ヘナヘナライター 生態日記
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私のフィギュアスケートのファン歴が結構長い。両親がフィギュアスケートが好きだったので、幼い頃からテレビで見る機会が多かった。当時はフィギュアはマイナーな競技で、民放で放映されることはなく、もっぱらNHKで鑑賞していた。記憶に強く残っているのは伊藤みどり。NHK杯から始まり世界選手権、アルベールビルオリンピックとずっと追いかけた。アルベールビルオリンピックで伊藤みどりは銀メダルを獲得した。この時金メダルに輝いたのは、クリスティ・ヤマグチ。その時私が思ったことは、「伊藤みどり方がずっとすばらしい演技をしたのに。フィギュアでは、結局ルックスが重要視されるんだな」ということだった(笑)。この時私が感じたこととはつまり、フィギュアが芸術かスポーツかという、現在も熱く議論されることが多いテーマとイコールだと思う。未熟な私は「ルックス」というわかりやすい記号に流れたけれど、総合的なパフォーマンスか技術力かとうことだろう。キム・ヨナと浅田真央の演技がよく比較される。曰く、浅田の方がヨナより高く飛べる、体が柔らかい云々。これはフィギュアスケートをスポーツという観点から捉えた評価だ。対して、キム・ヨナのスケーティングの滑らかさ、演技力に重点を置くと、浅田はヨナにかなわないという結論が導きだされる。フィギュアは、芸術要素とスポーツ要素が、6対4、いや、7対3ぐらいの割合で融合した珍しいスポーツだと思う。ここに勝ち負けの分かり辛さがあるし、魅力もある。もっと言うなら、フィギュアの演技者はあくまでもアスリートだ。あのキム・ヨナでも、浅田の十八番のトリプルアクセルを飛びたいとかなり練習した時期があるという話を聞いたことがある。羽生も、「より高く飛びたい」という思いが何より強いと言う。彼らは芸術家ではない、あくまでもアスリートなのだ。魂がアスリートである人たちが、そこに芸術という薄皮を被ってパフォーマンスを披露している。どうやら私はここに感動をしているようだ。芸術を堪能したければ、バレーを鑑賞すればいい。でも私がインスパイアされるのは、アスリートたちが限界に挑み、そこから生まれる「感動」なのだ。ソチオリンピックのフリーで見せた浅田真央の演技。芸術的な完成度という意味では、キム・ヨナの演技に感動するべきだろう。でも、ソチから数か月経った今、キム・ヨナの演技は今や記憶の片隅にも残ってない。しかし、バンクーバーオリンピックの彼女の演技は確かに記憶に刻まれている。あの時のアスリートとしてのキム・ヨナの圧倒的なパワーは、浅田真央を応援する日本人としても、否定できない強さがあった。フィギュアスケートは、芸術とスポーツの両面を微妙なバランスで成り立っている。それは今も昔も同じだ。たぶんこの絶妙なさじ加減はずっとこのまま続くに違いない。芸術とスポーツ。伊藤みどりは1対9、荒川静香は8対2、キム・ヨナも8対2、浅田真央は4対6。そして羽生は5対5である。そういう意味で、羽生はフィギュアの理想型かもしれない。
2014.03.30
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