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2人の「私」が語る苦悩と葛藤
作家 村上 政彦
ノラ・イクステナ「ソビエト・ミルク」
本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日はノラ・イクステナ『ソビエト・ミルク』です。
著者は、ラトビアを代表するリガ生まれの女性小説家です。この国は、エストニア、リトニアと合わせて、バルト三国と称される子の国家の一つ。長く周辺の強国に支配されてきましたが、 1918 年に独自の憲法を制定し、ラトビア語を国語として定めて、独立を果たしました。
ところが第 2 次世界大戦の混乱期、ソ連に併合され、また自由を奪われます。彼岸の独立を勝ち取ったのは、 1991 年。ソ連が崩壊して、東西冷戦の終焉が語られた時期です。
ソビエト・ラトビアだった頃はラトビア語に加えてロシア語も公用語になり、ロシア人は不自由しなかったのですが、ラトビア人はロシア語の習得を迫られた。植民地にありがちな言葉の環境が生じたのです。
また、ロシアの知識人たちは、ラトビア語を地方の劣った言葉と蔑んで、まともな文学はロシア語で書かなければならないと考えていました。ラトビア人は伝統的な文化を差別された上、ついには国家としての主権を剥奪されるという苦渋をなめさせられたのです。けれど、その中でも、ラトビア語で創作した文学者たちがいました。
読書数を考えれば、ロシア語で書いた方が得策です。しかし彼らは、マーケットの論理ではなく、ラトビア語で書くことで、ラトビアの文学者としてのアイデンティティーを得る方を選んだ、著者もその一人と言えるでしょう。
本作は、 2 人の語り手が登場して、交互に語りますが、どちらも一人称の「私」を使います。最初の「私」は娘、次の「私」は母。 1969 年 10 月 15 日に生まれた「私(娘)」は、出産直後の母の失踪によって、母乳を与えられなかった。困り果てた祖母は、急場をカモミールティーでしのいで、その後、乳幼児の粉ミルクを手に入れます。
母の「私」は 5 日後に家に戻るけれども、授乳もしなければ子育てもしない。娘の「私」を育てたのは祖父母です。母は産科医になって将来を嘱望されるが、ある日、突然。職を失います。人工授精を施した女性に暴力をふるう夫を傷つけたのです。これは、どちらも許さないこと、田舎の救急センターで働くことになり、娘も連れていく。
母は、母性を自覚するどころか、生きることに意味を見いだせず、自殺を図るような女性。娘はヤングケアラーとして、母の世話をする。二つの一人称「私」は決して交わらない。これは親子であっても、個として自立した存在であるという主張でしょう。また、母の最期はソ連の崩壊と同じ時期です。著者は彼女の姿をソ連の終わりと重ねた。
ラトビア母娘の物語は、抑圧の中、精いっぱい命を燃やした 2 人の記憶です。
[参考文献]
『ソビエトミルク ラトヴィア母娘の記憶』 黒沢歩訳 新評論
【ぶら~り文学の旅㊾海外編】聖教新聞 2024.5.8
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