様と聞いて、何か不思議な気がしましたが、この墓地の近くのお寺ではない、同じ村のお寺の横に、その聖天さんが祀ってある事を、そのお寺の方のブログで知りました。自治会の方々と一緒に、お祭りをされるそうです。 それに、このお墓の家紋(下の写真)ですが、二つ並べて彫られてあります。一つは、「丸に剣片喰」、もう一つは分りませんでした。その上には、これも気のせいか、ωのような模様に見えます。 この墓地には、他にも屋根の前面に、巾着が彫ってある墓碑や、「丸に違い丁子」に似た大根の家紋、ハートを思わせる「丸に剣片喰」の家紋、十字を思わせる「丸に四方剣花菱」の家紋を彫ってある墓碑、等がありました。 聖天様、気になる響きですね。
2010年10月24日
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一般に十字墓と言われるものの様ですが、私には、お墓のように思えません。私は、お墓の守り神ではないかと考えるからです。 長崎県のお墓には、墓碑の隣に、土神様が祭られている所が多いようです。土という字は、十字架が立てられている状態に、非常に似ています。私の独断と偏見に満ちた考えでは、キリシタンの多かった長崎県では、禁教下で仏教形式の墓碑を造り、その横に土神様としてお祭りする事で、キリシタンの墓である事を、表したのではないかと考えています。それが慣習化して、キリシタンで無い人のお墓にまで、土神様が祀られるようになったのではないでしょうか。 下の写真の、十字墓らしきものが祀られている所に、普通のお墓では、土神様が祀られて居る場所です。 それにしても、このお墓の水鉢の文様とこの写真では分からないと思いますが、上の方に彫られている蔓模様の真ん中の花菱紋様が他のお墓にも多用されている事も、気に成るところです。おそらく、花菱紋様や蔓紋様が、お墓の文様として定着しているのでしょうね。
2010年10月23日
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この、お墓の変わっている所は、焼香台に蝶と思われる、模様が彫ってあると事です。比較的新しい お墓ですが、他にも変わっていると思うのが、水鉢の下の形で、山形に彫り込んであるものを、あまり見た事が有りません。それと花立の模様も、変わっていると感じます。普通ならば、蓮の花などが彫ってあるものが多いのですが、この花立には、松に鶴です。しかしその松の葉が、普通と違って星形に彫ってあります。 ここで感じる事なのですが、受胎告知と蝶との関係です。
2010年10月22日
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これらの墓碑には、いずれも戒名の彫っていない墓碑の様です。一面平面で、文字を削った様には見えませんでした。一説では、お墓参りに行く時に、戒名を書いた紙を持って行き、墓石に張り付けて、お参りした後には剥がして持って帰るとも、何かの本で見たように思います。他の墓所にも、やはり、同じような無文字墓碑が有りました。左側の二基は、底辺が広く、上辺が狭くなっている、沢山ある妻切形の墓碑の中でも、あまり見かけない少し変わった墓碑です。 また、下の写真は、上の写真の右側の墓碑です。見やすいように、少し大きくしてみました。
2010年10月20日
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このお墓は、古い形のお墓ではないかと思われます。今の様に、戒名を書いた墓碑が出来たのは、江戸時代に成ってからだと、お聞きしました。 このお墓は、墓碑の代わりに、目印に成る石が置いてあるだけです。中央の目印に成る石を囲むように、小石で結界の様に丸く囲んであり、まるで、ストーンサークルの様ですね。 このようなお墓が、あちら、こちらに残っています。下にも、似たようなお墓の写真を載せておきます。
2010年10月20日
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お墓の正面の、花立が変わった形をしています。上から見ると、何か十字架を想像してしまいます。 それに家紋でしょうが、これも私の気のせいでしょうか?十字架を意識しているように見えます。 比較的新しいお墓で、横に没年を彫ってありますが、明治後期の没年です。私の見た墓碑の範囲では、没年に天の彫ってあるお墓で、一番新しいのではないでしょうか。上の写真の横に、没年だけトリミングしたものを、載せております。 こうしてみると、この地区では宗教に関係なく、昔の慣習や意匠が使われているようにも感じます。島原半島地区は、お殿様の都合で、ある時はキリスト教、ある時は仏教、又、民間信仰まで混じり合い、宗教がはっきりしていなかったようにも、思えて来ました。あるお寺の墓所に、古い卵型のお墓が有りましたが、その墓碑の没年が、天の文字に成っていました。お寺も神社も時の政権の都合で、振り回されていたように思えてなりません。庶民ならば、なおさらの事でしょうね。しかし、一回教わったものは、その時の宗教や宗派に関係なく、その家や、その村の慣習として残っているようです。 ある墓所などは、江戸時代はキリシタンの遺物に成る様な仏式のお墓が立てられ、明治に成ってからは、神道のお墓に変わっていた所が有りました。しかし、その神道のお墓にも、キリシタンを思わせる、千の字が刻まれていました。それでも、どう考えても今は仏教徒だとしか思えません。 私の知っている、新しいお墓は、キリスト教徒の人のお墓だったのでしょうが、お墓の形は仏教形式です。しかし、きちんと洗礼名と十字架が彫ってありました。本人の意向とは関係なく、立派な仏式の墓碑の形をとってありました。島原半島では、宗教がごちゃまぜに成っているようにしか、思えなくなってきました。
2010年10月19日
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この地蔵さんも、子安地蔵では無いのでしょうか?キリシタンと関係ありそうです。
2010年10月16日
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一度首がおとされたものがセメントで付けてあります。 この地蔵さんの変わったところは、数珠の様なものを両手で持っている事です。普通は数珠の場合は、縦に垂れている物の様ですが、この地蔵さまは、横に持っています。そして気に成るのが、左手の形ですが、掌に何か隠し持っているようにも見えます。もしかして、数珠じゃないものかもしれません。
2010年10月15日
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この墓碑の屋根は、Ωの文字に似てはいないでしょうか?このような形をした墓碑が、ほかの墓地にも多数あります。 この墓碑の特徴ですが、戒名の上には丸に菊の文様、没年には天と彫られています。
2010年10月14日
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六地蔵であるかと思ってよく見てみたら、何と五地蔵に成っていました。後ろの一面には、なにも彫って無かったのです。 しかし、奇妙な事に、地蔵さんの彫ってある中の、一つの地蔵さんの下に、カタカナでイエとだけ文字が彫ってあります。しかも、その文字は、悪戯等で彫った文字では無いようです。綺麗にノミで彫ってあるものでした。
2010年10月12日
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この無縁墓碑は、入植者の墓碑ではないのでしょうか。 生国肥州高来郡、本国野州河内と成っています。 下野州とは栃木県付近で有り、下野州を単に野州とも言うそうです。そこで、下野州河内を調べてみると、現在の宇都宮地方と成っていました。 そこでこの墓碑から考えられる事は、元々は宇都宮周辺に住んでいた人が、島原半島に移り住み、その方の子孫が、ここに葬られたのではないかと思いました。私の祖先も、熊本県の山奥から移住してきたように伝えられていますが、今はその事を知る末裔は、私くらいしか居ないのではないでしょうか。近年マスコミ等の発達で、世界中の情報が入ってくる代わりに、地元の歴史が語り継がれる機会が失われてきているようです。おそらく、あと何十年かすれば、家系の歴史や地域の歴史は消えてしまう事でしょう。只、慣習だけは、今も残っているようですが、これも、廃れていく傾向にある様です。しかし、その残っている慣習の意味を理解している人が、今の時点で何%居るか分かりませんが、それも、やがて消えて無くなるでしょう。墓碑などには、歴史が刻まれています。その墓碑も新しく造り変えられ、昔の事が闇の中に包まれてしまう事でしょう。 歴史は、これまでにも色々と研究されていますが、残されている書物には、いずれも勝者に都合の良い歴史に成っているように思います。敗者の歴史も総合してこそ、本当の歴史が見えてくると感じ、出来るだけ、今在るものを今後の手掛かりに成る様に、写真にでも残していきたいと思っています。 最後に成りますが、この墓碑のある墓地から わりと近い墓地に古い墓碑を集め、一族が何処から入植してきたかを後世に残す為に、その家系が何時何処から入植してきたのかを説明文を記してある、真新しい供養塔が建てられている所が有りました。
2010年10月12日
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前回紹介した墓地とは違う村にあった、子安地蔵ではないかと思われる地蔵様です。 この地蔵さんの足元にも、天使と見られる子供が彫ってあります。 やはり、この地蔵さんも、マリア像を模したものではないのでしょうか。ちなみに、この村も、歴史上では村全体の半分の人が、島原の乱に参加したと伝えられている村です。キリシタンでなかった人ばかりが残っていては、この様な石仏は存在しないでしょう。転んだことに成って居ながら、堂々と、この様な石仏が存在すること自体、キリシタンであっても、時の行政に逆らいさへしなければ、見て見ぬふりをした可能性が大いにある様です。 歴史を再評価する必要が有るようですね。
2010年10月11日
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美しい子安観音ですが、新しい物の様には思えません。何処かに祀ってあったか、土の中に埋もれていたかではないでしょうか。それにしても美術品の様な、この石仏には、石工の腕の良さを感じずにはいられません。 舟形後背の形、丸い輪の中には菊が描かれていて、周りを蔓で飾ってあります。そしてイエスと思われる子供を抱いて、足元には、天使と思われる子供が3人。最も注目すべきは、胸にかけてあるクルスを思わせるネックレスです。下にある、そのアップ写真をみれば、クルスである事がはっきりと分かると思います。
2010年10月10日
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この墓碑らしい物は、無縁墓碑が寄せてある所にあったものです。台の下にも墓碑が有りますが、鶏の墓碑らしき物とは関係ないようです。 この鶏が、蓮華の上に乗っている事には、何か意味が有るのでしょうね。おそらく墓碑だろうと思うのですが、なぜ鶏なのか分かりません。 誰か、ご存知の方は、教えて貰えませんか?
2010年10月08日
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元キリシタンだった人は転んだと言っても、その方の心の中をのぞき見る事は出来ません。ひそかに信仰心を胸の内に秘められ、それが、代々その家の慣習として残った可能性が有るように、色んなお墓を見ているうちに感じるようになりました。したがって、その末裔の方々は、先祖がキリシタンだった事さえ知らないまま、寺の檀家であるから、自分たちは仏教徒であると思っていたのかもしれません。しかし、その家の慣習だけは、神様として残っていた可能性が有るようです。もちろん江戸時代までは、神仏習合の習慣が有ったので、墓碑も神仏習合の墓碑が出来たのではないでしょうか。私の写真の中に、今もきれいに祀ってある逆さ卍の彫られた、新しい立派な墓碑が有りました。逆さ卍はキリシタンの関係物に刻まれているそうですが、この墓碑もその関係の墓碑でしょうか。今回、紹介した墓碑ですが、出来ればこの墓碑が、キリシタンの流れをくむ墓碑で有るのか、皆さんの感想を頂けないでしょうか。もしキリシタン関係の墓碑ならば、この墓碑のどのような所が、キリシタン墓碑の特徴であるか、お教えくだされば幸いです。まだ、この趣味を始めたばかりなので、知らない事ばかりです。宜しくお願いします。下の写真は、墓石の部分のアップです。
2010年10月07日
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前回紹介した、八坂神社の近くの墓地にある墓碑です。 八坂神社にあったものに似ている、小さな石造物が有りました。何の為のものか分かりません。 右側の墓碑も同じ墓地にありましたが、没年の下に天の文字が刻んであります。この墓碑も、おそらくキリシタン墓碑ではないかと思いますが、間違いでしょうか。
2010年10月05日
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この牛頭天王の前に置いてある燭台は、仏教で使う燭台と違うように思いますが、もしかして、キリシタンの遺物では無いのかなと思います。どなたか、ご存知の方は、教えて頂けないでしょうか。この牛頭天王の祀ってある、八坂神社にあったものですが、どう見ても神道や仏教で使う燭台では無い様な気がします。材料は鉄製で蝋燭三本立ての物で、かなり大きな蝋燭用の燭台です。この辺りの墓地にもキリシタン墓碑らしきものが幾らかあるようですが、何らかの繋がりが有るのではないでしょうか。それに、左側においてある、小さな石製の模様の入った物も何だか分かりません。この様な所に置いてあるのですから、宗教に関係した、何らかの意味のある物だと思います。
2010年10月05日
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前回紹介した、有家セミナリオ跡の説明板と、その中の一つ、かまぼこ型墓碑です。この墓碑には、綺麗な十字が彫り込んであります。
2010年10月03日
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上の写真の墓碑群は、有家セミナリオ跡のキリシタン墓碑群ですが、国道に面しているので、車の中からでも見えます。このキリシタン墓碑の中には、かまぼこ型の十字の彫ってある墓碑と、何も彫って無い墓碑が有りますが、何も彫って無い墓碑は、六角形をしているように思えます。他にも六角形をした、何も彫って無いキリシタン墓碑が、雲仙市小浜町飛子にも有りますが、キリシタンと六角形には、何か関係があるのでしょうか。ご存知の方のご指導をお願いします。
2010年10月03日
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丸い台座に据えてある、気品ある観音様だと思いますが、首の部分が修復してあるように思います。それに手に持っている物が何なのか、これも壊されいるようでわかりません。 この美しい観音様の気になる所が、額の上のティアラの様にも見える紋様です。菊の花を彫ってあるように思えますが、もしかして、これもキリシタン関係の観音様では無いのでしょうか。
2010年10月02日
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上の燈籠には、横窓の部分に、桃の様な形の窓が開けられています。今までにあまり見たことの無い、不思議な燈籠だと思います。又、燈籠の上の部分に、菊の花の様な紋様が彫ってあるのも、気になりますね。下の写真は、頭部のアップ写真です。菊の紋様らしきものが分かるでしょうか。
2010年10月01日
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