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見世物というと何を連想するだろうか? 「かに男、狼女、蜘蛛男、蛸娘、牛男、・・・」、はたまた、都市伝説がらみのダルマ女、『フリークス』『悪魔の植物人間』『怪奇!吸血人間スネーク』などの映画の題材にもなっている畸形、小人などだろうか。少なくとも、私の中の「見世物」観とは上記のようなものだった。 しかし、『江戸の見世物』で取り上げられているのは、細工見世物、種々の曲芸、舶来動物、生人形などだ。これらは近世後期(特に文政期以降)の江戸庶民がみな愉しんでいたものである。本書によれば、「鬼娘、蛇女、蛇小僧、熊女、熊童子なら近世後期になかったわけではない」が、「それは近世後期の江戸における見世物全体のなかでいうと、実際には一部であり、興行の中心的な存在ではない」のだそうだ。 つまり、江戸後期の見世物と近現代の「見世物」の様相とは、全く異なるのだ。これは見世物に関する言説の出発点ということになる。何故それほど異なるのか?本書は、それに応える書ではないので、長い年月の経過と近代化として簡単にまとめられている。私にはこれに答えるだけの知識がないので、これからの課題としたい。 以前、鶴岡法斎が師・唐沢俊一との対談本『ブンカザツロン』の中で、「椎名林檎を語るのは簡単。モー娘。を語ることこそ重要なのでは?」云々と言っていたが、本書はこれに応えるものだといえる。「学問」(未だそれが存在するとして)とはこうでなければいけない。大衆文化の表層部をそれとして扱う手際は、試行錯誤の余地を大きく残しているが、見世物を語るための基本書といえよう。 本書のあとがきで示されているとおり、見世物を語るための裾野は恐ろしく広い。本書が発行されたのが5年前。今、果たして見世物研究の最前線はどうなっているのか、最新の成果が気になるところだ。 本書の著者のホームページを見つけたので、興味のある諸氏はここをクリック!本書では見られなかったカラーの見世物絵も見られます。 下記の画像はここ。
2005年10月24日
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友達に誘われて、漫喫に。 どうも漫喫は座り心地がよくない。なので、あまり利用しない(布団で寝転がりながら読むのが良い。堅い本は図書館で。雰囲気が良い。座り心地は良くない。)某筋によれば座り心地のよいソファなんかがあるらしいが、私の行動範囲(徒歩5分程度)にそんな店はない。今日も、エロ麻雀ゲームのでっぱりがイタイ。 昼・夕飯の時、今日のような誘い等、折々に読んで、実に約3ヶ月。やっと読み終えた『あずみ』(面白かった。途中からマンネリで、似たような題材を捏ね繰り回し、如何にして決着をつけるか決めかねているように感じたが、通して読むと読ませます。以下続巻。)に続き、『モンスター』を読み始めたのだが、どうもこの店には(この店に行くのは初めて)ないようだ。 仕方がないので、『アッパーズ』廃刊後、読んでいなかった『餓狼伝』をまとめて読む。谷口ジロー版『餓狼伝』は静かに立ち昇る熱気、強くなることの孤独と罪悪感などを谷口の筆力で余すところなく描き切った傑作だった(全一巻はもったいない)。これは格闘マンガの一つの極である。原作(読んでない。スイマセン。)が同じながら、これと真逆の極に位置するのが、板垣・版である。谷口・版が好きな人は嫌いでしょう。ケレン味が鼻についたりして。 しかし、格闘マンガ論から見ると、本来の格闘マンガの王道、理想の格闘マンガ像は板垣・版にある。むしろ、谷口・版は異端といえる。この話題は根が深いのだが、紙枚が足りないので、後日。 『シグルイ』を少しだけ読んだところで、明日休みの友達も帰ることに。『シグルイ』すごく良さそう。装丁が気に入ったので、買いたい。金がない。 ああ、もうこんな時間だ。寝なくては。
2005年10月23日
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トリビア=一行知識という風潮がある中、トリビアという言葉を安易に使いすぎた。酒を飲みながら書いたのが、マズかった。反省。というわけで、「トリビア」となりえる素材が正確でした。トリビアについては、学問、教養、退屈なども含めて考え直します。 昨日の続き・・・。 まず、興味を引くのは、カワトンボの交尾システムである。トンボの交尾自体実に変わっていて、面白いのだが、ここでは採り上げない。 昆虫の場合、精子が一旦「貯精のう」に保存されるため、交尾と受精の間にタイムラグが生じる。種類によっては精子を何年にもわたって小出しに用いることもあるらしい(昆虫の精子は強い)。このような機能のため、様々な苦心の末の進化が見られる。 オスの腹部(しっぽ)の先には、フック状のものが付いていて、それで先任のオスの精子を「貯精のう」から掻き出して、自分の精子と取り替える。また、先任の精子を「貯精のう」の奥に押し込んで、早く使われる手前の方を自分の精子で満たすのだ。 この「精子置換」システムは他の昆虫にもみられ、アオマツムシにいたっては掻き出した精子を食べてしまうという。あな恐ろしや。 他にも、毒薬「斑猫(ハンミョウ)の粉」の真実、「タランチュラ」命名起源、アメリカの食品混入昆虫の許容範囲リスト(!)などもあるが、それらは本書に直接当たって貰いたい。 第1章「文化としての虫」では、「鳴く虫の文化」、売られる虫の系譜なんかが面白かった。第3章「釣り餌の昆虫学」における「虫屋」の探究心の異常さには頭が下がる。 最後に、「ゲテ食」ファンにはよく知られている中国における「蚊」食であるが、実際はエビの目玉なのだそうだ。実際に見て確かめたわけではないので、どちらも怪しげな無駄知識に変わりはないのだが。 なお、本書の第2部の土台になった話が、ここで読めます。
2005年10月21日
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ガキの頃、よく蜂の巣を襲撃していたのを覚えている。 蜂の巣を木の棒や投石で落とし、逆襲してくる蜂から逃げ惑いながら、漸く手にした巣を襲われない所まで持っていく。今思えば、よくやったものだ。さて、肝心の蜂の子であるが、これが全く人気がなかった。ほとんど、一人で喰っていた記憶がある。 他にも、イナゴ、ヘビ、ザリガニなんかも食べたが、未だ求めてまで「ゲテ食」をしていない所を見ると、このような食とは縁がなかったのだろう。 閑話休題。本書『虫を食べる文化誌』には、文化としての昆虫食が書かれている。著者が「虫屋(昆虫愛好家の総称)」であることからしても、決して興味本位の本ではないことが分かるだろう。もし、これらに不快感を感じるならば、それは文化の齟齬を体験できる絶好の機会であると喜ぶべきだ。 文化論はさておき、本書の看板には偽りがある。本書は第1章「昆虫学から見た文化としての昆虫」第2章「文化としての昆虫食」第3章「釣り餌の昆虫学」という3部構成になっている。もちろん、第2章の分量が一番多いのだが、それ目当てだと少しばかり肩透かしを食うことになる。 だが、本書で本当に面白いのは、昆虫食の部分ではない(昆虫食に関しては本書しか読んでないので、面白さを感じるに至っていないだけかもしれないが)。「虫屋」以外にとってはトリビアな部分が興味を引くのだ。私が生物学系の本を読むのはこのためといってもいい。 さてここで、いくつかのトリビアを挙げるべきなのだろうが、字数も多くなったし、夜も遅いので、ベタに引っ張りつつ筆を擱く。 明日に続く・・・。
2005年10月20日
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