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親友が多い65歳以上は7.8% 前回調査から大幅減、24年白書5/28(火) KYODO 政府が近く閣議決定する24年版「高齢社会白書」の原案が判明した。内閣府の調査で、親友が「たくさんいる」と答えた65歳以上高齢者が18年度の24.7%から23年度は7.8%へ大幅に減少したことを盛り込む。1人暮らしの高齢者が今後増加すると見込まれる中、「望まない孤独・孤立に陥らないようにする対策の推進が必要だ」と指摘している。関係者が28日、明らかにした。 内閣府の調査は23年10~11月、全国の65歳以上の男女2677人の回答を集計。前回18年度調査の結果と比較した。 「親しい友人・仲間がいるか」との質問に対し「たくさんいる」「普通にいる」「少しいる」などの回答を選んでもらった。「普通にいる」は18年度の47.5%から23年度は39.0%に減少したのに対し「少しいる」は21.5%から36.0%に増加した。他は「ほとんどいない」「全くいない」などの回答だった。 人と話す頻度について「毎日話す」との回答は90.2%から72.5%に減った。1人暮らしの人ほど、人と話す頻度が少ない傾向もあった。何をもって親友とするかどうかは意見が分かれるだろうが、親しくしている知り合いが減少しているのは寂しいことだと思う。多分、コロナ禍が続いたことで人との付き合いが希薄になったのだろうとは想像するし、能登の地震などの自然災害や本人の家庭の事情などで、住み慣れた土地を離れることが多かったのも要因かも。幸いなことに現在の私は、親しい友人が何人もいてありがたいことだと思う。ただ、一人で過ごすことも嫌いではないし、時々ブログでも書いているが一番の親友は本なのかもしれないので、目が見えさえすれば友には不自由しないだろう。私のようなタイプの人間は人と話す機会が減ってもさほど寂しくはないかもしれないから、幸不幸は人それぞれなのは言うまでもない。それでも、「望まない孤独・孤立に陥らないようにする」ことは大切だ。ただ、それは本人の努力なしでは公的な対策で何とかなるものでもない。人との付き合いを減らしたくないと思う人は、足腰が丈夫なうちに自分の居場所になりそうなところを探してほしいと思う。新しい場所に足を運ぶのは私なら億劫だし勇気も必要だが、自分にとって必要だと思うならこれからの人生を豊かに過ごすためにチャレンジしましょう。まずは、その場所に行って様子を見ながら、笑顔の多い人に声をかけ、差しさわりのない程度の自己紹介から。注意しなくてはならないのは、いくら自分が自慢できる経歴があろうとそれをひけらかさないこと。せいぜい、「〇〇歳まで働いていたけど、リタイアしてから新しいことにチャレンジしたいと思って」とか、「趣味は〇〇です。同じ趣味の人がいたら話したいなと思って」程度がいいかも。親しくなってきたら色々話してもいいけれど、私の経験では前職を自慢げに言う人は嫌われがちですよ。女性なら、夫や子どもや孫の自慢は、よほどなんでも話せるようになってからの方が無難です。まあ、私くらいの年齢になったらそのくらいのことはわかっているとは思いますけど。
2024年05月29日
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昨日は、北海道文化塾の四回目で、「世界ふしぎ発見」のミステリーハンターでおなじみの竹内海南江さんのお話を聞いてきた。テーマは、「地球と遊ぶ」で、30年以上もミステリーハンターとして世界を百カ国以上飛び回ってのエピソードがてんこ盛り。ミステリーハンターとしてはダントツで296回出演したそうだ。(あと四回で300回だったのにね)スライドを使ってのものなので、とても面白く興味深かった。不思議を発見する旅だから、当然未知の地域にも入っていくわけだし、今のようにドローンなんてものがない頃は、ヘリによる空撮でリポートするわけだから、死と隣り合わせの緊張感。このような人を間近にすると、本当に度胸と勇気と元気と体力が必要なことだと尊敬するばかり。ずいぶん昔に「兼高かおる世界の旅」という番組があり、これも好きで見ていたのだが、「世界ふしぎ発見」も好きな番組だった。随分お金がかかるんだろうなと思っていたのだが、昨日の話で日本から海外へ行くスタッフは基本彼女を含めて五人で、現地で通訳の人が加わり六人での行動だったという。それにしても、世界はまだまだ不思議なことか満ちている。人類が誕生してから今まで、地球は大きな気候変動や地殻変動を繰り返してきたが、人間は何とか生き延びてきた。人類が生きることが可能な場所が地球上になくならない限り、人間はしぶとく生きるのだろうな。
2024年05月27日
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「エリザベスは本の虫」スチュワート,サラ【文】スモール,デイビッド【絵】福本 友美子【訳】《出版社内容情報》 エリザベスは、ものごころついたときから本のとりこ。ままごとあそびやローラースケートなんか見向きもしないで、ひたすら本を読んで過ごします。大人になって気づいたときには、エリザベスの家の中は、どこもかしこも本だらけ。本の山は天井にとどき、ドアもふさがれてしまいます。いったい、どうしたらいいでしょう? ためらうことなくエリザベスは、なんと図書館をつくります! リズミカルな文章と繊細なタッチの水彩画で、いつの世にも変わらぬ読書の喜びをユーモラスに描いた素敵な絵本。 小学校低学年から大人まで。日本図書館協会選定図書。 これは実話です。すごい人生だなあと思います。 コールデコット賞オナーブック『リディアのガーデニング』と同じ作者二人のコンビによる本作品は、サラのリズミカルな韻文調の文章と、デイビッドの淡い色彩とやわらかな線とコミカルな味わいの絵が、みごとに息があっています。《著者等紹介》スチュワート,サラ[スチュワート,サラ][Stewart,Sarah]アメリカ、テキサス州育ち。子どもの頃、やせっぽちで、近眼で、ひどい恥かしがりやだった。家にお客さんが来ると、ぬいぐるみとお気に入りの本をもって、クロゼットに逃げ込んでいた。ほかに、図書館と祖母の庭が、安心していられる場所だった。静かなところで一人で過ごすのが好きなので、今でも、庭と図書館は、お気に入りの場所である。夫のデイビッド・スモールと組んで、魅力的なキャラクターが登場する話題作を創っているスモール,デイビッド[スモール,デイビッド][Small,David]ミシガン州デトロイト育ち。少年時代の体験の中で、芸術家としての現在を作るうえで影響があった3つ。校外学習で訪れた美術館で見た、メキシコの画家ディエゴ・リベラの力強い壁画「デトロイトの産業」。X線技師だった父が働いていた病院の、一種独特な雰囲気の中で垣間見た生と死。春休みのたびに訪れた、インディアナ州の祖母の家。日中は戸外で過ごし、夕闇が迫ると、祖父と停車場に蒸気機関車を見に行った。現在、ミシガン州のセント・ジョセフ川の近くに妻とともに住んでいる。2001年『So You Want to Be President?』(Text Judith St.George)で、コルデコット賞受賞福本友美子[フクモトユミコ]1951年、東京生まれ。慶応義塾大学文学部図書館・情報学科卒業後、調布市立図書館に勤める。1980年よりフリーで選定・批評・編集・翻訳など、子どもの本に関するさまざまな分野で活躍中。自宅の仕事部屋は本の山である※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。「本の虫」という言葉に懐かしさを感じて図書館で借りてきた絵本。なぜなら私も、子どもの頃に「本の虫」と言われていたからだ。何しろ、赤ちゃんの頃から絵本を渡しておけば、それをじーっと見ていて動かない子だったそうだ。農家だったので、ござを敷いて私を座らせ、絵本を与えておけばそこから動かないので、とても手のかからない子だったらしい。自分が聞いても信じられないのだが、親が言うのだから事実だろう。妹が生まれる四歳まではそれで良かったのだが、「お姉ちゃん」となってからはそうはいかない。ちゃんと妹を見ていなくてはならないし、動き出したら遊んでやらなくちゃならない。そのうち、「本の虫」が誉め言葉ではなくなり、親たちの変化に戸惑ったような気がする。それはともかく、今ネットでチェックしてこれは実話ということに驚いた。エリザベスは大好きな本に囲まれて幸せだったな。いや、私だってずっと本が大好きで幸せな人生だ。多分私も、本の虫に近いおばあちゃんだろう。私のただ一つの願いは、寝たきりになっても目だけは見えるようでありたい。万一目が見えなくなった時のために、耳で読書できるようにしようかと思ったけれど、どうも今のところ私には合わない。ずっと本の虫で一生を終えることができますように。
2024年05月26日
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日本ハム 金曜日負けなし!9回に追いつかれるも…延長10回敵失で勝ち越し 5/25(土)スポニチ 日本ハムは競り勝って今季の金曜日は負けなしの7勝1分けとした。「今日の試合は、めちゃくちゃ楽しかった」と新庄監督。1―1の9回に細川の2点中前打で勝ち越し。その裏に追い付かれたが、延長10回に敵失で決勝点をもぎ取った。 首位ソフトバンクと5・5ゲーム差に縮め、途中で折れても最後はおいしい「ビッグシャウ打線」と命名した指揮官は「また今日も折れたけど、最後はおいしくいただきました」と満足げだった。去年なら間違いなく負けている場面で、なんとかしのいだり逆転したりで、危ない状態でもひょっとしたらと思わせてくれる。どんどん若い選手たちが活躍していて、ベテランや結果を残せていない選手たちの出番がなくなっている。それが選手たちの気持ちに火をつけることにもなり、良い循環が生まれているのかもしれない。とにかくみんな、ケガしないで良い調子を保ち続けてほしい。「ビッグシャウ打線」がいいね。でも、本当は途中でバキッと折れないでほしいけど。
2024年05月25日
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昨日は急遽シネマ歌舞伎を観に行った。前夜、映画情報をネットで確認したら、昨日からの一週間シネマ歌舞伎の「三人吉三」が上映されると知り、これは見に行きたいと思ったのだ。近年はいつも札幌在住のTさんと行くことが多く、一人で映画を観るのは本当に久しぶり。一人の座席で上映を待ちながら、(こんな時間もいいものだなあ)としみじみ思う。誰かと一緒に見てその後感想をおしゃべりするのも楽しいけれど、誰かの何かではない(たとえば友人・妻・姉・知人等々)私としての時間は、私にとってはとても貴重なのだと思う。さて、シネマ歌舞伎「三人吉三」は期待以上だった。かつて無い「シアトリカルムービー」誕生!中村勘九郎、中村七之助、尾上松也といった歌舞伎の次世代を担う三人に、ジャンルを超えた個性豊かな俳優たちが集結した熱い舞台が映画館に蘇る―。河竹黙阿弥が生み出した歌舞伎の名作に現代のアーティスト・串田和美が手を加え、新たな光を当てた作品が、「NEWシネマ歌舞伎」として誕生。今回は、本公演で演出・美術を担当した串田和美が監督を務め、編集に編集を重ねてブラッシュアップ。3時間以上の舞台を2時間15分まで煮詰め、ライブで舞台を観た方にも全く違う演劇作品として感じて貰えるよう、また勿論、舞台を観ていない方にも新しい映像作品として楽しんで頂けるようにと、新たな演出を加えた撮影や、普段は入れない舞台袖等にカメラが潜入し、映像や音にこだわり抜いた、かつて無い「シアトリカルムービー」が誕生いたしました。《配役》<和尚吉三:中村勘九郎お嬢吉三:中村七之助お坊吉三:尾上松也研師与九兵衛:片岡亀蔵十三郎:坂東新悟おとせ:中村鶴松海老名軍蔵/八百屋久兵衛:真那胡敬二太郎右衛門/長沼六郎:大森博史安森家来弥次兵衛/堂守源次坊:笈田ヨシ土左衛門伝吉:笹野高史中村勘九郎、中村七之助、尾上松也は大好きな役者だが、この三人の持ち味というか良さが見事に映像化されていた。原作の「三人吉三廓初買(通称・三人吉三)」は安政七年 (1860)の初演というから古典だし、内容はまさに「因果応報」というか、ずいぶん古い価値観に貫かれてはいるのだが、人間の業や因果や悲しみや苦しみなどは時代を超えて胸に響くものがある。それを表現する歌舞伎役者たちの力量や情熱が画面からほとばしり出るような映像だった。映画館ではなくて劇場で歌舞伎を観たいと思う私だが、この作品をみたら「シネマ歌舞伎の方がいいかも」とすら思えた。ただ、アップになると見るのが辛いものもあるので、時々それが何点にもなりギャグにもなりおかしみにもなり…。中村屋の新作演目には笹野高史がご常連のようになっているが、今では歌舞伎役者っぽくなっている。役者ってすごいなあ。
2024年05月25日
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大谷クンもそうだけど、ダルビッシュも日ハムに入団してからずっと見てきたので、息子か孫のような気持ちで応援している。あの細くヒョロッとしていて、少し生意気な感じの少年がこのように成長するとは今や、誰からも尊敬され後輩たちに慕われる大投手だ。誰かの成長をみているのはとても嬉しい。ダルビッシュ日米200勝 日本ハム関係者も称賛 北海道新聞 2024年5月21日 ダルビッシュが2005年から7年間在籍したプロ野球北海道日本ハムの関係者ら、日本球界からも日米通算200勝を祝う声が上がった。 「日米で相手チームのエースと投げ合い続けてきた。それで積み上げた200勝は価値が高い」。日本ハムで05~11年にダルビッシュとプレーした田中賢介さん(43)=日本ハムスペシャルアドバイザー=は賛辞の言葉を送った。 ダルビッシュは、進化するために新たな技術、調整法などを積極的に取り入れることで知られる。田中さんは「何かを変えることを怖がらず、どんどんチャレンジしていく姿は尊敬するところ」とうなった。 ダルビッシュが日本ハム在籍時に球団のゼネラルマネジャーなどを務めていた山田正雄さん(79)=日本ハムスカウト顧問=は入団当時を振り返り「抑える試合と打たれる試合があり、調子にムラがあった。彼の努力でどんどん修正能力が上がっていった」と話し、「(200勝は)まだ途中の数字だと思う。もっと勝ち星を増やしてほしい」と期待した。 東北楽天の田中将大(駒大苫小牧高出)は「タフなスライド登板にもかかわらず、圧巻の内容での達成おめでとうございます」とX(旧ツイッター)で祝福した。自身も日米197勝と大台に迫っており「ダルさんに続いて僕も達成できるように頑張ります」と意欲を示した。ダルビッシュ、日米通算200勝 プロ20年目「ほっとしている」「僕がメジャーに来たのは、夢でも希望でも何でもないんですよ」ダルビッシュがメジャー挑戦した本当の理由はいったい何?…元番記者が見た5/21(火) スポーツ報知ダルビッシュを「生意気だなんて思ったことない」日本ハム時代バッテリーを組んでいた鶴岡慎也さんが語る後輩の良き姿勢2024年5月21日 4時5分スポーツ報知 ダルビッシュが強く印象に残っている捕手とは「鶴岡さんですね、それはもう絶対」「なめた態度をとっている中で…」5/20(月) 中日スポーツ 鶴ちゃん、ダルを信じて見守ってくれ続けてありがとう。
2024年05月21日
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絵本というより、絵本のガイドブックのような本。「小さな本の大きな世界」長田 弘 (著), 酒井 駒子 (イラスト)内容説明いちばん好きな野菜『きゃっきゃキャベツ』/哲学って漫才に似ている『ここにないもの 新哲学対話』/レンコンの穴は…?『クイズ 植物入門』/ちげえねえ。噺と絵の寄席『落語絵本 めだま』/うーん、あんパンと柿が『正岡子規 言葉と生きる』/宮沢賢治はガーシュウィンを聴いたか?『セロ弾きのゴーシュ』…大の本好き詩人が、大の本好きに贈る「お気に入り145冊」の名篇。目次小さな本の大きな世界(まず、本があること―『エリザベスは本の虫』;うつくしい本が必要―『ヴァージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」の作者の素顔』;古くて新しい物語―『ハーメルンの笛ふき男』;家族って何なのだろう―『大統領ジェファソンの子どもたち』 ほか)子どもの本のまわりで(虹の彼方に―「オズの魔法使い」;首をはねなさい!―「不思議の国のアリス」;チェロとジャズ―「セロ弾きのゴーシュ」;丸と四角の世界―「シンデレラ」「赤ずきんちゃん」 ほか)著者等紹介長田弘[オサダヒロシ]詩人。1939年福島市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞、講談社出版文化賞、詩歌文学館賞、三好達治賞、毎日芸術賞など、受賞多数。2015年5月3日逝去酒井駒子[サカイコマコ]絵本作家。1966年兵庫県生まれ。東京芸術大学美術学部油絵科卒業。『きつねのかみさま』(あまんきみこ・文、ポプラ社)で日本絵本賞、『金曜日の砂糖ちゃん』(偕成社)でブラティスラヴァ世界絵本原画展金牌、『くまとやまねこ』(湯本香樹実・文、河出書房新社)で講談社出版文化賞絵本賞など、受賞多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)できれば、絵本の表紙の絵だけでも入れておいてほしかった。絵本は「絵とことば」で表現されるものだし、私はその絵で手に取りたいと思う方なので。ともあれ、ここで紹介されている気になる絵本をメモしておいて、そのうち読んでみたいと思っている。
2024年05月21日
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旅行の間に、電車に乗りながら読んだ本。「てらこや青義堂 師匠、走る」今村翔吾 【あらすじ】 明和七年、太平の世となって久しい江戸・日本橋で寺子屋の師匠をつとめる十蔵は、かつては凄腕と怖れられた公儀の隠密だった。 貧しい御家人の息子・鉄之助、浪費癖があって親を困らせる呉服問屋の息子・吉太郎など、事情を抱えた筆子たちに寄りそう日々を送っていたが、藩の派閥争いに巻き込まれた加賀藩士の娘・千織を助ける際、元忍びという自身の素性を明かすことになる。 年が明け、政情不安から将軍暗殺を企てる忍びの一団「宵闇」の動きが激しくなると、筆子たちと伊勢神宮へおかげ参りに向かう十蔵に報せが入る。 危険が及ばぬようにと離縁していた妻・睦月の身を案じた十蔵は、妻の里へ向かう。 そして筆子たちは、十蔵の記した忍びの教本『隠密往来』をたよりに、師匠を救う冒険に旅立つ。夫が買って読んでいた本。今村翔吾の『塞王の楯』を読んでから気に入ったようで、何冊か読んでいた。夫は、「その本はイマイチだった」と言っていたが、電車で読むにはもってこいの本だった。理由は登場人物が寺子屋の師匠と個性的な寺子たち、それに公儀隠密や忍びのあれこれは読んでいて面白かった。「一行でわかる名著」斉藤孝一行「でも」わかるのではない。一行「だから」わかるのだ。『百年の孤独』『悲しき熱帯』『カラマーゾフの兄弟』『老子』──どんな大作も、神が宿る核心的な「一行」をおさえればぐっと理解は楽になる。魂への響き方が違ってくる。究極の読書案内&知的鍛錬術。一行でわかるわけがないけれど、古典ともいえる作品のエッセンスを取り出して興味をひく解説にまとめるのは、さすが斎藤先生。なるほどなあ、とか、これ面白そうかもなどと、改めて読書意欲を刺激してくれる。それにしても齋藤孝さんは、日々どれほどの読書をし、本を書き、講義・講演しまくっているのか。そのパワーに脱帽する。
2024年05月19日
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久しぶりに内田氏のブログを読み共感したので、メモしておこう。「女性の政治進出について」 2024-05-08 女性の政治参加が増加することでどのような社会の変化が期待できるのかについて意見を求められた。 少なからぬ女性議員がいわゆる「保守」界隈にはいるけれども、彼女たちが男性議員と異なる政治的役割を果たしていると思っている人はいないだろう。あえて名を挙げるまでもなく、この人たちはしばしば男性議員以上に差別的であったり、強権的であったりすることで存在感を示している。こんな議員がさらに増えても、ろくなことは起きない。だから、この問いは「まともな女性政治家が増えることでどのような変化が期待できるか」でないと意味をなさない。 でも、それだと「まともな政治家が増えると何が変わるか」という問いと実質意味は同じだから、答えは「政治がまともになる」に決まっている。 実践的な問題があるとすれば、それは「まともな女性が政策決定に参加できる筋道をどうやってつけるか」である。 昨年の統一地方選の時に、私の知り合いの女性たちが何人か立候補して、当選を果たした。多くはそれまで市民運動をしてきた無名の市井の人たちである。今の政治に「もう我慢できない」と自ら立ったのである。彼女たちの当選はその素志が有権者に伝わったからだろう。 千葉県白井市、兵庫県宝塚市、東京都杉並区で議会が「女性過半数」となった。特に目立ったのは杉並区で、女性議員が改選前の15から25に増えた。これは明らかに岸本聡子区長の功績である。このような趨勢が他の自治体にも広がるなら、地方議会から政治は変わると思う。 国政の参入障壁が高いのは第一に供託金が高額なせいである(選挙区300万円、比例区600万円)。組織的な支援がないとこの供託金は無駄になる。それに対して政令指定都市以外の市議選と東京23区の区議選は30万円である。これなら無名の市民でも「まともなこと」を訴えれば議席を得ることができる。つまり、地方政治の方が国政よりも民主主義として機能するチャンスが高いということである。 国政がこれだけ劣化したのは、(異常な低投票率のおかげで)組織票を持つ公認候補なら人格識見と無関係に当選できるからである。 レベルの低い政治家が増えれば増えるほど有権者の政治家に対する期待は萎み、投票意欲は減殺され、投票率は下がる。このメカニズムの最大の受益者が自民党の世襲議員たちであることは現状を見ればわかる。 しかし、地方議会なら有権者は人格識見を基準に議員を選ぶことができる。だから、まず地方議会から「民主化」を進めることが最も現実的だと私は考えている。地方で「善政」の実績を積んだ議員が国政に進出する道筋をつけることさえできたら、遠からず女性議員が国政でも過半を制すると思う。(『通販生活』3月16日)まだ仕事や地域活動をしていた時に、「みらいさんが市議に立候補してくれたら応援するよ」と何度か言われたことがある。自分で言うのもおこがましいが、多分立候補したら当選するだろうとは思った。何せ四代続く地元民だし、私自身も仕事や活動で多くの知り合いがいるからだ。が、私は人前で堂々と自信を持って発言することはとても苦手だ。というより、余程のことがなければ大勢の人の前で発言することができない性格だ。仕事や活動上でどうしても発言しなくちゃならない責任がある時には、俎板の鯉状態で恐怖に打ち勝つことはできる。だから、政治家には絶対向いていない。なので、これはと思う立候補者は応援したいと思ってきたが、期待した人は当選しても一期でやめたり、私が期待する人は当然野党の人が多いので、色々なことで足を引っ張られたりするのか、頑張り続けている人は多くはない。こうなれば、質より量でも仕方がないかと思い、与党議員でも女性が増えたら少しは変わるかと思ってもみたが、与党の女性議員は男性並みに男性化していたり、男性にすり寄ったり利用されたりしているような人も多く、ずっとガッカリし続けている。日本社会は、本当に変わらないなあとため息が出るので、このようなことを書いてくれる男性がいるとつい嬉しくなってしまう。
2024年05月18日
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午前中、この日のブログをほぼ書き終わった時、何を間違ったのか全部消えてしまった。再度書く気力を失ったので、簡単に記録だけ。【5月11日】桐生のホテルで朝食後、わたらせ渓谷鉄道で通洞へ。その後、足尾銅山観光をしてから、11時過ぎのバスで日光に。通洞駅前11:07発 (足尾JR日光駅線バス)→日光駅11:58着 日光駅からJR日光線で宇都宮に付き、駅弁を買って「新幹線やまびこ」で北に向かう。仙台駅で「幹線はやぶさ」→函館北斗着。そこでまた夕食用の軽食を買い、「特急北斗」→南千歳→最寄りの駅へと列車を乗り継ぎ、自宅には午後10時過ぎに到着。この日は、足尾銅山観光で今まで知らなかったことも色々知ることができ、全体としては有意義な旅になった。
2024年05月11日
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【5月10日】前夜は4人で楽しい夕食後は、それぞれオリンピック風呂や露天風呂を楽しみ、どうということのないおしゃべりなどをして割合早く寝たような気がする。早朝からの仕事に間に合うために、前夜に旅館に作っておいてもらった「おにぎり🍙弁当」をかきこみ、孫は6時過ぎに出発した。残った私たち3人は7時から朝食をいただいたが、朝からおかずが一杯で満足満足。8時半頃の路線バスで米沢に向かい、 米沢発9:37の新幹線つばさに乗る。孫は小学校6年生まで同級生だった友達に会うために福島で下車。その友達は、東北大震災と原発事故のために北海道に避難し、三年生から孫とクラスメイトになり、中学進学の時に福島に帰ったのだ。私達はそのまま宇都宮まで行き、まだ11時頃だったので路線バスで大谷資料館へ事前にネットで調べてはいたのだが、内部は想像以上の巨大空間だった。随分以前に、大谷石の砕石跡地が陥没した事故があって、私はその時にこの場所を知ったのではないだろうか。そんなことを思い出すと、この巨大空間の地上はどんな感じなのかと心配になるほど。まあ、そんな事故があったのだから、十分な対策はされているのだろうとは思うけれど。内部は当然のことだが肌寒く、外に出る時には指先が冷え切っていた。その後、周辺の 大谷寺の大谷観音や平和観音を見てからまたバスで宇都宮へ。宇都宮といえば餃子なので、駅前でバスを降りて目についたお店で昼食。さすが餃子の宇都宮で、メニューも豊富でお手頃値段だった。(詳細は忘れたけど)それから宇都宮をJR湘南新宿ライン快速)に乗り→小山着 →(JR両毛線)→と乗り継ぎ、桐生着。駅前のビジネスホテルに泊まり、夕食はホテル近くの居酒屋へ。とてもお手頃価格でお刺身や焼き鳥は美味しかったのだが、お寿司と夫が頼んだお蕎麦はイマイチで残念。でも、この値段では仕方ないかと思うことにした。
2024年05月10日
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【5月9日】この日は、孫の住むアパートから「道の駅いいで」に立ち寄る。この道の駅には山菜や土産物などがとても豊富で、孫の勤める「田中屋の肉製品」も販売しているので、色々なお土産と牛のみそ漬けなどを購入し、自宅に発送してもらう。何せ、電車乗り継ぎの旅なので荷物を増やしたくない。そうしているうちに、田中屋のお店や「肉のガチャガチャ」などの地元テレビ局の取材に、お笑い芸人さん(名前を失念)が来ていて、私が発送手続きしている間に孫も店先に専務と並んでいた(@_@)慌てて写真を撮ろうとしたけれど、準備ができたときはガチャガチャの場所に移動しはじめていた。取材が終わるのを待ち、一言専務さんにご挨拶をしてから白川湖の水没林へ。その途中で展望台に立ち寄り、散居集落の全貌を眺める。道路を走っているだけては、あの景観はよくわからない。白川湖の水没林は、新緑の緑が美しく、足元に咲く草花も可愛らしかった。また、ちょうど藤の花が咲く季節のようで、山々には紫色のヤマフジが森林のあちこちを紫色で染めていた。その後、孫の働いている田中畜産の畜舎へ。何棟も並ぶ畜舎で、1300頭もの黒毛和牛を飼育しているという。それを五人で世話をしていると聞いて、本当にビックリ。仕事の内容をざっと聞いているだけで重労働で大変だろうと思うが、孫は「仕事は楽しいよ」と言う。世話の仕方で牛が変化するしやりがいがあるのだという。手間暇かけて育てた牛を出荷する時はどんな気持ちになるのかと聞くと、「美味しいお肉になれよ!」と送り出すという。うーん、と、複雑な気持ちにはなったけれど、考えてみれば私達は何かの命をいただかなくては生きられない存在で、その自然の摂理の中に農業・畜産・漁業があるのだから、その仕事に携わる者は精一杯動植物のお世話をして、感謝しながら命をいただくんだなと改めて思った。彼は、一日二万歩以上をこの畜舎の中で歩き回るという。身体が丈夫で自然や生き物が好きな彼にとっては、適職なのかもしれない。その後、また「道の駅いいで」に戻り、少し遅めの昼食。山形はラーメンがおいしいと聞いていたので、できれば冷やしラーメンを食べてみたいと思っていたのだけど、この日は肌寒くてやはり普通のラーメンを食べてしまった。その後、米沢に向かい上杉神社を参拝し、隣接する上杉博物館を見学。上杉鷹山のことは大まかには知ってはいたが、改めて展示を見ていて、まさに民主主義の考え方で藩運営をしていたのだと感動すら覚えた。この日は、特別展「上杉茂憲 最後の藩主と米沢士族」をしていたので、こちらも興味深く見学した。廃藩置県で東京に移住し英国留学を経て、沖縄県令になったとはビックリ。明治維新前後の劇的変化の中で生きるのは、お殿様も下々の者も本当に大変なことだっただろうと思いを馳せた。そのあとは、孫が一度泊まってみたかったという白布(はくぶ)温泉中谷別館不動閣へ。外観も施設内もかなりの歴史を感じる建物で、孫たちにとってはとても新鮮のようだが、私たち世代には懐かしさを感じるものだった。建て増ししたのだろうが三つの建物がつながっていて、私達のお部屋は渓谷館の広い部屋。窓の下は渓谷で、木々の緑とせせらぎの音と鳥のさえずりが聞こえる。お風呂は大浴場オリンピック風呂と露天風呂。プールのように長いお風呂で、ちょうど1964年東京オリンピックの時に作られたのでそう名付けたとか。しかし、プールを模したというよりは、窓を広く長く作って入浴しながら外の景観を眺めてもらうためだったそうだ。夕食は山形よねざわ郷土の味が盛りだくさん。食材やお料理について配膳をしながら丁寧に説明をしてくださったのだが、上杉鷹山のエピソードも沢山。お殿様の鷹山が今でも山形の人達に慕われ尊敬されているのだなと感動すら覚えた。もちろん、どれも美味しかったですよ。ごちそうさまでした。やっと、二日目を書いたが、今日はこれまでにいたします。
2024年05月09日
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とりあえず、旅行について書いていこうと思う。【5月8日】当地 →南千歳 (JR特急北斗8号)→函館北斗着、 函館北斗(JR新幹線はやぶさ32号)→仙台仙台(新幹線やまびこ148号)→福島→ (奥羽本線)→米沢(JR米坂線)→今泉(米坂線代行バス)→羽前椿孫は山形県飯豊町にある田中畜産で働いている。大学で畜産を学んで卒業後に就職した。一度働いているところに行ってみたかったので、下の孫も誘って出かけることにしたのだ。私は昔から電車の旅が好きだ。飛行機の方が早くて安いことが多い現在、わざわざ電車やバスを乗り継ぐのは高齢者には珍しいかも。今泉からは、二年ほど前の豪雨被害の復旧がされていなくて代替えバスだった。自宅を九時半頃に出て到着したのは午後八時近くなので、遠くに来たという実感がある。その後、飯豊町の魚井という料亭で遅めの夕食。ここの食事では山菜・アイコを初めていただいた。「これは何という山菜ですか?」と聞いたら「アイコです」との返事に思わず聞き直してしまった。イラクサの仲間のようだが、私の住む地域では聞いたことがない。その後、町内の《ホテルスロービレッジ 飯豊》で宿泊。小ぢんまりとしているがおしゃれなホテルだった。ツインルームが二部屋だったので、私は女の子の孫と同室。色々なことを話したのだが、どんなことを話したのか忘れてしまった。孫は父親である息子ともとても仲良くて、一緒にライブを聴きに行ったりもしている。「お父さんがイヤだっていう友達、多いんだよね」「どうしてイヤなのかな? 話す機会が少ないから近寄りがたいというんじゃないの?」(私自身がそうだったから)「一番多いのは、不潔だとか臭いとか言ってるかな」「でも、今は普通の家庭ならそんなに不潔な人はいないんじゃない? 私の子ども時代なら、お風呂は毎日じゃなかったし、洗濯だって今ほど頻繁にしていなかったし、トイレも汲み取りだったし、今からみたら不潔だったはずだけどね。そうか、今は清潔過ぎてちょっとした匂いにも過敏になっているのかな」「うーん、そうかもしれないけれど、やっぱり話が合わないこともあるかな」などと、他愛もないことに話が弾む。「私ね、友達には天然でピュアだって言われる。どんな子育てしたらそんな子になれるんだって言われたことある」(確かに、そんなことをサラッと言えるなんてピュアとしか表現できないかも)私から見たら、幼い頃から周囲の雰囲気を読み取るし、頑張り屋で生真面目で、素直ではあるがそれで疲れてしまうんじゃないかと思っているのだが、友達にはそう見えるようだ。天然でピュアに演じているんじゃないかと、ずっといい子を演じていた私はつい勘ぐってしまう。それでも、私とは違い、父親とも母親ともなんでも話すことができているようなので、そこは私とは全く違う。そのように子育てをしてきた息子夫婦に拍手を送りたいし、感謝せずにはいられない。
2024年05月08日
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山形で働いている孫の住む地へ、夫と私と下の孫の三人で列車の旅にでかけます。帰宅したら少しは記録に残すつもりです。
2024年05月08日
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昨日は息子のブドウ畑の手伝いに行った。天気も良く爽やかな気候で、今年の連休は道内の観光地は賑わったことだろう。少しゴールデンウィークの雰囲気でも味わおうと、今朝は夫と妹の三人で札幌の平岡梅林の梅を見に行ったのだが、今年はどうしたことか、梅の花がまばらにしか咲いていない。白梅は終わり紅梅が見頃との公園情報だったはずだが、どの梅の木も全滅じゃないのか?という感じ。いつもは紅白の梅の花で目立たないスモモの花が満開で、「今年は私の年です!」とばかりに華やかに咲いていた。帰宅してから調べたら、下記の記事を見つけた。来年に期待しましょう。平岡公園の梅林 花が咲かず 実質「1分咲き未満」が続く異常事態
2024年05月05日
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「エンド・オブ・ライフ」佐々 涼子 (著)全国の書店員が選んだ「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2020年 ノンフィクション本大賞」受賞作ベストセラー『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』の著者が、こだわり続けてきた「理想の死の迎え方」に真っ正面から向き合った。2013年に京都の診療所を訪れてから7年間、寄り添うように見てきた終末医療の現場を感動的に綴る。「命の閉じ方」をレッスンする。200名の患者を看取ってきた友人の看護師が病を得た。「看取りのプロフェッショナル」である友人の、自身の最期への向き合い方は意外なものだった。残された日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった著者の難病の母と、彼女を自宅で献身的に介護する父の話を交え、7年間にわたり見つめてきた在宅での終末医療の現場を静かな筆致で描く。私たちに、自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれる感動ノンフィクション。佐々涼子(ささ りょうこ)ノンフィクション作家。1968年生まれ。神奈川県出身。早稲田大学法学部卒。日本語教師を経てフリーライターに。2012年、『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)で第10回開高健ノンフィクション賞を受賞。2014年に上梓した『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』(早川書房)は、紀伊國屋書店キノベス第1位、ダ・ヴィンチBOOK OF THE YEAR第1位、新風賞特別賞など数々の栄誉に輝いた。2020年、『エンド・オブ・ライフ』(集英社インターナショナル)で第3回Yahoo!ニュース|本屋大賞 2020年 ノンフィクション本大賞を受賞。佐々涼子さんの本をもっと読みたくて図書館で借りた本。誰でもいつかは人生の最期を迎える。どのような終わり方になるのかは、想像はしても誰もわからない。在宅医療の看護師として多くの人達に寄り添い看取ってきた人にも、想像していなかったような心境がやってきたようだ。その経緯を読み繋ぎながら、私も色々と考えることが多かった。今朝書いたブロぐは、まさに在宅医療を選んだ知人のことを書いた。この本を読んだ後だったので、色々な思いが心や頭を巡る。さて、私はどのようなエンド・オブ・ライフになるのかと思ってしまう。この本の著者である佐々涼子さんは、脳腫瘍で余命を宣告されたというが、現在はどのようにお過ごしなのだろうか。心境には変化があるのだろうか。
2024年05月01日
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「家に帰ったら余命1週間、長くて2週間」と言われ、「それでは家に連れて帰ろう」と決意した女性がいる。知人ではあるが親しい関係ではないので、ご主人が昨年倒れて入院したままだということは知らなかった。たまたま彼女のFacebookを見てそのことを知った。彼女は若い頃から地域活動やボランティア活動に熱心な人で、いつも明るい笑顔と元気を周囲に広げていく人。近年も精力的にまちづくり活動に取り組んでいて、そのためにあちこちに飛び回っていることをFacebookでは知っていた。あの明るい笑顔の影で、そんな心配を抱えていたとは知る由もなかった。自宅のリフォームの様子も時々Facebookに載せていたので、多分ご主人が退院した時のためだったのだろう。それなのに余命宣告されたなら、私ならどうするだろう。彼女は敢然と迷いなく、「それなら夫が帰りたいと言っていた家で介護する」と決めた。その後は、家庭介護のための技術習得(痰の吸引、経鼻径間栄養の処置や後始末、おむつ交換等々)のレクチャーを受けに何度も札幌の病院に通い、家庭でのベッドの準備や訪問医療の手配や打ち合わせなど、多分八面六臂の大活躍で準備を重ねたはずだ。同時に、関わっている複数の活動を仲間にお願いするための準備など、この一か月の彼女のFacebookは目を離せず、何とか彼女の願い通り在宅医療ができることを願っていた。彼女のパワフルさはお子さん達にも伝わっているようで、幸いにも近くに住んでいるともあり、私から見たら完璧なチームワークで、在宅介護が始まって二週間が経過したという。今朝のFacebookには在宅介護15日目🟠家に帰ったら余命1週間、長くて2週間。パチパチ👏👏👏👏〇男さん、2週間目をクリアしました。との文字が躍っていた。私もUさんご一家と、支える訪問医療スタッフの皆さんにパチパチ👏👏👏👏である。驚くべきことに、家族の中で過ごせる日々に気持ちも安定し、みんなの笑顔に励まされ、家族だからこそできるきめ細やかな介護の工夫で、医師も驚くような回復傾向のようだ。余命1週間、長くて2週間は覆された。🟠一番は、緩和ケアクリニックのS先生チーム、Оさんの優秀な診療や看護は言うまでもないし、家族の要望を聞き入れてくれる緩やかな対応。それにチームUも捨てたもんじゃない。〇男さんを元気にするプロジェクトは初日から動き出してる。在宅介護は始まったばかりだし、コレから先長い療養生活が続く。О男さんが一つづつ出来ることが増えたら良いなァ〜と思う。私はご主人の病気のことなど何も知らないので、これからのことは全く想像がつかない。しかし、「チームU」は前向きに日々を工夫とチャレンジを重ねながら生活していくことはわかる。ただ一つだけ、いくら「元気と勇気は使うほど増える」とはいっても、彼女だって生身の人間だ。疲労が蓄積して彼女がダウンしないことを心から祈りつつ、毎日ひそかに応援していきたい。
2024年05月01日
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