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June 27, 2016
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カテゴリ: 抜き書き
島薗●中島さんは、この戦後の第三期の最終局面で、全体主義が戻ってくると考えていらっしゃいますか。

中島●全体主義が戻ってくるとしたら、そのきっかけは、東アジアからアメリカが撤退したときなのではないかと考えています。つまり、アメリカという後ろ盾を失った時、その不安に、日本人が耐えられないのではないか、ということです。
批評家の江藤淳が一九七〇年に「『ごっこ』の世界が終わったとき」という論考を書いています。彼はそこで、戦後日本人はずっと「ごっこ」をやってきたと言っている。つまり最終決定はアメリカがするのだから、国会審議なども全部「ごっこ」にしかすぎないと。ところがそれから四十五年以上もたって、安倍首相はこの「ごっこ」遊びをもっと強化しようとし、それを「戦国レジームの解体」という矛盾に満ちたことをいっているわけです。ともかく「ごっこ」は続いている。
しかし、アメリカは遠からずアジアから距離を置き始めるでしょう。そのとき、日本は大きな不安に見舞われる。しかも中国との関係性はきちんと構築されていない。そうなれば、一瞬の出来事をきっかけに、権威主義的パーソナリティに飛びつく可能性が十分ある。

島薗●なるほど。

中島●もちろん、島薗先生の危惧なさっている「上からの」統制的な側面が、現在の日本で、すでに強くなっていることは同意します。たとえば秘密保護法とマイナンバー制度の問題です。秘密保護法によって、権力が何をやっているのか分からないという状況が作られます。何が秘密なのかすらも秘密にされるようになった体制で、私たちの側からは権力の姿が見えない。見ようとしても、メディアは規制・統制されています。
一方、マイナンバー制度の本質は、国民に「常に権力から見られているかもしれない」という意識を内面化させることにあります。そうすると国民は、勝手に規律化し、自主規制を始める。効率的かつ効果的な統治を行うためには、国民一人ひとりに権力監視の眼差しを内面化させればいいわけです。これも、国家精神総動員運動と同じように、権力に従順な国民を作り出すものに他なりません。結局、これはフーコーが言ったパノプティコンですよ。

島薗●言い換えれば、ジョージ・オーウェルの『1984年』の徹底した監視と管理の世界です。しかし、それでもテロリズムが起こるよりはましだということで、このような統治の体制が大衆から支持されてしまうのでしょう。

中島●治安維持権力の強化が、フランスのテロをきっかけに、日本も尻馬に乗って進められることになる。







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Last updated  June 27, 2016 04:51:23 AM
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