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2014.10.05
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カテゴリ: 小説
蓮と鯉と池.jpg


恋の病は、鯉の餌

 下忍の池には蓮の葉が繁って初夏の風に揺れていた。黒田九鬼流斎は六尺もある黒竹の棹を、弁天島の方に向かって、投げた。弁天島の下で水に体を沈めたまま、一刻半も観察していた鯉兵衛こと、忍者水猿はにたっと哂う。
 その横には、四尺を越える、大鯉が水猿に寄り添うようにして、鰭を揺らしている。ぱくっぱくっと大鯉の口が開く。水猿が頷く。読唇術だった。人と魚が会話をしているようだ。
 水猿は石を抱いて池の底に潜る、池の底の泥を掻きながら、九鬼流斎の投げた棹の先へ進む。大鯉は、その上を泳ぐ、大きな蓮の葉が揺れる。

 下忍の池の水面には、黒田九鬼流斎の表情が映っていた。釣り糸を垂れ、じっと、浮きの動きだけに集中していると、鳥居耀蔵から解放されている自分が、嬉しがっているのを隠すことができなかった。市中を取り締っている時の鬼の形相とは思えない、見せたことのない、穏やかな柔らかい表情をしていた。
 庶民の下の者の楽しみまで奪い、江戸市中から、少しづつ、元気が消えていくのも感じていた。
「だが、改革はやらねばなるまい。嫌われようが、誰かがやらねば、幕府は立ち行かぬ」
 自分の残虐な取り締まりを正当化して、苦虫を潰した。その、苦虫を潰した九鬼流斎の表情が一変した。蓮の葉がそこだけ、激しく揺れ、六尺の黒竹の棹が撓った。

「かかった!」黒田九鬼流斎の顔に、「やった!」という煌めきの表情が浮かんだ。立ち上がった。土手に踏ん張る。物凄い引きだ、懸命に棹を引き上げる。
「大物だ、主鯉に違いない。やったぞ!」
 棹に力が入る。ずずっと、足元の土手が崩れる。その時、四尺もあろうか、大鯉が波を立てて、水面から半身を躍らせて、舞い上がった。
「おおっ、ついに来たか、この化け物鯉よ!」
 黒田九鬼流斎の興奮は絶頂に上り詰めた。股間が濡れている。大鯉は大きな目玉で、ぎろっと九鬼流斎を睨み付けると、次の瞬間、頭を下にして、尾びれをはためかせ、身を捩らせて、池の中へ勢いよく、飛び込むように沈んだ。
「あっあっあっ」
 ぐっぐっぐっ、棹の先まで池の中に吸い込まれていく、凄い力だ。だが、黒田九鬼流斎は釣った魚は逃がすものかと、棹を離さない。三年間の執念が詰まっている。
「一世一代の大勝負だ!」腕の筋肉がぴくぴく震える。歓喜の表情が顔面にいっぱいに拡がる。
 次の瞬間、九鬼流斎は棹ごと、頭から、つんのめるように、ざぶっんと、池の中に引きこまれた。波紋が池いっぱいに広がる。九鬼流斎の体は池の底深く沈んで行った。ぶくっぶくっぶくっと、あぶくが水面に浮かぶ。そのまま、黒田九鬼流斎の身体は二度と水面に現れてくることはなかった。

 つっつっつっーと、人差し指ぐらいの竹筒が下忍の池の真ん中にある、弁天島に向かって動き、大きな鯉が尾鰭を揺らせて、蓮の葉をぴしゃっと撥ねて、ゆうゆうと、池の中を泳いで行った。
 暫くして、弁天島から、一艘の小舟が池之端の方に向かって、静かに走って行った。水猿と呼ばれた忍者はもう、年老いた町人に身支度を変えていていた。顔の皺が嗤っていた。


 水猿は魚言葉が理解できる。読唇術だ。不忍の大鯉は200年も生きている。人間の心が読めた。池の底から、水猿は大鯉を抱きかかえ、池の上に大きく跳び上げた。
 その瞬間、九鬼流斎の釣り針を池の底に力いっぱい、ひっぱりこんだ、底に沈めた。九鬼流斎が池に落ちると、頭の後ろを、鰻銛で突く、血は出ない。その身体を沈めて、杭に繋ぐ。
 池に沈んだ黒田九鬼流斎の遺体は二度と浮かんでこない。
 あとは、鯉の餌になる。水猿と大鯉の協同作戦だった。両者に利益があった。以来、不忍の池の鯉が人肉の味が忘れられず、池の端で遊ぶ恋人を引き摺りこんで、食べ尽くすという、怖い逸話がうまれたのもこの頃からである。

 町人姿になった水猿、鯉兵衛は、今度はゆっくりとした足取りで、賑あう浅草寺の境内を抜けて、船宿『蓮水亭』に上がり、おかみのお桃と酌を交わしていた。



悪鬼、下忍の池に沈むの巻 おわり


作:朽木一空

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最終更新日  2014.10.05 14:37:52
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