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雨降り。体は濡れるし、外で遊べないし。嫌だと思うことも多いでしょう。でも雨の降る風景もなかなか良いものです。草木の表情もですが、色取り取りにならんでいる傘。雨がやわらかな色彩を楽しませてくれます。ある小さな駅。駅の方のやさしさ。目立たない場所に「傘の花」があります。傘の花とはうまく名付けたものだと感心します。急に雨が降ってきたときのために、傘立てと傘を準備しているのです。必要な方が自由に使えるように、説明書きの看板とともに隅でおとなしくしてます。これに気がついたのは1年以上前だったでしょうか。次々に傘を持って行く姿を見て発見したのでした。無償の行為に心が温かくなります。傘が溢れてしまっていました。出かけたときに、急に雨に降られ、透明のビニール傘を購入したり、運良く知人の家の近くであれば、傘を借りに訪ねて、もう使っていないものだからと頂いて帰ったり等で、気がついたら一生かかって使っても余る程になっていたのです。捨てるにも、壊れていないから勿体無いし、1本5000円以上するようなものもありましたが、売るにも、手間もかかることがありますが、買う方もありませんから売ることもしません。そんな時に傘の花を思い出しました。あそこに寄付しよう。一度には運べませんから、電車に乗るたびに1本ずつ持って行くことにしました。初めて持って行った日、透明のビニール傘が4本ありました。サビもでて、すこしへたりもありました。赤のチェックの傘がそこに仲間入りです。2日目、紺に近い青色の傘を持っていきました。ビニール傘が7本に赤と青。こうもり傘あり、色付のビニール傘ありので、段々と増えていきました。駅の隅で傘のつぼみが静かに過ごしています。ある日ふと気がつくと、傘が減っています。異常気候の為か、連日猛暑で、雨も降らないのにです。「日傘の代わりにでもしたのかな」それから2~3日後、少し気になったので、傘立てを観察しました。確かに減っています。高そうな傘はほとんど姿がなくなっていました。心理的に良いものを一番に選びますから当然でしょう。「出かけるのに傘を忘れてしまって、念の為にと借りていったのだろう」全然雨が降らないのに減り続けます。昨日、午後から雨。電車から降り改札を抜けると、色とりどりの傘が開き、電灯の光で輝いていました。それを見て思い出しました。しばらく存在を忘れていました。傘立てをみると、全てが咲いて行ったのでしょう、空家になっておりました。今日のお昼前、空家となったままの「傘の花」。何人帰ってくるかな。無事を祈ってます。
2004年08月24日
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電車通勤での時間。本を読むこと、景色を眺めること、人を観察すること。車での通勤ではできない楽しみです。人物観察、もちろんお姉ちゃん観察もそのうちのひとつですが、どうしても気になるのです。なんで定期入れを手に持っているのか。足で持てとか、口に咥えろとか云うことではありません。手に持ったままなのです。例えばある女性、器用に定期入れを持ったまま吊り革を持っています。またある女性、右手で吊り革をつかみ、左の肘を曲げ、その腕にバックを提げ、手のひらに定期券を持っています。個人の自由ですから、どのように持とうと関係ないでしょう。ただ自分の大切なものをばら撒いています。こちらとしては推理して想像する楽しみとなつてはいますが。定期券には、乗車区間、有効日、そして氏名年齢。年齢はサバ読んでる人もいるでしょうが、紛失のときの手続き上、困難になることもあり、通学定期では制度上ごまかすことはできません。つまり、個人情報を出したくない人が、自ら公開しているのです。推測も含んでですが、たとえば、由香さん、某大学一回生、十八才、住居は市内、という具合にです。きやぁ、かわいい、どこに住んでるんだろう、とかいうストーカーの輩には、追跡や待ち伏せの材料となります。方法は言いませんが、運がよければ、追跡などの苦労をせずに自宅を突き止めることができるでしょう。話術の長けた輩、これがまた怖い。たまたま電車で会ったように装い、「由香さんご無沙汰。元気にしてた」全然知らない人に声を掛けられた女性、はっきりとした女性なら、誰なんですかと逃げることができますが、普通は名前を知ってる人は知り合いと思い心理的に、誰だったのだろう、どこかでお会いしたのだろう、誰かの知り合いだろうか、と考え悩みはじめます。それに加え相手が誰だったかを忘れ自分に対して負い目を感じ、その隙をつかれて相手の話に飲み込まれてしまいます。お店等で親しみを増すために「お客様」ではなく、相手の名前を親しみをこめて呼ぶ方法を使って話をして、情報をさらに引き出します。得た情報をどのように使うかは様々でしょう。ちょっとした隙が、悪に狙われています。ボクの定期入れ。 定期が裏向きですね。関東方面はどのようになっているか知りませんが、関西地区の自動改札は、裏表や方向に関係なく読み取ります。切符も少々斜めに入れても読み取ります。裏向きに入れておくと不用意に見られることはありません。機械に通す瞬間でも、見られる可能性ありますよ。最新の機械は、裏向きに入れても表向きに出てきますが。今回、この話をするきっかけ。食事に行ったときに、小さい女の子を泣かしちゃったんです。カバンの整理の為、テーブルに定期入れとかその他諸々を並べていたら、見つかってしまって、どうしても定期入れがほしいと泣いちゃったんです。でも駄目なものは駄目なんです。あげない。すきあり一本!反省!
2004年08月15日
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普通ここまで安くないですが、アルバイトの時給600円。1分間10円の収入。ある大手スーパーのポイントカード。来店して機械に通すと3円分のポイントがもらえる。3円もらう為だけに往復30分かかるとしたら、目の前には3円の収入があるが、時間で考えると-297円の収入。靴の消耗、服の消耗、自身のエネルギーの消耗なども考えると-500円程度でしょうか。冷静になれないところに、資本家の儲かる罠があります。3円のえさで、買い物をしてくれて、また、買い物をしなくても、消耗して必ず買わないといけない状況となり買い物をする。笑いが止まらないですね、経営者殿。今日のアホんだら。http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2004080600132&genre=C4&area=O10数百円のために停職3ヶ月。マイナスいくらなんでしょう。税金集めている人がねぇ。農家で畑借りて、自給のために作物作ったほうが、余程財布の為だと思いますが。自然にたまる分には、ポイントカードも良いでしょうけど、ポイントもらう為にいくら出費(物事には見えない出費もあるんですよ)しているか考えないと貧乏になりますよ。
2004年08月06日
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1冊の古い雑誌があります。23年前の1981年に発行されたものですから、変色もあり、決してきれいなものではありません。 「暮らしの手帳 2世紀70号」 掃除していたら出てきました。暮らしの手帳は、商品テストや料理の記事で、家庭生活の為の雑誌であることはご存知だとはおもいます。その中の記事が当時の自分自身にとって衝撃的なものとなりました。捨てない理由です。ある事件の特集をしていました。 スティーブ・マックイーン。「栄光のル・マン」や「タワーリング・インフェルノ」などに出演、ずっと心に残っている、庶民に夢を与えてくれた大俳優は、1980年の11月7日に50歳で癌で亡くなりました。一つの裁判を残して。そして亡くなって3日後の1980年11月10日、東京地裁はスティーブ・マックイーンに対して訴えを退けました。この裁判についてご説明しておきましょう。1971年「栄光のル・マン」の公開にあたり、配給会社は、松下電器およびヤクルトとタイアップして、コマーシャルの中で「栄光のル・マン」の1シーンを商品の広告として使用したのです。広告に出る事は問題ないと思うのですが、本人の了解を得ずに使用したことが、スティーブ・マックイーンの気を害することとなり、肖像権の侵害で100万ドル(当時3億6千万円)の支払を求めて松下電器、ヤクルト、東和、電通の四社を相手に裁判を起こしたものです。これだけであれば、さすが大俳優、金の亡者だねと思われるでしょう。ただ実際は違いました。100万ドルなんてどうでもよかったのでした。スティーブ・マックイーン自身、ホンダのコマーシャルに出たことがあります。25万ドルの契約で。ただこれを引き受けた以前に、100万ドルでホンダから依頼があったものは断っているのでありました。金の亡者であれば、100万ドルの依頼を断ることは無かったでしょう。25万ドルのコマーシャルになぜ出演したのか答えています。(暮らしの手帳より抜粋)「オートバイの安全運動のためのコマーシャルで、全世界に私がホンダを代表するというようなことだった。しかし、やらなかった。その理由は、内容をみてみると、安全運動というよりも、むしろオートバイを売る方に重点がおかれている感じだったからだ。だから私は百万ドルでもやらなかった。しかし、あとからのもの、つまり25万ドルのコマーシャルは、これはホンダのバイクに乗り、安全を強調して、ある種の服を着て乗るということ、そして安全のためにどういうことをしなければいけないのか、とくに舗装もしてないようなところを運転するときには、どうしなけばいけないのか、そういこうとを宣伝するものだった。だから、私は25万ドルでもやったのだ。」 裁判上、パナソニックに対して述べています(暮らしの手帳より抜粋)疑いもなくこれは製品のための広告であって、私を利用してその製品を宣伝しております。製品の名前が大きく出ておりますし、私は真中に存在しています。非常に趣味がわるいし、私としては、絶対にこういうことをやらなかったろうとおもいます。ヤクルトに対しては(暮らしの手帳より抜粋)明らかにヨーグルトの会社が、私を使ってヨーグルトのことを宣伝しています。私はヨーグルトは全然好かないのです。非常にひどい味がするとおもいます。これは、その製品の広告をしています。彼は、ナショナルのそのラジオを、それまで見たこともさわったことも、もちろん聞いたこともないのだ。そういうものの宣伝に、しかも無断で使われることが許せない、いや、かりに知らされたとしても、百万ドルもらったとしても断っただろう、というのである。ヤクルトの場合は、もっと明快だ。自分はヨーグルトはきらいだ、その自分が、ヨーグルトの宣伝をする筈がない。これまた百万ドルもらっても、絶対やらない、というわけだ。 (暮らしの手帳より抜粋)さて東京地裁の判決理由。あの程度のものは、商品を直接保証していない、日本の慣習上、とくに許可をえなくてもかまわない。むしろあの広告で映画はよりヒットし、お前ももうかったではないか。(暮らしの手帳より抜粋)暮らしの手帳の最後でこのように綴っています。私たち庶民は、「あの人が宣伝している商品なら大丈夫」「あの先生が保証してくれるのだから」と、ついおもってしまうのである。メーカーの言うことよりも、有名人のイメージのほうを信頼してしまうのである。それだけに責任が重いのである。「私には責任がある。私のファンに対して、私を信頼してくれる人たちに対して、私には責任がある---」こう叫んだ マックイーンの言葉を、もう一度きいてほしい。そして、心の奥にしっかりと受けとめてほしい。 身近なことで考えてください。いま流行のアフィリエイト。自分で使って自信を持って販売してますか。責任がかかっています。それはあなたの信用、顔なのです。
2004年08月02日
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