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才能と仕事
「人の一生はみじかいのだ。おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、そのことのほうがはるかに大事だ」 『峠 上』
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「人間の才能は、多様だ」
と、継之助はいった。
「小吏にむいている、という男もあれば、大将にしかなれぬ、という男もある」
「どちらが、幸福なのでしょう」
「小吏の才だな」
継之助はいった。藩組織の片すみでこつこつと飽きもせずに小さな事務をとってゆく、そういう小器量の男にうまれついた者は幸福であるという、自分の一生に疑いももたず、冒険もせず、危険の縁に近づきもせず、ただ分をまもり、妻子を愛し、それなりで生涯をすごす。
「一隅ヲ照ラス者、コレ国宝」
継之助は、いった。叡山をひらいて天台宗を創設した伝教大師のことばである。きまじめな小器量者こそ国宝であるというのである。 『峠 上』
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竹中半兵衛の才能は、栄達への野心をすてたところに息づいていた。錯綜した敵味方の論理的状勢や心理状況を考えつづけて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明な心事をつねにもっていなければならない、と官兵衛には考えている。囚われることは物の判断にとって最悪のことであり、さらに囚われることの最大のものは私念といっていい。それを捨ててかかることは、領土欲や栄達欲が活動のばねになっている小領主あがりの武士にはなしがたいことなのである。しかし半兵衛は奇跡のように、平然と保っていた。
『播磨灘物語 三』
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「人には得手と不得手がある。英雄にも愚者にもそれがある。それを看ぬいて人の得手を用いるがよい。また人にはかならずいやなところがある。たとえば残忍、欲深というのはひとのいやがるところであるが、そういう人物ですら長所があり、それを新設にみてやらねばならない」 『世に棲む日日 一』
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人間の才能は、大別すればつくる才能と処理する才能のふたつにわけられるにちがいない。西郷は処理的才能の巨大なものであり、その処理の原理に哲学と人格を用いた。
『歳月』
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人は、その際室や技能というのはほんのわずかな突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう。
『ある運命について』(『胡蝶の夢』雑感)
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人間は人なみでない部分をもつということは、めずらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。 『十六の話』(「洪庵のたいまつ」)
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「藤兵衛、人間はなんのために生きちょるか」
と、竜馬は膳ごしにいった。
「事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん」
世の既成概念をやぶる、というのが真の仕事というものである、と竜馬はいう。だから必要とあれば大名に無心をしてもよい。 『竜馬がゆく 三』
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「仕事というものは、全部やってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はたれでも出来る。その二部は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」 「竜馬がゆく 八」
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小人という西郷の用語は己を愛する者という意味である。
「……であるから相手がたとえ小人でもその長所をとってこれを小職に用いればよく、その才芸を尽くさしめればよい。水戸の藤田東湖先生もそのようなことをいわれた。小人ほど才芸のあるもので、むしろこれを用いればならぬものである。さりとてこれを長官に据えたり、これに重職をさずけたりするとかならず国家をくつがえすことになる、決して上に取り立ててならぬものである」 「翔ぶが如く 三」
【人間というもの】司馬遼太郎/ PHP 文庫
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