PR
Keyword Search
Freepage List
第 18 回 勧持品第十三
■大要
「見宝塔品第十一」で、釈尊が滅後の弘通を託したことを受けて、「勧持品第十三」では、声聞や菩薩たちが弘通を誓います。その誓の中で、法華経の行者に迫害があることを「二十行の偈」として述べます。それでは内容を追ってみましょう。
●シーン 1
薬王菩薩と 大楽説 菩薩が、眷属の 2 万の菩薩と共に誓います。
「お願いです、釈尊どうか心配なさらないでください。仏が入滅された後、私たちが必ず法華経を持ち、説いていきます。
その時、人々は、善根が少なく、慢心が多く、利益を貪り、覚りから遠く離れていることでしょう。
たとえ教え導くことが困難でも、私たちは勇敢に耐え忍び、不惜身命で、法華経を語り抜きます」
続いて、記別(仏が弟子の未来の成仏を保証すること)を与えられた声聞たちが、「他の国土で広く法華経を説きます」と誓います。
同じように、 8 千人の学(まだ学ぶものがある者)と無学(もう学ぶものが無くなった者)は、「娑婆世界は人心が乱れていて、やりにくいので、私たちも他の国土で頑張ります」と誓います。
●シーン2
釈尊の叔母にあたる 魔訶波闍波提 比丘尼 と学・無学の6千人の比丘尼(女性の出家者)たちが、一心に合掌し、釈尊を見つめています。
釈尊は、魔訶波闍波提比丘尼に語ります。
「どうして、そんな憂い顔で私を見るのだ。すべての声聞に、記別を与えたではないか。それでも未来の成仏を知りたいのなら教えよう。
将来、あなたは法華経の大法師となって菩薩の道を行事、一切衆生喜見如来という仏になるであろう」
今度は、釈尊が出家する前の妻である 耶輸陀 羅 比丘尼 にも「あなたは、具足千万光相如来という仏になるであろう」と告げます。
魔訶波闍波提比丘尼、耶輸陀羅比丘尼、そして眷属の比丘尼たちは大歓喜しました。
●シーン3
今度は菩薩たちが、釈尊の前に進み、合掌して、心の中で思います。
〝もし私たちに、法華経を持ち弘めよと、ご命令になったら、仏の教え通りに、法華経を弘めよう〟
まだ、釈尊は黙然としています。
〝仏は黙って、何も命令してくださらない。どうしたらいいんだ〟
菩薩たちは決意を固めます。
〝仏のお心にお応えしよう〟
〝自分の本来の願いに生きよう〟そして誓いを師子吼します。
「私たちは釈尊が入滅された後、悪世の中で法華経に説かれる通り修行し、十方世界に、この法華経を弘めてまいります ! 」
●シーン4
ここから「二十行の偈」〈「 唯 願不為慮 」(法華経 417 ㌻)から最後「仏自知我心」(同 421 ㌻)まで〉が始まり、法華経を弘める者を迫害する「三類の強敵」を示していきます。
「諸の無知の人の 悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん」(同 418 ㌻)—「俗衆増上慢」
「悪世の中の比丘(男性の出家者)は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを謂いて得たりと為し 我慢の心は充満せん」(同㌻)—「道門増上慢」
「或は阿練若に 衲衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと 謂 いて 人間を 軽賤 する者有らん」(同㌻)—「僭聖増上慢」
さらに「僭聖増上慢」の振る舞い、迫害の具体的な様相を示します。
〝利得に執着し貪るために、在家の信者に教えを説き、超人的な力を得た阿羅漢(小乗の覚りを得た最高位の声聞〟のように世の人々に尊敬されている〟—自分が儲けるために、聖者のふりをしている。
〝この人は悪心をもって、いつも世俗のことを気に掛け、閑静な場所に住んで修行していることは名ばかりで、法華経の行者の過失を好んで作り出そうとしている〟—デマで法華経の行者を陥れる。
〝「利得を貪るために、外道の論を説いて世間の人々を惑わせ、名声を求めるために、いろいろ考えてこの経を説くのである」と作り話で法華経の行者を批判する〟
〝いつも大勢の人々の中にあって、法華経の行者を謗ろうとするために、国王、大臣、婆羅門、居士やその他の比丘たちに向かって、私たちを誹謗し、私たちの悪を説いて、「これらの人は邪見の人であり、外道の論議を説いている」と言う〟—権力者、有力者と結託して、世間に向かって、法華経の行者を誹謗・中傷を繰り返す。
〝「あなた方は皆、仏である」と悪口を言う〟—万人の仏性を信じられない者たちが〝仏に成れるわけがないのに成れるなどと、法華経の実践者が言っている〟と皮肉って揶揄する。
〝濁った時代の悪世には、多くの恐怖がある。悪鬼がその体に入り(悪鬼入其身)、私たちを罵倒し、非難する〟
〝悪世の悪僧たちは、仏が種々の法を方便として説いたということを知らず、法華経の行者の悪口を言い、眉をしかめ、しばしば追放( 数数見擯 出 )し、塔や寺から遠ざける〟
このように、迫害について細かく記されていますが、その間に、「我等は皆当に忍ぶべし」「皆当に忍んで之を受くべし」等と、誓いの言葉がちりばめられています。
中でも〝「忍辱の鎧」を着て、「我は身命を愛せず 但無上道を惜しむのみ」の精神で、法華経を説きます〟と、力強く誓いを述べています。
さらに「我は是れ世尊の使いなり 衆に処するに畏るる所無し 我は当に善く法を説くべし 願わくは仏よ安穏に住したまえ」—〝釈尊の使いという誉れを自覚した時、恐れることなく最善を尽くして法華経を弘めるだけです、どうか安心してください〟と述べます。
「勧持品」は、「三類の強敵」が示されるだけでなく、使命に目覚めた弟子の誓いが輝いているのです。
『法華経の智慧』から
「偉大なる凡夫」として生きる
仏法の究極も「偉大なる凡夫」として生きることにある。自分の命を与え切って死んでいく。法のため、人のため、社会のために、尽くして尽くしぬいて、ボロボロになって死んでいく。それが菩薩であり、仏である。
「殉教」です。何ものも恐れず、正義を叫びきることです。人を救うために、命を使いきることです。この心なくして、「仏法」はない。
◇
象徴的に言えば、人を火あぶりにするのが僭聖増上慢です。それに対して、人を救い、社会を救うためには、自分が火刑に赴くのも辞さないのが法華経の行者です。大聖人がそうであられた。牧口先生、戸田先生がそうであられた。
戸田先生はよく言われていた。「三類の強敵よ、早く出でよ。その時こそ、ともに喜び勇んで、敢然と戦おうではないか」と。
勧持品二十行の偈で、菩薩たちは「我は身命を愛せず 但無上道を惜しむ」と誓っています。不惜身命の人が成仏するのです。今、一人立つ死身弘法の人が仏に成るのです。
身 読
法華経の行者の証明
日蓮大聖人は、悪口罵詈や諸宗の僧らによる迫害など、経文通り「三類の強敵」による難に遭われました。
「日蓮・法華経のゆへに度度さがされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・読み給はず況や余人をや」(御書 202 ㌻)と仰せの通り、出流剤と佐渡流罪を受けることで「勧持品」にある「数数見擯出」の文を身読されたのです。
大難と経文が符合しているということは、法華経が、末法における大聖人の御出現とその振る舞いを予言した経典であるということです。また逆に、大聖人が、法華経を身読されたことで、法華経が虚妄にならずにすみ、釈尊の言葉が真実であることを証明したことになるのです。
だからこそ、「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(同 284 ㌻)とご断言なのです。「二十行の偈」は、大聖人こそ真の「法華経の行者」であることを証明する経文なのです。
【 Lotus Lounge ロータス ラウンジ 法華経への旅】聖教新聞 2020.9.29
Calendar
Comments