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戦後日本の国家戦略
戦後日本には、本格的な国家戦略がなかったと言われることがある。その大きな理由は、国家戦略のなかでも要となる軍事・安全保障の主舞台から、戦後日本が退いたことに求められるであろう。
たしかに戦前の日本は欧米列強に比肩して巨大な帝国海軍を擁し、アジアに植民地帝国を築くなど、王子において、疑うべくもない国際政治の重要なアクターであった。それに対して戦後の日本は、「一国平和主義」、あるいはアメリカの「核の傘」の下で、軍事・安全保障面においてどこまで独立した存在であったのか、疑問が残るのは確かである。
だが、そのことは直ちに、戦後日本に国家戦略が欠如していたことを意味するわけではない。戦後日本の国家戦略として筆頭に挙げられるのが、ここで取り上げる吉田路線である(吉田ドクトリンとも呼ばれる)。
吉田路線なる言葉が使われ始め、世に定着したのは、実は吉田茂が首相として活動した一九五〇年代ではなく、吉田没(一九六七年)後の一九八〇年頃であり、永井陽之介(東京工業大学)、高坂正尭(京都大学教授)と言った研究者が用い始めたものである。
その内容は、「アメリカとの同盟関係を基本とし、それによって日本の安全を保障する」「そのことによって、日本自身の防衛費は低く抑える」「そのようにして得られた余力を経済活動に充て、通商国家としての日本の発展を目指す」というものである。永井や高坂は、こうした「軽武装・経済重視」の路線を、吉田の政治的なリアリズムであったとして、高く評価した。
一九八〇年代といえば、日本が世界的な経済大国としての地位を確たるものとし、「日本的経営」などがもてはやされた時間でもあった。その中にあって、戦後日本の選択の正しさを裏付けるものとして、吉田路線という言葉は世に受け入れられ、定着したのであった。
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