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網膜の中の風景
東京大学名誉教授 安藤 宏
太宰治は「一つの約束」というエッセイの中で、世の中にはついに誰にも知られることなく終わってしまう事実のあることを強調している。
昔、船の理が難破して海に放り出され、やっとの思いで灯台にしがみつき、窓をのぞいたところ、そこには灯台守一家の楽しいだんらんが繰り広げられていた。もしも自分が助けを求めたら、その団らんは壊れてしまう。そう思って躊躇した瞬間、大波が押し寄せ、船乗りはそのまま海に吞み込まれてしまった、というのである。
もちろんこの事実を見たものはだれもいない。けれどもその船乗りの思いを言葉にして伝えることにこそ、文学者の責務がある、というのである。
この話は我々に、フィクションとはいかなるものについて、しみじみと考えさせてくれる。人は日々、せわしなく生きているが、決して損得勘定だけにきゅうきゅうとしているわけではない。無意識のうちにふと顔を見せる一瞬のためらいやとまどい。そうしたものの中にこそ、人間が気弱な「真実」が隠されているのではないか。これをすくい取り、想像力によって言葉に置き換えて見せることに、文学の使命があるのだろう。
ちなみに太宰は同じ題材を「雪の夜の話」という短編でも扱っている。それによれば、難破した水夫の眼の網膜には、灯台守の一家の美しい団らんが残されていたのだという。
一人の人間の網膜には、それまで見てきた数多くの、かけがえのない情景が蓄えられている。ただふだん、それを忘れてしまっているだけなのだ。ふと立ち止まり、心の中の映像に思いを馳せてみると、おそらくそこには、置き忘れていたさまざまな宝物が隠されていることに気づくことだろう。実は「思い出す」という行為は、人間だけに与えられた素晴らしい特権なのかもしれない。
【言葉の遠近法】公明新聞 2024.10.9
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