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戦国時代、甲斐の武田氏が甲府に都市を築き始め、天下統一へ名乗りを上げたのは 1519 年。ちょうど 500 年になる
▼この年、躑躅ケ崎に本拠地として建てられたのは、堀が一重のみの簡素な館だった。武田信玄は「人は城 人は石垣 人は堀」と詠んだとされる。人材を的確に登用し、育て、適材適所で生かすことを築城よりも重視する。こうした質実剛健な気風が武田武士にはあった
▼その一方で信玄は「人を頼る」ことを嫌った。「人数はそう多くなくてよい」と語り、父が 8000 の軍勢を率いて落とせなかった城を、わずか 300 の兵で攻略。別の激戦でも、「一騎だけで敵に突入する勢いをもって、御旗本勢の先駆けを」して勝利。「小国の小兵力をもって、大国大軍に立ち向かうことこそ肝要」と言ったという(腰原哲朗訳『甲陽軍鑑』教育社)
▼一人立ち、先陣を切るのは自分だ――その覚悟が根本にあるからこそ、志を同じくして立ち上がる人の存在を、心からありがたく感じられたし、「城」や「石垣」と表現できたのだろう
▼日蓮大聖人は、御自身の足跡を「かたきは多勢なり法王の一人は無勢なり今に至るまで軍やむ事なし」(御書 502
㌻)と。この「いくさ人」の覚悟から広布は始まる。常勝不敗の兵法である。
【名字の言】聖教新聞 2019.7.1
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