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木山捷平と姫路
姫路文学館学芸員 竹廣 祐子
個人詩誌創刊や第一詩集出
版など、文学活動の原点の地
平凡に、そしてたくましく生きる人々のいとなみを描き出し、その飄々とした無二の作品の世界に今も根強いファンを持つ作家・詩人の木山 捷 平 (一九〇四~一九六八)。
岡山県笠岡市出身の木山は矢掛中学校時代に文学を志してから本格的にその道を選ぶまで、長いモラトリアムともいえる青春の一時期があった。かつて自身も文学の道に挫折した父清太に猛烈に反対され続けたことが最大の理由だったが、じつに十八歳から二十五歳までの約七年間、姫路(師範学校)、出石、東京・加西、故郷笠岡、そして再びの姫路…と、長いときで二年、短いときはわずか五カ月というスパンで、教職に就きながら各地を渡り歩いていたのだ。なかでも大正十四年に一度は上京を果たしたものの、半年足らずで体調を崩して帰らざるを得なくなった二十一、二歳の頃はまさにどん底の時期であった。
そんな木山が、もう一度立ち上がり、個人詩誌「野人」を創刊したのは、姫路の小学校で教師をしていた昭和二年のことだった。その創刊号の後記に、二十三歳の彼は、「私はひとりぽつちだ」と書いた。その年に生まれた一篇の詩「秋-大西重利に—」がある。
《僕等にとつて/秋はしづかなよろこびだ/夜/僕が五銭がせんべいを買つて/ひよこ と/この土地でたつた一人の友を訪ねると/友は/口のこはれた湯呑で/あつい番茶をのませてくれた。/ああ 友!/秋!/貧しい暮らしもなつかしく。》
〝この地でたった一人の友〟である大西重利に贈られた詩である。大西重利とは、どんな人物なのか。木山ファンが長年気になっていたこの疑問に切り込んだのが、木山捷平研究家の内藤省二氏だ。内藤氏は入念な調査で大西重利という人、さらに木山が一大決心をして出した「野人」の発行所「南畝町二八八番地」が、木山の下宿ではなく、大西の妻子が住む家であったという驚きの事実を発掘した。木山の詩人としての出発を支えていたその恩人とその友情と終焉。そして「野人」は届くべき人に届き、木山の詩の魅力に気づいた詩人らの励ましに背中を押されて、木山はこの姫路時代の終わりの昭和四年、第一詩集『野』を出版と同時に再上京を果たし、文学活動をスタートさせたのだった。本展では内藤氏の発見を裏付ける吉備路文学館所蔵の資料等で、知られざる姫路時代の木山の心情にせまる。
そして、今回初公開となる資料がある。当館が令和三年に古書店から入手した五十四篇の詩稿群である。当初は、いつどういう目的で書かれた原稿なのか全く不明であったが、その後の調査によりたどり着いた答えを本展で初めて示すつもりである。それはともあれ、木山のじつに素朴な文字で書かれた味わいの深い詩の世界をぜひご堪能いただきたい。作家自身がほとんど語ることのなかった苦い青春の地・姫路。等地ならではの切り口でその軌跡をたどる展覧会に、さしずめ木山さんならきっと苦笑いすることだろう。
(たけりろ・ゆうこ)
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