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千里川沿いとは、手が届くほどの距離で着陸する飛行機を「感じられる」、大阪国際空港そばの絶景スポットのこと。教官A 「何やってるんだ! 馬鹿もん!」教官B 「進歩がないねえ、君は・・・。」教官C 「ゴルァ! アホゥ! ボケィ!」かつて訓練生時代、ぶっちゃけそういうストレスを感じたら、何度もバディと一緒に足を運んだところです。ついでに「身体中に付きまとって離れない慢性的な将来への不安」も、その爆音とブラストに吹っ飛ばさせたりと、青春の真似事をしていた場所でもあります。さて一日中おもちゃ片手に、「ひこーきー♪ ぱぱぶ~ん♪」と大騒ぎの我が子は当然喜ぶに違いないと、ミニ旅行を兼ねて連れて行ったのですが。。。「・・・こわぃ・・・うるしゃぃ。」工エエェェ(´д`)ェェエエ工ここはね、パパがね、苦労してたときね、しょっちゅうね、こうしてね、飛行機見ながらね、etc...子供はやっぱり正直です、大人でさえびっくりするほどの迫力ですから。ところで、訓練生を卒業して初めて訪れるこの場所で気付いたのは、「何も変わっていなかった」ということです。10年前と同じ景色と、10年前と同じように青春の真似事をする自分。その爆音とブラストは、ストレスと不安を吹っ飛ばしてくれます。我が子もいつか、それが解る日がくるでしょう。写真・・・シャッターチャンスは、実はあと2秒後。ブログトップへ
Apr 25, 2009
大抵の男は、己の風貌の良し悪し(通常は「悪し」の方が多いらしい)を遥か彼方にぶっ飛ばして、まずは格好から入ろうとします。サングラス!私の場合はこれでした。思い起こせば、生まれて初めて飛行機を操縦したその日も、精一杯背伸びして一流と呼ばれる一部のパイロット様御用達のブランド品をかけていました。それから5年・10年が経過し、この間にRandolph、Oakley、Police、Ray-Ban・・・。とっかえひっかえ、ずいぶんと投資したものです。ついブランド品に手が伸びてしまうのは、値段が高いから大切に使っていこうという愛着心と、わずかばかりの見栄心が働くからでしょうか?そしてそんな愛着心や見栄心も空しく、残念ながらそれらは今、すべてガラクタとなって果てました。決してぶっきらぼうに扱ってたわけじゃありません。どんなに大事にしていたって、壊れるものは壊れるのです。どれほど愛着心が深かろうと、形あるものはすべて、いつかは手元から消えていく運命にあるようです。宗教くさい言い方ですが、世の中にあふれる品々は、すべて消耗品の域を出ないのかもしれません。昨日通販で届いた新しい相棒は、3900円。Zero-Visionという名の、限りなくノーブランドの匂いがする安モノで、値段だけ見ると今までの足元にも及びません。それでも希望するスペックをクリアしているどころか、ブランド品以上の使い勝手さも期待できて、頼りになりそうです。もしかすると、歴代でこいつが一番長生きするかも。写真・・・新しいサングラスと、新しいクルータグ。パイロットも会社にとっては、使い捨ての消耗品なのかもしれない。ブログトップへ
Apr 18, 2009
強烈な個性を秘めた芸術作品には、誰も侵す事の出来ない、独特のオーラがあります。古くから人間が芸術に逃避する理由は、そのオーラが神がかり的なものだからこそ。心の焦りに拍車をかけられたり、それこそ脳幹にまで染み込んで、自分が正しいと信じ続けた行動パターンまでが全否定された時、そうした無力感と欲求を昇華させる対象こそが芸術、、、なのかもしれません。まさに今日の私の気分そのもの。強烈な個性をもって、芸術を生み出す人たちがうらやましい。誰にも干渉されず、何事にも揺らぐことなく、とことん自己表現が許されるその世界が。写真・・・先週に続いて「ナバテア」を読んでみる。「僕は、空で生きているわけではない。空の底に沈んでいる。ここで生きているんだ。」ブログトップへ
Apr 11, 2009
「私の授業なんて馬鹿馬鹿しくて聞いてられないってこと? どうなの?」理由なき反抗、そう言うほど格好いいものじゃない。退屈だから。ただそれだけのこと。その生涯の終わりなのか、新たな使命を帯びて生まれ変わろうとする過程なのか、、、残念ながらそういう感傷に一切浸ることもなく、ヒラヒラとこぼれる落ち葉の行方を追いかける、ただそれだけの時間と何がどう違うのだろう。入学して半年経ったら、こんな気分になる。だから少し位からかってやらないと、こっちの気持ちまでヒラヒラして落ち着けない。「ライロン! (Right on! : その通り!)」薄ら笑いを浮かべる生徒と、眉間と視線が固まる先生。なんて気持ちのいいアシンメトリーだろうか。教壇に立って30年! なのにこのベテラン英語教師とは、気の利いたキャッチボールはできそうもない。誰しもがそう過ごしたに違いないけど、その頃の自分は、今以上に精一杯、大人のフリをしてた。後先も考えられないくせに。「先生も読めばいいよ。」煙草と茶菓子の混ざった匂い、職員室の隅っこで差し出したのは、原文そのまま英語で書かれた、ディケンズのクリスマスキャロル。授業中もパラパラと行間を探り続けた、純文学との出会いの本だった。(「回顧短編」より。自著・もちろん未公開)かつての5インチフロッピー全盛期から、パソコンを買い換える度にちゃんとこの短編集も引越しさせているのですが、10代の文章とはいえ、今読み返したら生意気なくせに下手っぴな作文ですねえ、無駄な比喩も目立つし、一生懸命無理して書いてる感じがします。この出来事があった頃の私は、運動も苦手で自己主張も下手、己の見てくれまで無頓着。そうくれば当然いじめられるし、キモいという言葉で片付けられる、とるに足らない13歳でした。そして自分が周りから遮断された存在であると気が付いたその頃、文学少年がある一大決心をするのです。「生きることの意義と、死ぬことの意味を追求すること。」です。青臭さいって言われても(当時はある意味今以上の大人だった)、これをひとつのストーリーにしたいなって思ったのです。テーマが壮大過ぎますね。どんなにインスピレーションが降り注ごうが、一晩二晩で書き上げられる訳も無く、もし出来たとしてもその内容は、ちょうどこのブログのように、薄っぺらい戯言になりそうです。というわけで、構想が積み上がったと思えば崩壊し、組み立て終わったと思ったら分解される、そんなこんなを繰り返して20年が経ちました。20代の後半になってやっと文章として起こしはじめ、5年かけて書き綴ったストーリーが、先日一応のクランクアップを終えました。この調子だと、推敲を重ねて完成するまで、まだまだ時間がかかりそうです。写真・・・今になって、スカイクロラを読んでみる。「真っ黒な澄んだ瞳。その中に、空がある。そこへ堕ちていけるような。」(純文学の香りがする当シリーズより。)ブログトップへ
Apr 3, 2009
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