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★今日のフォーカスチェンジ♪風見鶏のように---------------------------- 風見鶏 風の動きを ずうっと見てる 屋根の上で ずうっと見てる 飛べる鳥ではないけれど 喜怒哀楽を知っている とても素敵な鳥なんだ----------------------------これは、以前、ある演劇サークルに参加している女の子が、自分でつくりましたと、私に見せてくれた詩です。自分を表現することが、あまり得意ではなくて、いつも、静かに笑っている女の子です。でも、その目のなかには、不思議な深い光があって、何かを感じているのだろうなと、思っていたのでした。風見鶏。最近は、あまり見かけることもなくなったような気がします。 私が見落として いるだけでしょうか…。また、このことばは、たとえで使われるときには、必ずしも、いい意味では使われないことがおおいような気がします。でも、その風見鶏に、こんな、やさしくあたたかいまなざしを、その子は向けていたのでした。私たちは、日常生活のなかで、ついつい、目立つこと、派手な表現をするものに、こころをうばわれがちです。でも、それらのこと・ものと並んで、ひっそりと存在しつづけること・ものも、また、たくさんあるのです。もしかしたら、その女の子は、その、目立たないこと、静かに存在しつづけるものに、自分のありようを、重ねていたのかもしれません。その自分のありように、そっと、静かなまなざしを、注いでいたのかもしれません。ちいさな揺れるこころを、抱きしめて、抱きしめて、そのままでいいんだよと、そっと、語りかけている…。そのとき、そんなイメージが、浮かんできてしまったのです。もしかしたら、それは、私のセンチメンタルな思いこみかもしれないけれど…。そんなことを考えていたら、なんだか、目の奥が、つんと熱くなってくるのでした。あわただしくすぎていく日々。でも、ときには、立ち止まって、ゆっくりと深く呼吸して、風見鶏のように、風の流れを感じてみるのも、悪くはないかもしれません。胸の底に、思いはあふれて、自分の無力さを、ときにはなげきたくなることもあるけれど、それでも、自分にできるちいさなことを、ひとつ、ひとつ、積み重ねて…。そして、そんなちいさな自分を、何度でも、何度でも、抱きしめて。やさしくささやいてあげたい。「そのままでいいんだよ…」と。今日は、ひとりの女の子からもらった、この一篇の詩から、静かに思いをはせてみました。こころがざわざわするときに、くりかえし、この詩を思い返したいと思うのです。不思議な、やさしさに満ちた、その子のまなざしを、いとおしく思い起こしながら…。風見鶏…風見鶏…。動くことはできなくても、そこに、じっととどまって、風の動きを見守っている。ときの流れを見守っている。風見鶏…。風見鶏…。よろこびも、かなしみも、その胸のなかに、そっと抱きしめながら…。ひたひたと寄せてくる、あたたかな思いを、いま、あなたにも、手渡したいと、思うのです…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2070号(2009年6月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分洗脳のススメ「洗脳」と聴いて、プラスのイメージをいだくひとは、おおくはないかもしれませんね。でも、私たちは、つねに自分を洗脳しています。最初の洗脳は、親であったり、そのほか周囲のおとなだったりしますが、その後は、自分で自分を洗脳しています。「自分はだめな人間だ」と思うことも、洗脳です。うそだと思ったら、あなたが本当にだめな人間であることを、客観的に、証明してみてください。「○○ができない」という場合は、その事例に即して、少なくとも10年くらいはさかのぼって、全国統計とか、世界統計とか、きちんと公式記録のあるものと比較し、その結果明らかならば、根拠として提出してください。でないと、客観性はみとめられません。ということは、あなたがいくら「自分は○○ができない」と主張しようとも、世間はそれをみとめません。そのへんにいるヨッパライが、「おれは、ナポレオンの 生まれ変わりだ!」と主張しても、だれも本気にしないのと同じことです。まれに、あなたのことを「だめな人間だ」というひとがたまたまいたとしても、一人や二人では、何の証拠にもなりませんからね。とくに「みんな言っている」というひとは、せめて、世界人類65億人のうち、10%くらいのサンプルをとって検証してくださいね。ほとんどのケースは、成立しないはずですよ。というわけで。あなたが、自分のことをどう言おうと、それがデータで証明されないかぎり、なんの根拠もないことを、勝手に思いこんでいるにすぎないことになります。勝手に、「だめだ」色に、自分を洗脳しているのです。その意味で、洗脳とは、まったく怖ろしいことです。けれども同時に、実に便利なものでもあるといえます。はい。便利です。だって、根拠を必要としないのですから。(^^ゞつまり、あなたが、自分のことを「だめだ」と思うのと同じくらい、自分のことを「すごい」と思ってもかまわないということです。根拠がないという意味では、まったく同じなのですから。大切なことは、根拠があろうがなかろうが、それによって、あなたが、元気になれるかどうかです。勇気が湧いてきたり、希望が芽生えてきたりするかどうかです。もしも、元気や勇気が生まれてくるのであれば、何の問題もありません。じゃんじゃん、自分を洗脳しちゃいましょう!自分洗脳のススメです!方法は簡単です。いつもの逆をやればいいのです。ええ。ことあるごとに、「自分はすごい!」「自分はすてき!」「自分はサイコー!」と、自分に語りかけるのです。 ことばは、何でも 好きなものでどうぞ♪あなたは、これまで飽きず、たゆまず、「自分はだめだ」と、自分洗脳をつづけてきたのです。それだけの根性、継続力があるならば、その逆だって、きっとやりとげることができるはずです。それこそ、それまでの実績が証明しています!さあ、今日からさっそくはじめましょう。まずは、自分洗脳のエキスパートのあなたから♪わくわく、自分洗脳です。そうして、世界じゅうのひとたちが、「自分が好き」と自分を洗脳してしまったら、世界平和も即、実現ですね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2069号(2009年6月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪直感レッスンかめわざワークのなかで、しばしば取り上げるもののひとつに、「連想ゲーム」があります。はい。「連想ゲーム」。何かひとつのことばをとなりのひとからもらい、そのことばから連想したことばをまた、となりのひとに伝えていく。ただそれだけのゲームです。でも、「ただそれだけ」というのが、実はポイントなんです。(笑)連想なのだから、別に、正解はありません。連想なのだから、一人ひとり想像することはちがって、当たり前です。なのに、おおくのひとが、なぜか、それらしいことばを発しようとして、詰まります。あるいは、考えた瞬間に、頭が真っ白になってしまいます。無意識のうちに、正解をさがしてしまうのです。正解なんかないのに、正解を探そうとするから、頭が混乱してしまうのです。そうやって、自分で自分を不自由にしてしまうのです。「連想ゲーム」に必要なのは、「直感」ただそれだけです。ことばを受け取った瞬間に、こころのなかに浮かぶものを、そのままひろいあげればいいだけなのです。お上品なことばでなくても、なぜそれが連想されるのか、意味不明であっても、それどころか、日本語の体をなしていなくても!(^^ゞどんなことばであっても、自分がつかまえたものを信頼する。それが「直感レッスン」。それって、ただの思いつきじゃないのかって?ええ、そうです。でも、どんなことばも、もともとは、思いつきなんですよ。思いつかないかぎり、私たちは、それを取り出すことはできませんから。そして、それが、世間一般のこたえとちがっていたとしても、まちがいなく、それはそのひとにとっての正解です。 ここ、わかりますか? 試験に出ますよ♪ (出ない、出ない!)(爆)自分にとっての正解を、怖れずに、受け入れたとき、こころの回路がつながります。過去の記憶からも、未来の予想からも、周囲の評価や規制からも、いっさい解き放たれた、あなたのこころの回路が。直感が育つと、この回路をとおって、自分のこたえが、浮かんできやすくなります。迷いがなくなります。出てきたこたえが、多少、つじつまが合わなくても「まっ、いっか」と、思えるようになります。(笑)その結果、起きてくる変化を、楽しめるようになります。人生がより楽しくなります。エネルギーが湧いてきて、前向きに生きられるようになります♪実際、私自身がそうやってきました。この「連想ゲーム」もそのひとつです。ゲームそのものは、他愛なくても、そこに意味をきちんとつけたとき、それは、意義あるレッスンに変わります。そうやって、自分の直感を育ててきたのです。どうですか?連想ゲームで、ちょっと遊んでみませんか?こちこちにかたまった頭のなかをシャッフルして、そこに起きる変化を楽しんでみませんか?あ、ただし、やりすぎると、世間一般と、ちょっとずれがおおきくなる場合も、たまにはあります。まあ、そうなったらなったで、そんなあなたにしかできない仕事や、生きかたを選べばいいだけですけどね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2068号(2009年6月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪300%の愛情何度か書いてきましたが、私は、学生時代、母子家庭のベビーシッター兼ホームキーパーのアルバイトをしていました。仕事で帰りの遅いお母さんの代わりに、4歳の子どもと一緒に、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、寝かしつけたりする仕事をしていたのです。お母さんが、早く帰ってこれるのは、ごくまれです。でも、ごくたまのそんなときに、見ていて、気がついたことがあります。お母さんは、いつでも、300%の愛情を、子どもにたいして、表現していたのです。あなたが大好きだということ。あなたのアイデアが、とてもすばらしいということ。あなたのしていることが、本当に、すてきだということ。ここまで、子どもをほめることのできるひとに、私は会ったことがありません。何しろ、テーブルのうえから飛び下りたときでさえ、「すごーい」と拍手してしまうのですから。(笑)さて。こんなことを書くと、子どもは、さぞやわがまま放題に育つのではないかと思うひとがいるかもしれません。そうではありませんでした。子どもは、そのたびごとに、お母さんの愛情を、全身全霊で感じていたのです。自分のことを、300%愛してくれるひとが、この世に存在するということを、まっすぐに受け止めたのです。それは、そのまま、子どもが生きるうえでの土台になります。木でいえば、根っこのようなものです。子どもは、「自分を完全に愛してくれるひとがいる」という揺るぎない信念を、根っこにして、育つことができたのです。だから、おおきくなって、何かの問題に直面しても、その子は、いつも飄々としていました。いたずらに傷つかないのです。「まっ、いっか」とでもいうような感じです。(笑)もちろん、そこには、気質のちがいもあるでしょう。でも、どんな気質であれ、自分が愛されているという実感は、子どものこころを安定させるのです。自分が真に愛されているというバックボーンの前では、どんな問題も、必要以上に深刻な苦しみにはならなかったのです。愛情は、子どもにとって最高の栄養素です。愛を受け取った子どもは、愛でいっぱいになります。愛でいっぱいになると、自分のことが好きになります。自分のことが好きになると、ひとのことも好きになります。ひとのことを好きになると、ひとと、いい関係をつくりやすくなります。もちろん、現代のさまざまな複雑な問題が、このことだけですべて解決するとは思っていません。それでも、この土台を育てているかどうかで、問題との向き合いかたは、変わってくると思います。子どもが苦しんでいるとき、まわりのおとなは、その問題をなんとかしてあげたいと思います。それはそれで大切なことです。でも、同時に、その子のもついのちのちからを信頼して、そこに、愛を注ぐことが、その子を、深いところで強くしてくれるかもしれません。このときの「強さ」とは、こわばった鋼鉄の強さではなく、どんな強風をも、やわらかに受け止め、しなり、またもとにもどることのできる、柳の強さです。そんな強さが育ったときには、おとなは、ただ、子どもに寄り添ってあげればいいだけであることがわかるでしょう。その子のちからを信頼し、もとめられたぶんだけのちからを貸せばいいことがわかるでしょう。もしも、目の前の子どもと、それだけの関係が、充分に築けていない場合でも、なげく必要はありませんよ。いま、この瞬間からはじめればいいのです。どんなときでも、けっして、遅すぎるということはないのですからね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2067号(2009年6月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪ともに尊重される方法をずいぶん前になりますが、知り合いの小学校の校長先生が、話してくれました。「子どもがね、よく、 走ってきてぶつかるでしょう。 まわりをよく見なさい!と 大人は怒るけど、 それ、無理なんだよ。 子どもと大人の視野は、 ちがうんだから」そう言って、ちょっと変わっためがねを見せてくれました。レンズの両脇をおおって、見えないようにしています。かけると、実際、ほとんど、前しか見えないのです。「これが、子どもの視野。 おとなは、だまっていても 大体180度見えるけど、 子どもの視野は、そこまで 発達していない。 比喩じゃなくて、本当に、 これしか見えないんだよ」そのことを忘れないために、そんなめがねをつくって、かけてみるようにしているのだと、校長先生は話してくれました。また、たとえば、おとなに、「コップになみなみと水を 入れて、半分かたむけたら、 コップの水はどうなりますか?」と言って、絵を描いてもらったとします。ほぼ100%のおとなが、コップから水があふれて、こぼれている絵を描くでしょう。でも、同じことを言って、10歳以下の子どもたちに絵を描かせると、それこそ、さまざまな絵になるのです。90度以上かたむけたコップのなかで、水がもとのままの状態だったり。ややななめになってはいるものの、こぼれずにコップのなかにとどまっていたり。けっして、ふざけているのではありません。発達段階として、目の前に見えていないものを、論理を組み立てて描くということができないのです。だから、「仲良くしなさい」と、口で言われても、わかりません。「仲良く」は、目に見えないからです。「早くしなさい」と言われても、それだけでは、わかりません。「早く」がどのくらいなのか、具体的にわからないからです。目に見えないものは、子どもにとって、すべて抽象概念です。抽象概念は、理解できないのです。こんなことを書くと、「だから、子どもは幼稚だ」と考えるひとがいるかもしれません。でも、私はそう思いません。たとえば、子どもたちが、お母さんを、家よりもおおきく描いたとすると、それは、その子にとって、お母さんが、それだけ大切な存在であることをあらわしています。その瞬間、子どもは、そのように感じているのです。そのように感じたままを、表現しているのです。子どもは、その瞬間に、完全なる自分絶対の世界を生きているのです。私たち、おとなは、論理という能力とひきかえに、この世界をうしないます。その魔法のちからがあれば、いつでも、世界の主人公になることができるのに…。大切だと感じることやものを、迷いなく、100%、大切にすることができるのに…。最初に書いた、視野の話もそうです。まっすぐに前だけを見て駆けていける能力を、私たちは、視野の広がりとともにうしなうのです。うしなうだけでなく、それをもっていたことさえ忘れてしまうのです。もしも、あなたが、何らかのかたちで、子どもとかかわるひとであるのなら、今日はお願いです。どうぞ、おとなのものさしで、子どもを、はからないでください。そのものさしでは、子どもをはかれないことに、気がついてください。子どもたちが、生きていくために困らないように、社会の仕組みを教えることが、子どもたちの本来もっている無限の可能性と可変性にふたをしてしまうことであってはならないのです。どちらもともに尊重される方法を、私たちは、探す必要があるのです。いま、同じ空間を生きながら、私たちおとなが、見えなくなってしまったものを見、聴こえなくなってしまった音を聴くことのできる子どもたちに、どうぞ、敬意をはらってください。それが、二度と子ども時代にもどれない、私たちにできる、せめてものありかたです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2066号(2009年6月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪まほうのめがねきょうも、おかあさんは、こどもを、おもいきりしかってしまいました。どうして、こんなこともできないの?もっとはやくしなさい!なんどいったら、わかるの!そのたびに、こどもは、しょぼんとします。ときには、なみだをいっぱいにためて、おかあさんのあとを、とぼとぼとついてきます。そんなようすをみると、おかあさんも、こころのなかがちくっといたむのですが、つぎのひになると、こどもは、おなじことをくりかえします。おかあさんも、ついつい、どなってしまい、おなじことのくりかえし…。そのひもまた、おかあさんは、こどもがでかけるときに、はやくしなさい!とどなってしまいました。ためいきをつきながら、げんかんのドアをしめようとしたおかあさんは、あしもとに、なにかあるのにきがつきました。それは、おもちゃのめがねでした。あのこったら、またこんなところに、おもちゃを…。いいながら、めがねをひろおうとしたおかあさんは、おもわず、てをとめました。めがねのグラスが、きらきらっと、ひかってみえたからです。おかあさんは、そっと、めがねを、じぶんのめのまえに、もってきました。ちいさなめがねは、もう、おかあさんには、かけることが、できませんでしたから、そっとこわれないようにもって、ひにかざしてみたのです。そこには、きらきらのひかりがあふれていました。せかいじゅうが、ひかりであふれていました。おかあさんは、めがねをめのまえにかざしたまま、ぐるりと、あたりをみまわしてみました。すると、まわりじゅうも、きらきらと、ひかりであふれているのがわかりました。きらきら…。きらきら…。きらきら…。なにもかもが、ほうせきのようにひかっているのでした。そう…。せかいは、ひかりで、できていました。なにもかもが、ひかりで、できていました。まっすぐにまえをみれば、どこまでも、どこまでもつづく、ひかりのみち…。きがつくと、おかあさんは、ないていました。ずっとずっとずーーっとむかし、じぶんも、こんなけしきをみたことがあることをおもいだしたからです。あんなにすきだったのに…。いつまでもいつまでもあきることなくながめていたはずなのに…。どうして、わすれていたんだろう。どうして、みえなくなってしまったんだろう…。おかあさんは、あふれてくるなみだをぬぐうこともわすれて、なみだをながしつづけました。ただいま。こどものこえがしました。きがつくと、おかあさんは、ぼんやりと、げんかんにすわったままでいるのでした。いつのまにか、こどもがかえってくるじかんになっていたのでした。てもとをみると、あのめがねが、みあたりません。えっ?とおもって、あたりをみまわしましたが、やはりどこにもありません。おかあさん、ただいま!もういちど、こどものこえがしました。おかあさんは、あわてて、ドアをあけました。そして、こどものかおをみて、あっと、こえをあげそうになりました。こどもが、あのまほうのめがねをかけて、そこにたっていたからです。…いえ。そうおもったのは、いっしゅんのことだけで、こどもは、いつものように、そこにいるだけです。めがねなんて、かけてはいませんでした。でも、おかあさんにはわかりました。あのまほうのめがねは…。おかあさんが、なにもいわずにいるので、こどもは、もじもじといいました。ぼく、みちくさしないでちゃんとかえってきたよ。おかあさんは、もうたまらなくなって、こどもを、ぎゅっと、だきしめました。だきしめたまま、こころのなかで、なんどもなんども、くりかえしました。だいすき、だいすき、だいすき…。すると、こどもも、ぎゅううっと、おかあさんをだきしめました。だいすき、だいすき、だいすき…。なにもいわなくても、こどもが、そういっているのがわかりました。それだけで、じゅうぶんでした。まほうのめがねは、いつだってそこにあるんです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2065号(2009年6月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪人間になってください。「そんなことしちゃ、だめ!」「これが正しいんだから、 これをやりなさい」「どうして、できないの?」子どものころ、これらのことばをひとことも聴かずに育ったひとがいたら、そのひとは幸福なひとです。これらのことばは、まちがいなく、下記の図式をつくりあげるからです。1、ものごとには、失敗と成功がある2、失敗をするのは、だめな人間である。3、失敗したくなければ、おとなの言う ことに、だまってしたがうべきだ。生まれたばかりの鳥のひなは、目の前にいるものを、親と認識するそうです。だから、たまたま、人間を最初に見てしまうと、そのひとを、親だと思いこんでしまうのです。これを、「刷りこみ」と言います。とても不思議な気がしますが、でも、それって、人間も大差ないような気がします。私たちは、おさないころは、「失敗」とは何か、「成功」とは何かということを知りません。だから、誰かに刷りこまれるとおりに、その定義を信じこみます。でも、それって本当なのでしょうか?鳥のひなが、人間を親だとかんちがいしてしまうように、たまたまはじめて教えられたから、そのように思いこんだだけなのではないのですか?冷静に、あなたのまわりを見回してみてください。あなたが教わったとおりに、世のなかは、なっていますか?お金をもっているひとだけが、地位をもっているひとだけが、幸福に生きていますか?試行錯誤を繰り返し、いまもたえずトライしつづけているひとは、魅力のない存在ですか?もっと言えば、あなたにその定義を教えたひと自身は、幸福に生きていますか?あなたは、鳥のひなではありません。おとなになったあなたは、ものごとを、あなた自身の目で、耳で、こころで、感じ分けることができます。そもそも、「失敗」と教えられた、あのことは、本当に失敗だったのでしょうか?それ以前に、そのひとが教えてくれた「失敗」の定義は、本当に正しかったのでしょうか?さらに、もっと言うならば、「成功」「失敗」という定まった定義があるという考えかた自体、本当なのでしょうか?私は、長いこと、子どもたちの劇づくりの現場にかかわってきました。そのかん、ずっと言いつづけてきたのは、このことです。「もしも、いっこの失敗もしないで、 ゴールにたどり着いてしまったら、 そのひとは、ほかのひとに ひとつの方法しか 教えてあげることができないよね。 でも、10回失敗して、ゴールを 見つけたひとは、10通りの トライの方法を、ひとに 教えてあげることができるよね。 ゴールにたどり着く道は、 いろいろあることを、 トライすることはむだではない ことを、教えてあげられるよね。 どんな困難なことがあっても、 あきらめなければ、きっと たどり着くということも、 伝えてあげることができるよね。 そしたら、そのとき、その失敗は、 本当に失敗っていうのかな? それは、本当は、体験なんだよ。 人生には、体験があるだけで、 失敗なんて、存在しないんだよ」もちろん、私のこたえが「正解」であるかどうかはわかりません。正解であるかどうかは、実際、問題ではありません。「失敗はない。体験があるだけだ」このことを受け入れた子どもたちは、どんどん、元気になりました。さまざまなことに、自分たちのアイデアを発揮しながら、チャレンジするようになりました。試行錯誤も、紆余曲折も七転び八起きも、七転八倒もありましたが、(笑)それをも糧にしていったように、私には感じられました。大切なことは、あなたが幸福に生きることです。あなたが幸福に生きるために、どんな考えかたを選択するか、だけなのです。そのときに、いっこの正解以外は、すべて価値がないとする考えかたのほうが、快適なら、それを選んでもかまわないのです。でも、忘れてならないことは、それは、あなたにとっての正解にすぎないということです。100人いれば、100通りの正解があるのです。それを正解と言うこと自体、意味があるかどうかもわかりませんが、ともかく、誰からも、こたえを押しつけられる必要はないのです。また、誰か(たとえ我が子であろうと)に、押しつけていいものでもないのです。もしも、あなたが、これまで、鳥のひなのような生きかたをしていたなあと感じたなら、どうぞ、今日から、人間になってください。(^^ゞええ、繰り返しますとも。あなたは、人間なのです。鳥のひなではないのです。だから、自分で考えて、自分で選んで、自分で決めて生きていいのです。あなたを、「人間」あつかいしていないひとの言うことなど、もはや聴く必要はありません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2064号(2009年6月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪いつでも思い出せるように。私たちは、誰もが、幸福に生きたいと願いながら、なかなか、そのとおりにいかない現状に悩まされます。その最たるものが、人間関係といえるでしょう。逆に言うと、さまざまな問題をかかえていたとしても、人間関係が良好なら、ひとは、かなりの度合い、幸福に生きられるとも言えるのです。では、幸福な人間関係を生きるためには、どうしたらいいのか?そのためには、自分が、どのような人間関係を生きたいのかを、はっきりさせる必要があります。このときのポイントは、限界を設定しないことです。一切の前提条件なしに、望みが完全にかなうとしたら、どんな人間関係を、手に入れたいと思うのか。そんなふうに考えてみるんです。もうひとつのポイントは、そのときの感情を、しっかりと感じることです。私たちは、ついつい、目に見えるモノ、かたちに、理想を求めてしまいますが、本当にほしいのは、そこで得られるであろう感情です。あなたが、幸福な人間関係を生きているとしたら、そこにどんな感情を感じていますか?おだやかさ? やすらぎ?それとも、わくわく感?それを感じているとき、あなたは、どんな表情をしていますか?からだは、リラックスしていますか?どんな呼吸をしていますか?どうぞ、ありありとイメージしてみてください。それが、その状態が、あなたが本当にほしいと願う人間関係を得たときなのです。その感覚、感情、呼吸、からだの状態を、細部までしっかりと覚えでください。思い出したいときに、いつでも思い出せるように。それが、あなたにとっての羅針盤になります。そして、あなたが日々の人間関係を生きていくときの、チェッカーになります。いま、人間関係がうまくいっていないというひとは、あなたが思い描いた理想の状態を、繰り返し繰り返し、思い起こしてみてください。あなたの進むべき方向は、そこにあるのだということを、しっかりこころに刻むのです。あなたにとっての幸福な人間関係は、他者によってもたらされるのではありません。あなた自身が、選ぶのです。あなた自身の生きかたが、あなたの人間関係を決めるのです。そして、ここからが実践編。それを実現させるために、あなたは、今日、どんなふるまいをしますか?あなたがいまとっている、そのふるまいは、あなたの理想に近づくやりかたですか?もしもちがっていたら、ほんの少しでいいから、軌道修正をするのです。理想の人間関係を生きる自分であったなら、こんなとき、どんなふうにふるまうかをイメージしながら。ポイントは、あなたがどうあるか、です。仮に、それをはばむような存在があったとしても、理想のあなたなら、そんなとき、どうあるのか。 「どうするか」で 混乱しそうになったときは、 必ず、「どうあるか」に 帰ってください。一度や二度では、うまくいかないかもしれません。三度や四度でも、うまくいかないかもしれません。でも、どうぞあきらめないでくださいね。まちがっても、自分を否定的に、ジャッジしないでくださいね。大切なことは、ありたい自分を見失わないこと。何度でも、何度でも、何度でも、自分の内がわから呼び覚まして、感じ直してみるのです。その感覚、感情、呼吸、からだの状態を細部まで。あなたには、幸福になる権利があります。幸福な人間関係を生きる権利があります。どうぞ、それを自分から放棄しないでください。幸福な人間関係をめざすあなたを応援します!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2063号(2009年6月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪二つの感覚ときどき、自分のなかに、ことなる人間が住んでいるように感じることがあります。ふだんは、いわゆる胆汁質。ものごとを、率先してばりばりとすすめていきます。アイデアもどんどん出てくるし、人前に出て、目立つことをするのも大好きです。仕事をする上では、この胆汁質は、とても都合がいいのです。そして、私自身、この感覚が、けっこう気に入っています。でも、ときどき、ふっと、もうひとつの憂鬱質の自分が顔を出します。いえ、私は、本来は、憂鬱の気質をもって生まれてきているのです。だから、こちらの感覚のほうが、ずっとなじみ深いのです。憂鬱質の私は、一日じゅう、ひとりで海を見ていても、飽きることがありません。人前には、あまり出たくないし、知らないひとに話しかけることも、苦手です。ひとりで、ぼーっとしているほうが、好きなのです。これは、私の無意識のバランス感覚のようなもので、胆汁的な日々がつづくと、必ず、憂鬱的な自分がそっと顔を出すのです。そして、突っ走りがちな私に、静かにブレーキをかけてくれるのです。以前は、このブレーキが、うっとうしくて、しかたありませんでした。やらなくてはならないことがたくさんあるのに、このモードに入ってしまうと、どうにも動けなくなってしまうのですから。でも、胆汁質の私が、全面に出ているときは、仕事はすすむかもしれませんが、ひとりよがりな面が、出てきやすくなるようです。ものごとを、自分の思いどおりにすすめるために、強引な対応に出がちです。憂鬱質の私が出てくるのは、そんなときなのかもしれません。もっと加速したい!というときにかぎって、まるで、ブレーカーが落ちるように、エネルギーが途絶えるのです。そんなときは、たいてい、仕事をがんがん詰めこんでいたりするわけですから、「それは、胆汁質の私が 引き受けてきたことで、 いまは、憂鬱質の私だから、 ちがうひとなの」なんて言いたくなるのですが、通用…しませんものね。(笑)最近、ようやくその二つの感覚と、上手につきあえるようになりました。単純に言ってしまうと、受け入れたのです。できないときは、できないなりに、無理をしないで、そのなかでも、できることをやるのです。憂鬱質の私は、無気力なのではなくて、憂鬱質の私なりのリズムとテンポがあるのです。胆汁質のテンポやリズムとは、ちがうというだけなのです。憂鬱質の私のテンポとリズムでやっていくと、ペースはダウンするけれど、それなりにちゃんとすすむのです。いえ、すすんでいると、みとめてあげるのです。(^^ゞどちらも、OK。いまやれることを、できるだけここちよくやる。そんなふうに、自分に言い聴かせながらね。そして、実は、ちょっと自覚することによって、この二つの感覚は、自分でも、ある程度、使い分けることが可能です。たとえば、何かの集まりで、リーダーシップをとるひとが誰もいずに、膠着しているようなときは、胆汁質の自分に、スイッチを入れればいいのです。逆に、その場に、なかなか溶けこむことができず、躊躇しているひとがいるようなときは、すっと、エネルギーを落として、そのひとに寄り添うことができます。どちらもOKにしているから、使えるのです。どちらの自分にも、いい・悪いのジャッジをしないでいるから、そのときどきに必要な自分に、出てきてもらうことが可能なのです。あなたのなかにも、さまざまなあなたが、いるのではないでしょうか。どのあなたも、あなたです。すべてまるごとで、かけがえのないあなたという存在です。どうぞ、受け入れてあげてくださいね。そのときどきで、その自分と、ここちよく向き合ってあげてくださいね。自分を好きになる、ということは、案外、こんなことなのかもしれません…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2062号(2009年6月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪似たもの同士「引き寄せの法則」というのが、一時期、流行りましたね。 え? いまもですか? スミマセン、世事にうとくて…。あれ、わざわざ言うまでもなく、当たり前のことなんです。引き寄せの法則の大原則は、同質のものである、ことです。栗の木に、ぶどうがならないように、ことなるもの同士は、くっつけても引き寄せられません。というわけで、本日は、私の引き寄せのお話。しかも、けんかの話です。(笑)私は、こう見えても(どんなだ)、けっこう、けんか好きです。以前、ある組織に参加していたときのことです。 念のため。宗教ではありません。 もちろん、 マフィアでもありません。(笑)会議が終わって、メンバーといっしょに飲みに行きました。私は、こう見えても (だからどんなだ)ウワバミです。(爆)がんがん飲んで盛り上がっているさなか、ふとしたことから、ひとりのひと(年上)と、意見が対立しました。ふだんは、とても尊敬しているひとなのですが、なぜか、そのときは、対立してしまったのです。お互い、アルコールが入っていたせいでしょう。「やめちまえ!」と、そのひとは、どなりました。「ああ、やめてやる!」と、私もどなり返しました。 はた迷惑なヨッパライの けんかです…。m(__)m会議のあとの飲み会ですから、時間もかなり遅くなっていました。もう終電しかないことに気づいて、みんな、あわてて店を飛び出しました。そのひとと、私は、途中まで、帰る方向が同じでした。けんかの余波で、離れた席にすわり…、二人とも…そのまま、爆睡してしまいました…。 おやじじゃん!(>__
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪まじめな、いい子たちです。横浜市青葉区小中高生ミュージカルの演出家・井上弘久さんは、このミュージカルではじめて、子どもたちとの劇づくりにかかわりました。それまでは、おとなの、しかも、小劇場系の作品をつくってきたひとなのです。当時は、出演者を、小学1年生以上としていました。 現在は、3年生以上です。なので、低学年の子が、けっこうたくさん参加してきました。もっともおおかった時期には、約80人の出演者のうち、20名近くが、低学年の子どもでした。さて。お芝居の稽古には、「だめだし」という時間があります。そこまでの稽古のなかで、修正したいところを、ことばで指摘していくのです。井上さんは、子ども相手であっても、手抜きはしません。真剣に指摘をしていきます。そんなとき、子どもたちも、真剣な表情で聴いています。そして、井上さんが最後に、「わかった?」と聴くと、それはそれは元気よく、「はいっ!」とこたえます。本当にまじめな、いい子たちです。井上さんも、ごきげんで、「じゃあ、やってみよう」と、さっきの場面を繰り返します。すると…。カンのいい読者のあなたなら、すでにお気づきでしょうが…まーったく変わっていません。(爆)さっきの「だめだし」が、みじんも生かされていないのです。 ええ、みじんもです。(^^ゞそんなことが、何回もつづきました。子どもたちは、本当は、まじめでも、いい子でもなくて、演出家の言うことをきかない、悪い子たちなのでしょうか?いいえ。おとなの演劇しか体験していなかった、井上さんはまだ知らなかったのです。子どもは、ことばで言っても、理解できない生きものである、ということを。(爆)発達心理学的には、論理的思考ができる、(つまり、抽象的思考を、 自分の頭で考えて理解できる)のは、10歳を超えたあたりからだそうです。代わりに、どうやって理解するかというと、からだの感覚で受け止めるのです。つまり、子どもたちは、井上さんの真剣な態度に、反応していたのです。その真剣さを、そのまま、再現していただけなのです。その意味で、子どもたちは、「わかって」いたのです。(^○^)だからこそ、迷いなく、「はいっ!」とこたえていたのです♪ああ、なんて、まじめな、いい子たちなんでしょう♪♪♪あれから、8年。(2009年現在)「だめだし」の時間。もはや、井上さんは、ことばで、子どもたちにわからせようとはしません。伝えたいときは、みずから、からだを使って表現します。そこに必要な感情を、まさに感情をこめて伝えます。すると、着実に、次の稽古が変わっていきます。からだで伝えること。感情で伝えること。それが、子どもたちにとっての「ことば」なのです。子どもが言うことを聴かないと、なげくおとなのなかには、このことを理解していないひとが、けっこうたくさんいます。それは、らくだにむかって、「コケコッコー」と話しかけているようなものなんです。 意味不明のたとえという ツッコミは却下!(^^ゞ通じません!(爆)「いえ、うちの子は、 説明すればわかります」というひともいますが、たいていの場合、子どもは、「こう言われたときに、 こう反応すると、 お母さん(おとな)は、 ごきげんになる」ということを学習しているに過ぎないのです。(あちゃー)どうぞ、子どもに、何かを教えたいと思ったならば、ことばではなく、態度で、表現してあげてください。感情をしっかり使って、伝えてあげてください。子どもは、まねしなさいと言わなくても、まねします。それが、子どもというものなのです。子どものことばなのです。ちなみに、私の体験では、からだと感情を使う伝えかたは、中学生くらいになっても有効です。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2060号(2009年6月19日発行)より●追記私自身は、2011年をもって、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪支配される必要はないのです。あるひとと、話をしていたときに、たまたま「解離性同一性障害」のことが、話題になりました。以前はしばしば、「多重人格」という呼びかたをされていた症状のことです。自分でありながら、自分とはまったくちがう人格があらわれてきてしまう…。そのことにたいして、「つまり、私たちは、 どんな自分にもなれる ということなんですね」と、相手のかたは言ったのです。この病気をおもちのかたにとっては、それは本当に大変なことであると、わかりつつも、私は、そのとき、思わず、こころのなかで、「なるほど!」と、叫んでしまっていたのです。あくまでも、病気の問題とは切り離して、考えてみると、私たちは、いっこの固定した性格だけをもって生きているわけではありません。ふだん気の弱いひとが、あらゆる場面において、気が弱いかというと、そうでもなかったりします。ふだんおおざっぱなひとが、びっくりするくらい繊細な面を見せることもあります。その意味では、私たちは、あらゆる可変性(このことば、最近気に入ってます♪)を、自分のなかに秘めているといっていいのです。実際、演劇をやるときには、この感覚を、無意識的に使っているのかもしれません。私たちは、本来の自分らしい自分と感じる性格や感覚をもっています。でも、それだけが自分ではないということを、ちょっと受け入れてみてもいい、と思うのです。そして、ときと場合によって、それを活用してみたらいいと思うのです。このことのひとつの助けとして、「アニマル・レッスン」という演劇の手法があります。本格的なアニマル・レッスンは、それなりの時間を要するものですが、ここでは、それを軽く応用してみましょう。ある種の動物を思い浮かべるとき、その動物によって、それぞれに、ことなるイメージが浮かぶと思います。たとえば、りすと言われて思い浮かぶイメージと、ライオンといわれて浮かぶイメージはちがいますよね?同じ状況におかれたときも、りすのタイプのひとと、ライオンのタイプのひとは、きっと対応もちがうでしょう。この感覚を、意識的に使ってみるということなのです。あなたが、もしも、いつも、自分の気持ちをひとに伝えられないとしたら…。意見が対立しそうになると、逃げてしまうというようなパターンをもっているとしたら…。そのとき、自分のなかで、いつもの自分とはちがうタイプの動物を思い浮かべてみるのです。そして、その動物の感覚で、相手に向き合ってみるのです。いつもなら、引っこんでしまうひとが、そのときにかぎって、言い返せたりするかもしれません。いつもなら、相手にたいして、攻撃的に出ていたひとが、ひと呼吸置いて、待つことができるかもしれません。私たちは、どんな性格や、気質をもっていようとも、そこに支配される必要はないのです。自分のありようはありようとして、受け入れつつ、でもそうではない自分も、ときと場合によって、使いこなしてみてもいい、ということなのです。もちろん、練習は必要ですよ。でも、どんなことでも、トライしたぶんだけ、自分のものにすることができます。まずは、自分の内がわには、無限の可変性と、可能性があることをみとめてみましょう。そして、その、どれを使ってもいいのだということを、自分自身に伝えてあげましょう。ゆっくり、ゆっくりでいいです。チャンスあるごとに、それを、使ってあげるんです。あなたが、あなたの人生をより快適に生きるために、ね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2059号(2009年6月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.12
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★今日のフォーカスチェンジ♪マイナスとは受け止めません。最近、会うひとに、しばしば言われることばがあります。ひとつは、比較的最近出会ったひとたちから。「(話を聴いていると) 短いセミナーでも受けたような 気持ちになりましたよ」えええー?! 私、なんか、えらそーなこと、言ったのか?!…と、最初のうちはどぎまぎしましたが、このごろは、ひらきなおって受け止めることにしています。昔から、「年の功より、かめの功」ということばもありますしね♪(ないって!)もうひとつは、古くからの友人にいわれることなのですが。「ドリプラ2008 http://s-url.jp?43801 に参加してから、 さらにパワーアップしたねえ」こちらも、えええー?!です。パワーアップだなんて…。せっかく、「かわいい女」になろうとしてるのに!!(爆) 詳しくは、こちらを参照♪ http://s-url.jp?43799でも、二つのことを振り返って、思ったことがあります。ひとは、どこまでも変化していける生きものなんだなと。二つとも、本当に、最近、言われるようになったので、よけい、象徴的に感じたのです。そして、この二つのことばを手がかりに、自分自身をあらためて検証してみたのです。そして、気づきました。もしも、この数年をかけて、私が一番変わった点をあげるとするならば…それは…それは……自分の欠点を見なくなったことです。(爆)それって自己中やんかあああ!…というツッコミは、ひとまず却下して。(^^ゞでも、本当にそうなんです。たとえば、何かミスをしたり、やりとげようとしたことが、できなかったりしたとします。以前の私であれば、そこで、自分を責めていました。そして、落ちこんでいました。でも、それって、客観的に見ると、何のメリットもないことだと思うんです。自分を責めても、事態は変わりません。むしろ、行動力が落ちて、かえってマイナスです。落ちこんでいる時間があったら、外に出て、ごみひろいのひとつでもしたほうが、よっぽど社会のためになります。自分を責めても、落ちこんでも、誰のためにもならないのです。何よりも、自分の人生の時間にたいして、申しわけないのです。いろいろな学びを経て、私は、生きかたを変えました。どんな事態におちいっても、自分を責めるのをやめました。そして、少なくとも、そこにトライした自分をみとめることから、はじめました。やったことのなかで、どんなにちいさなことでもいいから、できたことを、ほめました。ひとりでは、うまくいかないときは、がんばらずに、友だちに助けをもとめました。愚痴を聴いてもらったり、ほめてもらったりなど、サポートをしてもらうようにしたのです。すると、当たり前ですが、元気が回復してきます。自然と、問題に対処するエネルギーも湧いてきます。気持ちも冷静になって前にうまくいかなかったことにたいしても、対応策を見つけることができるようになりました。たくさんの「へこみ体験」が、結果的に、私に、語るだけの何かを身につけさせてくれたのかもしれません。それが、前者の「セミナー」発言につながるようになったのかもしれません。ドリプラ2008 http://s-url.jp?43801への参加は、夢を実現するための決意と意志を、私に確認させてくれました。問題が起きても、そこであきらめない強さを、私にあたえてくれました。でも、それもまた、豊富な(笑)「へこみ体験」があったからこその、結果ではないかと感じています。いまでも、問題は、てんこもりにありますが、だからこそ、やりたいことへの気持ちも高まります。するすると解決してしまうことなんて、夢にも何にもなりませんものね♪これも、ドリプラ効果です。(笑)いま、私は、マイナスをマイナスとは受け止めません。それは、より高みにいたるためのプロセスなのです。それをひとつ超えるたびに、自分自身がみがかれます。同時に、誰かをサポートするためのノウハウを身につけている、とさえ言えるのです。こんなことでは、私、ますますパワーアップしつづけてしまいます。(爆)かわいい女には、いつになったらなれるんでしょう♪あ、それが、人生最大の壁…だったりするのかも!(^^ゞ(きゃー)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2058号(2009年6月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪けっ!お上品ではないことばでいきなりすみません。m(__)mでも、本当にそう思ってしまうことがあるんですよ。たとえば、小学校などで「みんな仲良く」なんて目標が貼ってあったりすると。「けっ!」思わず、そう言いたくなってしまうんです。(^^ゞなぜって、それってたいてい、おとながつくった目標か、おとなが誘導して、子どもに書かせた目標ですよね。そのくせ、この目標を、本当に守れるおとななんて、存在するんでしょうか?自分ができもしないことを、子どもに押しつけちゃいけません。あえて押しつけるときには、みずから範を示すべきです。めちゃくちゃカゲキに書き出してしまいましたが。これ、ものすごく重要なことなんです。子どもは、おとなのことばで育つのではないからです。子どもは、おとなのすることを見て、学習するのです。だから、実際に仲良くできて、幸せに生きているおとなを見るとき、子どもは、そのことばを納得して受け入れ、自分もそうありたいと、自然に行動するようになります。でも、そう言っているおとなが、誰かといがみあっていたり、陰で悪口を言っていたりすると、子どもは、まちがいなく混乱します。まるで、これはみかんだよと教えられていたものが、店先で、くらげといって、売られているようなものです。「みんな仲良しって、 ああいうことを言うの?」子どもが、そんなふうに認識してしまったら、おとなの責任重大です!では、「仲よくすることを教えなくてもいいのか」というツッコミがきそうですが。はい、いいのです。だって、仲良くしたいひととは、別に、四の五のいわなくたって、ちゃんと仲良くできますもの。大切なことは、意見や行動に共感できないひと、あるいは、あからさまにぶつかってしまうひとと、どうかかわるか。そんなときに、こころを隠して、表面だけ仲良くしているように見せかけることは、詐欺にひとしいので、やめましょう。では、どうすればいいのか?おとなが、ちゃんと向き合う姿を見せてあげればいいんですよ。世の中には、仲良くかかわれるひとと、あまり仲良くは、かかわれないひとがいる。でも、そうであっても、お互いをお互いに尊重できるし、わかりあう工夫もできる。そのことを、具体的に示してあげればいいのです。そのためのひとつの方法が、「けんか」です。言っておきますが、相手の言うことを無視して、一方的に自分の主張だけするのは、けんかとは言いませんよ。それは、ただの暴力です。相手に、自分の思いを、しっかりとぶつけるのです。そして、相手の思いを、がっぷりと受け止めるのです。そう。まるごとの自分とまるごとの相手との強烈なコミュニケーション。そのやりとりこそを本当の「けんか」というのです。本当の「けんか」ができたとき、本当の「仲直り」が成り立ちます。…これ、わかりますか?言い換えれば、徹底的に、ちゃんと「けんか」をしていないから、いつまでたっても「仲直り」もできないんですよ。そして、本当の「仲直り」が成り立つと、その瞬間に、大親友になっちゃうかもしれません。(笑)そのとき、ひとは、「仲良くする」のではなく、「仲良くなる」のです。そしてね。子どもたちは、本来、けんかの天才であり、仲直りの天才なんです。さっきまでけんかしていた相手と、手をつないで遊んでいるなんて、日常茶飯事です。おとなが教えるまでもなく、ちゃんと知っているのです。だからね。「みんな仲良く」なんて目標は、とっととはずして、「しっかりけんか」に貼り替えちゃったほうがいいくらいなんですよ。そして、おとなのあなたも、どうぞ、しっかりけんかして、しっかり仲直りしてくださいね。そのほうが、よっぽど子どものためになりますから♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2057号(2009年6月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪宇宙抱っここのところ、何かと追われることがおおく、気持ちがちょっとがさがさしているなあ。めずらしく、腰に痛みが出ているなあ。 私の場合、無理をすると、 腰の痛みというサインを からだがくれます。そんなことを感じていたので、ひさしぶりに、瞑想をやってみました。瞑想CDの誘導を使って、自分のイメージのなかに、どんどん入っていきます。最初にやってきたのが、無限の宇宙でした。なぜか、色が反転していて、真っ白ななかに、ぽつぽつと、黒く、星のありかが見えます。ただ、ただ、無限に、真っ白な宇宙。その広がりのなかに、私は、まゆに包まれたさなぎのようなかっこうで、ただよっているのでした。「宇宙抱っこ」そんなことばが浮かびました。真っ白な真っ白な光に抱っこされて、たっぷりただよってから、地球にもどってきました。次のシーンは、森でした。朝もやに包まれた草原がどこまでもどこまでも、広がっていました。遠くに村は見えるのに、不思議と、ひとの気配はなくて、ただただ静寂だけがあり、まるで、透明な森の妖精のように、私は、森のなかに溶けこんでいるのです。今度は、気がつくと、ひろびろとした、流氷原の上にいました。私は、鷲でした。ぎろりとしたまなこと、黒くておおきな翼。、太くて曲がった爪で、しっかりと、海のなかの岩に止まっていました。飛び立つと、翼がゆったりと風をはらみ、凛とした清涼な空気が、からだのまわりを流れていくのがわかりました。流氷原の向こうは、白くかすみ、その果てに、空と水平線とが、ひとつに溶けていました。その真っ白な海の上を、私は、悠々と、気持ちよく、どこまでも飛んでいくのです。どこにいても、おおきな存在が、私を包んでいるのがわかりました。どんなときでも、私は、宇宙に抱っこされているのです。今回の瞑想をつらぬいていたのは、「白」でした。それが、何を意味するのかは、わかりません。原点にもどれ、ということでしょうか。おそれずに、まっさらなこころで生きよというメッセージでしょうか。いずれにしても、こわばりがちだったからだは、ゆったりとほぐれ、こころは、おだやかな状態をとりもどしていました。さて。こんなまったく個人的な体験が、あなたにとって、何か意味があるかどうかはわかりませんが。それでも、もしも、つたえられることばがあるとするのなら…。私たちは、すべて、宇宙に抱っこされる存在です。だれひとり、この宇宙のふところの外に、放り出されてはいないのです。どんなに孤独に感じるときも、宇宙は、いつでもあなたを抱っこしています。誰も、自分を受け入れてくれないように感じるときも、宇宙は、おおきくおおきく、あなたを抱っこしているのです。そのことを、思い出してもらえたら、うれしいです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2056号(2009年6月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪意識を脱ぎ捨てて昨日、道を歩いていたら、ふっと、こんなことばが、自分の口からこぼれました。「意識のなかにいるのは、 きゅうくつだなあ」はい?…と思わず、聴き返してしまいました。次の瞬間、ああそういうことかと、わかって、笑ってしまいました。私たちは、いつでも「こうあらねばならぬ」という思いこみをもっています。この思いこみのおかげで、私たちは、現在の発展をとげることもできたわけです。「かくありたい」状態に向かって、努力することができるのが、人間ですから。でも、その意識は、同時に自分をしばりもします。「かくあれない」自分が、まるで本当の自分ではないように感じてしまうのです。「かくありたい」と努力しているときも、「かくあれない」と苦しんでいるときも、意識と格闘していることに、変わりはありません。いい・悪いは関係なしにね。でも、私たちは、どんな状態であっても、自分自身であることに、変わりはないのです。私たちは、生まれてから死ぬまで、自分自身以外になることはできないのです。そして、この自分自身は、つねに、無限の可変性をもった存在なのです。 いつもであれば、 「無限の可能性」と 書くところなのですが、 今日はなぜか 「可変性」ということばが 出てきましたので、 そのまま書くことにします。「生きている」私たちにとって必要なことは、この自分が、自分自身に、OKをあげることだけです。どんな状況にあっても、どんな事態においても、どんな事情をもっていても、自分にOKを出した瞬間に、私たちは、自分の生きている意味、自分の役割を受け入れたことになるのです。あえて「生きている」と書いたのは、これは、自分が生きているあいだにしかできないことだからです。自分が死んだあとで、他人がいくら自分を評価し、みとめたとしても、何の意味もないことだからです。私たちは、いま、この瞬間に、完全にも不完全にもなることかできます。私たちは、いま、この瞬間に、幸福にも不幸にもなることができます。意識と、どう向き合うかによって。「意識のなかにいるのは、 きゅうくつだなあ」一体、私のなかの誰がそんなことを言ったのかはわかりませんが、(笑)まさにそのとおりなのです。私たちは、人間という存在を生きるために、便利だから意識を使っているに過ぎないのです。だとしたら、その意識に、しばられる必要はないのです。意識を脱ぎ捨てて、無限の可変性である自分自身として、その自分を受け入れてみてください。私たちは、いまこの瞬間に、すでに完全であり、どの(意識の)自分を選択するのも自由であることがわかるでしょう。そのことを知って、どうぞ、自分の役割を選んでください。もちろん、選ばないこともまた、選択のひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2055号(2009年6月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪自分の役割私は、自分でもびっくりするくらい、衣食住に関心がありません。部屋は、殺風景だし、(装飾物に興味がないのです)服は、同じものを着ていても全然平気だし、食にいたっては、胃に入っていればいいという…。(^^ゞ あ、アルコールだけは、 ちょっとうるさいかも。(笑)これは、いまにはじまったことではなく、子どものころから、そうなのです。服は、高校を卒業するまで、母が買ってくれたものを、文句も言わずに着ていました。髪も、中学1年まで、近所の床屋さんで、刈り上げ!でした。 さすがにまずいと思った 母が、美容院に変えました。(^^ゞでも、自分を卑下しているわけではありません。自分が脚本でかかわっている舞台の公演のときなどは、思いきり派手な衣装とメークで、受付にいるのが好きです。どんなふうにすると、きれいに見えるかも、知っています。ただ、そのために、自分の人生の時間を使うことに、興味がないだけなのです。それ以外に、やりたいことと、人生でやるべきと、自分が決めていることがありますから。それを最優先にやることが、この人生における、自分の役割なのだと思っているのです。こんなことを書くと、とても傲慢に聴こえるかもしれません。でも、私は、衣食住の価値が、それに比べて、低いと言いたいわけではないのです。ひとによって、その自分の役割のためには、手放さなければならないものがあることを、感じているだけなのです。そして、それがなんであれ、ひとには、必ずそのひとなりの、役割があることに、気づいてほしいということなのです。とりわけ、自分には価値がないように感じているひと。自分は無力だと思っているひと。今日、私が伝えたいことは、ごくごくみぢかなもののなかに、あなたの役割があるかもしれないということ。それがどんなにささやかなものであっても、そこを大切にしてみてほしいということ。食事を楽しめるひとは、食にかかわるひとに貢献しています。服にこだわりをもてるひとは、服飾にかかわるひとたちに、よろこびをあたえることができます。住む場所を大切にできるひとは、建築やデザインを考えるひとたちの仕事を、支えています。それらは、日常的なことですが、日常的なことだからこそ、たくさんのひとに貢献できます。「ドラマ教育」という私の活動は、残念ながら、日本ではまだまだマイナーで、ごく一部のひとにしか、提供することができません。 「ドラマ教育」とは、演劇的 手法を使って、子どもをはじめ、 すべてのひとの、まるごとの 可能性を広げていく活動です。でも、いまはまだ、それでいいと思っています。どんな仕事にも、プロセスがありますから。このプロセスを体験していくこともまた、私の役割のひとつなのだと思っていますから。もう一度、書きます。ひとには、それぞれに、それぞれの役割があります。どうぞ、一人ひとりが、その自分の役割に気づき、大切にしてほしいと願います。一人ひとりが、自分の役割を大切にすると、それにつながるひとたちも、そのひとたちの役割を生かしていけるようになります。そうすると、私たちは、誰もが、自分の存在する意味を、肯定的に受け止められるようになります。誰もが、自分の存在意味を肯定できる社会…。考えただけで、わくわくするでしょう?そのためにこそ、どうぞ、自分の役割に気づいてください。その役割を生かすことで、ひととつながってみてください。あなたにとっても、まわりのひとにとっても、それは、神さまからあたえられた祝福なのですから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2054号(2009年6月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪手放すためにだけ…私は、ワークショップを受けるのも好きですが、自分がやるのも大好きです。どのくらい好きかというと、お金を払ってもやりたいくらい、好きです。(笑) ちなみに、ここでいう ワークショップとは、 こころとからだを使って、 自分を表現したり、 ひととコミュニケート したりする内容のものです。なぜそれほど好きかというと、ワークは、一人ひとりの内がわのかがやきを、あますところなく引き出してくれるからです。自信のないひとも、自分を好きではないひとも、どんなひとのなかにも、まちがいなく、そのひとだけの、かがやきがあります。そして、ワークは、そのひとが意識していようがいまいが、その魅力を、勝手に引き出してしまうのです。なかでも、もっとも好きなのは、子どもたちのワークです。はじめはおずおずと遠慮がちだった子が、次第にのびのびと自分を表現しはじめます。その瞬間が、なんともいえずうれしいのです。私がかかわっている、横浜市青葉区小中高生ミュージカル(※2009年当時)などの現場でも、さまざまな子どもたちが参加してきます。そして、子どもの時代にはかならず終わりがありますから、その子たちは、いつか、「卒業」していくわけです。どんなにその時間が楽しくても、どんなに、一人ひとりの子どもを好きになっても…。それは、永遠につづく時間ではありません。だから、ワークをしているとき、私は、いつも、一期一会の気持ちで、子どもたちを見ているような気がします。そして、一期一会であるがゆえに、いつでも、その子たちにとって、最大限の体験を提供したいと、こころから思うのです。でも、これは、ワークにかぎったことではないのかもしれません。少なくとも、誰かの成長にかかわる立場にあるひとは、みんな、そうだと思うのです。親であれ、先生であれ、上司であれ…。出会って、手渡せるだけのものを手渡したら、あとは、手放していくだけなのです。だって、そこから先は、そのひとの人生ですから。そのひとの人生は、そのひとにしかつくることが、できないのですから。たとえ、足りないように見えるところがあったとしても、それは、この子たちのこれからの課題。自分で切り開いていく、未来に向けてのプレゼント。だから、何もかも、かかえこむ必要はないのです。いいえ、かかえこんではいけないのです。そのことを思うたびに、目の前の子どもたちが、いっそうかがやいて見えます。私たちに必要なことは、この子たちの、そのかがやきを、目のなかにとどめておくことだけ。そんな気持ちになるのです。そう。手放すためにだけ…、私は、いま出会っているのだ。手放すためにだけ…、私は、ここにいるのだ。手放すためにこそ…、私は、かかわっているのだ。繰り返し、自分に言い聴かせながら…。今日も、子どもたちと、出会いつづけたいと思うのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2053号(2009年6月12日発行)より●追記文中に出てくる子どもたちのミュージカル。2011年をもって、私は、この活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪あなたにできるちいさなこと。メールマガジン「今日のフォーカスチェンジ」を発行するようになってから、早いもので、5年半経ちます。1本のメルマガを書くには、早くても1時間、長いと2時間くらいはかかりますから、仮に、1時間としても、2052本×1時間=2052時間。 計算式を立てる必要あるのか?!(爆)24時間で割っても、すでに、81日ぶんに相当する時間を、このメルマガのために費やしていることになります。もちろん、基本的には自分の楽しみのためにやっているわけなのですが。それでも、発信したものに、まったくなーんにも反応がなかったとしたら、とってもサビシクなりますよね。(笑)山に向かって、「おーい」と呼んでも、こだまがかえってこないような感じです。 いや、それは別の意味で怖い!私自身も、たくさんのメルマガを読んでいますので、発行者さんの気持ちは、それなりにわかります。だから、できるだけ感想を送りたいなと考えます。とはいえ、なかなかそれだけの時間がとれないのが現状です。 何しろ、いただく感想に さえ、確実にお返事できない 状態なのです。ごめんなさい。それで、最近、もっぱら活用しているのが、ランキングボタンです。すべてのメルマガではありませんが、けっこう、ランキングボタンのことを書いてあるメルマガっておおいんです。読んで、「いいな」と思ったら、 (↑ここはポイント♪)ぽちっと、押します。1秒もかかりません。もちろん、1円もかかりません。でも、その反応は、確実に、発行者さんに伝わります。1秒もかからないことで、発行者さんをよろこばせることができるのならと思って、けっこう、まめにやってます。(笑)それで、さらにいいメッセージが発信されるようになるのなら、自分にとってもおトクですものね♪さて。本日書きたかったこと。日常のなかで、ほんのちいさな手間をかけるだけで、誰かをよろこばせたり、勇気づけたりできることって、案外たくさんあるんじゃないかな…ってことなんです。自分ひとりが、とか、一回くらいとか、と思って、やらないでしまうことって、いろいろあると思うんです。でも、そのちいさなはたらきかけが、もしかしたら、誰かを元気にするかもしれません。だとしたら、やらない手は、ないとは思いませんか?道を歩いていて、ごみを見つけたら、ひろってみるとか。電車で、席をゆずるとか。自転車が倒れていたら、起こしてあげるとか。いいえ、もっともっとささやかなことでもかまいません。コンビニやスーパーで、レジのひとに「ありがとう」と伝えること。外食をしたら、お店のひとに「ごちそうさま」「おいしかったです」と伝えること。席を立つときに、椅子をもとの位置にもどすこと。トイレを出るときに、便器のふたをしめること。なんでもいいんです。ちなみに、私がやってみて、気持ちがいいなあと感じたのは、上記のことのほかに、公共施設の玄関で、くつをそろえること、でした。これは、時間がないときには、なかなかできませんが。くつの数が少なかったり、時間があるときなどには、けっこうやるようにしています。そうすると、見た目にもすっきりするので、自分自身がいい気持ちになるのです。朝起きてから、夜眠るまでのあいだに、あなたにできるちいさなこと。今日はちょっと、振り返ってみませんか?あなた自身のこころを元気にするためにもね♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2052号(2009年6月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2013.02.11
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★今日のフォーカスチェンジ♪攻防戦横浜市青葉区小中高生ミュージカルの活動にかかわりはじめた9年前。(※2009年当時)当初は、小学校1年生から受け入れていたこともあり、参加者は、最大で80人近くにもなりました。 現在は、小学校3年生から。そうなると、配役だけで大変です。主人公など一部の登場人物以外は、「子ども1~10」とか、「中学生1~5」なんていうふうに、つけていくことになります。子どもたちは、どんな役でも、一所懸命、演じてくれます。もちろん、こちらも、どんな役にも、必ず、光る場面、おいしい場面は用意しておくわけですが…。ところが、本番が終わって、お疲れさんの会のときの「ひとこと感想」では、「楽しかったです」「またやりたいです」ということばのあとに、こんな声が続出するのです。「次は、名前のある役が やりたいです」(笑)2007年。この年は、さまざまな事情から本公演ができず、有志による小公演がおこなわれました。最初の稽古日。前半だけ仕上がった台本をもって、稽古場に行きました。「台本、わたしまーす」というと、子どもたちが歓声をあげて集まってきます。ところが、登場人物名を見るなり、「あー、名前がない!」(爆)そうでした。時間がなくて、すべての登場人物に「子ども1~」と、番号だけふっておいたのです。子どもたちの非難がましい視線が、私に注がれます。(汗)実は、時間がなかったこともありましたが、このときは、特定の役によらず、全体で舞台を構成するイメージが私のなかにはありました。ある意味、主人公のいない、全員が主人公の劇でした。それを説明するのですが、子どもたちは納得しません。やっぱり、「名前」がほしいのです。(^^ゞそこで、後半を書き上げてもっていくときに、一計を案じました。「名前だけ」をつけたのです。名前はつけてあるけれど、劇のなかで、実際に、その名前を呼び合うことはありません。はい。ついてるだけの「名前」なのです。子どもたちは、台本を見るなり、「わー、名前がある♪」と、だまされてくれました。(笑)でも、稽古がはじまると、たちまち、見抜かれました。「名前だけだー!」(^^ゞそれでも、名前って、あるだけでも、うれしいのですね。公演が終わったあとのインタビューで、一人ひとり、「○○役の□□です」なんて、あいさつしているのですから。それにしても、こんなふうに、自分がほしいものを、しっかりと要求できる子どもたちって、すてきだなあと思うのです。これは、いわゆる、単なるわがままとはちがいます。自分の役を大切にしたいのです。大切にあつかわれたいのです。その気持ちのあらわれなのです。だから、私も、けっしてどうでもいいような役は、書かずにおこうと思います。どんなに出番が少なくても、いえ、少なければ少ないほど、その瞬間に、ちゃんと光るせりふ、印象に残る場面をつくろうと、こころをくだくのです。それも、これも、この子どもたちとの攻防戦があるから。お互いに切磋琢磨して、いいものをつくっていく同志として、向き合いつづけたい。そんな気持ちにかられずにはいられません。そして、2008年度の公演「ハヤブチノヌシ、帰るとき」。人間と、自然の生きものたちが、登場する物語です。とんぼやカエル、鳥たちなど、さまざまな生きものたちの登場する場面を、私自身、楽しみながら、書きました。実際の舞台も、歌やダンスに工夫がこらされ、子どもたちは、存分にその表現を楽しんだようです。そして、そんな、生きものたちの演技にたいして、お客さんからも、好意的な感想が寄せられました。さて。舞台が終わって、ひとりの女の子が近づいてきました。生きもの役のひとりです。「どうだった?」と聴く私に、「楽しかったです!」と満面の笑顔でこたえます。ふふふ、よかった。そう思う私の耳に、彼女の次のことばが入ってきました。「今度は、人間の役をください」(爆)…攻防戦は、まだまだつづきます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第2051号(2009年6月10日発行)より●追記2011年をもって、私は、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 ★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
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