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池田先生「第38回本部総会」での講演(1975年11月)㊤
時代は刻々と動いていく。天候の推移と同じように、晴れのときもあれば曇りのときもある。これからも、あるときは、暴風雨に遭遇するような場合もありましょう。要はそうした変転に一喜一憂することなく、あわてず原点を凝視しつつ正確な軌道へと引き戻していく力が、人びとに備わっているかどうかであります。それは、生命のバネ、バイタリティーであるといってもよく、そうした本源的な力を、民衆一人ひとりの心田に植え付けていくところにこそ、宗教のもっとも根本的な使命がある。
創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、筋力などの害的拘束力を持って人間の尊厳を犯し続ける〝力〟に対する、内なる生命の深みよりハッスル〝精神〟の戦いであると位置づけておきたい。(中略)
仕事をするには時間がかかる。人間対人間の触発をとおして、自他の生命をみがきあげるという開拓作業が、一朝一夕に成就しうるものではありません。だからこそ、結果としてもたらせるものは、いかなる風説にも朽ちることのない金剛不壊なる生命の輝きなのであります。
もはや未来の時代に対しては、こうした地道な努力しか方法はない。もしこれを冷笑するようであれば、その人はいったい人類社会の今後にいかなる方法を持って臨むのかと、私は反問したい。(中略)
一般に「行き詰った時は原点に戻れ」と言われますが、人間にとって原点とは〝人間らしさ〟〝人間の尊厳性とは何か〟ということ以外にはありえない。その意味から私は、人間と表とした民衆中心主義こそ、来るべき世紀への道標でなくてはならないと考えている一人であります。私共は、その視点から、誰人とも話し合っていきたい。
◇
一致点を見いだすことも有意義であり、不一致点を見いだすこともまた有意義であります。ともかく、思慮深い判断と先見性が要求される時代にあって、徹底して人類の根本的な原点に立った対話を進めていきたいものであります。
(『新版 池田会長全集』第1巻)
トインビー博士が寄せた学会への期待
人類の結束を目指して「対話」に挑む
究極において歴史をつくるものは、新聞の見出しの材料となるような華やかな出来事でも、政治的・経済的事件でもない。普段は目に見えないが、歳月を経た後で大きくその姿を現してくるような、「水底のゆるやかな動き」である——。
これは、歴史家のアーノルド・ J ・トインビー博士が、人類史を巡る探求を続けるなかでたどりついた、「時間の遠近法」に基づく洞察である。
その博士が、現代における「世界的出来事」と着目していたのが創価学会の存在だった。
博士は、1972年4月に発刊された池田先生の小説『人間革命』の英語版に寄せて、次の言葉を綴っていた。
「戦後の創価学会の興隆は、たんに創価学会が創立された国(日本)だけの関心事ではない」
「創価学会は、すでに世界的出来事である」
「日蓮は、自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間仲間を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通して、その日蓮の遺命を実行しているのである」と。
以前から、博士は大乗仏教に関心を抱いていた。1967年の訪日などを通じて、大乗仏教の豊かな可能性を現代に蘇らせた創価学会への認識を深める中、池田先生との対談を切望するようになったのである。
1969年9月、その思いを記した博士の書簡が池田先生の下に届いた。その後、準備が進められ、池田先生が1972年5月と73年5月の2度にわたり、ロンドンにある博士の自宅を訪れる形で、のべ40時間に及ぶ対談が実現したのだ。
対談の最終日、テレビのニュースでは、ソ連のブレジネフ書記長が西ドイツを訪問し、ブラント首相と会談したことが大々的に報じられていた。
このニュースが話題となった時、博士は毅然と言った。
「政治家同士の対談に比べ、私たちの対談は地味かもしれません。しかし、私たちの語らいは、後世の人類のためのものです。このような対話こそが、永遠の平和の道をつくるのです」
時々の政治的な動きも見過ごせないが、それに一喜一憂しているだけではいけない。「後世の人類のため」という深い次元に立って歴史の底流を堅実に形づくる努力が絶対に必要である——。それが、トインビー博士の晩年の強い思いだった。
だからこそ博士は、一切の対談を終えて池田先生を見送る時に、こう言い残したのだ。
「私は、この対話こそが、世界の種文明、諸民族、諸宗教の融和に極めて大きな役割を果たすものと思います。人類全体を結束させていくために、若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」
池田先生はその言葉を胸に、博士から紹介を受けた世界の識者との対話に臨んだ。
1973年11月には科学者のルネ・デュポス博士と、1975年5月にはローマクラブの創立者であるアウレリオ・ペッチェイ博士と出会いを結んだ。
また、トインビー博士が憂慮していた米ソ関係や中ソ関係の改善を願い、中国への初訪問(74年9月)に続いてソ連(74年9月)を初訪問し、コスイギン首相と会見した。
さらに、中国を再訪問して周恩来総理と対談し(74年12月)、時を置かずしてアメリカにも赴いた。
キッシンジャー国務長官と会談した5日後(75年1月18日)、国際的なメディアの AP 通信がある記事を全世界に発信した。
池田先生が3カ国の首脳と相次いで会見したことに触れながら、創価学会について紹介した記事である。小説『人間革命』の英語版にトインビー博士が寄せた文章にも言及しつつ、記事は次の言葉で結ばれていた。
「絶望と幻滅の社会の中で、小さな組織であった創価学会は高い理念を掲げ、理念達成に強い確信を持っていた。これを裏付けるように、戦後三十年で、創価学会は現在の組織へと大きく発展したのである」と。
そして1月26日、記事でも予告していた通り、グアムの地でSGIが発足したのだ。
こうした新しい飛躍の時を迎える中、創価学会の基本精神と社会的使命について池田先生が宣言したのが、同年11月9日に広島で行われた第38回本部総会での講演である。
それは、トインビー博士の逝去(10月23日)から間もない時期に行われた講演でもあり、博士が「世界的出来事」と着目した創価学会が何を目指しているのかを、改めて明確に示すものでもあった。
連 載
三代会長の精神に学ぶ
歴史を創るは
この船たしか
—第11回—
聖教新聞 2024.9.16
池田先生「第7回本部幹部会」でのスピーチ… October 21, 2025
池田先生「第7回本部幹部会」でのスピーチ… October 20, 2025
池田先生「沖縄広布史35周年開幕記念総会… September 3, 2025
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