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忍耐と勇気と明朗さを水を治める者は国を治める―—。古来、天下泰平のために治水は重要な事業だった。▼徳川家康が江戸に入場した1590年、利根川をはじめ河川の洪水に民は苦しんでいた。大雨のたびに浸水し、農作物も育たない。江戸の繁栄には河川の整備が不可欠。その陣頭指揮を執ったのが、家康の家臣で代官頭の伊奈忠次である。彼が陣屋を構えたのは現在の埼玉・伊那町。町名は彼の名に由来し、町のホームページにもその功績が映像等で紹介されている。▼人々を水害から守り、安心して暮らせる世にしたい―—忠次は新田開発に努め、民と力を合わせ、湿地帯を耕作地に変えていった。さらに利根川の蛙児を東に移す、大規模な治水工事に取り組む。病でこの世を去った後も、遺志は次男の忠治に継がれ、関東は一大穀倉地帯に変貌。百万都市・江戸の礎が築かれた▼50年前の9月12日、伊那町に隣接する上尾市で行われた埼玉県幹部会。池田先生は利根川治水の史実に触れつつ、「忍耐と勇気と明朗さをもって、雄々しく自分自身の人間革命の歴史を」と訴えた▼世紀の大偉業も、全身全霊をかけた一つ一つの前身の積み重ねの上に成し遂げられる。(略) 【名字の言】2023.4.8
June 16, 2024
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至誠天に通ず初代会長・牧口先生が著書『人生地理学』を発刊して、本年は120周年。同著で先生は「島国」と区別して「海国」という言葉を用いた▼地理的条件は同じでも、二国の相違点は人々の気風にある。「島国人」は度量が狭く排外的。一方、「海国人」は快活で進取の気性に富む。前者の眼が島国の陸面に向かうのに対し、大洋全面に広がる。この相違が気風の高い違いを生む▼先生は、「海国」の資質を持った人物に勝海舟を挙げた。西郷隆盛と直談判し、江戸城の無血開城を実現した歴史は有名だ。彼が西郷との話し合いで大切にしたこと―—それは「至誠」をもって応じることだった▼海舟は述べた。「後世の歴史が、狂うといおうが、賊と云おうが、そんなことはかまうものか。ようするに、処世の秘訣は誠の一字だ」(『氷川秘話』第三文明社)。海舟の開かれた心の根底には、飾らず、奇をてらわず、新年をありのままに相手にぶつける「誠」の一字にあった▼池田先生は「人の心を動かすのは、真剣にして誠実な対話である。燃えるような情熱に触れた時、人の心もまた燃え上がる」と。語る内容も話術も大事。だが私心なき立正安国への信念こそ、大事を成す根源の力と心得たい。至誠天に通ずである。 【名字の言】聖教新聞2023.3.31
June 12, 2024
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ウェイン・ショーター 心を鋼のように鍛える グラミー賞の受賞は10回を超え、そのサックスの音色は多くの聴衆を魅了した。ジャズ界の巨匠にしてSGIのメンバーでもあるウェイン・ショーター死が、89歳で生涯の幕を閉じた▼東日本大震災が発生した後、氏は被災した方々を思い、メッセージを寄せた。その中で1996年に妻を飛行機事故で亡くしたことに言及。絶望のどん底にいた時、池田先生から「どうか人間の王者として生き抜いてください」との励ましを受けたことに触れた▼氏は悲しみを拭い、以前にも増して、演奏・作曲に情熱を注いだ。盟友のハービーハンコック氏は、ショーター氏が妻の訃報に涙する友人らを逆に励ましている姿を何度も目にした。「(ショーター氏は)自身の振る舞いを通して、日蓮仏法の信仰者としての真髄を示してくれた」と▼最愛の人をなくした中で、自分が励まされる側でなく、励ます側になる。それは心を鋼のように鍛えた人だからできることだ。「人間王者」の振る舞いであり、その根底には「師弟」がある▼逝去前、氏は次の言葉をつづった。〝使命を果たし続けるために、生まれかわるべき時が来た〟と。音楽で希望を贈り続けた氏の人生に学び、使命を果たし抜く人でありたい。 【名字の言】聖教新聞2023.3.7
May 24, 2024
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コペルニクス的転回今年は天文学者コペルニクスの生誕550年。彼の著書『回転について』が刊行されたのは、70年の生涯を閉じる1543年だった▼当時、宗教的権威を背景に誰もが地球を宇宙の中心とする天動説を〝常識〟と信じていた。彼が提唱した地動説は〝非常識〟であった。「コペルニクス的転回」とあるように、地動説が常識の現代から振り返ると、彼の業績は天文学の分野にとどまらず、人類の思想や思考における大改革に多大な影響を与えたことが分かる。▼日蓮大聖人は、庶民を代表とする一切衆生の幸福のために仏法を確立し、「人間のための宗教」の哲学と実践を流布された。ゆえに権力者から迫害に次ぐ迫害を受けた(略)▼池田先生は語る。「人々の心に巣くっていた古い『常識』が打ち破られ、新しい『常識』が生き生きと語られ始めるとき、時代は変わり、世界は変わる」。生命尊厳の哲理を確信を込めて語り、時代精神に高め、地域を、世界を変えていきたい。そのための対話へ、まず自分から一歩を踏み出そう。 【名字の言】聖教新聞2023.2.25
May 19, 2024
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緒方洪庵 源義経、徳川家康、宮本武蔵、坂本龍馬……。歴史的人物の生涯とともに、その人間像に迫った作家・司馬遼太郎氏。本年、生誕100周年を迎える。▼「世のためにつくした人の一生ほど、美しいものはない」とエッセイにつづった氏が、「特に美しい生涯を送った人」とたたえた人物がいる。江戸末期の蘭医学者・緒方洪庵である▼生まれつき病弱だった洪庵は、医学の道を志す。地位や名声には目もくれず、ただ人を救うために尽力し、種痘の普及やこれらの治療に多大な功績を残した。また、大阪に適塾を設立。慶應義塾を開学した福沢諭吉、日本赤十字の創立者・佐野常民といった幾多の人材を世に送り出した。司馬氏はこうも記している。「かれの偉大さは、自分の火を、弟子たちの一人一人に移し続けたことである」(『対訳 21世紀に生きる君たちへ』朝日出版社)▼「誰かのために」という生き方を貫き、その信念を伝えるには、何よりもまず自分が燃えていなければならない。「成長の止まった人間は、人に触発を与えることはできない。人を育てるには、まず自分が戦うことだ」と池田先生(略) 【名字の言】聖教新聞2023.2.7
May 2, 2024
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神格化が思想精神の形骸化を招くドイツ文学の最高峰の頂きがゲーテであることは、多くの人が認めるだろう。オーストラリアの作家はローベルト・ムージルは、ゲーテの存在によって、ドイツ小説は、他国と比較すると発展が半世は遅れた、と論じた。どういうことか▼ゲーテの作品はいずれも傑作で、凌駕することは難しかった。そのため後世の作家は早々に向上心を失い、それなりの小説を書くことで満足してしまった――それがムージルの指摘である▼「尊敬」と「敬遠」は紙一重。師と仰ぐあまり、肉薄しようとするより、自分は到底及ばないと、敬して遠ざけてしまう。そうした〝神格化〟が、思想精神の形骸化を招いた歴史は多い、インド仏教もそうであった▼米国のモアハウス大学・キング国際チャペルのカーター所長は、ガンジーとМ・L・キングの非暴力の闘争を継ぐことを、わが使命とした。二人が少しずつ神格化され、人々が〝自分には非暴力は関係ない〟と思うことに懸念を抱いた。その時であったのが、師を継いで「平和の非暴力を貫く池田先生の行動だった▼敬うからこそ、連なる行動を起こす――その挑戦ありて、偉大な精神はよみがえり、生き生きと脈動する。忘れてはならない学会精神である。 【名字の言】聖教新聞2023.1.18
April 20, 2024
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人生の究極・生の根源・生きる意義ドイツの作家ヘルマン・ヘッセの作品に、こんな話がある。夫を亡くし、貧しく暮らす女性が男の子を生んだ。その際、隣に住む老人から〝お子さんにとって一番よいと思われることを一つ考えてください。かなえてあげよう〟と言われた。女性は〝皆がこの子を愛さずにはいられないようにして〟と答えた▼願いはかなった。ただ、悪事を働いても人々に許され、甘やかされた。その子はわがままで、傲慢な大人となってしまう。享楽な人生を手に入れたものの、喜びや充実はなかった▼失意の底で、その子自身が老人に叫ぶ。〝僕が人々を愛することのできるようにしてください!〟。再び願いはかなった。だが、今度は数々の試練が彼を襲う。それでも信念を生き抜く中で、本物の人生の価値を見出した(高橋健二訳『メルヒャン』所収『アウグスツス』人文書院)▼この物語は、ヘッセの作品の中で最も美しいと評される。執筆当時、ヘッセは外面的、内面的に苦境の極みにあったという。それゆえ、人生の究極、生の根源、生きる意義を描けたに違いない▼我らも信心根本に、いかなる苦境にも心強く、自身を磨いていきたい。友に尽くし、社会に貢献し、真実の人生勝利の歩みを進める一年に。 【名字の言】聖教新聞2023.1.5
April 11, 2024
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師子王ごとくなるの心鹿児島の伝統的工芸品である「鶴田和紙」の紙すき作業が本格化している。昔から手もみ茶をつくる際の茶とり紙として使用され、今も高級茶づくりに欠かせない▼和紙の原料となるカジノキの繊維やトロロアオイの音から取った「ねり」は熱に弱い。だから紙すき作業は冬が向いていて、寒くなるほど良い和紙ができるという▼日蓮大聖人は、門下へのお手紙に「佐渡国は紙候わぬ上」(新1291・全961)と記された。当時、紙は貴重品であった。佐渡の地で著された「観心本尊抄」の御真筆が17枚の和紙の表裏両面に認められていることからも、それがうかがえる▼先のお手紙で大聖人は、権力者と結託して自身を陥れようとする諸宗の僧たちを「畜生の心は、弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生のごとし」(新1285・全957)と喝破され、「師子王ごとくなるの心をもてる者、必ず仏になるべし」(新1286・全957)と叫ばれた。敵がいるからこそ強くなれる。大難の前に師子王の心で戦い抜けば必ず仏になれる、と▼人生に苦労や困難はつきものだ。大事なのは心が負けないこと。厳しい冬ほど良質の和紙のように、試練の中で心を鍛え、粘り強く挑戦を重ねたい。 【名字の言】聖教新聞2022.12.13
March 25, 2024
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負けないことを信念とする気性の激しい織田信長、工夫を凝らす豊臣秀吉、我慢強い徳川家康という、3人の武将の性格を表現した句がある。家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」。詠み人知らずの句とされるが、広く知られている。▼家康の実際の性格とは異なるという説がある。また、彼の人生もホトトギスが鳴くまで何もせず、ただ待つようなものではなかった。幼少期に人質にされ、数々の合戦を経て江戸幕府の解説に至った生涯を見れば、苦闘の中で道を開いてきた生きざまが想像できる ▼真の「忍耐」には、負けないことを信念とする強さがある。苦悩の重圧に服従する「忍従」とは違う。環境の不遇を嘆かず、試練に耐えて生き抜く中に、幸福の種は必ず芽吹き、花と咲く。 【名字の言】聖教新聞2022.12.6
March 20, 2024
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人間の変革歴史学者・トインビー博士の大著『歴史の研究』の日本語版は、全25巻からなる。第14巻から20巻までの7冊には、それまでの13巻までとは異なり、「高い張りつめた調子」があふれている▼その理由は、7冊が執筆されたのが、広島と長崎に原子爆弾が投下された後だからである。博士は述べている。「私の感情が滲み出るほど、これらの悲劇的な不吉な政治的事件に深く動かされなかったとすれば、その方が異様である」(『歴史の研究』第21巻、下島連ほか訳)▼いかにすれば核兵器をはじめとする。人類の危機を克服することができるか―。50年前に始まった博士と池田先生の対談も、その問題意識に貫かれている。博士は語らいの中で、核兵器の永久不使用や地球環境問題の解決の方途について、「自己中心性を克服していくなかで見いだせるはず」と結論している▼〝20世紀最大の歴史家〟と称される博士が、人類の諸課題を根本的に克服する処方箋は、「人間の変革」にしかないと見た。その力を与え得る「宗教」とは何かを考察し、創価学会に最大の期待を寄せた▼宗教の使命は、人間をより聡明にし、希望を生み出していくことにある。私たちは、この「人間革命の大道」を力強く進みたい。 【名字の言】聖教新聞2022.9.16
January 30, 2024
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ゴルバチョフ夫婦桜「若い皇帝」というトルストイの寓話がある。若くして巨大な権力を得た皇帝に、三つの声が呼びかける。第一の声は〝あなたの責任は与えられた権力を維持していくことだけだ〟。第二の声は〝自分の責任を上手に回避しなさい〟。そして第三の声は呼び掛けた。〝「皇帝」ではなく「人間」としての責任を果たせ! 苦しむ民衆のために行動せよ!〟▼1997年11月、池田先生は、この寓話を引き、関西創価学園生に語り掛けた。「第三の『人間指導者』の道を選択した勇者こそ、ゴルバチョフ博士であると、私は断言したい」。横で、氏とライサ夫人がにっこりと微笑んでいた▼先生と氏の初会見は90年7月のクレムリン。氏が来日の意向を示し、大々的なニュースになった。だがその後政権を追われ、ソ連が崩壊すると、氏はその責任を押しつけられ、「過去の人」扱いを受けるようになる▼先生との友情が深まったのはむしろ、そこからだった。先生は一貫して、歴史の歯車を動かした氏の功績を明言し、ライサ夫人を病で失った氏と家族を励まし続けた▼創価大学には、氏と夫人で植えた「ゴルバチョフ夫婦桜」が茂る。「人間」として戦った氏の足跡と先生との友情をたたえ、年々歳々、咲き続けるに違いない。 【名字の言】聖教新聞2022.9.1
January 19, 2024
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敵は我にありアニメ「サザエさん」の穴子さん役などで知られる若本規夫さんは、26歳で声優出デビューして今年で50年。その特徴ある声で今も活躍を続けるが、かつて50歳を目前に壁にぶつかった▼新規の仕事がなくなり、レギュラーだけになったのだ。当初は事務所など周囲のせいにしていた。しかし状況は何も変わらない。そこで、声優として一から鍛錬し直そうと決めた▼大道芸や浪曲、声楽のレッスンに励んだ。呼吸法も見直した。そうして50代半ばからナレーションなどの新しい仕事が入るように。「敵は外にではなく自分自身の中にある」と、76歳の現在も早朝から3時間の鍛錬を欠かさないという(『若本規夫のすべらない話』主婦の友インフォス)▼人は困難に直面すると、問題の原因を外に求めがちだ。だが、周りを変えることより、まず自分を変えることだ。その中で環境も変わっていく――口で言うほど簡単ではないか、その挑戦の先に、思ってもみなかった新しい世界が広がっている▼自分自身の置かれた環境の善し悪しを決めるのは「我らが心の善悪による」(新317・全384)御書に仰せである。すべてを成長のチャンスと捉える強き一念で、自らを鍛え磨く夏にしたい。 【名字の言】聖教新聞2022.8.13
January 4, 2024
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仏法の真髄日蓮大聖人のもとに、富木常忍が母を亡くした報告に訪れた。常忍の夫人がずっと献身的に介護してくれたという。それを聞かれた大聖人は、すぐさま夫人宛に筆を執られた。『母の臨終が安らかだったことと、あなたが手厚く看病してくれた真心は、いつまでも忘れられない』と喜んでおられましたよ」(新1316・全975、趣意)▼常忍は鎌倉幕府の御家人に仕える武士。妻への日頃の感謝を素直に示せずにいた。そんな夫の心の内を伝えてもらった夫人は、どれほどうれしかったか。夫妻のために心を砕かれた大聖人のご配慮のこまやかさに感動する▼大聖人が門下にしたためたお手紙を拝すると、一人一人が悩みや試練を乗り越えゆくよう、人生相談や生活指導があり、時には弱気を打ち破る激励も。現実に即した具体的な御指南が多い▼仏教学者の中村元博士は言う。「『法華経』が特殊な哲学を述べていないという点に、かえってこの経典の重大な哲学的立場を読み取ることができる」(『インド思想の諸問題』春秋社)▼仏法は、人間を離れ、実生活を離れた理論などではない。現実に生きる「一人」に寄り添い、「一人」の幸福のために祈り尽くす振る舞いこそ、仏法の真髄である。 【名字の言】聖教新聞2022.7.15
December 6, 2023
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命こそ宝幼少の頃に沖縄戦を体験したある女性が、終戦から3年目の冬、母に連れられ南部戦跡を訪れた。一帯は沖縄戦最後の激戦地である▼壕の中に高く積まれた遺骨は「頭蓋骨の二つの穴が天空をにらみつけているよう」に見えた。そばで涙を流し続ける〝おばあ〟たち。凄惨な地上戦の傷痕は、少女のまぶたに焼き付いて離れなかった▼1960年7月、米軍統治下の沖縄を初訪問した池田先生は南部戦線跡へ。62年にも同戦跡へ足を運び、64年12月、沖縄で小説『人間革命』を書き起こした。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」と▼当時、ベトナム戦争が世界に暗い影を落とし、沖縄の基地からも爆撃機も飛び立った。小説の冒頭の一節はこう続く。「だが、戦争はまだ、続いていた。愚かな指導者たちに、率いられた国民もまた、誠に哀れである」。戦争で苦しむのは常に弱い人々だ。巨大な武力の応酬を前に、民衆になすすべなどない▼今なお戦火が絶えない現実にあって、他者の不幸に思いをめぐらせ、生命の尊厳を守る眼が閉ざされて行けば、平和は見いだせない。明日は沖縄の「慰霊の日」。「命こそ宝」の思潮を世界へ――仏法者の使命を深く刻みたい。 【名字の言】聖教新聞2022.6.22
November 6, 2023
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仏教に脈打つ対話の精神仏教説話の「蓮の花 前生物語」は豪商の息子の一人として生まれたポーディサッタ(過去世の釈尊)の物語である▼豪商の息子たちがある日、蓮の花が咲く池で、見張り番をする男から蓮を手に入れようとする。理由は不明だが、男は花を斬られていた。1人目が〝毛髪や髭と同じように、あなたの花も伸びるでしょう〟と言うと、男は怒ってしまう。2人目は、男の花が伸びるようながっていることを伝えるが、蓮は譲ってもらえなかった▼ポーディサッタは〝彼らが言っても言わなくても、鼻は伸びない〟と率直に語る。すると、男は「あの二人は嘘をついた。お前は本当のことを述べた」と言って、蓮の花束を与えた(中村元監修・補注、前田専学訳『ジャータカ全集3』春秋社)。物語は、率直に真実を語ることの大切さを教えている▼米モアハウス大学キング国際チャペルのカーター所長は、池田先生と初めて対談した折、先生の気取らない人格に魅了された。「率直」は、先生が世界の識者と語り合う際に信条としたことの一つである▼言葉を飾ることが、相手を尊重するとは限らない。誠実な中にも、勇気をもって真実と信念を堂々と語る。そこに信頼は広がる。仏法に脈打つ対話の精神である。 【名字の言】聖教新聞2022.6.7
October 21, 2023
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信仰とは勇気の異名第2次世界大戦で社会が混迷する中、初代会長・牧口常三郎先生は会合で訴えた。「言わねばならぬことをどしどし言ふて折伏するのが随自意の法華経であらせられる……今後もそれで戦わねばならぬ」▼当時は厳しい言論統制が敷かれ、特高警察の陰湿な監視もあった。いつ逮捕されるか分からない。その中で立正安国と民衆の幸福のために敢然と弘教拡大を指揮した牧口先生の覚悟を思うと、粛然とする▼御書には「日蓮等の類い」との言葉が200カ所以上もある。「日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る程の者は、宝塔に入るなり」(新997・全716)、「日蓮等の類いの修行は、妙法蓮華経を修行するに、難来るをもって安楽と意得べきなり」(新1045・全750)。これらの一節一節に、門下たちと共戦し、ご自身と同じ尊極の境涯に高めようとされた御本仏の大慈大悲が脈打っている▼信仰とは勇気の異名。困難や試練に直面した時こそ、強盛に信力を奮い起こして、祈り行動することだ。その時、自身の境涯は大きく開かれる▼きょう、牧口先生の生誕151周年を迎えた。法難の嵐をものともせず正義の行動を貫いた〝創立の父〟の志を受け継ぎ、我らも勇気の対話に果敢に挑みたい。 【名字の言】聖教新聞2022.6.6
October 18, 2023
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流水濁らず、忙人の老いずテレビ番組「料理の鉄人」などで活躍した、和食料理人の道場六三郎氏。「何かやり続けている人のほうが、いつまでも生き生きしている」との意味を込めて、自身が考えた「流水濁らず、忙人の老いず」との言葉を信念としている▼日課は4000歩以上の散歩。91歳の今もスッと背筋を伸ばし、「銀座ろくさん亭」の調理場に立つ。料理の道に入って70年を超えてなお、新しい料理のアイデアを生み出し続けている(『91歳。一歩一歩、また一歩。必ず頂上に辿り着く』KADOKAWA)。▼身体に負荷がかからない状態だと、どれほど筋力が低下するかを調べた実験がある。被験者は、ほぼ寝たきりの状態で生活した。実験開始から2週間後、太ももの筋肉は14%も減少していたという。1日1%の割合だ。動かなければ身体的機能は衰える。それは「心」も同じだろう▼日蓮大聖人は御入滅の直前にも、病を押して門下に「立正安国論」を講義したと伝えられる。令法久住のため、最後の最後まで弟子を薫陶し、広布に生き抜かれた。この〝戦い続ける心〟こそ学会精神だ▼さあ、きょうも動こう! 語ろう! 「水のごとくと申すは、いつもたいせず信ずるなり」(新1871・全1544)の御聖訓を胸に。 【名字の言】聖教新聞2022.5.21
September 28, 2023
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言葉は心の使い対面で語らう際に、人は相手の➀会話の内容②声③表情や視線から、それぞれの割合でメッセージを受け取るか。心理学者メラビアンが実験によって明らかにした、有名な法則がある▼結果は➀7%②38%③55%。ただ、「話の内容に意味がない」わけではない。この法則は「➀②③の表れ方が矛盾していた場合、人は②③を最優先して判断する」ことを示したものだ。例えば口で「感動した」と言いながら、妻ら誘う名態度をしていたら。ひとは声や表情から本音を汲み取る▼「目は口ほどに物を言う」し、「言葉は心の使い」ともいう。「声は人なり」とも。言葉と声と表情、その全てが同じ心で貫かれた時に、発する言葉は言葉以上の力を持って相手に届く▼釈尊は「対話の名手」と呼ばれた。その言動が、万人を「我が如く等しくして異なること無からしめん」(法華経)とする心に貫かれていたゆえに、多くの人の心を動かしたに違いない。仏がこの世に出現した目的は、「人の振る舞い」を示すことであったと御書に仰せだ(新1597・全1174)▼友の幸福や平和への願いを伝えることに遠慮はいらない。話の巧拙でもない。「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)である。 【名字の言】聖教新聞2022.5.16
September 22, 2023
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本を通じて時空を超えた絆に思いを太宰治の『人間失格』の中に、「ドストイエフスキイ」との記述がある。その場面で主人公は〝罪と罰〟について語る。ドストエフスキーの〝人間とは、また善悪とは何か〟というという問題提起に、太宰が作品を通して自分なりの思考を展開しているとも捉えられるシーンだ▼19世紀の海外の文学に、20世紀の日本の作家が学び、その小説を21世紀を生きる自分が読む。まるで時間も場所も越えて作者とつながっているように感じる。ここに読書の醍醐味の一つがあろう▼本を通じて時空を超えた絆に思いをいたし、歴史と人生とこの世界を貫く普遍に迫る。それは、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に触れる中で、私たちが実践していることだ▼師が全魂を注いだ作品を通して、鎌倉時代に立宗した日蓮大聖人の精神を学び、仏法の本義を深める。その研さんの輪は地球を包み、平和の礎を築く大きな力となっていく▼『人間革命』第10巻「展望」の章で、戸田先生は〝創価学会が人類の平和と文化を担う中核的な存在となる〟と述べ、その傾向は山本伸一の後半生の終り頃から顕著に現れる、と予見した。恩師が語った広布の潮流を、未来へ流れ通わせる使命を担うのは、今を生きる私たちである。 【名字の言】聖教新聞2022.5.14
September 19, 2023
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精神力に対する信仰フランスの2人の人物を紹介したい。ナポレオン3世にペンで立ち向かった文豪ユゴーと、ナチスに屈しなかったドゴール大統領▼ユゴーはペンは剣よりも強しと宣言した。「戦争、力、戦利品の人間たちの減少、思想、平和の人間たちの無限の際立った増加、真の巨人たちの回帰、これこそ私たちの偉大な世紀のもっとも偉大な出来事である」(西永良成訳)と。彼は「世界共和国」を提唱したことでも知られる▼ドゴールは、リーダーの資質として➀決断力②知識③エネルギー④精神力――を挙げる。中でも④を養うために「自らに精神的な義務を果たす以外にはない。精神力が形成されるのは、心のうちにおいてである。精神力に対する信仰がなければならない」と記した(ミシェル・ヴィノック著、大嶋厚訳『シャルル・ドゴール』作品社)▼共通するのは、強靭な精神力。日蓮大聖人は、御自身を迫害し抜いた権力者たちを「日蓮が仏にならん第一のかとうど(=味方)」(新1236・全917)と言われた。試練を勝ち越える中で精神力はきたえられる▼「最も困難なのは、理想的であり続けることだ。そして、現実を見た時に、理想を持ち続けることだ」(前掲書)。この言葉が胸に響く。 【名字の言】聖教新聞2022.5.2
September 6, 2023
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心の思いを響かして新型コロナウイルスの感染拡大を受け、国内で初めて緊急事態宣言が出てから、明日で丸2年を迎える▼当時、日本テレビの藤井貴彦アナウンサーが、担当する夕方の報道番組を進行していた折のこと。緊急事態宣言下の「人がいない渋谷のスクランブル交差点」が画面に映し出された。これを異様な光景とするか、あるべき光景とするか、単に「人がいません」と伝えるかを悩んだ▼結局、藤井さんは「今のテレビを見ている皆さんのご協力で、人との接触が防げています」と伝えた。視聴者の顔は見えない。だからこそ、テレビの向こうの〝誰か〟を励ますことを選んだ。「相手を頭に思い浮かべた言葉こそが届くのだと信じています」(『伝える準備』ディスカヴァー・トゥエンティ―ワン)▼長引くコロナ禍で、心に響く「豊かな言葉」が一段と求められている。SNSによるやりとりは増えたが、互いの顔が見えにくくもある。これまで以上に相手を思いやる姿勢を大切にしたい▼御書に「言(ことば)と云うは、心の思いを響かして声を顕す」(新713・全563)と。相手の仕事や家庭の状況によっては、直接会えない場合もある。友の幸せを祈り抜き、その真心言葉に合わせて、わが足元から励ましの輪を広げよう。 【名字の言】聖教新聞2022.4.6
August 1, 2023
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凡庸な悪ベルリン郊外のヴァンテーゼ湖畔で15人のナチス政権の高官が集まったのは80年前のことだった。会議のテーマは〝ユダヤ人問題の最終的解決〟。「ヴァンテーゼ会議」と呼ばれる、その会議以降、ホロコースト(大虐殺)が加速したとも指摘されている▼会議の詳細の議事録は残されている。作成したのはアイヒマン。ナチス親衛隊の対象からユダヤ人の大量移送の計画・促進を命じられ、実行に移した人物である。戦後、国外に逃亡し、アルゼンチンに身を潜めていたが逮捕され、裁判にかけられる▼人類史に残る巨悪を為した人間――その実像は、考えることを放棄し、使命を淡々とこなす平凡な役人だった。彼はナチスに責任を押し付け、言い訳に終始した。裁判を傍聴した哲学者のアーレントは「凡庸な悪」と論じた▼フランス文学者の鈴木直道氏は、本紙で「凡庸さのもたらす悪を克服し、自分の属する民族の汚点をも正確に把握するには、ただ徹底して『考える』ほかに方法はない」と述べている。戦争の悲惨さを見つめ、〝正義とは何か〟を問い、考え続けることから、平和の芽は育まれよう▼差別も戦争も、人間の心から生まれる。その心を変革し、人間の善性を呼び覚ましていくことが、宗教の使命である。 【名字の言】聖教新聞2022.3.21
July 12, 2023
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元品の無明との戦いかつて不治とされたハンセン病は「天刑病」とも呼ばれた。無知と恐れから「天罰だ」と信じる人がいたのである▼今では薬を服用すれば完治するものの、人間の心に根をおろした差別意識を拭い去ることは簡単ではない。現在も世界の新規感染者は年間約20万人いるが、患者が仕事や住む場所を追われる国がある。親が回復者というだけで教育の機会を奪われる子どももいるという▼毎年1月の最終日曜日は「世界ハンセン病の日」。治すべき〝病〟とは人間の「偏見」「無関心」であるというメッセージを、心ある人々が発信してきた。日本もひとごとではない。明治から平成までの約90年間、感染者を隔離政策の対象とするなどの差別があった▼仏法では誰もが「元品の無明」を抱えていると見る。生命への根源的な迷いであり、人間の尊厳と可能性への「不信」ともいえる。一方で、智慧と慈悲にあふれる「仏の生命」が全ての人に具わっているとも説く▼無明に敗れるのか。それとも仏性が勝るのか。御書に「妙法の大良薬をもって一切衆生の無明の大病を治せんこと疑いなきなり」(新1040・全720)と。広宣流布は単なる組織の拡大ではない。自他供の尊厳を信じ、輝かせる挑戦にほかならない。 【名字の言】2022.1.30
May 20, 2023
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幸福の原動力野球漫画の巨匠・水島新司氏は、幼いころから魚屋を営む病弱な両親を支え働いた。中学卒業後、働きながら好きな漫画を描き続け、18歳でデビューする▼当初、絵に満足できず、睡眠を削って描く日々が続いた。人気作〈あぶさん〉は、年過ぎて〝ようやくプロの打者らしいスイングになったね〟と選手に言われたという。詩はかつて本紙の対談で、〝勝った〟と言える日は突然来る。私もある日、突然絵がうまくなった、大切なのは〝努力し続ける強さ〟と語った▼水島氏と親交の深かったプロ野球の名称・野村克也さん。2歳で父を亡くし、病弱な母と兄を支える極貧の幼少期を送った。この逆境が自身を築き、野球界での功績につながる原点と述べている▼自らを「二流」と称した野村さんは、自分の長所と弱点を理解した上で、強みを生かせる選手を「超二流」なら努力次第で誰でもなれる。これができる選手は、時に一流をも凌駕し、より長く〝結果〟を残せると訴えた(『超二流』ポプラ新書)▼試練の嵐にあっても、その中で苦闘し、未来へ向かって努力を積み重ねる人が、勝利の栄光をつかみ取る。労苦は自らを〝一流〟へと期待挙げる、幸福の原動力となる。 【名字の言】聖教新聞2022.1.25
May 17, 2023
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「強き一念」の大切さ日本で「百獣の王」といえばライオンだが、お隣の中国では虎だという。今年の干支である「寅」は「寅虎(インフー)」とも書く▼春秋戦国時代の思想書「韓非子」が出典のことわざに「虎に翼」がある。地走るものの王たる虎に空飛び翼を与えると、強い者にさらに力が加わって天下無敵になるという意味だ。それゆえ勇猛な将軍は「虎将」と称された。小説『三国志演義』で「五虎将軍」と呼ばれたのは関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲の5人である。▼御書には、有名な「石虎将軍」の故事が引かれている。虎に親を殺された将軍・李広が、その虎を見つけて、仇討の一念を込めて一矢を放つ。矢は深々と刺さったが、仕留めたと思った虎は、実は虎に似た石だった。その後、何度も矢を放つが再びは刺さらない。つまり、この故事は「強き一念」の大切さを示している▼御聖訓に「法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし」(新1633・全1124)と。中国語版の御書には「鬼にかなぼう」が「虎に翼」と訳される▼強い信心の人が、法華経のままに実践を貫けば、どんな障魔も打ち破れる。無敵の剣を得たようなものである。信心とは勇気の異名。強盛な祈りで進む限り、恐れるものはない。 【名字の言】聖教新聞2022.1.9
May 3, 2023
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ビクトル・ユゴー今から約140年前、自由民間運動の旗手の一人、板垣退助がフランスで尋ねた。「日本のような後進国の国民に広く自由民権の思想を普及するには、どうしたらいいでしょう」▼「それは適当な小説を読ませるのが一番」。こう語ったのは、晩年のビクトル・ユゴー。板垣がこの発言に面食らっていると、自身最後の小説『九十三年』を薦めたという。板垣が帰国した時、船荷には西洋の小説が大量に積まれていいた(木村毅著『日本翻訳史概観』)▼ユゴーは政治家でもあった。困難の克服、教育県の独立、自由民権の擁護などのため、火を吐くような言論をもって戦った。しかし、ナポレオン3世と政治的に対立し、約19年の亡命生活を強いられる。この間、『レ・ミゼラブル』など代表作の大半が生まれ、『九十三年』の構想も練られた▼革命期の混乱する社会を舞台に、人間愛の精神を高らかにうたい上げた『九十三年』。若き池田先生が恩師・戸田先生の厳命で同志と共に読み、「わが青春時代の、戦い生き抜く力となった大切な書」と述懐する一冊である。▼ペンは剣よりも強し——ナポレオン3世が倒れ、亡命先からパリに凱旋したユゴーは、民衆に熱狂的に迎えられた。読書の秋、魂を揺さぶる一書を見つけたい。 【名字の言】聖教新聞2021.11.21
March 6, 2023
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眼根清浄沖縄の漁師の多くはかつて、裸眼で潜水漁を行っていたため、目に損傷を負い、視力の低下にも悩まされた。その対策として、イトマンの漁師であった玉城保太郎氏は、「ミーカガン」と呼ばれる水中眼鏡を開発した▼漁師の負担は劇的に改善し、漁獲量も飛躍的の増加。氏の水産業への功労は国からもたたえられる。この「ミーカガン」は競泳用ゴーグルの原型ともいわれ、水泳界にも影響を与えた。氏の偉業は漁師の生活を支えるだけでなく、他の分野の発展にも貢献した▼仏法では、眼が清らかになることで物事の本質を見抜く「眼根清浄」を説く。富山大学の眼科学教授である林篤志氏は、人生経験や努力の積み重ねで、実際に物の見え方が変わる可能性を指摘している(略)▼心をどの方向に開いていくか。それによって人生は大きく変わる。当に眼は心の窓である。 【名字の言】聖教新聞2021.11.8
February 17, 2023
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勇気と誠実琉球王国時代の440年余りにわたる膨大な外交文書が収められた「歴代宝案」。諸外国との外交の歴史とともに、海の往来で起きた遭難に関する記録も多く残されている▼琉球には外国の漂着者を保護し、本国に送還する態勢が整っていた。ある時、救出した中国の漂着船に重病者がいた。琉球王府の医師が懸命に治療するが及ばず、遺体は手厚く葬られた。後に帰国した一人が、琉球での厚遇を伝え広めた▼一方、傍若無人に振る舞う外国人には、毅然とした態度で交渉した。交易国の間で琉球人は、〝正直で人を裏切らない〟として、一目置かれたという。琉球の外交史には大国を相手に長期繁栄を築いた、生命尊厳と信義重視の精神がきざまれている▼池田先生は、外交で重要なのは「勇気」と「誠実」であると述べた。難しそうな相手にも胸襟を開いて率直に語り合う。そして、〝この人なら信じされる〟と思われるような信頼関係を築くことである、と▼法華経に説かれる不軽菩薩は、万人に仏の生命が具わると確信し、礼拝行を続けた。相手にも自信にも仏性があるとの信念を貫いた精神闘争だ。(略)「勇気の対話」「誠実の振る舞い」から、共感の万波は広がっていく。 【名字の言】聖教新聞2021.10.28
January 30, 2023
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決定した一念の行動古代インドの仏教説話を一つ。強大な群を擁し、王自身も像のように強いカ—リンガという国があった。ある日、カ—リンガ王は策謀を巡らせてアッサカ国に戦争をしかけた▼開戦前、天帝が勝敗を占い、「カーリンガ国が勝つ」と予想した。それを聞いた王は大喜び。この話は広く伝わり、すでに勝った気でいる王に率いられたカーリンガ軍は“我らの勝ちだそうだ”と、戦いの手を緩めた▼一方のアッサカ王は、決死の覚悟で自ら馬に乗り、千人の精鋭とともに突撃。油断したカーリンガ軍を打ち破った。それを見た天帝は語る。「心の揺るぎなく集中と、統一乱さず、時にのぞみて出陣」。そして「確固たる勇気」。このゆえに「アッサカ王に勝利あり」と(松村恒・松田慎也訳『ジャータカ全集』春秋社)▼「大丈夫だろう」という慢心、「自分ぐらいは」という人任せ——どんな強者でも、世評や風聞に惑わされて歩みを止めてしまえば、足をすくわれる。勝負の厳しさである。▼池田先生は「自分らしく精いっぱい戦っていくことだ。その真剣な一念によってこそ、自分ならではの、最高に力が発揮される」と教える。自分が活路を開いて見せる——その決定した一念の行動から勝利の回転は始まる。 【名字の言】聖教新聞2021.10.18
January 21, 2023
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成功の体験は未来の失敗体験ゴルフの渋野日向子選手が国内ツアーで復活の逆転優勝を果たした。海外初参戦でメジャー制覇を遂げた2019年以来、約2年ぶりの勝利に涙する姿は、その間の苦悩を物語っていた▼渋野選手の強さの一つは「バウンスバック」。〝跳ね返り〟を意味し、ボギー以上のある五スコアを出した次のホールで、バーディー以上の成績をマークすること。2年前、彼女は国内トップのバウンスバック率で勝利を積み上げ、精神力の強さを示した▼大きな期待を背に迎えた昨年は、力を発揮できず苦しい一年に。悩んだ末に着手したのがスイングの改造だった。五輪代表を逃し、冷評も浴びたが、〝過去の自分を超える〟と逆境をはね返し、再び頂点に立った▼スポーツジャーナリストの二宮清純氏は「成功の体験は未来の失敗体験」と語る。「一つの成功に酔いすぎると、その後の変化が見えなくなり、進歩が止まる」(『対論・勝利学』第三文明社)と。スポーツに限らず、人間の成長を阻む難敵は〝自分はこれでやってきた〟という、成功した過去への執着心だろう▼変化を恐れず、変化の中に飛び込み、新しい自分をつくる。昨日より今日、今日より明日へと進みゆく「挑戦の人」「向上の人」に勝利の栄冠は輝く。 【名字の言】聖教新聞2021.10.16
January 18, 2023
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耐久力の闘争基礎研究は地図をもたずに砂漠を旅するようなもの——理論物理学者の大栗博司氏は、そう捉える。だからこそ「あきらめずに時間をかけて粘り強く考え続ける力」が大切だと強調する▼それを実感したのは、米プリンストンの高等研究所での経験だ。画期的な論文を次々と発表する研究所だけに〝どんな天才がいるのか〟と思っていた。だが実際は毎日、自分の研究に頭をひねっては「どう思う」と尋ねてくる——日本と異なっていたのは、同僚たちの「しぶとく考える耐久力」だった(『探求する精神』幻冬舎新書)▼行動遺伝学では、人間の知能には少なからず遺伝の影響があるとの研究結果が報告されている。しかし、遺伝が全てを決定するわけではない。知能も才能も、自らの努力いかんによって、いくらでも大きく開花する▼基礎研究が〝耐久力の闘争〟であるように、行き詰まりとの連続闘争が人生の本質であろう。文豪・トルストイは「君を嘆かせて苦しませていることは、一つの試練にすぎず、その試練に基づいて君は自分の精神力を発揮し、それを強化することができる」(北御門二郎訳)と▼信心は、試練に立ち向かう心を涌現させる原動力である。日々、挑戦の歩みを粘り強く積み重ねたい。 【名字の言】聖教新聞2021.10.9
January 9, 2023
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縄文時代から学ぶ「持続可能性」ユネスコの世界文化遺産に登録された北海道・北東北の縄文遺跡群。津軽海峡を挟み、この地域は、同一の文化圏を形成していた▼縄文時代は日本独自の時代区分。世界度も珍しい「採集・漁労・狩猟」による人間の定住の中で、墓や土偶など聖地で複雑な精神文化が生まれた。その間、約1万年は戦争が起きなかったといわれている▼私たちの周囲にはモノがあふれ、縄文時代とは比較にならないほど、暮らしは便利だ。だが、縄文遺跡群から学べることは数多くある。その一つが「持続可能性」。函館市の「垣ノ島遺跡」からは世界最古の漆器が出土した。一本の機から少量しか取れない漆の特性を知り、世エ年先を見越しながら、自らの生活に必要な樹液だけを採集していた▼際限なき消費は生態系のバランスに影響を及ぼす。現在の感染症や気候変動も、その均衡が崩れたことに起因する。昔の生活に戻ることが解決策にはならないとしても、過去に学び、未来を見据え、自らの生活に本当に必要な七日を問う——そうした、生き方の転換が迫られていよう▼縄文時代の人々は、自分と環境が結びついていると捉えていたという。持続可能な社会へ、この生命共生の心こそ、次世代に受け継ぎたい遺産である。 【名字の言】聖教新聞2021.10.2
December 29, 2022
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生命が力を増すには日々、やる気を持って生き生きとした生活を送るには、何が必要か。心理学博士の外山美樹氏は「三つのことが満たされる必要がある」という▼一つは〝○○ができるようになりたい〟という「有能感の欲求」。二つ目は〝人とのつながりを感じていたい〟と欲する「関係性の欲求」。そして〝自ら行動を起こしたい〟などの「自立性の欲求」。この三つの欲求は全て人に備わっていて、それが満たされることで心の健康が保たれる▼さらに、これ等の欲求は「他者との相互作用の中で充足される」と氏。自分の前向きな変化に気付いてくれる。自立性を支援し、見守り支えてくれる。そうした周囲のサポートが大切になると強調する(『勉強する気はなぜ起こらないのか』ちくまプリマ―新書)▼感染症の急拡大が続き、社会全体に先の見えない不安が渦巻いている。先日の学会青年部と医学者による第22回会議では、そうした不安を一人で抱え込まず、周囲に援助や助言を求める方がいいと指摘していた。「〝ちょっとした会話〟が、頑張りすぎて疲れ果ててしまうことから自分を守ることになる」と▼人との関わりの中で、生命は力を増す。支え励まし合いながら、きょうも「共に」確かな一歩を踏み出そう。 【名字の言】聖教新聞2021.9.2
November 14, 2022
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旃陀羅が子なり釈尊には〝家〟がなかった。悟りを求めて出家して以来、粗末な服を着て、食べ物を分けてもらいつつ、各地を説法に歩いた▼「チャンダーラ」といわれた人々がいる。古代インド社会において最下層の身分とされていた。王家に生まれた釈尊は、あえてその恵まれた立場を捨て、チャンダーラと同じ境遇に身を置いたのである。財産や名誉など必要ない。最も虐げられている人に同苦して生きていく——それが仏教であり、そこに仏道修行があることを示したのだ▼日蓮大聖人も自らを「旃陀羅が子なり」(御書891㌻)と仰せである。「旃陀羅」とは「チャンダーラ」の音写であり、最も身分の低い者を指す。たとえいかなる人であっても、そのままの姿で仏の境涯を開いていけるとの「人権宣言」とも拝せよう▼創価学会はかつて、〝貧乏人と病人の集まり〟と揶揄された。だがそれこそ、さまざまな苦しみを抱える人々と支え合って進んできた証左であり、宗教団体としての無上の誇りにほかならない▼英語の「HOME」には「家」の他に、〝安心できる場所〟といった意味合いも含まれる。誰一人置き去りにしない。全ての人に〝心のホーム〟を——永遠に変わらぬ学会の使命が、ここにある。 【名字の言】聖教新聞2021.8.27
November 6, 2022
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真の才能とは「将棋の世界はいま、歴史的な変革期にある」と語るのは、十七世名人の資格を持つ谷川浩司九段。その大きな要因がAI(人工知能)だという▼多くの棋士が将棋研究にAIを使うようになり、これまでの常識を覆すような指し手が誕生。約100年前の戦法が脚光を浴びるなど、あらゆる戦い方を研究することが求められるようになった▼そのうえで氏は「結局、毎日の積み重ねこそが勝負どころで帰趨を左右する」と訴える。実践では事前の研究が役立たない場合も多い。ゆえに、当たり前のことを怠らずに続けられるかどうか。才能とは一瞬のひらめきではなく、地道な努力を「自然に長期間続けることのできる力のことを指す」と(『藤井聡太論 将棋の未来』講談社+α新書)▼どんなに才能に恵まれた人でも、努力なしには成功はない。時代の変化を踏まえながら、なすべきことに全力を尽くす。まさに、「努力し続ける力」こそ、変革期を勝ち抜く最も優れた才能といえよう▼「いったん決めたら『続ける』ことである。目標を達成まで、忍耐し、努力し続けることである。たたき続ければ必ず『勝利の扉』は開かれる」と池田先生は教える。自分を信じ、未来を信じて、さあ今日も挑戦の一歩を! 【名字の言】聖教新聞2021.8.3
September 20, 2022
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厳島合戦毛利元就が中国地方を制覇する転機となった合戦がある。1555年の「厳島合戦」。島の小城を守る毛利軍わずか500を、2万の敵軍が取り囲んだ。対岸の元就が援軍に向かうが、突如、暴風に襲われた▼船が転覆する危険があり、渡海中止の声が上がった。しかし、元就は喜んだ。〝激しい雨出的な警戒を怠るだろう。この好機を逃してなるものか。全軍、速やかに出陣せよ〟▼元就の号令に臣下たちは、「われ先に」と乗船した。上陸した元就は高らかに勝利を宣言し、全ての船を帰した。退路を断った進撃で、元就軍は敵軍を打ち破った(『毛利元就 西国の雄、天下への大知略』学研プラス)(略)▼仏法は「因果具時」。どんな困難があろうと「勝利」を自らの使命と責任と定めた時、活路が開けてくる。外貨の秋へ、日々、その決意で前進したい。 【名字の言】聖教新聞2021.7.19
September 4, 2022
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バイアス心理学で長く研究されてきた「バイアス」。人間が持っている認知の歪みのことで、古くは300年以前の文献にも使われているという▼社会心理学の藤田正弘博士は、「バイアス」を防ぐことは難しいが、「対策が必要なことに気づくだけでも大きな違いを生み出す」と語る。例えば「一貫性バイアス」。自分は、状況や相手に応じた行動を変えているのに、自分以外の人は性格をもとに一貫して行動するとみるゆがみのことだ▼だが、よく知っている家族同士であっても、職場や学校において、家庭では見せない振る舞いや一面がある。つまり「人は状況によってある程度柔軟に行動を変えている」と考えることが大切となる(『バイアスとは何か』ちくま新書)▼つい〝あの人は○○だから〟と人を判断してしまいがち。だがどんな人にもこちらが〝知らない一面〟は必ずある。自分の一時の記憶や印象などに惑わされて、相手を決めつけてしまわないよう心掛けたい▼池田先生は、法華経について「あらゆる人びとに幸福の可能性を開いた経王」であり、「『この人は駄目だ』とは、絶対に決めつけなかった経典」と語っている。〝皆が人材〟との祈りを根本に、きょうも励ましの語らいを広げよう。 【名字の言】聖教新聞2021.7.16
August 28, 2022
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他を益しつつ自己も益する『人生地理学』が出版された1903年。その年頭、牧口先生は「澎湃子」のペンネームで、ある雑誌に寄稿した。福島県出身の社会慈善家・瓜生岩子についての伝記である。▼岩子は家族との死別や生活苦に直面しながらも貧困層の救済、子女の教育に尽くした。医療の心得があり、戊辰戦争では戦場となった城下で、敵味方の区別なく負傷者の手当てに奔走。相手の隊長に見つかり、誰の許しを得ているのだと詰め寄られても、「怪我人の手当てに何の許可がいりましょうか」と、毅然と答えたという(『炎は消えず』文芸社)。その後も各地で災害や戦争が起こると、現地に駆けつけ救援の手を打った▼牧口先生は先の寄稿で、「女史の如きは、明治の吾等には、最も新しい亀鑑」とたたえた。苦闘の渦中にいる人を放ってはおかない。そのために今、何をなすべきか。岩子の〝無私の心根〟に新時代の規範を見たのだろう▼『人生地理学』では「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」という人道的競争、すなわち「自他供の幸福」を目指す生き方が提唱されている▼最も大変な地域、大変な友のところへ飛び込み、勇んで希望の活路を切り開く。自他共に役する行動を貫く中に、最も崇高な人生の輝きがある。 【名字の言】聖教新聞2021.6.29
August 2, 2022
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カタツムリの歩み文豪・幸田露伴は自分の家を「蝸牛庵(カタツムリの家)」と呼んだ。身一つでどこへでも行くという意味で、何度も住まいを替えた▼最も長く居を構えた地は、東京・墨田区。旧居後は今、カタツムリをかたどった遊具のある児童公園になっている▼露伴は幼少時代、病弱だった。経済苦で学校を中退もしている。それでも学びを止めず、読書に励み、漢詩や漢学にも親しんだ。それこそ〝カタツムリの歩み〟のような努力を積み重ねて来たといえよう。隅田で書き上げた『努力論』にこんなくだりがある。「努力より外に吾人に未来を善くするものはなく、努力より外に吾人の過去を美しくしたものはない」(岩波文庫)▼ガンジーは「善いことというものは、カタツムリの速度で動く」(坂本徳松訳)と言った。理想が大きいほど目的地は遠く、道は険しい。日々の歩みに歯がゆさを覚えることもあろう。しかし当たり前だが、止まってしまえば絶対に前には行けない▼「足元へ いつ来たりしよ 蝸牛」(一茶)。池田先生はこの句を紹介し、「たとえ地味であっても、一歩一歩と着実に進むことが、偉大なる勝利の母となる」と訴えた。誰が見ていなくとも、善の勝利を仰ぎ見るその日まで、自らの努力の歩みを止めるまい。 【名字の言】聖教新聞2021.6.18
July 21, 2022
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七縦七擒三国志に「七縦七擒」という言葉がある。諸葛孔明が反乱軍と戦い、敵将の孟獲を7回捉えるが、そのたびに釈放。ついに孟獲は釈放されても孔明のもとを去らなかった――▼この故事から、相手を本当に従えるには心服させなければならないという意味に使われる。牧口常三郎先生は大著『人生地理学』で、権威をもって従わせる「威服」ではなく「心服」させる時代の到来を見つめていた▼法華経に説かれる「六難九易」。仏の滅後に法華経を受持し弘通することの困難さを、六つの難しいことと九つの易しいことを比べて示す。九易の一例をあげると、枯れ草を背負って大火に入っても焼けないこと。無理難題だが、それよりも友の幸福を願って正しい教えを語り、相手の心を動かしていくことの方が難しい▼確かに至難だが、心は必ず変化する。相手の心を動かすのは、こちらの大誠実であり、相手を思う真心の対話である。そして、「一人」の心を動かすことが「万人」の心を動かすことになる。 【名字の言】聖教新聞2021.6.17
July 20, 2022
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苦境を信心で乗り越える一念〝ロケット開発の町工場〟として有名な植松電機は元々、北海道の炭鉱で使うモーターの修理会社だった▼炭鉱閉鎖後は、車の部品修理業を営んだが、時代の変遷とともに仕事が減少。リサイクル業を手伝うことにした。それは大量のごみの山から鉄くずを分別する危険な作業だった▼現場で働く人々は〝仕事だからしょうがない〟と厳しい労働に耐え続けていた。だが同社の植松務氏は、これをチャンスととらえ、分別に使うマグネットを開発する。「やったことがないことをやってみれば、今までになかった知恵と経験を得られます」と氏。同社の事業は、のちに宇宙にまで発展した(『空想教室』サンクチュリア出版)▼〝こんな状況だから仕方がない〟と諦めるのか。〝こんな状況だからこそ、できることがある〟と挑むのか。厳しい現実の中でも新しい一歩を踏み出せば、希望の光が見えてくる▼仏法は煩悩即菩提を説く。それは苦しみをありのままに受け入れようという、安易な現状肯定の気休めではない。「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(御書732㌻)。私たちには、運命を使命に、苦難を人間革命の糧に変えてゆく妙法がある。この信心で乗り越えると一念を決めれば、無限の智慧が湧いてくる。 【名字の言】聖教新聞2021.6.15
July 16, 2022
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至誠をもって交わる「日本資本主義の父」と評される渋沢栄一氏は、約500もの会社設立に携わったという。その生涯の特徴の一つに、伊藤博文や五代友厚など、「幅広い人脈」が挙げられる▼渋沢は81歳の時、ワシントンでの会議にオブザーバーとして参加。その折、ニューヨークでの昼食会に招待された。だが、先約が入っていた。招待状の持参者は諦めかけたが、渋沢は時間を空けることを約束。彼の誠意に、招待者は胸打たれた。▼人と交流する上で最も大切なことは——渋沢は強調する。「如何に無口なところ、いわゆる交際下手な人でも、至誠をもって交われば、心は必ず相手に通ぜぬということはない」(『渋沢栄一伝』ミネルヴァ書房)(略) 【名字の言】聖教新聞2021.5.31
June 27, 2022
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人の振る舞いを示すこと仏典「テーラガーター」に、スニータという当時のインドで最下層生まれの男が登場する。〝ごみ掃除〟を仕事とし、蔑まれながら生活をしていた▼彼はある日、釈尊の姿を見つけるや、近づいて弟子入りを願い出る。仏は最高の敬語で〝いらっしゃい。修行者よ〟と歓待した。師の教えを貫いたスニータは悟りを得る。すると帝釈天が現れ、彼に合掌して言った。「生まれ良き人、あなたに敬礼します。最上の人、あなたに敬礼します」▼宗教には血筋も身分も関係ない。法を求める人はだれもが平等に修行者だ。仏の心をわが心として仏道を歩み続ける人こそが「真の生まれ良き人」であり、「最も尊い人」と見るのが仏法の真髄である▼法華経に説かれる不軽菩薩も、縁した全ての人を敬い礼拝した。日蓮大聖人は「不軽菩薩が人を敬ったことには、どのような意味があるのだろうか」(御書1174㌻、通解)と、よく考えるように門下に呼びかけられている▼どんな人をも敬う。それを言うは易く、実践することは難しい。だからこそ、あえて生きにくい人の所へ行き、胸襟を開いて語り、自らの境涯を高めていく「人間革命」の不動の挑戦が必要なのだ。仏法の目的は「人の振る舞いを示すこと」(同)にある。 【名字の言】聖教新聞2021.5.29
June 25, 2022
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「1%のひらめき」の大切さ天才とは、1%のひらめきと99%の努力である——このエジソンの言葉には誤解があるという。彼の真意は、努力すれば何でも成功するということではなく、強調したかったのは「1%のひらめき」の大切さだった▼「1%のひらめき」はどうすれば湧いてくるのか。それに必要なのが〝努力〟とエジソンは言う。白熱電球の発明で1万回の失敗が続いたとき、友人に語った。「一回も失敗なんかしてないよ。うまくゆかない方法を一万も見つけたんだ。」(ヘンリー幸田『天才エジソンの秘密』講談社(略)▼人間の才能は、いつ開花するかわからない。ゆえに絶え間なく磨き続けることが肝要だ。挫折を経験しても立ち上がり、挑戦を続ける——「天才」とは「努力」の異名である。 【名字の言】聖教新聞2021.5.28
June 23, 2022
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本質に迫る勇気中国・宋の時代に、范仲淹という人物がいた。財政や教育など多方面の改革を担い、有能な人材の登用にも心を砕いた▼ある日、上官が「わしも随分多くの人を見てきたが、節操のある者はいないものだ」と嘆いた。それを聞いた范仲淹は、「あなたが御存じないだけです」と断じた。「そうした先入観で人に接しておられると、節操のある者がやってこないのはむしろ当たり前でしょう」(朱熹編・梅原郁編訳『宗名臣言行録』ちくま学芸文庫)▼人が物事を判断する際、自分の経験に頼るのが常である。だが経験は時に先入観となり、判断を誤らせる場合もある。予断を拝し、本質に迫らんとする勇気が大切だろう(略) 【名字の言】聖教新聞2021.5.26
June 20, 2022
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相手を思う誠意があれば大相撲の名横綱・双葉山の69連勝は、今も世ぶられていない。その連勝街道を突っ走っていた時のこと。後援者から食事に誘われた。そこに作家の吉川英治氏がいた。双葉山は「記念に色紙を」と頼んだ▼世間は連勝に沸いていた。だが、双葉山はただ一人、孤独の中で相撲と向き合っていた。頂に立つ者しかわからない境地。それを文豪は見抜き、色紙にこう書いた。「江戸中で一人寂しき勝相撲」。横綱は大粒の涙を流し、文豪に感謝した(『おもろい人やなあ』講談社)(略)▼文豪のような才気はなくても、相手を思う誠意があれば友に寄り添える。自分の心を分かってくれる人がいる時、人は前を向くことができる。 【名字の言】聖教新聞2021.5.20
June 11, 2022
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オープンダイアローグ近年、精神医療で注目される「オープンダイアローグ」。フィンランドで生まれた手法で「開かれた対話/対話を開く」との意だ▼この取り組みでは、困難を抱えた人と意商社や家族など、複数の人がその場で一緒に対話する。艱難は本人の問題でなく、取り巻く環境や周囲との関係性も影響しているからだ▼日本の遺志では昨年、2人がトレーナー資格を取得。その一人、森川すいめい氏は「評価したり判断したりせずに、その人をそのまま理解しようと努める」ことを強調する。さらに、〝こうした方がいいのに〟と自分の考えを押し付けるのではなく、〝私はこう思うけど、あなたの考えはどう?〟との問いかけが大切だという(『感じるオープンダイアローグ』講談社現代新書)▼対話で答えを導くことよりも、対話することそれ自体に意味がある。また、直接会って話す対話もあれば、手紙やSNSなど文字による対話もある。どのような形であれ、自分と異なるものから学ぼうとする「開かれた心」があってこそ、対話は成立するものであろう(略) 【名字の言】聖教新聞2021.5.10
May 29, 2022
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いよいよ強盛の御志あるべし投打の「二刀流」で米大リーグに旋風を巻き起こしているエンゼル図の大谷翔平選手。先日、本塁打数トップで先発登板する〝ベーブ・ルース以来の100年ぶり〟の快挙が報じられた▼打者としての特徴の一つが、逆方向のレフト側への長打力だ。その技術の淵源は、少年時代の環境にある。河川敷の空き地を手作業で整備した練習場では、強打の大谷少年の兌宮はことごとくライト側の塀を超え、ボールは皮を確保するため、指導者は「全部左方向に打て」と指示した。すると、少年はどうすればレフト側に強い打球を打てるかを試行錯誤し、練習を繰り返した。その年から外角球を捉える本塁打が急増したという(『大谷翔平「二刀流」の軌跡』マガジンランド)▼状況に甘んじて、努力を放棄していたら、今の「打者・大谷」の誕生はなかっただろう。不利な条件でも、創意工夫の努力を重ね、自身を飛躍させるバネとしていく。人生を勝利に導くのも、その人間としての強さである▼御聖訓に「いよいよ強盛の御志あるべし」(御書1221㌻)と。苦渋や忍耐を強いられる時ほど、「いよいよ」の志を忘れまい。いかなる逆境をも打ち返す根幹の力が、わが生命を磨く日々の祈りである。 【名字の言】聖教新聞2021.5.7
May 25, 2022
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人間は人間のなかで磨かれる「本当に一人ぽっちでは。真の自分ではいられない」と語るのは、精神科医の和田秀樹氏。本当の自分を見つけるには、他者の視点が必要だという▼人との関わりは、さまざまな物事の捉え方があることを気付かせてくれる。人に話せば、自分の考えが広がる。氏は「ひとりの時間を大切にするためにも、人とのコミュニケーション必要」と語る。▼そもそも人間は、たくさんの人や物に依存している。その中で、最も安全で、意義深い時間を与えてくれるものは、互いに寄り合える関係としての「人への依存」。それは「私たちの内面に自信と落ち着きを与えてくれ、時間を共有することが人生の喜びになり得る」と氏は指摘する(『孤独と上手に尽きあう9つの習慣』だいわ文庫)(略)▼人間は人間のなかで磨かれ、鍛えられる。自他供の心を豊かにする対話を、おろそかにすまい。 【名字の言】聖教新聞2021.5.1
May 19, 2022
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HSC「HSC」という言葉を耳にするようになった。「Highly(ハイリー) Sensitive(センシティブ) Child(チャイルド)」の略で、〝人一倍敏感な子〟等と訳される▼生まれつき感受性が強く、場の空気や感情を敏感に感じ取る特性のことだ。学校で他の子がけんかしたり、教師から注意されている場面を見るだけでも、自分の事のように受け止めてひどく疲れてしまう。5人に1人の割合で該当するといわれる▼HSCと思われる台石中学生の母親に話を聞いた。かつては「我が子に強くなってほしい」と願い、学校で何かあるたびに「小さなことを気にしないで」と言い聞かせていたそうだ。その後、息子は不登校になる▼婦人部の先輩に相談すると、こんな答えが。「お子さんは人一倍、〝共感する力〟が強いってことでしょう? それって今の時代に一番必要じゃないかしら」。そして、池田先生の次の言葉を分かち合ったという。「コンクリートみたいに固い花はない。花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。人の思いに敏感なままの、その心を一生咲かせ続ける人が、本当に『強い』ひとなのだ」▼日蓮仏法は「桜梅桃李」。誰もが自分にしか咲かせられない〝個性の花〟をもる。その輝きに勇気づけられ、希望を抱く人が必ずいる。 【名字の言】聖教新聞2021.4.5
April 23, 2022
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