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悠久なる南洋との交流
島根県立古代出雲歴史博物館 専門学芸員 岡 宏三
出雲の「龍蛇さん」
かつて出雲では、十一月(旧暦では十月)になると連日木枯らしが吹き荒れた。十月を神無月ともいうが、出雲地方では諸国の神々が参集されるから神在月という。出雲人は時雨れる空に神々の到着を感じ取り、「お忌み荒れ」と呼んだ。
神々が滞在されている間は、物音をたてて議(はか)りごとの妨げにならぬよう、歌舞音曲を自粛し、特に神々が諸国へお帰りになる日(神等去出)の夜は屋外に出ることさえ忌み慎んだ。なので神々をお迎えした出雲大社や佐太神社(松江市)などの諸社で行われる神有祭を「お忌みさん」ともいう。
「お忌み荒れ」になると、出雲の沿海に「龍蛇さん」(西南諸島以南に生息するセグロウミヘビ)が海流に乗って漂着する。
室町時代の謡曲「大社」は神在祭を題材とする。神々が参集するなか、海龍王が黄金の小筥の中の小龍(龍蛇)を社前に捧げると、大社の大神が出現し、大平の世と福寿をかなえよう、と告げる筋立てである。龍蛇は神々の先導役・海上安全・火難水難の神とされているが、この謡曲では、幸せと富をもたらす存在であるとも位置付けているのだ。
確かに南方の海のかなたからは、悠久の昔から富がもたらされていた。
出雲大社の背後の山の裏側、日本海に面した猪目洞窟遺跡から、約二〇〇〇年前、弥生時代後期の男性の人骨が出土している。この人物が腕輪として身に着けていたゴホウラ貝は、奄美大島以南で採取される貝で、特定の位置にあるもののみが装飾品とする貴重品だった。
大社から車で西へ約五〇キロの場所に、大航海時代の頃、世界有数の銀の産出量を誇った世界遺産・石見銀山がある。
数年前、銀山領の港として栄えた温泉津の町の入り口から「石敢当」が出土した。中国の福建省を発祥とする、丁字路の突き当りなどに立てられた魔よけの石で、沖縄・鹿児島両県に広く分布する。琉球国王を中継とする中国交易ルートによってもたらされた習俗である。
「石敢当」は両県以外でも東北地方にまで分布するが、どれも幕末・イン代以降に立てられたものなのに対して、温泉津の石敢当は江戸時代前期までさかのぼる。かつ「来龍」「進宝」など縁起の良い文句も刻んであり、招福の願いも込められていたことがわかる。
龍蛇が出雲に到達するまでのルートをさかのぼっていくと、はるか太古の昔から脈々と続いていた、南洋諸島、さらには大陸との、壮大な交流の軌跡が浮かび上がってくるのである。
(おか・こうぞう)
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