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江津湖の歴史
〝水の都〟熊本を象徴
くまもと文学・歴史館学芸員 深瀬 はるか
人口約 74 万人の水道水全てを地下水で賄う〝水の都〟熊本市。その象徴と言えるのが湧水の湖、江津湖である。江津湖は熊本城の建つ中心市街地から南東へ 5 キロほどの場所にあり、日量薬 7 万㌧もの水が湧き出る。豊かな湧水は古くから地域の生活を支え、人びとを魅了し続けてきた。
江戸時代の初め、それまで湿地が広がっていた江津湖一帯に堤防が築かれると、湖周辺は豊かな田畑へと姿を変えていった。一方、築堤の影響で湧水が堰き止められるようになり、現在のような広大な湖が形成されたと考えられている。江津湖は「江津川」と呼ばれる川の一部でもあり、阿蘇などから運ばれる物資を積みだす輸送路として重要な役割を果たした。知る者などに入れて食べるスイゼンジノリも江津湖の清冽な湧水で栽培され、希少な特産品として幕府へも献上された。現在、スイゼンジノリは絶滅危惧種とされ、江津湖にある発祥地は国の天然記念物に指定されている。
江戸時代に築堤。輸送路やスイゼンジノリ栽培の役割を果たす
さらに、湖の周辺は熊本藩主細川家や一門、過労などの避暑地・別荘地となった。細川家の庭園である水前寺成趣園が整備され、明治の初めには藩主正室の隠居屋敷も建てられた。熊本藩主の日記などには、舟で鷹狩や漁を楽しむ藩主たちのすがたが記されている。
明治以降の文人らの心を捉える保養地に
銘じにはいると江津湖はより多くの人に開かれた保養地となる。周囲には料亭が立ち並び、文人たちが舟遊びに訪れた。明治 29 ( 1896 )年に第五高等学校(現在の熊本大学)の英語教師として赴任した夏目漱石も上流から江津湖にかけての景色を「頗る気に入った」(「九州日日新聞」)といい、「上画津や青き水菜に白き蝶」などの俳句を残した。
昭和5( 1930 )年、江津湖は地方都市で初めての風致地区に指定され、講演としての保全・整備が進められていく。多様な生命が息づく湧水湖の姿は作家たちの心をも捉え、様々な作品を生み出す源泉ともなった。宮中歌会始の選者を務めた歌人・安永蕗子は晩年の約 20 年間を江津湖で暮らし、「自然の強靭さに打たれ、はげまされ、時に嫉視しながら自分の時間を生きた」(『青湖』)という。「朝靄の薄れゆくまま江津と呼ぶ冬麗母のごとくみづうみ」(『冬麗』)も江津湖の冬の風物詩・朝霧を詠んだものだ。
現在、熊本では全国都市緑化くまもとフェアが開催されており、江津湖は会場の一つとして多くの人で賑わっている。都市部のすぐそばにありながら、こんこんと水の湧き出る湖は、まさに「地球が水の惑星であることを実感する」(安永蕗子『冬麗』)場所である。そして、今ある湖の生態と景観は人との関わりの中で形づくられたものである。古来、地域の暮らしに寄り添い、文化を育む場となってきた湧水の湖に、今もたくさんの人びとが集い、楽しみ、共に生きている。
(ふかせ・はるか)
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