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ドラフト会議が29日、昨日だった。 注目は花巻の天才球児で、菊池雄星投手だ。メジャーからも注目された本格派の速球投手だ。将来の渇望される大物でも少年だ。少年は天才であるがゆえに大人社会のルールにはめ込まれる。くじ引きのドラフトは、運が左右する両方にとって理不尽なルールに違いない。しかし、ルールがなければ成り立たないから、プロ野球界で生きるには、従うしかない。メジャーへの選択肢をあえて捨てての日本球界入りは、本人の意思だという。それにしても、高校生でも凄い社会意識を持っている。自分の将来を決めて堂々の日本球界入り宣言に、どこの球団でも言いと言う度胸のよさもあった。巨人以外にはいかないなどでは白けるが、プロ野球でやる以上は何処の球団でも頑張るが最高の言葉だろう。ドラフトでは西武、阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムの6球団が1位指名で、籤運のよかったのは西武渡辺監督だった。早くも西部入りが決まったかのようで、胴上げもあって、早くも西武の一員だ。記者会見の菊池少年は、喜びを噛み締めて、言葉はつまり気味だったが、きっと大投手となり、誰からも愛され応援される投手になると思う。 紀南地方からもドラフト指名選手誕生だ。 この地方にとっては歴史的な快挙で、巨人の2位指名であった。巨人に2位指名されたのは、近大高専3年の鬼屋敷正人捕手だ。紀南地方の紀宝町、三重県の最南端、和歌山県との県境の紀宝町の出身である。熊野市、近大高専での記者会見で、喜びの声を上げ、将来の抱負を語った。近大熊野高専は熊野市からの撤退が決まっている。そんな中での嬉しいニュースであった。近大熊野高専にとっても、この地方の人々にとっても、この上ない喜びである。少々的外れな表現をすると、久々に輝く喜びの光で、子供達にとっては、まさに夢だ。 鬼屋敷と書いて、「きやしき」と読む。鬼屋敷捕手である。この地方は鬼の付くせいが多い。鬼は強い。強さの象徴で勇者のことだ。鬼に金棒と言う言葉があるが、強肩の鬼屋敷君がバットで活躍すると、まさに鬼に金棒だ。日本シリーズや交流戦での西武菊池雄星投手との対決が楽しみだ。「一軍で40歳まで活躍できるような選手になりたい」と言う鬼屋敷捕手は、身長1メートル80、体重82キロ、右投げ右打ちの大型捕手だ。捕手の評価同様に、打撃センスも評価されているというから、菊池雄星投手との対決が待ち遠しい。 熊野市の近大高専で胴上げの祝福を受けて、 もう巨人軍選手の気分である。
2009.10.30
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ああ、民主党政権、ああ、民主党政権、まだ、まだ、国民とのハネムーン期間で、多くの国民は黙ってみていると思うが、それでも、総理大臣も、閣僚も、それぞれ、別々の発言では、国民は少々呆れ気味だ。勿論、まだ、ハネムーン期間だ。そして、さすが民主党、さすが友愛精神、やっぱり政権交代は必要だったと、思うことになるかもしれないが、それにしても、沖縄普天間基地の移設問題は少々行き過ぎのような気もする。 防衛大臣は、「県外移設で空中給油機の岩国基地への移動、国外移設でグアムへの海兵隊移動があった。残った機能を辺野古沖へ移動する」のは、民主党のマニフェストに違うものではない」と、面白い解釈をして見せた。これまでの日米合意を守り、民主党のマニフェストも守る素晴らしい解釈である。そして、普天間基地の辺野古沖への移設の現行案を容認するというわけである。三方が丸く収まるというような、見事な解釈である。 防衛大臣発言に対して、外務大臣は、「論理に無理がある」と言う。そして、「嘉手納基地への統合案をアメリカ側と話す」と言う。その外務大臣発言も少々無理がある。そんなことをしたら嘉手納基地が機能不全になると評論家は笑い、軍事音痴だと笑う。面白い話には違いないが、軍事音痴だと笑う。そして、防衛大臣は「普天間飛行場の早期使用禁止と、嘉手納基地の騒音減少の二つは極めて重要」と反論し「嘉手納への統合は困難」と指摘する。 すると首相は、 「防衛大臣の言いたことは分かるが、私は必ずしもそのようには思っていない」と、けんもほろろに言う。「色々な角度から検証を始めたばかりだ。様々な選択肢を検討しながら、時間をかけて結論を出したい」と、のんびり構えている風だ。 防衛大臣、外務大臣、首相と、違った発言では、遂に、沖縄県知事が苦言だ。「沖縄は今の内閣や大臣の庭ではない。あっちだ、こっちだといわれても困る」と言い、「言葉を代えて、解決できる問題ではない」と、怒りをあらわにした。 さて、さて、何がどうなって、何がどうなるのか、分からない。沖縄県知事の言うように、言葉を代え、表現を変えて解決できる問題ではない。日米政府の合意事項だ。今更、ひっくり返らないと思うが、何かをしようとしているだろうか、と、苦言も呈したいが、いよいよ始まる国会論戦での答弁が楽しみだ。 防衛大臣、外務大臣、総理大臣と、変化に富んだ答弁がありそうで、国会が楽しみである。それにしても、迷惑をこうむるのは沖縄の住民である。いい加減にして欲しいと、思っている。
2009.10.27
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「あの暑い夏の総選挙の日から、すでに2か月がたとうとしています」と、鳩山首相の所信表明演説は始まった。何と、52分の長い演説だった。 気なる文言を並べてみると、 鳩山内閣は見えてくる分けではないが、 気になる文言を並べてみる。 暇のある人は見てください。 上の夏の日ので出しの後は、 「総選挙において、国民の皆さまは政権交代を選択されました。これは日本に民主主義が定着してから、実質的に初めてのことです」と続く。 「あの夏の総選挙の勝利者は国民一人ひとりです」 私たちが全力を振り絞ってお互いに闘ったあの暑い夏の日々を思い出してください。皆さんが、全国の町や村、街頭や路地裏、山や海、学校や病院で、国民の皆さまから直接聞いた声を思い出してください。今日を、その新たな出発の日としようではありませんか」と、民主党議員に語りかける。 そして、政権交代の役目のは、「戦後行政の大掃除」「組織や事業の大掃除」「中央集権・護送船団方式の法制度を見直し」「地域主権型の法制度」「税金の使い途と予算の編成のあり方」「国民の利益の視点、さらには地球全体の利益の視点」 政権の理念は「コンクリートから人へ」 たとえ話、その一。「一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らのいのちを断つしか途がなかった」 そして、「毎年3万人以上の方々のいのちが、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか」と続く。「政治も行政も鈍感になっている」「異常を正し支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です」「政治は弱者のためにある」「少数の人々の視点が尊重されなければならない」「私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます」「高度経済成長の原動力となったのは、貧困から抜けだし、自らの生活や家族を守り、より安定した暮らしを実現したいという、国民の切実な思いでした」「新しい時代の制度改革を目指します」「子ども手当の創設」「高校の実質無償化」「奨学金の大幅な拡充」「母子加算の復活」「障害者自立支援法廃止」「男女共同参画」「先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するような多文化の共生」 たとえ話、その二は「チョーク工場のお話」「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒みるから就職させてやってください」「養護学校からの採用」 社長はご住職に質問しました。「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」 ご住職はこうおっしゃったそうです。「ものやお金があれば幸せだと思いますか」と言い、続いて、「人間の究極の幸せは四つです。愛されること、ほめられること、役に立つこと、必要とされること。働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです」「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。 このチョーク工場は、従業員のうち7割が「障害」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、ダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです」「障害者も、高齢者も、難病の患者も、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされて幸せを感じる」「新しい絆」「新しい公共の概念」「自立と共生の理念」「居場所と出番を見いだす」「支え合って生きていく日本」「人間のための経済」「経済合理性や経済成長率に偏った評価軸」「支え合いの精神で雇用確保」「子ども手当の創設」「ガソリン税の暫定税率の廃止」「高速道路の原則無料化」「人間のための経済」「低炭素型産業」「緑の産業」「地域主権」「国と地方が対等に協議する場」「日本は、経済だけでなく、環境、平和、文化、科学技術など、多くの面で経験と実力を兼ね備える国」「地球温暖化」「核拡散問題」「東洋と西洋、先進国と途上国、多様な文明の架け橋」 「鳩山イニシアティブ」「先進国と途上国との架け橋」「環境と経済の両立」『チャレンジ25』「被爆国として核廃絶を主張」「争いの海」と「実りの海」「過去の日米合意などの経緯も慎重に検証」「元兵士に対する職業訓練」「警察機能の強化」「いのちと文化」「東アジア共同体構想」「日本は、140年前、明治維新という一大変革を成し遂げた国であります。現在、鳩山内閣が取り組んでいることは、言わば、『無血の平成維新』です」「官僚依存から、国民への大政奉還」「中央集権から地域、現場主権へ、島国から開かれた海洋国家への、国のかたちの変革の試み」「黒船という外圧もなければ、敗戦による焼け野原が眼前に広がるわけでもありません。そのような中で、変革を断行することは、先人の苦労に勝るとも劣らない大きな挑戦であります」「躓くこともあるでしょう。頭を打つこともあるやも知れません。しかし、後世の歴史家から『21世紀の最初の10年が過ぎようとしていたあの時期に、30年後、50年後の日本を見据えた改革が断行された』と評価されるような、強く大きな志を持った政権を目指したいと思っています」 「今なら間に合います」 「これまで量的な成長を追い求めてきた日本が、従来の発想のまま成熟から衰退への路をたどるのか、それとも、新たな志と構想力をもって、成熟の先の新たなる飛躍と充実の路を見いだしていくのか、今、その選択の岐路に立っているのです」 「国民の皆さま、議員の皆さま、私たちの変革の挑戦にお力をお貸しください」「是非とも一緒に、新しい日本をつくっていこうではありませんか」
2009.10.26
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10月も末になり、各地から紅葉の便りが届く。朝夕の冷え込みも厳しくなり、後何分、後何分と、起きるのも伸ばし伸ばしで、ギリギリまで布団を巻きつけている朝が始まった。温暖な気候の紀南地方でも朝夕の冷え込みな身にしみる。それでも、周辺の山には紅葉の色彩は浮かんでいない。一年中変わり映えのしない、常緑針葉樹林の山は、紅葉に染まることはないが、山肌には斑に紅葉模様は浮かび上がる。その斑な紅葉模様もまだ浮かんではいない。各地で今年は早い紅葉を記録しているというが、紀南のこの地方の紅葉はまだ早い。日光や御在所岳の紅葉や京都の名刹の紅葉がテレビ画面に映り、思わず窓を開けて山肌に目をやっても、常緑針葉樹林の山肌には紅葉を関せする変化はない。それでも、車で30分も走った山間部の紅葉の名所七色峡では、紅葉狩りの観光客も多くなり、大台山系でも紅葉は見頃だという。 そんな10月23日金曜日、 熊野市駅前に完成した文化交流センターでは、 夢黄櫨染の奥田祐斎氏の作品展が開かれる。 地元のヨシクマ新聞を参考にして奥田氏の紹介をすると、熊野市木本町出身の染色家で「黄櫨染」を研究し、「夢黄櫨染」として復活させ、世界的に注目される染色家だ。黄櫨染は幻の染物といわれ、1200年前の嵯峨天皇が天皇専用の色彩として禁色に指定した。天皇以外には使ってはならない色である。その「黄櫨染」を復活さた天才染色家が奥田祐斎氏だ。作品展にはルーブル美術権展示作品のほかに、有名芸能人の舞台衣装なども展示される。 昨日の午後三時頃、 文化交流センターの中の図書館から出ると、 奥田氏が展示作業の真っ最中であった。 何人かのスタッフと共に展示作業に勤しむ祐斎氏の側を通り、 展示されたばかりの作品を見ても、 氏は優和笑みで会釈をした。 作業中の展示会場は雑然として、 歩くのにも抜き足差し足で、 邪魔くさい観客である。 asahi.com:color is magic ココロを動かす日本の色から見てみると、「一枚の着物なのに、光の種類が変わるとまったく違う色になる。日本には、そんな不思議な染色技術があります。黄櫨染と呼ばれる染めです。生まれたのは今から1200年ほど前、平安時代前期だといわれています。嵯峨天皇によって、天皇だけが身につけることができる色として定められ、以来歴代天皇の正装である束帯の袍(ほう)、つまり礼服の上衣にだけ使われてきました。 禁色(きんじき)であったため、その技術はもちろん、存在さえもなかなか一般には知られることがなかった黄櫨染ですが、独自に「光で色が変わる染め」をよみがえらせた染師」と言うことになる。 また、あるブログでは、 ・・・祐斎先生に始めてお目にかかったのですが、想像していた通り「仙人」のような透明のオーラを感じました。逆に祐斎先生の中に無邪気な少年も居ましたね(笑)。・・・ 展示作業中の祐斎氏は、作業の邪魔になるのに柔和な笑みを浮かべて会釈した。引き込まれそう笑みには、上のブログのように、少年が居た。まだ、照明もちゃんとしてない展示会場で、その作品は微かな色彩の変化を見せた。黄櫨染の不思議な色彩に惹きつけられた。微かにも漏れている光にさえ反応して変化する色彩は、まさにカラーマジックだ。 更にasahi.comを参考にすると、 黄櫨染は「太陽を宿す染め」だ。奥田氏が「広隆寺で調査中に懐中電灯の光線が金茶色の布に当たったら、その部分だけ真っ赤に変わった」大正天皇が召された黄櫨染で、奥田氏と黄櫨染との出合いだという。黄櫨染のように「色が変わる」美しさは、日本独自の文化、移りゆく自然の色を美しく表現することが、日本の文化の特色のひとつだと、奥田氏の言葉だ。 黄櫨染は天皇が儀式を行う時の装束だった。 「天皇の着物が色が変わた」のは、 政治的宗教的なマジックであった。 温暖な紀南地方は、紅葉の変化は少ないが、常緑針葉樹林の山肌は、殆ど紅葉の変化も感じさせないが、黄櫨染の色彩の変化は、この地方に紅葉の複雑な色彩の変化を届けてくれたようだ。太陽を宿す色彩は、自然の神秘であり、紅葉もまたそうであるような気がする。 展示作業中、邪魔くさい観客は、何度も何度も行ったり来たりしたが、奥田祐斎氏は何度目があっても、柔和な笑みで答えてくれた。 今日、10月23日からが展示が始まる。 カラーマジック、 色彩の変化、 色彩の神秘だ。 そして、道教的な、紀南的な、秦の始皇帝が欲し、 徐福が探しに来た不老不死の天台烏薬染めなど、ロマンがある。 着ければ薬的効果もある夢の染物だ。
2009.10.23
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春夏秋冬、一年を通して祭りは多い。 春夏秋冬東西南北、一年中祭りはある。 春の祭りは春の装いで、 夏の祭りは華やかに豪華に、 秋の祭りは厳かに冷厳に、 冬の祭りは純白に情熱的に、 思いつく祭りの単純な感想だ。 夏祭りは華やかかだ。豪華絢爛で勇壮さを競う大祭も、奇抜さを競う奇祭も、町の辻で繰り広げられる盆祭りまで、夏祭りは華やかである。夏祭りから秋祭りに変わると、華やかさが亡くなり、落ち着いた霊厳さが感じられる。多くの秋祭りを見たわけではないが、秋の祭りは夏祭りとは、違うような気がする。 それにしても、日本全国津々浦々、町や村から、何件か単位の小さな集落まで、氏神様、鎮守の森の小さな神社、全国的な神社の分社まで、夏祭りや秋祭りが行われる神社は多い。八百万の神々が山も川も海も守る。森羅万象に神が宿るのが自然崇拝の国日本である。そんな八百万の神々への感謝や畏怖心が、伝統文化を生み伝統芸能を生み、受け継がれ、未来へと引き継がれる。その伝統の一つが祭りだと、改めて言う必要もないが、地方に住むと、祭りの多さと、祭りを守る人々の働きに感心する。 祭りはその地域の年中行事である。行政など関係ない、地域の行事であり、資金も地域で負担する。地域の人々は多くの時間と労力と資金を提供して、祭りを守り継承する。 そんな思いになったのは、つい先日祭りの行われる町に車で入り込んだからだ。道に迷って入り込んだ通りや、周辺一帯が、電柱や家のかど、店先などに榊が立てられ、神社には大きな幟が立つ、秋祭りの日であった。そして、神社の境内には多くの祭り装飾の人々が集まっていた。祭りはまだ始まってないが、厳かな笛の音も流れ、祭りの雰囲気に包まれていた。通行で目ではないから問題はないが、恐縮して急いでわき道を探した。申し訳ない思いは、祭りの神聖さを認める心だが、改めて言うまでもなく、日本の地方出身者が、持つ共通の心模様だ。信仰心とは関係ないが、信仰心的な自然崇拝的な真摯な心模様である。 神武東征以前からの、古い歴史のあるこの地方は、神話伝説に彩られた古い神社も多く、規模は決して大きくないが、歴史的にも文化的にも貴重な祭りが多い。そんな祭りは、日本を代表するような大きな祭りとは異質の神聖さがあり冷厳さがある。その祭りは、神社のある地域の人々が守っている。多くの祭具の保管管理から、祭りの日程や、祭り執行に必要な人員に、音楽、舞踊の芸能に至るまで、地域の人々が守る。その苦労は大きいだろう。使命感がなければ守れない地域の文化である。 それにしてもと思う。神社には必ず大木がある。大きな神社の大木もさることながら、街の中の小さな神社にも、大木は残る。神社が木を守り、木が神社を守り、神社は多くの人々の尊敬を集め、木は大木とな神木となった。神社が守り育てたのが現在の日本の国土で、神社を大木が守った。大木は神社を守り神木となった。日本全国何処でも、神社のある神域以外には、大木は殆ど存在しない。 祭りの行われる町の路地に入り込んで、 恐縮して、急いでわき道に入り込んだ時の気持ちは、 入ってはならない神域に彷徨い込んだような気持ちだった。 信仰心とは関係なく、 生まれ育った土地の神社への畏敬の念は、 日本人の共通な心模様だ。 そんな思いになる、秋祭りは無事終わった。
2009.10.12
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八ッ場ダムが毎日のようにニュースになる。 八ッ場ダムがどうなるかは現在のところ分からないが、 政治に翻弄される公共工事のダム工事ではなく、 周辺の住民の必要から生まれたダム建設だと、 思うには周辺に多くのダムがありその恩恵を受けているからである。 国土交通省が建設中のダム事業の見直しを続けている。一応に事業費が膨らみ続けている。事業費は合計で2兆円以上膨らみ、約6兆5000億円になっているという。6兆5000億の金額に実感などなるわけない。一般の人間には単なる言葉である。ダムは規模が小さくても、桁違いの費用がかかる。想像以上の事業費になるが、それが幾つも重なっては、一般人には現実味のない金額である。麻生前政権の景気対策に、「一丁二丁と、豆腐屋の大将でもあるまいに」と、国会質疑で、皮肉を言った民主党議員がいたように、一兆とか二兆の金額がポンポンと言われると、豆腐なら分かるがと皮肉も言いたくなる。真実、現実味がない。計画発生から工事まで長い年月を要するダム工事は、物価上昇など、様々な理由があり、工費が膨らむのは必然であり、計画の変更もある。 ダムの恩恵を受けている。近くには多くのダムがある。桜祭りも紅葉がりもダム湖の周辺の公園が主会場だ。山間部に向かって30分車を走らすとダムがある。何度でも強調するが、複数のダムが近くにはある。奈良に向かって走ると、注目のダム大滝ダムがある。強大な橋脚に目を見張りながら通ったのは、大分前の話だ。当初予算からの増加が大きい代表的なダムが大滝ダムだ。230億円の予算が15.8倍の3640億円になったと言う大滝ダムである。大滝ダムは、ダム本体の工事は終了しているが、追加工事が現在も続いている。 さて、紀伊半島には大滝ダムを含めて、多くのダムがある。大滝ダムもそうだが、周辺には複数のダムがある。熊野川水系、紀ノ川水系には多くのダムがある。山間部の道路は、ダム湖の側を通ることが多い。奈良に向かうと直ぐに七色ダムである。近くには小森ダムだ。別の道路から奈良に向かうと池原ダム、大迫ダム、そして、大滝ダムがある。長い間工事が続いた大迫ダムと、その下の、大滝ダムであった。当初、大迫ダムに洪水調節目的を追加し、ダム堤高を11.0m高くし、総貯水容量も4倍にする計画だったという。その計画通りだと、大滝ダムはなかったことになる。しかし、新規のダム建設がより治水効果があるというわけで、大迫ダム下流に特定多目的ダムを建設する計画が発表されたのが1962だ。大迫ダムは伊勢湾台風まで遡り1959年(昭和34年)だ。紀伊半島に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風である。最低気圧 895 hPa、最大風速75m/sという凄まじい伊勢湾台風だ。 東の八ッ場に西の大滝といわれた。 東西の代表的な反対運動が湧き起こったダムだ。 大滝ダム建設で399戸が水没すると分かった。関連施設を含めて475世帯が移転するひつようがあった。大迫ダムで151世帯が水没していたから、これ以上のダム建設は村の存亡に関わる。計画発表と同時に反対運動が起こった。 さて、現在は政権交代と同時に建設中止が宣言され、東の八ッ場ダムが大きな話題を提供している。一方、西の大滝ダムは2003年に工事は終わり、湛水試験を行って完成するはずだった。水が流れ込み、水位は上がり、湛水試験が終わればダムは完成である。湛水試験中の2003年4月のことだった。ダム湖上流の斜面に亀裂が発見された。いやその表現は当たっていない。地元の新聞には、地響きがして眠れないと訴える住民の苦情がのった。斜面の亀裂が見つかる前に、地響きで住民は眠れないと訴えた。そして、5月11日、試験は中断した。その後、亀裂は拡大した。大滝ダムの総貯水量は、甲子園球場の140杯分だと言う。貯水池の面積は、甲子園球場の170倍の広さだと言う。 八ッ場ダムは中止か建設続行か、政治判断しだいだが、大滝ダムは、本体の工事は終了して完成しているはずだった。西の大滝も、東の八ッ場も何十年の時間と膨大な予算を食っただけのお化けのような気がしてくる。大滝ダムの周辺には、ホテルが建ち、温泉地となり、道の駅もできて、観光資源になっているようだ。そんなことを考えると、大滝に軍配を上げそうだが勝負をしているわけではない。
2009.10.03
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夜中までオリンピク招致合戦を見ていた。東京開催を願っていたわけではなかった。東京で今更とか、また東京かなどの思いもあった。石原慎太郎知事の花道を作るための東京オリンピックとも思っていた。そして、如何にも彼岸でもあるかのように、国を挙げての招致合戦の様相となった。次第に、東京でオリンピックの思いが強くなった。それは、多くの日本人の共通の精神も様だろう。盛り上がりに盛り上がった大相撲千秋楽、観客席の鳩山首相の側に猪瀬直樹副知事の姿があった。そして、鳩山首相もコペンハーゲンに向かった。鳩山首相のコペンハーゲン行きは、多くの政治的目論見があると解説する評論家もいるが、一般の国民には、国家上げての東京オリンピック招致の思いが先に立つ。 そんな前置きは兎も角として、「リオデジャネイロ」に決まった。2016年オリンピックとパラリンピックは南アメリカ初の開催となった。誰もが納得するリオデジャネイロ開催で、南アメリカ大陸でもオリンピックが開催されえたことになり、五輪の真実の意味が生まれた。世界五大陸を表すリングが意味を持つ。そんな思いになる「リオデジャネイロ」開催である。リオデジャネイロ開催で、都市整備の為に日本の技術を売り込むのも鳩山首相の目的とか言われてもピンとはこないが、転んでもただでは起きない強かさがあるようだ。対立していた石原都知事との和解の意味は分からないが、石原都知事にしても都議会の与党民主党代表との和解は大きな政治的な意味がありそうだと、勘ぐりたくなる政治がらみのオリンピック招致合戦だ。 最初に消えたのはシカゴだった。下馬評では最初に消えるのは、マドリッドと思われていた。しかし、オバマ大統領も参加したシカゴが消えた。それはある意味爽快でもあった。政治力が否定されたと思った。オリンピック精神は少しは生きていると思った。シカゴが消えて東京に望みが出た。そんな思いにもなったが、次に消えたのは東京だった。何か知らないがほっとした。それは多くの日本人の共通の思いのような気がした。東京が消えてほっとした。東京オリンピックを望んでないのに、いつの間にか東京オリンピックを待ち望んでいるかのような思いになっている自分がいたから、東京が消えてほっとした。 東京が消えて、オリンピック招致に注がれた政治力が消えた感じがした。そんな気がした。オバマ大統領夫妻の活動も鳩山首相夫妻の参加も、それ程意味がなかったのは、スポーツの祭典が示した政治力への抵抗のような気もした。東京オリンピックは、前の大会で十分だ。あの大会を超える大会など不可能だし、あってはならないと思った。東京でオリンピックを、もう一回やって欲しいとは思わなかった。しかし、過疎の田舎に住む人間に特別に反対する理由はなかった。しかし、東京大会は政治が前面に出過ぎのような気がした。日本代表団に森喜郎さんがいた。その姿を見たとき、東京は100%ないと思ったが、それでも、どこかに期待を持っているから不思議である。そして、鳩山首相夫妻だ。アスリート達の演説は選挙の連呼と同じに感じた。 ブラジルの大統領の静かな呼びかけが胸にしみるようだった。神様ペレも姿は何度見るが、招致活動をしているようには見えなかった。爽やかな笑顔は見えても、多くを語っているようには見えなかった。サプライズもなく、世界が納得した2016年のオリンピック開催地「リオデジャネイロ」だ。決戦投票では66票対32と圧勝だった。以外な程の大差であった。シカゴの最下位同様以外であった。石原知事の引退の花道は用意できなかった。意外にすっきりとした表情の石原知事であった。引退を取り消して臨んだ東京オリンピック招致であっただけいに、力も入ったが、これで肩の荷が下りた。そんな感じだった。「東京のプレゼンテーションは圧倒的によかった。皆さんのエネルギーが世界に伝わった。本当にありがとうございました」と、意外なほど素直な石原都知事は、何かが落ちてすっきり爽やかな表情になった。
2009.10.03
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新政権はもがいている。もがきにもがいている。補正予算見直して、目玉政策の為の予算捻出にもがいている。「見直しても予算は見つからず」と、そんなニューアンスの活字が躍る。新政権発足が9月16日で、今日は10月2日では、まだまだ、地に足など付くわけもないが、無駄を削り予算を捻出するには、もがくのは当然だと、民主党にエールも送りたい。 新政権への期待と不安と不満と批判までも加わり、マスコミは怪気炎を上げる。政治資金問題の、失望さえ感じる、記載ミスとか虚偽記載とかの、情けなさは兎も角として、予算の見直しはもがくのが当然だ。予算の執行停止など、聞いたこともないことが現実に起きているのだし、何かが変わっているのは事実だ。しかし、首相には外交デビューの成功に幻想を抱く軽々しさえも感じる。 新政権で異色は亀井静香郵政担当金融大臣だ。かうところ敵無しの亀井さんを見ると、4年の冷や飯が、いかに苦しかったかを物語っているような気がする。金融界の批判を「反省が足りない」と軽くかわしたのはさすがであった。「」ドン亀と呼ばれた亀井さんは、今や時の人で、鳩山内閣の異色のキャラクターとしての地位モラトリアム」を日常的な言葉になった程に亀井さんの考えが支持される。 民主党のほかの閣僚は、一歩下がっている感じもするが、「モラトリアム」一辺倒の亀井さんは、「心配は来年の参議院選挙だ」と言う、皮肉の声も聞こえない勢いだ。ドン亀と呼ばれた元警察官僚は怖いものはない。亀井さんの唱える「モラトリアム」法案が成立して、中小企業にゆとりが出て、新技術も生まれたら、亀井大明神と呼ばれるようになるだろう。亀井神社ができるかも知れない。
2009.10.02
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紀南地方は今日も雨模様だ。今日もと言うからには当然昨日も雨模様だった。パラリ・パラリと雨粒に追われたこともあったが、結局雨は降らずに一日過ぎ上野が昨日であった。今日10月1日の朝は、雨模様だが雨は降っていない、昨日と同じ雨空であった。夜のうちに雨が降った事を証明するように舗装道路はぬれて、窓から見える洗濯竿には雨粒が滴っている。 秋雨と言う言葉をんんども聞いて、秋雨前線の言葉を何度も聞いて、秋の長雨も何度も聞いて、今日もそのどっちかと関係する雨模様の一日になりそうだ。暗雲立ち込める現在の空模様から判断すると、雨は間違いなく振りそうである。雨は秋雨前線と関係があり秋雨であり秋の長雨になるかも知れないと、次から次への考えると、頭に隙間が生まれ、隙間に秋虫のさえずりにカラスのしつこい鳴き声が入り込む。 そんな秋の日に中国建国60周年のニュースだ。過疎の地紀南地方の山間部で考える、建国60周年の中国だ。今や、日本を抜いて世界第二位の経済大国になり、アメリカやロシヤと並ぶ軍事大国になった中国である。今や、日本人の生活は中国なしには、一日も立ち行かない。極端に言うと、日本人生活圏も左右する中国だ。日本のみならず、国際社会全体が中国の動きに左右されるほどの影響力だ。 建国60周年の中国、首都北京で祝賀式典が行われた。国旗の掲揚で始まり、国歌斉唱と続くのが国家行事の万国共通ルールだ。次が国家元首の挨拶だ。そして、軍事パレードとなる。軍事力の誇示は、国際社会での影響力にも繋がり、国家の威信がかかるセレモニーである。多民族国家中国の内包する苦悩は多い。人権や環境問題では後進国の中国が、世界に向かって発するメッセージは、経済力と軍事力である。そして、国家の団結を唱える。 去年の北京オリンピック前のチベット騒動、新疆ウイグル地区での暴動など、多民族国家の苦悩は多い。また、一党独裁の弊害も多く、共産党の内部腐敗も大きく、経済力と軍事力を見せ付けても、国内は共産主義思想では考えられないはずの、貧富の差が拡がり、共産党の苦悩は尽きないと、一般的な感想を並べてみた。しかし、中国社会の変革の凄まじさは、単純な言葉では説明も表現もできない。強大な竜が空に舞い上がる感じだ。 北京市内の警備は建国以来最大級で、60周年にかける中国政府の意気込みが、過疎の地にも響いてくるようだ。胡錦濤主席は民族対立を否定し、「1つの中国」をアピールする。日本の政権交代が中国に影響を与えたとは思えないが、米国バマ大統領発の「チェンジ」は、何らかの影響を中国にも、もたらした。共産党の一党支配の中国では、「チェンジ」は共産党否定に繋がり厄介だ。それでも、変革は否定できない中国共産党である。 民族の対立を否定し、民族の平等を唱え、人権問題などへの国際的な非難をかわす目論みは、「一つの中国」のアピールである。中華思想の共産主義国家は、「チャンジ」の言葉に過敏に反応する。経済力と軍事力で、国内問題を覆い隠す中国は、大国としての責任と誇りと共に多くの矛盾も表明する。人権無視の差別主義は、国際社会から受け入れられるはずはないが、中国は人権尊重の民族団結の「一つの中国」を国際社会にアピールする。 くどくど説明しなければならない政治とは別に、中国の変革は凄まじい。国家も経済成長についていけなのが真実だと思う。共産党の考えを遥かに越えた経済成長は立ち止まり振り返ることを許さない。高度成長期の日本がそうであったように、その後は経済力を背景に、ジャパン・アズ・ナンバーワンと、国際社会に表明したように、気づけばバブルは崩壊し先へは進めず、立ち止まり途方にくれた日本同様、失ったものの大きさに気づくはずだ。 面白い、 面白いだけでなく、 真実にも近そうな、 中国の未来予想までしてみる。 別の見方は、中国も還暦を向かえ、落ち着いてくるというもだが、そうは見えない、気骨隆々として血気盛んな中国だ。上海万博の後に何が来るかが、楽しみな中国でもある。個人的には、上海や北京から、パリやマドリッドまで続く新幹線を夢見ているが、果たしてどうか。 秋の夜長なの話題に事欠かない。ちなみに昨日の話題は、神無月の月の神の目的であった。神不在の地方の神不在の為の不備や、出雲の神会議の主題などと、何とも勝手な秋の夜長の話題が展開したが、神なら兎も角、中国の話題は現実的で妄想や幻想との兼ね合いが難しそうだ。お年よりの中国は満州の原野の開発で、別のお年寄りの中国は突然攻め入ったソ連の卑劣さと中国が融合し、知り合いの若者の中国は妻の里で、別の若者の中国はビジネス一辺倒で満州の原野的だ。 「皎竜岸に棲むは飛ばんがため」 そんな言葉が蘇る、中国建国60周年のニュースだ。 まさに巨大な竜が、飛び上がるような、 恐怖感さえ抱く、中国建国60周年のニュースだ。
2009.10.01
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