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俺、少し前まではいろんなもんをズルズルと引きずりながら歩いてたような氣がする。「あれもしたいし、これもしたい、どうしよう・・・」「これはもう捨てようかな、どうしよう・・・」「あの人、今ごろ元気かな、連絡しようかな、どうしよう・・・」「これやんなきゃな~、どうしよう・・・」頭ではいろんなことを考えるんやけど、結局何の意思決定もできずにズルズル~ずるずると、思いばっかを引きずって歩いてた。(そりゃ重いはず!)だから人生「パッ」としなかった。いつもどこかでウジウジしてた。自分が強くなったら、意思決定が的確に、しかも早くできるもんやと思ってた。実績や経験を積んで、自信が付いてこそ、決断力が優れていくもんやと思ってた。だから自信が付くまで、重たい荷物を引きずりながら歩いていかなあかんと思ってた。自信が付くのを待ってみた。ずっとずっと待ってみた。自信満々で、決断できる日がくるのを、まだか、まだかと待ってみた。でも、待てど暮らせど、なかなか来ない。相変わらず、意思決定できずに、「いつか決めようリスト」の項目増えるばかり。「いつか決めようリスト」。。。もうパンパンだ。こんなにも溜まってしまうとどうにもならない。そんなことを考えていると、ふとこんな言葉が頭をよぎった。「“いつか決めようリスト”って、ひょっとして“夢叶わないリスト”?」「あぁ~~~~~~~、そうなんだ!」自信が付いてから決めればいいやと思って残していたことが増えに増えて、結局、処理しきれないほどの量になっている。この行為そのものが、夢を叶えられない人の典型的な行動パターンであることにようやく氣が付いた。「危なかったぁ~~~~~~~~!でも氣付いて良かった。。このままいってれば、死ぬ寸前まで何も叶えられずに過ごすとこだった。いやいや氣付いて良かった良かった、ツイてる、ツイてる!」あなたは何を決めきれずに、何を引きずって歩いてますか?あなたが歩いてきた足跡は、軽快ですか?いつまで、そのいろんな荷物を引きずって歩いていきますか?今、ここで決断できなきゃ、ずっと決断できない。なぜなら、決断力は、決断によってのみ磨かれるから。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.30
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成長とは変化すること。考えられなかったことが、考えられるようになること。感動できなかったことが、感動できるようになること。理解できなかったことが、理解できるようになること。執着していたものが、手放せるようになること。気付かなかったことが、気付けるようになること。見落としていたものが、見落とさないようになること。継続できなかったことが、継続できるようになること。譲れなかったことが、譲れるようになること。笑えなかったことが、笑い飛ばせるようになること。許せなかったことが、許せるようになること。さらけ出せなかったことが、さらけ出せるようになること。言葉にできなかったことが、言葉にできるようになること。人の気持ちをわかろうとしなかったことが、わかろうとするようになること。認めてあげれなかったことが、認めてあげられるようになること。挑戦できなかったことが、挑戦できるようになること。優しくできなかったことが、優しくできるようになること。思いやれなかったことが、思いやれるようになること。包み込めなかったことが、包み込めるようになること。愛せなかったことが、愛せるようになること。生きていれば、経験が増える。人間はさまざまな出来事に出逢うたびに、いろんなことを感じる。感じたことを大切にしよう。自分から湧き起こった想いだから。きっとそれが神様からのメッセージ。。。成長できないことなんて、何ひとつない。思考も感性も 感情も愛情も 思いやりも心も 常に進化し 成長する!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.29
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考えてるだけやのに、やったような氣になって、満足して、また違うことを思って、考えて、そしてまたやったような氣になって・・・を繰り返す。そんな人っておるよな。。思ってるだけじゃあかん。考えてるだけじゃあかん。思いつくだけじゃあかん。どれもこれもやったことにはならん。思ってるだけじゃ状況をかえることはできん。会社の会議って、そんな無駄なことの繰り返しかも知れん。例えば、『顧客満足を高めるために○○をしたい』と提案すると『確かにアイデアはいいかも知れないけど、でも○○というリスクも考えられるな』と誰かが意見・反論する。『でもそれを実行しないことには顧客は離れていく一方だから・・・』とまた自分の提案を正当化する。するとまた『でも、それをするとこっちが・・・』なんていう話が出てくる始末。で結局、何も決まらずにモチベーションがフェードアウトする。なんて無駄なやり取りだろう・・・夢や目標に対しても、同じことをしている人がいる。『語り満足症候群・・・』夢を熱く語って満足してしまう人たち。「こんなことしたいよね~」「こんなことしようと思ってるんだ~」「こんなのがあればきっと世の中変わるよね~」と散々語って、それ以上のリスクを背負おうとしないタイプ。『思考満足症候群・・・』思考力はあるけど行動力がない人たち。このタイプの人は話がとても複雑。語り合っても話は複雑になるばかり。理由は、架空の話しかできないから。それに引き換え、『直感行動人間』は話がとてもシンプル。なぜなら、行動したことによって起きた事実しか話さないから。「こんなこと思いついたから、早速昨日やってみた。するとこんな結果が現れた」「行動していたら、後からこんな感情が湧き起こってきた」ってな具合に。語るだけで行動しない『語り満足症候群』や、考えるだけで行動しない『思考満足症候群』になってはいけない。どんなに立派なことを考えても、どんなに立派なことを語っても、行動しなきゃやってないのも同じこと。さぁ、今日は歴史に何を刻む?とにかく最初の一歩を踏み出そう!勇氣を持って!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.28
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昨日は月に一度のお楽しみの『感動ライブ塾』に行ってきた。感動ライブ塾とは『幸せな宝地図であなたの夢がかなう』の著者、望月俊孝さんが主催されているセミナーだ!「10年経っても忘れない感動のセミナー」と題し、毎回違う講師の方が感動のお話を披露してくださる。昨日の講師は、楽天でもおなじみのよびりんさんだった。よびりんさんの究極は『あっほ~~~~~~~!』だ。昨日は『あっほ~~~~~~~!』の真髄を見た。学びの多い一日だった。ツイてるファシリテーターさん、あゆみさん、だいすさん、あっちゃん、ありがとうございました!最近、いろいろな成功者の方々のお話を聴いていて思うことがある。やはり、思考は確実に現実化するということ。目標を書き出し、そして楽しさを追求しながら、それに向かって行動していく。すると、叶わぬ夢はない。私の人生を振り返ってみても、それは実感できる。今の自分は、思ったとおりにしかなっていない。それ以上でも、それ以下でもなく、寸分違わぬ形で自分のイメージどおりになっている。難しいことじゃない。その事実を受け入れ、行動を変えた者だけが実感できる。疑わず、行動できる素直な人間で良かった。心の底から、そう思う。さぁ今日も、素敵な奇跡の一日にしよう!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.28
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「ジャンケンしよう!」って言われると、「よ~し、見てろよ絶対に負けてやる!」なんて思う人はまずいない。カケッコもそう、パチンコもそう、腕相撲もそう、何でも負けようと思ってやる人はいない。必ず、勝ちたいという気持ちが無意識に働く。生まれてから今日まで、競争社会の教育を刷り込まれてきたからなのか、それとも動物的本能からなのか。でも、どうせやるならやっぱり「勝ちたい!」と思う。なぜなら、負けると悔しいから。一概には言えないが、多くの人が同じように考えるだろう。勝負ごとには負けたくない、やるなら勝ちたい・・・と。ただ、「勝ちたい」と思うのは誰にでもできること。「勝ちたい」という意欲は誰にでもある。大切なのはそこから先だ。スポーツでも仕事でも「勝つ」ためには徹底した「準備」が必要だ。練習も準備だし、作戦会議も準備だ。勝つために事前に準備をすることが、どれだけできるかが勝敗の分かれ目になる。例えば、学校でも会社でもいいが、レポートの提出を義務付けられたとしよう。「努力の先取り」をする人は、提出期日よりもかなり余裕を持って完成させることができる。当然、周囲からの評価も高い。それに引き換え「後追いの苦労」しかできない人は、提出期日を過ぎてもまだ完成できない。叱られながらやっとの思いで仕上げるが、評価はかなり低い。期日前に余裕を持ってレポートを仕上げるのも、期日が過ぎて叱られながらレポートを仕上げるのも、レポートを仕上げるという行為に必要なエネルギーは同じはずだ。なのに、評価が全然違ってくる。ならば、後追いの苦労よりも、先取りの努力をしていこう!もっともっと準備に力を入れていけば、必ず成功できるから。勝つ意欲は誰にでもある。大切なのは勝つために準備する意欲だ。さぁ、今日から一週間、素敵な奇跡が起こり続けます!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.26
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「人に良く思われたい」という欲求は誰にでもある。でも、どちらかと言うと「人に悪く思われたくない」という欲求の方が上回る。なぜなら人間は、快楽を求めるよりも痛みを避ける方を優先するから。たとえば、遊園地に行く計画をしていたとする。だが、前日から急に歯がズキンズキンと痛くなりだした。夜も眠れないくらい痛い。さぁ、この状況で遊園地に行く人はどの程度いるのだろう。痛みは快楽では解消されない。どんなに楽しくても、どんなに気持ちのいいことでも、痛みを和らげることはできない。ストレスもそれは同じ。「ストレス発散」とは、スポーツや買い物、遊びなど、自分の好きなことをして一時的に気持ちの中からパァッと散らすことを言う。まさに「発散」だ。でも、正直これは、一時の氣休めにしかならず、ストレスそのものがなくなるわけじゃない。本当は「ストレス解消」をしたいのだろう。ストレスを「解消」するためには、ストレスの根源と向き合わなければいけない。自分にとって楽しいことをいくらしていても、ストレスが「解消」されることはあり得ないのだ。仕事のストレスは、仕事でしか解消できない。人間関係のストレスは、人間関係でしか解消できない。私はそう思う。もしくは、ストレスの根源そのものから離れるかだ。ストレスそのものの解消にはならなくても、ストレスそのものから離れてしまえば、自分にとってだけは解消したことになるのかもしれない。ただ、環境を変えても、また似たような環境が待っている可能性はある。そこは神まかせだ。ならば、やはり闘いたい。向き合う勇氣、闘う氣力、このふたつがあるなら必ず「解消」できるから。今日も素敵な一日を!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.26
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さぁ、いよいよアメリカに発つ手続きをはじめなければ。。前半はサンフランシスコでホームステイし、語学学校に行って言葉を学ぶ。3~4ヶ月後、ニューヨークがそろそろ暖かくなる頃にニューヨークに渡り、友達をつくってルームシェアしたい。先週から、読書普及協会でご縁をいただいたブロスナンさんのお誘いで、朝6時から赤坂で行なわれている『赤坂倫理法人会モーニングセミナー』に参加している。昨日も海外に行くことをたまたま会長にお話したら、ニューヨークにも関係者が居て、その人を頼っていけばいいと言っていただいた。ありがたい、ありがたい、ご縁に感謝!仕事での悩みを解消すべく読書からすべては始まった。読書によって俺の人生が変わり始めたと言っても過言ではない。ナポレオンヒル、マーフィー、ポールジェイマイヤー、ジェームズアレン、オグマンディーノ、松下幸之助、稲盛和夫、中島薫、神田昌典、本田健、斉藤ひとり、望月俊孝、遠藤励起、佳川奈未、などなどそして、読書普及協会の理事長、清水克衛!(いつもお世話になってます!)いろんな本から学びを得た。去年の6月、夢や願望を洗いざらいノートに書き出した。8月、てんつくマンの『奇跡は路上に落ちている』を読んで、8月28日に路上詩人デビューした。11月23日、読書普及協会千葉支部のイベントに初参加、ここから急激にご縁が広がり始めた。12月13日、楽天ブログを書き始めた。更に加速してご縁は広がり始め、読書普及協会の副理事長、岡安師匠の開催されている『ゆめのたまご』で初公演をさせていただき、カフェギャラリーLotus・Lotus横川さんとのご縁で『いたる初個展』も開かせてもらっている。なんて素晴らしいのだろう!あの日、ノートに書き出した『夢』は加速的に叶い始めている。今、1年間のアメリカ生活でたくらんでいることを書き出そうとしている。機会があれば、ブログでアファーメーションしたい。では、素敵な週末を!クリックしてね!ありがとうございます!<ご連絡>現在、個展をさせていただいているんですが、打ち上げをします。同時に、カオンさんのコンサートをしていただけることになりました!もし、ご興味のある方は下記までお問い合わせください。人数に制限があるかもしれないので、直感行動で今すぐ!「いたるのブログで参加受付してました」と言ってくださいな。 2005年7月2日(土)笛の音 打つ響き の 宇宙の花 愛の路上詩人「いたる初個展」打ち上げコンサート&ミニパーティ 場所・カフェ&ギャラリーLOTUS*LOTUS 東京都江東区三好3-3-9 三つ目通り沿い、東京都現代美術館前) 【地下鉄半蔵門線、大江戸線「清澄白河駅」下車】 (お客様の人数によっては会場が変更になる場合があります) 時間:コンサート午後6時半より パーティ午後7時半頃より 料金:3000円(コンサートとパーティ参加費) *軽食とお飲み物の御用意をしております。 差し入れ大歓迎です! 【演奏:甲斐いつろう、甲斐カオン】 お問い合わせ:03-5620-5959
2005.06.25
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人間の生活は、自給自足⇒物々交換⇒対価交換になった。今や資本主義が当たり前、そんな感覚の中で生きている。生まれた時から、「お金」で必要なものを買っている世の中。生活をするために「お金」を稼ぐ。「お金」を稼ぐために仕事をする。「お金」がなければ生活は圧迫される。だから、たくさん稼ごうとする。あればあるほど生活が良くなると信じて。自営業、サラリーマン、OL、上司から認められるために、お客さんから認められるために、仕事の質を上げ、量をこなし、自分のフィールドをしっかりと固めていく。一般社員は主任に、主任は係長に、係長は課長に、課長は次長に、次長は部長に、部長は常務に、専務に、そしていずれは社長に・・・上を目指す者もいれば、そうじゃない者もいるだろうけど、仕事上の立場ってものが、皆それぞれにあるはずだ。一度、手に入れた立場を守るために懸命に働く。立場を守るために意見を言う。立場を守るために部下や後輩を指導・育成する。立場を守るため・・・そう、いつの間にか「立場を守るため」に仕事をしている。人生のための仕事のはずが、仕事のための人生になっている。それが、人生の本質を見失うマジック。。。多くの人が、マジックにかかったまま生きている。マジックにかかっていることすら認識できずに。(まほでしさんもビックリ!)自分がかかってしまったマジックを解き放とう。種明かしを知れば、同じマジックには二度とかからないから。ステージや周囲の雰囲気にのまれないで、しっかりと生きていこう!クリックしてね!ありがとうございます!<ご連絡>現在、個展をさせていただいているんですが、打ち上げをします。同時に、カオンさんのコンサートをしていただけることになりました!もし、ご興味のある方は下記までお問い合わせください。人数に制限があるかもしれないので、直感行動で今すぐ!「いたるのブログで参加受付してました」と言ってくださいな。 2005年7月2日(土)笛の音 打つ響き の 宇宙の花 愛の路上詩人「いたる初個展」打ち上げコンサート&ミニパーティ 場所・カフェ&ギャラリーLOTUS*LOTUS 東京都江東区三好3-3-9 三つ目通り沿い、東京都現代美術館前) 【地下鉄半蔵門線、大江戸線「清澄白河駅」下車】 (お客様の人数によっては会場が変更になる場合があります) 時間:コンサート午後6時半より パーティ午後7時半頃より 料金:3000円(コンサートとパーティ参加費) *軽食とお飲み物の御用意をしております。 差し入れ大歓迎です! 【演奏:甲斐いつろう、甲斐カオン】 お問い合わせ:03-5620-5959
2005.06.23
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『愛』というテーマは永遠。こんなにも尊いものはないだろう。日々、懸命に生きているが「愛」についてはまだまだ語れない。何が真実なのか。。「愛」って何なのか。。。ふと3日前のことを思い出した。昼休み、会社の近くの蕎麦屋さんに行った帰りのこと。何気なく歩いているとワイシャツのお腹のあたりに何かくっついているのに気が付いた。立ち止まって見てみると、ななっなんとっ!てんとう虫だった。てんとう虫はテコテコと歩いていた。俺の「おーい、何してるんや」という呼びかけを無視してテコテコと人のワイシャツの上を歩いている。指で触ってもみても飛び立つ気配またっくなし。そのまま会社に連れて帰っても危険なので、道路の脇に立ち止まってそうっと優しくテコテコと歩いているてんとう虫を指先に導き、目に付いた葉っぱの上に乗せてやった。相変わらず警戒する気配まったくなし。テコテコと歩き続けていた。これも「愛」?またふと浮かんだ。「あいだみつを」の詩に、『やさしさという名のおせっかい、そっとしておく思いやり』(だったかな?)というのがある。「人に何かをしてあげよう」と思っても、それが良いことなのか、そうでないことなのかは、相手によって違ってくる。もし、「人に何かをしてあげたい」というのが「愛」と言うなら、「愛」がおせっかいになる可能性があるということなのか。「愛」がおせっかい・・・間違っても「愛」がおせっかいになってしまうなんてあり得ないと思う。じゃぁ、「愛」っていったい何なんだ?TPOによって喜ばれたり、喜ばれなかったりするのが「愛」なら、「愛」の存在は軽すぎる。きっと、『愛』はそういうものじゃない。「思いやり」でもなく、「優しさ」でもなく、「気配り」でもなければ、「教育」でもない。『愛』。。「愛」についてもっともっと学びたいし、感じたい。これからも、自分の想いを行動に移し、人からのフィードバックを受け取っていこうと思う。なぜなら、「行動」を通してじゃないと、真実の『愛』には近づけないと思うから。とりあえず、今はその段階。さぁ、今日も一日顔晴ろう! 全力を尽くす者にのみ奇跡は起こる!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.22
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今の日本、何不自由ない国だと思う。そんな国に生まれ、6歳から9年間の義務教育を受けた。その後、高校に進学した。その後、1年間の浪人生活を経てフリーターになった。そして、3年後に就職。。働く意味を見付けたかった。けど、そんなもん持ってなかった。いい車が欲しかった。美味いもんが食いたかった。人前でエエカッコがしたかった。自分が働く意味なんて、その程度でしかなかった。洋服がいっぱい欲しい。バッグが欲しい。靴も欲しい。エステにも行きたい。女性なら、こんな感じだろうか。。はじめは手に入ると嬉かった。「どうだ、すごいだろう!」そんな優越感に浸った。服が手に入れば、アクセサリー。アクセサリーが手に入れば、バッグ。バッグが手に入れば、テレビやステレオ。次は車。そして家。そして次は・・・際限ない。堂々巡りであることに気が付いた。「このままじゃ、モチベーションの危機だ」と思った。だから価値観を探し続けた。将来のことを考えてみた。「結婚もすれば子供もできるだろう」と。妻に洋服を買ってやれないより、買ってやれる男になりたい。子供には「うちは貧乏だから辛抱しなさい」とは言いたくない。家族にしみったれたメシより、美味いメシを食べさせてやりたい。両親が病気になったときに、余裕で面倒みれるだけの財力を持っていたい。ならば、俺はもっと働いて力を付ける必要がある。そう思って、ずっと働いてきた。東京に出てきてすぐの頃は、朝9時に出社して夜の7時まで新規開拓の営業をしまくった。会社に戻れば、夜10時まで部下の指導にあたった。今思えば、指導という名の「契約できない理由を問い詰めていただけ」の自己満足だったが・・・そして、部下の指導が終わると、翌日の見込み整理や商談のプランニングが始まり、終わるのが深夜の12時、晩飯を食って家に帰るのが夜中の2時。そんな生活が続いた。自分へのご褒美と言わんばかりに欲しいモノを買ったり、遊びに行った。だから貯金もしなかった。結婚後もお金に対する考え方は変わらなかった。誰かのために働いているはずが、結局、見失っていた。30歳になって初めて深く考えた。「貧乏父さん、金持ち父さん」に出てくる『ラットレース』、まさにハマッてしまっていた。欲望が、欲望だけで終わっていた20歳代。でも、そんな時代があったからこそ、今が存在する。欲望をとことん膨らませれば『夢』に辿り着いた。家族でも身内でもない人が喜んでくれるであろう『夢』、それを叶えるために生きている34歳いたるの情熱が、俺の人生の中でいちばん熱い。さぁ、今日も目の前のことに全力を尽くし、目の前の人を全力で喜ばせよう!後悔だけはしないように。。。今日も奇跡の一日を!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.21
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ふと思うこと、それには意味がある。何気なく生活している中で、根拠もなくふと思い立つことって誰にでも経験があること。シャワーを浴びているとき、お風呂につかっているとき、トイレに座っているとき、車を運転しているとき、公園を歩いているとき、好きな音楽を聴いているとき、ふと思うこと。。俺は、最近まで、ふと思い、次の瞬間に、ふと忘れてしまっていた。なぜなら、日常が忙しかったから。。「次にやることは・・・」とか「明日までにやっておかなきゃいけないことは・・・」と、左脳で考えることが次から次に出てくるので、そっちに焦点を当てて生活していた。だから、ふと思ったことには気にも止めず生きてきてたんだなって、自分の人生を振り返ってみて、そう思う。しかも、「自分にとって得なのは・・・」いつからか、損得勘定で人生の選択をするようになっていた。でも、最近は違う。右脳が左脳を上回った。ふと思うこと、これを行動に移すことを大切にしている。「あいつ、この頃どうしてるんかなぁ」と思ったら、連絡する。「この道はどこにつながってるのかな」と思ったら、進む。「あの人に、これをあげたいな」と思ったら、送る。「このセミナーおもしろそう」と思ったら、行く。まさに『直感行動力』が高まっている。『直感行動力』が高まると、不思議と次々に願い事が叶いはじめる。今、自分の体験を通して、それを学んでいるところだ。「なんとなく、そうしたい」とか「なんとなく、あそこに行きたい」と浮かんでくる思い、それをもっともっと大切にしよう!「内なる声」にこそ、耳を傾けるべきだ。どっちが得か、そんなことは考える必要がない。それこそが行動力を鈍らせる根源だから。もっと素直に、もっと自然に、自分の心の声に耳を傾けよう。動く前に意味を解ろうとしなくてもいいから。行動する前に人間の頭で意味が解ることなんて、小さな出来事でしかない。とにかく直感に従って動いてみよう。心の声に従って、動いた人にしか見えてこない『意味』がきっとある。さぁ、今日も行動の一日を!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.20
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地球上には人口の数だけ『モノサシ』がある。人生経験、目標、価値観、さまざまな要素によって『モノサシ』は創られていく。だから『自分のモノサシ』は自分にしかピッタリとあてはまらない。それを理解した上で自分の『モノサシ』をうまく使っていく必要がある。世の中には、自分の『モノサシ』があたかも正しいかのように、ムリヤリ押し付けてくる人がいる。きっとその人は、人は別の『モノサシ』を持っているということに気付いていないのかも知れない。また、自分の『モノサシ』を持っているにも関わらず、人の『モノサシ』で人生設計している人もいる。もし、そのまま自分の『モノサシ』を使わずに設計を続けていくと、どこかで寸法が合わなくなってしまう可能性が高い。自分の『モノサシ』を創っていく過程では、人の『モノサシ』を知るのは勉強になる。自分が目指す人がいるなら、その人の『モノサシ』がどんなもので、どのように使われているかを知っておいて損はないことも確かだ。でも、最終的には自分の人生なんだから、自分の『モノサシ』に自信を持って設計していきたい。人生の成功を信じて。。さぁ、今日から一週間! すがすがしい気持ちで、目の前のことに集中して顔晴っていこう!素敵な奇跡を受け取るために!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.19
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人間は誰しも、自分の『世界観』を持っている。生まれてから現在までの経験によって、世界観は人それぞれ違う。一概には言えないが、「意識の高さ」と「経験の多さ」に比例して「世界観の広さ」があるのではないかと思う。人間は誰しも、自分の『宇宙観』を持っている。宇宙観は経験に影響されず、個性がない。しかも、人間の魂レベルによって観える部分が違ってくる。魂レベルが低ければ、狭く浅くの部分しか見えてこず、魂レベルが高ければ、広く深くさまざまなものが見えてくるようだ。人間の真理は『宇宙観』にあると思う。なぜなら、私たちは宇宙の一端に存在するから。宇宙を感じつつ、起こるすべてのできごとを捉えていくことができれば、きっと問題は起こらない。「世界観の広さ」は「経験」や「知識」に比例するのに対して、「宇宙観の広さ」は、心の声に従って行動しているかどうかの『直感行動力』に比例する。「直感」を感じることはあっても、行動に移せる人は、そうそういない。直感と行動がリンクしてこそ、宇宙を感じさせるできごとが起こり、進みたい方向へと導いてくれる。直感によって行動する力を『直感行動力』。。勢いで書いてしまってビックリ! いいじゃん、『直感行動力』気に入ってしまった。自画自賛・・・話を戻そう。そして、「直感」を「行動」に移すために必要なプロセスが「決断」!この決断こそが、あらたな自分をつくるために最も必要な行動の第一歩だ。「決断」と同時に、自分の中にあらたな宇宙意識が無意識のうちに生まれる。それを繰り返せば、その人の宇宙意識は無意識のうちにどんどん広がっていく。そして、ふと氣付く時がやってくる。『あぁ、なんてシンプルなんだ!』と。。。未来に怯えない、過去に悔やまない。念を残さずに一瞬一瞬を覚悟して生きる。今、ここに意識を集中し、行動する。人に優しく、思いやりを持って、自分にも人にもいい言霊を投げ掛ける。損得を考えないで、まず与える心で行動する。恩に着せず、傲慢にならず、謙虚な気持ちですべてに感謝する。たったそれだけで、望んだことはすべて人が叶えてくれる。自分の体験を通して、実感したこと。ムフフ、今日も素敵な一日になりそうだ。クリックしてね!ありがとうございます!最近、知り合った楽祥さんのHP、『soul peace』 とてもためになるので、興味のある人は覗いてみてね~!
2005.06.18
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これは高橋歩の言葉の関西弁仕立て。。『夢』。。。これは、人によって概念が違う。同じ小学生でも、「電車の運転手になりたい!」という子供もいれば、「映画俳優になりたい!」という子供もいる。「現実的に叶えるもの」と捉えている人と、「非現実的に思い描くもの」と捉えている人の違いで結果は自ずと違ってくる。「夢の大きさ」が「叶う⇔叶わない」を決めているのではなく、人の心が「叶う⇔叶わない」を決めているのだ。以前、海外旅行に行ったときに、たまたま横に座った40代くらいの日本人の男性と話す機会があった。名前は金子さんといった。金子さんは19歳のときに片道の飛行機チケットだけを持ってアメリカに渡ったのだそうだ。そして、その後もずっとアメリカに居座り、今では世界各国を仕事で飛び回っているという人物だった。金子さんは俺にこんな話をしてくれた。「日本の辞書で“夢”と引くと“はかないもの”とか“現実とかけ離れた考え”と出てくる。でも、アメリカの辞書で“deram”と引くと“叶えるもの”と出てくるんだ。人生は時間だ。だから、俺はやりたいことを今すぐやるんだ」この話を聞いて、俺はシビれた。脳天を丸太ん棒でカチ割られたような衝撃を受けた。でも、一歩踏み出さない理由を頭の中で考えていたのも事実だった。「夢は逃げへん、あきらめるのはいつも自分」まさに俺そのものだった。金子さんに会って、もうすぐ1年。アメリカに発つ自分を誇りに思う。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.18
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幸も不幸も人が運んでくる。「幸せ」が運ばれてくるとラッキーで「不幸せ」が運ばれてくるとアンラッキーだと思っていたが、実はそうじゃない。『幸も不幸も、自らが選ぶので、人が運んできてくれるだけだ』「不幸せ」を手にする人と「幸せ」を手にする人。いったい何が違うのだろう。それは明確だ。不幸せを手にする人は、いつも不平不満(地獄言葉)を言っている。いいことが起これば自分の手柄にし、嫌なことが起これば人のせいにしている。人が喜ぶことよりも、自分の喜ぶことにしか興味が無い。自分がすべてであり、自分の実力だけで今の自分が存在すると思っている。幸せを手にする人は、いつも「ツイてる、ありがとう、感謝、幸せ」などの天国言葉を言っている。いいことは他人の手柄、嫌なことは自ら引き受けこなしている。人の喜びを通して、自分の喜びを感じている。人がすべてであり、人とのご縁で今の自分が存在すると実感している。私も、少し前までは不平不満ばかり口にしていた。だから、殆ど新たな出会いが生まれなかった。でも、天国言葉を口にするようになってからは、人とのご縁がみるみるうちに広がり、願ったことはすべて人が運んできてくれるようになった。不思議で不思議で仕方なく、楽しくて楽しくて仕方ない。今の私がいるのも、皆さんに出逢えたお陰です。本当にありがとうございます。心から感謝します。あなたにも、素敵な奇跡が起こり続けます!心を開いて受け取ってください。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.16
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稼ぎたいと思って、営業会社に就職した。固定給じゃなくて、自分が成果を上げた分だけ歩合がもらえる。わかりやすくていいと思った。「何のために働くのか」を全く考えていなかった俺は、会社の価値観を自ら刷り込んでいった。「もっと貪欲になれ」「もっと物欲を持て」「人の上に立てるように力を付けろ」自分の実績を出すためだけに頑張った。毎日が数字との真剣勝負!寝ても、冷めても、明日の訪問先のことしか考えなかった。会社の価値観に同化した。成果も出せたし、役職にも就いた。人の上に立ち、ふんぞり返った。20代の若造の俺が、年下の社員相手に偉そうに神様ぶった。「会社を辞めたい」と言い出す社員をさげすみ、ののしった。売上だけはとにかく上げ続けた。『役職につく=偉そうにする』ということだと思ってた。上司を見ても、そんな風にしか見えなかったから。でも、何かが違う・・・。心がそう言っているのはわかった。立ち止まって考えてみた。深く深く考えてみた。そしたら、俺はピエロだったことに気が付いた。役職に付こうが付くまいが、俺は俺。何かが極端に変わった訳じゃない。なのに、あの変わりよう。。。役職とは、その職務を果たす能力が身に付いたからこそ与えられる役割であって、その人自身が偉くなれた訳じゃない。課長も部長も社長も、みんなそうだ。仕事の成果を上げたことが、人間の成長ではない。人間の成長の中に、「仕事」という項目がひとつあるだけだ。会社組織の枠組みの中でしか物事を考えられない、そんな人間になってはいけない。会社組織の上下関係で優位に立ち、偉そうにしている人間はたかが底が知れている。地位や名誉が無くても、『この人にならついていきたい』と思ってもらえるような、そんな人間でいたい。利己主義の社会人である自分はもう演じ飽きた。これからは『人間道』を極めるために、歩いていこう。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.15
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昨日、心から信頼するふたりの同志と食事に行った。『俺たちが働く会社を、もっと良い会社にしていきたい』そんな話をしていた。何かを始めようと行動したとき、勇気を振り絞って一歩踏み出したとき、必ずそれを邪魔する人が現れる。それは、何気ない上司のひと言かもしれないし、何かトラブルが発生してしまうことかもしれない。人の意見を否定する人。人の意見を無視する人。それによって、自分の決心が揺るがされてはいけない。心が折れたり、なえたりするかもしれないが、自分の成長のために、あきらめずに行動し続けたい。先日、「読すめ」の清水店長からオススメしていただいた本「letters to me」にこんなことが書かれていた。「竹」の種を植えて、肥料や水を与える。最初の7年間、種には何も起こらない。経験不足の人は、「ダメだったのかな・・・」と思ってあきらめてしまう。だが、7年経ってみたら、なんと6週間で30mにも伸びるという。1日で1mも伸びるのだ。スゴイ。。。さまざまな物事には、『成就』というコップがあって、そのコップを満たすために一滴ずつ雫を垂らしていくことが、日々の努力だと思う。蛇口をひねって水を一息に流し込むことはできない。あくまでも一滴ずつだ。しかも、そのコップはグラスじゃないので中が見えない。どのくらい溜まったのかを知ることなく、坦々と行動し続ける。一滴、一滴、雫を落とし続ければ、やがて表面張力現象で、コップから水面が膨れ上がってくる。そして最後の一滴が水面に落ちると、一滴以上の水がコップから溢れ出す。『努力』ってこういうことなんだろう。とにかく、やり続けること。 自分を信じて、自分のために。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.15
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「生活に必要なお金を稼ぐために、仕事をしなくちゃいけない」その中での選択肢。「何をしよう・・・」生活のためのお金稼ぎ。「家賃はいくら、光熱費はいくら、食費はいくら、 お小遣いはいくら、習い事にいくら、貯金にいくら・・・。 最低この金額があれば大丈夫! この金額に、これくらい上乗せ しておけばそれなりに余裕が出るだろうから、給料はこれくらい のラインで仕事を探すか。。」そして、「生活するためだけ」を目的とした毎日が始まり、無意味な比較の中で生きていく。「あいつの方が好条件で、給料がいいだとか、悪いだとか。。」ほんとは、「ちょっと違う」って感じているのに、「でも・・・」と頭で計算してしまう。言い訳するのはもうよそう!大切なのは、自分が『どのような人間になりたいか』であり、『どのような活動を通して、目指す人間像に近づくか』だと思う。迷ったら、自分に問いかけるキーワード、『何のために・・・』「何のために、仕事をするのか」「何のために、お金を稼ぐのか」「何のために、その目標を目指すのか」「何のために、その目的を果たそうとするのか」複雑に考えることはない。そして、もうひとつのキーワード、『シンプルに、心のままに・・・』「正しい」と刷り込まれてきた価値観は、自分の人生に本当に必要?それって「楽しい」人生になりそう?自分に問いかけよう。環境に嘆いても前には進まない!状況に縛られていても革命は起こせない!さぁ、心を開放しよう。もっと大きく、もっと自由に。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.14
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ふと、10代の頃の自分を思い出した。まだ、やりたいことが見付けられずにいた。何をしていいのかも、何を目指せばいいのかも、まったく見えなかった。周りの連中は、やりたいこと、目指したいことをすでに、見つけているような気がした。だから、焦った。「俺は、何がやりたいんだろう。。。」「俺は、何ができるんだろう。。。」「俺は、何のために生まれてきたんだろう。。。」「俺は、何のために生きていくんだろう。。。」「俺は、・・・」考えても、考えても、答えは見付けられなかった。だから、不安になった。先生からの質問、「何かやりたいことはあるのか?」親からの質問、「どうすんのや?先のこと考えなあかんで。」わからないのに、質問される。「わからない」と言ってるのに、何度も何度も質問される。問い詰められる。。。だから、爆発した。「俺だって、何か見つけたいんや!」「俺だって、進みたいんや!」「俺だって、充実したいんや!」わかってもらいたい人に、わかってもらえない不安。説明しても、言葉にならないもどかしさ。理解してもらえない不満。質問に答えられない自分が、生きていて意味のない人間にさえ思えてくる。大人の価値観、大人のルール、表層的な世界の中で「有利」「不利」を基準に、子供の進路についてアドバイスする親や教師。。んなもん、クソくらえ!10代の俺は、そう思っていた。そして今、立場が変わり、同じことをやっていないか。。。子供に対して。妻に対して。夫に対して。部下に対して。後輩に対して。「質問されている人」が「質問している人」を安心させなきゃいけない?いや違う、逆だ。「質問している人」が「答えを見付けられず迷っている人」を安心させてやりたい。問い詰めても、ないものは出てこない。それを、わかってあげよう。答えが今すぐ必要な訳じゃない。「何がやりたいのか。。。」 答えを持っていても、いなくても、その人の存在そのものが、かけがえのないものだから。あたたかい愛で包んであげよう。何歳であっても、自分のやりたいことを黙々とやっているヤツは、凄いヤツだ!クリックしてね!ありがとうございます!10000ヒットだぁ~、皆さんのお陰です!感謝です!
2005.06.13
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自分を振り返って思うことやけど、傲慢になってしまう時は「俺はこんなにも成長してるで」とか「こんなことできるんやけど、お前にはでけへんやろ?」などと自分をひけらかしてしまう。謙虚でいられる時は「目標に辿り着くにはあと少しかかるから、今がんばっているところやねん。気にかけてくれてありがとう」と心から感謝の気持ちが湧き出てくる。どっちも本当の俺。両方存在する。「顔が変わったね。。」最近、よく言われる。ひとりやふたりじゃないくらい、言われる。会社のこととか、アメリカ行きのこととかを含め、人生のスタンスを模索中の期間がしばらくあった。そのときの自分の心は、まさに「どんよりとした曇り空」やった。でも、「勇気と覚悟の一歩」を踏み出してからは、心のモヤがみるみるうちになくなり、今や「雲ひとつない晴れ渡る青空」って感じで、気分もサイコーや。だからなのかもしれない。。顔が変わったのは。。(もともとエエ男やけど・・・笑)傲慢になればなるほど、ウンチクばかりたれて行動しない。それでいて自分は成長していると思い込む。謙虚になればなるほど、目標の達成を一心にひたすら行動し続ける。自分が成長しているなんて気にもせずに。成長は、行動から得られる果実やと思う。だから、心のままに動かなあかん。最初は、抵抗があるんかもしれへん。でも動き始めたら、必ず加速しはじめる時期がくる。応援してくれる人が現れる。だから、自分を信じ続けよう。今までの自分は、自分の意志で演じてきた。これからの自分も、自分の意志で演じていく。理想を追求していけばこそ、エネルギーが溢れ出し、魂が輝き出す!今、俺は心のままに生きている。念を残さず生きている。出逢う人が心のある人ばかりなので、毎日、感謝している。心の底から温かい感情が溢れ出してくる。感じる豊かさ、感じる幸せ、感じる生命。。。ほんまに、生まれてきて良かった。ありがとう。。クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.12
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先月の話になるが、母の日のプレゼントを新宿タカシマヤで買った。今までは、会社の近くの花屋さんで適当なものを選び送っていた。今年はたまたま、別の用事でタカシマヤに行った時にインスピレーションしたものがあったので、それを購入し送ることにした。それは、パリのエミリオロバと日本のイトキン株式会社が提携して作っているとてもとても素晴らしい造花だった。タカシマヤの1階に特別展示されていたのだが、まさに本物ソックリ!最初は本物だと思って見ていたくらいなのだから。。。「花は枯れてしまうけど、こんなにも本物ソックリなら、感動は永遠だなぁ」と思い、鉢植えの蘭の花を購入し送ることにした。俺が生まれ育った奈良県大和郡山市を出て、東京に出てきたのが今から12年前の23歳のとき。それ以来、実家に帰るのは盆と正月の年2回だけだ。おかんの誕生日と母の日には必ずプレゼントを送っている。それなりに、喜んでくれているとは思うのだが。。。つい先日、別の用事でおかんに電話を入れた。10月からのアメリカ行きに備え、中学、高校時代の英語の教科書や参考書などが残っていたら送ってもらおうと思ったからだ。そのときの会話の一部始終。。。俺 「あぁ、俺、」おかん 「なんや、電話くれたんか、元気にしてるか、ゴハンはちゃんと 食べてるのか、」俺 「うん、それはそうと、俺の中学・高校で使ってた英語の教科書とか参考書 って残ってるか?ちょっと勉強しようと思ってな。もし残ってたら送って くれ」おかん 「そうか、そうか、アメリカ行く前に勉強しておかなアカンもんな、 あんたの部屋探してみるわ、あったら送るわな、」俺 「そうしてくれ、頼むわ~」おかん 「あぁ、そうそう、こないだくれた蘭の花な、ちょくちょくお水やって るで、まだ枯れてないわ、最近根っこも伸びてきたんとちゃうかな、、」俺 「。。。」ってオイッ、そりゃ造花やろっ!うちのアホアホおかんは、本物ソックリの造花に水をやっていた。。。しかも、根っこが生えてきたとも言っていた。。。あり得ない・・・クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.11
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他人の意志によって一歩を踏み出せば、二歩目はない。自らの意志で一歩を踏み出すことで、自然に二歩目が踏み出せる。周りを見渡せば、『人が、人を、思いのままにしたい』という思いがいっぱい。『やらせる人』と『やらされる人』『やらせる人』の言い分は、「その人のためになることだから・・・」『やらされる人』にしてみれば、「なぜそんなことを言われるのかが、 イマイチ理解できない・・・」そのうち、『やらせる人』は意地になってくる。「なぜ、わかってくれないの、この人(子)は・・・」親が子供に・・・上司が部下に・・・夫が妻に・・・、妻が夫に・・・彼氏が彼女に・・・、彼女が彼氏に・・・自分の感情や行動を、思いのままにコントロールできる人間はいない。お釈迦様でも、キリスト様でも、自分と向き合い続け、それでも悟りを開けず苦しまれた時期があった。自分のことを思いのままにできない人間が、誰かのことを思いのままにできるのだろうか。。。「~させる」というエゴは捨ててしまおう。きっと、その人は「させられている」のではなくて、自分の意志で「している」のだから。「させている」と思っているのは、きっと「させている」と思っている人だけなのだろう。自らを振り返ろう!「させられた」から、できるようになったのか?「させられた」から、今ここにいるのか?「させられた」から、続けられたのか?「させられた」から、自分は存在するのか?いや違う、すべて『自らの意志』だ。今日も、『自らの意志』で素敵な奇跡を受け取ろう!クリックしてね!ありがとうございます!
2005.06.10
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想像してみよう。今、自分は3LDKの家に住んでいる。そこには大型プラズマテレビ、DVDがあり、見たい映画はいつでも見れる。自分専用の書斎もあり、ビッシリと本が並べてある。読みたい本はいつでも読める。お風呂は、足を伸ばしてもくつろげる広さがあり、24時間いつでも入れる。ウォークインクローゼットにはお気に入りの洋服ばかりが飾られている。冷蔵庫には、常に新鮮な食材が用意されていて、自分で買いに出かける必要がない。家にいれば、何不自由ない生活ができる。わざわざ出かける必要がない。運動だって、趣味だって、何でもできてしまう。これが、私たちの人生の縮図なんだと思う。ある程度のものが揃ったら、それで満足してしまう。本当は行きたいところがあったのに、やりたいことがあったのに、いつの間にか、今あるものを失わないように見張りながら、ずっと部屋の中で暮らしている。それは、不自由がないから。。。部屋の中で一生を終えてはならない。窓の外の景色は、見ているだけのものじゃない。自分が景色の中に身を置き、直接感じなければ。。テレビに出てくる名所や美味しいものは、行った気になったり、食べたいと言ってるだけじゃいけない。自ら行動して感じに行かなければ。。本に書かれている成功者の話は、知識として保有しておくためのものではない。何かを感じさせてくれたのなら、動かなければ、「感動」は得られない。成功への扉はいつも開いている。あとはそこから一歩を踏み出すだけ。。「中にいよう。。。」と思う人、 「外に出てみよう。。。」と思う人、たったこれだけの違いで、人生は全く違ったものになる。「失うものなんて何もない!人間誰もが裸で生まれてきたんや~」と開き直ろう!「よ~し、いっちょ、やってやるかぁ!」と勇気を出そう!「どうせやるなら、とことんやってやるでぇ~~!」と覚悟を決めよう!今日の一歩が、今日を創り、今日の『勇気と覚悟』が、明日へと繋がる。そう、『人生は楽しんだもん勝ち!』だ。今日も素敵な奇跡が起こります!クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.08
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『毎日、会社に行こう!』と思わなければ、スーツを着て、満員電車に揺られて、自分の席に座り、パソコンを立ち上げて、仕事に取り掛かることはあり得ない。『新しいジーンズを買いに行こう!』と思わなければ、休日にショップに行って、試着して、気に入ったものを買って帰って、家でファッションショーをすることはあり得ない。『よしっ、今日のランチはデニーズの日替わりだ!』と思わなければ、デニースの窓際禁煙席に座って、読書をしながらランチを食べることはあり得ない。『父の日は、ほんとの親父は亡くなってるから、あの人にプレゼントを贈ろう!』と思わなければ、プレゼントが届いて喜んでくれているあの人の笑顔を見ることはあり得ない。『ブログから毎日メッセージを送り続け、今よりももっと明るい、愛の溢れる世の中にしたい!』と思わなければ、こうしてこの文章を読んでもらえることはあり得ない。会社に行くのも、ジーンズを買うのも、ランチをするのも、贈り物をするのも、こうしてブログを書き続けることも、すべて『思ったこと』が現実となっているだけ。思っていないことは、何一つ起きていない。もし、自分で思っていないことが起きているのであれば、それは「自分が思っていないこと」なだけであって、「誰かが思っていること」が周りで起きているだけ。「人の思ったこと」が実行されれば、必ず「自分」に影響する。『車をつくろう!』と思った人がいたから車に乗れるんだし、『米を作ろう!』と思った人がいるからメシが食える。『お前といると楽しいから食事に行こう!』と友達が思ってくれるから、楽しいひと時が味わえる。だから、人を大切にしなきゃいけない。敵じゃなく、味方をつくらなきゃいけない。『人生は思ったとおりに必ずなる』信じていない人には、信じていない人が集まってくる。信じている人には、信じている人が集まってくる。私が心の奥底から信じているから、あなたと出会うことができた。私とあなたの、出会いに感謝だ!クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.08
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自分で決断しているか。自分で選択しているか。自分で決めたことを、やり通せているか。自分探しをしているか。自分磨きをしているか。自分で決断することもできれば、他人に決断を委ねることもできる。自分で選択することもできれば、他人に選択を委ねることもできる。やり通すこともできれば、あきらめることもできる。自分を探し続けることもできれば、無関心に生きることもできる。自分を磨くこともできれば、放っておくこともできる。今の日本は豊かな国だ。目的を持たずしても、食うには困らない。目的的に生きることもできれば、無目的に生きることもできる。何がいいとか、悪いとかじゃない。自分がどうありたいかだ。『日本という国』、『現代という時代』。。。日本しか見えず、現代しか知らず、無知に生きていくより、多くを学んだ上で、『自分探し』をしていきたい。いつも『自分が敵』だとは思わないが、それでも『自分に克ちたい』と思う。『自分を許す』ことも必要だと思うが、それでも『自分に克ちたい』と思う。クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.07
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昨日は久々に井の頭公園に行ってきた。たくさんのフリーマーケット、その中の一角にシートを広げ、作品を並べる。「あなたを見てインスピレーションで言葉を書きます。お代はできあがった作品を見て5円(ご縁)から決めてください。」路上をやり始めて、自分の心の状態によって人の集まりが左右されることに気が付いた。心の状態が、穏やかでないときには人が集まらない。無心じゃないとき、何か少しでも邪心があるときは、きっとそういう波動が出ていて人を寄せ付けないのだろう。ふっと気付くと、大抵そういうときは笑顔じゃなく、素顔になっている。自分の素顔を想像してみよう。免許証をあまり人に見られたくないという人はきっとそれが素顔なのかもしれない。(笑)顔の筋肉に緊張がまったくなく、目の輝きが失われている顔写真。。そんな表情を一日の中で、どれくらいしているのだろう?人と会ってるときにそんな顔はしない。会って話していることが楽しいから自然とピュアな笑顔が出せていると思う。でも、ひとりのときはどうだろう。すべてのことに感謝して、微笑むことができているだろか?大切なのは、ひとりのときにどれだけ微笑んでいられるかだと思う。それが幸せのコントロールに結びつく。笑顔は自分のためにつくるものではなく、相手のためにつくるものだ。そう考えると、無表情は罪だ。たとえひとりでいるとしても、街に出ればいろんな人とすれ違っている。そんなすれ違いの出逢いにも感謝し、笑顔でいる自分を常にキープしたい。 心の状態が、すべてその人の顔に表れている。「無表情・・・」そんな罪を犯してはいけない。いつもニコニコ笑顔でいることが目の前の人を明るくし、自分の人生も明るくする。さぁ、今日から1週間、顔晴りましょう~~~~クリックしてね!ありがとうございます。
2005.06.05
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昨日、個展の会場に妊婦さんが来られていた。あと数日で赤ちゃんが誕生するとのことで、カフェギャラリーのマスターや奥さん、そしてお店に来て下さっていた人たちみんなで「新しい生命の誕生を待ち望んでいる」。。そんな愛の波動が溢れ出す温かい時間がそこにはあった。このときにふっと思った。この世に生を受ける。『望まれないで、生まれてくる命はない』と。。。俺は勘違いをしていた。自分の時間軸で考えると、この世に生まれてきたときが人生の始まりだと思っていた。誕生日ってそういう計算だから。『三つ子の魂百まで』って言葉の意味も、生まれてから3歳までの期間のことを言ってるのだと思うし。。生まれてきてから、母親に抱かれ、お乳をもらい、そうして愛情を注いでもらったんだと思っていた。でも、それは違っていた。。。俺は、この世に生まれてくる前から、母親をはじめ親父や姉ちゃん、じいちゃんやばあちゃんに愛されていたことに気が付いた。それは、当たり前のことなのかもしれないが、俺にとってはすごく貴重な気付きだった。『望まれないで、生まれてくる命はない』。。。この世に生まれる10ヶ月も前から、愛されているのだから。子供の頃に、母親に良く聞いた言葉を思い出した。『なぁ、なぁ、おかあさん、ぼくのことすき?』『好きだよ、だってお前がこの世に生まれてくる前から、ずっと愛してるんだから。。』そんな声が聞こえてきた。クリックしてね!ありがとうございます。
2005.06.05
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今を楽しんでますか~?人生を楽しんでますか~?「思いどおりならない」とか「道が見えない」とか、無駄な悩み事いっぱい抱え込んで生きてませんか~?そんなもん持ってても、しゃーないですよ~!もっと人生(過程)を楽しみましょう!旅行に行く目的は、『目的地に着くこと』だけ?『よし、今日は日光に行こう!』と決めて、『どこでもドア』で日光に行けたら、それは『旅行』と言えるのか?恐らくそれは『旅行』じゃなく、『移動』。。。『今週末、家族で日光に“移動”して来たんや~、いやぁ~楽しかった~』ってオイっ! 全然楽しそうやないやん。人生において、目的地、目標設定をすることは必要やと思う。でも、目的地しか頭になければ、辿り着く途中の町並みや自然や人たちが見えなくなってしまう。『気付けば、旅館の中・・・』そして『気付けば、自宅に帰っている』そんな、人生を送ってはいけない。もっと、景色を楽しもう! もっと、町並みを楽しもう!もっと、人とのふれあいを楽しもう!旅行は『過程』を楽しむもんや。『人生の旅』もそれは同じ。今日もそれは同じ。今もそれは同じ。あぁ~~~~~、めちゃくちゃ楽しいわぁ~~~~~!はっははは!楽しい!クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.04
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人との出会いはとても大切だ。人と出会わなければ新しい刺激を受けないし、自分の心の状態やレベルを感じることもできない。人との出会い、その人の考えや価値観を知ることで、あらたな自分の気付きとなり、成長へとつながっていく。出会いは人だけにとどまらない。映画との出会いもあれば、音楽との出会いもある。芸術、趣味、セミナー、自然、そう考えると毎日が出会いの連続だ。その出会いに感動するも、しないも、すべては自分次第。すべては自分の心が映し出す。いちりんの花を見て感動の涙を流す人もいれば、100本のバラの花束でしか感動しない人もいる。心のこもった「ありがとう」のひと言で感激する人もいれば、自分に有益な結果をもたらしてくれる行為でないと感謝できない人もいる。今、見えるもの、聴こえてくるものは、すべて自分の心が映し出している。もし、「素晴らしいなぁ~」と思える人やモノとの出会いがあるのなら、きっと自分の心も素晴らしいのであろう。誰と会っても、何を見ても、「大したことないよ」と思うのなら、きっと自分の心が大したことないのであろう。自分の感性が素晴らしい人やモノに共鳴したのであれば、その心をもっともっと育てていこう。感動を与える人やモノも素晴らしいが、それを見て感動する自分自身も絶対に素晴らしい。きっかけやチャンスはいつも目の前を通り過ぎている。心を開き、感性を高め、今、ここに、あらたな一歩を踏み出し、チャンスを掴み取ろう!クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.03
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ゴールデンウィークに実家がある奈良に帰省したときに、唐招提寺、興福寺、秋篠寺に行ってきた。仏像を目の前にインスピレーションで湧いてきた言葉だ。何百年も前の建造物や、仏像の数々。振り返れば、小学校の遠足や初詣のときに行ったくらいしか記憶には残っていない。あらためて自らの意志で仏像の前に立ったときに、なんとも言えない気持ちになった。表現が難しいが、あえて言うなら『偉大』だ。「崇高な・・・」とか「神秘的な・・・」というのとはちょっと違った感覚だ。何に『偉大さ』を感じたかと言うと、仏像そのものもそうだが、やはり仏像を創った『人』だ。作業した大工さんではなく、それを作らせた人。その人の想いに、さまざまな人が動いて、造り上げられた。いくつもの困難もあっただろう、でも、造り上げられた。それが何世紀もの時を超え、今も私の目の前に存在していることに感動した。ある一人の人間の想いから始まったであろうことが、時空を超えて現代社会にまで伝えられていることに『偉大さ』を感じた。宇宙を創ったのは誰なのか・・・、人間じゃないことは確かだ。『サムシンググレート』 きっと「神」が存在するのだろう。でも、釈迦やキリストは人間だ。ひとりの人間の魂が、他の人間の魂に響き渡り、それがまた伝わっていく。そこに『人間の偉大さ』を感じる。特別な人間だからできたんじゃない。信念を持って、やり遂げた人間が、特別に見えるだけなんだ。私にだって、必ずできる。あなたにだって、必ずできる。念は時空を超える!クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.02
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「幸せのカタチ」って、人それぞれ違う。そのときの心の状態によっても、「幸せのカタチ」が違ってくる。だから、少し前に「幸せのカタチ」だと思っていたものが、いつのまにか、そうじゃなくなっていることもある。自分の「幸せのカタチ」をしっかり意識して、感じて生きていきたい。なぜなら、ふと気が付くと、他人の「幸せのカタチ」にはまっている窮屈な自分がいたから。。。両親の親心から与えられる「幸せのカタチ」上司の経験から与えられる「幸せのカタチ」自分以外の誰かから与えられる「幸せのカタチ」果たして、それが自分の本当の「幸せのカタチ」なんだろうか。「幸せのカタチ」を教えてくれる人は、その人にとっての「幸せ」を教えてくれている。「私も幸せなんだから、あなたもこれできっと幸せになれるはず」共感できれば受け取ればいいし、共感できる部分があればそこだけ受け取ればいい。共感できなければ愛だけ受け取ればいい。そうやって自分の「幸せのカタチ」をひとつひとつ創っていこう。自分の心に聞きながら。。。クリックしてね!ありがとうございます
2005.06.01
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