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戸田先生「宗教の偉力」(1949年12月)㊤
私は少年時代から不思議に思っていることが、いくつもあるが、そのなかで、もっと不思議に思うことは、国家と国家の間に、もっとも文化とかけはなれた行動があるということである。
もっと、くわしくいえば、あらゆる文化国の人々が、礼儀の上でも、ことばづかいでも、態度でも、実によく文化的に訓練され、教育されている。このように、個人と個人の間の生活は、価値と認識において、文化的であるにもかかわらず、この形式は、国家と国家との間に、於ける外交にかんしては、表面が物価的であっても、その奥は実力行使がくりかえされている。
一旦、外交が断絶されると、礼儀や習慣を捨てて、修羅の巷となるのが、国家間の状態ではなかったろうか。これを端的にいうなら、国家と国家の間には、実力以外の何ものもない野蕃人の生活がくりかえされてきたのではないだろうか。その姿はイソップ物語を、そのまま国家間の闘争にうつしたと同じであった。
より高い文化、より高い科学は、より強き国家、より強き民族の力を国家間の闘争に集中された時期があったが、これでは平和に逆行する以外の何ものもない。人類の日常生活に科学が進めば進むほど、人間は驕慢を続けてきた。科学の進歩も、文化の発展も、人類の横暴、驕慢、嫉妬、卑屈を、ますます強盛にしてきた結果になっていないであろうか。
しからば、人類永遠の平和、地球の楽園を建設する原動力となるものは何か。それは、宗教でなくてはならない
◇
科学を指導する宗教というものは、永遠に変わらぬ真実の哲学を持たなくてはならない。それは現世のみを対象として人間的な倫理や道徳観であってはならない。そのようの宗教が発展することを願ってやまないのである。
(『戸田城聖全集』第 1 巻)
「大白蓮華」創刊を機に始まった言論戦
社会に開かれた言葉で仏法思想を語る
1949年7月10日、創価学会にとっての新たな月刊の機関紙が誕生した。
「大白蓮華」である。
戦時中の弾圧によって廃刊にされた機関誌「価値創造」は、戦後(46年 6 月)に復刊を遂げたが、それに代わる形で、学会のさらなる大前進を期し、戸田先生が創刊したものだった。
以来、75星霜を経て、この10月には第900号の発刊を迎えるまでの発展を遂げてきた。
「大白蓮華」の発刊を通し、戸田先生がどのような言論を発信しようとしていたのか——。
池田先生は小説『人間革命』の第4巻で、創刊前の打ち合わせの様子を描く中で、戸田先生が日蓮大聖人の御書の偉大さに触れながら、学会に求められる「言論の力」について述べた言葉をこう綴っている。
「いくら、一人で正しい、勝れていると言ったって、相対するものがなければ、その正しさは鮮明に浮かんでこない」「仏法の法門というのは、すべて相対の上に絶対を確立していくものだ。大聖人の御書のすごさは、この点にあるんだね」
「大聖人様の説得力は、単なる説得力ではない。よく読んでみなさい。根本が慈悲から発している説得力だよ。だから偉大なんです。われわれには、とうてい、そんなまねはできないが、せめて、しっかりした相対の上に、辛抱強く戦って、帰結として絶対的なものが、自ずと浮かび上がるところまで論理を尽くすことだ。そうでなければ、これらの世間の人を納得させることは決してできない」
戸田先生が「相対」という言葉を通して指摘したのは、さまざまな思想を比較して吟味する中で、仏法の意義を浮き彫りにする重要性である。また、多くの人々の理解を得るためには、社会に開かれた言葉で論じることが欠かせないとして、戸田先生は次のように強調した。
「ぼくらの仲間だけ、宗門だけに通ずる言葉で、あれこれ言う時代は、もう過ぎた。もっと極端な考え方を言えば、宗教の分野だけに通用する理屈で事足れりとしている時代では、絶対になくなってくる」――と。
戸田先生はその模範を示すために、「大白蓮華」に掲載するための巻頭言や論文の執筆に取り組み、学会による新たな言論戦の先頭に立った。
仏法や信仰に関わることについては、現代的な表現を用いてわかりやすく語る一方で、人間としての生き方や社会的な課題を巡っては、さまざまな人々に幅広く伝わる言葉で論じることに心を砕いた。
「大白蓮華」の醍醐間の巻頭言も、その一つだった。
タイトルは「宗教の偉力」となっているものの、仏法的な用語は使われておらず、この文章の出発点も、戸田先生が「少年時代から不思議に思ってたこと」であった。
この文章が掲載されたのは、1949年12月。第2次世界大戦によって大勢の人々の命が奪われた悲劇の傷跡がいまだ癒えぬ中で、東西の冷戦対立が先鋭化していた時期だった。
同年8月、アメリカを中心とする西側陣営の軍事同盟として NATO (北大西洋条約機構)が発足した一方で、9月に東側陣営のソ連が原爆を保有していることを公表。また、戦後に分割統治されていたドイツの分裂も決定的となり、5月にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、10月にドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立し、二つの国家が並立する状況となったのである。
こうした情勢を前に戸田先生が述べた、「国家と国家との間に、もっとも文化とかけはなれた行動がある」との慨嘆――。それは、世界で文壇の勢いが増す中で、属する国は違っても、心ある人々の胸に去来した憂いではなかっただろうか。
国家間の対立や軍事的競争を放置しておけば、悲劇はさらに深刻なものになることは、牧口先生が20世紀の初頭(1903年)に著した『人生地理学』で警告していたものだった。
しかし、その後に起きた2度の世界絶え選を経ても、大勢の人々の人生を国家間の対立の渦に巻き込む「総力戦」の思想は消え去ることはなかった。
本来は人間の可能性を豊かに開花させるはずの科学や文化などの営みが、冷戦下において相手陣営に打撃を与えるための手段にされることが、当たり前のように行われていた。
戸田先生は、このような平和に逆行する流れを食い止めて、あらゆる国家と民族が提携して発展する道を開く必要性を訴えたのである。
連 載
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―第9回―
聖教新聞 2024.9.2
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