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まず、後藤事件の地裁判決ですが、拉致監禁という事実認定は行われなかったとのことです。刑事訴訟にならない線が落としどころということでしょう。賠償金額は期間の長さに比例しており、妥当な単価であると思われます。後藤氏が外界で働き10%の歩合で布施 (什一献金) すればこの程度の金額になったはずです。支払う側としても、払えない金額ではないでしょう。足りなければ支援する用意があります。しかし、安易に長引かせることに対し、歯止めになると思いますから、歓迎します。 次に、靖国神社です。純粋に祖国の永久平和を願って生命を差し出した人々は、いうまでもなく、その霊を安んじて差し上げなければなりません。命を懸けた彼らの決意をよく知って、私たちのものとしたいところです。再び日本を戦争の泥沼へ引き込んではならないということに尽きます。ところが、政治家や外交官などの戦争指導部を合祀してしまいました。不見識極まりないと思います。そのうえ、何代か後の後輩に当たる首相が公然と肩書を付けて参拝するというのですから、合祀すなわち恥の上塗りにしかなりません。外交問題化するのは、合祀を正当化する行為だからですが、関係悪化が昂じれば、ついには一触即発となりかねません。そんなことが、英霊たちの希望だったのでしょうか。さかさまにボナパルティズムの宣伝材料にしているのですから、まさしく冒涜であります。浮かばれません。
2014/01/30
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日本では在野の船に太陽の意匠が掲げられた歴史的事実がある。平安時代、日高見国(当主はアテルイ)は侵攻する朝廷軍に抗戦した際、軍船の白い船縁に紅い丸を描いた。江戸時代の終りには、綿花栽培の肥料として鰯(いわし)が使われ、民間で大規模経営の漁業が始まる。古くからの小さな漁船が使用する帆と信号旗は、伝統的に筵(むしろ)だったが、ここでは新たに大型の漁船が建造され、綿布の帆が用いられた。前面に掲げる帆には赤や紺色の正方形と円形の単純な図形が鮮明に描かれた。日本ではここから豊漁に恵まれた漁船が華やかに装うようになったのである。近代になると、民間の船員が海軍に使役されるようになり、日中戦争には西日本各地の漁港から民間の動力船が動員された。漁船員が陸海軍の旗(制式の十六条旭日旗)を目にするようになった時期、ゼット旗(国際信号旗Zulu)を掲げるべき漁獲作業中に、旭日旗を掲げた事例(神社奉納絵画1点)がみられる。ここまでの変遷で明らかなことは、幕末までに漁船が綿布に赤丸などを描く前帆を掲げる習慣が成立したことと、昭和日中戦争の時期には世相を反映して一部の漁民にも旭日旗が浸透したことである。戦後、動力船による近海漁業が発達したが、初期には占領下日本の船籍を示すため、赤青二色の旗(国際信号旗Echoの変形である日本商船管理局旗)を掲げた。他方、無線機を積まず船上保冷もできなかった初期には、荷揚げ準備を陸上に指示する信号旗として大漁旗が使用された。大漁旗の意匠は、船名旗から派生し、伝統様式の青い波のデザインに船名などを描く画趣溢れる絵柄を採り入れ、戦後、近海漁業の隆盛に化学染料の大量生産も重なって全国に普及した。後発の小さな漁港では、家族経営の小型漁船が趣味的に装飾するようになる一方、大漁旗に代えて、船名も無いただの十六条旭日旗で代用する零細漁民の例もみられる。長距離トラック運転手または暴走族などの示威行為に倣った安上がりなサブカルチャーと見ることも可能だろう。少数の漁港の慣習として、このようにあえて十六条旭日旗を掲げることは、形式上、その民間漁船が国の自衛艦と対等であるか、または海上自衛隊に属するという意思表示になる。そのような意図が無いとすれば、見識を欠いている、または民度の低い漁村もあるという反省すべき歴史的事実に過ぎない。
2014/01/18
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【平成26年歌会始 御製】慰霊碑の‐‐‐‐‐先に広がる‐‐‐‐水俣の‐‐‐海青くして‐‐‐‐‐静かなりけり【同 皇后陛下御歌】..うつみ遷りの‐‐‐‐-......みやい‐近き宮居に‐‐..つかウ‐‐仕ふると‐‐-瞳静かに‐‐‐‐--....こ.....イ....た‐‐娘は言ひて発つ
2014/01/16
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「来日したのは同連合の李基澤常任顧問、楊昶栄顧問、金忠環・平和統一研究院理事長、李甲山共同代表、柳慶義共同代表、林憲祖事務総長ら。在日団体からは呉公太・民団中央本部団長、李玉順・韓人会理事長、金一雄・在日世総前会長らが参加した。」統一日報2013.4.3
2014/01/02
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