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こんな話を思い出した。『あなたの銀行口座に毎日86,400円ずつ振り込まれるとします。あなたが生まれてから死んでいくまで、毎日欠かすことなく86,400円ずつ振り込まれます。ただ、翌日に持ち越すことはできません。さぁ、あなたは何に使いますか?』私は、こう聞かれたときに大した答えは出せなかった。消耗品を買うこともできれば、かたちに残るものを買うこともできる。自分の将来のために投資することもできれば、好きな人にプレゼントを買うこともできる。もしくは使わないことも可能だ。お金は振り込まれるが、欲しいものがないなら持ち越せないのを承知で「使わない」という選択もある。無条件であなたの口座にも毎日86,400円が振り込まれている。例外なく全ての人に振り込まれている。それは、86400秒、「時間というお金」によって・・・。その「時間」をどのように使うかは個人個人の自由だ。86400秒を使って芸術を作る人もいる。86400秒を使って医者になるための勉強をする人もいる。86400秒を使ってビルを建てることだってできる。86400秒を使って人を助けることだってできる。でも気が付けば、86400秒をなんとなく消耗してしまっている人も多いのではないだろうか。「お金のことだと真剣に考えるのに・・・」と思うかもしれない。でも、「時間」と真摯に向き合うことができない人は、「お金」のことも結局は考えていない。「お金」を生むのは「時間」だ。「時間」があるからこそ考えることができるし、働くことができる。「時間」があるからこそ夢に向かって一歩一歩踏み出せるのだし、好きな人に想いを伝えることができるのだ。もっともっと「時間」の貴重さを考えよう。「どのように86400秒を使い切るか」大切なのはここだ。自分のためか、人のためにか、何のために、今日を過ごすことが今の自分にとって幸せなことなのか。まずはじっくり考えるところから始めてみよう。クリックしてね!
2005.03.31
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昨日また、夢への扉が開いた。アファーメーションのパワーって凄すぎる!どんどん周りを巻き込んで、夢が実現していく。俺は10代の頃からアメリカへの憧れを持っていた。アメリカ人の友達がいるとか、親が外資系の仕事というわけではないけど、ずっとアメリカへの憧れを心に抱いていた。若い頃は、「日本は好きだが、日本人の考え方が好きじゃない。アメリカ人のように自由にでっかく生きたい。」と偉そうに言っていた。少年の頃にありがちな、抑えられることへの反発からそんなセリフを言っていたのかもしれない。35歳になろうとしている今は、アメリカ人よりも日本人が大好きだ。(笑)30歳になったときにタバコを止めた。方法はアファーメーションだ。27歳の時に、30歳になったらタバコを止めようと決め、3年間タバコを吸うたびに、「あと○年でタバコを止めるで~」って自分にも、人にも言い続けてきた。3年間のアファーメーションで何の苦労もなく止めることができた。自分でも半信半疑だったけど、アファーメーションの効果の絶大さをこのとき実感できたような気がした。そして30歳になったときにあることを思いついた。「35歳になったらアメリカに行く!」ということだった。自分たちの会社を素晴らしい会社にするためには、経営する側が見聞をもっともっと広げて、人間として成長しなきゃならないということを考えた。早速アファーメーションに取り掛かった。社内外問わず、「俺、35歳になったらアメリカに行くわ」って宣言し始めた。すると、半月ほど経ったときに社長から呼び出しがあった。「社員が困惑するから、そういうことを言うのを止めろ!役員が長期で会社を休める訳がないやろう!」という内容だった。言われてみればそうだ。役員である俺が社員の前でそういうことを軽はずみに言うと、確かに不安にさせてしまう。体裁上、納得したので人前で言うのはその日を境に止めることにした。それから5年、いろんなことがあった。会社では新卒採用をするようになり、年々売り上げは20%ずつ順調に伸びていった。どっぷり会社の生活にはまっているはずだったが、仕事を楽しめていない自分がただ存在するだけだった。原因はいろいろ考えられるが、会社の方向性に共感ができなくなってしまったこと、役員同士のコミュニケーション不足が否めない。一度、嫌気が差してくるとますます嫌気が差してくる。もうどうにもこうにも止まらない。それが、ここにきてまたまた急展開となった。2日前に社長から呼び出されて、こう切り出された。社長「その後、どうや。心境の変化みたいなものはあったか?」俺 「いえ、全く気持ちは変わってません。」社長「俺も、あれからいろいろ考えた。3人で始めた会社なんやから、ずっと一緒にやっていきいたい。目先の事情だけを考えたら、役員1人が1年間も実務から離れるとなると確かに厳しい。いろんな人にも相談したけど、次の体制を考えたほうがいいとしかアドバイスを受けなかった。ただ、お前が欠けることを想像したけど、しっくりけえへん。俺には海外に行くなんて発想はないけど、それでお前がでっかくなって帰ってくるんやったらかまへん、行ってこい。」俺 (えぇ~~~~~っ!ビックリ!会社を辞めずに、しかもアメリカに行かせてもらえるのか、認めてもらえたのか~~~~!)「あ、あ、ありがとうございますっ!」ってな訳で、5年前にアファーメーションしたひとつの夢が叶ってしまったのだ。これからの準備として、実務を部下に引き継ぐために数ヶ月はかかってしまうが、半年先くらいには、アメリカでの生活がスタートしているだろう。社長には本当に感謝している。そこまで俺を必要としてくれていることが、今回のことで身に染みてわかった。数ヶ月に渡っていろいろと話し合ってきたけど、自分の気持ちに正直に、真摯に向き合ってきて本当に良かった。これも、アファーメーションの効果だと言い切れる。お風呂の壁に貼ってある「夢10か条」を毎日欠かさず眺めてきた。その中にアメリカ行きのことは書いてあるのだ。『成功の宝地図』(http://www.takaramap.com/)は本当に驚くほどの効果がある。自分の夢を視覚で確認できるようにし、日々「ありがとうございます、感謝します、ツイてる」という幸せの言葉を意識してたくさん使い、人のために良い行動を起こし、自分自身を信じ抜けば、必ず奇跡は起こると心から実感している。(3月22日の日記にて詳しく説明)クリックしてね!
2005.03.30
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人間には執着心がある。それは時として「必要なもの」だが、時として「必要のないもの」だとも思う。執着して何かを追い続けることは、成功のためには必ず必要なことだ。こだわり続けるからこそ、たどり着けるところがある。逆に何かを捨てなければ、得ることが出来ないものもある。人間の手は一つを握り締めていると、その手で別の何かを掴み取ることは出来ない。今、掴んでいるものを手離すことで、はじめて何かを掴み取ることができる。とは思いつつも、なかなか今掴んでいるものを離そうとはしない。ただ、勇気を出して手放してみよう。自分がそれを手にしていた時間の中で、吸収してきたことが必ずあるはずだ。まだそれを持っている必要が、本当にあるのかを考えてみよう。手放す覚悟をするまでがいちばん大変だが、それが本当に自分に必要なものなら、必ずまた手にすることができるはずだ。ひとつを捨てるから、ひとつを得ることができるのだろうし、さらに言えば、「捨てる覚悟」を通して得るものが間違いなくあると思う。クリックしてね!
2005.03.29
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先日、興味深い話を聞いた。人間は3歳までに親から受ける愛情表現によって、「自分を信じ抜くことができる人間」と、「自分を信じることができない人間」に分かれるという内容だった。幼少時期に受ける愛情によって、人格そのものが大きく影響されるという話はよく耳にするが、「自分を信じることができるかどうか」というところに着目している話は初めてだったので深く印象に残っている。ある本にこんなことが書かれていた。「人間は生まれてから成人までの20年間、普通の家庭で14万8000回の否定的、消極的、悲観的、破壊的メッセージをシャワーのように浴びる。」1日20回でこの数字になる。自分の日常を思い出してみたが、確かにうなずける。子供の頃、母親からしょっちゅう「ダメ、○○しなさい!」「そっちいったらあかん、危ない!」と言われていたし、学校に行けば先生から「うるさい、静かにせぃ!」「なんで宿題してけえへんねん、アホ」と言われていた。会社に行けばヤル気のない同期が「しんどいなぁ」「辞めようかな」って言ってたし、上司は「ヤル気ないんやったら辞めてまえ!」「なんで未達成やねん、サボってるのか!」と言っていた。ちょっと思い出しただけでも「かなりのマイナス言葉を聞いて育ってるなぁ~」とつくづく実感してしまった。私は、心の使い方には2種類あると思っている。ひとつは「自主的」に使うことで、もうひとつは「強制的」に使わせられることだ。前者は人に喜んでもらうために、自主的に心を使う「心配り(こころくばり)」で、この行為には愛がある。後者は自主的ではなく、人や状況に強制的に心の一部を支配されてしまう「心配(しんぱい)」で、この行為そのものに愛は存在しない。「心配」するのは「信頼」がないからするのであって、「信頼」があれば「心配」する必要はない。「心配」は心のどこかで「できないだろう」「無理だろう」と疑っている心の現われなのだ。「親だから・・・」という理由だけで子供を「心配」することは当たり前ではない。無意識に「親なんだから、子供のことを心配するのは当然のことだ」という思い込みは「愛情」ではなく「エゴ」だ。人は「エゴ」を押し付けられるとどんな気持ちになるかは、誰もがわかっていることだと思う。大人であっても子供であっても関係ない。疑わず、心から信じ抜くこと、それが「信頼関係」を築く必要条件なのだろう。クリックしてね!
2005.03.28
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過去には2種類の過去がある。それは「過去の過去」と「未来の過去」。。。「過去の過去」とは、私にとって普通の「過去」であり、一般的に呼ばれている「過去」と同じものを指す。昨日も「過去の過去」であり、5年前も「過去の過去」である。「過去の過去」は自らそれを変えることは出来ない。起こった事実内容を変えることは神様でもない限りできないと思う。テストを受験し、解答が80点であれば、その80点はもうすでに起こった事実なのだから、90点や100点にすることは不可能である。それでは「未来の過去」はどうだろう?よく耳にするが、「未来を変えよう」とか「未来をつくろう」という言葉がある。私も将来はつくるものだから、意識を未来に向けてばかりいた。でも、立ち止まってよく考えてみた。「未来をつくろうとする」のは意識だけど、現実、物理的に未来をつくろうと行動しても、その行為自身は現在から過去にしか流れていかない。解かりやすく言うと、たとえばテストで100点を取るために予習をするとしても、予習をするのは「今」しかない。だから人間は「今」に行動し、過去をつくることしか出来ないことに気が付いた。「未来への意識」と「現在の行動」が自分の過去をつくっていくんだ。それが「未来の過去」だ。といことは、私は「過去」をつくるために生きていることになる。いや、「過去」をつくることしか出来ない。その「過去」によって、人に信頼され、共感されるしか方法はない。過去が出会いを作ってくれる。そして運ばれてきたご縁が、「未来を想像」し、そして「創造」が始まる。「創造」はまぎれもなく、今しかできない。だから「今」を生きなくちゃならない。未来も過去もなく、ただひたすらに「今を生きる」という意味がやっとわかったような気がする。クリックしてね!
2005.03.25
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昨日、「有限会社 私には夢がある」さんの主催で行われた「高橋がなり」さんの講演会に行ってきました。(講演会と言うよりは、膝を詰めた質問会でした)会場は新中野にあるソフト・オン・デマンドの本社でした。参加者は40人弱くらいだったでしょうか。お邪魔した会場も、普段ビデオの社内試写会に利用されているような部屋で、最前列に座っていた参加者と「がなりさん」との距離はおよそ1メートルくらいでした。(超接近!)参加者が用意していた質問を「がなりさん」に投げかけていくというスタイルで進められていきました。司会は「私には夢がある」の代表岩崎久美さんでした。「がなりさん」の印象は、テレビで見るより穏やかであたたかそうな人でした。人見知りするらしいのですが、トークが始まると「がなり説法」が炸裂でした。でも、始終、質問者に対する気配りをされているのがわかり、すごく人間味のある熱く深い人だと感じました。2時間の公演会終了後、フロアを移動して懇親会がありました。ビール、お寿司、乾き物、など全て「がなりさん」からご馳走していただきました。しかも、美空ひばりさんの息子さんである高橋和也さんからも、お蕎麦の差し入れが届きました。「がなりさん、すごい人だな」と思ったことがあります。講演会終了後、二次会に参加できずに帰られる方が結構いらっしゃいました。その方々が「がなりさん」の本にサインを頼まれていたのですが、嫌な顔ひとつせずひとりひとりと会話を交わしながら、サインをされていました。その後、懇親会に来られてからもその対応は変わらず、じっくりと参加者の悩みや相談を聴き、心を込めてアドバイスをされていました。その姿を見て、「この人、カッコいいわ」と心から思ってしまいました。「目の前のことに心を込めて取り組む」ことの大切さを、昨日、「がなりさん」から教わることが出来ました。感謝!
2005.03.24
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明日という日は当たり前に毎日毎日やってくる。ずっとそう思って生きてきた。当たり前に毎日やってくると思っていたし、減っていくもんじゃないと思っていたから、貴重だとは思わなかった。中学3年のときに一緒のクラスに「うえっと」というヤツがいた。俺も「うえっと」も釣りが好きで、自転車に乗って一緒によく釣りに出かけた。「うえっと」の家族は母子家庭で、2歳上にお姉さんが一人いた。「うえっと」は考え方がすごく大人びていて、俺は正直そういうところに憧れを抱いていた。別々の高校に進んだけど、それでもよく遊んだ。「うえっと」は4月が誕生日で、俺は7月が誕生日だったので、俺より先に原チャの免許を取ってスクーターを自慢げに見せに来ていたのを思い出す。高校生のある日、「俺より「うえっと」の精神年齢は1年くらい成長が早いのかもしれない」と、ふと思ったことがあった。家庭環境に苦労がある場合、ひねくれてグレる子供と、そうじゃない子供に分かれる。俺も子供なりに、「やはり苦労は人を成長させる要素なんだろう」と感じていた。「俺には親父もおかんもいるけど、努力して自分を磨いていこう」と思ったことを憶えている。そう、「うえっと」に追いつき、追い越せるように。高校3年の夏休み、友達の家にいるときに連絡が入った。「うえっと」が事故で亡くなったと・・・。木津川という名の大きな川が京都に流れているのだが、友達たちと遊んでいたところ、足を滑らせて崖から落ちたとのことだった。通夜の前日だったが急遽「うえっと」の家に仲の良かった友達が集まった。白い着物を着てふとんに寝かされている「うえっと」をみんなで囲んで座った。けど、誰も涙を流さない。あまりにも突然すぎて誰一人として信じられないのだ。「おい、うえっと起きろよ!」「バイクで走りに行くぞ!」周りを囲んでいつもの冗談を言い合っていた。通夜のときも、告別式のときも、仲の良かった友達は誰一人として信じることが出来なかった。他のクラスメイトは涙を流していたが、俺たちはまったくと言っていいほど状況が飲み込めていなかった。あまりにも普通にしていたので、中学の担任から「お前らいい加減にせぇ!」と叱られたくらいだった。俺たちは見よう見まねでお焼香を済ませ、仲の良かったヤツと集まっていた。告別式が終わり「うえっと」は霊柩車に乗って火葬場に運ばれて行った。車が見えなくなったときに、俺は何かの衝動に駆られ、突然バイクに乗って追いかけた。バイクで火葬場についたとき、家族や親戚の人達がお焼香をしていた。葬儀屋の人が俺にも「どうぞ、最後のお別れをしてください」と言ってくれたので、お焼香をさせてもらった。俺のお焼香が終わると、「うえっと」の棺が焼却炉に押し込まれ、重そうな鉄の扉が「ガシャン」と閉められた。その音を聞いて、はじめて「うえっと」が死んでしまった現実と悲しみが俺を襲ってきた。「うえっとにもう会えない、一緒に釣りに行くことも出来ない。バイクで走りに行くこともできない。お前が死んでしまったら、俺がいくら自分を磨いても、永遠に追いつくことができないやないか・・・」怒涛のごとく涙が溢れ出してきた。体中の涙が溢れ出て止まらなかった。その後、「うえっと」の死への悲しみを俺は1年くらい引きずってしまった。時間だけが悲しみを忘れさせてくれると思うより方法はなかった。母子家庭であり、一人息子を亡くした「うえっと」のおばさんを思うと、なんとも言えない気持ちが込み上げてくる。仕事を始めて3年目、東京に出てきた俺は盆休みを利用して帰省していた。駅でたまたま小学校のときの友達の「ちんけん」に会ったので、そいつと共通の友達である「よしのり」の家に行こうということになった。「よしのり」と「ちんけん」と俺の3人でビールを飲みながら昔話に花を咲かせていた。「よしのり」と俺は幼稚園からの付き合い。高校を卒業してからトラックの運転手をしたり、日雇いの肉体労働をしたりしながら、自分のやりたいことを見つけようとしていたやつだ。この日、「よしのり」はこう切り出してきた。「俺、やっと就職先決まってん。消防士になるわ」 俺と「ちんけん」は一緒に喜んだ。「やっとお前も就職するんや、しかも消防士って凄いやんけ~」と「よしのり」の就職を祝ってやった。盆休みを1ヶ月ほど過ぎた頃、営業中の俺に地元の友達から連絡が入った。「よしのり」が自動車事故で亡くなったとのことだった。俺は頭の中が真っ白になった。「うえっと」のこと「惜しいヤツ亡くしたな~」って一緒に言っていたのに、お前まで死んでしまってどうするねん。またしても俺は涙が止まらず、声を出して泣き崩れた。「二人の友達の死」、俺には貴重な経験だった。電話をすれば冗談ばっか言っている友達だった。ふとどこかでバッタリ会いそうな気がするけど、もうこの世にはいない。若くてこの世を去った友達のお陰で、「生きる」、「命」ということを深く深く考えさせてもらった。そして俺が27歳のときに親父に大腸ガンが発見された。余命3ヶ月、もう手の施しようがないとのことだった。1~2週間に1回のペースで『東京⇔奈良』を往復する日が始まった。俺は子供の頃から、親父のことがあまり好きではなかった。なぜなら、俺は親父が40歳のときに生まれた子で、小学校の父親参観のときはよく「おじいちゃん」と間違われていたからだ。もともと病弱だったために髪が薄く、ほとんどが白髪だった。俺が営業会社に就職したのも、公務員である親父に対抗心を持っていたのかも知れない。「親父よりも稼げるようになってやる」という思いを心のどこかに持っていた。27歳の俺は「副部長」という肩書きをもらって、部下を数人抱えていた。プレーヤーとしての実力はあったものの、部下をうまく育てられずに悩んでいた頃だった。親父の見舞いに行っても、たいして話すことがなかったので、仕事の話をするようになった。でも、「公務員の親父には、営業の俺の気持ちは何もわからないだろうな・・・」と思いながら、部下が育たないことや、自分の指導に自信がないことなどを話すと、すごく適切な答えが親父の口から出てきたことに驚いた。「えっ、なんで?」って思って、話を聞いてみると、親父も市役所時代に苦労をしたみたいで、俺の置かれている状況が手に取るように解かるとのことだった。俺は自分のことが情けなくなった。親父のことを見くびっていた自分に・・・、そして、余命が3ヶ月になるまで自分から近づいていこうとしなかった自分に対して・・・。親父を見舞うたびに、衰弱していくのが見てわかった。のどからタンを吸い取るための管を通されたときには、いよいよ別れのときが近づいてきたと思った。もう、話をすることもできず、アイコンタクトを取ることだけがコミュニケーションだった。いつものように見舞って東京に帰ろうと部屋を出たときに、親父に伝えたいことが頭をよぎった。「親父の息子に生まれてきて良かった」、この言葉を伝えたいと思った。俺を見送るためにおかんもエレベーターホールまで来ていたので、「車の鍵を忘れてきた」といって、俺ひとり小走りに病室に戻った。親父の顔を見て言葉をためらっていると、タイミング悪く看護婦さんが検診に入ってきてしまった。結局、タイミングを逃してしまい、その日は自分の口から伝えることができなかった。そして、東京に帰るために高速道路を走り始めた。伝えたいことが伝えられなかった・・・、心のどこかに引っかかっていた。Uターンしようかとも考えたが、もうすでにかなりの距離を走ってしまっていた。結局、おかんに伝言してもらうことにした。それから数日後、親父は亡くなった。「息子から親父への最後の言葉」を、息子の口から直接伝えてやりたかったという思いは残るが、それでも、どんなかたちであれ伝えることができて良かったと思っている。葬式の時、俺は冷静だった。ひと段落して家に帰ったとき「もっと親父との時間を大切にすれば良かった」と想い、やっと涙が溢れ出てきた。若くして亡くなった友達、そして人生を全うした親父、いろんな人の死を身近に経験して、悲しい想いをしたけれども、「死」と向き合う機会を得ることができたことに感謝している。そして、34歳になってようやく自分の命の使い方について考えるようになってきた。仕事をしてきた目的は「自分がいい生活をするため」、ただそれだけだった。でも、今は違う。「自分の命を人のために役立てたい」「時間を人のために使いたい」と本気で思うようになった。自分のメッセージをもっと多くの人に伝えるために、出版したいと思った理由でもある。ひとりでも多くの人に自分のメッセージを読んでもらい、暗いニュースばかりの世の中を明るくするために、『元気』を発信できれば本望だ!感謝!クリックしてね!
2005.03.23
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今までの自分と何が変わったのか・・・まず、20歳代までは自分のことしか考えていなかったが、30歳を境に「人のために何かしたい」と考えるようになった。漠然とそう思っているときに「軌保博光、奇跡は路上に落ちている」を読んで背中を押され、私の活動が始まった。はじめて路上に座ったのは2004年8月28日、「高円寺阿波踊り」の最終日の商店街だった。この路上活動を機に、その後の自分の生き方が、どのように変わったのかを話したい。まずは、最初に目標を設定した。「何歳までにどのようになっていたいのか」を思いつくまま紙に書き出した。頭の中に思い巡らせるだけでは、いまいち形になりにくい。なぜなら、精神的不安に陥ったときに成功のイメージが揺らいでしまうからだ。だから、形に残すことが大事なんだろう。望月俊孝さんがお勧めする「成功の宝地図」を現在作成中!http://www.takaramap.com/二つ目は、すべてのことに対して「心を残さない」こと。たとえば、駅の切符売り場でおばあちゃんが切符の自動販売機の上の料金表を見上げていたとする。その光景をみると、自分としては少し気になってしまう。「行き先までの料金がわからないのかな?」って思う。でも、一瞬は気になるんだけど、次の瞬間に「ずっと探していればいつかは見つけられるだろうし、わからなかったら駅員に聞くだろう」って今までの私は声をかけずに見過ごしてきた。それを、「手伝ってあげたいな」って一瞬でも思うと、必ず行動に移すように心がけた。たとえ自分に時間がなくても、困っている人に手を貸すことを優先した。始めてみて気付いたことだが、自分が急いでいるときや時間を気にしているときであっても、「なぜ、急いでるのか?」と自分に問いかけてみると、すごくつまらない理由しかないことに愕然とした。「今、ここ」に心を残さないこと、それが大事だ。三つ目は、「ツイてる」「ありがとう」「感謝します」という言葉を意識して使った。ヒマがあれば「ツイてる」と言い、嬉しいことがあれば「感謝します」と言った。そして、嫌なことがあったときに「ありがとう」と言ってみた。食事や買い物など、どこに行っても要領の得ない店員さんっているでしょ。今までは、自分の聞きたいことや言いたいことを、なかなか理解してくれない人にはすごくイライラしてたんだけど、そんなときに必ず「ありがとうございます」って言うと、不思議なんだけど、イライラしなくなることがわかった。効果絶大なので是非やってみて欲しい。四つ目は、準備をすることを意識した。具体的にひとつあげれば「自分の夢がもうすぐ叶う」という前提で心の準備を整え、そして物理的な準備として毎日このブログを書き溜めてきた。五つ目は、成功している人や成功するためにがんばっている人と同じ空気を感じに行った。そして、出会いに感謝の気持ちを込めてハガキを書いた。人脈づくりって意識はまったくなかったけど、自然に人脈は広がりつつあるのかも・・・六つ目は、自分を信じること。自分には必ず夢を達成するために、前に進んでいく力があるんだと信じた。大きなことをしようと思わずに、今、目の前にあることに全力を注いでがんばっている。「頼まれごとは、試されごと」も意識している。七つ目は、宇宙を意識した。人から評価を受けようが受けまいが、見られていようが見られてなかろうが、やろうと思ったことは行動に移した。自分の評価は他人がするものじゃなく、自分自身がするものであり、心を込めて行動したことは必ず成功に繋がっていくと信じている。細かいことはまだあるのかもしれないが、大きなところで言うとこんな感じだ。誰でも、いつからでも出来ることばかりだ。私も若い頃は「んなアホな!そんなことで成功できるんやったら誰だって成功してるがな」と思っていたことばかりなんだけど、「全ての善良なる魂は、宇宙を通して繋がっている」と信じたからこそ、一歩一歩、夢に近づいていると実感している。クリックしてね!
2005.03.22
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最近、自分の身の回りで驚くことが起こり始めている。それは何か!そう、自分の夢がひとつひとつ実現し始めているのだ。今から10ヶ月ほど前に、仕事で行き詰まり、人生にどん詰まり、何とかせにゃぁと考えていた。自分のスキルにもやや限界を感じていたので、スキルアップをはかるためにビジネススクールにいくことを考えた。MBAの取得を視野に入れながら、グロービスの体験入学に参加をしてみた。体験とはいえ、授業さながらの雰囲気でディスカッションを進めていく。「あぁ、ここで数ヶ月過ごせば間違いなく仕事におけるスキルアップは図れるな」と実感した。ただ、自分の納得いく速度でスキルアップするためには、ビジネススクールに行くだけでは難しいと考えた。3年もスクールに通えば、間違いなく成長できるだろう。でも、私が考えたのは、もっと以前の自分の能力を開発してからでも、ビジネススクールは遅くないと感じたのだ。そこで着目したが『速読』だった。早速、渋谷のとある速読教室に入学し、毎日曜日に通い始めた。朝の10時から夕方の6時まで、ひたすら目の訓練をするという方式だった。斜め読みとかフォトリーディングとか、さまざまな速読術があるらしいが、私の行った学校は、とにかく「見る能力」を鍛えるというやり方だった。徐々に読書スピードはあがり始め、学校に行くまでの半分くらいの速度で読めるようになった。そうなると読書が面白くなる。朝、4時に起床してお風呂で半身浴をしながら読書を始めた。これは今でも続いているが、月に10冊~20冊くらいは読むようになった。それまではせいぜい2冊が限界だった。片っ端から、自分のためになりそうな、おもしろそうな本を読んでいくうちに、「斎藤ひとり」さんの本と出会うことができた。その中に、「読書のすすめ」という本屋さんがたびたび出てくる。八百屋や果物屋に行けば、新鮮なものを薦められる。それと同じで、「本屋だって良い本を主人が薦めたっていいじゃないか!」と豪語している、おもしろくもあり、熱い本屋さんだ。その本屋が「読書普及協会」というNPO法人を運営していて、そのイベントに参加したのが去年の11月半ば。その会場で、理事長の清水さんや、目の見えない人にも絵の楽しさをわかってもらいたいという思いで切り絵を始められた『切り絵 カオリ』さんとの出会いがあり、それからちょくちょくとイベントには参加するようになった。今までいろんなイベント・セミナーには参加してきたが、なんかわからないが他とは違う居心地の良さが感じられた。年末にお台場で「読書普及協会&四郎の会」のイベントと忘年会があった。その忘年会でゴマブックスの遠藤編集長と名刺交換をさせていただいた。年が明けてからも協会のイベントに参加し続けた。切り絵のカオリさんとは、「ねーちゃん」と慕えるくらい可愛がってもらえるようになった。そのねーちゃんが師匠と崇められている岡保さんという人がいて、この岡保さんのご縁でうどん屋さんのメニューを書かせてもらった。そんなこんなで、つい先日、『清水克衛、佳川奈未の出版記念講演』というものがあり、例のごとく参加してきた。そこでまたゴマブックスの遠藤編集長との再会があり、私の原稿を読んでいただけることになったのだ。原稿と言っても、このブログになるのだが・・・あっという間にトントン拍子でご縁が広がった。でもなぜ広がったのか。それはある法則に則って私が数ヶ月行動したからだ。自分でも試験的にやってみようというくらいのノリだったから、たったの数ヶ月でここまで自分の思いどおりにことが進んでいるのがコワいくらいだ。次回はその法則を書くことにしよう。クリックしてね!
2005.03.17
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バレなきゃいいとずっと思ってた。誰にも見られてなければやってないことと同じだと、ずっと思っていた。それが善でも悪でも・・・「浮気はバレなきゃしてないことと同じ」「店員さんからおつりを多く受け取ったけど黙っておこう」そんな発想だ。「正しい」とか「間違い」とかを考えず、自分の利益だけを考える。逆に良いことをした場合、他人に評価されたいから、わざわざ言うほどのことでもないことまで自慢げに言ってしまう。そんな自分がどこかにいた。でも、本当は違う。本物は自分の利益より、まず相手のことを考える。倫理的、道徳的に素晴らしいことをしていても、それが「当たり前」と考えているので、その行為を恩に着せたりしない。私も自分のことしか考えていないときがあった。「損」とか「得」とか言って、振り回されてきた。今、自分が理解している現実社会が全てで、お金でもモノでも、人より多く所有したいという欲求をずっと持っていた。「でも、そうじゃないんだよ」って何冊もの本が僕に語りかけてきてくれた。34歳になってようやく理解することができた。理解できたのは、「目の前の損得よりも、徳を磨いた方が良い」という『教え』ではなくて、「なぜ、良くなるのか」という『理由・仕組み』の方だ。どれだけの規模で物事を捉えていくかによって、その人の出す答えは大きく違ってくる。私自身は、「宇宙レベル」で考えたことによって全て結びついた。それを理解してから、人の目を気にせずに、良いと思えることは行動に移し、やらない方がいいと思うことはやらないようになった。クリックしてね!途中、流されて遠回りしてしまったことがあったのかも知れない。でもそれは、遠回りではなくて必要だったこと。考え続けたから精神レベルのステージを上げることができたんだと思う。これまでのすべてのことに心から感謝したい。
2005.03.17
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昨日の自分から卒業すること。人生は卒業の繰り返しだと思う。「読書」というキーワードをもとに集まった仲間が、「読書」を通して自己成長し、日本を今よりも、もっともっと良い国に変えていこうと活動している熱い人たちの集まりがある。協会の理事長である清水克衛さんが言っていた。「感動にも卒業が必要なんだ」その言葉を聴いて感銘を受けた。本や映画、講演会や研修、仕事や出会い、人間は様々なものに感動する。私は、「感動から卒業する」ということは、これまでの感動は大切なものとして残しつつ、新たな感動と出会うこと、それが「感動から卒業する」ことだと思っている。たとえば親元を離れ、自活するまでは、自活している人の大変さはわからない。ひとり暮らしをするまでは、ひとりの寂しさはわからない。自分がその経験をしてみないと、その人の気持ちになって考えることは、なかなか難しいことと言えるだろう。感動も同じだ。自分の心が動くか動かないかは、自分の経験で大きく変わってくる。経験が増えれば増えるほど、また、人との出会いを重ねれば重ねるほど、感動が増えてくる。自分の心には器があって、その中には、いくつものいろんなものが入っている。器があふれんばかりになっている人もいれば、まだまだ他のものを入れるだけの余裕がある人もいる。そして、器の中に入っているものをひとつずつ吸収することによって、また新たなものを器の中に入れるだけの容量を得ることができる。だから、今ままでまったく心に響かなかったことが、ある瞬間に響くようになるのは、器の中にあるものが消化できたときだと言えるだろう。このような繰り返しで、私たちの「心」は成長していくのだと思う。また、器の中身をかき混ぜてやることも大切なことだ。常にかき混ぜてやらないと、中のものは固まってしまうか腐ってしまう。一度、固まってしまうと、なかなか分離しにくくなるし、ひとつが腐りだすと他のものにも移りかねない。今あるものをかき混ぜながら、新たなものをひとつふたつ器に入れてやることも、消化のためには欠かせないとても重要なことだ。クリックしてね!自分の器の中身をもっともっと創造していこう! きっと楽しくなるはずだ。
2005.03.16
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固定観念をなくすこと。大人になればなるほど、難しいと感じてしまうかもしれない。自分自身が傷つき、それを乗り越えながら身につけてきた「アウトとセーフのライン」は誰にだってあるだろう。「以前、うまくいったから今回もうまくいくだろう」とか「以前失敗したからやっても無駄だろう」とか・・・事実に基づいたデータだから、もっとも正確だと言える。でも、一歩間違うと固定観念になってしまう。たとえば、前に成功したからといって、これからもずっと成功するとは限らないし、失敗したからといって、これからもずっと失敗するとは限らない。自分自身が成長しているだろうし、周りの状況だって変化しているだろう。過去のデータは過去の事実を正確に映し出しているものであって、現在の事実を映し出しているものでは決してない。自分の経験は、自分が今も成長し続けているという前提で考えてこそ、正しい使い方になると思う。「自分の成長」を前提とせず、経験データを持ち出すと、単なる選択肢を狭めているだけってことに成りかねない。だから固定観念を捨てよう!何歳になったって感性はまだまだ磨かれるし、価値観だって成長させられる。人間の可能性は無限大だ。自分の中の宇宙を信じれば、すべてが繋がり、自分の成長のために動き出す。『思考も感性も、思いやりも愛情も、感情も心も、常に進化し成長する』クリックしてね!
2005.03.15
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「逆転満塁ホームラン」は地道な努力を重ねた後にしかやってこない。このことを理解せずに「逆転満塁ホームラン」を狙っている輩がこの世に多い。ホームランは、地道な努力を重ねて、力を蓄えてきたからこそ打てるものであって、努力もせずにまぐれで打てるものではない。しかし、努力にも二種類がある。それは報われる努力と報われない努力だ。同じ『努力』でも、結果が大きく違ってくるのは何故だろう?それは過程を経る段階での、心の持ち方に尽きるといっても過言ではない。まったく同じ行動をしていたとしても、心の持ち方次第で「天と地」ほどの差が開くのだ。『報われない努力』は、本人が一番辛い。それは、報われなかったと確定した時点で辛いのではなく、努力しているときからとにかく辛いのだ。なぜなら、心にストレスを抱えながら、目の前のことを嫌々やっているからだ。逆に、『報われる努力』は、本人が一番楽しい。結果より過程を心から楽しんでいるので、ずっと続けていられる。本人にとっても辛いことをしている実感がない。毎日を楽しみながら、精神面・技術面共に、確実に成長しているのだ。『雨だれ岩をも砕く』 ものごとを習慣化するまでには、それなりのパワーがかかるが、3ヶ月続けると大抵のことは習慣化できる。自分を律し、行動している人にしかわからない感動の世界がある。それを味わうために、コツコツと積み重ねていこう。 クリックしてね!
2005.03.14
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ヴォルテックス(有)の望月さんのところで開催された、中村文昭さんの講演会に行ってきた。笑いあり、涙ありの、めちゃくちゃ感動するええ話やった。望月さんは、能力開発や癒し・心理学を中心としたセミナーを開催されている。この分野のスペシャリストとして18年間、50,000人以上の指導実績があるそうだ。また、最近評判の「フォトリーディング」の指導もされているとのこと。著書は『幸せな宝地図であなたの夢がかなう』や『癒しの手』などだ。楽天ブログでは「歩くシンクロマスター」というタイトルで書かれているので、是非覗いてみよう!中村さんは、三重県の伊勢で(有)クロフネカンパニーという会社で、レストラン経営をされている。三重の田舎から東京に出てこられた18歳からの生き様がめちゃくちゃカッコ良くて面白い。日々を中途半端にモヤモヤして生きている人は、絶対に講演会に行くべきだ。著書は『お金でなく、人のご縁で でっかく生きろ!』だ。「その人の存在が、勇気を与えてくれる。だから、また会いたくなる。」自分もそんな人間になれるように、魂を磨いていきたい。 クリックしてね!
2005.03.11
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これは何年も「昇進・昇格」できず、ずっと同じポジションで仕事をしている部下に送った言葉だ。「昇進・昇格」を目指すかどうかは、その人が置かれている状況にもよるだろうけど、ベンチャー企業では殆どの人が、次のステージを目指して仕事をしている。それを前提に考えてみたい。ベンチャー企業で働くということは、自分にもチャンスはあるけど、自分以外の人にも同じようにチャンスがあるってことだ。だから、自分の頑張りよりも、後輩の頑張りが上回れば、後輩が先に昇進するのは当然のことと言える。その状況を素直に受け入れるかどうかによって、その人の成長度がまた大きく変わってくると思う。例えば、「100」のエネルギーで仕事に取り組んでいたとする。すると、自分は「100」のエネルギーで取り組んでるもんだから、どうしても満足してしまうんだよね。でも、もし後輩のエネルギーが「105」だとしたら、いつかは抜かれちゃうんだよ。先輩だから、経験とか知識とかは、確かに後輩を上回ってるんだけど、仕事に対するエネルギーの掛けかた次第で、いつかは知識や経験を抜いてしまうんだ。あと、成長したくてもなかなかできない人は、こんな風に考えていることが多い。「俺だって一生懸命にやってるのに、なんであいつだけが評価されるんだ!おかしいじゃないか!」って。だけど、成長できる人の考え方は全く違う。「俺より後輩が評価されたってことは、俺よりもあいつの方ががんばって成果を上げることができたんだな。もっと自分なりにやれることがないか考えてみよう!」って、こんな風になるはずだよね。現実的な状況を「悲観的」に捉えるか、「楽観的・肯定的」に捉えるかで未来への一歩が大きく変わってくる。よく例えられるのが、コップに水が半分入っている状況を見て、「あと半分しかない」と捉えるか、「まだ半分残っている」と捉えるかだ。でも本当に大切なのは、後に続く『隠語』だと思う。例えば、「あと半分しかない」と捉えた場合、その後に続くのが「だからもうダメだ」という隠語ならば、マイナス志向で完結することになるし、「あと半分しかない」「だからがんばろう」と続くのであれば、プラス志向で完結することになる。同様に「まだ半分残っている」と捉えるのも、その後に続く言葉が「だから大丈夫」と想像できるから、希望が持てるってことになる。だから、自分に言い聞かせたい。すべての物事は、自分にだけ不幸に降りかかってきてるんじゃなくて、平等に起こっている出来事なんだと。ただ違うのは、現状の「不満」に焦点を当てるか、未来の「希望」に焦点を当てるか、ただそれだけなんだ。「1年365日、1日24時間、悪天候、嫌味な上司、下心のある友人など」この状況に大差はない。自分の目の前にある状況を、「悲観的」に捉えるんじゃなく、「楽観的・肯定的」に捉えることができれば、自分の世界は「希望」に満ち溢れた、最高の世界になるんだよ。 クリックしてね!
2005.03.11
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この言葉は、新潟の被災地に送り続けた言葉だ。普通に生活していたら、突然の地震に襲われ、自分が怪我をしたり、大切な人を失ったり、家が崩壊して住むところがなくなったり・・・ 夢であって欲しいと思うやろう。本当に辛いやろうと思う。ニュースでは、エコノミー症候群で亡くなられた報道が続いた。車中で生活をしていると、血液の流れが悪くなり心不全などを起こしてしまうということらしい。40人以上もの方が亡くなられた。そんな報道を見ていて、自分に何が出来るかを考えた。新潟に入って、直接、ボランティアをしようにも、平日は会社に行く必要がある。かと言って何もせず、テレビを見ているだけでは、自分自身に納得がいかない。俺は、阪神大震災のときは、全く何もしていない。同じ関西人なのに、何かをしようという気すら起こさず、テレビや週刊誌の映像を、人ごとのように見ていただけやった。あれから、数年、いろんな人との出会い、書物との出会いがあり、自分なりに成長できた部分も少なくないと思っている。山田和尚こと、バウさんの本を読み、公演を聴きに行って、その偉大さを知った。てんつくマンの映画を観て、何かを始めなきゃいけないと思った。斉藤ひとりさんの本を通して知った、「読書のすすめの清水克衛さん」ともお会いするたびに、愛に生きる人間の熱さを教えてもらっている。「あぁ、俺はビジネスマンになって、人間としての大切なものを忘れてしまっていた」と痛感した。それからは、いろんな書物を読み、セミナーにも参加し続けている。「心にもっと栄養を与えたらんなあかん。このままやったら自分自身が枯れてしまう・・・」と危機感を持った。それからは、少しずつだけど変化してきたように思う。そんなとき中越大震災が起こった。「俺にはいったい何ができる?」毎日ニュースを見たり、インターネットで状況を確認しながら出来ることを考えた。震災からしばらくして、全国各地から救援物資が現地に届けられ、ボランティアの人たちや自衛隊も、現地に入っていた。俺も現地に行って、何かの手伝いをすることはもちろん出来た。ただ、テレビやインターネットの情報を見る限り、ボランティアの人たちや、救援物資は十分に足りているようにも見えた。相変わらず、「エコノミー症候群で亡くなられた」というニュースは絶えなかった。東京にいる俺でさえ、そんなニュースを見ると悲しくなるし、不安になってしまうというのに、現地の人はいったいどれほどの不安を抱えてるんだろう。少しでも、その不安を和らげることが出来ないものかと考えた。そして思い付いたのが、「励ましの言葉」を被災者の方々に送るということだった。しかも、できるだけ多くの人に・・・ 当初、学校の体育館や福祉施設など、避難所は350箇所以上にのぼった。避難所の中でも、長岡市の中学校、高校、小千谷市の学校などは、最大1000人もの避難者で溢れかえっていた。応援物資を送ると決意はしたものの、新潟県庁のホームページから情報を取り出したときには、あまりの数の多さに尻込みした。ただ、ここで諦めてしまっては何も始まらないし、こうしている間にも、おじいちゃんやおばあちゃんは心細さに耐えているんだと思うと、俄然やる気が出てきた。そこで、まずはメッセージから書き始めた。インスピレーションで勇気、元気の出そうな言葉をいくつか書いた。『もうひとふんばり』、『おばあちゃん、もう大丈夫だよ、私たちが来たからね、安心していいよ』、『仲間がいるから 大丈夫』、『止まない雨はない 明日は晴れる』、『大丈夫、人間は強い』、『人生は開き直り 勇気と覚悟で コワいもんなし』、『こんなときこそ支え合い こんなときこそ譲り合い どうせやるなら競い愛』・・・25枚前後のメッセージを書き、それを送ることにした。俺が勤めている会社が9時から始まるので、2時間早い7時に出社し、不要になった資料などの裏紙にコピーを始めた。1日700枚程度。このときにつくづく思った。自分の会社がOA機器の販売会社で、コピーのメンテナンス人員が自社の社員で良かったと。コンビニでコピーするとなると「10円×7000枚」だから、7,000円にもなる。それを20日間続けると140,000円にもなってしまう。その分が節約できたのは、俺にとっては大きかった。20時を過ぎると仕事に区切りを付け、印刷した用紙を持って、自宅に向かう。途中、100円ショップに寄って、6枚入りの茶封筒、のり、シールを買い占めた。自宅に着くとすぐ、インターネットから避難所をリストアップし、その他の情報も併せて収集する。ネット上から得た情報だと、ボランティアセンターへの郵送は無料ということだったので、最初の700枚のメッセージをボランティアセンターに送ることにした。正直、被災者の手元に届くかどうかは不安だったが、とりあえず送ってみることにした。数日後、予感的中の内容が書かれた新聞記事を読んだ。「物資が余りすぎていて必要のないものは倉庫に眠っている。処分に困っているし、物資を振り分ける作業が追いついていない。」という記事だった。「前回に送ったメッセージは、間違いなく被災者の手元には届いていない・・・」 作戦の変更が必要とされた。それからは、各避難所の住所を全て調べあげ、学校の体育館や病院などの避難所に直接送ることにした。自宅に帰ると、宛名書き、封筒糊付け、そして翌日5時に起きて24時間受付の郵便局に持っていく。郵送費は1回に付き7~8,000円くらいだ。そんな毎日がしばらく続いた。新潟の地震が起こる前までは、週末は井の頭公園や中野ブロードウェイという商店街で路上詩人をしていた。路上に出れば自分の作品を買ってくれる人がいる。元気を失った人や、落ち込んでいる人に、励ましの言葉を書き、その人たちに喜んでもらえると本当に嬉しい。だから、週末はずっと路上の活動を続けたかった。ただ、「現地にも行かないで何がボランティアだ・・・」という思いは頭の中から消えることはなかった。週末は路上に出て、作品を売ってお金をいただいている。平日はボランティアという思いで応援物資を送っている。だったら、「週末に直接現地に行って何か手伝うことがあるんじゃないか」「路上に出てお金をいただいて、好きなことをやっているなら、現地に行くべきじゃないのか」 そんな思いを巡らせる日が続いた。ふとしたときに、ある考えに到達した。「そうだ、週末、路上に出ることは悪いことじゃない。喜んでくれる人がいるんだから、むしろいいことのはずだ。ただ、いただいたお金は、全て新潟に物資を送るための郵送費にすればいいんだ。」って考えたら、自分の中のしこりがきれいに取れた。「新潟を元気にするためにメッセージを送り続けたい。そのためには路上に出て、郵送料や材料費をたくさん稼がなきゃいけない。買ってくれたお客さんは俺の作品を見て喜んでくれる。新潟の人たちにも元気を与えられる。」こう考えたら全部が繋がった。11月に入り、ようやくリスト上の避難所にメッセージを全て送り終えることができた。住所の書いていない避難所や、建物ではない避難所には送ることはできなかったが、やれるだけのことはやったと思う。正直、被災者の方々の手元に届いているのかはわからない。仮に届いていたとしても、勇気や元気を与えることができたかどうかはまったく知る由もない。たクリックしてね!だ、自分の想いと行動の結果が、ひとりの人を救うことができていれば嬉しく思う。
2005.03.10
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自分が好きか?と聞かれて「好き」と答える人は50%くらいだろうか。「好き」と答えられない人は、不思議と言い訳から始まることが多い。「まだ実績を出していないから・・・」とか「最近はちょっと疲れ気味で・・・」って感じで。でも考えてみよう。たしかに実績を出せるようになって、いつもエネルギーが満ち溢れている自分を嫌いにはならないだろうけど、自分のことが好きな人は、果たして全員がその過程を経ているのかどうか。好きになれるだけの何かをやり遂げたから、好きになれたんじゃなくて、ただ自分のことが好きだったから、自分を信じることができて、だからこそ、結果を残すことができたんじゃないかって思うんだ。自分を好きになるのに「理由や実績」なんて要らないんだ。そして、つまらない習慣や他人のモノサシに囚われる必要なんてまったくない。自分という存在は宇宙にたった1つしかない。存在するだけでオリジナルであり、オンリーワンなんだ。この世に生まれてきたことに心から感謝し、今を生きていることを実感すれば、誰もが自分を好きになれると思う。不安ばかりで、自分を好きになることを忘れてしまった人は「ゼロ」に戻ろう。この世に生まれたとき、人間は何も持っていなかった。何かを成し遂げる期待もなかった。責任もなかった。ただ、存在することに両親は喜び、親戚は喜び、お医者さんや看護婦さんは喜んでくれたんだ。原点に戻ろう。そこからが本当の人生の始まりだ。 クリックしてね!
2005.03.09
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人間は生まれながらにして強いのか?それとも弱いのか?もし、人間は成長の過程で否定的な言葉と出会わなかったら、不安という概念は無く、意気揚揚と毎日を楽しくチャレンジしているのかも知れない。先人の知恵は大切だ。自分が生きていく上で、経験豊富な人のアドバイスは参考として聞いておいた方がいい。ただ、世の中には、「真の成功者」と「一時の波に乗っている人」と「途中であきらめた人」の三通りの人がいることを理解しておかなくてはいけない。「真の成功者」は有形のものだけでなく、「成功法則」がなんたるかを考え抜き、境地に達した人だ。それに対して「一時の波に乗っている人」は、有形のものを得る手段を習得した人に過ぎない。そして「途中であきらめた人」は、まさに読んで字の如くである。だから、人のアドバイスが100%正しいかと言うと、そうではないことも頭に入れておくことが必要だ。大抵の人は、自分が何かに挑戦しようとしたときに、「成功者」ではなく「身近な人」に相談する。そもそも、それが失敗の始まりだ。もし、自分が本当に成功したいのなら、「身近な人」にアドバイスを求めるのではなく、「成功者」にアドバイスを求めなくてはならない。単に「身近」というだけでアドバイスを求めてしまっても、その人が、自分のアイデアを出した分野に精通しているとは限らないし、適切なアドバイスを得られる可能性は限りなく薄い。成功していない人にアドバイスを求めても、「あきらめた体験談」か「いい訳」しか聞くことはできない。「成功のための道のり」を歩いていくために、「成功を放棄した人」のアドバイスは必要ないのだ。仮に、いろんな人からアドバイスを受ける機会があり、その中に成功談や失敗談があったとしても、その話をもとに独自のプランを練り、「チャレンジするか、やめるか」を決めるのは、結局、自分自身なのだ。世にまだ出ていないものこそ、成功の可能性を秘めている確率は高い。がしかし、世にまだ出ていないからこそ、安易にアドバイスを誰彼かまわず求めても、否定的な言葉しか返ってこない。重要なのは、アドバイスを受ける相手が「成功者」なのか、「一時の波に乗っている人」なのか、「あきらめた人」なのかを知っておくことだ。他人のマイナス思考に、自分のチャレンジ精神が潰されてしまうのは、全く意味のないことだ。人間は、一度「不安の味」を知ってしまうと、とことん不安になってしまう。「あぁ、人はこんなことで不安になるんだ」って共感した時点で、無意識にその方法を習得してしまったことになるから、気をつけなければいけない。そして、「不安癖」に犯されてされてしまうと、不思議と似たような人が集まってくる。そんな人に周りを固められたら最後、何かにチャレンジしようと思っても、ことごとく否定されてしまう。マイナス思考の人は、自分が行動することを嫌うし、人のことを応援するのも嫌いなのである。だから、常に心を鍛えておかなければいけない。雨が降ろうとも、嵐が吹こうとも、「いつ、どこまで、たどり着く」と決めたら、何があってもアクセルを踏み続けなければいけない。大雨になれば視界が悪くなるだろう。そんなときは、スピードダウンしたって構わない。ただ、走り続けなければゴールに辿り着くことはあり得ない。自信をもっともっと鍛えよう。目先の悪天候にまどわされてはいけない。「この先、雨だから行かない方がいいよ」ってアドバイスは聞く必要がない。永遠に雨が降り続くことはないんだから。空は青い。希望があれば、必ず夢は叶う。自信は青天井で持て! クリックしてね!
2005.03.08
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俺さぁ、中学生の頃、よく考えてたんだけど、みんなは、自分がこの世に生まれてきた確率って、考えてみたことある?日本の人口が1億2千万人くらいで、おやじとおかんが出会って、恋に堕ちて(これはあんま想像できないけど・・・)、おやじの精子が、おかんの卵子に受精して(これもあんまり想像したくない)、そして俺が生まれてきた。地球規模で考えると、同じ日本に生まれただけでも縁があると思うのに、同じ土地に住み、ふとした出会いがあり、お互いが惹かれ合い、結婚して子供を産むなんて間違いなく奇跡だと思う。そこに時間軸まで取り入れて考えると、もっと凄い。おやじとおかんのどちらかが、明治時代に生まれていれば間違いなく俺は存在しなかった。地球が生まれてからの歴史の中で、二人の男女が、今、出会って恋に落ちる確率は凄いことだ。思春期の頃、そんなことを考えて、自分の存在価値を見出そうとしていたときがあった。生まれてきたありがたさや、自分は何者なのかを感じたかったからに違いない。「もし、隣の精子が受精してたら遺伝子の関係で姿形は似ていても、俺じゃなかったのかな・・・」 そう考えることで、ちょっと不思議な気持ちになったり、「今、俺が俺で良かったな」って思おうとしていた。でも、どこかで気付いたんだ。こんなこと考えていても意味がない。俺が生まれてきた確率は「何億分の何」とか「何兆分の何」とかではなくて、俺が生まれてきた確率は100%なんだと。だから、「おやじとおかんが出会わなかったら・・・」なんてことはあり得なかったし、今、俺が俺であり、存在するということは100%なんだ。だから他人と比べて何かが劣っているとか、他人と比べてどうにか近づかなきゃならないとかって、まったく思わなくったっていいんだ。他人は他人であって自分ではないんだから、比較する必要なんてこれっぽっちもない。自分があくまでも自然であればいいんだよ。無理をする必要なんてどこにもない。自然に楽しみ、自然に感じ、自然に努力し、自然に顔晴ればいい。あくまでも自分のペースで穏やかに流れていけばいい。ひょっとしたら、そのペースが周りと合わないと感じるときがくるかもしれないし、もしそうなれば、いろいろ言われるかもしれない。でもね、何を言われてもそんなもん聞かなくてもいいの。言われると「辛いな、言われたくないな」って思うでしょ。だから「言われないように頑張ろう」って思ってしまうでしょ。でもね、無理して周囲に合わせても、結局自分のペースじゃないからしんどいんだよね。しかもそれを長く続けていくと、自分が自分でなくなってしまって、結局自分にとっても、周囲にとっても良くない結果を招いてしまうんだよ。身体も心もストレスをためてしまうと、必ずどこかで爆発してしまうものなんだよね。だから、あくまでも、自分は自分らしく心のままに生きればいいんだ。大切なのは自分自身が楽しむこと。自分が自分に対して楽しんでいれば、自然とそのエネルギーが周囲に移り、人は楽しそうにしている人の生き方に共感していくんだ。 クリックしてね!
2005.03.07
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あなたは自分が好きですか?昔は好きだったけど、今はそれほど好きじゃない。昔は嫌いだったけど、今は好き。昔も今も好きじゃない。昔から変わらず、大好き。いろんな答えが返ってきそうですね。自分が自分を好きになるには、必ずと言っていいほどの絶対条件があります。それは自分が自分らしく、全力で今を走っているかどうか。全力で今に取り組んでいる人は、自分に自信を持っています。そりゃ、不安になることだって、もちろんありますけど、でも心の奥では、『全力で事に当たれば、結果は必ずついてくる』と信じています。たとえ、「有形の結果」が得れなかったとしても、「無形の何かを得る」ことができることを知っています。「有形の結果」を得ることが出来なかったとしても、全力を尽くしたなら後悔は全くなく、すがすがしさと次回への挑戦心があるだけです。『何もしなかったことに後悔することはあっても、何かに挑戦してみて後悔することはあり得ない』疲れたら休めばいいんです。そして、不安になればまた走り出せばいいんです。自分の未来を信じて、全力で今を走り抜けばこそ、本当の自分に巡り会えるんです。さぁ、今日も一日、目の前にあることに全力を尽くそう! クリックしてね!
2005.03.04
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最近、採用活動のための面接が続いているので、就所活動の話が多くなりがちですが、活動中の学生さんと接することで、実に様々なことを学ぶことができます。そんな毎日に感謝です。就職活動中の学生さんからすると、「社会」ってなんか漠然とした大きな「ルールの塊」のように見えるようです。その中に入って自分を否定されそうな不安。自分という存在を無視されそうな恐怖。自分の生かし方が分からないから、歯車にされてしまうことへの反発が沸き起こってしまうらしいのです。でも、その感情は特別なことではないような気がします。今から13年前に、私も同じ気持ちを持っていたんだろうなって懐かしく思えたりもします。大切なのはそこから先なんでしょう。私たちは、まだ起こりもしていないことに恐怖や不安を抱くことが少なくありません。でも、その習慣的ともいえる感情がマイナス思考を呼び、人生の選択肢を狭めてしまっているのです。身を置いたこともないのに想像の世界を判断し、想像の世界を採点し、想像の世界を否定してしまいます。そしてチャレンジしない自分を慰めようとします。それじゃ、あまりにもつまらない人生でしょう。やりたいことがあれば、ひたすらやればいいのだと思います。何かにつけて否定したり、批判する習慣を捨て去りましょう。自分のことを信じて、自分のやりたいことを、ただひたすらにやり続ければきっと楽しいはずです。自分のやりたいことを、やり続けたときに、新たな何かが見えてきます。自分のこだわりを貫いていこうと決心し、行動が蓄積されていけばこそ、本当の個性が生まれるのだと思います。
2005.03.03
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人から求められていることと、自分がなんとかやり遂げたいって思ってることが、必ずしも一致しているとは限りません。自分なりには一生懸命に取り組んで、自分なりの目標としていたポイントまで到達できたとしても、人から見たら「まだまだ」だと言われてしまうことって少なくないと思います。。逆に、人は褒めてくれるけど、自分的には「まだまだ」って思うこともあります。この場合、自分が「まだまだ」って思うのなら、自分が納得いくまで頑張れば済むことです。ただ、自分は満足しているのに、人がとやかく言ってくると、気にしたくはないんだけど、なかなかそうはいきません。「あれ、なんかマズイかな・・・」とか「ぜんぜん十分じゃないのかな・・・」とかって思ってしまいます。でも、そんなときこそ、人のことなんか放っておいて、自分を褒めてやりたいです。 他人はとやかく言ってくるけど、その人が自分の人生を生きてるわけじゃありません。思考や感情や価値観、愛情のモノサシだって自分は自分です。他人のモノサシとは単位が違うんです。「ノギス」で計らなければいけないものを「三角定規」で計ることはできないのです。でも、人は「助言にならない助言」をその人の「思い込みの親切心」で言いにきてくれます。時と場合によりますが、聞かなくてもいい助言もたくさんあるような気がします。自分自身が思う「精一杯の地点」までたどり着けたら、思いっきり自分を褒めてあげたらいいのです。 クリックしてね!
2005.03.02
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『働く』ってことに対して、考え方や価値観って人それぞれ違うものです。社員数が何千人もいるような、名の通った大きな会社で働きたいって人もいれば、もっと人数の少ない会社で働きたいって考える人もいます。どっちが良いか悪いかなんて当然なく、「良し悪し」というよりむしろ「合う合わない」という視点で考えた方がいいかも知れません。たとえば、「安定」を求めて大手に入社しても、今の世の中、大手が必ずしも安定しているとは言えませんし、「10人の会社だから、吹けば飛びそうだ」と思っていても、5年やそこらで球団を買うまでになっているかも知れません。そういう見方をすると、先のことを考えすぎて思い悩んでいることが、時間の無駄だということに気付きます。採用活動をしていて、「社会経験をしていない学生さんが、就職先を決める」ってホント大変なことなんだろうなって思います。実際に会社に入って働かないと、見えてこないことっていっぱいありますからね。ただ、情報はなるべくならたくさんあった方がいいのでしょう。例えば、「大手企業とベンチャー企業の大きな違いについて」や「業種ごとの特徴と将来性について」など。全てを知ることは不可能でしょうし“知りたい”って思いが強すぎてもバランスが崩れてしまうのかもしれませんけど、あくまでも「選択するための情報」、「決心するための情報」を収集するって感覚は必要なことだと思います。後悔しないために最低限の研究はしておかないと、いざ就職してみてから違うなんてことになったら、それこそ取り返しがつかないですもんね。あと、「何をやりたいか」ということも大切なんでしょうけど、「誰と働きたいか」ということも大切なことだと思います。まず、「何をやりたいか」について考えてみました。大きく分けた職種の志望はあってもいいとは思いますが、細かく「あれとこれをやりたい」と決めてしまうと、逆に「あれとこれはしたくない」と決めてしまうことになりかねません。そうすると、自分の可能性を狭めてしまうかもしれません。その点においては注意が必要な気がします。次に「誰と働きたいか」について考えてみました。私にとっては「何をやりたいか」よりもこっちの方が重要な気がします。私にとって、仕事はとにかく経験です。そういう観点で考えるので、「何をやりたいか」はあまり重要ではありません。ただ、尊敬できない上司や、好きになれない仲間と一緒にいるのは何よりも苦痛です。なぜなら、常に向上心を持って、失敗を恐れずにチャレンジしている仲間と一緒に、進んで行きたいと思っているからです。 クリックしてね!
2005.03.01
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