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戦国武将と花押
泰巖歴史美術館 中村 亮佑
形で個性を表し本人を証明
群雄割拠の時代を生き抜いた戦国武将たち。彼らの出した手紙には花押と呼ばれるサインが記されている。そして、その花押の形は武将や時代によって様々で、それぞれの個性があふれていた。
現在の私たちが自分自身を証明する際には印鑑を使用するが、平安時代中期から江戸時代までは花押が盛んに用いられた。
花押は自著(自分自身が署名すること)の代わりに用いられる記号・符号である。その起源は自著の草書体(草名)にある。この筆順・形状が普通の文字とは異なる特殊性をおびたものが花押であり、自分と他者を区別して、本人であることを証明するために使われた。他人の模倣・偽作を防ぐため、その作成に様々な工夫を凝らしたり、頻繁に形を変えることも行われた。
今ではその地位を印鑑に取って代わられてしまったが、内閣における閣議書には現在でも閣僚が花押をもう室で書くことが、明治以来の慣習となっている。
花押の作り方は、趣向や時代の流行によって様々な作り方があった。江戸時代成立の『押字考』によれば、実名(本名)の草書体から成る「草名体」、虹を組み合わせた「二合体」、実名の一字からなる「一字体」、動物・天象などを図案化した「別用体」、天地(上下)に日本の横線を引いて間に図案を入れた「明朝体」の五種類が挙げられている。
権威ある人物の形状の模倣も
しかし、花押の類型は以上の五種類に限るわけではなく、それぞれの複合型や文字を倒置したり、裏返した、名字・実名・通商などを組み合わせた新様式も登場した[①鳥のセキレイを模した伊達政宗の花押]。
戦国時代には、室町幕府将軍足利氏の花押を模倣することが流行した。また、父祖の手陣など本人にとって権威となる人物の花押を模倣する風潮も、武家社会で広く見られた。
この戦国時代の流行は、織田信長に限っても例外ではない。信長は花押を頻繁に変えたことで知られているが、初期の花押は足利将軍に倣ったもので、父・信秀と似通ったものであった。その後「信長」の草書体を裏返して組み合わせたとされる花押や、点を主体とした花押を使用した[②永禄二年の織田信長の花押]。
そして、永禄八年(一五六五)から有名な麒麟の「麟」の字を象ったとされる花押が登場する。麒麟は中国神話に現れる伝説上の動物で、泰平の世に姿を見せるといわれている。この花押を使い始めた頃、将軍足利義輝が殺害されるという事件が起こり、将軍の不在と度重なる構想のため、中央情勢は不安定な状況に陥っていた。また、同年には念願の終わり平定を成し遂げており、領国の平和と中央情勢の安定を願って、「麟」の字を象った花押を使用し始めたとされる[③天正三年ごろの織田信長の花押]。
戦国時代から江戸時代には、さまざまな武将たちによる個性的で魅力的な花押が次々と作られていた。花押には、武将たちの思いが込められているのである。
(なかむら・りょうすけ)
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