全2件 (2件中 1-2件目)
1
シンディー・ローパーのファンだと自覚したことはなかった。もちろん好きな歌い手の一人だと思っていたが、青春時代を振り返る時、私にとってこの大切な時期を象徴する歌い手だと思ったことはなかった。振り返ると、15歳から20歳までのこのわずかな期間が、私にとってもっとも印象深い年月だったと思う。とはいうものの、実際この期間で私が経験したことはそうたいしたものではない。というより、挫折に次ぐ挫折で、人生で一番自信喪失していた時期だったようにも思う。高校受験で第一志望の学校に不合格で、人生初めての挫折を経験し、入学した私立の女子高ではやる気もなく、フワフワと日々を送っていた。当然、大学受験ではそのまま浪人。美術大学に進学したかったけれどもそれも叶わず、仕方がないので写真大学に修学した。当時は写真に興味があったわけではない。それしか進学できる学校がれなかったのだ。大学では授業そっちのけで部活に精を出し、アニメ映画なんかを制作していた。それが、15歳から20歳までの私の生活の全てだ。そして、そんな私の10代の終盤を彩るのが、シンディーの哀愁アフレルの独特な歌唱なのだ。この時期の私の苦悩、焦り、自己嫌悪、未来への不安感、そして希望、自負心、そんなものを代弁しているのが、シンディー・ローパーの当時のヒット曲だ。10代後半、私はアメリカンポップスに入れ込んでいたのだ。今でも、ラジオから流れる流行歌の数々は、頭の奥深くに刻まれている。深夜、聴くでもなくマイケル・ジャクソンやマドンナ、TOTO、デュラン・デュラン、POLICE、ETCを耳にしていた。当時は東京の新宿区に住んでいて、ラジオから流れる流行歌に耳を傾け、ウォークマンを聞きながら、新宿の街を歩いていた。そんな時代を象徴するのが、シンディー・ローパーだ。そういえば、オフコースも曲も高校時代限定で、私の人生を象徴している。オフコースは特に好きなグループではなかったにも関わらずだ。それからやはりRCサクセション。歌というのは実に不思議なものだ。
2014.04.22
コメント(0)
またまた続いてフィギュアスケートについて(笑)先日、フィギュアのスポーツ性と芸術性について書いた。でもそんなものを凌駕したところに本当の感動があると、私はソチオリンピックの浅田選手のフリー演技を見て思った。思いの強さで演技することより、人の心を揺さぶるのはない。そこには理屈も技術も、表現力も関係なく、思いから生まれた剥き出しの発露があるだけだ。人とは、思いで生きている存在なのだなとつくづく感じる。思いといえば、2010年の羽生の演技も思いそのもの。この時期のフリープログラマもやりは「ロミオとジュリエット」だ。演技途中、足を取られて転倒するのだが、それさえも渾身の力を振り絞って演技する演技のひとつのように感じられるから、スゴい。2014年世界選手権のエキシビジョンで、羽生はこの旧ロミオとジュリエットを披露した。4年分の成長が感じられ、技術力も表権力も伸びていたけれど、2010年のような魂の発露がそこにはなかった。人の心を揺さぶる感動は、たぶん理屈を越えたところにある。技術力も表現力も劣っていた2010年の演技に、見る人たちがより感動を覚えるからだ。フィギュアを見ていると、一番感動するのが演技終盤のステップバイステップだったりする。2014年ソチオリンピック・フリーの浅田もそうだし、2010年世界選手権の羽生の場合もそう。さまざまなことから解放されるこの瞬間、最後のこの見せ場で、選手たちは渾身の力を振り絞って演技をする。実は見た目の優雅さとは違い、ものすごく過酷な競技でもあるフィギュアスケートでは、この最後の30秒で選手たちは性も根も尽き果てて演技しているという。その最後の最後、まるでろうそくの火が燃え尽きる直前により明るく輝く、そんな一瞬の輝きに魂が持って行かれる。
2014.04.16
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1