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国際医療福祉大学教授 川上 和久
先だって、裁判員裁判が下した死刑判決が 2 件、高裁で破棄された。 3 月 9 日には、 2012 年に大阪の繁華街で通行人 2 人を無差別に刺殺したとして殺人・銃刀法違反の罪に問われた被告の控訴審判決で、大阪高裁が裁判員裁判で審査された一審大阪地裁の死刑判決を破棄、無期懲役を言い渡した。 10 日には、 14 年に神戸市で小学 1 年の女児を殺害した事件で、殺人・死体遺棄の罪に問われた被告の控訴審判決公判で、これも裁判員裁判で審査された一審神戸地裁の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡した。高裁が一審裁判員裁判を覆したのは、すでに 5 例を数える。
高裁では、それぞれ酌むべき事情や計画性などを挙げ、死刑の判決がやむを得ないとまでは言えない、としたが、遺族の方は「何のための裁判員裁判か。これでは裁判員裁判の意味がない」と憤っており、その気持ちは痛いほど分かる。
国民の常識を刑事裁判に反映させるのが裁判員裁判の主眼だったが、死刑を科す基準について市民感覚と職業裁判官の考え方が、まだ大きく食い違っている。
裁判員に選ばれた人たちは、これまでの基準を知らない、というわけではない。一つ一つの重大事件に真摯に向き合い、ましてや人の命を奪う選択について、「これでいいのか」と苦悩していることが、さまざまな報道から伝わってくる。その結果として、死刑を選択した裁判員に対し、「感情で死刑を選択した人たち」というような評価をするならば、それこそ、裁判員に失礼な話だ。
これだけ裁判員裁判の結果が覆されると、市民感覚は当てにならず、従来の凡例を踏襲することが公平性なのだと職業裁判官は考えているのではないか、という市民の「無力感」が広がり、司法制度への不信にもつながりかねない。
死刑の選択に際し、公平性が求められるのは言うまでもないが、従来の、永山基準などを選択してきた基準が不磨の大典、ということではあるまい。法曹界は裁判員が出した結論に真摯に向き合ってもらいたい。
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