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平和と公正をすべての人に
インタビュー ジャーナリスト 小山美砂さん
こやま・みさ 広島市在住。元毎日新聞記者。 2022年7月、『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、第66回 JCJ 賞を受賞。広島を拠点に、各被害の取材を続ける。
〝いつまで〟被害が続くのか分からない——
そこが核兵器の恐ろしさ
「黒い雨」訴訟とは
——最初に、「黒い雨」訴訟につて教えてください
「黒い雨」とは、1945年 8 月に、広島、長崎での原爆投下後に降った雨です。火災のすすなどによって雨は黒く汚れ、放射性物質を含んだ雨をおびた多くの人たちが健康被害に苦しみました。「川が黒く染まり、死んだ魚がたくさん浮いていた」という証言もあります。
しかし、黒い雨によって被害を受けた住民たちは、長く救済の「対象外」となりました。黒い雨の降雨地域が狭く限定され、その外にいた人たちは「被爆者」として認めらなかったのです。当然、この〝線引き〟に対して住民たちは怒り、憤りました。援護対象の拡大を求める運動が続けられましたが、その声は長く退かれてきました。
2015年、広島で黒い雨を浴びた住民たち64人(最終的には84人)が、広島県と広島市を相手取った訴訟を起こします。実質的には、国に援護対象を拡大するように迫った訴訟——これが「黒い雨」訴訟です。結果、原告である住民84人全員が「被爆者」として認められる全面勝訴。その後、黒い雨被爆者への救済は拡大しました。
『「黒い雨」訴訟』の執筆を始めた当時、裁判の判決がどうなるか、正直分かりませんでした。でも、もし裁判でまけてしまったら、長く苦しんできた人たちの想いは形に残らなくなってしまう。〝この事実を書き残さなければ〟。そんな思いで、取材をかさねました。
〝認められない〟痛み
——「黒い雨」被害の取材をするようになったきっかけは、なんだったのでしょうか?
大学卒業後、新聞記者として、広島で多くの被爆者の方を取材するようになりました。でも、「黒い雨」被害のことを、初めはよくわかっていませんでした。私自身、爆心地近くの被爆と比べて、どこか軽視してしまっていたのかもしれません。また、制度や背景などが複雑で、何となく遠ざけてしまっていた面もありました。
そんな中、黒い雨被爆者との出会いがありました。ある人がこう語っていたんです。「黒い雨の問題ってね、貧乏との戦いでもある。病気で十分働けなくなって、お金が残るはずがない。国が勝手に戦争をして、病気だらけの人生を放っておいた」。また、ある人は「どれだけ訴えても、原爆のせいだって認められないなら、もう、はよ死んだ方がいいと」。
その言葉にハッとしました。原爆投下から70年以上がたってもなお、身体も、心も、暮らしも壊され、苦しんでいる。「被爆者」とさえ認められず、援助も受けられない。「核兵器って言うのは、人をこんな状況に陥らせてしまうのか……」。そう痛感しました。
どこまでが原爆の〝被害者〟になるのかが分かりづらいのが、核兵器による被害の難しさであり、恐ろしさです。被爆者として、〝認められないこと〟事態が痛みを生んでいる。
また長崎では、国が定めた地域の外で原爆にあった人は、「被爆体験者」とされ、被爆者と同じ支援を受けられずにいます。今月9日、その一部の人たちを「被爆者」と認める地裁判決が出ました。
しかし、「黒い雨」を浴びた人たちや「被爆体験者」には、原爆投下から間もなく80年がたとうとする今でも「被害が証明できないなら、被爆者として認められない」ということが起きてきています。でも、それでいいのか。「疑わしきは切り捨て」ではなく、「疑わしきは救済」される世の中であってほしい。
実は私自身、高校時代、学校に行かなくなってしまった時期がありました。また、新聞記者時代には、心の不調で退職も経験しました。〝社会から置き去りにされてしまっているような感覚〟を経験したからこそ、この問題を放っておけなかったのかもしれません。
何よりも、救済されていない被害者がいるかぎり、被害が過小評価され、問題の深刻さから目をそらすことになってしまう。だから私は、爆心地から離れた場所で、「黒い雨」によって被害を受けた人たちの事業を記録することで、核兵器の脅威を伝えられるのではないかと思っています。
SDG sど真ん中
——フリーになってからも、広島を拠点に各被害の問題に取り組まれています。今、力を入れておられることなんでしょうか?
グローバル・ヒバクシャの取材ですね。核実験や、核兵器の製造の過程などで被ばくし、苦しんでいる人は、国外にも多くいます。
9月1日から11日にかけて、カザフスタン共和国へ取材に行きました。カザフスタンにはかつて、旧ソ連の「セミバラチンクス核実験場」という世界最大規模の実験場がありました。450回以上に及ぶ核実験が繰り返され、多くの人が被爆し、今も健康被害に苦しんでいます。「すべての各被害者を救済するために何が必要なのか」を探ることが、今回の取材の目的の一つでもありました。
一方、カザフスタンは国際社会で核廃絶の議論をリードする国のひとつです。来年3月に行われる核兵器禁止条約の第3回締約国会議では議長国を務めます。同条約には「核兵器による被害者の円音環境回復」、そのための「国際協力・援助」の項目があり、この分野なら、日本も貢献できるのではないかとの声があります。SGI(創価学会インターナショナル)も協同されていますね。
—— SDG sには「誰も置き去りにしない」という基本理念があります。
核兵器の茂田井って、 SDG sのど真ん中だと思うんです。今回のテーマ16以外にも密接にかかわっています。もし核兵器がひとたび使用されてしまえば、3「すべての人に健康と福祉を」や、11「住み続けられるまちづくりを」、14「海の豊かさを守ろう」、15「陸の豊かさも守ろう」などの目標も達成が困難になってしまいます。
また、核抑止の考えがある限り、16「平和と公正をすべての人に」は達成できないのではないかと思います。核抑止の考えって、自国や同盟国が核兵器を持つことで、自国の安全を守るという発想ですよね。それって誰かを傷つける、被爆させるかもしれないということが前提になっているように思うんです。
実際に、核兵器を維持するために多くのグローバル・ヒバクシャが生み出されている。そうして守られている平和って、本当の平和なのか。そういった議論が、SDGsの達成にも、平和の実現のためにも必要だと思います。
——核兵器の問題を身近な課題として捉えるには?
「現在も続いている問題だ」と認識することが大事なのではないでしょうか。それは、「核兵器が今、約1万2000発存在している」というだけではなく、実際に今も、「核兵器による被害で苦しんでいる人たちがいる」ということです。被害が認識されていない限り、〝ヒバクシャの体験〟として「伝承する」段階にも入らない。
だからこそ、まずは「知ること」自体が大きな一歩ですし、始められることなのではないでしょうか。また、そうして学んだことを「忘れないこと」。まずは、情報を発信している人のSNSをフォローしてみて、時にはそれをシェアしてみる。それだけでも、立派なアクションだと思います。
【SDGs×SEIKYOO】聖教新聞 2024.9.14
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