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「複眼」とは
東京大学教授 安藤 宏
私が元寇の執筆を手書きからワープロに切り替えたのは一九九〇年代の後半(三十代半ば)になってからだった。周囲に比べて、とても遅かったように思う。理由は二つあって、一つには、今から考えると笑えるような話だが、推敲だらけでわけのわからなくなった原稿を書き直す際、ハサミと糊を巧みに使って素早く仕立て直す、特殊な技能(?)を身につけていたこと。もう一つは、一度不採用にした表現をのちほどまた参考にしたいという思いがあって、完全に〝消去〟してしまうことへの躊躇が働いたように思う。その意味でも書き直したあと、もとの表現をあえて〝見せ消ち〟にしておける原稿用紙は、とても便利なツールだったのである。
「複眼」という言葉がある。私はこの語を、自分の文章を一度他者の視点に立って批判的に読んでみたり、違う発想で捉え直してみるまなざし、という意味で使っている。実は「複眼」によって吟味すればするほど、文章の言いよどみも増えていき、ともすれば悪文になりがちである。しかしそこはやはり割り切りが大切なわけで、そのギリギリの葛藤が、複数案を〝見せ消ち〟にして書き並べておく、という行為につながっていたように思うのである。たとえ最終案は一つでも、その背後に複数の構想があったうえでの決断であったかどうかの違いはやはり大きい。
そんな私もいつの頃から完全にワープロ原稿になり、今ではそれに何の抵抗もない。むしろ思考のプロセスも明快になったような気がするのだが、時々、もしかしたらそのために何か大切なものが失われてしまったのではないか、という思いに囚われることもある。時代により、「書く」形態がどのように変わろうとも、やはり「複眼」的な発想を自分の中に確保しておくことは大切なのではないかと思う。
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