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2016.10.07
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カテゴリ: 忍草シリーズ

裏として生きてく 影武者修行

表を捨て、裏で生きる
人生を二度生きるようなもんで
そんなことができたら 案外面白えかもしれねえな、

 夜九つ、辺りは暗闇である。江戸城の堀、呉服橋御門の脇に二人の人影を積んだ小舟が浮かんでいた。大きな柳の木の枝が川面すれすれまで垂れ下がっていて、風にゆっくりと揺れていた。青蛙が柳にぶら下がって、ケロッケロッと鳴いていた。
 泥亀の左門は手に鉄爪の手袋を嵌め、目には竹で作った泥除けの眼鏡をかけ、堀へよじ登り、横っ腹から穴を掘り出した、泥亀の左門の体はまるで虫が穴の中に潜っていくように消えていった。
 小舟を漕いできたたもう一人の影、黒装束で闇にまぎれていたが、萬家十兵衛手下のキザルであった。夜なので見えはしないが、呉服橋御門の脇の水が泥亀の左門のかきだした泥で赤っぽく濁っていた。

 翌夜、亥の刻、呉服橋御門の下に、丸い木枠を組み合わせた水蜘蛛(みずぐも)と呼ばれる忍者の使う水上歩行器を操りながら、黒装束のキザルが、近づいてきて、「ほー、ほー、ほー」と、梟の偽声を響かせる。半時もせずに柳の枝の間に掘られた穴から三尺ほどの短い縄が水蜘蛛を履いたキザルに投げられる。 その縄の結い方が暗号になっている、結繩という忍者の伝達手段であった。キザルは縄目をじっと見てから、縄を堀に捨てる。縄は泥亀の左門が投げたものだった。穴掘りの進み具合を結縄で報告していたのである。

 梟長屋に匿われていた壺振りの金三郎に繋ぎがきたのはあれから六日後だった。おまんまと酒は毎日長屋の向かいのおたき婆さんから届けられたが、どうも、床下から、見張られているようで、尻がむずむずして落ち着かず、まして、夜になると、欅の樹の間から、薄気味悪く毎日のようにホーッホーッホーッと梟が啼く。
 座布団の上で、一人でサイコロを転がしているのも、もう飽き飽きしていた。もう、我慢の限界、こんな長屋に押し込められちゃ、金玉が腐っちまう、
 妖怪だかなんだかしらねえが、鳥居耀蔵でもなんでもきてみやがれ、壺振りの金三郎、そんなことにびくついちゃ男が廃るわ、ぱっと散って見せてやろうじゃなないか!と、居直り、やけのやんぱちで、今夜にも長屋からとんづらしようと思っていた矢先であった。
 狐目のお龍が長屋の障子を開いて顔を出した。裏長屋には似合わない仇な姿の狐目のお龍に金三郎の目はくぎ付けになった。
「あんたが壺振りのの金三郎どんだね、ふっふっふっ、私の目に狂いはなかったはね、、あんたは鯔背ないい男だよ、やっぱり、名奉行遠山金四郎様によく似てるよ」
「へえー、そいつはどうも、ところで、姉さんは誰なんでぃ」
「あんたに、秘命を伝えに来た繋ぎさ、泥亀の左門さんから聞いてるだろう?」
 そうか、この女が繋ぎだったのか。金三郎は合点がいった。
「金三郎どん、明日から、北町奉行遠山影元様になるんだよ、、、」
「えっ、また悪いご冗談を、、、」
「いや、ほんとのことさ、、遠山様の影武者になるってことさ、いいね、逃げるわけにはいかないよ、それにさぁ、遠山さまの役宅に住めるんだ、お尋ね者にとっちゃこれほど安全な場所もないだろうさ、鳥居様どころか、お釈迦様でも、壺振りの金三郎がまさか、遠山様の影武者だとはね、、、なに、仕事は他愛もないこと、遠山様の口から出る情報をわれわれに伝えてくれればそれでいい、影武者といったって、あんたは忍者のような者、十兵衛様の差し金だってこと忘れちゃいけないよ、手筈はすべて整ってるわ、表で駕篭が待ってる、それに乗れば、万事うまくゆく」

 壺振りの金三郎が目隠しをされて駕篭に乗り、キザルの漕ぐ小舟に乗り替え、呉服橋門際の堀につき、そこで、この間の泥亀の左門が待っていた。土手をよじ登り、左門の掘った穴を土竜のように這い、連れてこられたのが北町奉行所の裏手にある離れの茶室だった。これから先に何が待っているのか、なにがなんだかわからずにぽかんと口を開けて放心状態の金三郎の尻を畳針が突いた。
「痛つぅ!」金三郎が慌てて、尻を上げると、畳針がくるくる回っていた。「金三郎どん、あっしですよ、左門です、ぼやっとしてちゃいけませんよ。見張られていること忘れちゃいけませんよ、あんたは逃げられない宿命なんだ、ちゃんと影の遠山様にならなけりゃ、この針をぶすっと、刺すことのなりますからね、いいですね、二のつく日と五のつく日の子の刻、繋ぎが来ることを忘れちゃいけませんぜ」
 左門がまるで土竜のように床下から見張っているのだ。ぶるぶるっ、金三郎の体に震えが来た。なんて恐ろしいやつらだ。

 呆然としていた金三郎のもとへ、遠山影元の側近である、側用人の戸田内規がやってきた。戸田内規は影元幼少の頃からの用人である。腰をかがむようにして歩くその姿は六十の坂を超えていた。
「うむむむ、よく似ておる、影元様のお若いころに仕草までもがよく似ておる、そなた、金三郎と申したな、明日からお主は殿の影武者になるのだ。殿は昔は遠山の金四郎といわれていたのだ、遠山の金さんとな、そなたは金三郎だ、名前まで似ておるわ、よいよい、これなら、影武者が務まるだろう。殿の部屋の隣にお主の隠し部屋を作ってある。その部屋には覗き窓もついている。明日から、殿の御作法、仕草、癖、話し方、間合い、歩き方、癇癪の出し方、屁の音、臭い、すべてを観察し、わが身のものとせよ。そして、しかるべき時に殿の影武者となって働いてもらう、よいな。そちには、高い金を払っているのだ、影武者が務まらぬ時は煮ても焼いてもよいことになっておる」
 こうして、壺振りの金三郎は遠山影元の影武者となった。壺振りの金三郎にとって悪い話ではなかった。何しろ江戸の町中にお尋ね者として人相書が出回っていた。岡っ引きや小物が報奨金欲しさに金三郎を鳥居耀蔵に密告しようとして躍起になっていたのだ。なるほど、北町奉行所の役宅が隠れ家とは、これほど安全なところもない。

 豊臣秀吉、武田信玄、徳川家康、など、戦国武将がみな影武者を使って命を永らえたことはよく知られていたが、天保の時代、徳川家慶も鳥居要蔵も老中水野忠邦も、影武者を使っているという噂が拡がっていた。そして、この噂に踊らされ、遠山影元も月三十両という莫大な費用で金三郎を影武者として雇ったのである。
 壺振りの金三郎はぽかんとして、空を見つめて、波乱万丈な自分の運命をつくづくと感じていた。ふわふわとした流れる浮き雲のような人生が行き詰まり、明日は打ち首かと思えば、どんでんかえしの扉の向こ側に、また空がぽっかり口を開けて待っていて自分の粗末な考えの及ばない世界があった。
 まだ金三郎には表を捨てて裏に生きることの意味が分かっていなかった。だが、裏として生きる影武者修行はすでに始まっていた。

(つづく)

作:朽木一空

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最終更新日  2016.10.07 10:46:19
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