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この頃、ずっしりと私の心に重く乗っかっているのが、こちらで大騒ぎになっている竹島(独島)問題です。私はテレビはほとんど見ないのですが、ネットの韓国新聞を見ていても、そのすさまじさが伝わってきます。メディアで紹介されるデモなどは一部の人がやっているのだと思っていたのですが、どうやらそうでもないらしい。今週近所に住む日本人のお宅でお茶する機会があったのですが、その人のご主人が退社後同僚と食事に行くと、レストランの店員さんがつかつかとやってきて、「ちょっと聞きたい事があるんだけどっ!」と議論を吹きかけられ大変だったそうです。また、その人の知り合いの人がタクシーに乗っていて、やはり日本人だとわかると口論になって結局降ろされてしまったとも聞きました。何よりも衝撃的だったのが、その人ご自身の話です。島根県の条例が議会を通過する前ではあったけど、在韓日本大使がインタビューで質問されて、「竹島は日本の領土だと私は理解しています。」と答えた後、というタイミングだったそうです。ハングルが書いてある韓紙のラッピングペーパーが欲しくてインサドンに行き、店の人に「かわいいのをください。」と韓国語で言うと、「これがいいよ。」と選んでくれたのだそうです。家に帰ってその紙を良く見ると、ハングルに混じって漢字で「日本帝国」とか、「恨」とか、「侵略」とか書かれていたのだとか。メディアで見かける話ではなく、実際に経験した人の話なのだから、これは身近に起こっていることとして受け止めるしかありません。それ以来なんとなく外に出かけるのがおっくうになってしまいました。水曜日にどうしても公共の交通機関を利用しなくてはならないことがあったのですが、不安でしかたなかった。まずバスに乗ったのですが、そのバスが今までに経験した中で一番乱暴な運転で、運転手さんがなんとなく私のことをミラーでチラッ、チラッと見ているような気がしました。またこの運転手さんが以前見たドラマに出ていたやくざにそっくり。私が日本人だから振り落とそうとしているのか?とまで思い、必死で手すりにしがみついていました。やっと無事バスを降りても、次は地下鉄です。地下鉄の駅の場所がわからなくて、人に道を聞くにも、なんだか気が引けてしまう。以前はみんな親切そうに見えた町行く人も、みんな私のことを嫌っているかのように感じてしまいます。何人かやりすごした後、若い女性におそるおそるたどたどしい韓国語で「地下鉄の駅はどこですか?」と聞くと、「@#$@@@!」と言って、さっさと行ってしまいました。ああ、やはり私が日本人だからまともに教えてくれないのね、と悲しくなりました。意を決してもう1人コーヒー牛乳?らしきものを飲みながら歩いていたおばさんに尋ねると、「すぐそこですよ」というふうににこやかに指差して教えてくれました。帰りはバスはやめてタクシーにしましたが、運転手さんが黙っているとまたまた不安になってしまう、情けない私。おうさまがひっきりなしに日本語で話すので、気が気ではありません。すると運転手さんが「xxへはどこで曲がるんだっけね?」と言う風に(たぶん)話しかけてきたので、曲がる地点の手前まで来たら「ここで左に行ってください。」と教科書どおりのせりふで伝えました。「そうだよね、ちょっとわからなかったから」と穏やかに話しかけられ、どんなに安堵したことか。こんな調子で、一日中緊張し、家に帰ったときにはぐったりと疲れ果ててしまいました。教会の婦人持ち寄り夕食の会に行った時、はじめて会った人に自分の名前を言うと、いきなり「ああ、にほんじんですか。」と日本語で返事が返ってきたときも、ぎくっとして身構えてしまいました。すると、「わたしは、かんこくじんです。」とおっしゃるので、「こんにちは~。」というと、ちょっと考えてから「こんばんは。」という返事が(笑)。その人は高校生の時2年間日本語を勉強したそうです。しばらく話していなかったけどまた話してみたいな、とのことでした。このように、私が最近遭遇した韓国人は、幸いなことにみんな親切に接してくださる人たちばかりでした。もちろん、偶然にということもあるでしょう。いつ路上で怒鳴りつけられるようなこともあるかもしれません。だけど、結局一番変わったのは自分の心の持ちようであることに、ふと気づいたのです。私は感情的になっている状況というのがとても苦手です。私の父は、それはそれは感情的な人で、いつも私たちはいつ機嫌を損ねるかとびくびくしていたのです。そのせいかどうかはわからないけども、あまりにも感情的な言動にふれると、なんともいえない恐怖心に覆われてしまうのです。だけど、韓国の人たちの怒りを恐れるあまり、萎縮しきっていた自分に気づいた時、本当に情けなくなりました。私自身特に悪いことをしたわけではないし、自分なりの歴史に対する認識は持っているつもりです。竹島(独島)のことだって、どう思うかと聞かれれば、自分の意見をちゃんと述べればいい。韓国の人の心情的な部分だって、同意はできない部分はあっても共感できる。私はこの国に外国人として滞在を「許可」されているわけだから、韓国の言葉や文化、社会を理解しようと努力することは、最低限の礼儀であるし義務でもあると思っています。ここに暮らす限りは、この国の美点に目を向けつつ生活したいです。こんなふうに自分の情けないこと、もやもやしていたことを文章にしてみると、なんとなくスッキリしました。さあ、今日はおうさまのぱぱを説得して、以前韓国語の先生と一緒に行った冷麺屋さんにでも行こうかな。食前にまず出されるスープが、もううおぉぉぉ~~~っと叫びたくなるくらいおいしいんです。結局は食べ物の話で落ちがつくのでした。
2005年03月26日
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先週末からおうさまが39度の高熱が続き、病院に連れて行ったところ肺炎になりかかっていると言われました。先週の月曜日の前夜仮性クループの咳(犬の吼え声、オットセイの声のような咳)が出たので、幼稚園の後で近所の病院に連れて行きました。処方された咳止めの薬を飲み、クループの咳はすぐにおさまり普通の咳になりました。それで一安心し、その後いつもどおり元気なので、行事のあった土曜日まで毎日幼稚園に行かせました。今思うと、少しずつ少しずつ病状が悪化していたのに、そのうち治るとたかをくくっていたのです。土曜日から熱がとても高くなり、さすがに日曜日の教会は休ませました。小児用タイラノールを飲ませても熱がちっとも下がらず、月曜日になって大きな病院に連れて行きました。すると「これはよくないですね。すぐに血液検査とレントゲン写真を撮りましょう。」と言われ、緊急で検査をしていただきました。レントゲン撮影で、小さな背中にX線照射範囲を示すゲージの入った明かりが当たるのを見て、心が痛み、母親として注意不足であったことを本当に後悔しました。検査の結果、肺炎に移行しつつある気管支炎と診断されました。白血球の数が、最大正常値の1.5倍にも増えており、他の数値も正常値を下回るものが多いなど、かなり深刻な状態でした。幼稚園に連絡すると、先生が「そういえば金曜日と土曜日は給食をほとんど食べなくて、泣きながら『残してもいい?』と言うので、もうちょっとがんばって、と言ったんですよ。今思うと、病気で食欲がなかったのでしょうか?」とおっしゃいました。ふだんから気が散りやすく、給食もあまり食べないことが多いので、病気のためとわからなくても無理はありません。スクールバスの担当の方も、「そういえば幼稚園が終わってバスに乗り込むなり目をつぶって眠っているようなことがあったんですよ。その時はよほど疲れているのかな、と思ったんですが…」とおっしゃいました。本当に、一見普通に元気にしているように見えたのです。こういうことはやはり母親が気づいてやるべきだったのに。処方された薬を飲んでも、熱は一時的に下がるもののあまり改善されないように見えました。火曜日の夜、苦しそうな息をしながら燃えるように熱い体で寝返りを繰り返すおうさまのそばに添い寝しつつ、心の中で「ごめんね、ごめんね。」と繰り返しました。水曜日の朝起きてしばらくすると、熱も下がってほとんど普通どおりの怪獣おうさまに戻りました。久しぶりにお昼ご飯をまともな量食べ、夕方病院に行った時もほとんど平熱で、「またキャンディーもらえるかな?」と期待に目を輝かせている息子にあきれるやらうれしいやら。診察の結果、「大分よくなりましたね。これで安心でしょう。」と言ってくださり、本当にうれしかった。期待通り、キャンディーを(2個も)もらって、すごく喜んでいるおうさま。普段あまりお菓子を食べさせないので、こんなにうれしいんだなと複雑な気持ちがしました。新たに処方された鼻水対策の薬のお陰で、昨夜は歯を磨きながら床に寝転がりそのまま眠ってしまいました。やっと熱は落ち着いたようすです。どうかこのままうまく回復して欲しい・・・。結局3学期の最後の2日間を休み、昨日から長い春休みに突入です。元気が有り余っているおうさまと24時間一緒の生活。考えただけで憂鬱ですが、病気でぐったりしているよりは元気が炸裂している方がいい・・・はず・・・(^-^;)。
2005年03月17日
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東京時代の友達、Sさん一家がゴールデンウィークに遊びに来てくれることになりました!Sさん一家とは、おうさまの水泳教室を通じて知り合ったのですが、お嬢ちゃんのSちゃん(苗字と同じイニシャルだな)は、言ってみればおうさまの初ガールフレンド♪Sちゃんパパ、ママ共に、芸術系&クリエイティブ系の入った、それぞれの分野で爆裂しているとっても楽しいご一家なのです。8日間の滞在ですが、おうさま家以外にも泊まりたいとの事で、現在滞在先を検討中。どんな所に一緒に行こうかなといろいろ考えている所です。ただ、S夫人は、以前インドに旅行に行きハマッタ~というコアなトラベラーであり、なんとその時にガンジス川で泳いだと言うのです。「え~っ!なんで?そんなことして、大丈夫だったの?」「いや、みんな泳いでいたし。服のままザバザバと川に入って、泳いだんだよ~。気持ちよかったぁ。」「・・・」ガンジス川遊泳と同等、それ以上にインパクトのある観光(?)となると、韓国で何ができるでしょうか?頭を振り絞っているのですが、今のところあかすり(個室などではなくて集団部屋の)以外に思いつかないのです。おうさまのぱぱ曰く、「郊外にあるという戦争記念館(?)はどう?ほら、ろう人形で日本兵の残虐行為をつぶさに再現しているというところ。」う~ん、確かにインパクトありですが、インパクトの種類が違う・・・。
2005年03月13日
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先日のおうさまのぱぱとの会話。「日本と韓国って、いつか仲良くなれると思う?」(すかさず)「そりゃ、なれるよ!」「えっ、そんな簡単に。何年かかるのよ。50年とか?」「そんなにはかからない。そのうちロシアが攻め込んできて、けんかしている場合じゃなくなるから。いやでも仲良くなるよ。」「・・・」「あの島のことだって、こうすればいいんだよ。日本が、『わかった、独島は韓国領です。それは認めます。それで、あの島を日本が買い取りたい。いくらで売りますか?』と言う。それで、あとは値段の交渉をすればいいだけだよ。日本はお金もちなんだから。」「・・・」実際にアメリカはルイジアナやらアラスカやら、領土を「購入」して拡大したという歴史があります。だけど、実はテキサスはメキシコと実質的に戦争して一旦独立させ、その上でアメリカに併合したという、なんだかうさんくさいいきさつもあったらしい。独島(竹島)を買い取るとしたら、いくらくらいになるんでしょうか。実はなかなか建設的なアイデアかもしれません(汗)。
2005年03月11日
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いきなりですが、おうさまのぱぱはかなり変な人です。知り合った頃は、アメリカ人なんだから変なんだと思っていたのですが、アメリカ人としても結構変わった人だということが他の人からの話で徐々に判明してきました。どういうところがどう変かという各論はさておき、今日はこれまでにもらったプレゼントを紹介したいと思います。プレゼント1.付き合い始めて初めての誕生日にもらったもの鼓膜など耳の中を観察するための医療器具包みを開けて、なんじゃこりゃ?と思った。「なにこれ?」と聞くと、うれしそうに説明してくれましたが、乾電池を入れて、耳の穴の大きさに合わせて3種類のじょうごのようなアタッチメントから選び、スイッチを入れて明かりをつけて耳の中を観察します。おうさまのぱぱの耳の中を見てみると、なるほど内部に生えている毛や、白くてつやつやした鼓膜が良く見えます。「君は物を観察するのが好きだからね。ドイツ製で、わざわざ通信販売で取り寄せたんだよ。」当時は恋愛も盛り上がっていた頃なので、特に疑問にも思わず「ありがとう!」と受け取りました。プレゼント2.初めてのクリスマスプレゼントライフル銃(本物だよ)、狙いをつけるためのスコープつき結婚する前のクリスマス、初めて彼の家族を訪ねるためにアメリカに行きました。出発前から決めていて、「ライフルを買ってあげるからね。」と妙にうきうきした様子の彼。アメリカ到着後早速中古の拳銃店を回って、「どれがいい?」と聞かれましたが私としてはさっぱりわかりません。結局体に合った小さめのものを合計2万円弱で買ってくれました。義両親の家の裏庭に行って、空き缶などの的に向かって撃ってみました。まあ楽しいと言えば楽しいですが、別にねえ。そんなに興奮するほどのことでもない。おうさまのぱぱ所有のなんたらマグナムという拳銃も撃たせてもらいましたが、これは反動がすごくて、一発撃つと太い輪ゴムで手をはじかれたように、すごく痛いです。結局私のライフルは日本に持ち帰れるわけもなく、義両親の家のどこかにしまってもらったままになっています。プレゼント3.結婚後初めての誕生日望遠鏡、結構大きいアメリカで最初に住んだのはカンザスシティの郊外のアパートでしたが、窓の外を小川が流れていて、ビーバーやらムスクラット(小型のビーバーのような動物)、水鳥がよく訪れていました。居間に望遠鏡を設置してしばらく眺めたりしましたが、邪魔になってきたので結局しまいました。東京ではなかなか眺めの良いアパートに住んだのですが、この望遠鏡で外を見ると、2キロくらい離れたビルの2階にある喫茶店内の様子が手に取るように見え、これはちょっとやばいなと思って結局しまいました。このプレゼントの後は何もプレゼントらしいものはもらったことがありません。先日そういえばプレゼントしばらくもらってないなと思って聞いてみたところ、「日本に引っ越してから、どこに行けばあげたいものが買えるのか、わからなくなったから・・・」という苦しい言い訳をしていました。東京ですから手に入らないものはないと思うけど、わからない以外に値段が高いのもあったのでしょう。だったら、耳の穴をのぞく器具のような気の効いた素敵なプレゼントでなくてもいいから、花束やら宝石やらケーキやら、どこにでも売ってるでしょう?と言いたい。私たちは年取ってからの結婚だったためか、最初はそれなりに盛り上がった結婚生活も、古女房・古亭主化する速度もかなり早いように感じます。欲しいものは自分で買えってことかしらん。
2005年03月10日
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世界で一番交通事故の多い町ソウル。この町での運転は、私の想像をはるかに超えてとてもとてもストレスフルなものでした。町の中心に流れる漢江にかかる橋が混むとは聞いていたのですが、私の印象では空いている道路なんてどこにもありません。日曜日の午前や夜中などを除いて、高速道路・一般道路を問わず、どこも混んでいるように思います。渋滞以上にストレスの元となるのが運転マナーです。混雑しているからなのでしょうか、2車線ある道路であればいつの間にか3車線が形成され、右からも左からも隙あらば(隙がなくても)突っ込んできます。おかしいのが、割り込もうとしている車を入れようと止まっても、いつまでも入ってこないことが多いのです。突っ込まれてもそのままひょいとかわして前進を続けるのがお決まりなのか、「えっ?」と言う感じでその車が戸惑っているのが良くわかりおかしくもあります。話はちょっとそれますが、韓国の車は窓ガラスを真っ黒にティントしている(なんというのでしょうか?)車がほとんどです。日本でも後ろ座席のガラスは「プライヴァシーウィンドウ」とかいってちょっと黒くしている車が多いですが、こちらではなんと横はおろか前面のガラスまで真っ黒、という車がたくさんいます。運転手の存在さえ外からはうかがえません。運転しているのが女性なのか男性なのか、それさえも見えないのです。別に暴走族とかそういう特別な車ではなく、一般の普通に走っている車がそうなのです。あまりにも黒くしているので、屋内駐車場では窓ガラスを開けないと外が見えない車を何台も見かけました。同じアパートで全ての窓ガラスが無色で中も良く見える車は、外国人が乗っている車のみです。私だったら他の運転手の表情やジェスチャーを見て判断したいし、私のことも見てもらいたいです。そういう運転中のコミュニケーションも大切ではないかと。だけどソウルではそれは限りなく不可能に近いです。あんなに窓を黒くして、いったい何を隠そうとしているのか?韓国語の先生に質問すると、「どうしてなんでしょう?本当は違法なんですけどね。」とのことです。おうさまのぱぱの推測によると、運転マナーがあまりにも悪いので、誰が運転しているか見られたくないのではないかと言っています。ソウルを訪れる方がいらっしゃいましたら、ぜひチェックしてみてください。先日運転中にバスが思い切り割り込みしてきたので、思わず写真に撮りました。もちろん信号待ち停車中の撮影です(以前日本でちょっと痛い目にあったことあり)。左側2車線が左折用レーンで私は左から2列目のレーンにいるのですが、割り込みだらけで車がまっすぐに並んでいないでしょう?それで、私は車線からはみ出さないように並んだら、すかさずバスが右側から割り込んできたわけです。このように左折用レーンがちょっと詰まっていると、左折したい車でもどんどんその右側の車線を走って前のほうに来て、そこから割り込むわけです。そうすると3列目で直進したい車はブロックされて右側に避けようとする結果道路は大混乱して、ちっとも前に進まなくなり、結果的にちゃんとした車線に並ぶよりも時間がかかってしまうように思うのですが。ちょっとでも前に出たいというわけです。バスの場合は公共の乗り物なのだから、きっと優先権が与えられているのではないかと思います。こうなったら潔く入ってもらうしかありません。先日もすごい角度&すごい勢いで割り込もうとアプローチしてくるバスがいたので仕方なく止まって入れてあげたら、なんとおうさまのスクールバスでした(-_-;)。車の運転は好きなほうなのですが、ソウルに住んでいる間に嫌いになってしまいそうです(T-T)。
2005年03月08日
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韓国に来てから知り合った人で、ご主人韓国、奥さん香港というカップルがいます。この若夫婦、絵に描いたような美男・美女で、初めて話をした時、「すごく美しいお二人ですね!」なんてとっても厚かましいおばさん発言をした私。昔だったらこんなことは言わなかったと思うのですが、この頃は「いいな!」と思ったことは結構ストレートに相手に伝えるようになってしまった(^-^;)。ご主人のほうは余裕で「Thank you!」と笑っていました。ご主人はがっちりとした背の高い男性で、いかにも男らしい韓国人男性といった感じ。俳優にしてもいいような男前ぶりです。そして奥さんのほうは、肌が透き通るように美しく、そこはかとなく漂うはかなさがなんともおばさんの心をくすぐる、清楚な感じの超美人。この人も女優にしてもいいような感じ。どうやって知り合ったんですか?と聞いてみました。「基本的にはアメリカの大学で知り合ったんです。詳しく言うと、1回目はボクの夢の中で出会いました。そして2回目に、キャンパスで出会ったんです。」ひゃ~っ、なんというロマンチックなお話でしょう(*^-^*)。よく韓国人男性はロマンチストと聞きますが、まさしくその通り。彼は4歳の時にアメリカに引越し、ずっとアメリカで育ったのだそうです。現在は韓国の軍隊で兵役2年目との事。「あれっ、アメリカの市民権を持っているのではないのですか?」「ええ、兵役の義務を果たすことができるように、わざと韓国籍の方を残したのです。」「本当ですか?それはまたどうして?」「韓国人の男として、そうするのが正しいことのように思ったからです。」「なるほど。確かにアメリカ人にはなろうと思えばいつでもなれますもんね。」「その通りです。」こんな人もいるんだな、としみじみ感動しました。巷では苦しい兵役を逃れるためにいろいろな手段を使うケースがあると聞きます。人気のある芸能人の違法な兵役逃れが露見したというニュースもまだ記憶に新しいところです。町を歩いていても、迷彩色の軍服を身に着けた兵士を良く見かけます。最初はぎょっとしたものですが、最近はすっかり慣れて違和感なく眺められるようになりました。数人の兵役経験者にどうでしたか?と聞くと、もれなく「あれは辛かった、大変だった。」という返事が返ってきます。韓国人男性が一般的に男らしいと言われる要因のひとつに兵役の義務があげられるようですが、こんな話を聞くと、なるほどな、と納得するのでした。
2005年03月07日
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5.17.25.3いきなり並べた3つの数字ですが、いったい何だとお思いになりますか?実はこれらは、昨年末に購入して以来の私の車の燃費です。もちろん単位はkm/リットル。すごいでしょう?満タンにして、160kmくらいしか走りません(T-T)。初めて計算した時には、唖然としてしまいました。ガソリンタンクに穴でもあいているのか?本気で疑いましたよ。東京時代に乗っていた3リットルエンジンのハイパワーワゴンでももうちょっと燃費はよかった。あまりの数字に、知り合いみんなに言って回りました。「ねえ、ちょっと聞いてくださいよ。1.5リットルエンジンの小型車の燃費が、たったの5なんですよ!」「それはあなたの運転のしかたが悪いんでしょう?」自慢ではありませんが、私の運転態度はふにゃふにゃの骨なし運転、別に低燃費を目指しているわけではありませんが、無駄にアクセルを踏み込んで車線をめまぐるしく変更するおうさまのぱぱとは全く違います。確かにここぞという時に踏み込んで合流したり車線変更したりできるよう、いつもパワーに余裕がある車を選ぶよう心がけてはいますが、普段は至ってマイルドな運転態度(のつもり)です。宮崎に行った時にレンタカーしたホンダフィットは、おうさまのぱぱの好戦的な運転でも15km/リットルでした。もちろん高速道路での快適長距離運転だったのだから、ソウルで、しかも普段は丘を下って上がる、そればかりやっているのと単純比較はできません。それにしても・・・。今日おうさまをバス停まで迎えに行った時給油の警告灯がついたので、ガソリンを入れにいきました。今回は、先週末に仁川空港までおうさまのぱぱを迎えに行ったので、初めての長距離連続ドライブを経験しました。すると、普段は満タンのガソリンで170キロくらいしか走らないのに、今回はなんと300キロを突破!給油のレシートの情報を書き出して見ます。給油量 35.398リットルガソリン単価 1,469 ウォン1.469 x 35.398 = 52,000 ウォン走行距離 301.1 kmを給油量で割ると・・・なんと!8.5km/リットルとなりました!わ~ぱちぱち(-_-;)(-_-;)(-_-;)!なんとも低次元の喜びに自分でもいやになりました。韓国は日本よりもガソリンがかなーり高いです。日本円にして147円/リットル。韓国のガソリンスタンドは日本のと大体同じで、お兄さんが誘導・給油してくれます。「満タン」という言葉も同じ。唯一不満なのが、私の車の給油口が右側にあるので(運転席は左側)、絶対に左側に来てくれなくて、右側のドアの外で対応されることです。どこのガソリンスタンドに行っても同じ。小型車といえども、私の短い腕では運転席の反対側のドアを開けるのも一苦労です。一応エンジンは切るようにしているので、窓だって開きません。それともみんなエンジンはかけたままで給油してもらうのかな?こんど観察してみよう。給油するとたいていもらえるのがティッシュペーパー。韓国のポケットティッシュです。左が韓国のポケットティッシュ、右が日本のものです。お店で売っているものも、このような大きさ。日本のような小さいものを探したのですが、今のところ見つかっていません。皆さんこんなに大きいのをバッグに入れて持ち歩いているようです。風邪やアレルギーで大量に必要な時にでも持ち歩こうかな。
2005年03月04日
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先日おうさまと二人で家で食事をしている時、突然スパゲティにのったミートボールを指して「これはキックしてもいいんだよね?」と言いました。「えっ?」と思っていると、おうさま本人はにやにやしながらこちらの様子を伺っています。「ボールなんだから、キックしていいよね?」とまたまた畳み掛けるように。その時になって初めて、ああこの子は冗談を言っている(つもり)なんだな、とわかりました。「どうやってキックするのよ~?!」と突っ込むと、「えへへ」と笑っています。そしてその夜姿が見えないなと思うと、トイレから「おかあさ~ん、こっちに来て~」と呼ぶ声がします。まだ「大」の時に自分できれいに拭けないので、私を呼ぶことになっているのですが、行ってみるとトイレのカバーを背中に倒すようにしながら、「カメみたいでしょ~」と言います。「ほんとだ!」というと、満足そうにしていました。面白いか面白くないかはさておいても、この子はこれまでにあまり冗談なんて言ったことがなかったので、とても新鮮でした。クラスメイトと比べてかなり幼い感じのおうさまですが、彼なりに成長しているのだなとうれしくなったできごとでした。
2005年03月02日
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ちょうど一年前の昨日は、おうさまと私が初めて韓国を訪れた日です。2月28日の夜遅くホテルに着いておうさまのぱぱと合流したのをはっきりと覚えています。あの時は、韓国に関してわずかな知識しかなく、正直言ってとても怖かった。韓国といえば、まず思い浮かべるのは「反日」「抗日」ということです。あんなに日本人が嫌われている場所に日本人である自分が住むなんて考えられないと思っていました。出発前には、おうさまとたった二人で仁川空港に降り立ち、自力で高速バスに乗っておうさまのぱぱが仕事で既に滞在していたロッテワールドホテルに向かうことを考えただけで、胃が痛くなるほど緊張していました。初めてだというのにおうさまのぱぱは大丈夫だからと言って迎えに来てくれないし。私が韓国語がわからない外国人であることは、すぐに周囲の人の知るところとなるはず。まず恐れたのは、バスで降りる所がわからず、知らない所に(わざと)降ろされて、おうさまと二人路頭に迷うのではないか。日本人だとわかると、ホテルの人だって口もきいてもらえないのではないか。本気でそんなことを心配していました。実際には、東京駅で偶然エレベーターに乗り合わせた韓国人ビジネスマン二人がとても親切にしてくださり、バス乗り場まで連れて行ってもらったりして、とてもラッキーな旅の始まりでした。バス乗り場でも、日本(横須賀だったかな?)に住んでいると言う韓国人青年に話しかけられ、私の不安は徐々に消えていきました。ホテルも快適で立派で、朝食のビュッフェもとてもおいしかった(やはり食べ物は大事)。このようにソウルの第一印象は、とても良いものになりました。実際生活してみると、いろいろ不便なこともあり、やはりドラマの世界とは大いに違うと実感しています。だけど、日本人だからということで不愉快な目に会ったことは、今までの所一度もありません。むしろ親切にしてくださることが多いように思います。だけど、タクシーに乗っている時、ラジオで「イルボン」という言葉を聞き取る度に、また神社参拝とかだれかの発言で韓国の人が怒っているのではないか、運転手さんがくるっと後ろを向いて、怒鳴り始めるのではないかとか思ってしまいます。また、韓国のメディアで日本への批判や例えば「植民地時代に強制連行された人の聞き取り調査を始めた」というような記事を目にするたびに、胃の中に小石がどんどん投げ込まれているような、自分の体が目に見えない柔らかい鎖でぐるぐる巻きにされていくような、そんな気がするのです。こういった目に見えないプレッシャーによって、韓国での生活が苦しいなと感じることが時々あります。今メディアでかなり大きく取り上げられているように、竹島・独島問題や戦後補償の問題、歴史のこと・・・日韓両国間にはさまざまな問題が解決されないままでたくさん残っています。今日3・1節は韓国の祝日です。「1910年、日本の植民地となり、日本人による不埒な行為により心身ともに苦痛を受ける中、1913年3月1日、パゴタ公園にて一学生による独立宣言書朗読により 日本政府に対する抵抗と反日感情は爆発しこの万歳運動は全国218ヶ軍中211ヶ軍にて行われた。」 ソウル日本人会HPよりこの独立運動は結局失敗に終わり、日本によって鎮圧されてしまうわけですが、この日を愛国的観点から国民の祝日とし、国旗を掲げて記念するのです。昨日から町のあちこちで韓国の国旗が見かけられています。イベントも色々あり、日本の国旗もずいぶんな数が焼かれるそうです。様々な問題が残されている中で、正直な所韓国に住む日本人には身の置き場に困るような記念日であります。竹島・独島問題については、今回いろいろな情報をネットで見てみたのですが、一応どちらの言い分にも一理あるように感じます。土地の所有問題は、個人間でもめることも多く、お互いが自分の主張を言い合っている間は解決しません。やはりここは国際法廷の場に持っていくのが妥当だと思うのですが、韓国としては、当然ウリナラ(わが国)の土地なんだから、そんな場所で争うまでもないというのが理由らしいですが、法廷では日本に有利になってしまう可能性もあるから、との噂もあります。現在竹島には韓国の兵が常駐し、韓国が島を使っているという事実を積み上げていこうとしているそうです。おうさまのぱぱともこの問題について話し合いました。おうさまのぱぱはアメリカ人ですが、一応日本人の妻を持っているからどちらかというと日本びいきに傾いていると言えます。ただ、第二次世界大戦で日本に敵対した国ですから、戦争関係については結構日本に対してシビアな意見だったりします。「結局どっちの国の所有だと思う?」「確かにややこしいことになっているけど、どちらかというと韓国のものという印象がわずかに勝っているかな。」「そう?だけど職場でこの問題を持ち出して、火に油を注ぐようなことはしないでよね。」議論好きなおうさまのぱぱは、やっぱりみんなに聞いてみたそうです(-_-;)。ちなみに彼を除いては全員韓国人の職場です。「それで、何て言ってた?やっぱりみんな熱くなって日本に対する文句を言った?」「それがさあ、誰も何も言わないんだよ。関心がないって。韓国の新聞の言っていることは、うそや誇張が多すぎて信用できないって言うんだよ。僕がいちばん関心があるような状態だった。みんな仕事が忙しいし、あの島には工場も何もないわけだから・・・」「?!」なんだか拍子抜けしてしまいました。もちろんみんな独島は韓国領と思ってはおられることでしょう。だけど、日本大使館の前で抗議のデモ・座り込みとか、自動車を焼いたとか、焼身自殺をしようとした人が警官に取り押さえられたとか、そういうことを聞いていたので、にわかには信じがたい話でした。きっとちょっとお酒でも入れば議論も盛り上がる(!)のでしょうか?それとも、彼の妻が日本人だから遠慮している?韓国の人はそういう遠慮のし方はしないようなきがするんだけど。韓国のメジャーな新聞の記事をネットで見ても、ゴシップ誌と見まごうばかりの、あまりにも扇情的な言葉遣い・表現で日本を批判しているので、正直言って辟易としてしまうことはあります。また、デモなどをしている様子の写真を見ると、どうしてそこまで感情的になるの?日の丸に噛み付いたり(本当にです)焼いたりして何の問題が解決するの?と滑稽に思えることもあります。確かに植民地時代には日本人は韓国の人にいやな思いをたくさんさせたことと思います。悔しくて悔しくて歯軋りしてもし足りない気持ちになられたことでしょう。私だって、「あなたは今日からアメリカ風の名前を名乗りなさい。そうですね、ナンシー・スミスがいいんじゃないの?」と言われたらすごくいやです。英会話教室でアメリカ風の変なニックネームをつけられるのでさえ、とてもいやな気持ちがして、自分からは決してその名前を名乗ることはしませんでした。ただ、あの当時は植民地支配や人種・民族の差別は当然のように世界的で行われていました。だからといって差別を正当化するつもりは全くありませんが、ただ、軍事的に優勢な国が他国に攻め入ることは、昔の時代には普通だったのではないかと思うのです。だけど現代は違います。どんな人間であれ、ひとりひとりの人権が尊重されるべきだという考えが、世界的に主流になっていると思います。もちろん現在差別がこの世に存在しないということではありませんが、かつてイラクがクウェートに攻め入ったように、ただそうする力があるからという理由だけで他国を侵略することは、世界的に許されることではないという風潮になっていると思うのです。そして、日本も少なくともそのような立場に立っていると私は信じたい。じゃあアメリカがイラクを攻撃したのは、あれはなに?と言われると、返す言葉がないのですが・・・。私のアメリカに対する評価は、イラク戦争以来下降線をたどるばかりです・・・。長々ととりとめもなく文章を書いてしまいましたが、どうかどうか韓国には終戦前の日本のことを許してほしいです。国民性の違い、文化の違い、感情表現の違いなど、隣にありながらこんなにも違う二つの国。一旦感情的にこじれてしまった関係を修復するのは並大抵の努力では実現しないでしょう。そのためには、日本も信用してもらえるような事実を根気良く積み重ね、そして韓国には極限まで高まった感情を少し冷まして、どうすれば問題が解決するのかを現実的に模索していって欲しいです。2005年の3・1節に珍しくまじめなことを考えてみたおうさまのままでした。
2005年03月01日
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