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深迂

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2008/06/25
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カテゴリ: 小旅

ウィーン市内、先輩を走り回させてしまった 翌日の土曜。未だ夕方だと言うのに全細胞が解け落ちてしまいそうなので、意を決して友人Sの家に電話を入れた。すると、彼女の奥さんの I さんが電話口に出た。

「こんなに疲れが出るとは思わなかったの。明朝のハイキングは無理だわ。ごめんなさい。」

「それじゃ、今から直ぐに就寝してゆっくり休息取ってね。筋肉痛の最大の薬は動く事よ。貴女の為に簡単なハイキングコースを選んだんだから、一晩寝れば絶対大丈夫!それでキャンセルって言うのは通用しないわよ。」

後ろで友人Sの呟きが聞こえる。その日の朝、彼女が私にハイキングの話を持ち掛けた時は、一緒に行けたら嬉しいけど、無理しないでね…と、何時もの彼女らしい距離の置き方で私の気を却ってそそったのだった。何故 I さんが頑固に譲ろうとしないのか、友人は知って居るのだろうか?

4月の始め、その友人と二人でお茶に出掛ける約束を、私が一度キャンセルした事があった。確かに丁度その時も対膀胱炎の抗生物質で、かなり体調を崩していたのだが、一番の理由は自らの中にある、分析不可能で怖い、血脈の動きだった。夫も彼女に対する嫉妬を格別隠すつもりも無いらしく、取り敢えずそれを私の中で公な理由として置いた。

校内で会う度、碧味掛かったグレーの目をひたとこちらの目に据え、「未だ残ってる約束あるわよね」と言われ、「その内4人で会いましょうよ」と逃げて来た。偶然 I さんだけに会った時は、その約束の事等忘れ掛けて居たのだが、「何時あなた達会う約束したの?」といきなり訊かれて、これは本当に4人で早く会わなければ…と思ったのだった。

珍しく8時間も眠り続けた。太陽のほんの一筋の熱が地平線を越えると、私の体は目覚めてしまう。昨夜の疲れは探しても見付からず、支度を整え、ベーコンと目玉焼きで夫をベッドから誘導し、約束の時間に私達は彼女達と落ち合う事が出来た。

友人Sも私も、高所に弱い。I さんは7つの時にマッキンリーに登った様な人で、険しい山岳は幾つあっても足りない。友人は彼女に合わせて良く登山をする様になったらしいが、コンクリートしか知らないで育った私は「ハイキング」と言われても「山登り」になる覚悟をしなければならない。そんな私の為に国境パッサウに近いドナウ河付近のRanna谷内の「遠足」コースが選ばれた。

rannatalweg.jpg

ドナウ観覧船停泊所Niederrannaの向かい側北東の空き地に車を停め、心地良い日陰で守る森の中にと歩を進める。その散歩道に沿うRanna川は時折、奥入瀬の様な顔も見せるのだが、何せ I さんと夫の歩調が速くて追い付くので精一杯。時折「ごめんー」と謝りながら携帯電話でこそこそ写真を撮った。自然、私と友人が並んで歩く事になる。何を話したら良いのか分からないので、私はのべつ幕無く片っ端から頭中の引き出しを開けてはキーワードを抜き取る。

「あ!茶色の蛙が!」と私。

「えっ!」と友人。

此処で蛙が私の足元を跳んでくれたので、更に開ける引き出しを探す迄一息入れる事が出来た。

「あ!此処にも!」と友人。

ふと気が付くと、夫と I さんの姿が見えなくなる程遠くなっている。I さんは薬学士、夫は物質科学者、頭の構造も分野も似ている所為か、話に夢中になっている様子。

茶蛙のお陰で、頭中連続引き出し漁りが急停止した。私は自分のペースで、周りの草花や光、川の音と共に歩ける様になった。

「あ!野苺!」と私。

「どれどれ…」と友人。

wilderdbeere.jpg

私達二人は、前を闊歩する二人も忘れてしゃがみ込み、 野苺 を一つ一つ口に含んで楽しんだ。暫くしてから前方の二人も気が付いたらしく、戻って来て苺狩に参加した。

それにしても、日曜の午前だと言うのに誰ともすれ違わない。赤ちゃんでも歩ける様なこんな散歩道だから、子供連れ等で賑うかも知れないと言う懸念は全く無駄だった。

rannatalweg1.jpg

I さんと殆ど話す機会が無かったので、こちらから話し掛けてみた。ジギタリスは猛毒植物なのだが、ほんの微量なら強心剤になる事を教えて下さった。それって、この世にも微量な毒が活性剤として絶えないのに似ているわね…と私が小哲学を捏ね始めた途端に、友人Sの傍へと離れて行ってしまった。

いきなり道が細く険しくなったが、一応ロープの手摺もあったのですいすいと登れた。登り切るといきなり開けた視界…Rannatal貯水湖である。今年8月の21日に、このダムの水を工事の為に全て流してしまうので、今歩いて来た散歩道はその下に沈んでしまう寸法になる。

stausee.jpg

此処は、ドナウ河の水面より低いらしい。その高低差を利用して1923年には簡易発電所が設置されて居たと言う。第二次大戦後の復旧に要する電気需要に対応すべく大工事が行われて 今の形 となった。水深が低過ぎる時の為に、予備にドナウ河から水を汲み下ろす事も出来るそうだ。ここから辿る帰り道は、川沿いでは無いコースで、その道沿いにドナウ河から340メートルにも渡って繋がれた水道管のお供をする形になる。この水道管は1925年当時の物がそのまま使用されている。歩いていると、耳の高さで水の音がするので不思議だった。 

森がふと終わる。鄙びた町の入り口に大きなお城があったので入ってみる。

schloss_altenhof.jpg


この、辺鄙な町Hofkirchen im M?hlkreisにいきなり豪華で手入れの行き届いた城があるのは唐突な感じがする。 城内 では翌日、 ラン・ラン を招いて演奏会があるらしい。小さな礼拝所もあり、結婚式等の催しも多々行われる様である。煎られる胡麻の気持ちが察せられる様な日差しの中、健気に背筋を伸ばしている紫陽花を見付けた。

hortensien.jpg

この町に一軒だけ開けていた店には足取りも不確かでは無い男性軍が陣取り、細腕ならぬ太腕・厚顔のアジア人女性が彼等を適当にあしらって居た。早々に私達は又、森の中に入り進むと、いきなり森の奥から先程の城の前身である城墟が現れた。こちらは、そのまま廃墟として放置されている。

Falkenstein家が建てた城で、我国で言う崇徳天皇治世の頃に、その城に就いて初の言及がなされたとある。ドナウ河沿岸の開発に力を入れて勢力を伸ばし続けたこの家は代々、16世紀迄城の拡大を続けたが1571年に全焼。織田信長が足利義昭に殿中御掟を突き付けた翌年だと言われれば、ああ成程とも思うのだが、こちらの歴史は背景が全く見えて来ないのが悲しい。そのまま日本史に照らせば、勝海舟、福沢諭吉にジョン万次郎の乗った咸臨丸が太平洋横断した幕末の1860年に完全に城は朽ち、その当時の城主Salburg-Falkenstein伯爵が、先に見たAltenhof城を新しく建て移住したらしい。今でもAltenhof城主はSalburg家であると言うから、かなり長い年月を生き延びた一族である。

burgruine_falkenstein.jpg

お腹が空いた…と友人がこぼした。歴史が得意な面でも夫と意気投合している I さんも、今迄の闊歩とは裏腹に説明版の前で釘付けになっている。今度は私達二人が先導する形になった。この友人の空腹状態と言うのを初めて見た。限りなく無口になってしまうのが、妙に可愛かった。

やっとスタート地点に到着、発進して間もなく見つけた レストランGasthof Draxler 。ドナウ河遊覧船停泊所を見下ろすテラスがあり、眺めに負けない程とびきり美味しい料理が迅速に運ばれて来た。友人は黙々と食べた後、やっと無口から解き放たれた様だった。バスに似た Zanderと言う魚 は高価で、大抵は12ユーロを軽く越えるものだが、此処ではバターの味もしつこくなく、焼具合が絶妙で9.8ユーロ。3時間これと言った休憩もせずに歩き続けた後のたっぷり昼食に皆、頭の血が全て胃に流れ込んでしまったかの様…。

schiffstation.jpg

長い間お預けにしていた約束も果たしたのだが、友人と本当に何か腹を割って話せたと言う想いは残らなかった。それを望んだのも自分なのだが…。

Rannatalweg

野苺 :ワイルド・ストロベリー

 これは後から調べて分かったのですが、これは昔から薬草として重宝がられたのだそうです。因みにその効能を列挙すると下痢、貧血、焦燥感、貧血、肝臓・胆嚢の痛み 、痔、床虱、喘息、月経痛、痛風…。分類学の父カール・フォン・リンネは、このワイルド・ストロベリーの葉茶と実を飲食して、痛風を完全に克服したそうです。






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Last updated  2008/06/26 09:16:14 PM
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