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ABCマートで買い物をしていたら、店にかかってきた電話に出た店員の第一声がこうだった。「はい、もしもし、大変お待たせ致しました。お電話ありがとうございます。スーパーサマーセール開催中、ABCマート吉祥寺店、担当の森下です」。 ・・・こんなことでは、寿限無寿限無じゃなくても、こぶがひっこんでしまう。
2004.06.30
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友人が「毎夏、山ほど海に行く」と言っていたのに対抗して、「犬を猫可愛がりしている」というのを思いついたのだが、犬も飼っていないし、なかなか使う機会がない。山ほど考えたのに、海の藻屑となってしまった。
2004.06.29
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和服用のレインコートのことを「雨(あま)ゴート」と言うが、この「コート」を「ゴート」と濁らせて言うのが気になって仕方がない。たしかに、「雨がえる」などは「がえる」と濁らせても違和感ないのだが、「コート」のようなカタカナ言葉を濁らせる使い方は他に例があるのだろうか。「雨ガッパ」の「カッパ」は元がポルトガル語だとしても、もう「合羽」という日本語になっているからさほど違和感はないのだが、「ゴート」だけはどうしても気持ちが悪い。これでは山羊も寝付きが悪いと思う。子供の頃、昆虫図鑑で、タガメが小魚を餌にしている挿絵が載っていて、下等動物が高等動物を食いものにしているありさまに、どうしようもない「あってはならない感」を覚えたが、「あめ→あま」「かえる→がえる」と音を変化させて美しい響きを作り出す日本語の複雑かつ繊細なシステムを、野蛮な英語ごときにも適用させてしまうことに対する、私の偏見から生ずる「あってはならない感」も、その気持ち悪さの一因なのかもしれない。
2004.06.28
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「頭の体操」という本に、「ある人が初めて香港に旅行しようと思い、本屋のガイドブックコーナーに行ったが、なぜかハワイのガイドブックばかりを手にしていた。なぜだろうか?」という問題があった。答えは、「自分が行ったことのあるハワイの巻を比較検討することによって、どの出版社のガイドブックがいちばんいいかを選んでいたから」である。これとはちょっと違う話かもしれないが、私は携帯のアドレスに、鬱陶しい人の番号を消去せずにずっと登録しておく癖がある。なぜなら、うっかりその人からの電話に出てしまわないように、かかってきた時にその名前がちゃんと表示されるようにするためである。すなわち、「私のアドレス帳=私の交友関係」とは言えないのである。これらはどちらも、「人間の行動を外側から見てもその人の考えや趣味嗜好はなかなかわからない」といういい例だと思う。植草教授の自宅や車から、たくさんのH画像やHビデオ・DVDが出てきたからといって、そのことだけで植草教授の性的指向を判断するのはどうなのだろうか。やはり外側からはわからないというのが正しいのではないだろうか。そのことは植草教授がいちばん良く知っているはずである。外側からはわからないからこそ、わざわざ鏡を使って内側を見ようとしたのだから。
2004.06.27
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「ナプキン」を「ナフキン」と言う人の頭の中の円グラフ。・「布巾」としての機能から来る慣れ親しんだ日本語への逃避(60%)・「ナプキン」という響きに漂うアンネの香りから来る抵抗感(25%)・迷った時に「プ」という破裂音よりも「フ」という当たり障りのない音を選んでしまう性(12%)・「スナフキン」と言い慣れた舌の記憶による親和性(3%)
2004.06.26
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人通りの多い街角で、歌詞カードを片手に、リクルートスーツっぽい地味な服装で、アカペラで延々と歌を歌い続けている20代前半くらいの女がいた。どう見ても、ストリートミュージシャンという感じではないのだ。一時期、企業の新人研修で、街中で何かをしゃべらせたり歌わせたりして、心臓を鍛えるといったカリキュラムが流行ったが、もうそういったことが知れ渡ってしまっている現在では、ことさら好奇の目で見る人も少なくなっており、研修としての効果の期待度も薄れてきている。また、最近は、そういった変わった人に対して周りの人がどんな反応をするかを観察して楽しむTV番組も多いので、どこかで優香とさまぁ~ずが覗いているかと思うと、なるべくちらちら見ないようにしようとさえ思ってしまう。そういった時流を敏感に嗅ぎ取るのが企業であるから、おそらく、あれも新人研修ではなかったのだと思う。時期的に考えても、違うと考えた方が正解だろう。結局、ただの変わった人だったのか、ジュリー・アンドリュースだったのか、どっちかだと思う。
2004.06.25
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ユーミンの「シャングリラ2」のリハーサル風景を紹介するTV番組で、選曲リストの中に「Valentine's Radio」という曲が入っているのが映った。これは結局、本番ではカットされた曲なのだが、演出の松任谷正隆氏はどういう意図でこの曲を使おうとしていたのか考えてみた。おそらく、「バレンタイン→チョコレート→お菓子」ということで、ユーミンが不思議の国に迷い込み、お菓子の家を発見するという演出だったのではないだろうか。そして、お菓子の家から飛び立つ1羽の青い鳥を発見し、追いかけて行くと、次の曲「Glory Birdland」に辿り着くという流れだったのではないだろうか。あまりの完璧な推理にいてもたってもいられず、友人に話すと、「それって、“ヘンゼルとグレーテル”と“チルチルミチル”がごちゃ混ぜになってないか?」と指摘されてしまった。おそらく、正隆氏も、同じ間違いを指摘されて、ボツにしたのだと思う。
2004.06.24
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ピアノの店に、コシノジュンコ似の女性のお客様が一人で来ていた。しばらくして、バレーボールの加藤選手似の男性のお客様一人が来店したので、オーナーが二人を紹介して、3人で一つのテーブルで飲み始めた。ピアノを弾きながらそちらのテーブルの話に耳を傾けていると、その加藤似の男性がその日、ちょうど40歳の誕生日で、何軒かでお祝いをしてもらって、最後にここに来たそうなのだ。それを聞いたジュンコ似の女性が、「私も40歳なの!あら、一緒ね!」と嬉しそうに跳び上がった。ジュンコ似の女性は、年齢的にも「コシノジュンコ似」にしか見えない人で、反対に、加藤似の男性は40には見えないくらい若い人だったのだ。どう見ても同い年に見えない二人だなと思いながら弾いていると、加藤似が、相当酔っていたせいもあるのだろうが、「同い年?えっ?もっとずっとお姉さまかと思いました」と言ってしまったのである。ジュンコ似は動揺しつつも必死に平静を装っている様子だった。それを聞いていちばんあたふたし出したのがオーナーで、「それくらいの歳の女性は男性より大人っぽく見えるのよ」などと根拠不明の全く説得力のないその場しのぎの言葉を並べて強引にその場を切り抜けようと必死だったが、言えば言うほどボロボロになる様が見ていて痛々しく、私も指が笑ってしまってピアノどころではなかった。加藤似は自分の失言に全く気付いてない酔っ払い状態、ジュンコ似は完全に黙ってしまって、オーナーだけが必死にああだこうだととりあえずの言葉で取り繕い、しまいには「人間っていうのはね・・・」と人生論にまで強引に持って行こうとする始末だった。絶対に「友近」あたりに再現してもらってみんなに見せてあげたいシーンだった。
2004.06.23
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私の妻の実家のある辺りの東北地方の方言で、「~しなければならない」というのを「~しなくちゃない」と言うらしい。これを突き詰めると、たとえば、「トイレットペーパーはもう買わないと(買い置きが)ないので、買わなければならない」という文章は「トイレットペーパーはもう買わなくちゃないので、買わなくちゃない」と言うことになる。博多弁の「とっとっと」にも通ずる厄介さである。ちなみに、冒頭の「妻」というのは嘘で、妻は結婚しなくちゃないので結婚しなくちゃない。ついでに、子供も、しなくちゃないのでしなくちゃない。
2004.06.22
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「有給」という概念がない仕事の私にとって、日常会話の中で「有給」という言葉を使うのが一つの憧れであった。そこで、「悠久」という言葉とかけて、嘘にならないようにうまく「有給」という言葉を使えないだろうかといろいろ思案してみた。しかし、「悠久をとる」とか「悠久をもらう」など、どうやっても不自然な日本語になってしまう。そこで、「悠久」という言葉の用語例を辞書で調べてみたところ、「悠久の歴史の流れ」「悠久の大自然」などの言葉が並んでいた。知らぬうちに、太古の昔から受け継がれている浪漫や、果てしなく続く大自然に思いを馳せ、壮大な気分になった。「有給」とか、そういうことはとりあえずどうでもよくなった。
2004.06.21
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ボンジュール!フローラン・ダバディです。フランス映画祭横浜2004のGALAパーティー、エキサイティングでしたね。山本寛斎さん、洋装に羽織みたいな独自のスタイル、素敵でしたね。僕は新渡戸稲造の「武士道」を読んだけど、あなたはまさにサムライですよ。娘さんの未来さんも美しかったね。ジャパニーズ・ビューティーだね。大和田伸也さん、顔が大きかったですね。久々に「大顔連」っていう言葉を思い出したよ。五大路子さん、相変わらず仰角30°をキープしてましたね。あれで視幅を広げたら海部俊樹ですね。中田市長、去年は欠席だったのに、今年はエマニュエル・ベアールが来るからって鼻の下伸ばしちゃって。自慢の深海魚顔がさらに崩れてましたよ。僕は元々辛口だからね。トルシエの威を借る狐じゃないからね。フランソワーズ・モレシャンさん、また来てましたね。あなた、ワインを注いでもらうだけで、いちいち表情が大袈裟過ぎなんだよ。もっと禅の境地を学んだ方がいいね。しろむっくさん、食べ過ぎで、最後の方、椅子に座ってフーフー言ってたね。ダメだよ。貝原益軒も「養生訓」で「珍美の食に対するとも、八九分にてやむべし。十分に飽き満つるは後の禍なり」と言っているでしょ。「腹八分」を学びなさい。じゃ、僕はこれから韓国語で講演があるから、アビアント!
2004.06.20
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昨日、第12回フランス映画祭横浜2004のGALAパーティーに出席した。去年はピアノの演奏で参加したが、今年はその功労ということか、晴れてゲストとして招かれたのだ。昨日はあまりに蒸し暑かったので、家からタキシードで出掛けるのを止め、会場から程近い協賛のインターコンチネンタルホテルで着替えることにした。ホテルのトイレで着替え、荷物を預けられる場所をフロントに聞くと、宿泊者以外の荷物は預かれず、パーティー会場の赤レンガ倉庫のクロークを利用して欲しいということだった。了解し、赤レンガ倉庫まで歩いていると、蒸し暑い陽気と海風で髪はビダルサス―ン状態、タキシード内は蒸し風呂状態になり、へとへとになってようやく到着した。すると、会場入口には赤絨毯が敷かれ、リムジンが並び、シルクハットのスタッフが到着客をエスコートして倉庫内へ誘導していた。その周りにはたくさんの報道陣と、黒山の人だかりが出来ていた。私はタキシード姿ではあるが、荷物をまだ預けていないので、安物のショルダーバッグを肩からかけ、「THE SUIT AOYAMA」と大きく書かれた「洋服の青山」の衣装ケースを手に持ち、髪はビダルサス―ン、全身汗だくという状態である。これで赤絨毯を闊歩するのか。フラッシュの嵐の中で、仏女優エマニュエル・ベア―ルの後ろをこんな格好で歩いていいのか。答えは明白である。私は一般人の立ち入りを制限するために張られたロープを渾身の挟み跳びで乗り越え、気を隠しながら裏口の関係者入口にそそくさと向かった。そこで係員に招待状を見せると、「正面入口からのご入場になります」と案内されたが、「あの、私は関係者#$%&*なんで」と自分でも解読不能の言葉を盾に、強引に中に押し入った。私のこの判断は、今日のフランス映画祭の品位を守る勇気ある行動だったと思う。いや、フランス映画祭の12年の歴史、ひいては、横浜をも守った賞賛に値する配慮だったに違いない。パーティーが始まり、何事も無かったかのように張り切ってスピーチをする中田横浜市長の姿を、私は、聖母のようなやすらかな眼差しで見守った。
2004.06.19
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全く車の通る気配のない真夜中の田舎道の横断歩道の赤信号を守って横断を待つ人や、全く混んでないのに電車の座席でシートの一人分の表示を頑なに守って窮屈に詰めて座っている人など、一見「真面目」とも評されるような行動は、時としてナンセンスだったり迷惑だったりすることにもなりかねない。植物の映像とサティのピアノ曲のみという無味乾燥なCMで「真面目な味を心がけています」と頑なに訴える洋菓子の「WEST」も、そういった意味でとっても心配である。
2004.06.18
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ピアノの店のオーナーは、何でも本物を好む本物指向の人で、店内には、ん十万、ん百万の食器や装飾品がたくさん並んでいる(らしい)。そんなオーナーのお気に入り曲でよくリクエストされるのが「テネシーワルツ」であるが、弾き終わると、いつも満足気に拍手をしてくれる。この曲、パティ・ペイジの歌ったナンバーを江利チエミがカバーしたバージョンを、篠塚満由美がものまねで歌ったときのビデオ(しかも、サビの部分は雪村いづみのマネ)をもとにして覚えたとは、口が裂けても言えない。
2004.06.17
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消費者のライフスタイルが多様化し、24時間営業の店をはじめ、営業時間を延長するようになった店も増えているが、いまだに7時8時で閉まってしまう店もまだまだ多い。私のように買い物に出歩き始めるのが夕方からの人間にとっては、ちょっとうっかりしているとあっという間に7時8時になってしまい、買い物が終わらないことが多い。晩になると、「あ、晩だ」(abandon)と言って営業を見捨ててしまう「連単世代」の経営者が多いということなのだろうか。
2004.06.16
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やってみたい3大未経験イベントは?と言われたら、私にとって、「餅つき」「胴上げ」「闇鍋」が不動のトップ3だった。しかし、ここ最近、「骨伝導携帯」「バーコードを携帯で撮ってiモードサイトへアクセスできるやつ」「ウナコーワのもろこしヘッド」の3つに浮気をしてしまっている。
2004.06.15
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100円ショップ「キャン・ドゥ」の100円ネクタイの棚の下に、ネクタイ用のギフトボックスが積んであった。まるで、「この箱に入れて、上のネクタイを贈り物にしてみてはいかがでしょうか」と提案しているかのような位置関係である。その箱には、ご丁寧に「especially for you」と書かれたシールが中に入っていた。この箱で100円ネクタイを贈られる人なんて、それはそれは選びに選び抜かれた「especially」な存在以外のなにものでもないと思う。
2004.06.14
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和田アキ子が以前、「だんご3兄弟」の「♪いちばん上は長男」というフレーズに対して、「当たり前じゃねーか」とよくツッコミをしていた。もちろん、このフレーズは、「串に並んだ中でのいちばん上」という位置関係を意味しているのに、和田アキ子は「年がいちばん上」という年齢的関係だと勘違いしているのは明白である。芸能界でのキャリアの長さに基づく目線の高さと、元々の身長の高さに基づく目線の高さの両方を一緒くたにして覇権を握り続けて来た彼女だけに、位置関係と時間的関係の区別がつかなくなっているのも納得できる。
2004.06.13
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紀香道長組長不比等竜也定家紀香道長組長不比等竜也理恵道長紀香不比等組長定家竜也理恵紀香 <藤原のかたまり>
2004.06.12
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南青山のavexビルの脇に「suna」というカフェがある。その店頭に丼もののメニューが掲示してあって、「ラタトゥーユ丼」が美味しそうだなと前々から思っていたので、先日、入ってみた。階段を下りて行くと、女の子の店員が、まるでスターを見つめるような輝いた目で案内してくれた。そういえば、その日、自分で言うのも何だが、私はわりと「ミュージシャン」っぽい洒落た服でかためていたので、隣のavex関係のミュージシャンが来たのだと勘違いしているのかもしれない。東京に憧れて田舎から出て来たこの女の子の夢を壊してはいけないと思い、私はミュージシャンらしくクールに立ち振る舞うことにした。もう心の中で「ラタトゥーユ丼」と決めていたのだが、一応、手渡されたメニューに目を通し、クールにチェックする素振りを見せたりした後、「外に掲示してあったラタトゥーユ丼を」とオーダーすると、その女の子は、「・・・・・。あの、それ、上の階の店のメニューなんですけど・・・。」と申し訳なさそうにつぶやいた。・・・・・。どうやら、入り口を間違えたようだ。恥ずかしい。しかし、クールなミュージシャンは、こういったアクシデントをも楽しむものだ。「お出になりますか?」と尋ねる女の子に、「あ、じゃ、ちょっともう一度メニュー見せて」とクールに切り返した。しかし、メニューには酒のつまみみたいなものしかなく、丼でずっしりと胃を満たしたかった私は、食欲に体裁が負け、そそくさと店を出ることにした。目を合わせずに階段を昇る私の背中を、マニュアル通りに声をかける「ありがとうございました」の女の子の声が、容赦なく上へ上へと押し上げた。お嬢ちゃん、東京のミュージシャンっていうのは、こんなもんだぜ。覚えておきな。
2004.06.11
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学生時代、下の名前が「としみ」さんという女友達がいて、みんなから「としみ」と呼ばれていたのだが、私は「としみ」と呼ぶことにいささか抵抗を感じていた。何となく気恥ずかしかったのと、下の名前で呼び合う文化は「中学生日記」っぽくて自分の美意識に反していたからだ。しかし、みんなが「としみ」と呼ぶのに自分だけ、「としみさん」とか苗字で呼ぶのもまた不自然極まりない。そこで、私の中で「としみぃ」と最後に「Y」を付けたようなあだ名っぽい呼び方にすることでこの抵抗感を克服することが出来た。この「Yの鎧」は、私を社会的孤立から救済し、キャンパスライフにおいて重要なプロテクターとして活躍したのだ。近藤真彦の「MATCHY」の「Y」のような、付加的装飾的なものが可愛いみたいな竹の子族的発想の「Y」とは、全く種類も性質も意義も役割も違うものである。
2004.06.10
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「こんにちわ 始めまして」というような記述を時々目にするが、このわずか10文字の中の「わ」「始」に、その人の“生き方”がくっきりと滲み出てしまっている。ちょうど、「たのきん?田原(たわら)俊彦、近藤マッチ、野村のよっちゃんでしょ?」などという発言の中の「たわら」「近藤マッチ」「の」にその人の生き方がくっきりと滲み出てしまっているのと同じくらいの早業である。
2004.06.09
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カンヌの赤絨毯でのキムタクや柳楽優弥くんの姿だけがクローズアップされているが、「YOU」も赤絨毯を歩いていたのを皆認識しているのだろうか。YOUは凄いタレントであることを皆忘れてはいないだろうか。「レノア」のCMで、声だけの出演なのにはっきりとYOUだと認識出来るあの存在感を。「マシューTV」の聖子スペシャルでの唯一のゲストがYOUであったことを。ダウンタウンにつっこめるタレントは松居直美とYOUぐらいであることを。映画「誰も知らない」では子を捨てた悪い母親役で、純朴な子供たちばかりがスポットライトを浴びているが、かつてはYOUも「FAIRCHILD」だったことを。それなのにこの程度の扱いでは、坂本龍一の曲にのせて「YOU!YOU!I Need Need YOU!」と応援したくなってしまう。
2004.06.08
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父親に、私が出掛ける時の片手を挙げる仕草が小泉総理に似ていると言われた。親が子に夢を託す言葉として「末は博士か大臣か」などと言うが、息子を総理大臣に例えるなんて親バカもいいところである。私はそもそも政治的野心など全く無いし、人の上に立って日本を変えようなどという大きな志も無い。それなのに、総理大臣とダブるなんて小っ恥ずかしいが、言いながらも嬉しそうにしている親の笑顔を見ると、これも一つの親孝行なのかなと思ったりもする。こうなったら、総理大臣でも大統領でも何でもいいけど、お願いだから人前で言うのだけは恥ずかしいから勘弁してほしい。頼む。
2004.06.07
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10年前頃、CMで流れて来た観月ありさの「今年いちばん風の強い午後」という曲を聴いて、「なんていい曲だろう」と思い、作曲者を調べたら、なんとユーミンだったという出来事があった。当時、ユーミンファンになって10年目くらいで、ユーミンの新曲を聴くたびに、これはいい曲だと本当に新鮮に感動しているのだろうか、ユーミンの曲だからいい曲だと思い込んでいるだけなのではないか、という疑問が若干出始めている時だったのだ。そんな時に、タイムリーにその疑問を払拭してくれる「今年いちばん風の強い午後」の出来事があったので、それ以来、安心してユーミンファンを続けて来れたのだ。私の日記も、惰性で読んでいるだけなのではないかという疑問が湧き始めた御愛読者様のために、そんな検証の機会を提供すべく、明日から数日間の日記は、私が書くかもしれないし、私以外が書くかもしれない、と、とりあえず曖昧にしておく。
2004.06.06
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「コムサ」で、白と黒のガチャピン・ムックの人形を発見した。ココナッツサブレーくらいの大きさで、とっても可愛い。お客さんも皆、手に取って「可愛い可愛い」と絶賛していた。これからは、白と黒のガチャピン・ムックの時代が来るかもしれない。黒の全身タイツのイメージが強い、ガチャピン顔のスピードスケート岡崎朋美選手と組んで、何か一つ企てるとしようか。
2004.06.05
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電気刺激によって腹筋を鍛えるEMSエクササイズマシーンの新製品「スレンダートーンフレックス」が、深夜のTV通販でヘビーローテーションで紹介されている。旧型のものと違ってジェルを塗る必要がないのでお手軽だし、「ヨーロッパで100万台を越える販売実績」「厚生労働省が家庭用低周波治療器として認可」「FDA(米国食品医薬品局)認可」「日経トレンディーにベストバイ商品として掲載」「4週間無料体験可能」「\29700という強気の価格」などの触れ込みに、今回だけは絶対に効き目がありそうな予感がしてならない。これを使えば、今年のビーチの人気も独り占めかもしれない。あまりの期待値の高さに、体中に電気が走ったような衝撃を受け、武者震いが止まらない。
2004.06.04
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「なか卯」がオーストラリア産牛肉を使った新メニュー「ビーフカレー」の販売を6/1にスタートさせた。この手の話題の時にいつも思うのだが、アメリカ産牛肉が入らなくなって牛丼を断念した店が、オーストラリア産牛肉を入手するとなぜカレーに行ってしまうのだろうか?以前も、米不足の時に、タイ米を使ったパンを試食している閣僚の姿がニュースで映し出されていたが、なぜパンに行ってしまうのか?ありえない。例えて言うならば、苦労してやっとの思いで入手したプラチナチケットのコンサートに誘った女にドタキャンされた男が、急遽、代わりのいい女を見つけて、コンサートに行くと思いきや、二人で夜の街へと消えて行くくらいありえな・・・ ありえるかもしれない。
2004.06.03
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ドジャースの石井一久投手は、木佐彩子を口説く時に、「Quizas Quizas Quizas(キサス キサス キサス)」のメロディーにのせて「木佐 好きさ 好きさ」と囁いたかどうかはともかく、木佐アナが余興でウミガメのものまねをしてみたところで、ウミガメ顔の八塩圭子アナには到底敵わないわけで、八塩アナのアド街の後任の大江麻里子アナの台本棒読みのコメントにイライラして頭痛が治まらない人は、とりあえず木佐彩子お薦めのアリコの終身医療保険に加入しましょう。
2004.06.02
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「ディズニーランド」を「ネズミーランド」と言ったりするようなノリで、昔、「ミスタードーナツ」のことを、私はよく「ドーナツ氏」と呼んでいて、友人に「ドーナツ氏に行こうよ」などと言ったりしていた。しかし、当時、「お嬢様している」とか「青春している」などのような「名詞+する」という言い方が流行っていたので、もしかするとこの「ドーナツ氏に行こうよ」も「ドーナツしに行こうよ」と言っているようにとられていたかもしれない。私としたことが、「ミス度」の高い過ちを犯してしまっていたようだ。
2004.06.01
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