浅きを去って深きに就く

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August 31, 2007
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奇跡的な救い、奇跡的に立ち直るというが、いったい、あるものだろうか。
プロ・ゴルフの試合で、それに類する光景があった。

ハワイアン・オープンの最終日。ストレスのかかった最終ホール。そこで百メートルあまり離れたところからボールを打って、直径十センチほどの穴に入れて、青木功選手は逆転優勝した。神がかりというか、よほどの偶然というか。

だが、後にテレビで青木選手は「偶然とだけはいえぬ」といい切った。そのとき使ったのは、よく練習をつんだ好きな道具(クラブ)だったし、またよく練習していた距離であった。

「入る可能性を求めて練習してきた。そのおかげで入ったのだ」
と。いい言葉である。彼らもまた終世戦国の身。それを支えているのが、これなのだ。

人間に裏の裏の裏があるように、人生にも逆転また逆転がある。
そのために、心ならずも人生を深く生きることになるかも知れぬが、だが、それでこそ生きた甲斐があったということにもなろう。

【「打たれ強く生きる」城山三郎著/新潮社】平成元年5月25日発行



苦しみは感覚を研ぎ澄まし、身体を活性化させると同時に、何よりも、私たちの心を動かして、その内奥にある最も崇高な感情を呼び覚ますのだ」

青春時代に愛読した、スイスの大教育者ペスタロッチの言葉である。

      ◇

「陰徳あれば陽報あり」(御書1178頁)――かくれての善行があれば、よき果報がはっきりと現れる。

これは神奈川の大地で、卑劣な嫉妬と讒言と戦いながら、師弟の勝利の証を打ち立てた四条金吾への御聖訓の一節である。

人は往々にして「陽報」のみを追い求める。しかし、それはむなしく消え去ってしまうものだ。

永遠に崩れない幸福を築くためには、「陰徳」を積む以外にない。
広宣流布のため「陰徳」に徹しゆくならば、必ず、必ず偉大な「陽報」が現れる。是が、一点の曇りもなき仏法の因果の理法である。


【人間世紀の光「未来を開く神奈川 正義のために断じて勝て!」】聖教新聞04・3・31





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Last updated  May 8, 2019 09:41:59 AM
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