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2013.09.30
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カテゴリ: その他
先日、ある中学校の理科の先生と話していたとき、「論理的な思考」が話題になった。その中で、トゥールミンモデルの「根拠」は観察・実験の結果、「主張」は結論であることを確認するとともに、子どもたちが「生活経験を語る」ことの意味について考えることになった。

おそらく、根拠と主張の「距離」が短ければ、考察場面において推論することもないわけだから、様々な知識(情報)や生活経験を持もち出す必要はないのであろう。たとえば、水溶液の酸性・アルカリ性を調べるとき「青色リトマス紙が赤色に変わった」から「酸性である」というように、結果イコール結論になるのである。もちろん、厳密にいえばリトマス紙の性質や、数多くの水溶液を実際に調べた結果などを説明しなければならないのだろうが、実際の授業の中で、そういう場面が設定されることはない。

つまり、論理的な思考力を育てようとするとき、根拠と主張の「距離」を長くする必要があるのである。このことにより、理由づけを説明する必然性が生まれるとともに、他者に分かりやすく説明することが促され、生活経験が語られることにつながるのだろう。

さらには、直接は関係ないものの、「はじめてかんがえるときのように」(野矢茂樹著 PHP文庫)に、次のような一節がある。

・・・・・

 ひとつの足場から眺めわたしたら、こんどは足場を見つけて、そこからさっと自分が立っていたところを問題にする。つねに足場を確かめながら、ステップを変えていく。
 現実ベッタリでもなく、論理の神様のようでもない、そんな人間のハンパさ。「ハンパ」って言っちゃあ身も蓋もないけど、言い方を変えれば融通無碍に足場を変えていく身軽さということになる。
 考えるってことは、そんなふうに軽やかに踊ってみせることだ。

・・・・・



もっともっと、ダイナミックな展開のある授業をめざしていきたい。





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最終更新日  2013.09.30 08:22:08
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